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20代のころのぼくは、
『午後の紅茶』を
午前中に飲むほど無頼漢で、
『1日分の野菜』を
立て続けに3本飲むくらい、
向こう見ずなところがあったし、
紅しょうがの色がなくなるまで
ずっと口の中で転がし続けるほどの
根性もあった。
毎朝見かける、
陶磁器製のボーダー・コリーの置物に
名前をつけて、
「おはよう、ラスカル」
なんて話しかけるほどの愛情もあったし、
その置物のラスカルが
割れてしまったとき、
7週間ほど泣き明かし、
陶器の破片を拾って埋葬して、
毎月の命日に、
花を手向け続けるほどの
慈悲深さもあった。
白い猫を見れば
「タマ」と呼び、
茶色い縞猫を見れば
「チャトラン」と呼び、
シベリアン・ハスキーを見ては
「チョビ」と呼ぶ友人とともに、
おしゃれなセレクトショップで
サングラスの掛け合いっこをして、
昼下がりの陽光を浴びながら、
お互いを褒め合ったりもした日曜日。
夕方すぎには家に帰っていく人々を尻目に、
公園のブランコに乗りながら、
よおし、どこまで天国に近づけるか挑戦だ!
なんて言って、
自分で漕いだブランコで気持ちが悪くなって、
お昼に食べたAランチ定食の
メンチカツの味を思い出したりするような
甘酸っぱい気持ちは、今でも覚えている。
そんな男ふたりで、
わかれ道に立ったまま
8時間もしゃべりt続けて、
お金がないからって
自動販売機のコーンスープをふたりでわけ合って、
缶の中に残ったコーンの粒を、
最後の一粒まで必死になって食べようとして、
欲ばった挙句に缶で前歯を折っちゃった
お前の笑顔が忘れられない。
残り物には福があるって信じて、
毎日終電で帰るほど家に居場所がない
反抗期の自分。
そんな尖った過去を持つ経歴に憧れつつも、
毎日お母さんが作った晩ごはんで、
おかずがなくなってからまた
三杯もお代わりしている自分に、
理想と現実のギャップで唇を噛んで、
一人涙した夜は数え切れず、
数えてたらいつの間にか眠っちゃってたよ、
って、しびれた右手で頭をかいて、
自分の手じゃないみたいだなって感じて、
思わず「かいてくれてありがとう」って
お礼を言ったこともあったっけ。
そんな自分を、忘れたくない。
たとえそんな自分が、
どんな自分か忘れてしまっても、
忘れたくないって思ったことだけは、
せめて一生忘れたくない。
だから、覚えておいてほしい。
ぼくの代わりに、
忘れたくないっていう熱い気持ちを
このさき未来永劫ずっと末代まで。
この思いを
背中に彫ったまではいいけれど、
自分じゃ見えないことに、
彫り終えて家に帰ってから
初めて気がついた連休明け。
かつての自分。
そんな自分を想像しながら、
もうすぐ10代になる自分が、
20代の自分にエールを送る姿を
想像してみる。
が・ん・ば・れ、
が・ん・ば・れ、じ・ぶ・ん!
まけるな、おれるな、
お・ま・え!
「昔の俺は、
今よりずっと背が高くて、
ちょうど大仏さまの指の数の
4.8倍くらいはあったよ」
そんな歯の浮くようなセリフを
さらりと言ってのけるような伊達政宗。
熊にまたがりお馬の恵子。
ああ、次男じゃなくて、長女だったんだね。
今という瞬間はすでに過去。
今は存在しない。
言葉は常に過去である。
これを読む君すら過去なのだ!
「ノーフューチャー」とは、そういう意味だ。
わかったかね、諸君。
地球は僕らの宇宙船。
水と緑の宇宙船地球号。
運転手は君だ、社長も君だ。
シュッシュポポシュッシュポポ。
「いまどきの若者たちに、
陸(おか)蒸気がどんな乗り物だったか
説明するほど野暮じゃないけど」
当たって砕けろ。
恋は直球ストライクゾーン。
トワイライトなスクールゾーン。
外角高めのフリースロー、
摩擦の力で軌道を変えろ。
歴史という名のストーリー。
化学反応ミステリー。
ヒステリーなヒストリーを
スウィートなストリートで
ストレートにささやくアスリート。
愛の調べ。
当社調べ。
誰の下僕。
俺の屍。
またいで歩けば明日がある。
明日は明日の風が吹き、
今日は京都で笛を吹く。
ピ、ピ、ピ、ピ、ピ、ピ、五条の橋の上。
これぞしらふのナチュラルパワー。
永遠に埋めておきたいタイムカプセル。
それはもはや埋葬。
ご大層なラジオ体操。
無理な方は、
イスに座ったままの姿勢でどうぞ。
そんなわけで。
皆さまの時間を奪い去り、
したたかに灰へと変える盗人、
怪盗華麗パン。
隙間を埋めるはずの器械で
よけいに隙間を広げちゃってる
子羊ちゃんたちに。
ラブ・アンド・ピクルス♡(既読)
大丈夫、
古くなったんじゃないから。
多少の酸味は大目に見てネ♡
・・・以上、
現場からお送りしましたとさ。
めでたしめでたし
< 今日の言葉 >
「最近、
いろいろなことがわからんくなる。
脳みそが足りんくなって
きとるのかな。
毎朝、味噌汁飲んどるのに」
(80歳になった母が真剣な顔で言った言葉)
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「パレットにはりついたくま」(2020年) |
*
「何でも好き嫌いだけで
決めてはいけない」
などと、言ったりするが。
好き嫌い以外、
何を基準に判断すればいいのか。
「あんまり好きじゃないけど、
やっておいたほうが得だから」
「みんながやってるから」
「流行ってるから」
「あとで高く売れやすいから」
好き嫌い。
直感。感覚。ひとめぼれ。
それは、
人付き合いも同じだ。
たいていの場合、
会った瞬間に、ほとんどわかる。
人間も動物だ。
動物的な直感で、相手がわかる。
「あ、いいな、この人!」
「わ、嫌だな、この人・・・」
少なくとも、
好き嫌いだけは一瞬でわかる。
わからないのは、
わからなくしているだけ。
頭がそれを邪魔している。
情報が感覚を遮断している。
理性や倫理、体裁、
損得勘定など、
社会的な思考が、
直感を曇らせている。
「好き嫌いで決めちゃ
いけないよな」
たしかにそれも一理ある。
だからこそ、
頭が軌道を修正する。
感覚的に歩もうとする足取りを
言葉で、理屈で、誘導しながら、
理性の地図におさめようとする。
「みんなと仲よくやらなくちゃ」
「食わず嫌いはよくないよな」
果たしてそれが「正解」なのか?
まちがいでは、ないと思う。
けれども「正解」かと問われたら。
どうだろう?
それは、
自分が決めた「正解」だろうか。
自分の心が決めた「こたえ」なのか。
そんなことを、ふと思った。
* *
母に、
こんな出来事があった。
母は長年、
日本舞踊の教室に通っている。
事件はその、
踊りの教室で起こった。
教室には、
母よりもずいぶんあとに入ってきた
一人の女性がいた。
ここでは「女性」と
呼ぶことにしよう。
今から10年ほど前の話で、
「女性」は母より3歳
年上だった。
となると、
「女性」の歳は、
72、3というところか。
90歳(当時)の親御さんが
たくさんの借家、
マンションなどを所有しており、
娘である「女性」は、
豊かな生活を送っていた。
服装や持ち物にも気を配り、
ブランド品や高価な物を身につけて、
いつもきれいな身なりをしていた。
ある日、
喫茶店でお茶を飲んでいて、
「女性」が母に言った。
「ちょっとお手洗いに行くから。
この鞄、見ててもらえる?」
「女性」が
机に置いた鞄を指し示す。
何も思わず、母は承諾した。
その時、母と「女性」以外、
ほかに誰もいなかった。
密室ではないが、
当事者以外、
目撃者も証人も誰もいない。
母と「女性」は、2人きりだった。
ほどなくして
戻って来た「女性」は、
鞄を開けるなり、声を挙げた。
「お金がなくなった。
ここに入れておいた10万円がない。
盗んだでしょう?」
もちろん盗むわけがない。
母は唖然として声を失った。
恐怖にうち震え、
血の気が退いていくのがわかった。
声に集まったほかの仲間が、
「女性」の主張に耳を傾ける。
さいわい、
母を疑う人は、いなかった。
母は、鞄に手も触れてはいなかった。
教室の立ち上げ当時から
ずっと踊りを習っていた母には、
母をよく知る仲間がいた。
「えみちゃんが
そんなことするはずない」
信頼というよりも、
確信に近い擁護の声が、
仲間内を包んだ。
その日のことは、
ぼくもよく覚えている。
いつになく消沈した母から、
当時、この話を聞いたからだ。
「母さんね、
どろぼうって言われた。
どうしよう。
裁判とか警察とか、
そんなことに言われても、
知らんもんは知らん、
やっとらんもん、そんなこと」
いくら明るい声でなだめても、
深刻な顔をしたまま、
母はこの世の終わりのように
落ち込んでいた。
数日後、
母の口から聞いたのは、
安堵に満ちた声だった。
「わたしも
おんなじことやられたって。
△△さんに言われた」
「女性」は依然として、
裁判だの警察だのと、
かんかんに怒ったままだが。
周囲の目は、冷めていた。
誰も母を疑いはしなかったし、
責めることも、同調することも、
無視することもなかった。
無視されたのは「女性」だった。
新参者で、
人の悪口を
よく口にしていた「女性」は、
みなの信用を得るには
至らなかった。
『10万円紛失事件』は、
「女性」とともに姿を消し、
事態は静かに幕を下ろした。
しかし ——。
危ないところである。
もし母が、
みなに信用されないような
人柄だったら。
借金などがあり、
お金に困っていたら。
現在、または過去の素行が、
悪かったら。
もし・・・と言い出したら、
きりがない。
あとで聞いたところ、
現金だけでなく、
指輪や時計までもがなくなったと
言われたらしい。
「もう絶対に、
そういう頼みごとを
聞いちゃだめだよ」
「そういう人と、
二人きりになっちゃだめだよ」
よかったね、と言いつつも。
当時のぼくは、
母にそんな教訓めいたことを
とくと伝えた。
* * *
久しぶりに母が、
その「事件」を思い出し、
当時をふり返るようにして
苦々しく笑った。
「あのときはもう、
本当にどうしようかと思った」
「母さん、その人のこと、
初めて見たとき、どう思った?」
「なんていうの。
お金持ちだけど、
案外けちけちしとって。
意外と細かいんだわ。
何でも自分で仕切りたがるし。
すぐ人の悪口言うし」
「好きか嫌いかで言ったら、
どっちだった?」
「・・・嫌い。
ぱっと見たとき、
苦手だなって、そう思った」
そう。
のんきで、おとなしく、
父に言わせれば「どんくさい」母でも、
動物的な感覚が、知らせていたのだ。
起こるべき事態を、なのか。
それとも、
相性がよくないということを、なのか。
『以心伝心』
『魚心あれば水心』
とも言うけれど。
母が抱いた反感情が、
「女性」の気持ちをくすぶらせ、
事態に火を点け
燃えあがらせたのか。
何やかんやで
みんなに可愛がられている、
母のことを妬んで起きた事なのか。
現実につながる糸は、
あとから手繰りよせようにも、
もはや確かな正体はない。
ただひとつ言えること。
直感。
好きか嫌いか、という気持ち。
そこに、嘘はない。
合わないものは、合わないのだ。
どちらが悪というものでもないし、
どちらかが正しいわけでもない。
合わないものは、合わない。
そこにいても、
いい結果は産まないし、
待っていても変わることはない。
自分が動くか、変わるしかない。
人にはそれぞれ事情があり、
現在の姿がある。
人を悪く言うのはよくない。
言葉はそのまま自分に返る。
投げかけた感情が、
そのまま自分に返ってくる。
過去はどうすることもできないが。
現在のふるまいが、未来の自分を救う。
欲がそのまま、
「好き」につながる人もいる。
それも、人の好きずきだ。
ひとつひとつの、小さな積み重ね。
積み上げるのには時間がかかるが、
壊すのは一瞬だ。
完璧でも上手でもないが。
ひいきなしに、
母は、まっすぐ生きてきた。
貧しくとも、
ゆたかさだけは忘れずに。
裏表なく、損得勘定ではなく、
物事を判断してきた。
多少は愚痴をもらしたりするが。
悪態をついたり、悪口を言ったり、
批判をしたりはしてこなかった。
どちらかといえば、
騙されてばかりで、
損することも多かったように思うが。
他人を騙すことは、しなかった。
そんな母を、
みんなが守り、かばってくれたこと。
それは「正しい」ことで、
嬉しい結末だった。
簡単なはずのことが、
ややこしく見える現代でも、
昔話みたいにすこやかな結末が、
まだちゃんと息をしているのだと。
そう思いたいし、
そうであってほしいと願う。
不器用でも真面目に
生きている人がいる。
いくら強くても、
嘘ばかりの長いものには、
巻かれたくない。
好き嫌い、という感覚。
感覚は、すなわち「センス」。
「センス」のない生き方って、
怖いなって思った。
それは、
地図なく歩くよりも
怖いことだ。
センスは、自分の感覚。
自分だけの「こたえ」。
いいものは「いい」し、
嫌なものは「嫌」だ。
わがままと、自分勝手は、
似ているようでまるで違う。
わがままは、
自分の筋を通すことで、
自分勝手は、
状況や場面で、
事実を都合よく変えること。
好きでもないものを受け入れるうちに、
自分の好きとか嫌いが、
わからなくなる。
気づかぬうちに、
選ぶことも、考えることも、
できなくなる。
好きも嫌いも、いいも悪いも、
わからなくなる。
そんなふうに、
心の声が何も聞こえなくなったら、
もっと怖い。
< 今日の言葉 >
「出かけるときは、
重たいから
家に置いてくんだけど」
(携帯電話を指して母が言ったひと言)