2011/09/28

「色鉛筆とぼく」 〜展覧会が終わって〜





9月25日。


展覧会『色鉛筆とぼく』が終わった。




長いようで短いような、
それでいて濃厚な25日間が
あっという間に過ぎさった。






会場となったのは、愛知県あま市、
『music salon HALO』というお店だ。


このお店を知ったのは、
知人がそこで展覧会をやっていて、
展示を見に行ったことがきっかけだ。




お店の主人である男性。


通称アッキー。


展示を見に行ったその日に、
彼と話していてぼくの絵の展示が決まったのだ。


まだ『伯剌西爾コーヒー展』も終わっていないころ。
2カ月後の、HALOでの展示が決まった。




だからぼくは、夏休みのあいだ、
ほとんど遊びにも出かけず、
毎日、絵を描いた。




絵を描くのは好きだから、
毎日、絵を描くのはつらくない。


けど、泳ぎにいったり、
花火をしたり、虫取りに行ったり。
みんなみたいな夏休みをたのしみたいという気持ちもあった。




そんな誘惑にも顔を貸さずに。


いや、ときどき誘惑に負けて
ガリガリ君を食べてうろうろしたりしながら、
毎日たのしく絵を描きつづけた。






搬入日。




午後1時、HALOに到着。


雨という予報は微妙にはずれて、
天気は晴れ時々くもり。
搬入にはちょうどいい天候だった。




事前にいろいろと展示計画を練った部分もあったけれど。
HALOという「箱」を見たとき、
最終的にはそのとき、その場所で決めたほうがいいと感じていた。




その考えは、正しかったらしい。




当日、お店に入るなりすぐに思った。
事前に下見をしたときと、まったく店内の様子がちがっていると。


がらんとしていたはずスペースに、
大きな古びた机が、でんと置かれていたり。


棚があったはずの場所が広くあいて、
その代わりに壁がひとつ埋まっていたり。


新たな観音開きの棚がふえていたり、
カウンターの天板が、黒から木肌に変わっていたり、と。


本当に大きく、店内の雰囲気が
がらっと変わっていたのだ。




けれども、それが前よりもよくなっているのだから。
ぼくとしては、何も言うことがなかった。


ただただ、展示計画を「詰めて」こなくてよかったと。
そんなふうに思った。




絵を飾る場所を決めて、展示を進めていくうち、




「屋上に、いい壁がありますよ。
 よかったら使いますか?」




と、アッキーが提言してくれた。


屋上?


それも気になったので、
アッキーにつづいて店の外へ出る。


屋上。


それは、言葉のとおり、
屋根の上のことだった。


お店の屋根は、
ビルのように平面的な屋根で、
そのうえを「屋上」と呼んでいるらしい。




3尺脚立を建てて、
ジャッキー・チェンばりのアクションでよじのぼる。




「屋上」。


眼下に広がる風景は、
まるでヨーロッパの田園風景を思わせるほど、
静的で、青々としたうつくしい景色だった。


大通りから1本入ったお店の周りには、
田んぼが多く、起伏が少ない。


そのせいもあってか、
たった10メートルにも満たない「屋上」に上がっただけでも、
かなり遠くまで、開けた風景を見渡せた。


しばらくその風景に目を奪われながら、
肌に、風を感じていた。




空が高く、広かった。




屋上には、雨ざらしのデニム生地があった。
巾は150センチくらいで、
長さはゆうに20メートルはありそうだった。




「屋上に置いといて、どんな感じになるか。
 変色をたのしんでみたんですよ。
 わー、ヤバいな、これ。めっちゃいい色落ちしてるなぁ」




風雨にさらされ、
たたみジワがそのまま模様になったデニムを広げながら、
アッキーがうれしそうに言う。


不思議な模様を描いて色落ちしたデニムの生地は、
軒先から垂らして、そのままお店の「のれん」になった。




屋上からおろした、黒い「壁」。


屋上で平置きにされていたせいで、
ハトかカラスの足跡がついていた。


溶けたキャンドルの跡も、
丸くふたつ、こびりついている。


汚れやしみがついて、
雨ざらしで反りかえった黒い壁。


そんな「きたない」壁でも、
HALOでの展示には、「いい」と思った。




むしろその汚れを取りたくないと。
アッキーとぼくとの意見は、一致していた。








お店が始まるのは、午後7時。
遊んでばかりはいられない。




おしゃべりしつつも手を動かして、
なんとか6時ごろには設営を終えた。




アッキーとうどんを食べに出かけて、
お店に戻ると、駐車場に1台車が停まっていた。




「アッキーの知り合い?」




「いえ、たぶん、ちがうと思います」




車の中には、
室内灯を灯して本を読む白髪の男性と、
助手席に同じく白髪の女性、
後部座席にボーダーのシャツを着た
若い男性がひとり、座っていた。


話を聞くと、
展覧会のポストカードを見て、
遠路はるばるきてくれた人たちだと分かった。




ボーダーシャツの男性。


彼は、以前からぼくのことを知ってくれていたそうで、
前回も、前々回も展示を見に行くことができず、
ようやく今回にして見に来られたのだということだった。


白髪の男性と女性は彼のご両親で、
お母様から、彼(息子さん)も絵を描いていると聞いた。




うれしそうに、たのしそうに、
ぼくの絵を見て回る彼の姿に。


ぼくも、すごくうれしくなった。


分厚い、4冊の作品ファイルも、
お茶を飲みながら、じっくりと見てもらえた。





みんな、ひとつひとつじっくり絵を見て、
たのしそうにわいわい会話を弾ませてくれていた。



お茶を飲み終え、
お父さん、お母さん、そして彼が席を立つ。


あいさつに立ったぼくに、
彼、そしてお母さん、お父さんも、
いろいろ質問をしてくれた。




「どういうイメージで描くんですか?」


「同じ絵は2度と描かないんですか?」


「外国で暮らしてらっしゃったんですか?」




ぼくのこたえに、彼は目を輝かせて、
大きくうなずいてくれた。


本当に、まぶしいくらいにきらきらした瞳で、
ぼくのことを、ぼくの絵を、
まっすぐに見つめてくれた。




きらきらした彼の目に。


ぼくは、ものすごく尊いものを
もらった気がした。




懐かしいような、
それでいていつもそばにあるような。




うれしそうに絵のことを話す彼の目は、
本当にきれいに輝いていた。








そんなふうにして始まった『色鉛筆とぼく』。
会期中、いろんな人に会って、いろんな話をした。








こちらから声をかけてお話しさせてもらうことも多いけれど。
お店のカウンターに座っていると、
みんなの会話が漏れて聞こえてきたりして、
ときどき会話に参加させてもらったりもした。





なかよし3人組のお客さん。
そのなかの男性のひとりは、
いつも下ネタか、シモ(うんことかおしっこ)の話ばかりしていた。

うんこの味について話していて、
ぼくが聞きかじった情報で、


「うんこって、苦いんですよね?」

と、いうと、真面目な顔をさっとこちらに向けて、
低い声でこう言った。


「なんで知ってるんですかっ?
 ・・・・けどね、本当はすっぱいんです」


真顔の低い声でそう言われて、
妙な説得力を感じたのは、ぼくだけではなかったはずだ。

笑いながら、うんこうんこと話しつづける男性に、
ぼくは、笑顔で注釈を入れた。


「あ。けど、これからぼく、カレーを食べるんですけど」


すると彼は、悪びれるふうでもなく、

「あ、すみません。
 それじゃあ、横にぼくのうんこでも置きますか」 


と、満面の笑みを返す。

本当に、おもしろい人だ。



のちに彼が介護士だと知り、
さらに深い、シモの話を聞くことになったのだけれど。
これはまた、別の機会にどこかで話すことにします。



その彼の友人である男性。

彼は「30歳をこえても童貞」ということで、
みんなから「魔法が使える」ともてはやされていた。

ゲームやパソコンに詳しい「魔法使い」の彼は、
「いじられ役」のようで、
何かと話題の中心に祭り上げられていた。



彼らのやり取りはテンポがよく、
まるで音楽のように軽妙だった。


「おまえって最低だな。
 童貞でMでロリコンでスカトロって」

「おれ、Mじゃねーし!」

「ロリコンとスカトロは否定しんのか、おまえ」


こんな感じで。

次々におもしろそうな種を見つけては、
ゆかいな話に花を咲かせているのだ。




2歳からピアノをつづけている女性。
もう、20年以上ピアノを弾き続けているそうだ。

彼女はいろいろな「山」をこえて、
いまの自分があると言っていた。

歌うのも好きだと言っていた。

いつかその美声と、
ピアノの演奏が聴けたらいいなと思う。




保育士の女性は、
毎日、こどもを相手に、
全力で「あそんで」いると言っていた。

毎日、1日1日が全力勝負。

相手がこどもだからこそ、
「こどもだまし」が通用しない世界だ。




マッサージの勉強するために、
バリに行くという女性もいたし、
何百万円とかの単位の生花で造作をしている男性もいた。




ガラス作家の女性。

彼女のつくるガラスは、水みたいに透明で、
形も、透明度も、ガラスが落とす陰影も、
すごくきれいだった。


ぼくもひとつ、
ショットグラスが欲しいと思ったので、
彼女にそのことを伝えた。




納品のついでに、後日お店にやってきたとき。
ショットグラスをぼくにくれた。


買おうと思っていたのだけれど。




「いろいろ勉強させてもらったから」




そういってショットグラスをぼくにくれた。




「がんがんに手あかつけて使ってね」




ぼくは、そのグラスを使うのを、
最終日までのおたのしみにした。






知り合ったばかりの、ギャラリーの女性。
絵を描いているお友だちといっしょに、
遠路はるばる見にきてくれた。


ぼくは、絵を描いている女性のほうから誘って、
見にきてくれたと思っていたのだけれど。
実際は逆で、ギャラリーの女性が
彼女を誘って見にきてくれたようだ。


それが、すごくうれしかった。




ドラムを叩く友人は、
ぼくの絵を「たぶん世界一好きだと思う」と
言ってくれている。


彼がよろこぶ姿を見ると、
ぼくもうれしい。




絵を描く人が「くやしいって思った」と言っていたこと。
その言葉は、ぼくにとってはうれしくもあることだし、
ぼくも同じように、その人たちから刺激をもらっている。




絵は、鏡だと思う。




その絵をきれいだと思うのは、
その人のなかにきれいだと感じる心があるからだ。








音楽をつくっている人。


楽器を演奏をしている人。


絵を描く人。


髪を切る人。


人に何かを教えている人。


何かをつくっている人。




HALOには、いろんな人が集まってくる。




ある日、お店に行くと、
扉を開けた瞬間、店内の異様な雰囲気に息をのんだ。


うすぐらい室内に、ろうそくの明かり。


ほのぐらい闇に浮かんで見えたのは、
背筋をピンと伸ばして、あぐらをかいて座る人たちの姿だった。


まるで大仏さまのようなしぐさで、
禅を組んで座る人びとの姿に。


ぼくは、何か変な場所に
まぎれこんでしまったかのような錯覚を覚えた。




本当に、何かの変な集まりかと一瞬見まがった。




聞くと、その日はヨガをやっていたらしく、
急きょぼくもそのヨガに参加した。


ピチピチのベルボトムは、ヨガには不向きだったけれど。
生まれて初めてやったヨガは、何だかおもしろかった。




ヨガを教えてくれた女性が、
小、中学校と同じ学校の出身だと分かって、またびっくり。
立派な「後輩」がいるものです。






メガネ専門店の店長夫婦。


そしてそのお店のスタッフの方。


友人とその幼なじみ。


ドラマーと写真家の夫婦。


前回お世話になったお店の人もきてくれた。


毎回きてくれている、「皆勤賞」の人もいる。


今回も、恩人夫婦が見にきてくれた。
妊娠中の奥さんは、予定日を10日ほど先に控えているというのに。
旦那さんとともに、わざわざ展覧会を見にきてくれたのだ。


卒業した生徒たちや、
仲よくしてもらっている現役の生徒たちもきてくれて、
お店をわいわいにぎわしてくれたりもした。




あるとき、《光の魔法》という絵を前にして、
お客さんがぼくに質問した。




「何か、描くときにイメージとかあったんですか?」




「そうですね。ここらへん(背景の光輪を指しつつ)は、
 プリキュアの変身シーンとかの、影響を受けてるのかもしれません」




「プリキュア・・・。へぇ、プリキュア・・・」




と、神妙な面持ちで《光の魔法》を見つめるお客さん。




たしかに、映画を観て、
変身シーンの光と色には感動した。


たしかに嘘ではないのだけれど。
この期におよんで言うことではなかったのかもしれない。




そのときは、親しい友人がきていて、
うれしくてちょっと気持ちがはしゃいでしまって。


「ばか」に拍車がかかってしまったのかもしれない。






展覧会が始まって。


HALOに通ったおかげで、
アッキーのつくる料理やコーヒー、紅茶などを
たくさん味わうことができた。




HALOのコーヒーは、
すごくうまい。




若くして悟りを開いたような雰囲気を持つアッキー。
彼が淹(い)れるコーヒーは、
茶器に注がれた「茶」のような赴きがある。




料理も、メニューには載っていないものを
いろいろ作ってくれて、毎回うまい料理にもてなされた。




そんなアッキーと、
夜遅くまで、というより、
明け方まで話した日もあった。




彼との会話はおもしろく、
時間も場所も忘れて、女子高生のようにしゃべりまくった。


音楽に合わせて踊ったり、
写真を撮ったり、絵を描いたり。




とにかく、すごくたのしかった。




似ているところも多くて、共通点もたくさんあって、
それでいてちがうところもたくさんあるから、
刺激的で、発見や共感がいっぱいあった。






展覧会のときに、いつも置いている赤いスケッチブック。
ぼくはそれを《お名前書いて帳》と呼んでいるのだけれど。
今回、お名前書いて帳が、最後のページまでびっしり埋まった。




みんなの書いてくれた絵や言葉。


どれもうれしくて、
ありがたいものばかりだ。






そのなかで、アッキーが書いてくれた言葉。
その最後は、こう締めくくられていた。




『家原さんのえがいた絵が100年後も
 元気に笑っていることを思い浮かべながら
 今絵を見つめています』




すごく、うれしかった。


決して上手とは言えない文字で書かれた、
飾らないその言葉が、心にしみた。








最終日。






お客さんも帰って、
アッキーと友人2人が残ったお店のなかで。


25日間の展示を終えた絵を箱にしまい、
L字フックやキャプションなどをはずしていく。


友人の2人も、
ごく自然な感じで手伝ってくれた。




おかげで何とか搬出も終わり、
細かなものの片づけも終わった。






店の奥に座ったアッキーは、
名残惜しそうに作品集をめくっていた。


そして最後に、
1杯のコーヒーを淹れてくれた。




男ばかり4人で、
淹れたての熱いコーヒーを静かにすすった。




うまかった。


最高の、1杯だった。






そして。




「じゃあ、そろそろ帰るわ」




見送られるのが苦手なぼくは、
男3人に見送られて、店の戸口に立った。




アッキーと彼らと、握手を交わす。




車に乗り込んでもまだ見送る3人に、
手をふりながら、車を走らせた。




またお店にくればいつでも会えるのに。
何だか分からないけど、さよならみたいな雰囲気で、
オレンジ色の街灯が少し、にじんで見えた。






『色鉛筆とぼく』。


25日間の展覧会が終わった。






家に帰ると、
包装紙からグラスを取り出した。




水みたいに透明なグラスにお酒を注いで、
透明なグラスと液体をしばらく眺めた。




たくさんの人、たくさんの声、
たくさんの顔、たくさんの断片。




お酒を飲みながら、
赤いスケッチブックを取り出して、
みんなの書いてくれた言葉を読み返す。







『家原さんのえがいた絵が100年後も
 元気に笑っていることを思い浮かべながら
 今絵を見つめています』




読みながら、ひとつ気がついた。


展示のために使ったライト。


それをひとつ、忘れてきたと。






ひとりおセンチになってたぼくだけど。


これでまたすぐ、HALOに行く口実ができたのでした。







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きてくれてお話しできた人。

きてくれたのに会えなかった人。

きてくれたけど名前を残していけなかった人。

わざわざ遠くから足を運んで見にきてくれた人。


みなさまにお礼を言いたいです。




本当にどうもありがとうございました。



これからもどうぞよろしくおねがいいたします♡




コーヒー豆の花言葉 家原利明


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《今日の言葉》

「朝日がきれいに見えるか?
 そんなもん、1日だけ見てもいかんわ。
 ワシなんて3年間、毎日見とる。
 ・・・・・夕日は見んけど」

 (HALOでの展示期間中、朝方に帰る日があった。そのとき、
  きれいな朝日の写真を撮っていたら、散歩中のおじさんに言われた言葉)

1 件のコメント:

a2min さんのコメント...

家原さーん!会いたいです\(^o^)/
By 八丈島(笑)