2024/07/01

昔話のようなお話


『男と女』(2007年)


 *



みなさんは、

まるで昔話みたいだな、と

思うような場面に

遭遇したことはありますか。


大きなつづらを選ぶ、

欲ばりじいさん。

金の斧をもらう、正直な木こり。

うそばかりついて、

信じてもらえなくなる羊飼いの少年。


何かの教訓か警句なのか、

ときどきそんな場面に出会う。


今回はそんな現代の昔話を

3つほどお送りいたします。



* *



むかしむかし、

というほどでもない、

少し昔の話。


とある街の商店街に、

一軒の店があった。


金物屋というのか、雑貨屋というのか。

昔でいうところの、

小間物屋やよろず屋といった

風情だろうか。


店内には、

所狭しと商品が並べられ、

積まれ、重ねられ、

まるで倉庫のような様相である。


薄暗い店内、

うっすらとほこりのたかった

商品たちは、

博物館を思わせるような物も多く、

見ているだけで楽しくなる。


なつかしいキャラクター物の水筒や、

アルマイトの弁当箱、

ポリカーボネイトの筆箱やら。

自分でも使ったことのない時代の

素材や形状の物たちが

無造作に置かれている。


針金で編んだねずみ捕り器や、

炎をあおる「ふいご」、

殺虫剤を撒布する噴霧器など。

童話の世界や小説の中でしか

見たことのないような形の

物もあった。


そんな店内の様子が

たまらなく好きで、

その街を訪れた際には、

ふらりと立ち寄る店でもあった。


そして、そのとき必要なものを、

一つ、二つばかり買っていく。

入場料代わりというわけでもないが。

品物を物色して、黒く汚れた手で、

いくつかの商品を抱え、

店の奥へと向かうのだ。


レジ、というには古めかしい、

お勘定どころにおじさんがいる。

おじいさんといってもいい年齢の、

白髪のご主人だった。


大きなそろばんと、

手動式のレシスター。

まるで戦国武将よろしく腕を組み、

丸椅子の上で、

テレビを観ながら座っている。


「おじさん、これいくら?」


「それか。そうだな、

 古いし、汚れてるから、

 300円でどうだ?」


「これは?」


「それは、奥にもいっぱいあるから、

 ひとつ100円でいいよ」


そんな具合に。

どんぶり勘定スタイルも変わらない、

古き良き雰囲気の店であった。


最初に訪れてから、

もう何年くらい経ったときか。

聞くともなしに、おじさんが語った。


「この前、テレビが来て、

 この店が出たんだよ」


おじさんはうれしそうに

そのときの様子を話してくれた。


「△△ちゃんに握手してもらった」


などと

元グラビアアイドルの名前と、

お笑いのベテランの方の名前を

口にしながら、

サイン色紙を指差した。


自慢げに語るおじさんの話に、

合いの手を入れながら、

しばらく耳を傾けていた。


数カ月後。


コロッケの話をしていて、

その街の商店街のコロッケを、

どうしても食べたくなった。


さっそく車を走らせる。

それは、間違いなくおいしかった。


商店街の肉屋で買った、

揚げたてのコロッケを食べたあと、

街をぶらつき、

いつものようにその店へ向かった。


おじさんは、怒っていた。


怒りに打ち震えながら、

燃えるような目で、

おじさんが話し始めた。


ソフトビニール人形。

通称「ソフビ」。

おじさんの店には、

特撮物のヒーローの人形があった。


『ミラーマン』という、

鏡に向かって変身する正義の使者で、

1970年代初頭に

放映されていた番組の

ヒーローだった。


古物好きで、

昔のヒーロー好きでもあったぼくは、

聞かずともその姿を見ただけで

すぐにそれとわかった。


足の裏には、

おもちゃメーカーの刻印と、

『ミラーマン』という名が

刻まれている。


おじさんは、こんな古い、

時代遅れのおもちゃを

店先に並べていても

しょうがないと思い、

新品のまま、

店の奥の箱にずっとしまっていた。


けれど、おじさんは、

テレビの収録のとき、

流れでその箱を持ち出して、

カメラの前にお披露目したそうだ。


番組が放映されたすぐあと。

店に、一人の男がやってきた。


男はミラマーマンの人形を

1体だけ残して、

残りの10体を買っていった。


値段は1体500円。


男は何も言わず、

5000円支払った。


店を出る間際、

男がおじさんに言った。


「これは、

 1体5万円くらいで売れる。

 だから、1体だけ残していく」


それを聞いて

いきり立ったおじさんに、

男が言ったそうだ。


「知らないほうが悪い。

 むしろ教えたんだから、

 情報料がほしいくらいだ。

 その1体を売れば、

 5万になるんだから」


おじさんは、

自分が50万円損したような

気持ちになったのだろう。


教えなければ、よかったのか。


それとも、最初から全部、

教えてあげることがいいことなのか。


よき行ないとは、いかに。


あなたは、どう思いますか?

あなたなら、どうしますか?


インターネットがない時代。


だからこそ、わからなかった。

だからこそ、知られていなかった。



数年後、

近くに立ち寄る機会があった。


店の外観は相変わらずで、

初めて見たときと

ずっと変わらないようにすら見えた。


なつかしいような気持ちで、

店に入った。


なんだか違う感じがした。


『かってにさわらないこと』


商品の並ぶ店内のあちこちに、

小さな札が立っていた。


こんな注意書、あったかなと。

妙な雰囲気に、

伸ばしかけた手を静かに下ろした。


小さな橋箱を指して、

おじさんに値段を聞いてみた。


「それは古いものだから、

 5000円」


驚いたぼくは、

橋箱に視線を戻した。


そこにもやはり、

『かってにさわらないこと』

という札が立てかけられていた。


黄土色の厚紙に、

黒いマジックで書かれた文字を見て、

何も言えず、

ぼくは店をあとにした。


あの「出来事」のせいだとは

言い切れないが。

きっとあのことが少なからず

影響しているだろう。


変わってしまったものは、

何なのか。


おじさんなのか、時代なのか。


ぼくにはよく、わからない。



* * *



むかしむかし、

というほどでもない、

少し昔の話。


県内を自転車で走り回っていたとき。

私鉄の駅からほど近い場所で、

一軒の自転車店が目に入った。


古めかしい感じの店構えに、

心ときめかせ、

自転車を停めて中に入った。


店には、

おばちゃんがいた。

おばあさんといってもいいくらいの、

腰の曲がった女性だった。


店内には、

自転車好きにはたまらない、

特に旧車好きには垂涎ものの、

古き良き時代の部品が

あちこちに並んでいた。


リボルバー式拳銃の

チャンバーみたいな形状の、

溝の入った、

70年代のシートポスト。

(サドルを支えるための棒です)


ぴかぴか光る、

銀色の金属でできたディレイラー。

(ギアを変速するための部品です)


中世の騎士を思わせる形状の、

アルミ製のブレーキレバー。


サカエ、スギノ、シマノ、

サンツアー。

主に国産の物ばかりだったが、

欧州の物も少し見られた。


天井からは、

自転車のフレームが2つ、

ぶら下がっていた。


身長177センチのぼくは、

530サイズの自転車に乗っている。

適正かどうかは別として、

フレームの形状の、

見た目のバランスが

いちばんいいように感じるからだ。


店には、

490と580のフレームがあった。

ブリヂストンとチネリ。

カーボンではなく、

クロモリ(クロームモリブデン)製の、

重厚なフレームだ。


どちらもすばらしい物だったが。

小さすぎるものと、大きすぎるもの。

自分にはどちらも

合わないサイズだった。

しかも・・・。


「いちじゅう、

 ひゃくせんまん・・・」


なかなかのお値段である。


思わずぼくは、

店のおばちゃんに聞いた。


「完成車は、ないんですか?」


「いろいろたくさん

 あったんだけどね」


おばちゃんの話は、こうだった。



この自転車店は、

おばちゃんのご主人が

立ち上げたもので、

長年ご主人が切り盛りしていた。


数年前、

ご主人が体をこわし、入院した。

その間、店は閉めていた。


あるとき、

一人の男がやってきた。

近所の寿司屋の大将だった。


彼は、子供のころ、

よく自転車屋を利用していた

客だった。

店の主人が入院した話を聞いて、

自転車店にやってきたのだった。


彼は、おばちゃんに言った。

自分が手伝うから、

お店をまた開けようと。


彼は、

足繁く病院のご主人を見舞って、

店のことを

いろいろ任されるようになった。

昔気質の頑固なご主人は、

店のことを、彼に一任した。


そしてご主人は亡くなった。


おばちゃんはそのまま

店を閉めようと思ったのだが。

気づけば老舗となっていた

おばちゃんの自転車店は、

近所の幼稚園に、

小さな自転車や一輪車を卸していて、

自転車通学の多いこの地区の、

小学生から高校生までの「足」を

提供していた。


半世紀の歴史があり、

すぐ駅裏に位置する自転車店は、

老若男女、地域のみんなから

頼りにされていた。


「ぼんやり遊んでても仕方ないし。

 まだ動けるから、

 こうやって自転車直したりしてる」


おばちゃんは、

一輪車のパンクを直しながら、

やさしく笑った。


「お父さんの仕事を

 手伝ってたおかげで手が覚えてる。

 こうしてときどき

 修理を頼まれたりして、

 おしゃべりなんかをして。

 何の不自由もなく生活できるのも、

 みんなお父さんのおかげ」

 

部品代と、

数百円の修理の手間賃をもらって、

おしゃべりする生活。

そんな毎日がしあわせだと。

おばちゃんは、

うれしそうに笑った。


店にあった古い商品や、

いろいろな荷物や自転車などは、

寿司屋の大将が片づけてくれた。


「古い物ばっかりたくさんで、

 ごちゃごちゃしてて、

 どうにもならんかったからね」


完成車は、何台かあったらしい。

寿司屋の大将の手元に、

3台ほど残っているそうだが。

あとはみんな「処分」したらしい。

おばちゃんは、ご主人の言葉どおり、

寿司屋の大将に一任しているので、

詳しいことは

何もわからないとのことだった。


「本当に助かって、

 すごく感謝してる」


おばちゃんは、

迷いのない顔でうなずいた。


年代物のシートポストには、

小さな値札が付いていた。


8000円。


それが高いのか妥当なのかは、

ぼくにはわからなかった。


「今でもときどき

 見にきてくれてる」


そう。


誰も困っていない。

むしろみんなが喜んでいる。


そこに、わるいものは、

ない気がした。


けれども。


たくましいな、と。

そう思わずにはいられなかった。


2010年代。

インターネットに続き、

スマートフォンの普及の進んだ時代。


それでも、

おばあちゃんの手に届くほどの

代物ではなかった。


知ることと、

知らないでいること。

どちらがしあわせなのか。


あなたは、どう思いますか?



* * * *



むかしむかし、

というほどでもない、

少し昔の話。


白い雪の舞い散る、

大晦日の夜。

積もるほどではないが、

寒い夜だった。


県外で車を走らせていて、

晩ごはん難民に

なりかけていたので、

目についた

ラーメン・チェーン店に入った。


駐車場はいっぱいで、

店の中も混雑していた。


食べ終わって出てみると、

車の横に、

若い男性が駆け寄って来た。


「この車の人ですか?」


聞かれてうなずき返すと、

彼が話し始めた。

震えているのは、

寒さのせいではなさそうだった。


彼は今日、

レンターカー・ショップから

車を借りて、

彼女と2人で遊びに出かけた。

そしてこのラーメン店に入った。


運転していたのは彼女だった。


彼女の運転する車は、

ぼくの車の右前方にぶつかった。


といっても。

少し傷がついた程度の、

軽い「衝突」だった。


もともと傷ついていた箇所でもあり、

正確にはよく判らないが。

おそらく大きな傷ではなさそうだ。


もちろんそんなことは、

彼らにわからなかった。


車に傷がついている。


どうしようと思った。


しかも、

自分の車でも家族の車でもなく、

レンターカーだ。


大学の冬休みを利用しての、

初めてのドライブが、

レンタカーでのドライブだった。


初めてのドライブで

起こした「事故」。


どうしていいか、わからなかった。


彼女は、

レンタカーの運転席で、

真っ白な顔で震えていた。


駐車場に立つ彼の顔も、

同じく真っ白だった。


彼女は何度も

吐きそうになっていて、

とてもじゃないが、

車から降りてこられないと。


ぼくの車を見て、彼は思った。

古い車だし、

ものすごく高価なのかも知れない。


震えながら、

車の主が来るのを、持っていた。


まるで昔話みたいだなと、

ぼくは思った。


正直な彼らの行動に、

ぼくは少し、

心を打たれてしまった。


寒い中じっと、

逃げ出さずに待っていた彼。

車の中で、震える彼女。


1年の最後の日。

大晦日に起きた、

初めてづくしの、初めての出来事。


車の傷は、たいしたことない。

そこにいる誰もが無傷だった。


ぼくは、

彼の名前と、

携帯電話の番号を聞いた。


「それじゃあ、よいお年を」


そのままぼくは、彼らと別れた。



数日後。


見慣れぬ番号から

連絡があった。


彼だった。


すっかり忘れていたことだったが。

忘れてしまったわけでもなかった。


彼が言った。


「このあと、

 レンタカーのお店から

 連絡があると思います。

 それまで、ぼくのほうにも、

 ぼくのほうからも、

 連絡しないでくださいと

 いうことです」


言われるままに、待った。


何かあるのかと思って、

そのまま待ってみた。


あれからもう、

何年経つのだろうか。


平成が終わって、令和に変わった。


言われるままに、

待ってはみたものの。


お店からも、彼からも、

連絡は来ない。



別に何も求めていなくて。

たいして気にも

していなかったのに。


約束を破られたことが、

ひどく悲しかった。


彼ではなく、

何も知らない彼を説き伏せた

お店の「大人」が、

ひどくけがらわしく思えて。


現場の搬入や搬出などで、

大きな車が必要なとき、

よくお世話になっていたお店だったが。

あんまり利用したくなくなったな、と。

そのときすごく、そう思った。



* * * * *



正直者は、

鉄でも銀でもなく、

金の斧がもらえる。


けれどもそれは、

お話の中だけのことなのか。


それとも、

金の斧という、

光るばかりで

まるで使い物にならない道具が

もらえるということなのか。



むかしむかし、

というほどでもない、

少し昔のお話。


今になってもわからない、

少し昔の昔話。


みなさんには、わかりますか?


昔話の、本当に意味を。

昔の話の、本当のこたえを。


ぼくはまだ、わからないままです。


わからないから、選ぶしかない。


自分が思う、そのこたえを。

正しいと思う、そのこたえを。



むかしむかし、

というほどでもない、

少し昔のお話。


読んだ人に

笑ってもらえたら。


このお話は、

めでたしめでたしです。



< 今日の言葉 >


” Stay hungry, Stay foolish."

「貪欲であれ、愚直であれ」


(『The Whole Earth Catalog』という出版物の最終号の裏表紙に書かれた言葉で、2005年、スタンフォード大学卒業式の演説の中で、スティーブ・ジョブズが3回くり返した言葉 )


それを間違えて、


” Stay Hungary, Stay foolish."


と思い込み、

ハンガリーに留まって、

馬鹿であり続けた男が、

いるとかいないとか。


2024/06/24

やさしい外国人

 

『『性別年齢国籍不詳』(2013年)





みなさんは、

バングラデシュと聞いて、

何を連想しますか?


国旗はすぐに

思い浮かびますか?


バングラデシュは、

インドとミャンマーの

あいだにある国で、

国土面積は、

14万7千平方キロメートル。


ちょうど北海道と、

四国と九州と沖縄を

合わせたくらいだという

よけいにわかりにくい

比較を挙げておきまSHOW。


人口は約1.7億人。


ちなみに日本は1.2億人なので、

さらに本州の人口の半分を

足してちょうど同じくらいだという

ややわかりにくい計算を

書いておきMASS。


首都はダッカ。


みんなの大好きなビリヤニは、

バングラデシュで

よく食べられているよ。


ぼくは、

バングラデシュが好きだ。


びっくりドンキーの、

レギュラーバーグディッシュと

同じくらい好きだ。


バングラデシュ。


行ったことはないし、

詳しいわけでもない。


なぜ好きなのか。


それは、5歳の時に、

バングラデシュのお兄さんに

やさしくしてもらったからだ。



* *



母の実家のとなりには、

留学生会館があった。

(もちろん今もあるヨ)


幼少期のぼくは、

よくそこに入って遊んでいた。


当時のぼくは、

留学生会館という建物が、

何をする場所なのか

まったく知らなかった。


今でも知らない。


おそらく、いろいろな手続きや、

相談や紹介など、

留学生のみなさんの交流や、

拠り所となる施設だろうことは、

何となくわかる。


当時のぼくには、

外国の人がたくさん集まる

楽しい場所、

という認識しかなかった。


母の実家で。

祖父のアトリエをのぞいたり、

仕事の資材置き場で遊んだりして。

時間を持てあましたぼくは、

ちょくちょく留学生会館へ、

ふらりと一人で遊びに行った。


別に誰かにとがめられるでもなく。

半ズボン姿の5歳の子ども(ガキ)が

ふらふらとロビーをうろつきまわる。


いろんな人がいた。

肌の色も、髪の毛の色も、

言葉も違えば、服装も違う。


貼り紙やポスターの、

読めない文字。

意味のわからない言葉。

見たこともないような景色。

それだけで心がうきうきした。


自分とよく似た感じに見える人でも、

全然違う言葉をしゃべって、

また別のよく似た感じの人たちも、

また違う言葉を話す。


日本のほかの「アジア」は、

中国くらいしか知らなかったぼくは、

まだまだたくさんの外国があることを

肌で知った。


1980年ごろは、

自分の住む街に、

まだそれほど外国人が

たくさん歩いていた時代では

なかったので、

留学生会館は、

そこだけ「外国」みたいな

場所だった。


金色、茶色、黒い髪。

さらさら長い髪の毛や、

くるくる巻いた髪の毛。

茶色い肌、黒い肌、白い肌。

髪の毛くらいに黒い肌の人もいたし、

日に焼けた時くらいの

褐色の肌の人もいて。

ミルクたっぷりの紅茶みたいな

肌の人もいた。



黒檀のように

つややかで美しい肌を見て、

本当にきれいだなあと、

じっと見とれていたこと。


錦糸みたいな金色の髪の毛で、

青い目をした人。


輝く黒髪をゆらして歩く人は、

ぼくらとよく似ているけど

どこか違って、

まっすぐ胸を張って、

長い手足をしなやかに動かす。


本当にみんなきれいで、

目を細めたくなるような

美しさがあった。


難しいことはわからない

5歳のぼくでも、

留学生のみんなが放つ

まばゆい光は、

強く心に焼きついている。


それくらい刺激的で、

魅力あふれる風景だった。


髪型も、服装も、

みんなばらばらだったけれど、

とにかくみんな、

かっこよかった。


「はーい、コンニチワ!」


ぼくを見たお兄さん、

お姉さんたちは、

やさしく微笑んで、

ちょっとした言葉を

かけてくれたりした。


それが楽しくて、うれしくて、

ぼくはロビーの景色を、

下から見上げていた。



ある日。


真っ白な長いシャツを着た

男の人が、

ぼくに話しかけてきた。


足元まで届くような、

白いシャツ。

それが「パンジャビ」

というものだと知るのは、

もっとずっとあとのことだ。


インターネットもない時代。

親や大人の情報も、

たがが知れていた。

特別な知識がある人以外、

専門的なことなど誰も知らない。


真っ白な長いシャツを

着たお兄さんは、

ぼくに尋ねた。


「きみはいくつ?」


「5さい」


「ぼくの弟とおなじだ」


お兄さんは、

もう一人のお兄さんをふり返り、

白い歯をのぞかせて笑った。

褐色の肌に、

白い歯がいっそう白くまぶしかった。


「何か食べたい?」


白いシャツのお兄さんが、

笑顔を見せる。

彫りの深い目元の、

サングラスみたいな濃い影。

きれいな目だった。


二人の年齢はわからない。

とても大人びて、

しっかりとして見えたが。

おそらく20代前後だったのだろう。


「何か食べる?

 食べたいもの、食べていいよ」


ロビーには、

ちょっとした喫茶店があった。

壁に据え付けられたガラスケースには、

泡だつ緑色のソーダに

白いアイスと赤いチェリーが乗った

クリームソーダがあった。


メロンやバナナやミカンなどの

色とりどりのフルーツに囲まれて、

チェリーの乗った白いホイップクリームに、

カラフルなスプレーチョコがまぶされた、

プリン・ア・ラ・モードもあった。


コーヒーや紅茶や

ミルクセーキもある。

サンドイッチやトーストもある。


けれども、ぼくの目には、

茶色と白のマーブル模様の、

チャコレートパフェの姿が、

いちばん輝いて映った。


「これ」


指差すぼくに、

お兄さんはやさしく笑った。


もしかすると、

おいおい、パフェか。

もっと遠慮しなさいよ、という

表情を浮かべたかもしれないが。


5歳のぼくの記憶には、

うれしそうに微笑んでいる

お兄さんの笑顔として、

大事にしまわれている。


喫茶店のイスに座って、

ぼくはチョコレートパフェを食べた。

長い、銀色のスプーンで、

甘くて冷たいパフェを食べた。


お兄さんは、

ぼくにはわからない言葉で、

もう一人のお兄さんと

しゃべっていた。


ときどき短い言葉で、

ぼくに質問する。


まるで日本の人みたいに。

少しも変な感じがしない口調で、

ぼくに話しかけた。


「ぼくたちは

 バングラデシュから来たよ。

 バングラデシュは知ってる?」


「しらない」


細かい内容は覚えていないが。

うん、とか、ちがう、とか、

そんなふうに答えられる、

簡単な質問だった気がする。


そのときは何も思わず、

何も考えず、

ただただ言われるまま

ご馳走になったが。


お兄さんの顔は、

本当にうれしそうで、

パフェを食べるぼくの姿を、

静かに笑って眺めていた。


ぼくのよろこぶ姿が

うれしくてたまらないようすで、

歯をのぞかせながら、

やさしく目を細めていた。


お兄さんは何も言わなかったが。


故郷で暮らす弟に

パフェをご馳走したみたいな気持ちで

微笑んでいたのかもしれないなと、

ずっとあとになってから思った。


「ごちそうさまでした」


お兄さんは、にこにこと笑っていた。


「ありがとう」


ぼくはお礼を言った。

お兄さんも、

もう一人のお兄さんも、

笑っていた。

お店の人も笑っていた。



「バイバイ」


手を振るぼくに、

二人のお兄さんたちも手を振った。


白いシャツと、

白い歯がまぶしかった。



秋になって、

幼稚園で運動会があった。


一人3枚の国旗を描くことになり、

ぼくは、インドとブラジルと、

バングラデシュの国旗を描いた。


インドは、

オレンジと緑の色合いと、

まんなかの車輪(法輪です)が

かっこよくて。

青色のクレヨンで、

車輪(法輪です)の細かい形も

しっかり描いた。


ブラジルは、

緑に黄色のひし形がかっこよく、

惑星みたいな絵と、

そこに書かれた文字も魅力的で。

意味もわからず、見よう見まねで

アルファベットを書いた。


『ORDEM E PROGRESSO』


「秩序と進歩」という意味だ。

のびのびと書いた文字は、

ずいぶん右側が窮屈になった。


バングラデシュは、

緑がいっぱいで、

赤い丸は、

ちょっとまんなかから

左に寄っていた。

白い紙を、

緑と赤で、ひたすら塗った。







緑ばかりを使って、

手の指が緑に染まっていた。


まだみんなは描いていたので、

先生がもっと描いていいよと言った。


ぼくは、

アルゼンチンと、

メキシコの国旗も描いた。


まんなかに

細かい絵が描いてあるのがよくて、

誰も描いていなかったので、

その2カ国を選んだ。


描き終わったみんなが、

旗を持って集まった。


バングラデシュの国旗を見た誰かが、

ぼくに言った。


「おかしいよ、みどりじゃないよ。

 それはまちがいのこっきだ」


「まちがいじゃないよ。

 みどりでいいんだよ」


「そんなこっきみたことない。

 にほんはしろとあかだ」


「にほんじゃないよ。

 バングラデシュのこっきだよ」


「うそだ。

 そんなくに、きいたことない」


「うそじゃない、ほんとだ」


「うそだ。そんなこっきないよ。

 まちがいのこっきだ」


転入生のぼくは、

秋になってもまだ、

幼稚園には馴染めなかった。


言葉足らずの

幼稚園児たちのあいだに、

先生が割って入る。


「はいはい、みんな、

 できあがったこっきを

 ここにならべて」


ぼくに声をかけた彼は、

アメリカと日本とフランスの国旗を

並べながら、

まだ何か言いたげな顔だった。


女の子がぼくに聞いた。


「このみどりいろの、

 にほんのこっき、なに?」


「バングラデシュのこっき」


「そんなくにしらない。

 なんていうくに?」


「バングラデシュ」


「ふうん。

 いろがちがうとちがうくに。

 おもしろいね」


そんなようなことを言われて、

なんだかうれしかった記憶がある。


もしかすると、

記憶の捏造かもしれないが。

ひょっとしたら、

先生の言葉だったかもしれない。


Anyway.


ぼくは、

大好きなバングラデシュの

国旗を描いた。


長い白いシャツを着て、

白い歯を見せて笑う

お兄さんたちの姿を思い浮かべて。


小さなぼくの思い出のかけら。

純粋だったころの、

きれいな思い出。



大人になって。

そんなことを思いながら、

愛知万博のバングラデシュのお店で、

虎の置物を買った。

バングラデシュの「思い出」に。


白いワイシャツを着たお兄さんから、

真鍮製の、ずっしり重い、

虎の置物を買った。


目の奥には、

クレヨンで描いた

緑と赤の国旗と、

チョコレートパフェと、

お兄さんたちの姿を思い浮かべて。


気づけばぼくは、

「お兄さん」たちより

歳上になっていた。





* * *



5歳よりも古い記憶。


父の会社関係だったか。

何かの集まりのお花見に行った記憶。

桜の下で、お弁当を食べた。


金網のそばに座る、

パーマをかけた女の人。

重箱には、

お好み焼きみたいなものが

ピザみたいに切られて、

何枚も重ねて入っていた。


じっと見つめるぼくに、

女の人が言った。


「食べる?」


1枚もらって食べたら、

すごくおいしくて、

小さな体でぺろりと食べた。


「あらうれしい!」


これは韓国の食べ物よと、

教えてくれた。


「おいしい?」


うなずくぼくに、

女の人は重箱を差し出してくれた。


「好きなだけ食べて」


大きくなってそれが、

「チヂミ」だとわかった。


学生のころ、

駅裏の韓国のお店で食べたチヂミ。

何枚も重ねて置かれたチヂミの味は、

遠い桜の花見の景色を思い出させた。


しっとりとして、

もっちりとした、

香ばしい味。


「韓国の食べ物を

 おいしいって言ってくれて

 ありがとう」


花びらが舞い散る、

桜の樹の下で。


すごくうれしそうに笑った顔と

その言葉が印象的で、

幼心に深く染みこんだ。



外国に行って、

日本のことを好きだという人に会って、

ようやくその気持ちが少しわかった。


女の人がくれたチヂミは、

その人の作った、自国の味だ。


本物の、韓国の味。


名前も知らない人だけど。

ぼくは、

そのチヂミを食べることができて、

本当によかった。



* * * *



アメリカの、

ワシントン州の郊外で。

とぼとぼ歩いていると、

赤い車がすぐそばで停まった。


「どこへ行くの?」


運転席から女性が顔をのぞかせる。


「ロープを買いに、お店まで」


「乗っていきなさい」


遠慮なく車に乗り込むと、

ハンドルを握りながら

彼女が話した。


数年前、

英語の先生の仕事をしに

日本へ行ったことがあると。

そのとき、

息子のおみやげに、

年代物の、

マジンガーZのおもちゃを

買って帰ったそうだ。


2000年代初頭、

スマートフォンもない時代。

「マジンガーZの

超合金(ちょうごうきん)」

の説明を、

あれやこれやで

伝えようとする女性の言葉を、

懸命に拾い集めて理解したあの時間。


ほんの短い時間だったけれど、

なんだか「つながった」感じで

心地よかった。


「帰りは頑張って歩いてね」


たしかに長い道のりだったが。

車では数分だった。


そのほんの数分が、

今でも心に残っている。


携帯もネットもない時代。

わからないから、無謀に歩いた。


メートル法で育った

ぼくたち日本人には、

ヤードやマイルはぴんとこない。


ロープを買うときも

そうだった。


「なんだ、

 インチとフィートが

 わからないのか!」


お店のおじさんが

簡潔に説明してくれた。


「フィートが3つで『1ヤード』だ」


「インチは?」


「マイルは?」


・・・とても難しかった。


たしかに、マイル表示の車では、

つい「キロメートル」の感覚で

数字を読み、

せまい路地のカーブで

タイヤを鳴らしたりと、

うっかりスピードが出てしまう。

(例;時速40マイル ≒ 時速63キロ、

  時速80マイル ≒ 時速128.7キロ)


「インチがわからないなんて、

 どこから来たんだ?」

 

「日本から」


「日本はインチじゃないのか?」


「センチとかメートルだよ」


「日本ではインチは

 使わないのか」


「靴とかテレビとか、

 自転車とかはインチだけど」


「それならわかるだろう?」


説明するほどの語彙も

英語力もなく。

店のおじさんが、さらに尋ねる。

ポンドやオンスなどの、

重さの話に続いて、

こちらからは

寸とか尺とか、

昔の「尺寸法」の話までして、

さんざん散らかした挙句。


「おれはアメリカから

 出たことがない。

 だから、同じ物なのに、

 測り方が違うなんて、

 思いもしなかった」


おじさんが、いかにも欧米風に、

肩をすくめて唇を突き出した。



カナダのトロントでは、

チャイナタウンの

『Queen Travel(クィン・トラベル)』の

おじさんに、

ニューヨーク行きの

飛行機チケットを手配してもらった。


本当はバスで行きたかったのだが。

(グレイハウンド的な

 長距離バスに乗ってみたかったのだ)

現実的じゃないからやめたほうがいいと、

助言してくれた。


お店の入口には、


『日本語歓迎』


と赤文字で

でかでかと書かれていた。


『いらしゃいませ』


大きく書かれた文字が、

「っ」の足りない、

若干、発音ちがいの日本語表記で、

多少の不安はあったのだけれど。


ぼくの日本語での質問に、

拙い言葉ではあっても

しっかり応えてくれた。


「大丈夫です。

 これで何も問題ないです」


いきなりの予約だったにもかかわらず、

手早く格安航空券を手配してくれた。


そしてぼくは、

単身ニューヨークへと

無事に到着することができた。



* * * * *



・・・こんなふうに。



話し出したらきりがないくらい、

旅先、滞在先で、

やさしい「外国人」に助けられたり、

うれしいものをもらったりした。


だからぼくは、思った。


ぼくも「外国の人」に

やさしくありたいと。


日本を代表する一人として。


言葉は通じなくても、

持ち帰ってほしい。


名も知らぬ外国人との、

やさしい思い出を。


外国で、

たくさんのやさしい人に

いっぱいもらったから。


ぼくも同じように、したいと思う。


「サマサマ〜」


インドネシアからの研修生が、

にぎやかに笑う。


「どういたしまして〜」


という意味だ。



何かのためとか、

何という目的はなくても。


拙いからこそ、

まぶしく輝くこともある。


楽しい、うれしい、

生の瞬間を、

ほんのひと粒ずつでもいいから、

散りばめられたら。


外国人のぼくは、

たいへんうれチーズです。



< 今日の花言葉 >


ちょっと頭をヒヤシンス




2024/06/10

四角いジェット機



 



地球を救ったご褒美に、

何か望みはないかと尋ねられ、

少し考えた末にこう答えた。


「ジェット機に乗りたい」


後部座席に乗ったぼくは、

キャノピー(風防)ごしの景色を見る。


建ち並ぶ高層ビルにも、

高速道路の高架にも、

手を伸ばせば届きそうだ。


そびえ立つタワーの足元を、

ジャングルジムみたいにくぐると、

なぞるようにして回りながら、

てっぺんまで駆ける。


機体を垂直、

水平に旋回させながら、

ビルの隙間や高架の下を

光の矢のようにすり抜けていく。


音速で過ぎる景色の中で、

ぼくは、声も出さず、

口を開けたまま、

目を輝かせる。


街を突き抜けるジェット機は、

道路やビルや橋の上に、

大きな鳥のような影を

くっきり落とす。


車も、街灯も、

自動販売機もコンビニも、

公園に並んだセコイヤの樹も。

ゆっくりと流れる景色の中を、

またたくうちの一瞬で

走り去っていく。


街をかすめるほど迫り、

縫うようにして滑空する

ジェット機は、

そのままお菓子の国に飛んでいく。


40階建てのビスケットの横には、

緑色のゼリーのビルがゆれている。


キャンディを積んだ

キャラメルの車は、

ラムネのタイヤを軋ませながら、

チョコレートの道路をゆるやかに走る。


メロンソーダの川が

泡を立てて流れる先には、

ウエハースの橋が架かる。


ババロアの丘に続くのは、

わたあめをかぶった

マシュマロの森だ。


モザイクみたいに見えるのは、

色とりどりのチョコの花。


ああ、なんてきれいで

楽しい景色なんだろう。


そんなことを思ううちに、

信号が青に変わった。


ハンドルを握ったぼくは、

四角いジェット機を操縦しながら、

見慣れた街を滑空していく。


白いレースのカーテンをまとった、

時代遅れの四角いセダンは、

法定速度でゆるやかに走る。


音速のジェット機で

街を滑空できたらな。


バイパスを走りながら、

この車が、

ジェット機だと想像してみた。


なめらかに滑る機体は、

すぐ横を滑空するジェット機と並んで、

高架下をまっすぐ飛んでいく。


時速は60万キロ。


高架の柱がびゅんびゅんと、

音も立てずに背後へ消えていく。


そんなことを思いながら、

安全運転で滑空するぼくの車は、

たくさんの車に追い越されていく

四角いジェット機だ。


よく晴れた日の午前。


四角いジェット機に乗ったぼくは、

ビルに輝くたくさんの窓を

目に映しながら、

地面の上を、滑空していた。


となりに並ぶ車にも、

後ろに続く車にもわからない、

ぼくだけの、子供じみた遊び。


今度は鳥になってみようか。

それともここを

ジャングルだと思おうか。


ハンドルを握るぼくは、

お気に入りの音楽を流しながら、

紺色のセダンを走らせるのでした。






< 今日の言葉 >


「北風と太陽って。

 あれって、本当の話?」


(ある日の母の問いかけより)


2024/05/15

怒る人

「怒りのにこにこ仮面」(2009年)



 

3日のうち2日は

怒っている人がいた。


理由はあってないようなもので、

とにかく何かしら怒っていた。

いらいらと、

いつも何かに怒っていた。


おそらくそれは常態化した習慣で、

開き癖がついた本みたいに、

自然と「怒り」のページが開いていた。


批判、否定、不満、文句。

その矢印は、

いつもこちらに向けられる。


あえて選んで

そうしているのだろうか。

怒っても仕方がなく、

どれもがすぐには

どうすることもできない

ことばかりだった。


とにかく、

自分でも気づかないうちに、

怒っている自分にも気づかないで、

いつの間にか怒っている。


悲しいことに。

怒りは、怒りを呼ぶ。


毎日怒りを浴びていると、

気づかぬうちに伝染し、

知らないうちに怒りを発している。


考え方も、思考も、行動も。

いつしか怒りに染まってしまう。


あれっ?

何か変だな、と。

気づけるうちはまだいいけれど、

それでも、

染み込んだ怒りはなかなか取れない。


それを抑えようとしたとき、

芽生えてきたのは、

激しい自己否定の感情だった。



怒りは、暴力。


暴言、罵倒、憤怒、破壊。

暴力は、

まっすぐなものをねじ曲げ、

やわらかなものを硬くする。


もろく砕け、とがり、

鏡写しの諸刃となる。


自分では気づかない姿も、

はたから見ると、はっとする。

受けてみて初めて気づく、恐ろしさ。


かつての自分を省みて、

他人事じゃないと思い知る。


* *


暴力。

それは、人を破壊する。


人の心、判断力、

感情や思考を破壊する。


吸い込んだ暴力は、

じわじわと心を蝕み、

外や内に向かって攻撃を始める。


反撃なのか自衛なのか。

否定と対立、閉鎖的な疎外感。

強烈な自己肯定と他者否定。

それが転じて、

猛烈な自己否定と孤立感に

苛まれる。


自分を認めるための、悲しい連鎖。

悲しい破壊工作。



怒りは、

どこからやってくるのか。


思い通りにならない、憤り。


うまくいかないことへの、

不甲斐なさ。


図星を指されたとき。


大切なものを穢(けが)されたとき、

傷つけられたとき、壊されたとき。


不安感、ひがみ、劣等感。


あせり、苦痛、余裕のなさ。


けれど、

怒る必要があるものなんて、

ほとんどないような気がする。


怒りの正体の大半は、

「八つ当たり」。


自分の「不満」を、

攻撃の刃に変えて行う「反撃」。


これは、立派な暴力。


人の笑顔を重く曇らせ、

楽しい気持ちを微塵に砕く。


怒りの感情を

制御(コントロール)できないのは、

それが「許されて」きたため。

抑制する技術を身につけることなく、

発露し、爆発させることを

いつまでも「許される」環境に

いたためだ。


脳は覚える。

その道筋を。


怒りは甘美な美酒のように、

恍惚とした快楽を伴って噴出する。



怒りは、甘え。


自分の欲求を伝える、

幼児的な表現手法。

かわいらしい線を越えると、

毒矢となって突き刺さる。


暴力と「けんか」は

まるで違う。


けんかは、

「ごめんなさい」がきちんと言えて、

素直に仲直りができること。


けんかの目的は

「勝つ」ことではない。

「仲よくなる」ためだ。


暴力は、最後まで譲らない。

主張を貫き、

調和することを求めない。


自己を

「認められる」ことにこだわり、

勝つために奪い合い、

いがみ合う。



暴力は、ころす。


人の心をころす。


時に本当に、

その人をころしてしまう。



怒りの連鎖、

八つ当たりの鎖は、

悲しく、重く、

どんどんリレーされていく。


家で、学校で、

職場で浴びた八つ当たりが、

コンビニで、路上で、

家庭で噴出する。


八つ当たりという、暴力。


環境や状況、

過去やお酒のせいにする人。


言語道断。

暴力に、言い訳などは

通用しない。

暴力を正当化できるものは、

何もない。


誤りに気づいたとき、

少しでも早く「ごめんなさい」と

言えるかどうか。



肉体よりももろい、精神。


治癒するのにも時間がかかり、

目に見えない傷跡が、

いつまでも疼(うず)く。


* * *


怒り、暴力、八つ当たり。


正しい怒り。


自分はどうなのか。


過去はどうにも

変えられないけれど、

今、これからならば、

責任が持てる。


正しい怒りでぼくは言いたい。


暴力は、人をころす。

人の心をころす。


美しいものを醜く歪め、

うれしいものを悲しく彩り、

大切なものを無残に踏みにじる。


たかが言葉と侮るなかれ。


渡された悲しいバトンを

ふり捨てて、

愚劣な連鎖をここで断ち切る。


勇気ではなく、決断。


大切なものを、

これ以上壊されないための

冷静な判断。


誰にでもわかる、簡単な算数。


誰だって怒られるより、

笑顔のほうがうれしい。

怒っているより、

笑っているほうが楽しい。


それができない「大人」は、

ただの馬鹿だ。


人の悲しみの上に立つ笑顔は、

身勝手な暴力でしかない。



怒り、暴力、八つ当たり。


その破壊力と愚かしさに、

対峙してみてようやく気づいた。


できればもう、近づきたくない。


たとえ浴びても、

すぐに洗い流したい。


まだまだ未熟で、

間違うこともあるだろうけど、

心の底からぼくは憎む。


正義、正論、正当化。

もっともらしい服を着て、

当たり前にはびこる、八つ当たりを。




怒りは怒りを生み、育て、

天使の心を悪魔に染める。


間違った怒りは、

自分以外を焼き尽くす。

黒い炎にあぶられた人は、

泣くか嘆くか、

それとも新たな悪魔を

育てあげるか。


もし、逃げられるなら。


すぐに逃げたほうがいい。


離れてみれば、見えてくる。


正しい怒りには存在しない、

暴力的な悪魔(エゴ)の正体が。


善とか悪とかではなくて、

それは、どうしようもないもの。


性質、訓練、意思の力。

本人が努力しなければ、

変えられない。

気づかせることはできても、

人が人を変えることなど、

できはしないのだから。



ほこりだらけの自分が、

いい人になれるとも

思わないけれれど。


どうかこれが、

正しい怒りでありますように。


そしてなるべく、

間違った怒りを

まき散らしませんように。


たとえ間違ってしまっても、

すぐにごめんなさいが

言えますように。



もし、間違った怒りを

浴びてしまっても。


吸い込んだ怒りをガソリンにして、

にこにこエンジンで

明日へ疾走できるように。


なるべくがんばって

いこうかと思います。




< 今日の言葉 >


恋文を書くときには、

ます何を書こうとしているか

考えずに書き始めること。

そして何を書いたかを

知ろうとせず、

書き終わらなければいけない。


(ジャン=ジャック・ルソー)

2024/05/05

エリックとロバート

 

CN tower (2007)






2006年、

カナダ・トロント。


滞在中に書いた日記が

手元にないので、

正確さと詳細に欠ける話かもしれないが。


ときどきふと、

思い出すことがある。


エリックと、ロバート。


それは、

カナダ滞在中のある日のことだ。



* *



友人に連れられ、

エリックの元を訪れた。


エリックとは、この日が初対面で、

ロバートから誘われての訪問だった。


「彼が喜ぶから、ぜひ来てくれ。

 日本の話とか、

 いろいろ話してあげてほしい」


そんなようなことを言われた。


トロント郊外だったか。

正確な場所は忘れてしまったが、

着いたのは、

アパートのような、

何かの施設のような感じの

建物だった。


10階建てくらいか、

それとももっと高かったか。

コンクリートの建物を、

地上から見上げた記憶だけは

鮮明に残っている。


「こんにちは」


「いらっしゃい」


そんなやり取りのあと、

簡単な自己紹介が交わされた。


エリックは、25歳(だったと思う)。

自分たちより歳下で、

20代の青年だった。


「やぁ、こんにちは!」


明るく笑う彼の声は、

嬉しそうに弾んでいた。


エリックは、

20代になったばかりのころ、

川に飛び込んで背骨を折った。


以来、歩くことができなくなった。


エリックは、

ベッドの上で暮らしている。

ぼくらを迎えてくれたのも、

ベッドの上からだった。


ベッドの背を起こし、

明るい声でぼくらを迎えたエリックは、

興奮気味に

いろいろ話し始めた。


それほど英語が

堪能だったわけでもないので、

ぼくらはほとんど聞き役だった。


ときどき彼に質問したり、

そうなんだ、と合いの手を入れたり。

エリックにとっては、

それでも充分、嬉しいらしく、

心からはしゃいでいる様子だった。


アパートメントなのか、

施設の一室なのか。


白く清潔な室内は、

がらんとしており、

病棟のような雰囲気だった。


間口の広いシャワールールは、

ベッドのまま入ることができ、

つやつやと光る床は

すべてフラットだ。


キッチンもあったが、

エリック本人が使うのではなく、

介助をする人が

調理をするためのものである。


ロバートは、

エリックの介助をする一人だった。


身の回りの世話をしたり、

話し相手になったり、

何かを買って届けに来たり。

こうして「友人たち」を

招いたりするのも、

ロバートの「役割」だった。


といっても、何かの契約や、

仕事といった感じではなく、

好意のような形で

その役目を担っていた。


ベッドに座ったエリックは、

尽きることなく話し続ける。

ぼくらを飽きさせないよう、

まるで沈黙を恐れるかのように、

途切れることなく話し続ける。


話が途切れてしまったら、

みんなが帰ってしまうんじゃないか。


そんな気持ちが

伝わってくるような、

熱を帯びた話し方だった。


「あ、そうそう、これ見てよ。

 すごく面白いよ」


などと、リモコンを手に、

たくさんのチャンネルの中から

画面を選ぶ。


手元には

4つほどのリモコンが並んでおり、

テレビや映画、音楽などが、

ベッドにいながらにして視聴できる。


エリックは嬉しそうに笑って、

次々とお気に入りを披露する。


親戚の子どもが、

自慢のおもちゃを見せてくれるように。

自分の部屋に、

1分でも長く留まってもらえるように。


ぼくらを

「もてなして」くれる

エリックの姿は、

そんないじらしさと

懸命さが同居していた。


「・・・・はぁあ」


笑いのあとに、

短かい沈黙が生まれる。


そのとき、

眼鏡の奥で見せるエリックの目は、

どこかさみしげな、

ここではない何かを見ているような、

そんな色に沈む。


ほんの一瞬だけれど。

おそらくそれは、

楽しさの陰にひそむ、

エリックの「素顔」でも

あるように思う。


嬉しさに勝る、さみしさ。

楽しさのあとに訪れる、さみしさ。

ごまかしきれない感情。


それでもエリックは、

今、このひとときを

心から楽しむように、

嬉しそうに、楽しそうに、笑っていた。


ぼくは、英語が堪能でない自分を、

悲しく思った。


だからこそ、必死で耳を傾けた。

話し相手としては、

物足りなかっただろうが。

拙い語彙力で、

エリックの会話を楽しんだ。


「あれは、何?」


ぼくは、

誰でも話せるような

簡単な質問をした。


ぼくが指差す先には、

窓辺でくるくると回り続ける、

銀色のモビールがあった。


何か、ということは、

聞かずともわかっていたが。

話題の糸口として、

エリックに尋ねた。


「ああ、あれは

 CNタワーのモビールだよ」


タワー好きなぼくにはたまらない、

高さ世界一を誇る(当時)、

カナダのタワー。


CNタワーには、

もう登っているのだが、

こんなかっこいいモビールは、

土産物店でも、

周辺の店でも見かけなかった。


「どこで買ったの?」


「・・・もらった物だから、

 わからないなぁ」


そんなやり取りのあと、

ぼくらは、

ゆるやかに回り続ける

銀色のモビールを眺めていた。


薄い、金属製のモビールは、

風のない部屋の中で、

ぐるぐると、ゆっくり回り続ける。


年輪のように、

たくさんの輪が

何重にも重なった形状で、

中央にタワーの形をした部分がある。


銀色の肌に、

景色や光の、さまざまな色を映しこみ、

見ていると吸い込まれていきそうになる。


永遠に続く光のトンネルみたいに。


ぐるぐるとぼくらに

魔法をかける。


しばらく息をするもの忘れ、

きらめきながら回転するモビールに、

目だけでなく、

心も奪われていた。


あの時間。


それほど長いわけでもないはずなのに、

永遠にも感じた、あの時間。


ぼくらはたしかに、

「ここ」ではないどこかへ、

旅に出ていた。


こういうのを、

「トリップ」というのかもしれない。


いつまでも、

ずっと見ていられる。

ずっと、見ていたい。


言葉はなかったけれど。

深く、やわらかで、

居心地のいい、静寂だった。



* * *



エリックの部屋を出て、

ぼくらは屋上へ行った。


ロバートは、

くるくると巻いたたばこに火を点け、

青い空に紫煙を履いた。


風のない青空に、

白い煙が溶けてにじんだ。


「来年から、

 日本に行かなくちゃいけない」


手すりにもたれたロバートが、

煙と一緒に、

ふうっと長い息を吐き出した。


先生の仕事で

来日するとのことだったが。

何やら浮かない顔をしている。


そのわけを尋ねると、

ロバートが真面目な顔で、

笑わずに言った。


「Because ,

   can't smoke in Japan」


・・・そのときは何も

思わなかったのだけれど。


少し経って、いろいろ思った。


ロバートは、

エリックの介助をしながら、

一緒に「医療大麻」を

吸っていたのだろう。


カナダでは

医療大麻が認められており、

おそらくエリックは、

それを処方されていた。

たしか、そんなようなことを

言っていた(気がする)。


日本では吸えない。


ロバートの憂鬱は、

そこにあるらしい。


日本のどこに行くのか、

という問いに、

ロバートが返した答え。


「IKOMA」


真面目顔のロバートと、

どこかそぐわない音色で。


そのときぼくは、

ほのぼのとした心地で、

ふふふ、と笑った。


ぼくの頭の中には、

生駒山頂遊園地の風景と、

大仏や茶がゆや鹿の姿とともに、

渋い顔のロバートが

先生をしている姿が

ゆらゆらと浮かんだ。


ぼくは思った。


お酒もたばこも悪くなないが。

そんなものがなくても、

「旅」には出られると。


エリックの部屋で味わった、

濃密な時間。


記憶と体験。


旅の扉は、自分で開けられる。


ただ、その開け方を、

忘れているだけ。

忘れてしまっただけだと。


走り回る子どもには、

お酒もたばこも、何もいらない。


なくしたんではなく、

忘れてしまっているだけだと。



* * * *



フルネームも知らない、

エリックとロバートとの

思い出の断片。


それが何かということよりも。


ふと、思い出したことに

意味がある。


2006年。


ワールドカップで

イタリアが優勝した年。


ジネディーヌ・ジダン選手が

相手にヘディングした年。


セント・クレア・ウエストの駅前では、

優勝を祝うイタリア系カナディアンが、

びっちりと景色を埋め尽くしていた。


2006年。


気づけば早18年。


探し物をしていて、

18年前に書いた「物語」を

見つけたせいもあるのか。


ふと、そんなことを思い出した。



18年前に書いた物語。


もう一度読み直し、

まとめ直して、投稿してみた。


18年の歳月。


うまくは言えないけれど。

止まったままの時計を手にして、

時間旅行に出かけたような。


そんな、気がした。



< 今日の言葉 >


鉛筆の削りかすを、

『ルマンド』の破片と思ってかじり。

消しゴムの消しかすを、

おじゃこを間違えてご飯にのせて。

本を読んでいて、

大航海時代、

コロンブスが発見したものを、

「新大陸」ではなく

「新大阪」だと読み違えて。


ついにここまできたかと、苦笑い。


2024/04/01

黒い羊は誰なのか






ー1ー



協調性。

漢字で書くと、3文字。


英語では、

「cooperativeness」。


今回、調べるまで、

一度も聞いたことが

なかった単語だ。 


通知表によく書かれた言葉。


「協調性がない」


たしかに、

1対1とか、

3人とかでいるといいのに、

大勢になると居場所を失う。


結局、その中の

2、3人と話してしまう。


自分が取り仕切る

「会」ならまだしも。

誰かの「集まり」では、

居場所に困る。



協調性。


それって何なのか。


集団の中で、

いったい誰がつくるのか。


イワシの群れが泳ぐとき、

どのイワシが「指示」を出しているのか。

どうしてあれほどまでに

見事な統率がとれているのか。


敏捷性? 共振力? 生存本能?


人間の「群れ」は、

誰が合図を出しているのか。


法律や法令でもなく、

道徳や規則ともまた違う。


協調性。


たくさん生きてきて、

少しはわかったつもりだったが。

いまだにまったく

わからないままだ。



ー2ー



最近、

英語のヒアリングがてら、

日本の歴史をまとめた

動画を何本か観た。


自分たち「日本」から見た

「日本」ではなく、

海外から見た「日本」。


どんなふうに見えているのか。


つたない英語力なので、

理解度は6割くらいかも

しれないけれど。

知らなかったこと、

初めて知ることがたくさんあった。


ここで、

日本の歴史について

講釈するつもりはないので

どうぞご安心を。


自分が観た動画は、

史実に基づいた、

中立的で公平なものが多く、

意見を述べたり、

善悪を問いただしたり、

極端に色づけをしたものは

少なかった(と、思う)。


そんな中、

ひとつの動画で、

ちょっとした問いかけがあった。


礼儀正しく、繊細で、

美しい国の日本が、

なぜハラキリや大量虐殺などの

野蛮な行為を行なったのか、と。


それについての

一人の日本人の答え。


『日本人は、

 よくも悪くも「従順」であり、

 教育や方針、風潮などを

 遵守する傾向にある。

 それによって、

 ハラキリ、カミカゼ、残業などを

 足並みそろえて行なった。

 出る杭は打たれるという文化が、

 長く続く民族である』


(For better or for worse, Japanese people tend to be ''obedient'' and adhere to education, policies, and customs.. As a result, Harakiri, Kamikaze, overtime work, etc. were performed in unison. They are a people with a long-standing culture of being driven in if a stake sticks out.)



島国で、単一民族、

単一言語を話す単一国家。

国境を意識することなく、

北へ南へ、東へ西へ、

陸の上をすみずみまで

移動できる国だ。


ひと昔前は、外国人を見て、

「あ、ガイジンだ」

というくらいの民度だった日本人。


西暦1639年から1854年の、

215年間の鎖国から

ずいぶん経った今でも、

もしかすると、

見えない柵に

囲まれているのかもしれない。



ー3ー



広告代理店に勤めていたころ。


当初はデジタルではなく、

「紙入稿」の時代で、

原稿に直接、指示を書きこんだり、

紙の「版下」に

トレーシングペーパーをかけて、

赤や緑のボールペンで

指示を書いたりして、

印刷物を制作していた。


「太ゴ(太ゴシック)

 20Q(級)24H(歯送り)」


「平明(平成明朝)

 14pt(ポイント)ベタ(送り)」


といった具合で、

レイアウト原稿などに

指示を入れる。


ちなみに図案の指示は、


「photoカクハン使用

 天地40ミリ」


「ロゴ50%使用」


といった感じだった。



あるとき、

モノクロページを制作していて、

ふと思った。


原稿を200〜300%に

拡大して印刷したものを、

そのまま「版下」として

入稿してはどうだろうかと。


そうすれば、

指示ミスや入力ミスもなくなるし、

(といっても、

 版元がミスすることなど

 ほほなかったが)

数字だけでは表せないような

細かなニュアンスも

そのまま再現できる。


これは名案だ。


われながら画期的な発案を、

すぐさま実践してみた。


悪くない。


入稿整理の手間も省けて、

制作に充てられる時間もふえた。


幾日か経過して、

版元(出版社)から電話が入った。


「家原さんがやり始めたと

 聞きましたが。

 あれは、何なんですか?」


電話の主は、進行課という

印刷工程の下準備をする部門の

担当者からだった。


その声は、

やや困惑したような、

あきれたような色をしていた。


「だめでしたか?

 何かまずいこと、ありましたか?」


と聞くと、


「いや、だめとかではないんですが。

 一応、確認しておきたくて」


とのことだった。



それ以前にも、

表現に関する手法で、

「革命的な試み」を始めた前例があり、

ほかの代理店にまで広がって、

そのことが問題視されたことがある。


そのときも、今回同様、

奇をてらってやったわけでは、

けっしてない。


具体的な説明は

ややこしいので割愛するが。

この現象を、例えてみたい。


小学校の時など、

自分が考えた遊びが広まって、

それが学校じゅうの問題になる。


自分の場合は、少なくとも、

いろいろ配慮していたつもりでも、

真似や亜流で広がったものが

問題を起こしたり、

けが人が出たりして。


先生が生徒に問いただす。


「誰がやり始めたんだ」


「家原くんです」


「またあいつか」


・・・と、

そんな感じである。


「それでも地球は回っている」

("And yet it moves.")


とは、さすがに

言わなかったが。


ああ、そうだ。

ずっとそうだった。


小学生のころから、

ずっとそうだった。


協調性を乱す、というのは、

そういうことなのかもしれない。


ちなみにその「進行課」は、

入稿のデジタル(DTP)化とともに

廃止され、

そこにいた人員は異動、

またはいなくなってしまった。



先生の仕事をしていた時にも、

同じような景色を見た。


熱血先生を気取るつもりはないが。

生徒目線に立ってみて、

あれ?っと思うことがあり、

会議の場面で口にした。


すると、長である先生が、

明らかに「めんどうな」顔色を浮かべた。


「今までそうしてきましたし、

 そんなことは、前例がないので」


「けど、生徒のことを考えると、

 どうかと思うんですよ」


ねえ、と言わんばかりに、

あたりを見回す。


(うそぉ〜ん・・・)


と言いたくなるような

心細い風景。


さっきまで

休憩室で談笑していたときには、


「まったくその通りです」


「そうですよ! 本当、そう思います」


と。

まこと、援軍を得たかのような、

心強き気持ちだったのに。


会議室では、

その同志たちの誰一人とも目が合わず、

悲しいくらいの孤立を呈した。


賛同が得られないどころか、

「長」の意見とデュエットして、

みなでハモるかのような勢いで、

最初から一点の曇りもなく

その意見でしたよ、

といった風情でうなずいている。


たしかに。


来年度の席を決めるのも、

授業のコマ数を増やすのも、

すべて「長」の判断なのだから。


そりゃ、そうもなるか。


わかっていても、

実際、そんな場面に遭遇すると、

それはそれで圧巻の景色である。


漫画でもドラマでもなく、

現実に起こる出来事なんだと。


フィクションが先か、

ノンフィクションが先か。


初めて見た

「うそみたいな現実」の風景に、

声も言葉も失い、

自分が呼吸しているのかどうかさえ

忘れてしまうほどだった。


怒りはない。


あるのは悲しみ。

さみしさと落胆。

自分自身への悔恨。


あゝ、たとへ一瞬でも、

信じた自分が莫迦(ばか)だった。


こんな風景になることを

想像できなかった自分の、

想像力のなさ。

いや、むしろ想像力が

たくましすぎたのか・・・。


がむしゃらに走って帰ってきてくれる、

メロスはいない。

ひたすら信じて待っていてくれる、

セリヌンティウスもここにはいない。


そう。

ここは「社会」。


目の前にいるのは

友でも同志でもなく、

仕事の「同僚」だ。


みなそれぞれに事情があり、

守るべきものがある。


ぼくにはそれがわからなかった。


理解できないという、

否定的な意味での

「わからない」ではなく、

そういう思考に欠けていた。


だから、あれ?っと思うことを、

あれ?っと口にしてしまう。


空気が読めないと言われると、

デリカシーがないみたいで、

やや反論したくもなるが。


まあ、ようするに、

場というか、

社会の空気が読めないのだから。

社会的なデリカシーが

欠如しているのだろう。



ー4ー



カナダにいたとき、

カナダ人が言った。


「日本人はどうして本人に言わずに、

 いなくなったあとで言うのか」


似合わないなら似合わないと。

おかしいならおかしいと。

なぜ本人に伝えてあげないのか。


日本人は、冷たい。

陰で言うだけでは悪口だ。

それでは、やさしさがない、と。


そのときのぼくには、

説明できる語彙力がなかったが。


「We don't want to cause any trouble,

 this is our Japanese culture.」


(波風を立てたくないのが、

 私たち日本の文化なのです)


平和を愛する民、日本人。


「やさしさ」の形、表現の違い。


場の空気を尊重するのが、

日本の風潮であり、文化である。


和を重んじる、日本人の美徳。


そんなあたりまえのことが、

なぜかぼくにはできていない。


日本の和を乱す

夾雑物(きょうざつぶつ)。


もはやぼくは異邦人。


日本を愛する、異邦人。


最近、こういう局面が

つづいたせいで。

・・・いや、むしろ、

「それ」を意識していたせいなのか。


協調性、和、について、

いろいろ思った。



自分に何が欠けているのか、

と考えたとき。

「大衆」というものを理解する力が

欠けているのだと思い至った。



目の前の「個」が何を考え、

何を思っているのかを

想像することはしてきたが、

集団が何を求めているのか

想像したことはほとんどなかった。


集団の「総意」。


多数決。趨勢(すうせい)。

一般。みんな。

風潮。流行。主流。スタンダード。


「こたえ」の秘匿が

確保されない場面において、

集団(または組織)の総意は、

強いもの、長いものの「こたえ」が

そのまま「総意」になる。


「こたえ」は流される。


水とは反対に、

高いほうへと流されていく。


自分は、大衆という、

実体がなく、その時々で変容する、

つかみどころのないものの姿を

とらえる能力が劣っている。


集団社会の中で生きるための

致命的な欠陥。


わかろうとはしても、

わからない。


「ああ、たしかに。

 あれはいいよね」


と、歩み寄ろうとするぼくが

提示するものに対して、

返ってくるのは、


「変わってるね」とか

「よくわからない」

「知らない」という、

檻(おり)の向こう側からの声ばかり。

(もちろん「ばかり」とはいえ、「だけ」ではないです。念のため)



そして、つい先日。


またしても「それ」は起こった。



いたはずの賛同者が

傍観者になった、悲しい風景。


人は、身を守るためのうそをつく。

都合のいいように、情報を編集する。


そんなことは言っていなくても、

本人不在の「伝言ゲーム」では、

そう言ったことになっている。


たくさんの景色を見て、

たくさんの時間を過ごして、

たくさんの経験を重ねてきたと

思っていたけれど。


「家原くんがやった」


小学校の時と、

まるで変わらないこの景色。


「個」のときは「YES」でも、

「みんな」になると

「I don't think so.」または、

「I'm not sure.」になる「こたえ」。


表の顔と裏の顔。

表のこたえと裏でのこたえ。


これが「本音と建前」というやつか。


言い換えると、

「理想と現実」と言ってもいい。


いくら「個人」が望んでも、

「みんな」が求めていない「正論」は、

厄介者のおせっかいに過ぎないのだ。


たたただ場の空気を乱しただけ。


どうしたものか。


ぼくにはそれがわからない。


その線引きが、区別が、判断が、

今もってまるでわからない。



けれど、

わかったことが少しはある。


自分が思っている以上に、

「みんな」は、変容する。


裏での言葉がそのまま、

表の言葉になるとは限らない。


よく知っている間柄であればまだしも。

そうでない場合の過信は、

おとぎ話のような

メルヘンにしかならない。



あの日に見た景色。


人は、変わる。


いやむしろ、

変わらないのか。


一人歩く帰り道、

街灯の光に照らされて、

真っ黒な空に浮かんだ

白いモクレンの花が、

とてもきれいだった。



黒い羊。


英語で「black seep」というのは、

「組織や家族の中での

 厄介者、ならず者」

という意味らしい。



黒い羊は誰なのか。


「みんな」にとっての黒い羊は、

「ぼく」なのかもしれない。


平和に凪(な)いだ海原に、

よけいな波風を立てる黒い羊。


サムライ、チュウギ、

スシ、ハナミ、ゲイシャ、

カラオケ、マンガ、

フー・イズ・ニンジャ?



少なくとも、

「まあ、いいか」

と、笑えるようにはなったけれど。


「ヒツジが1匹、ヒツジが2匹、

 ヒツジが3匹、ヒツジが4匹・・・」


外国人にも日本人にも

なれない自分であっても、

せめていつかは

白い羊になれたらと。


そう願うのでありました。




< 今日の言葉 >


「もし私が死んだら、

 下あごの骨を

 キハーダにしてほしい」


(If I die, I want you to make quijada

 out of my lower jawbone.)


4月1日に父がたわむれで書いた遺言状を真に受けて、単身キューバへと渡り、キハーダを作るために高名な先生に弟子入りをして、キハーダ作りを学んだという孝行息子がいたとかいないとかいう、4月1日のおたわむれのお話。


(ちなみに『キハーダ』とは、馬やロバの下あごの骨を乾燥させて作った楽器で、『ギロ』のように、バチなどでこすって鳴らしたり、『ヴィブラスラップ』のように、手や膝に打ち付けて鳴らす、ラテンアメリカの楽器です)


2024/03/11

子どものこたえ




 



上の写真は、

何に見えますか?


心理テストでも

美意識の検定でもなく。


あなたにはこれが

何に見えますか?


正解は「キツネ」。


もっと言うと、これは、

ギンギツネの「途中経過」です。



展覧会にご来場いただいた

「お客さま」からお声かけいただき、

児童館で何かをやってほしいと

いうことで。


「実物大の動物を作ろう」


という企画を開催した。


主役は「子ども」。


だからぼくは、

基本的には手も出さないし、

口もはさまない。


参加した子どもたちがやりたいように、

好きなようにやってもらう。


ぼくの仕事は、

その「舞台」を用意すること。


子どもたちが作りたいものを

実現させるためのお膳立てと、

現場を見ながら

そっと導いていくことだ。



* *



今回お世話になった児童館の方たちは、

とてもやわらかな人たちばかりで、

児童館の存在を「屋根のある公園」と

形容しておられた。


学校でも家でもなく、公園。

屋根があって、人の目も届く「公園」。


何をしてもいい。

勉強をしてもいいし、

遊んでもいいし、

本を読んでもお弁当を食べても、

運動をしてもいい。


今回お声かけいただいた児童館には、

場所と人がそろっていた。


子ども目線の、理解ある環境。


そんな場所だからできること。


たのしいことが

できそうな場所だったから、

とにかく何かやりたいと思った。


職員の方とのやり取りで、

いくつかの提案の中から、

「実物大の動物づくり」にしようと

いうことになった。




第1日目。

何が作りたいか、

子どもたちに意見を聞いた。


竜(ドラゴン)、

ティラノサウルス、

ゾウ、ペガサス、

キリン、麒麟(きりん)、

ゴリラ、ライオンなど。


いろいろな意見の中から、

みんなで決めた。


ウマと、ギンギツネ。


2組に分かれることは

想定外だったが、

それもまたおもしろい。


ということで、

ウマチームと

ギンギツネチームに分かれて、

作りはじめることにした。


まずは「絵」を描いてみた。


図鑑で調べて、

実際の大きさを測って、

大きな紙に形を描いていく。


ぼくは主に、

ギンギツネチームを見守る

格好になった。


ウマチームは、

児童館の職員の方が担当してくれた。


今回、ぼくが思っていたのは、

大きすぎるとか、

むずかしいから、という理由で、

やりたいことを小規模化して、

思いをこぢんまりさせたくはない、

ということ。


とはいえ、

あまりに「無謀」なことは、

避けたくもある。


年齢層は、

小学3年生から6年生。


全員そろう日もないし、

数人しか来ない日もある、と。


子どもたちの性格や気質、

図工が好きなのかどうかも

わかっていなかったので、

難易度というのか規模というのか、

そこらへんの

コンダクト(指揮)が

悩みどころだった。


簡単すぎてもつまらないし、

絵に描いた餅で終わっても悲しい。


毎週土曜日の1時間。

初回の話し合いを含めて、

合計6回。


決められた期間はあっても、

それまでに必ず完成させるという

考え方ではなく、

失敗してもいいし、

できあがらなくても構わない

という指針でいきたい。


とにかく全力。


思いっきり、

やりたいように、

全力でやる。


どうなるかわからないことを、

わくわくと楽しむことこそが

いちばんだと。


そう考えていたので、

最初の準備——

軌道に乗るまでの導入が大切だと

思っていた。


以前にも書いたが。


『馬に水を与えるのではなく、

 水を飲みたくなるよう

 仕向けることが、

 よき指導者である』


この金言を胸に、

あくまで主役は「子どもたち」だと

いうことを忘れず、

ただただ見守るようにした。


これは、ぼくの中で、

ずっと変わらない

礎(いしずえ)である。


生意気だった家原少年は、

子どものころ、

先生に口や手を出されて、

おもしろくなくなることが

少なくなかった。


そんな思いが鮮烈だったので、

自分は同じことをしたくない。


主観や好み、通例ではなく、

子どもたちが

やろうとしていることに

合っているのか、沿っているのか、

それを「ものさし」として

導いていく。


初めての環境、

初めての場所で。

まだ見ぬ新しいものが、

芽吹く環境をつくる。


その「空気づくり」には、

いつもいちばん気骨を折る。


そんなふうにして始まった

動物づくり。


やってみて初めて感じること、

見えてくること、

なるほど、と学習できること。

やってみてわかることばかりだ。


動物づくりに向き合う

子どもたちに勝るとも劣らず、

毎回、学びと発見が多かった。


ぼくは先生でも指導者でもない。

だから、わからないことだらけで、

わからないからおもしろい。


言うなれば、

ぼくがいちばん「生徒」なのだ。



* * *


















2日目を終えて気づいたのは、

子どもたちの集中が続く時間が、

1時間弱だということ。


事前に、

「好きなだけやっていい」

ということを、

児童館の職員の方から

伝えてもらっていたのだが。


たいてい50分弱くらい。

そこでみんな、ぽろぽろと、

集中力の糸が切れる。


50分弱。

それはだいたい、

学校のチャイムが刻む

45分に近い時間だった。


どちらかというと

集中力の高い自分は、

少なくとも3〜5時間くらい

没頭する。


かつてはもっと長くて、

8時間とか10時間とか、

平気で絵を描き続けたりした。


さすがにこれではまずいと思い、

休憩ということを覚えた。


子どものころはどうだったのか。


時間の記憶はないが、

時間ごとに区切られる

鐘(チャイム)がうとましく、

放課後に一人残って

黙々と作業する時間が

好きだった記憶がある。


家では、

お絵描きや工作に夢中になって、

「ごはんだよー」

という声にはっとすることが

多かった気がする。


以前、県下の高校生が

ぎっしり集まった講堂で、

高校生から質問を受けた。


「どうしたら集中力が

 続くようになりますか?」


何でもいいから、

楽しいことに夢中になって、

いわゆる「時間を忘れる」ことを

くり返す。


実践と反復しかないと、

ぼくは答えた。


学生のころ、ぼくは、

家具をつくる学科にいた。

家具学科の先生は、

ほかの先生とは違って、

チャイムで授業を切ることを

しなかった。


「自分が好きなときに休んで、

 好きなだけ作業しろ」


かくいう先生自身も、

チャイムでは動かず、

職員室にも帰らず、

仕事の「切り」を見て

コーヒーを飲んだり、

煙草を吸ったりしていた。


週4、5日、

そんな1日の流れで、

1年間過ごした。



ぼくら家具学科は、

ほかの学科の生徒や先生や、

近隣の会社員で混みあった時間ではなく、

人もまばらな時間に昼休みをとった。


おかげでお店もすいており、

人気のお弁当屋さんでも

長い行列に並ぶのではなく、

注文してできたてを待って、

おいしいお弁当を

ゆっくり食べることができた。


そういう経験、実体験、

見てきた風景の集大成なのか。


自分で決めることの効能を、

身をもって体感してきた。


教育や啓蒙ではなく。

ましてや押しつけでもなく、

そういう「におい」を感じてくれたら。


ものづくりという間口を通して、

何か感じてくれたら。


これまで自分が、

先生や先輩から学んだことを、

伝えられたら。


そんなことを思い描きつつも。


なかなか自由に

のびのびと羽根を伸ばせない現実に、

静かに一人、

うなずくことの連続でもある。


家でも、学校でも、

だめ、いけない、

しなくちゃ、やらなきゃ。


禁止や義務ばかりでは、

つかれてしまう。


そしていつしか、

子どもが子どもでなくなっていく。


成長するのではなく、

ただただ「おとな」になっていく。


時代や世代は関係ない。

みんな「おとな」の都合だ。


そんなのつまらない。


だからぼくは、

口を出さない。


せめて「ここ」だけは、

好きにしてほしい。


遊びたければ遊べばいいし、

帰りたければ帰ればいい。


時間はかかっても、

正しいものは、必ず伝わるし、

普遍なものは、必ず残る。


炭酸飲料みたいな刺激もなくて、

地味で退屈で、

ときに特異で冷淡で、

時代遅れで突飛なことに

聞こえるかもしれないけれど。


本質とは、

ゆるぎない「こたえ」で、

単純だからこそ、むずかしい。


ややこしくしたがる「おとな」には、

よけいにむずかしいことに聞こえる。


ややこしくすることで、

むずかしくてやれないように

してしまう。


やるか、やらないか。


自分で決める。


ただそれだけ。


「こたえ」はいつも単純だ。



* * * *




2日目は、

構造的な部分での「助言」はしつつも。

あとは自由にやってもらえたらと、

静観していた。


2日目を終えて、思ったこと。


1時間に満たない時間で

終了する作業。


舞台の空気は整っているのか。


遅々として進まない

「ギンギツネ」の姿に、

もやもや、やきもきする自分。


そんな自分に未熟さを感じた。


理想と現実。理念と実践。

いくら頭で思っていても、

実際の行動がともなうとは限らない。


現場を無視して、

図面どおりに家を建てても、

家はまっすぐ建たないのだ。


大切なことは何か、もう一度、

咀嚼(そしゃく)しながら考えた。



子どもと大人のちがい。


先が見えないことは、

不安や心配ではなく、

わくわくなのだ。


昨日も明日も関係ない。

今、目の前のことがいちばん。


失敗させたくない、

最後まで完成させたい、

というのは、大人のエゴだ。


結果よりも、

その道のりを楽しむこと。


その余裕、ゆとりこそが、

ゆたかな時間。


「遊び」に

結果も成果もない。

成功も失敗もない。


「たのしかった」


そのひとことがあればいい。


何だかよくわからないけど、

なんかたのしかった。


目的も達成目標もない。


そんな「贅沢」な時間を

燃やしていけたら。


それこそがゆたかな時間。

黄金の時間だ。


一人、すっきりした自分は、

うんうんと、大きくうなずき、

次回の訪問を、

わくわくとたのしみに待った。



* * * * *



言葉ではなく、肌で感じる空気。


微弱な電気が空気をふるわせ、

情報を伝達するかのように。


自分がわくわくしていると、

周囲の景色も

わくわくした色に染まる。


目の前にいる子どもたちも、

それに共鳴するのか、

それとも子どもたちに共鳴しているのか、

わくわく感は累乗していく。


目には見えないはずなのに、

たしかに「見える」。


3日目、4日目。

空気がすごくいい色をしていた。



子どもたちが、

キツネのお腹の下に回って、

黒い布をぺたぺたと貼る。


「はい、

 じどうしゃしゅうりのおしごと、

 おねがいします」


仰向けに寝転んだ女の子に、

ボンドを塗った布を手渡す。


その横では、別の子が、

黒い布にせっせと刷毛で

ボンドを塗る。


さらにその横で、また別の子が、

布切りばさみで布を切っていく。


「ボンドおかわり!」


「はい、ボンド1丁!」


自然とできた分業制。


ボンドおかわり係のほかに、

ぼくもちょっと手伝うことにした。


布のはじに切れ目を入れて、

引っぱると「つぅっ」っと

いい音で布が裂けて切れる。


その音に、

子どもたちが

目を輝かせて顔を向ける。


なにそれ!と言わんばかりに

集まる子どもたち。


いくつもの小さな手が、

大きな黒い布をつかむ。


その音、感触、手ごたえ。


大人でも気持ちいいのだから、

子どもがやって

楽しくないわけがない。


すぐに「ミニつなひき大会」が

開催されて、

黒い布がどんどん割かれていく。


いくら引っぱっても裂けない布に、

つるつると足を滑らせる子どもたち。


「横方向には切れるけど、

 縦方向には切れないんだよ」


その不思議さに目を丸くして、

再び挑戦する子どもたち。


なんか、すごくいい。


初めての瞬間って、いつでも尊い。


そしてまた、分業制が再開。


「じどうしゃしゅうり」で

もぐりこんでいた子が、


「かおにボンドがついた」


と、起きあがった。


まるでパイを

投げつけられたみたいに。

顔半分が真っ白になるほど、

えらく派手にボンドをつけた子が、

悲しげな顔をこちらに向けている。


思わず笑うぼくに、

その子の顔も、笑顔になった。


「ちょっとこっち来て」


ウエットティッシュで拭いていくと、

半分真っ白だった顔が、

きれいな顔に戻った。


「どうしてそんなことになったの?」


と聞くと、


「ボンドがついたぬのが

 かおにおちてきた」


のだと。


なるほど。

それはそうなるよな。


その子だけでなく、みんな、

手はもちろんのこと、

服や髪の毛、靴下や足の裏など、

ボンドだらけだった。


固まった髪の毛が、

漫画のキャラクターみたいに

不自然な形で宙に止まる。


そんなどうでもいいことが

とても楽しい。


完成だけを求めて見失うのは、

こういう景色だ。


遊んでばかりで

先に進まないのとも違う、

手を動かす中で「遊ぶ」時間。


これを言葉で説明して、

浸透させるのもまた違う。


「こたえ」は、感じるもの。


この空気感。


この領域が、

いちばん「たのしい」瞬間なのだ。


ようやくできたこの空気。

伝えたかったこの景色。


すべてはそこにいる

子どもたちのおかげだ。


勘のいい子どもたちが集まって、

それぞれが伝播してくれたおかげで、

うれしい景色が編み上がる。


この空気を、

一度でも味わうことができたら、

どんなことでも「たのしめる」。


この空気さえ忘れなければ、きっと。


物を作ることだけが

「クリエイティブ」ではない。


何もないのにたのしめる心。

この感覚こそが、

「クリエイティブ」の源泉だ。


遊び(play)には

それが詰まっている。


仕事でも勉強でも、

遊べなくなったら、

わくわくしなくなったら、

おもしろくない。


子どもたちの姿に

再確認させられた。


遊べなくなったら、おしまいだと。


刷毛でボンドを塗りながら、

女の子が言った。


「ああ、すごくたのしいなぁ」


まっすぐな声に、うそはない。


「この会にさんかしてて、

 ほんとうによかった。

 すっごくたのしい」


うそみたいな言葉を聞けたこの瞬間。

ぼくは、もう満足だった。


まだ完成もしていないし、

終わってもいないのだけれど。


たった一人でもいいから、

このひと言さえ聞ければ、と。

そう思っていた言葉が、

まるで天からの贈り物のように、

ぼくの耳にふわりと

転がり落ちてきた。


涙こそ出なかったが。


泣いちゃうくらいに嬉しくて、

舞いあがるほど心が軽やかに踊った。


「ありがとう。

 そう言ってもらえると、

 すごくうれしいよ」


ぼくはその子にお礼を言った。


たとえその子が忘れても、

ぼくはずっと忘れない。


この瞬間の喜びを、

まぶしいくらいの笑顔と、

きらきらした瞬間を。


ぼくのほうこそ思った。


「やってよかったぁ」


大人にすら伝わらないことが、

子どもに伝わることがある。


言葉を超えて、感覚として、

実を結ぶ瞬間がある。



















作りかけの

「ギンギツネ」の姿を見た

大人が言う。



「これは、

 キツネっていうより、

 イヌか、クマですね」


子どもたちは、

これをキツネだと思って作っている。


「ギンギツネなのに、

 どうして黒なんでしょうね」


子どもたちが、

数ある布の中から

黒い布を選んで、貼りはじめた。


「キツネだったら、

 もっと顔もとがってて、

 耳も大きいんじゃないかな」


これは、

子どもたちの作ったもので、

ぼくの作品ではない。


だからこそ、

不格好でも愛らしい。


この先どうなるのかわからない。

このまま終わるかもしれない。


それでも、これはギンギツネ。


子どもたちが出した

ひとつの「こたえ」。

これはまぎれもなく

「ギンギツネ」なのだ。


0からつくる、

「こたえ」のない世界だからこそ、

子どもたちの選んだ「こたえ」を

尊重したい。














* * * * * *












6回目、最終日。


なんとか形になってきた、

ウマとギンギツネ。


最終日にふさわしく、

ギンギツネは「目入れ」という

場面を迎えた。


ビー玉かスーパーボールかで

迷っていたみんなも、

スーパーボールで作ることに決めた。


今度は色で悩んで、

やりながら決めることにした。


青や緑のスーパーボールを、

半分に割っていく。


6年生の女の子が、

持参のカッターナイフで

切ってくれた。


床に置いて、

ぐるぐると回しながら切るさまは、

小さなスイカを切っているみたいで、

おもしろかった。


何個か割って、

キツネの顔にあててみて、

最終的には黄色いスーパーボールを

貼りつけた。






鼻も目も、ボンドが固まるまで、

テープで仮止めをした。


「なんか、ミッフィーみたいだね」


などと言いながら、

麻縄でひげをつけて、ひとまず完成。














ウマのほうは、というと、

最終日のメインイベントとして、

「馬上げ式」を迎えることとなった。


足と胴と首、

ばらばらに作っていたウマの姿が、

ようやく全身像を見せるのだ。


大人4人と、たくさんの子ども、

みんなの手でウマを組み上げた。


見た目よりも軽く、

そしてしっかりとした安定感で、

ウマの姿が組みあがった。


その壮大さといったら。


もしかすると、子どもよりも、

大人たちのほうが

感激していたかもしれない。


ついに立ち上がったウマの姿は、

想像よりもはるかに大きく、

凛として、圧巻の姿だった。



























まるで現代っ子のように、

すらりとした

スタイルのいいウマだった。


みんなは鳥居のように、

ぐるぐるとくぐり抜けたりしていた。


ウマとギンギツネ。

並べた2匹といっしょに、

みんなで記念撮影をした。


ギンギツネは、

そのつもりはなかったが、

子どもだったら

乗れる強度に仕上がった。


構造部分を作っているとき、

ちょっと口出ししすぎたかな、

と反省もしたが。

しっかり目に作っておいて、

よかったと思った。


何より印象的だったのが、

「ギンギツネがいい」と

意見を出した子が、

完成したギンギツネをかわいがり、

まるでいたわるようにして、

最後までそばから

離れなかったことだ。


子どもは正直だ。


言葉より何より、

その姿が雄弁な「こたえ」だった。


またひとつ、

うれしい「感想」を聞けたようで、

安堵とともに、ありがたく思った。


ああ、やってよかったな、と。


みんなの笑顔に、

ほっとほおをゆるませた。


子どもだけでなく、

大人のみなさんも笑っている。


「最初はできるかどうか

 心配でしたけど、

 やればできるものですね」


そう言って笑う職員の方の顔は、

まるで子どものような笑顔だった。



























* * * * * * *




それぞれの「こたえ」。


ウマとギンギツネ。


それぞれの役目、役割。



「たのしい」に

決まった「こたえ」はない。

それぞれの形の「たのしい」があって、

それがそれぞれの「こたえ」になる。


今回、

たくさんお手伝いしていただき、

いろいろ学ばせていただいた

児童館のみなさんには、

すごく感謝しています。


「たのしい」の形。

「たのしめる」場所。

いろいろあるから、ちょうどいい。


マイノリティ、

などという言葉より前に、

パーソナリティがあるはず。


こたえを選べない環境では、

居場所だって見つけられない。


ぼくらの時代には、

それがなかった。


そんな言葉は、聞きたくない。




最後に、

ブルース・リー氏の言葉を引用して

終わりとさせていただきます。



" It is not how much you have learned

 but how much you have absorbed

 in what you have learned."


(どれだけ学んだかではなく、

 学んだことを

 どれだけ吸収したかが重要である)



"A few simple techniques well presented

 an aim clearly seen, are better than a

 tangled maze of data whirling

 in disorganized educational chaos."


(目的が明確に示された単純な技術は、

 混乱した教育の場で渦巻く

 もつれた情報の迷路より優れている)



" Walk on. "


(歩み続けろ)











< 今日の言葉 >


「自分は

 間とリズムを大事にしてるよ」


「へえ・・・。

 ていうか、マトリズムって、何?」