カナダのトロント、
友人宅に滞在していたとき。
『ダッチ・ドリーム』というお店に
ちょくちょく行っていた。
『ダッチ・ドリーム』
いったい、何のお店かというと。
そこは「アイスクリーム・ショップ」。
色とりどりの、
甘くてつめたいアイスクリームがたくさん並んだ、
アイスクリームのお店だ。
その『ダッチ・ドリーム』の、
外観を見れば、すぐに何のお店か分かる。
というより。
「かに道楽」よろしく、
大きなアイスクリームを掲げたその外観は、
ばかばかしいくらいに分かりやすく、
むしろ一周して、
遊園地かなにかと間違えそうなくらい
にぎやかな店構えだ。
赤を基調とした外壁に、
大きなワッフルコーン・アイスが
どかんと貼りついて。
手づくり感のある看板やら
装飾品がごたごたと、
とりとめないような、
あるような感じで飾られている。
店のわきには、
牧場などでしかお目にかかれない、
40リットルサイズくらいの「牛乳缶」が、
ずらりと柵のように並んでいる。
カラフルなペンキで塗られたその牛乳缶は、
ベンチ代わりに腰をおろすのに
ちょうどいい感じだ。
ダッチ・ドリーム。
「ダッチ」という語でも分かるとおり。
そのアイスクリーム・ショップは、
どうやら「オランダの」
アイスクリームらしいのだが。
何がどう、オランダなのか。
そのときのぼくには、
店の外で、小さな木製の風車が
カタカタと回っていたことと、
木靴らしきものが窓辺に飾ってあったこと以外、
「オランダ」という由来は
さっぱり分からないままだった。
(あとで看板の文字を読んでようやく分かった。
『frozen desserts imported Dutch candy』
手作りのアイスクリームは、
オランダから輸入している物らしい)
さて、その店内に入ってみると・・・。
外観に負けないくらい、いや、
むしろ勝っているくらい
「にぎやかな」感じがした。
店をにぎやかしているのは、
モビールや置物、キャンディやメニュー看板などの
「装飾品」のせいだけではない。
アイスクリームそのものが、
色とりどりで、たのしげで、
まるでおもちゃみたいに華やいで見えるのだ。
ガラスケースのなかに並んだアイスクリーム。
バニラ、チョコ、マーブル、
ストロベリー、オレンジ、マンゴー・・・。
どれも「手づくり」らしく、
やさしげな表情をしているのだけれど、
すごくたのしげで明るい色を放っている。
アイスクリームだけでも目移りしてしまうのに。
ガラスケースの上には、
ひとつに決めきれれないほど、
いろいろな種類の「コーン」が並んでいる。
その場で焼いて、くるりと丸めたワッフルコーン。
香ばしいワッフルの表面に、
アーモンドやピーナッツ、クルミなどの
ナッツ類をちりばめたものをはじめ、
チョコがけのものや、
チョコにナッツをまぶしたものとか、
アラザンやスプレーチョコを
まぶしたものもある。
ふだんは「コーン」よりも
「カップ」なのだけれど。
ここではぜったいに「コーン」が
食べたくなってしまう。
なかでもぼくの、いちばんのお気に入りは、
チョコがけの表面に、
キスチョコ型の小さなチョコレートが
無数にへばりついている、
「チョコチップ・ワッフル」だ。
まるで大仏さまの頭のような、
ごつごつした見た目のそれは、
食べるとき、気をつけないと歯ぐきをやられる。
いろいろ食べたりしてみたけれど。
やっぱりこの、
大仏チョコチップワッフルがいちばん好きで、
結局そればかりを頼んで食べた。
アイスクリームはストロベリー。
味はもちろんのこと、
チョコレートの茶色と、
アイスクリームの薄いピンクの色合いもよくて、
これがいちばん好きだった。
そこに、キウイやイチゴなんかの
フルーツをのせてくれる。
アイスも、コーンからはみ出さんばかりの勢いで、
どかっともりもり乗せてくれるのだ。
ぼくは、このお店に、
連日、ほとんど毎日のように通いつづけた。
「今日こそはやめておこう」
そう決意した心もすぐにゆらぎ、
バスから外の景色を眺めているうち、
気づくと降車を知らせる
黄色い「ヒモ」を引っぱっている。
お店の目印にしていた、
オレンジの看板のメガネ屋が見えたら、
ぼくの決意もぐにゃぐにゃになる。
まさしくアイスのごとき早さで
溶け出した決意をひっさげながら、
教会の前でバスを降りると、
視線の先にど派手なお店が見えてくる。
そう、そこがダッチ・ドリーム。
甘くて冷たいパラダイスへの入口だ。
しまいにはお店の人に、
「またおまえか」
といった感じで、あきれたような、
それでいてどこか祝福してくれているような、
とろけそうなほど甘い笑顔で
迎えられるまでになってしまった。
この『ダッチ・ドリーム』は、
セント・クレア・ウエスト駅からつづく道、
セント・クレア・アベニュー・ウエストから
少し入ったところにある。
(所在地/78 Vaughan Road Toronto, ON M6C 2L7, Canada)
友人が滞在していた家は、
ラウダー・アベニューというところで、
大まかにいえば、
セント・クレア・アベニュー・ウエストと、
ダッファリン・ストリートが交わるあたりだった。
セント・クレア・ウエスト駅で地下鉄を降り、
バスに乗ると、その家に向かうには、
かならずダッチ・ドリームの「鼻先」を通っていくのだ。
友人がいっしょのときには、まだ、よかった。
「え、今日も行くの?」
というふうに、
渋った顔を見せてくれたおかげで、
1週間連続記録がそこで途絶えたりした。
けれど、ひとりのときには。
止める人が、誰もいない。
そしてまたしても途中下車してしまったぼくは、
溶けたアイスでべとべとになった手をなめながら、
とぼとぼと家まで歩いていくのだ。
7月の、ある日の夕方。
いつものようにダッチ・ドリームへ行った。
その日は天気もよく、
日没の遅いカナダでは、
午後6時をすぎてもまだまだ暑かった。
ふだん、昼間は混雑しているときでも、
多くて数人くらいしか並んでいなかったのだけれど。
この日は土曜日か日曜日で、
アイスクリームを待つ人の列が、
店内には収まりきらず、店の外まであふれていた。
ずらりと並んだ人たちのなかには、
若い人もいれば、
家族や恋人どうしらしき人たちもいて、
みんなゆったりと自分の番を待っている。
混雑しているのに。
どの顔もみんな、にこにことおだやかだった。
アイスを手に、
店のなかから出てきた体格のいい男性。
彼の手には、
大きな「アイスクリーム・ボート」が乗っている。
大柄な彼の手をもってしても、
けっして小さくは見ない代物だ。
アイスクリーム・ボート。
開いたワッフルのうえに、
3〜4スクープ(1スクープ=1すくい)の
アイスクリームと、
バナナやオレンジやイチゴなどの
フルーツ類が盛りつけられ、
まっしろなホイップクリームが
雪山のようにのっかり、
最後にカラフルなスプレーチョコが
ばらばらとふりかけられた「舟(ボート)」。
これが、アイスクリーム・ボートだ。
ぼくも、いちどは食べてみたかったけれど。
さすがにひとりでは食べきれない、と。
そんなふうに思って、手が出ないままだった。
「誰かに怒られそう」
そんなふうにも思った。
別に、怒られるわけもないし、
怒られたとしてもぜんぜん平気なんだけれど。
そんな「バカみたいな」ものを頼んで
ひとりで食べたら、
なんとなく「誰かに怒られそうな」気がした。
誰かに怒られそうな、
そのアイスクリーム・ボートを手に。
大柄の中年男性は、待ちきれない感じで、
店を出るなりすぐにスプーンですくって食べはじめた。
水色のTシャツのすそから、
出っぱったおなかをのぞかせて。
ぼたぼたとこぼしながら、
うれしそうにアイスクリーム食べるその姿は、
まったく「大きな子ども」そのものだった。
遅れて店内から、
10歳くらいの女の子が出てきた。
彼女の手には、フルーツとホイップの乗った、
3スクープのワッフルコーン・アイスが握られている。
すぐに溶けはじめたいちばん下のアイスを
ぺろりと舐めながら、
きょろきょろとあたりを見回すと、
牛乳缶に座る中年男性のそばへと歩みよった。
アイスクリーム・ボートの男性は、
彼女の「父親」だったのだ。
本来なら、「怒る側」のはずである「父親」が、
誰かに怒られそうなくらい
バカでかいアイスクリーム・ボートを、
うれしそうにむしゃむしゃほおばっている。
遅れて出てきた娘よりも先に。
たしかに、
ダッチ・ドリームのアイスクリームは
溶けやすい。
それにしても。
無邪気きわまりないそのさまは、
「父親」の威厳などまるでなく、
単なる「わんぱく小僧」でしかなかった。
カレーライスでもほおばるような勢いで、
いかにもおいしそうに
口もとへアイスを運びつづける父親。
「おとうさん」も、横に並んだ牛乳缶に座った「娘」も。
何も言わず、うれしそうな顔で
アイスクリームをほおばっている。
気づくとダッチ・ドリームは、
そんなふうにアイスクリームをほおばる人たちで、
ぐるりと周りを囲まれていた。
大人も子どもも関係なく。
おしゃれな恋人どうしも、
くたびれたシャツを着たおじさんも関係なく。
みんな、にこにこと
アイスクリームをほおばっている。
そこにいる人たち全員が、
にこにことアイスクリームをほおばっていた。
ああ、なんてすてきなお店なんだろう。
ダッチ・ドリームという、
アイスクリームの魔法をかけられた
少年少女や大人たち。
「ミサイルもばくだんもわるいひとも、
みぃんなあまーい
アイスクリームになっちゃえ!」
・・・そんなことを言ってる人が、
いたかどうかは別にして。
みんな、子どもの顔で、
にこにことアイスクリームをほおばっている。
「ワッフルコーン・ウィズ・チョコチップ、
2スクープ・ストロベリー」
注文を終えて店の外に出たぼくも、
「子どもたち」の輪に加わって、
アイスクリームをほおばる。
青い、空の下で。
何を気にするわけでもなく、
ただただアイスクリームをほおばった。
もう、何年も前の話だけれど。
ダッチ・ドリームのお店の前には、
いまでも「子どもたち」が集まっているはずだ。
一瞬にして「おとな」を
「子ども」にしてしまう、
アイスクリームの魔法。
ダッチ・ドリームは、
永遠に融(と)けない夢の国だ。
< 今日の言葉 >
『ときどきグスタフ(クリムト)は、自分のことを、
人びとを幸せに導く正義の騎士だと思うらしい。
絵画によって、病気や嫉妬や狂気とたたかい、
こうした怪物どもをうち負かそうとするのだ。
詩や音楽によってたたかおうとする人もいるけどね』
(『クリムトと猫』より:
ベレニーチェ・カパッティ著、
オクタビア・モナコ絵/西村書店)
注)「栗本」じゃないよ、「クリムト」だよ!