2023/06/01

Hi, Punk. 第3日目: 目覚めの朝










『MS-008』号に電源を入れることになって、

じっとしているときは

なるべくコンセントにつないでおこうと思った。


そこで感じたのは、

コンセントの抜き差しや、

コードの始末の手間もあり、

立ったとき、なるべくついでに

いくつかのことをやろうと、

無意識に段取りしてしまうことだ。


お年寄りなどが「立ったついで」に、

いろいろなことを、

まとめて片づける気持ちが少し理解できた。


なるほど。

こういう心理か。


根本がわかれば、解消も早い。

その「立ったついで」の心情に負けず、

思ったことは思ったときに、やろうと思った。


まとめず、こまめに、その都度やる。


それが「メンドーマン(面倒人間)」に

ならない秘訣だ。


メンドーがらずに、

こまめに動ける心をいつも持ちたい。



便利さは、快適ではあっても発展はない。

不便の中には、発見もある、進歩もある。

convenience is comfortable, 

but there is no development.

Inconveniences include discoveries and progress.


かの有名な偉人、

エイブラハム・リンカーンが

こんなことを言っていた、

・・・という記録はどこにもない。


自分が勝手に思っただけだ。


(リンカーンの名言その1:木を切り倒すのに6時間もらえるのなら、私は最初の4時間を、オノを研ぐことに費やすだろう。If i had six hours to chop down a tree. I'd spend the first four hours sharpening the axe.)




体の動きとともに、泡が出る音が聞こえる。

昨日まではほとんど出なかった泡だが。

器械に電源を入れて、

圧をかけているおかげか、

泡が出るようになった。


ふだんの動作で、体の中の空間が

こんなにいろいろ変化しているのだと気づく。


呼吸はもちろん、咳、くしゃみ、げっぷ、

力を入れたとき、かがんだときなど、

ぷくぷく、ぽこぽこと、泡が出る。


体内から出てくる「排液」の色も、

赤っぽいものから黄色っぽく変わってきた。



となりの部屋の男性は、ずっと咳をしている。

すごく苦しそうだ。

ごはんのときは止まるようだが。

食べ終わるとまた、咳がつづく。


たんを、かあぁーっと吐き出す、

「たんきりおじさん」。

その音は、食事中とかに聞くと、

ちょっと笑えてくる。


「もう! ごはん中だってばっ」


と、思わず言わずにはいられなくなる。


そう。

ここは呼吸器内科病棟。


咳やたんなどで、

苦しむ患者さんの集まる場所だ。


咳って、ずっとしつづけると、

腹筋がばきばきに割れてくる。

腹筋が痛くてつらくて、

本当はもう、咳なんてしたくないのに。

出るときは出るから、すごくつらい。


そんな遠い記憶を思い出し、

おじさんの割れた腹筋を想像してみる。


個室にいるせいで、

ほかの患者さんとはほとんど顔を会わさない。

だから、音や声だけで、

姿はまったくわからない。


廊下でちらっとすれちがう人。

その人がこの咳の人なのか、

はたまた「たんきりおじさん」なのか。

それともまた別の人なのか。


ちっとも結びつかないまま、

一人、個室で声だけ聞いている。


昼間、廊下でリハブに励むおじさん。

理学療法士さんの声。

初めてその姿を見たとき、

想像とちがった二人の姿に、

ちょっと意外に感じたり。


声と音と、その人の姿。

なんだかおもしろいですね。



5月11日 朝



朝食。


そろそろパンが恋しくなる。

スパゲッティサラダがおいしかった。

みそ汁は、豆腐かと思ったらじゃがいもだった。

凍った豆腐か、干し豆腐かと思った。



* *



<パジャマの前後問題>



洗面所の蛇口は、センサー式の、

「自動蛇口(オート・ジャグチー)」だ。


手を差し出すと水が出る、あれです。


あれって、ときどきむずかしい。


ニューヨークにいたとき、

空港のトイレとか、ホテルの洗面所とか、

ことごとくうまく反応してもらえず、


「日本人じゃあ、だめなのかなぁ」


などと真剣に思ったほどだ。


5日目にしてこつがつかめた。

(というか、通りがかりの

 おじさんが教えてくれた)

両手のひらを広げて、

なるべく面積を「大きく」すると、

一発で水がほとばしる。


余談だが、当時、

地下鉄のプリペイト式カードや、

銀行ATMなどの「磁気カード:の読み取りも、

通す「スピード」にこつが必要だった。


カードの磁気部分を器械のすきまに通すとき、

早すぎても、遅すぎても、

『error』とか、

『your card is damaged』の表示が出て、

何度やってもだめな場合がある。


さいわい、自分はこの磁気カードとの相性がよく、

ATMでも問題なく出金できたし、

地下鉄でも、改札口ではさまれたことは

一度もなかった。


すっかり慣れて、気を抜いたときに、

思いっきりはさまれた。


「そいつ」は、

慣れたころに、やってくる。


慣れって、怖いですね。



話は戻って。


病室の洗面所の蛇口は、

車イスでも無理なく使える高さになっていて、

その高さは、自分にとってはやや低い位置にある。

ちょうど股下くらいに蛇口が来る。


さらにはそのセンサーが、

ニューヨークとは逆に、ものすごく高精度で、

ちょっと手や腕がそばに寄っただけでも、

シャーっと水がほとばしる。


顔を洗うときなど、

その「高さ」と「感度」に慣れるまで、

何度パジャマ(ズボン)をぬらしたことか。


ちょうど「おしっこ」をもらしちゃったみたいに。

股の部分が、じわあっと丸く、

ぬれてしまうのだ。


ぬれたパジャマを替えるため、

看護師さんに声をかける。


「パジャマのLLサイズ、お願いします」


言いわけがましく、


「洗面所の高さが、むずかしくて」


などと付け足す自分の小ささに、

辟易(へきえき)しながら。

新しいパジャマをもらって、

とぼとぼと自室へ戻る。


そんなことを、

再放送のドラマみたいに

何度くり返したことか。



新しいパジャマは、気持ちいい。

けれども、ズボンのゴムは、

どれもゆるゆるだ。


体側にチューブを留めているため、

ズボンはいつも「腰ばき」だった。

腰に固定したチューブで、

ズボンが上にあげられないのだ。


まるでベニスの

スケーターのようなスタイルだが。

ゆるゆるゴムの腰ばきパジャマは、

廊下を歩いているだけで、

ずるずるとずり下がってきてしまう。


何かを手に持っていて、

片手しか使えないときは、

右手で『MS-008』号を引き連れながら、

その手をさっとはなして、

ズボンをすっとあげてまた『MS-008』号の握り手をつかむ。

そしてまたズボンをあげて、握り手をつかむ、という、

空中ブランコのような素早いパスワークをくり返しながら、

長いような短かい廊下を歩いていた、などとは、

誰も知るよしはないだろう。



どうでもいい、お話ですね。

おしゃれなパジャマに着替えたい(2023/05/11)




* * *





いつしか、じっと寝そべって、

治るのを待つだけになる。


誰かが治してくれる、誰かに治してもらう、

そんな気持ちになるのかもしれない。


お医者さんたちは、

治すためのお手伝いをしてくれる。

治すための処置をしてくれる。

それが仕事だ。


治すのは本人。

本人の心と体次第だ。


じっとベッドに横たわっていても、

治るわけではない。

たとえ体が動かなくても、

治そうという気持ちが動かしてくれる。


それでもむずかしいことはあるだろうけど、

少なくとも、動けるのであれば、

自分から迎えに行くべきだと思った。


自分でできることを、自分がやる。


不自由なだけで、できないわけではない。

できることを、できるうちにやっておかないと、

できなくなってからではもう遅い。



何にもつながれていないのに、

何かにつながれていた。


どこへでも行けるのに、

どこにも行かなかった。


何をしてもいいのに、

何もしなかった。



何かにつながれているから、

その何かを切りはなしたかった。


どこへも行けないから、

どこかへ行きたくて仕方なかった。


何もゆるされないから、

何かひとつでもやりたかった。



何にもつながれていないから、

いつでもすべてとつながっている。


どこにでも行けるから、

どこでも自由にうごきまわる。


何をしてもいいから、

何でも思ったことをぜんぶやる。



いつでもできるものだと思っているから、

いつもやれずに終わっていく。


いつでもできるものは、

ひとつもない。


いま、今日、この瞬間。

思ったときが、そのとき。


思ったのにやらないのは、もったいない。

思ったことを、ひとつでもいいからやればいい。



体がうごくと、血がうごく。

血がうごくと、心がうごく。


いつのまにか猫背になっていた自分に言う。

もっと胸を張りなさいと。


よく眠って、よく食べて、

それ以上によくうごく。


ためることなく、どんどん燃やす。


健全なる肉体に宿る魂。


心と体は、切りはなせない。


(5月11日・入院ノートより)



* * * *



母からの物資が届く。


手さげ袋には、タオル、お買い物バッグ、

そしてスケッチブック。


待望のスケッチブックだ。

本当にありがたい。



レントゲンのお迎えが来た。

先生の指示により、

検査室などへの移動は「車イス」だった。


レントゲンや諸々の検査室は、1、2階にある。

車イスに腰をおろすと、

踏み台を起こし、足を乗せる。

看護師さんによってまちまちだが、

チューブの先につながった『MS-008』号を

自分の手で持つか、

看護師さんが運んでいくか。


看護師さんが運ぶ場合は、

片手に車イス、片手に機械、という格好になる。


この『MS-008』後のキャスターが、

なかなかくせ者だった。

4輪キャスターの台座に、

後から1輪足して5輪にしたような形態で、

決まった一方向には押しやすいが、

後退や右左折などをするとき、

車輪がまごつく。


自分はちょっとだけそれに慣れたが、

初めましての看護師さんは、

たいてい「あれっ」となった。


「よくこんな押しにくいの、押してますね」


などと言われたり。


握り手や器械の、

向きや位置を調整してくれた看護師さんもいた。


たいていの場合、

「行き」と「帰り」はちがう看護師さんになる。


レントゲンのあと、別の検査がある場合も、

おなじ看護師さんが押してくれるとは限らない。


検査の待合室まで押してくれ、

検査が終わると、検査室の人が待合室まで押してくれる。

そこでまた「お迎え」を待つ。


そんなわけで。

毎日、代わる代わる、

たくさんの看護師さんに車イスを押してもらった。



待合室では、

なかなかお迎えに来てもらえず、

気分の悪さや、

腰などの痛みをうったえる患者さんもいた。


受付の人が、お迎えの催促の電話を入れる。

ほかの車イスの患者さんが

どんどん帰っていくのを尻目に、

ため息まじりに待つおばあさん。


ほとんど動かず、じっと座ったまま、

黙ってお迎えを待つおじいさん。


ベッドのまま運ばれてくる患者さんもいたし、

自分の足で歩いてくる患者さんもいる。


老若男女、

とにかくいろんな患者さんがいた。



レントゲン室は、特に混みあう。

入院患者だけでなく、外来の患者さんもたくさんいた。

曜日や時間、タイミングで、

その混み具合はまったくちがった。


パジャマを着て、チューブをつなぎ、

点滴やその他の器械、

自分とおなじ『MS-008』号を連れた患者さんもいた。


「おおっ、先輩!」


などと、心のうちで思いながら、

そっとタンクのようすなどを見る。


ものすごくたくさんの量の

「排液」がたまっているのを見て、


「あんなにたまらないといけないのか!

 そんなんじゃあ、いつになったら

 ここから出らるのか、わかったものじゃない・・・」


などとがっくり、肩を落としてみたり。


(看護師さんに、それは気胸ではなく、

 また別の、肺の中に水がたまる病気かもしれない、

 と聞いて、よくわからない安心感を覚えたり)


人の集まる待合室は、

ある意味、情報収集の場でもあった。



受付では、本人確認のため、

患者は、氏名と生年月日を口頭で答える。


「お名前と生年月日、教えてください」


わかりやすいよう、

毎回、決まったフレーズで、尋ねられる。


入院生活が長いのか、

それとももう慣れてしまったのか。

特に「おじさん(年配の男性)」などは、

その問いかけが終わる間もなく、

やや食い気味なくらいの感じで、

氏名と生年月日を「お経」のように唱える。


女性(年配のおばさま)の場合は、

聞かれるまでのんびりとかまえていて、

答えかたもゆっくりで、

「ええっと・・・」といったふうに、

思い出すような感じで返す人が多い。


相手の目を見て答える人。

まっすぐ、実直そうな声で返す人。

です、をつける人、つけない人。

笑顔の人。ぶっきらぼうな人。

面倒くさそうな人。いらいらした人。

のんびりした人。ていねいな人。


声や口調、話しかた、

しぐさや表情、言葉づかいに、

その人の人となりや人生観などがにじみ出ている。


たとえおなじパジャマを着ていても、

その人柄は、確実に声に表れた。


誰もがおなじことを求められるおかげで、

個々のちがいが、比べやすいのか。

比べたり照らし合わせたりするまでもなく、

その「ちがい」が浮き彫りになって見えた。


おなじことをしているのに、

みんなちがう。


いろいろな人がいて、おもしろいな。


そう思った。




レントゲンが終わって、

待合室で「お迎え」を待つ。

ぼくのすぐ横には、白髪のおばあさんがいた。


氏名のあとに、

生年月日を聞かれたおばあさんが、

やわらかな声でよどみなく答える。


「昭和8年8月8日」


おおっ!

と、思った。


8。8ならび。

8が3つもならんでいる。

末広がりの8。

それが3つもならんでいる。


すごくめでたい感じがした。

ここがカジノなら、

なんかいっぱい出てきそうだ。


よっぽどそのおばあさんに

声をかけようと思ったが。

このご時世、よけいな無駄口は

シャット・アップである。


「わるいねぇ・・・すみません、

 年寄りが若い人に迷惑かけて」


そう言いながら、

何度も頭をさげるおばあさん。


「こんな立派な病院に入れてもらって、

 本当にありがたいことで」


おばあさんの言葉に、

返事を返す人は誰もいなかったが。

おばあさんは、祈るように、

ゆっくり頭をさげていた。



しばらくして、

お迎えの看護師さんが来てくれた。


車イスは、今回の入院で初めて乗った。

案外、風(かぜ)をたくさん感じる。

空調の効いた室内では、進むときの風が、

肌寒く感じた。

その風は、「車」というより「バイク」だ。


そんなことも、初めて感じたし、

目線の高さ、段差、勾配(こうばい)など、

押されているだけでも、

いろいろ思うところがあった。


正直、歩こうと思えば歩ける自分は、

こうして送迎してもらい、

車イスを押してもらうことに

一抹の罪悪感があった。


歩かないように、というのは、

お医者さんの指示だ。


実際、まだ自己判断できるような

状況ではないのだが。


器械につながれて、車イスに乗っていると、

誰もが「重症」のように感じるようで、

そんな雰囲気がまた居心地悪かった。


歩けないわけではないけれど、

歩き回ってはいけない。

たくさん歩いちゃいけないだけで、

立てないわけではない。


そういう「中途半端」な自分が、

もどかしい。


そんな思いもあって。


10階の病棟に着いたとき、

自室の前で、看護師さんに言った。


「ここで、大丈夫です」


立ちあがるぼくを見て、

看護師さんが言った。


「歩けるんですね」


ややクールな感じの看護師さんの声に、

なんだかうそをついているような

後ろめたさが一瞬芽生える。


「だましたみたいで、すみません。

 立ったり歩いたりは、できるんです」


そう言って自室に戻ると、

ちょと小さく息を吐き出して、

肩をすくめた。


『I have no gray.』


何でも白黒つけたいほうだったが。


白とか黒じゃない、

微妙な階調のグラデーション。


「はい」と「いいえ」だけでは

うまく説明できない、

そんなものも、あリますね。



* * * * *



レントゲンのあと、

今回の執刀医の女医さんが来てくださった。


肺のふくらみが、思わしくないようで、

昨日と比べて、あまり大きく変わっていないとのこと。



<5月11日の肺のようす>


週明けまで見て、

それでもふくらみが充分でなければ、

外科の先生と相談しながら、

外科手術も検討したいと。


週明けに、空気が出つくして、

肺が元のようにふくらんでいたら、

チューブを外してめでたく退院、ということだ。


今日は木曜日。

週明け、月曜日までは、

金、土、日の3日間。


第二手術か、退院か。


この3日間の進展で決まる。



気胸は、何か努力をして

「早く治せる」というものではないらしい。


「時間薬」


経過の観察と、自然治癒に任せるしかない。



それでも、

心の中、頭の中のイメージで、

肺が大きくふくらむ「姿」を、

穴をぴたっとふさぐその「絵」を、

できるだけ鮮明に描いてみた。



風邪や熱のときなどにも、

自分の体の中の「いい菌」が、

「わるい菌」とたたかって

やっつける姿を思い浮かべる。


子どもっぽくて、うそみたいな話だが。

ぼくより立派な大人の、

しっかりしたパティシエさんも、

おなじようなことを言っていた。


イメージ。


ぼくはお医者さんでもないし、

科学者でもない。


だから、こんな根拠のない、

「あいまいな」ものも、信じている。


ぼくは、ぼくのできることをやる。

それだけのことだ。





母が届けてくれたスケッチブックに、

さっそく絵を描く。


鉛筆は、ステッドラーのHB、3本入り。

先が丸くなったら、その都度、

受付(看護師センター)へ行って、

自動の鉛筆削りで、ががががっと削る。


病室には、

一切の刃物類の持ち込みが禁じられている。

ひげ剃り、つめ切りなどの、一部の刃物類は、

許可・申請のうえ、持ち込みが許される。


鉛筆削りは、どうなのか。


いまさらまた、母に「追加」を頼む気もしなかったので、

鉛筆は、受付まで行って削ることにした。



そんなふうにして、

スケッチブックに向かって絵を描いていると、

昼食の時間がやってきた。


看護師さんが扉をノックする。

返事をしつつも、手は止まらない。

ほどなくして、きりのいいところで手を止める。


しまい遅れたスケッチブックを見て、

配膳に来た看護師さんが声をもらした。


「きれいな絵ですね」


その声に、はっとする。

先ほど車イスを押してくれた、看護師さんだった。


クールな感じのその声に、

お世辞や、社交辞令のようなものは、

混じっていない。


まっすぐなその言葉に、

ぼくは、本当にすごくうれしく思った。


自分を知らない人が、

絵だけを見て、それを「いい」と言ってくれた。



そうだ。

そうだった。


この感じ。



自分自身ではなく、

「絵」を、ほめてもらった、このよろこび。



もう何年ぶりか。


どれくらいぶりのことだろう。


そう、そうだった。



自分が求めていたもの。



絵の表に「サイン」を入れないわけ。


英文字で名前を書いたとき、

頭文字を、

大文字ではなく、小文字で表記するわけ。


『ブランド』でもなく、

『固有名詞』でもなく。


絵が、絵であるように。


リンゴとかイヌとかみたいに、

「普通名詞」であるように。



看護師さんがくれた言葉に、

いろんなことを、思い出した。





この数年間、いろいろなことがあった。

いろいろなことが、ありすぎた。


ここでは書ききれないようなことが、

たくさんあった。



そして絵が、描けなくなった。



それまで思いもしなかったこと。

初めて感じることばかり。


いっしょうけんめいやっていても、

遊んでいるふうにしか見られない。


罪悪感。


こんなことをしていていいのか、

という疑問。


こんな景色が見たくて

絵を描いてきたのか、いう疑問。


何のためにこんなことをしているのか、

という疑問。


いろいろな疑問に、

心が、止まってしまった。



あんなにたのしくて、

大好きだった「お絵かき」が。


子どものときからずっと、

絵を描かないときなどなかったのに。


絵が、描きたくなくなった。


描こうという気持ちが起こらなくなった。


心がおどらなくなってしまった。



環境や時勢の変化など。

思い当たるものはたくさんある。

けれど、

原因探しや犯人探しをするより、

どうして自分が絵を描くのか、

それを掘り返してみた。


自分の原点、初期衝動。

それが何だったのか、思い返した。


わかったことは、いくらかあった。


頭でいくらそれがわかっても、

心はじっと、動かなかった。


だから、絵以外の、

やりたいと思うことを

片っぱしからやってみた。



そして今回。

そんな中での、入院だった。



きれいな絵だと言われたその絵は、

本当に久しぶりの、

スケッチブックに向かった「絵」だった。


だからよけいにうれしかった。


また「描いてもいいよ」と、

言ってもらえたみたいに。


ちょっと泣いちゃいそうなくらいに、

心の底から、すごくうれしかった。



目覚めの瞬間(2023/05/11)




この絵で、本当に目覚めたのか。

完全に目を覚ましたのか。

それは、わからない。


けれども、

何かが目を覚ましたその感じは、

まちがいなくある。


久しぶりに、

スケッチブックに向かったこと。

久しぶりに、

お絵描きをわくわくたのしめたこと。


そんな小さな「目覚め」ではあるが。

たしかに何かが動いた気がした。



壁にぶつかったとき、どうするのか。

ある人が教えてくれた。


乗り越えるのでなくて、壁を少しずつ叩きながら

 砕いていくってのもいいかも。

 乗り越えるばかりじゃ体力が保たないからね」



越えるのではなく、

ちょっとずつ、くずす。


breakthrough.


英語にすると、

ちょっと気恥ずかしいけど。


その人の言葉を聞くほんの少し前に、

ちょうどそんな言葉が

頭に浮かんで閃(ひらめ)いていた。


なるほど。


乗り越えるえるのではなく、

突きやぶるのか、と。





看護師さんが去った部屋で、

一人、窓の外に目を向ける。



食べることと、生きることはちがう。


たとえ食べられなくても、生きていたい。


自分には、それしかできない。


最近になって、

それが、よくわかった。



・・・なあんて。


ドラマチックばかなぼくは、

一人、主人公気取りで

そう思うのでありました。




* * * * * * *




5月11日 昼





5月11日 夕

《今日の大発見》


ごはんのトレイが、

左右で分割されているのだけれど。

小と大、小さいほうが「冷たい(COLD)」で、

大きほうが「あったかい(HOT)」だと、

初めて気がついた。


いつも、写真代わりに絵を描いていたせいで、

トレイをすぐにさわることがなかったのだが。

ふれてみて、はっと、気がついた。


なるほど。

よくできておりますね。



『肺がブロッコリー』


肺の中の ブロッコリー畑

収穫祭は 月曜日

たくさんいっぱいになるといい

ハイホー(肺胞) ハイホーと

陽気に唄って

左の肺のブロッコリー畑

どうかたくさん 実りますように


(5月11日・入院ノートより)



今日、カーゼの交換のとき、

初めて自分の「チューブ取付け口」を見た。


何の金具も器具もなく、

何の違和感もなく、胸からチューブが伸びている。

黒い糸で結ばれて、穴すらよくわからない。


そのまま体にすぽっとはまっていて、

まるでチューブが生えているみたいだ。



<左胸チューブの図>




お医者さんは、内臓器官の図を、

まるで地図でも描くみたいに、

さらさらと簡単に描く。

簡単に、しかもわかりやすく。


さすが専門分野の先生だ。



夕焼けがすごくきれいだった。

夕日は、部屋からも姿が見える。


ニジマスのおなかみたいな、紅い空。

山の陰影が、ラベンダー色に染まっている。


今日の部分の空が、ゆっくりと、

昨日の部分へと飲みこまれていく。

明日の空が、

見えないほどゆっくり、

今日の空と入れかわりはじめる。


見えない線が、分けていく。

今日を、明日と昨日に分けていく。



問診票の、数ある項目の中で、

どれもがほとんど

「特になし」「ありません」だったのだが。


今回の、唯一の「ある」が、

『テープアレルギー』だった。


覚えのない、皮膚の丸い赤みに、

大きなヒルにでも噛まれたのかと思ったら。

それは、心電装置のテープ痕だった。


2日弱のおつきあいだったが、

まさか、こんなことになっていたとは。

ほんのりふくらんだ赤い肌は、

ちょっぴりちくちく痛がゆい。


時期をおなじくして、

管を留めるのテープのほうも、

ちりちりかゆく、うずいてきた。


今度の交換のとき、

テープのことを相談してみよう。



夜、3日目にして、

天井からの「ドラマッチクライト」の存在を知る。


さらには、「真っ暗」にできることも知った。

真っ暗で寝られるのはありがたい。


毎日、少しずつのランクアップ。

下がっていくより、

上がっていったほうが、いいですものね。


<天井からのドラマチックライトの図>





さて。


第3日目の回も、

そろそろ幕でございます。


次の機会もごひいきに。

また講演、つかまつる〜。



次回、5月12日、金曜日。

第4日目でお会いしましょう!


それでは、

ハスピタライゼィシュン!

(hospitalization)



< 今日の言葉 >


「こっちのほうがエーデルワイス」


(5月11日・入院ノートより)





2023/05/25

Hi, Punk. 第2日目: 眠れない夜

 





〽︎ ハァ〜、テレビ観ねェ ラジオもねェ

  Wi-Fiあるけどスマホもねェ。

  一人部屋 誰もいねェ

  面会謝絶で誰もこねェ。


(昭和のヒット曲シリーズ〜『おら東京さ行くだ』の替え歌)




ずいぶんむかしに、

お見舞いに行ったときに見た病室のテレビは、

分厚い「ブラウン管」のテレビだった。


テレビカードやイヤホンで、観るテレビ。

テレビの形態は変わったが、

いまでもそれはおなじようだ。


大部屋とちがい、

個室のテレビは「無料」で見放題だ。


けれども自分は、

テレビを観ることがない。


せっかく「見放題」なのだから、

スイッチは入れなくても、

じっくり「見る」ことにした。


病室の薄型のテレビは、

棚に固定されていて、

引っぱると、ちょっとだけ「腕」が伸びて、

ちょっとだけベッドに近くなる。


リモコンは、

棚の引き出しの中にあった。



退屈な入院生活。


もし、パソコンかスマートフォンがあったら、

アマゾンとかでいろいろ注文しちゃいそうだ。


目の前に、

こんなに大きな白い壁があるのだから。

プロジェクタを注文して、

ベッドにいたまま、

思いっきり映画や音楽を鑑賞できる。


「ここにプロジェクタを設置して、

 スピーカーやウーファーがだめなら、

 DENONとかSENNHEISERのヘッドフォンで・・・」


と、そんな妄想で、

いくばくかの時間を灰にして。



咳をしてもひとり。


チューブにつながった器械のタンクが、

ぽこぽこっと泡を鳴らすだけ。



5月10日、水曜日。

入院生活2日目がはじまった。



* *



初日の夜は、眠れなかった。


いろいろなことが、

一気にたくさんありすぎて。

興奮状態から覚めやらず、

気持ちが高ぶったまま、

なかなか寝つけなかった。



ティントン、ティントン、ティントン・・・。

トゥルルル、トゥルルル、トゥルルル・・・。


あちこちから聞こえる、呼出音。

鳴り続ける「ナースコール」の音は、

昔のゲームセンターにいるみたいな感じだった。


ベッドの上で、うとうとしていて、

自分がどこにいるのか、

一瞬、わからなくなった。


寝る体勢は、

あお向けの、平らに寝る格好では

寝られなかった。


上体を寝かせると、

このまま息が止まるんじゃないかと思うほど

胸が苦しくなり、

あわてて起きあがった。


起きあがるにも、胸が苦しく、痛むので、

ベッドの脇の手すりをつかんで、

力づくで起きあがらなければいけなかった。


本当に、

どうしたらいいのか

わからなかった。


その感じは、溺れるような、

胸と心臓を握りしめられているような、

すごく苦しい感覚だった。


やばい、死ぬ!

と、思ってしまうほど、

切羽詰まったその感覚に、

思わず飛び起きてしまうのだ。


ベッドをリクライニングさせて、

角度をいろいろ探ってみたり。

枕を2つ重ねたりして、いろいろ試す。


上体を起こした「座位」の格好では苦しくない。

角度にして、45〜50度ほど起こした状態。

それ以上たおすと、息が、胸が、苦しかった。


結局、その「座ったまま」の格好で、

布団をかぶり、じっと目を閉じていた。



何時かはわからないが。

少しまどろみ、意識がふうっと遠のいた。


と、そのまま、

意識がなくなりそうな感じがした。


20代のころ、

脱水症状になったことがある。

そのとき、ちょっとだけ意識を失いかけた。


あのときの感覚。


血の気が引いて、体が、意識が、

すうっと消えていくような感覚。


寒くて、冷たくて、

目の前に、緞帳(どんちょう)のような

暗い幕がゆっくりおりてくる。


ああ、このまま死ぬんだな・・・。


そんな感覚。


やばい、と思った。


あのときの感じと、よく似た感覚。


消える!


朦朧(もうろう)とした意識の中、

左手を伸ばしてナースコールを押した。




ほどなくして、

看護師さんがやってきた。

かっぷくのいい、男性だった。


「どうしましたか」


真っ白い懐中電灯の光の輪に、

看護師さんの、やわらかな声がつづく。


事情を説明する。

呼んだ瞬間よりは、

いくらか生きた心地がしていた。


すぐに血圧、脈拍などを測定して、

特に問題はないことを確認する。


原因はよくわからない。

けれど、あぶない、と思ったのは本当だった。


「夜になって、

 急に気温が下がってきたので、

 それで血圧が下がったのかもしれませんね」


ベッドの横、カーテンの裾からは、

窓からの夜の冷気がもれている、と。


「お部屋の温度、上げておきますね」


昼間、ちょっと暑く感じて、

空調の設定温度を25度にした。

そんなことも忘れて、

そのまま布団に入ってしまった。


温度を上げてもらったおかげもあってか、

そのあとは、息もしやすく、

胸が苦しくなることもなかった。


これが、人生初めての、

ナースコールだった。



そんなこんなで、

ほとんど眠れなかったけれど。


朝方、短かい眠りに落ちた。



朝、空調の温度設定を見てみると、

28度になっていた。


それ以降、温度設定は変えなかった。


旅先でも、

初めての場所(宿)では、

空調温度の適温がわからない。

ましてや「健康体」ではない状態では、

さらにわかりにくい。



意識が消えそうな、あの感じ。

何だったのかはわからないけど、

何もなく終わった。


ここは病院だから、大丈夫だとは思いつつも。

やっぱりちょっと、怖かった。


そして思った。


いくらつよがっていても、

やっぱり怖いんだなと。


生きたい。


ナースコールを押した、あのとき。

自分の体が、心が、そう叫ぶのを、

たしかに感じた瞬間でもあった。



体につけている心電装置も、

あくまで「もしものため」の装置であって、

これをつけていれば「安全」と

いうわけではない。


最悪の事態の一歩手前で、

その合図を知らせてくれる。

そういう器械だ。


看護師さんが言っていた。


「何かあったら、

 すぐにナースコールを押してください。

 遠慮とかせずに、

 すぐ呼んでくださいね」



意識がたしかな「患者」なのだから。

自分でそれを、伝えるしかない。


もちろん、巡回や検温など、

注意を払って見守ってくれているけれど。


患者さんは、ぼくだけではない。

ぼくだけにかかりっきりなわけでもない。


最後は自分。


何となくそれが、わかった気がした。



<心電送信機の図>




* * *



「気胸」になるのは、

背が高くてやせ型の若者に多いという。

喫煙者で、65歳以上の高齢者にも多い。


咳やくしゃみをしたわけでもなく、

特に力んだわけでもなく、

自転車に乗っていて、

いきなりなった人もいるらしい。


タバコは6年前にやめた。

まだ10本以上残ったタバコを

コンビニのゴミ箱に捨て、

やめようと思ったその瞬間から今日まで、

1本も吸っていない。


身長177センチ、体重69キログラム。

太ってはいないが、やせてもいない。

若くもないし、高齢でもない。


そんな中途半端なぼくだが。

こうして気胸で入院している。



朝、ほとんど眠ることなく

目が覚めてしまった。


せっかく「早起き」したのだから、

朝日がのぼるのを見てやろう。


朝方はまだ、ひんやりとして寒い。

カーテンを開けて、またベッドに戻る。

『フランスベッド』のリクライニングベッドは、

リクライニングだけでなく、アップ・ダウン、

上下に高さも変わるようだ。


「これはすごいザマス!」


おフランス帰りのミーもびっくり仰天。

ベッドを上昇させると、

窓の外の景色が低くなり、

はるか遠くまで見渡せるようになる。


本当に、

ほんの少しだけのことかもしれないが。


ベッドに背をあずけたままのぼくにとっては、

その「たった少し」「ほんのちょっと」の変化だけでも、

景色がずいぶんひらけて見えた。


「このままモンマルトルや、

 凱旋門まで見えそうザマスね」


そんなことを思いながら、

布団をかぶり、首だけ窓の外に向けて、

じっと太陽がのぼってくるのを待った。


外の世界を焦(こ)がれる、

カゴの中の鳥のように。


色のない世界に、色が灯りはじめる。

のっぺりと一色に見えた景色に色がさし、

影が伸び、立体的に起きあがる。

人工的な明かりが消え、

止まっていた景色が、動き出す。


景色がぱあっと、あたたかな色に染まる。


窓からは太陽の姿が見られなかったが。

新しい1日が、始まろうとしている。


雲のない、広々とした空。

今日もいい天気になりそうだ。




看護師さんに聞いたところ、

朝は、寝坊してもよいとのこと。

ここ、個室では、就寝時間も起床時間も、

ある意味「自由」でかまわないそうだ。


「入院のしおり」みたいな冊子の中に、

『入院中の過ごし方』とあった。

そこには「6:30起床」

「21:30消灯」と記されている。


てっきり、そうなのだと思っていたが、

個室のぼくは、またしても「例外」だった。


ちなみに。

1日(平日)の流れは、

「7:30朝食」「12:00昼食」

「17:30〜夕食」、

「8:30〜17:00診療時間」、

とぃう感じだ。



5月10日 朝



朝食。


看護師さんに、事情を話し、

おはしを持っていないことを伝えると、


「一膳だけ、お出しします。

 あとはコンビニとかで買ってきてくださいね」


と、一膳の「わりばし」を手渡してくれた。



カリフラワーサラダには、

「ツナ」が入っていた。

ツナは苦手だが、

「お薬」だと思って残さず食べた。


煮物はおいしくて、揚げのふわふわと、

大根のしゃきっと感がたのしい。


みそ汁は、ほんのり梅肉のような風味がした。


「ふりかけ」なんて、

何年、いや、何十年ぶりか。

遠足とか修学旅行みたいな気分になる。


『名古屋牛乳』もなつかしい。

そう、この味。給食を思い出した。

紙パック入りは初めて飲んだ。


しめて、523キロカロリー。


たっぷりのご飯も残さずに。

体のために、しっかり食べた。


おはしがあって、よかった。


左手には心電装置のコードがある。

右手でおはしを使うのは、久しぶりだった。

両利きって、こういうときに便利です。




朝食後、

ちょっとかがんだはずみで、

「げっぷ」が出た。


すると、タンク内の「お水」が、

ぶくぶくっといった。

(右側の、透明なほうの「お水」)


朝、トイレで力んだら、

赤っぽい「水」がどぼどぼと

チューブを走った。

何なんだ、これは。


この、左側にたまった「排液」は、

ブラッドオレンジジュースみたいな、

深い赤色をしている。


昨日見たときは「20」くらいだったが。

今朝見ると「50」くらいに増えている。


これがなんなのか。

このタンクの仕組み、役割、

そして、ぶくぶくとこぼれる

泡の正体は、何なのか。

まったくわからない。


何もかもが、わからない。


お医者さんや、

看護師さんに聞いてみよう。



<タンクの観察記録>



<タンク構造簡略図>


<ノートのメモ>


(何がしたいか)

・自転車に乗りたい。

・チョコレートが食べたい。

・海が見たい。

・おいしいパンとブリーが食べたい。



・布団は表が青系で、裏が赤系。

 どちらもおなじ、花(バラ)柄。


・消毒のにおいに、

『家原美術館2019』を思い出す。


・まだ7時だって!

 今日はぐっすり眠れそう。




* * * *




部屋にいると、

理学療法士さんらしき人に、

「リハブ(リハビリテーション)」の

勧誘を受けた。


安静にしているよう言われているのだが。

そのへんはどうなのかと尋ねると、


「もし、ここで受ける約束をしても、

 またあとで断ることもできますから。

 担当の先生と相談の上、

 もしむずかしいようであれば、

 そのときはまたちがう形を考えます」


と、言った。


そのままの流れで、

握力の計測を求められ、

つい、全力で思いっきり握ってしまったが。

ちょっと胸が、痛かった。


左手には、心電装置のコードがつながっており、

ほとんどまともに握れなかった。


つづいて、

両足先を一直線にならべた形で直立するものや、

片足立ちを左右、交互に行なった。


心の中では、


「昨日手術で入院したばかりなのに。

 まだ、リハブとかいう段階じゃ

 ない気がするんだけどな」


なんて、思ったりした。


のちに思った。

ここは内科病棟。

まさか外科手術を終えた患者がいるとは、

思ってもいないのかもしれない。

リハブ勧誘の男性が、

何となく状況を把握していない感じも、

それでうなずける。


本当に。

わからないことばかりで、それがつらい。

何をどうしたらいいのか、

それがわからない。


先生が来たら、いろいろ聞こう。

そう思った。



入れ替わるようにして、

今度は清掃の人がやってきた。


「ごくろうさまです」


清掃の人は、そう言われているのか、

こちらに顔を向けることもなく、

返事をすることもなく、

黙々と清掃を進めていく。


なるほど。


そして検温、血圧などの測定。

食後、薬をきちんと飲んだがどうかの確認。

毎食後に飲む薬は、

飲んだ後、空の容器を

「箱」に入れておくことになっている。


また別の看護師さんが、食事の器を下げにくる。


いろいろな人が、代わる代わるやってくる。


病室は、個室であっても、

「プライバシー」など存在しない。


そう、ここは病院。

ホテルでもないし、家でもない。


イタリア、ミラノのホテルで、

ノックもなく入ってきた清掃員のおばさん。

別のとき、外出から戻っると、

そのおばさんが、

ぼくの部屋でテレビを観ていたこと。

出先から戻ると、

買っておいたポテトチップスが

きれいに食べられていたこと。

そのとき「チップ」を置き忘れてしまっていたから、

代わりに「チップス」を食べられたのか・・・と。

そんなふうに思った記憶。


まるで関係のない記憶だが、

なぜか急に、そんなことを思い出した。



<枕元にある給気弁>



そんなこんなで、

気づけば「お昼」になったようだ。


時計がないので、食事の配膳が、

ざっくりとした時間の目安になる。



5月10日 昼


上手に薄味で調理するなあ、と感心。

酢の物のしゃきしゃき感は、

スナック菓子のようなサウンドで心地よい。

わかめの茎(くき)も、

こりこりしていて食感がたのしい。


煮物は、

白みその甘みがさといもを包み、

やや歯ごたえのある、

硬めのにんじんが、またいい。

豚肉も、みそとよく合う。


やきそばは、いい感じのソース味。

キャベツ、にんじん、豚肉、たまねぎ、

具もすごくおいしかった。


何といっても、ココアムース。

これはもう、ドルチェだ。

日本ベスト株式会社。

チョコが食べたかったので、

すごくベストにおいしく味わった。


これは、もはや給食だ。



飛行機の機内食のような勢いで、

次々とやってくるお食事。


私たち患者の胃袋を、

これでもか、これでもかと言わんばかりに

満足させてくれる病院食。


管(チューブ)をつけてじっとしている自分は、

健康になるどころか、

丸々と太ってしまいそうだ。


やきそばは大好きだけど、

麺はほとんど残して、

具だけをきれいに食べつくした。

(のこしてごめんなさい)


算数が苦手で、

カロリー計算はわからないが、

毎回完食したら、大変なことになりそうだ。




『いただいた「わりばし」を、

 黒檀(こくたん)のような「つや」になるまで、

 使いこんでやるぞ』宣言。


使い終わったわりばしを洗って、

ティッシュで拭いて、乾かす。


まだ、コンビニには行けない。

先生のお許しが出ていない。


おはしも、歯ブラシも、

しばらくはこのまま、おつきあいいただこう。


パンツも、ひとまず、

寝ているあいだに洗って乾かす作戦で。

寝るときノー・パンツなのは、いたしかたない。

ただ、干す場所(ハンガーをかける場所)が、

部屋に見あたらない。

仕方なく、体につながる吸引マシン、

『MS-008』のポールに干すことにした。


毎晩、

巡視・点検に来る看護師さんからすると、

そこがけっこう目につく場所だと、

あとあと気づく。


お見苦しいものをお見せして、

大変申し訳ありませんでした。





『MS-008』の「引っかけ部分」 → 物干し


布面積がせまく、乾きやすいおパンツ





昨日、ほとんど眠れなかったので、

食後にまんまと眠くなった。


うとうとするひまもなく、

「コードブルー」のアナウンスに目が覚める。


ベッドを倒して、

「まちがいナースコール」を押してしまう。

(倒したベッドにはさまって、

 マットレスがボタンを押しちゃったってわけ)


そんなわけで、

昼寝をすることもままならない。


それはいいことだ。



〽︎ 昼寝を すれば夜中に 

  眠れないのはどういうわけだ

(『東へ西へ』井上陽水氏)



昼寝をしなければ、

夜、しっかり眠れるのだから。



清拭【せいしき】(名):

体を拭いてもらう時間。


ありがたい。

お風呂もシャワーも入れないので、

非常に助かる。


看護師さんが、

おしぼりで背中を拭いてくれる。

あとは自分できれいに拭く。


この「清拭」が、

2日に1回だということも、

もっとあとになって知った。


もし拭いてほしければ、

看護師さんにお願いすればいいのだと。


汗をかくようなことはあまりしていないが、

寝返りもうてず、

じっと天井を見たまま寝転んでいるせいで、

背中には汗をかいているように感じた。



現時点では、チューブよりも、

左手の心電装置のほうが「やっかい」だった。


寝るとき変に気をつかい、

左手を動かさなかったせいで、

左の肩と腕が、がちがちに固まってしまった。


左胸のポケットに入れた心電装置は、

重さか約200グラム。

あお向けに寝転ぶと、

その重みで胸が(息が)苦しかった。

稼働中は熱を持つため、胸が熱く、

そこだけじっとり汗ばんだ。


片手しか使えない不便さは、

行動を消極的にさせる。


チューブを気づかい、左手を気にして、

気づくといろいろ「省略」したくなる。


こうやって人は、

不精(ぶしょう)という衣をまとうわけだ。



* * * * *



ちょっと退屈になったので、

気晴らしに10階ラウンジへ行く。


自動販売機や、

電子レンジなどがあるその場所を、

ここでは「ラウンジ」と呼ぶ。


壁一面がガラス張りの、

見晴らしのいい空間だ。


男性が2名、座っていた。

間隔をあけて、ぽつんぽつんと座っている。


きっと大部屋にいるより、

居心地がいいのだろう。


窓に向かってイスを置き、

外の景色を見ているような、

見ていないような感じで、

何をするでもなく、

ぼんやりと遠くに目を向けている。


紙パックの、

100%オレンジジュースを買う。


きんきんによく冷えたオレンジジュースは、

内臓の形を透かすような感じで流れこみ、

ぼんやりとした体をゆり起こした。


そのままほとんど一気に飲み干すと、

なんだか元気になったような気がした。



ゆったりと、散歩をするように、

10階病棟内の廊下を歩く。


自室前の廊下の窓から、

西の空をながめていると、

少しはなれた場所から名前を呼ぶ声がした。


知り合い?


と、思ったが。

なわけがなく、声の主は、

執刀医の女医さんだった。


「どうですか?」


「痛みもないですし、

 胸の苦しさも、術前より

 楽になった気がします」


女医の先生に現状を伝えると、

ほっとしたようすで、心から喜んでくれた。


ただ、まだまだ、

肺にたまった空気の抜けが不十分なようで、

レントゲンの結果では、

肺がまだ、

半分にも満たないふくらみだという。


体調面での安定感に加え、

いま自分のいる「現在地」がわかったことは、

気持ちの上ですごく「たすかった」。


どうなっているのか。

どうしたらいいのか。


わからないというのは、

痛み、苦しみとならんで、

つらいことだった。


「あとでまた、お部屋に行きますね」


そう言って先生は、

別の患者さんの部屋へと消えた。






女医の先生は、

また別の男性の先生を連れて、

やってきた。


いろいろな問診、やり取りのあと。


ついに『MS-008』号、

目覚めのときが来た。


スイッチを入れて、パネルを操作する。

圧力を調整しながら、「15(㎝ HO)」に設定。


「ちょっとこれで

 様子を見てみましょう」


うれしいことに、

左手の心電装置を外してもらった。


これで両手が自由に使える。

顔も洗えるし、

おはしと鉛筆が同時に使える。


この「解放感」は、すごく大きい。


うれしさのあまり、

自由になった左手を

ぐるぐるとふり回したほどだ。



人間、すぐに忘れて「贅沢」になる。

それはどうすることもできない。

忘れてはいけない「場面」。

「立ち返り」。



明日、またレントゲンで、

肺の広がり具合をみるとのこと。


明日のことは、

明日にならなければ、わからない。


明日が今日になるまで。

今日は、今日の日をすごそう。




* * * * * *




5月10日 夕




気づくと夕ごはんの時間。


思わず笑っちゃうくらいにおいしかった。

一人、声に出して、


「うっまぁ〜っ!」


と言ってしまうほどだった。


どれが、というより、

全部がおいしかった。


白和えは、

なめらかでクリーミーで、

大豆の味がものすごくした。

盛りつけも高盛りで、うつくしかった。


切干大根の煮物は、

切干大根のほかに、あげ、しいたけ、

いんげん豆が入っていた。

これまでの煮物にも言えることだが、

しっかり食感を残す「かたゆで」感が、

すごくおいしい。

いんげんは「コリッ」と音がしそうなほどで、

それでいて、噛むといさぎよく割れる。


そして、鶏の葛(くず)粉焼き。

添えられたさつまいもは皮つきで香ばしく、

金時の焼きいものような甘さだった。


鶏は、おそらく蒸し焼きだと思うが、

皮つきの鶏もも肉のうまみを、

葛粉がしっかり閉じこめている。

ぷるぷる、ぷりぷりの食感と、

鶏のうまみは、

思い出しただけで垂涎(すいぜん)もの。

自分がこんなにも食いしん坊」だったのかと

思わずにはいられない。


本日の夕食。

この味、このうまさで、

塩分量は、食塩(相当)3.1グラム。

ぜひともレシピを知りたいと思った。


今日もごちそうさまでした。





夜。

いま何時なのかはわからない。



廊下に鳴り響くナースコール。



「△△さぁーん、どこ行くの?」


看護師さんの声に、

おじいさんの声が返る。


「あそこに、何か、おる」


「どこ? そんな所、

 何にもないでしょう」


「なんにもないところに、何か、おる」

(Where there is nothing, there is something.)


何だか名言のようなその言葉に、

思わずふふっと頬(ほお)をゆるめる。


きっと彼は「預言者」だ。






昨日、眠れなかったので、

今日は早めに布団に入った。


電気を消して、目を閉じる。


昼間、看護師さんと話していて、


「睡眠導入剤、出しましょうか」


と聞かれた。


けれどもそれは断った。

できるだけ自力で寝たかった。

ここに「慣れる」とまではいかないにしろ、

なるべく自力で寝たかった。


そんなわけで、

あまり気は進まなかったが。

今日は「耳せん」をすることにした。


ティッシュで作る、簡易的な耳せんだ。

これがばかにできないもので、

なかなかの遮音力なのだ。




<ティッシュ耳せんの作り方>




夜中、異変に気づいて目を覚ました。


自分が眠っていたのも、

目を覚ましたことで気がついた。


真っ白な光の輪。


逆光で、その姿はよく見えなかったが。


「すみません、起こしてしまって!

 夜担当の◇◇です」


どうやら看護師さんらしい。


記憶が途切れたみたいに、

いきなりぐっすり眠っていたせいで、

ここがどこなのか、どんな状況なのか、

それすらあやふやだった。

夢か現実かもわからない状態だ。


「器械の警告音が鳴っていたので。

 すみません、びっくりさせて、

 起こしてしまって」


びっくりしたのは、

おたがいさまのようだった。


寝不足での深い睡眠に加え、

「耳せん」をしていたおかげで、

警告音など、まるで聞こえていなかった。


そこで急に、何かの気配を感じて、

びっくりして目を覚ましたぼくに、

さらに看護師さんがびっくりした。

そんな図式だった。


そういえば、今日から電源を入れたんだった。

コンセントを入れてください、

とは言われていなかったので、

特に気にもしていなかったが。


そうか、たしかにそれはそうだよな。


数時間は、

内臓のバッテリーで稼働するらしいが。

電源が落ちたら、大変なことになるところだった。

また肺が、ぺしゃんこになってしまったかもしれない。


あやうく命拾い。


もし、気づいてもらうのが遅かったら。

もし、いろいろなタイミングがずれて、

器械が止まってしまっていたら・・・。


そんなことは、ないだろうが。


いろいろ考えると、危ない局面だった。



警告音に気づいて、

コンセントを入れてくれてありがとう。


あわてて飛んできてくれた看護師さんに、

心から感謝した。


・・・もっとも、そう思い至ったのは、

翌朝、ごはんを食べているときのことだった。


目が覚めたときは、

寝起きドッキリのような気持ちで、

説明を聞いても、

何が何だか状況がわからなかった。


ぼう然としたまま、

言葉も返せなかった。


そんなこんなで、

深い深い眠りから

覚めてしまったわけだが。


目を閉じて横になっていると、

知らないうちに眠っていた。


途中、何度か夢を見ながら、

浅い眠りから覚めたりもしたが。

深い眠りに包まれて、

泥のようにぐっすり眠った感じもある。




こうして、

入院2日目の夜がふけ、

3日目が、始まろうとしていた。





入院2日目、

5月10日水曜日。


いかがでしたでしょうか。


次回、

入院第3日目、

5月11日木曜日。


はたして家原に、朝は来るのでしょうか。


乞うご期待です。




< 今日の言葉 >


食べることと、生きることは、ちがう。


(5月10日の入院ノートより)