先日、とある施設の社会見学へ行ってきた。
集合場所に集まり、
バスに乗って、目的地までゆられていく。
まわりは知らない人たちばかりで、
いわゆる「団体バスツアー」のような感じだった。
こういう「ツアー」は、
遠足みたいですごくたのしい。
すごくたのしいのだけれど。
気づくといつも、
みんなとはぐれてしまうのだ。
この日は、原子力発電所の見学会だった。
外は激しい雨が降りつづいていたけれど。
施設の中に入ると、天候などまったく関係なく、
バスの乗り降りでもまったく濡れることはなかった。
バスから降り、シアターのような場所で映像を見たあと、
10人くらいずつで、
いくつかの「班」に分かれることになった。
ぼくは「2班」ということになり、
引率の女性の指示に従い、
1班のあとにつづいて席を立った。
「それでは2班のみなさん、
右手出口のほうからどうぞ」
その声は、
耳に装着したレシーバーから聞き取るのだ。
各班には、
案内役の女性ひとりと、
技術者の男性がひとり。
施設の模型、
または現物と同じ部品がいくつも展示された館内。
案内役の人や技術者の人からの説明を聞きながら、
順々に歩いていく。
重厚で、鈍い光を放つステンレスの塊。
何本ものパイプが、
肋骨(ろっこつ)のように連なる器機の断面。
きれいな曲線を描く金属の断面と、
滑らかに仕上げられた金属の表面。
色のついた透明アクリルでつくられた、施設の模型。
堅牢さと繊細さをあわせもつ、
巨大な金属構造体。
見たことのないような装置や器機が
ずらりとならんだ館内で。
あまりの見どころの多さに、
ぼくは、すでに「ついていけなく」なっていた。
そうでなくとも。
最初の、各班に分かれた段階からあやしかった。
自分は「2班」なのに。
ふらりと「1班」のあとについていき、
「2班、ですよね?」
と聞いてみると、
「2班はあちらです」
と係の人に指を差されて。
館内に消えてしまいそうな「2班」の背中を、
あわてて追いかけて何とか追いついた。
みんなが、早いのか。
それとも、自分が遅いのか。
もらったばかりのパンフレットを見たり、
レシーバーのボリュームをいじったりしていたら、
いつのまにか「遅れて」しまっていた。
館内でも。
展示物を見ているうちに、
いつのまにか「はぐれて」しまっていた。
あわてて追いかけて、追いついて、
ワンテンポ遅れて「見学」するうち、
どんどん遅れて、
ついには完全においていかれる。
銀色に光る金属の断面の、
なめらかに面取りされたエッジ。
細かな箇所までつくり込まれた模型の細部。
機能のみを追求した器機の、
形のかっこよさとか、美しさ。
もっと見たい。
もっと、ゆっくり見たい。
もっと、じっくり見ていたい。
こういうのを「わがまま」というのかもしれない。
のんびりしすぎて。
ゆっくりしすぎて。
気づくと時間を忘れてしまっている。
そして、おいてけぼりになっている。
思えばいつも、
こうして「落ちこぼれて」きたような気がする。
バス旅行ではバスを待たせてしまい、
ガイドツアーでは、
よそ見ばかりで「輪」からはみ出る。
小、中、高と、学生のころには、
生意気だったり、ふざけたり、
意図して気ままにふるまっているせいだと
思っていたけど。
実際は、たんなる「落ちこぼれ」で、
みんなの流れについていけない。
最近になってようやく、そのことに気がついた。
時間や状況を、
ついつい忘れて夢中になってしまう。
あまり集団で行動する場面の少なくなったいま。
今回の社会見学でまた、そんな自分と対面した。
それでも。
今回の社会見学は、
見たことのないものがたくさんあって、
わくわくしっぱなしだったので、
すごくたのしかった。
やっぱり、
社会見学はたのしいな、と思った。
(以下につづく写真は、
上記の、最初の施設内の風景です。
途中、文章とかみ合わなくなりますが、
ご了承ください)
さて。
バスに乗り込み、発電所をあとにして。
また別の施設でバスが停車した。
それは、市街地の、少し栄えた場所にあって、
神社へとつづく大通りの両脇には、
商店街のアーケードがあった。
施設に入って、館長の話を聞く。
外にはたのしそうな、
商店街のアーケードがづついている。
各班に分かれて、エレベーターに乗り込む。
外ではたのしそうな、
商店街のアーケードがぼくを誘う。
1班が、エレベーターに乗り込んだ。
展望台からは、何が見えるんだろう。
商店街も見えるのかな。
案内役の女性が、みんなを引率する。
どうしよう。
このままついていくべきか・・・。
あたまのなかでは、
『少年の詩』という曲のこんなフレーズが、
ぐるぐると回りはじめる。
『別にグレてる訳じゃないんだ
ただこのままじゃいけないってことに
気付いただけさ』
(『少年の詩』/ザ・ブルーハーツ)
別に、嫌とかそういうわけじゃない。
ただそこに、
商店街のアーケードがあったから。
ぼくは、
展望台へ上がっていく人たちからはみ出して、
施設の外へとこっそり抜け出した。
雨の降りしきる街、
ビニール傘を開いて横断歩道を渡る。
どしゃぶり雨のはずなのに。
なんだか景色がまぶしく感じた。
黒く、立派な鳥居を「折り返し地点」にして、
右手前から順に、
商店街のアーケードを歩いていく。
1軒1軒、何の店で、
どんな店かをのぞきながら。
神社の鳥居を目指して歩く。
アーケードに立ち並ぶお店は、
日曜日ということもあってか、
シャッターが下りているところが多かったけれど。
それでも、知らない街の商店街を、
歩きながら見て回るのはたのしいので、
うきうきしながら足を進めた。
神社の手前まできて。
右手にも、商店街らしき
アーケードがつづいているのが見えた。
そちらに行こうか行くまいか、
一瞬、どうしようか迷いもしたけれど。
たしか、集合時間は「3時」とか
言っていた気がする。
時計を見ると、2時30分。
外に出てから10分ほど経っている。
単純計算で、
中間地点に設けた神社で折り返すのが、
遅くとも2時40分ごろでなければ、
集合の時間に間に合わない。
すぐに夢中になって、
時間を忘れてしまうので。
時間の「おしり」が決まっているときには、
前もって「折り返し時間」を決めているのだ。
後ろ髪を引かれる思いで、
右手のアーケードへの思いを断ち切り、
雨のなか、横断歩道を渡って
神社の境内へ向かった。
由緒ある、古い神社。
激しい雨のせいか、人の姿は見当たらない。
ひとつ、お参りをして。
あまりにも雨がひどいので、
折り返し地点の神社で、
濡れるベルボトムの裾を折り返した。
(折り返し地点だけに)
いそいそと、きた道を引き返し、
行きとは反対側のアーケードを歩いていく。
時間は2時40分すぎ。
もう、あまり時間がない。
閉まっている店も多く、
ほとんど店先を通り過ぎるばかりだったのだけれど。
1軒の洋傘店の前で、足を止めた。
『ニシノ洋傘店』
引き戸のガラスごし、
色あざやかな傘がたくさんかかっているのが見えて、
思わず足を止めてお店をのぞき込んでいた。
お店のなかは暗くて、
やっているのかいないのか、
よく分からなかったのだけれど。
とにかく「見たい」と思ったので、
重厚な木製の引き戸に手をかけて、
開くかどうか試してみた。
開いた。
お店の電気は点いていなかったけれど、
奥の居室に明かりが見える。
「こんにちはー」
声をかけると、
奥の部屋からおじいさんが出てきた。
「はい、いらっしゃい」
「傘、見せてもらってもいいですか?」
「いいですよ」
と、おじいちゃんは、
お店の電気を点けてくれた。
ぞうりを履くおじいちゃんから、
ふわりと香ばしい匂いがした。
どうやらおじいちゃんは、
せんべいかあられを食べて
くつろいでいたようだ。
奥の部屋からは、
テレビの音がかすかに漏れ聞こえる。
遅れて灯った白い光。
色とりどりの傘たちが、
蛍光灯の白い明かりに照らされて、
明るい光を放ちはじめる。
どうしよう。
本当に、困ってしまうくらい、
いい色、いい柄(がら)の傘たちが、
所せましとならんでいる。
時間は2時50分。
集合時間まで、あと10分ほどだ。
店先から外を見ると、
道をはさんで施設が見えた。
施設の横に停まっているバスに、
一瞬あせりもしたけれど。
「2班」らしき人たちの姿が、
展望台にいるのが見えて、
まだ猶予(ゆうよ)はあると確信した。
あれこれ考えている暇はない。
気になった傘を手に取り、
「候補」となる品々をいくつか選んでいく。
「ひろげてみようか?」
と、傘を開くおじいちゃん。
「ひろげると、ガラがぜんぜん違うんだよ。
傘は、ひろげて見ないと分からんからね」
言うとおり。
開いてみた傘は、
閉じているときよりもすごくよかったり、
思っていたのと違ったり。
色も、柄も、大きさも。
広げてみないと分からなかった。
なかなか決めきれず、
あれこれ手に取るぼくに、
おじいちゃんは、
「いいよいいよ」
といいながら、次々と傘をひろげてくれた。
おかげでいい傘が見つかった。
「これにしようかな」
手にした傘は、
すごく細くてカラフルな、
70年代っぽい傘で、
折りたたみでもないのにカバーがついている。
タグにはカタカナで、
『アサヒカセイ』
と書かれていた。
「それは、500円でいいよ」
「500円?!」
値札には「¥3,800−」と
書かれていたけれど。
おじいさんいわく、
「もう、お店を閉めるから」
ということで、
100円とか、300円とか、500円とか、
そんな感じの値段でいいとのことだった。
思わず、何本か買いあさりそうにもなった。
けれどもなんだか、
そういう買い方をするのはよくない気がして、
1本気に入った傘を選んで、
だいじに買おうと思った。
折りたたみ傘も、いいのがあったが。
時計を見ると、もうあと5分で3時だった。
「じゃあ、これ、いただきます」
黒い握り手で、
黒ふちに赤と緑と黄色と白の模様の、
細い傘。
「このままでいいかな?」
「はい、大丈夫です」
外は雨。
すぐにでも傘が使えるのだけれど。
買ったばかりの傘は閉じたまま、
透明ビニール傘を開いて、
雨のなかを小走りで駆け抜けた。
バスにはひとり、ふたりと人が戻ってきていて、
3番目に戻ってきたぼくは、
逆に「優秀」なほうだった。
席に座って、
買ったばかりの傘を眺める。
うれしさと、興奮と、
あせりとか、なんだかいろいろで、
胸がどきどきしていた。
気に入った傘がずっと欲しかったので、
すごくうれしい買いものだった。
本当はもっとゆっくり見たかったけれど。
偶然降りた街の、商店街で。
傘屋のおじいさんと出会えて、
いい傘とで会うことができたからよかったと思う。
実質的な「買いもの」以上に、
何かいいものを手に入れたように感じた。
ほんの数十分のできごとだったのに。
すごく濃くて、
夢でも見ていたみたいな、できごとだった。
バスに戻ってくる人たちは、
誰ひとりとして靴とかズボンが
びしょ濡れになっている人はいなかった。
びしょ濡れになった靴と、ベルボトムの裾は、
みんなには内緒のできごとが、
手ざわりのある「現実」だということを
あらわしているようだった。
行きには持ってなかったはずのカラフルな傘が、
何よりそのことを示してくれている。
この傘を見るたび、
ぼくは思い出すはずだ。
どしゃ降り雨の商店街。
色とりどりの傘たちと、
おせんべいの匂いをただよわせる、
やさしいおじいちゃん。
バスの座席と、胸のどきどき。
やっぱり。
社会見学は、いつでもたのしい。
< 今日の言葉 >
「立ち上がった大仏の足もとから上を見上げて、
大仏の “ ボール ” を見たら、
ドラゴンの “ ボール ” を7つ集めなくても
願い事が叶うんだよ」
(「願いのかなうボール」について。
あるとき、夢のなかで自分が
こんなふうに力説していた)