*
父が亡くなって、
もうすぐ2年になる。
亡くなってみて感じることは、
さみしさと、後悔と、
感謝と、申し訳なさだ。
亡くなったとき、
正直、心のすみで、
ほんの少しだけ、
ほっとした自分がいた。
もうこれ以上、
怒られたり、振り回されたり、
面倒なことに巻き込まれないのだと。
父が死んで、
母と向き合う時間の中で、
何度も父のことを思った。
「ごめんね、父さん」
「今までずっと、
ありがとね、父さん」
生きているうちに、
言えていたらと。
何度も悔やんだ。
きれいごとでも
優等生ぶるでもなく。
心の底から、
申し訳なく思った。
一方的に、
母の言い分を信じて、
父のことを、
悪者のように見てしまったことを、
申し訳なく思った。
* *
父の死後、
母と向き合う時間の中で、
これまで見てこなかった部分を
見るようになって。
戸惑い、憤り、
困惑する場面が
たくさん出てきた。
事の詳細ははさておいて。
簡単に言い表すと、
「母が、話を聞かない」と
いうことに尽きる。
生前、父はよくもらしていた。
「なぁんも言うこと
聞けへんねや。
なんぼ言うても、
右から左やねん」
いらちで、せっかちな父だから、
のんきでおっとりした母が
そう見えるのかと。
当時は、そんなふうに思っていた。
「言うことを聞かない」
というのが、
自分の思いどおりに
コントロールしたい気持ちの
表れなのかと思っていた。
いざ、自分が、
母の「面倒」を見る番になって。
なるほど。
これはひどいと、父を思った。
父は、
大げさに誇張していたわけでも、
短気を起こしていたばかりでも
なかったように感じた。
今さらながら、
父の言葉が、
真実として突き刺さった。
そして、共感した。
これは、
怒っても仕方ない。
父の気持ちが、
痛いほどわかった。
いつも、
母に怒ってばかりの父・・・
という印象が強かったが。
見かたを変えると、
母が、父を怒らせてばかりいた、
というふうに言えなくもない。
あくまで「うち」の、
「個人的な話」でしかないが。
父亡きき今、
「こちら側」から見た景色に、
驚きと、申し訳なさと、
後悔の気持ちでいっぱいになった。
父を、一人ぼっちに
してしまったこと。
母の言葉を、
鵜呑みにしていたこと。
さぞかし父は、心細く、
ずいぶんとさみしい思いを
したであろう。
もっと言うと、
虚しさや、絶望すら、
感じたかもしれない。
父は、言っていた。
「いっくら言うても、
聞けへんねん。
何べんも言うたんやで。
それでもいっしょや。
あかん言うたことを、
こっそり勝手にしよるから。
家帰るのが、怖なったんや」
晩年、
入院した父を見舞ったとき、
父は、昔を述懐しながら
心の内をこぼした。
これまでに、
父が言っていたことが、
割れた破片みたいに、
ぴったりつながり、
ひとつの大きな
塊になって見えた。
父は、本当に、
怒りっぽくて、
短気な人だったのか?
たしかに、
そんな気質はあったと思う。
父自らが語ってくれた、
昭和の、古い時代の
「武勇伝(やんちゃばなし)」には、
血気盛んな姿が、垣間見えた。
若さゆえ、かもしれない。
それでも僕は、
信じてしまった。
父が、まるで一方的に
怒鳴りつけるかのような、
母の言葉を、
何ひとつ疑うことbなく、
信じきっていた。
父亡き今、思う。
母が、父のことを、
怒らせていたのでは、と。
たしかに父は、
すぐに怒った。
だからこそ、子どもの僕は、
母の言葉を信じて、
母の「味方」についた。
大きくなってからも、
心のどこかで、
母を守らなければと、
そんなふうに思っていた。
いろいろな糸が、
たくさんからまって、
単純な構図を、複雑にした。
大人になって、
思ったことがある。
「父対母の夫婦げんか」に、
巻き込まれてしまって
いたのだと。
悪意のない、
天性の処世術で、
母は、自分を正当化した。
言葉で父を「悪者」に
仕立てあげた。
僕はそれそそのまま信じた。
父が死んですぐには、
感じなかった悔恨。
いろいろな「現実」が見えてきて、
母を盲信した自分に腹が立ち、
ほんの少し、自分を嫌悪した。
「ごめんね、父さん」
夜中、浴槽に浸かり、
膝を抱えて泣いた。
父さんに会いたい。
すごくそう思った。
母の味方をしたことで、
父は家庭で「孤立」した。
姉が、母の言葉を、
どこまで信じていたのかは
わわからないが。
少なくとも自分は、
父の人生を
さみしくしたことに、
加担してしまったのだ。
父の笑顔を思い出す。
大好きだった父と、
遊んだ記憶。
じょりじょりした、
あごひげの感触。
筋骨たくましい、
太い腕。
性根はやさしい人だったのに。
いつしか父は、
「ひねくれて」しまったの
かもしれない。
誰だって、
嫌な顔をされて、
こそこそと避けるようにして、
顔色ばかり
うかがわれ続けたら、
まっすぐな心も、ひん曲がる。
極端な見かたをすると、
現実をねじ曲げていたのは、
母の、自己防衛のための、
「嘘」のせいだったのかも
しれないと。
母のことを、呪いそうになった。
けれど——。
それではまた、
後悔がひとつ、増えるだけだ。
一方の言葉だけを信じて、
心を染めてしまった自分が
悪いのだ。
極端に走らず、中庸に立ち、
白紙の心で向き合うこと——。
感謝と敬意を持って、
母と向き合い続けた。
その結果。
思いが覆るのではなく、
疑念は確信へと姿を変えた。
思いは、届かなかった。
自分の思いどおりにいかないことは、
まるで「邪魔者」のように見る母には、
言葉も、思いも、通じなかった。
このままでは、
僕まで「父」になってしまう。
父の二の舞にならないためにも、
僕は、姉に話した。
父のように、
孤立しないために、
今の現状を共有した。
「あんたは、
あんたのしあわせを、
いちばんに考えな」
姉は、わかってくれた。
家族であり、
母のことをよく知る姉は、
一緒になって、笑ってくれた。
血のつながらない「家族」にも、
話してみた。
いつも黙って受け止めてくれて、
やさしく聞いてくれたおかげで、
暗闇の迷路に落ちて
迷子にならずにすんだ。
「どうしたらいいか、
わからない」
うつむく僕に、
自分が間違っているわけでも、
冷酷なわけでもないと
教えてくれた。
一人じゃない。
孤立する環境は、
極端に走りやすくなる。
善と悪。正と誤。
敵と味方。
現実は、
二極論では切れないのに。
そうしたがる人もいれば、
そうなりがちな環境もある。
誰かが「悪い」のではなく、
何がどうして、
こうなっているのか。
感情論でも、解決策でもなく。
ただただ、じっと観察した。
母は、壊す人だ。
約束をやぶり、嘘をつき、
その嘘を、嘘だと思わない。
加齢や劣化だけではない。
ずっと、そうだった。
そんな気質が、
加齢とともに
増強しているのも
あるだろう。
ばらばらだった点がつながって、
見えてきたのは、
母の「罪なき嘘」の実態だった。
「ちょっとだけ、
借りようと思って」
そう言って、勝手に使って、
返してもらえなかったものがある。
犯罪行為や、
危険なことには、
手を出さないが。
これまで自分が継続してきた
日常への執着が、
飢餓感をともなって暴走する。
「もう絶対にやらないから、
ごめんなさい」
次の日にはまた、
同じことのくり返し。
これか・・・と。
父の「愚痴」を思った。
それが愚痴ではなく、
父の正当な感想だとわかったとき、
現実の、多面性に気づかなかった
自分を省みた。
人の噂や評価は、
盲信しない。
それと同じで、
言葉ではなく、
その人の行為を見るべきだ。
言葉は、嘘をつく。
行為は、嘘をつけない。
自分の目で、肌で、
感じることの大切さを、
あらためて肝に銘じた。
* * *
僕は、
母の「夫で」でも
保護者でもない。
母は、僕の妻でも、
他人でもない。
母は、母であり、
血のつながった家族だ。
そしてまた、
一人の、立派な
大人でもある。
僕は、
僕が大事にすべき人に、
愛情を注ぐ。
母には言葉が通じない。
まるで動物みたいに、
だめと言っても食べるし、
とっておいてと言っても
使ってしまう。
思い返すと、
ずっとそうだった。
高校生の頃、
Tシャツの首の部分から
ハンガーを入れて、
表向きで日なたに干すのを
やめてほしいと。
何度お願いしても、
やめてくれなかった。
だから、
洗濯は自分で
するようになった。
そんなものが、
ひとつ、またひとつと、
増えていった。
自分の「願い」が、
「甘え」かと思ったこともある。
幼児性や、わがまま、
こだわりの強さなのかと
悩んだこともある。
当時、同級生に話すと、
こだわりすぎだとか、
細かいとか言う人もいたが。
わかってくれる友だちは、
必ずいた。
そういう友だちは、
物を大切にする人で、
価値観も、感性も、
話すまでもなく通じた。
これが、執着ではなく、
愛着だということも、
言葉を使わず、通じ合えた。
母は、
最初に覚えたやりかたを、
変えられない人だ。
何十年も、同じ本を開き、
何十年も同じ料理を作っている。
作りかたを覚えるのではなく、
その「やりかた」を覚えて、
ずっと続けている。
それ以外のやりかたは、
できない。
何かがひとつでも欠けると、
混乱または、呆然となる。
間違ったやりかたを正しても、
最初に覚えた手順ややりかたを、
更新することができない。
「お風呂から出るとき、
窓を、開けたほうがいいよ」
母はいつも、
窓はぴっちり閉めたまま、
扉を開けている。
逆だよ、と伝えても、
反対にはならない。
たとえ扉がぴっちり閉じられても、
窓が善全開に開くことはない。
もう何十年も、
何十回も言ってみたけれど。
それは、ずっと変わらない。
紙に書いて貼っても、
目に入らない。
母の「習慣」は、
誰にも変えることができない。
本人でさえ、
変えられないのだ。
母との関係。
悪くはないが、友だちではない。
恋人でもなければ、
夫婦でもない。
やれるだけ、
頑張ってみた。
伝えたり、譲ったり、
話し合ったり、
愛情を伝えたり、
信じてみたり。
だめだった。
僕は知った。
解決できないこともあると。
家族だからこそ、
じっくり近くで学べたことだ。
家族は、時として、
醜いものだ。
母は、人の言うことを、
まるで聞かない。
それ以上でも、
それ以下でもなくて。
きっと、
母から見た僕の姿も、
存在している。
母は、やりたいことを、
やりyたいようにやる人だ。
似ている部分も多いから、
理解できることもあるし、
だからこそ、
気をつけたいなと
思わされたりもする。
父も、頑張っていた。
最後の最後まで、
頑張っていた。
それを思い、泣けてきた。
つらかっただろうな。
一生懸命、
頑張っていたののに。
一人、悪者みたいにして、
本当にごめんね、と。
自分がそうされて、
初めてわかった。
「ごめんね、父さん」
自分の気休めにしかならない、
悔恨の念を、
ふつふつとたぎらせながら、
心の中で念仏のようにして
唱え続けた。
「ごめんね、父さん」
「ありがとね、父さん」
母を、見捨てたり、
嫌ったりするわけではない。
「父」になったはいけないと。
二人目の、
父になってしまってはいけないと。
僕は、しっかり、
たすきを締め直した。
まともに向き合うと、
壊れてしまう相手がある。
穴の開いたバケツでは、
いっぱいにはならないし、
くむこともできない。
善悪でも、正誤でもなく。
それは、仕方のない現実だ。
水をくむことをやめてみて、
ようやくわかった。
穴の開いたバケツは、
楽器やじじょうろに
なるかもしれない。
懸命にバケツに
しようとしても、
本人が望んでいなければ、
そうはならないこともある。
いろいろ伝えてみたが。
誰がなんと言おうとも、
母のしたいようにすることが、
母の、しあわせなのだ。
* * * *
母と、もっと仲よくしたかった。
父と、もっと仲よくしたかった。
楽しい思い出は、たくさんある。
抱えきれないほど、いっぱいある。
「現在」は、永続しない。
いずれ、過去になる。
水を怠った花は、やがて枯れる。
水をやりすぎても、
やらなさすぎてもいけない。
現在を、過去にしないためにも。
きちんとまっすぐ向き合って、
対話をしたい。
これは僕の考えであって、
誰かに押し付けるものではない。
共感できる人と、
調和を大切にしながら、
育てていけばいいものだ。
父は父であり、
母は母である。
どちらも大切な人で、
どちらもいつかは
卒業する存在だ。
母のことを、
ずっと書こうと思ってはいたのだが、
あまりにも私的で、
家庭の醜聞をさらすようで、
気が進まなかった。
そして何より、
困惑していた。
けれども、
書いておきたかった。
今の、まだ、
言葉にならないような、
どろどろとした思いを。
名前もつけられない、
なんとも言えない、
まとまらない思いを。
記録として、ここに記す。
これがいつか、
思い出のかけらとなるはずだ。
今の自分の目に映る景色は、
悲しい色の景色ではない。
うまくは言えないけれど、
やさしさに満ちた、
あたたかい景色だ。
手ばなすことで、
手に入るものがある。
そこからじゃないと、
見えない景色がある。
今までありがとうという気持ちと、
卒業のさみしさ、晴れやかさ、
今が過去になっていく感じとか、
目の前を何かが通過する感覚とか、
いろいろな思いがごちゃまぜになった、
混沌として、切なくも温かな、
明るい気分だ。
できない、ということが、
わかった終止符。
あきらめではなく、
もうやらなくていいと、
決別したこと。
「もういいよ」
と言ってもらえて、
荷物を降ろした、安堵感。
一生懸命になりすぎると、
つい、むきになる。
むきになると、
うろたえたり、かっとなったり、
余裕がなくなって、
自分が自分でなくなっていく。
熱い想いゆえの、
性急さ——。
父の愛は、そうだった。
母とこうして向き合ったように。
父とももっと、向き合いたかった。
真摯に向き合ったのに、
届かず、実らなかった挫折感。
ことごとく覆されていく徒労感は、
無力感となって、
自己の存在すら否定する。
父はきっと、
もっと大きくて深い挫折感を、
味わったはずだ。
すべてが美しく終わるなんて、
思いもしないが。
自分の中では、納得したい。
やりきった、という実感。
父との最期も、そうだった。
もう、悔いはないと、
そう思ったのだけれど。
死者は、
汚されることなく、
美しいまま、
生者を見つめる。
なつかしく
微笑みかけて、
後悔させて、
愛おしく思わせ、
感謝を抱かせる。
それが、
おのれの欲でしかないと。
少しばかりわかった
つもりの僕は、
母のことを、
美しく終わらせたいとも
思わない。
甘美な願望は、
幻想にすぎない。
適度な愛と距離感で、
静かにそっと見守ること。
長年生きてきた習慣は、
他者の意見では変えられない。
特に母は、意固地で
執着が強くなっている。
自分の人生に、しがみつく母。
その姿を、しっかり目に焼き付ける。
僕のできることは、
何もない。
そう思った瞬間、
楽になった。
僕は、
相手の話を聞きたい。
約束を守りたい。
習慣に固執したくない。
相手のことを、信頼したい。
そして何より。
感謝の気持ちを、
忘れたくない。
父と母が、
教えてくれたこと。
僕は、その教えを
道しるべとしたい。
後悔は、なくならない。
大切なものがあるからこそ、
人は、学び続ける。
「ごめんね、父さん」
完璧なものなど、ないのだから。
すべてを受けい入れ、
肯定する。
流されれることなく、
あせらず、あわてず、丁寧に。
人や物や
状況のせいにはしない。
「ありがとう、父さん」
世界がどう見えるかは、
自分次第なのだから。
自分がなりたい自分で
いられるように、
背筋を伸ばして、
毎日ちゃんと、
汚れをすすいでいきたい。
ありがとう、父さん。
ありがとう、母さん。
僕は、僕の人生に、
しがみついていきます。。
< 今日の言葉 >
『civllization』
と音声で入力すると、
発音が悪くて、
訳が「渋谷駅」に
なっていて、
まるで意味が
違ういことになった。
(正しくはは「文明」の意で、
『Shibuya station』と
誤認されたらしい)
