2025/06/01

踊り続ける母の葛藤




 *


母は、

幼少の頃からずっと、

日本舞踊を習ってきた。


踊りの名前は、花柳胡蝶花。

胡蝶花と書いて「しゃが」と読む。


母の父が、

大学の教授からもらってきた

名前だという。


冒頭の写真が、胡蝶花の花だ。


庭に咲いた胡蝶花を、

母が摘んできた。


* *


母が、

踊りの「おけいこ」に行ったのは、

久々のことだった。


カルチャーセンターでの、

日本舞踊のおけいこ。


4歳からずっと、

日本舞踊を続けてきた母は、

結婚後、しばらくしてまた、

踊りのおけいこを再開した。


平成8年(1996年)からだと

いうことなので、

今年で29年目ということになる。


結婚前の期間を足せば、

50年余にもおよぶ。


名取である母は、

習うまでもなく、

教える側にもなれるのだが。


教えるのではなく、

ずっと「習う」側だ。


母はただ、踊っていたいのだ。

母は、踊りが大好きだった。


母が「おけいこ」に行ったのは、

本当に久しぶりだ。


父が死んでからは、

初めてのことだった。



* * *




月謝ばかり払って、

まったくおけいこに

行かなくなった母を見て、

ぼくは少し、憂慮していた。


行くのも、行かないのも、

母の自由だ。


けれど、

数カ月分まとめて支払う

月謝(講義料)を見たとき、

決して安いとは思えなかったので、

行くなら行く、

行かないのなら月謝を払うのを

やめたほうがいいのではと、

気を揉んでいた。


何歩か譲って、

何千円ならまだしも。

3カ月で数万円の月謝を、

まったく行かないまま

支払い続けることには、

いつか区切りをつけるべきだと

思っていた。


あるとき、母に聞いた。


「母さん。

 踊り、もう行かないの?」


「うん? 行かないことないよ」


「最近全然行ってないから。

 もうやめちゃったのかと思って」


「このまえ休んだだけで、

 あとは1回も休んだことないよ」


嘘である。


嘘というより、

それは母の思い込みで、

事実はまるで違っていた。


昨年8月からの8カ月。

母は、一度も「おけいこ」に

行っていない。


着物で出かけるのが

ちょっと暑くてしんどい、とか、

ちょっと風邪で洟(はな)が出るとか、

肩が痛いとか、脚が痛いとか、

聞くでもなく、毎回、

違う「いいわけ」を口にするのだが。



結局のところ、

母は一度も「おけいこ」には行かず、

ずっと休んだままだった。


おけいこのある月曜日。

昼下がりに母は、電話をかける。


「・・・ちょっと

 体の調子が悪いので、

 今日のおけいこは

 休ませてもらいます。

 すみません、

 よろしくお願いします」


毎週、決まって、

そんな声を聞いた。


月謝がもったいない。

それなら、

もっと別のことに使えばいいのに。


夕食どき、

母にしっかり聞いてみた。


「母さん、踊り、どうするの?

 母さんね、去年の8月から

 1回も行ってないよ」


「そんなことない。

 母さん1回も

 休んだことなんてない」


4歳からずっと続けてきた日本舞踊。

母自身も、それを誇りに思っていた。

反面、もう充分かな、とも言っていた。


「もう、歳も歳だし。

 何十年もやってきて、

 今さら習うとか

 そういうこともないから。

 先生もそろそろいい歳だし、

 教室、やめるかもしれんって

 言っとった。

 なんていうの、

 その、そういうの・・・」


「潮時?」


「そう、それ!

 そろそろ潮時かもしれん。

 最初っからずっと続けとるの、

 母さんだけだし。

 最初は、なんていうのか、

 『サクラ』みたいな感じで、

 母さんとほかの何人かが入って

 やっとったんだけど。

 みんなすぐにやめてった」


踊りの先生は、

日本舞踊を習っていた教室の先輩で、

母より5つ歳上だ。


今年80歳になった母は、

古株というだけでなく、

最年長の生徒でもあった。


あとの生徒さんは、

70代、60代、といった感じらしい。


『1回も休んだことない』


はじめは、

どうして「嘘」をつくのかと

思っていたが。


罪悪感のようなものが、

はたらいているのか。


それとも、

「きっかけ」が

見出せずにいるのか。


母の生真面目な気質を鑑みて、

なんとなくだが、

その心情が理解できた。


ちょっとしんどい。

そろそろやめようかな。

けど、4歳の頃から今日まで、

ずっと続けてきたし。

(実際には

「ずっと」というわけではないが。

 母の中では「中断期」を含めて、

 今日までずっと、踊りの糸は、

 切れることなくつながっている)


先生にも悪いし。

みんなと会えなくなるのも

寂しいし。


どうしよう。

そろそろ「潮時」なのかな。


着物着て支度して、

行って帰ってくるだけで疲れるし。


もう、いいかな。

4歳からずっとやってきたし。

踊りのおかげで足腰も丈夫で、

今日まで元気に

やってこられたんだから。


踊りやめても、

ラジオ体操とかやればいいよね。

毎朝やってるから。

肩が痛くて、

腕が上がらなくなってきたけど。

ラジオ体操なら、できるから。

体操してれば、いいよね。


・・・・と。


母の口からこぼれ落ちた、

今日までの言葉を手繰り寄せると、

ゆれ動く心模様が透けて見えた。


母は、迷っている。


後ろ髪を引かれる思い。

やめたいという気持ち。

やめようかなという思い。

どうしようかなという逡巡。


ずっと続けてきた「習慣」を前に、

母は、いろいろな角度で、

いろいろな方向から

引っぱられているふうだった。


どうしたらいいのかわからず、

がんじがらめで動けない。

そんなふうにも見えた。


ぼくは、母に言った。


「行かないんなら、

 月謝がもったいないかなって

 思ったけど。

 言うだけのこと言ったから。

 あとは母さんの

 好きにしたらいいよ。

 気の済むまで行くもいいし、

 このままやめるもいいし。

 もしやめたら、

 おつかれ会やってあげるよ。

 うなぎでもケーキでも、

 母さんの好きな物、ごちそうするよ」



数日後、母は、

先生に電話をした。


携帯ではなく、

自宅のほうに連絡したらしく、

どうやら先生は不在で、

母のことをよく知る

娘さんが電話口に出た。


というのも、

やや耳が遠くなり、

音量が大きくなった母の声が

壁床天井を越えて

筒抜けだったおかげで、

会話の内容が手に取るように

わかったのだ。


「どうも長いあいだ

 お世話になりました」


たしかに、

そう言うのを聞いた。


とうとうやめるのか。


寂しいような、

ほっとしたような。


長いあいだ、おつかれさま。


労いの気持ちが、

湯気のようにゆらめいた。



* * * *



4月半ばの月曜日。


母の部屋から、

樟脳のにおいが漂ってきた。


母が、着物を着ている。


やめたんじゃ、なかったのか。


何も言わずにぼくは、

母が出かける気配を、

匂いと音で感じていた。


久しぶりに母が、

出かけて行った。


買い物ではなく、

着物を着て

おけいこに出かけた。



日が傾いて。

窓の外が、真っ暗だった。


夢中になっていた手を止めて、

時計を見てみた。


夕食の時間は、

とうに過ぎている。


母は、まだ帰らない。


ご飯の支度でも

しようかと思ったが。

あれこれしているうちに、


「ただいまぁ」


という声が聞こえてきた。


おけいこで遅くなる月曜日には、

母に代わって、

晩ご飯を作ったこともあるが。


台所に、母がやりかけた、

晩ご飯の準備が置かれているのを見て、

そのまま母に任せることにした。


きっと母は、

自分でやりたいのだと。

自分でやり通したいのだと。

そう思ってぼくは、

静観していた。


「ごめんね、遅なって」


お腹はぺこぺこだったが。

待っていてよかったと思った。


なつかしい、

元気な母の姿があった。


母の顔は、

すごく楽しそうで、

きらきらしていた。


「もう、街行ったら、

 つっかれちゃった。

 みんな忙しそうにしとるね。

 黒い服着て、しゅっとした人とか。

 地下鉄は本当、階段が多いねぇ。

 母さん、転ぶと怖いで、

 手すりにつかまって

 隅っこのほうをゆっくり歩くもんで。

 みんな、ちゃぁっと抜いてくんだわ。

 たくさん人がおるねぇ、本当に」


晩ご飯の支度をしながら、

母が楽しげに語る。


言葉より何より。


楽しかったんだな、

という気持ちが、伝わってきた。


それでもぼくは、聞いてみた。


「今日、どうだった?

 久しぶりに行って、楽しかった?」


「うん。

 みんなに会えて、楽しかった。

 やせた人とか、太った人とか。

 2キロもやせたんだって。

 えらい細なっとった」


主語のない話題が、

誰のことを言っているのかは

わからなかったが。

楽しげに話す母を、

微笑ましく見ていた。


「一人、男の人がおって。

 その人が、

 えみちゃん、えみちゃん、

 元気だった? って、

 聞いてくるんだわ。

 あの人、一人だけで

 女の人の中に混じって。

 女きょうだいの中で

 育ったみたいだで、

 そういうの、なんとも思わんのだね。

 すうっと入ってきて、なじんどるもん。

 今日なんて、

 長いストールみたいなのを

 首に巻いてきて。

 みんなに巻き方が違うとか

 なんとか言われとった」


「何色のストール?」


「オレンジとか紫とか、

 いろんな色の、柄のやつ。

 ジョーゼットみたいな、

 ふわっとした生地」


「服は、何色なの?」


「カッターシャツみたいな、

 青いシャツ」


「上着は?」


「こんな色」


母が、青磁色の器を指す。


「へえ、センスあるね」


「そうなんだわ。

 あの人、おしゃれなんだわ。

 何やっとる人か知らんけど。

 自分で何かやっとるんじゃないかな。

 時間の自由がきくみたいだで」


ちなみにパンツ(ズボン)は、

グレーだそうだ。


この人の話は、

以前からちょくちょく聞いていた。


会ったことはないのだけれど。

なんとなくぼくは、

その人のことが好きだった。


「みんなでちょっと

 お茶してきたもんで。

 そんで遅なったんだわ。

 ごめんね、悪かったね」


「全然いいよ。

 よかったね、楽しめて」


「楽しかったぁ。

 たまには街に出ないかんね。

 家におってばっかりじゃ、いかんね」


「そうだね。

 今日はぐっすり眠れそうだね」


「毎日ぐっすり寝れとるけどね」


「今日はゆっくりお風呂に入って。

 ゆっくり休んでよ」


ご飯を食べ終わり、母に聞いた。


「片づけ、やろうか?」


「いいていいて。何言っとるの。

 母さんの仕事」


『母さんの仕事』


母の言う「仕事」とは、

母が存在する意味でもある。


それを、奪ってはいけない。


母さんが「母さん」であり続けるための、

「仕事」なのだから。

取り上げてしまったら、

母は、母でなくなってしまう。


御年80歳の母は、

79歳の時よりも、75歳の時よりも、

若々しく見える。


数字は所詮、目盛りでしかない。


今の母は、かつてよりも若い。

それは母が、

生き生きと「生きている」からだ。


ぼくは、

母から「仕事」を奪いたくない。


そして、思った。


母から「踊り」を奪わなくて、

よかったと。


明るい母の笑顔を見て、

頭ではなく、

心に従うことの大切さを、

あらためて教えてもらった。


「母さん。

 踊り、気がすむまで続けたらいいよ。

 85歳でも何歳でも、

 好きなだけ続けたらいいよ」


行くも休むも、続けるもやめるも。

母が決めることだ。

いくら家族であっても、

「他人」が口出しすることではない。


たとえ来週、

母がまた「仮病」を使って休んでも。

母がそう決めたのなら、それでいい。

心の赴くまま、

したいようにすればいい。


おそらく父なら、

口を出すだろう。


けれどもぼくは、父ではない。

ぼくは、ぼくだ。


ばくは、

母が笑っているのが、

いちばん嬉しい。



母にはたくさん教えられる。

本当にいい教材を、たくさんくれる。

ぼくに足りないものを、

母がいつも教えてくれる。


ありがとう。


何ひとつ立派なこともできず、

母を安心させてあげることもできず、

心配ばかりかけて、

歳だけ重ねてきた自分だけれど。


母を笑顔にすることができるのも

自分だということに、

最近ようやく気がついた。


特別なことじゃなくて。

物やお金なんかじゃなくて。


もっと些細で、目には見えない、

小さくて身近なものなんだと。


おしゃべりすること。


いいよ、という気持ち。


笑顔でやさしく見守ること。


一緒にご飯を食べること。


子どもみたいな顔で、

楽しげに笑う母。


惑う心を、母の笑顔が、

すすぎ清めてくれた。


「最近、お茶とか高くなったねぇ。

 自動販売機のペットポトルも、

 170円とか180円とか

 するようになったね」


たとえ母が、

ペットボトルのことを、

ペットポトルとか、

ポットベトルとか言ったとしても。


ぼくの心は、もう迷わない。


いくら現実的で、

世間的には賢明な選択だとしても。


小難しい話より、

ぼくは、笑顔が好きだ。



< 今日の言葉 >


音楽をかけて

計画をねりねり


(『ワンルーム・ディスコ』Ferfume)