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2025/11/15

最後のプレゼント






甥っ子が、

フェレットを飼いはじめた。


「 母さん、

 フェレットってわかる?」


「なにそれ。知らん」


「そういう名前の動物。

 何かわかる?」


「サルのちっさいやつ?」


「それはサルでしょ。フェレット」


「鳥かなんか?」


「ちがう」


「あれか、ほら、

 ピーナツとか食べる子・・・

 ええと・・・・・・リスか」


「あ、近い。

 ちょっと似てるかも。

 けど、もっと長い」


「なにぃ、長いって。

 変なやつかね。

 にょろにょろっとしたヘビとか」


「ちがう。

 フェレットっていう、

 そういう動物なんだよ。

 犬とかより小さくて、

 かわいくて、尻尾が長くて。

 イタチにちょっと似てる。

 イタチってわかるよね?

 着物着たとき首に巻く毛皮みたいな」


「モグラか」


「ちがうって。フェレットだって」


「サルに似た人?」


ついには「人」になってしまい。


「フェレットっていう、

 そういう名前の動物なんだよ」


「サルの小さいやつじゃないの?」


母が、なぜそこまで

「サルの小さいやつ」に

固執しているのか、

それはわからないが。


とにかく、

重ねて挟みこまれた

「サルの小さいやつ」

という言葉の持つ音感と

破壊力は抜群で、

その都度、

腹を抱えて笑わせてもらった。


「こないだ新聞に、

 かわいいバンビちゃんの

 写真があったで。

 切り取って額に入れて

 飾ったんだわ」


母は、鹿のことを——

特に子鹿のことを

「バンビちゃん」と呼ぶ。


そんなお洒落で欧米風の母だが。

もしかして、

イタリア人なのかもしれない。


ずいぶん昔の話だが。


「買い物行くけど、

 なんか欲しいものある?」


母に聞かれたぼくは、


「『荒挽きスナック』買ってきて」


と、リクエストした。 


帰ってきた母が、

テーブルの上に物を広げているのを見て、

さっそくぼくがそれを探した。


「あれ、母さん。

 『荒挽きスナック』は?」


「なにそれ?」


「頼んだお菓子」


「これじゃないの?」


「全然違う」


母が差し出したのは、

『アラ・ポテト』だった。


「たしか『あら』なんとか

 だって思って。

 あら、あら、あら・・・

 なんだったかなって。

 『あら』は合っとったけど。

 これじゃなかった?」


ふと、

そんな懐かしい一幕を思い出す。

もう30年以上前の話だ。



* *



母さんは変わらない。

よくも悪くも、変わらない。

何年、何十年と、変わらない。


コンロを使う時には

換気扇を回そうね、と言っても。

玄関の靴を揃えようね、と言っても。

返ってくるのは、

同じ「答え」ばかりだ。


母さんから学ぶこと。


人は、変えられないということ。

自分が変わるべきだということ。


何度言っても変わらない、

変えようとしない母に、

父はよく癇癪を起こしていた。


まるで子どもの喧嘩みたいに。


変わらない、変えようとしない、

一見、頑固にも見える

融通に利かない部分ばかりに

目を向けると、

父のような感情になりかねない。


母さんは、できない。

母さんには、できない。


それを「理解」した上で向き合い、

こちらの側が身の振り方を変えて、

受け止めたり、かわしたりして

対処するしかない。


悪い部分じゃなくて。

いい部分を見ること。


体のあちこちが痛いと言いながらも、

毎日、家事をしている年老いた母さん。


焦げた野菜炒めも、

開けっ放しの玄関も、

しまい忘れたゴミ箱も。


みんな、母さんの頑張った証だ。


忘れないようにメモをして、

たくさん壁に貼り付けられた

貼り紙たち。

忘れてしまうけど、忘れないよう、

懸命に努力している。

たとえそれができていなくても。

やろうとして、努力している。


そう思うと、泣けてくる。


頑張ってるなと。

ありがたく思う。


悪い部分じゃなくて、

いい部分を見よう。


年老いた母さんと向き合いながら、

それを実践することで、

たくさんのことを教えられる。


毎日毎日、くり返し反復。

頭や理屈ではなく、

心と体に染み込ませる。


思いどおりにいくことなんて、ない。

他人のことは、コントロールできない。

すべて思うまま、

思いのままに動かすことなど、

空想まみれの暴挙に等しい。


願望。

〜してほしい。


落胆。

〜してくれない。


そういう力みが邪魔をする。

心をねじり、物事を曲げる。


どうでもいい。

なるようになる。

ならないものはならない。


あきらめでも、

無視でも、鈍麻でもない。

感じた上で、受け流す。


よけいな心配や、準備はしない。

そのとき、どうするか。


ただ、それだけ。


再三再四、

同じことをくり返している母さんと同じく。

自分もまた、同じ言葉をくりかえす。


「ま、いいか」


そういうことかと、母さんに学ぶ。


おかげで少しは、

懐が深くなっただろうか。

小さな器も、

少しは広くなっただろうか。


短気な父は、いつも怒っていた。


短気は損気。

怒っている人の周りには、

びりびりとした

見えない電気みたいなものが漂い、

人を委縮させたり、

相手を怒りに染め上げたりする。


父と母から学んだこと。


忘れないよう、何度もくり返す。

奥の奥まで染み込んで、

洗い流しても取れないくらいに、

何度も何度もくり返す。


意固地にも見える母さんの態度に、

落胆したり、悲観したり。

ちょっと怒りを覚えることもあるが、

口には出さない。

出したとしても、

やわらかな声で、感情には訴えない。

すぐ笑顔に戻る。

その日のことをは、その日限り。

寝て起きたら、みんな流して、

笑顔で「おはよう」と挨拶する。

失敗しても笑って、

正論で正したりはしない。


怒りや悲しみは、

それを超えてやってくる。

けれどもその都度立ち止まり、

なるべく最初に立ち返る。


母さんは、無邪気で呑気で、

ゆたかでおもしろいい、

心根のいい人なのだと。


母さんは、ぼくの母さんなのだと。



* * *



そんな母さんのおかげだろうか。

最近毎日、成長している実感がある。


父の「やり残し」のおかげか、

日々、学ぶべきことがある。


自分が変わること。

成長。


かっこつけでもきれいごとでもなく。


ぼくは、母さんを使って、

成長したい。

母さんという教材から学び、

失敗しながら、大きくなりたい。


固く乾いたものは、やがて折れる。

柔らかく、しなやかに、たわみながら、

かわし、受け止め、成長したい。


相手が母さんだからできる学習。


ありがとう


かつての自分では

感じられなかったこと。

見えなかった景色、情感、思い。


ありがとう


老いていく母さんの姿に、

ぼくは学ぶ。


同じことを

何度もくり返すことはできても、

同じ日を、やり直すことはできない。


だからこそ、

目の前の時間を大切にしたい。


平凡すぎて

あくびが出そうな「ドラマ」を

見逃さないように。

なるべく笑って、

楽しんでいきたい。



「9対0。

 もう負けだわ」


古めかしいラジオに耳を傾けて、

嘆き、顔をくもらせる母さんに、

微笑み返す。


「ねぇ、母さん。

 これ聴いてみて」


と、これまた時代遅れの、

使い込みすぎて

角が丸くなってきたのでは、

というほどの、

お気に入りのiPod classicの、

しかも有線イヤフォンを

母さんに差し出す。


「これ、耳に入れるの?」


うなずくぼくに、母さんが、

こわごわと耳にイヤフォンを入れる。


「なにこれ!

 きゃんきゃんうるさい。

 なに言っとるのかわからん」


母さんに聴かせた曲は、

セックス・ピストルズの

『God Save The Queen』だ。


「お母さん、こういう、

 耳に入れるやつ、嫌いなんだわ」


眉をひそめて

イヤフォンを突き返す母さんに、

重ねてぼくが言った。


「じゃあ、これは?」


流したのは、

石川さゆりさんの

『天城越え』だった。


つい今しがた、

「嫌い」だと言ったばかりの

はずなのに。

一人、気持ちよさそうに

目を細めながら、

母さんは、

石川さゆりさんとともに

『天城越え」を熱唱している。


「母さん昔、カラオケで歌ったよね」


家族で温泉旅行へ行った時——

ぼくが高校生くらいだったか。

父と、母と、姉とぼくと、

初めて家族で

カラオケに行った時のことだ。


「じゃあ、これは?」


続いて『津軽海峡冬景色』を流すと、

またも母さんは、

気持ちよさそうに歌いはじめた。


ぼくの耳に、曲は聞こえない。

聞こえているのは、

母さんの唄声だけだ。


なんだかおもしろい

おもちゃみたいに。

歌う母さんの唄声を、

ぼくは笑って聞いていた。


日本舞踊やら三味線やらを

かじっていたせいか。

母さんは、歌がうまい。


そして母さんは、

全然イヤフォンを

返そうとしなかった。


「何、これ、ラジオ?」


「違う。こういう、音楽を聴く器械」


母さんが、

いかにもうらやましげに、

ぼくのiPod classicを

まじまじと見つめる。


「この中に、何千、

 何万曲とか入るんだよ」


「ふうん」


「欲しい?」


と、聞いてみたものの。

母さんには使いこなせそうもない。

実際、昔買ってあげたラジカセも、

うまく馴染まないままほこりにまみれ、

ついには動かなくなってしまった。


母さんはもう何台も、

手持ちの小型ラジオを買い直し、

その都度それを愛用している。

おそらく十数台は買ってきただろう。


イヤフォンを返してもらった後、

お風呂の準備をしている母さんが、

『津軽海峡冬景色』を

歌う声が聞こえてきた。


父の一周忌を

明日に控えた9月12日。

梅雨のように蒸し暑い、

雨降りの夜。


ドラマにもならない、

退屈極まりない日常の「ドラマ」に、

ぼくは、胸の奥がほわんと温かくなり、

目の奥が、じわっと熱くなった。



「あっついね。

 今日、外、70度くらいあるらしいよ」


そんな、

めちゃくちゃなことを言う母さんを、

笑ってあげられる一人として。


忘れっぽさに磨きがかかり、

何を言っても右から左で、

失敗ばかりで、

同じ話を毎日くり返して、

同じことばかり尋ねる母さんと、

ぼくは、なるべく笑って向き合いたい。


だってそれが、

ぼくの「母さん」なのだから。


・・・この1年、

そう思って母さんと接してきて。

少しはそれが、楽しめるようになった。


フェレットみたいには可愛くないけど。

フェレットみたいに無邪気で奔放で、

ちっとも言うこと聞かない母さんを、

律したり、制御したり、

思い通りに操ることはできない。


フェレットを飼いはじめた

甥っ子たちに、ぼくは学んだ。


「ぼくたち」に合わせるのではなく。

「母さん」の「行動」を理解すること。


ああ、母さんは、こうなんだなと。


できないことを数え上げるより、

できることを愛でていきたい。


「お母さん、

 食いしん坊なのかな。

 いくら暑くても

 食欲がなくなることもないし、

 毎日ごはんが

 おいしくてしょうがない」


晩ごはんを前にした母さんは

毎日、決まってそう言う。

食前のお祈りみたいに、

もう100回くらいは

聞いたように思う。


「いただきまーす」


ごはんを食べながら、

鼻唄を歌う母さんの姿は、

子どものような、少女のような、

とてもきれいで

透き通った顔をしていて。

ぼくは一人、

悲しくもないのに、

泣きそうになった。


人は、こうやって老いていくのだなと。


母さんを見ながら、日々思う。


老いることは、悲しみじゃない。


年を取るということは、

ゆっくりと子どもに戻りながら、

透明になっていくみたいで、

なんだかとても清らかな気がする。


母さんを元気にしたくて。

母さんを笑顔にしたくて。


1年間、

まっすぐ母さんと

向き合ってきたご褒美。


気づくと自分が、笑顔だった。



ありがとう



ぼくは、この景色を忘れない。


って。


いつも同じことなかり

言っているのは、

ぼくも同じかもしれない。



子どものころ、

あんなに大切にしていた

はずなのに。

大きくなると、

大切にしなくなる。


嘘をつかないこと。


約束を守ること。


ありがとう、ごめんなさいを

きちんと言うこと。


わからないことは、

わからないと言うこと。


けんかをしたら、仲直りすること。


おじいちゃん、おばあちゃん、

お父さん、お母さんを

大切にすること。


大切なものを、大切にすること。


大人になると、

何やらそれが「むずかしく」なる。


母を愛してくれる人が言った。


「こんなに邪(じゃ)のない人は、

 見たことがない」


すごく嬉しかった。


自分もそう思う。

ときどき嘘をついたり、

ごまかしたりはするけれど。

邪(よこしま)なものは、

感じられない。


純粋で、素直で、

損得勘定なく動く母を、

いい人だな、と思う。


自分の親だから、だけではなく。

血のつながりのない人から

そう言ってもらえてことは、

本当に嬉しくて、ありがたいことだ。


そこにいるだけで、

みんなが笑顔になる。

犬とか猫とか、

赤ちゃんみたいな存在。


なるほど。

だから「邪」がないのか。


9月13日。

父の命日である昼下がり、

買い物帰りの母さんが、

その人に向かって言った。


「恥(はじ)かいちゃった。

 お金がないのに買い物しちゃって。

 恥ずかしいわぁ、もう」


屈託のない顔で、母さんが笑う。

帽子をかぶった母さんの姿は、

小学生の子どものようだ。


「あそこ(駅前のスーパー)に行くと、

 いろんなものがたくさんあるもんで、

 ついつい買いたくなるんだわ」


「わかります、私もそうです」


とてもいい時間が、ゆるやかに流れた。


冷蔵庫も食料庫も、

物でいっぱいなのだが。

ついつい買い込んでしまう母さんに、

声なく笑みをこぼす。


父さんとの約束——

母さんのことを、よろしく頼む、と。

父さんと話した、

最後の電話で託されたこと。


この1年間、

はたしてそれが、できているのか。

よくわからないが、

ぼくは、母さんの笑顔を大切にしてきた。


怒ったり、叱ったりするのではなく。

「答え」が「笑顔」に

なるような算数をする。


これは、母さんがくれた、

いや、父さんと母さんがくれた、

最後の「教材」かもしれない、と。


そう思って、

今日まで向き合ってきた。


俺みたいになるなよと。

私みたいにならないでねと。


両親からの、

最後のプレゼントなのかもしれないと。



立派な人にも孝行息子にも

なれないぼくだけれど。

目の前の人を、

笑顔にすることだけは、

できるようになってきた。


ありがとう


1年という節目。

目の前に広がるこの景色は、

すこぶる平凡で、平和で、

ひどく退屈かもしれないけれど。

とてもきれいで美しく、

本当に尊い。


1年。


この1年は、

人生の中でも、

いちばん大切な1年になった。


気づいてよかったな、と

何度も思う。


何が大切で、

自分が何をするべきなのかを。


ほかの誰かではなく、

自分しかできないことに

気づけてよかった。


少しばかりは成長できた姿を、

天国(または地獄)の父は、

見ていてくれてるだろうか。


ややこしくて、大変で、

投げ出したくなるような、

大きくて重たい

すてきなプレゼントをありがとう。


ぼくは、

このプレゼントを、

いつまでもずっと

大切にしていきたい。



< 今日の言葉 >


『いま息子よ、

 おまえにはわかっただろう。

 そうしたものは所詮、

 束の間の戯れだ。

 いま月の下にある、あらゆる黄金も

 昔あった黄金も、

 この疲れはてた亡者のただ一人にも

 安らぎを与えることはできない』


(『神曲』ダンテ・アリギェーリ:地獄篇・第七歌)


2025/10/15

ほんのちょっとの差

80歳の母が作ったハンバーグ




 8月。

世間でいうところのお盆休みに、

母と二人、机を挟んで、

夕食を食べた。


「最近、昔のことをよく思い出す」


と、母が語りはじめた。


「あんたが

 2階から落ちたこととか、

 急に思い出した。

 2歳だったかね、あんた。

 子供が落ちてきましたよ!って、

 1階の事務所から声が聞こえてきて。

 おるはずの場所に、

 あんたがおらんもんで。

 あわてて下に降りてったら、

 あんた、口から血ぃ出しとって。

 もうだめかと思ったけど、

 急いで病院連れてって、

 なんともなかったからよかったわぁ。

 まあ、あんときはびっくりしたわ」


地面にまあるく、

そこだけクローバーが咲いていた場所。

ちょうど座布団くらいの大きさで、

ふかふかと緑色の絨毯が

生い茂った箇所。


2歳のぼくは、そこに落ちた。


結合部分が突き出た、

鉄製のフェンスの上でもなく。

鋭い枝を空に伸ばす、

枯れかかった灌木の上でもなく。

硬いコンクリートの

地面の上でもなく。


ちょうどそこだけ生い茂った、

クローバーの上に、

ぼくは、

2階ベランダの手すりの上から、

真っ逆さまに転落した。


よほど頭が軽い幼児だったのか。

それとも、体がやたらと

軟らかかったのか。

打ち所も悪くはなかったようで、

口からの流血以外、

何の別状もなかったそうだ。


もし、記憶に間違いがなければ、

うっすらとかすかに覚えている。


こんもりと、

まあるく生い茂った、

黄緑色のクローバー。


ふかふかとした感触は、

視覚的な記憶かもしれない。


それが、

どんどん大きくなって、

みるみる間近に迫り、

視界いっぱいまで広がって……。


そんな「記憶」が、

おぼろげにある。


死ななくてよかったと。


自分で思うよりも、

それを話した相手に言われて、

たしかに、と思う。


客観的に考えてみて初めて、

自分が生きてきた機運に驚き、

そして、感謝する。


目には見えない、何ものかに。

ありがとう、と言わずにはいられない。



* *



乗るはずの電車が横転して、

たくさんの負傷者が出たこと。


ちょっとの差で、

すぐ前を走るタクシーが、

凍結した橋から

川に転落したこと。


前を行く四輪駆動車が急停車して、

ぼくの車のすぐ前の、

ワンボックス車が追突した。

運転手は足を挟まれ、

車からが出られなくなった。


あの日、

玄関先で急に、

氷の入ったウーロン茶が

飲みたくなった。

もし、それに従わず、

すんなり家を出てきていたら。


あの夜、

履くのに面倒な革靴を選んで、

紐を結ぶのに手間取らなかったら。


電車の切符を、

どこへしまったか忘れなかったら・・・。


もしかすると、今、

ここに、いないのかもしれない。


かくいう母も、

また同じく。


(以前どこかで書いたかもしれないが)


終戦の年、

生まれたばかりの母は、

避難先の防空壕で窒息しかけた。

祖父(母の父)に逆さ吊りにされ、

ゆさぶり、ひっぱたかれなかったら、

今、こうして

生きていなかったかもしれない。


そうなれば、

ぼくもここには

いないということだ。



転んだり、ぶつかったり、転落したり。

けがをしたことは数え切れないけれど。

数々の事故で、

けがをしたことは、一度もない。


死にそうになったことは

何度かあっても、

死なずにこうして生きている。


お盆。


この時季、

こんなことを思うのは、

死者たちからの

贈り物なのかもしれない。


感謝の気持ちを忘れないよう、

黄泉の国から届けられた、お中元。


天地無用のクール便。

こわれもの注意の宅急便。


賞味期限はあくまで目安ですので、

忘れないよう、お早めにお召し上がりください。


なお、

これを書いたときがお盆であっても、

これを読む時季がお盆であると限らないことは

あらかじめ暑中お見舞い申し上げます♡


・・・これも、

亡きき者が憑依して為す、

ダイニングからのメッセージ。


と、

くだらない思いつきを、

ご先祖さまのせいにしてしまう、

ばち当たりなぼくは、

今は亡き父と2人、

大阪から名古屋まで

車で運んだ仏壇に向かって、

手を合わせ、

ちりん、と、おりんを

鳴らすのでありました。



* * *



父を亡くして初めて迎えるお盆は、

いわゆる「初盆」というものではあるが。


例年とさして変わらない、

それどころか、

昨日とすら変わり映えしない、

ただの「日常」だった。


母がいて、ぼくがいる。


テーブルには、母が作った、

通算何百か、

何千個目かもわからぬハンバーグ。


そんな「日常」に、

ふと、涙がこぼれそうになる。


あゝ、けふまでのこの一年、

いろいろなことが、あつたな、と。


近ごろの母は、

とても元気で明るくて、

楽しそうに笑っている。


間違いや失敗ばかりくり返す母に、

あろときぼくは、こう伝えた。


「母さん、大丈夫だよ。

 忘れちゃっても、

 同じことを何回くり返しても、

 気にしなくていいよ、

 そのたびに何回でも言うからね」


嬉しそうに笑う母が、答えた。


「本当、ありがとね。

 母さん、ばかだもんで、

 何回言われても

 すぐに忘れちゃうんだわ。

 頑固っていうか、融通が利かんのか。

 だけど、怒らんといてね。

 母さん、一生懸命頑張るから」


母の口から、はっきりと、

「怒らないで」という

言葉を聞いたのは、

初めてのことだった。


誰だって、怒られたくはない。

そんなことは、

聞かずとも承知のことのはずなのに。


80歳になった母の口から聞いた、

その言葉は、

なぜだか妙にしおらしく、

健気でいたわしく、

胸のまんなかに突き刺さった。


最近ぼくは、

母に「注意すること」をやめた。

笑いながら話し、

ありがとう、と

たくさん言おうと心に決めた。


その甲斐があったのか。


母がかもす雰囲気は、

いつでも明るく、軽やかで、

やわらかな笑顔をたたえている。


冗談みたいな、

いたずらみたいな、

不運なことや、

不測の事態がいろいろあって。


偶然みたいな、運命のような、

感動的な場面が、

たくさん舞い起こって。


絶望的な顔で、

毎日、沈み込んでいた母。

原因もわからず、理由も不明で、

周囲の人が、

老いや痴呆だと言う中、

一人、首をかしげ続けて。


観察と試行錯誤で、

出口があるのかもわからない、

長くて暗いトンネルを

なんとか手探りでくぐり抜けた。


この1年間、

切れそうなほど細くて、

頼りなくてもたしかな糸が、

今日というこの日まで

ぼくを運んでくれた。


そんなぼくを

支えてくれた人たちがいる。


一人じゃきっと、無理だった。


あきらめなくて、よかった。

くじけなくて、よかった。

今、この景色を目の当たりにして、

あらためて実感する。



何の変化もない、

母と食べる、ただの夕食。


急須に注ぐやかんのお湯が、

たとえ水でも。

冷たい、水出し緑茶の味を、

楽しめばいい。


焦げたピーマンの味も、

笑顔のなかった日々と比べれば、

ほろ苦さすら感じない。


何もない、という「しあわせ」。

困難がある、という「よろこび」。


それは、

通り抜けたからこそ

わかる景色で。


焦燥にまみれた

すきまだらけの心では、

けっして見えない、

透き通った景色だ。



* * * *



偶然の軌跡と、

奇跡の偶然の連続。


もし、あのとき、

「選択」を間違えていたら・・・。


「ここ」に、

自分は立っていない。

「今」「この景色」の中に、

ぼくはいない。


先日、甥っ子と話をしていて。


「去年の今ごろ、

 こうやってここで話してること、

 想像できた?」


なんてことを言ってみたり。


フランスに行く予定だった彼が、

進路を変えて、

欧州車を販売しながら、

1970年代のフィアットに

乗っていることも。






自分の未来すら、

予見できないのだから。

他人のことなど、

想像できようがない。


いろいろな線が交わったり、

並走したり、離れていったり、

近づいたり。


二本の糸が

撚り合わさることもあれば、

複数の糸がもつれて、

絡まることもある。


切れたり、結んだり、ほどいたり。


切ったり、

引っぱったりするのではなく、

じっと見つめて、

目でたどることも。

「ほどく」という、

ひとつの方法なのだと。


今ごろになって、

ようやくわかった。


いつ死んでも構わない。

明日死んでも悔いはない。

ずっとそうして生きてきた。


けれど今は、

生きたいと思う。


死にたくないんじゃなくて、

生きていたいと、心から思う。


この、

偶然の奇跡につながる線を、

もっとたくさん見たいから。

もっともっと、

見ていたいから。


奇跡の軌跡。


・・・なんてことを、

言ってみたり。


直感的思考は、母譲りなのか。


老いた母が、

ときどき巫女か、

シャーマンに見える。


「心にやましいこととか、

 後ろめたいことがあると、

 やっぱりだめだね」


いきなりそんな言葉を吐いた母。


よくないことも、

至らぬことも、

たくさんしてきた。


今さら聖人に

なれるとも思わないけれど。

過去の自分を恥ずかしく思い、

反省する。


過去の自分は、

すすけて黒く汚れているけれど。

今現在の自分には、

後ろ暗さも、嘘もごまかしも、

何ひとつない。


母の言葉に、

背筋を伸ばしたぼくは、

どうしてそんなことを思ったのかと、

聞いてみた。


「別に。ただ、

 今朝起きたとき、ふと、

 なんとなくそう思った」


もしかして母は、

預言者なのかもしれない。


ぼくが今、

ちょうど同じようなことを、

思っているのを見越して、

ぼくの思考を

なぞってみせたのかもしれないと。


ほんのちょっとの瞬間だけど、

真剣にそう思い、

少しのあいだ、空想していた。


母に何かが憑依して、

そんな言葉を、語らせたのだと。


母の目は、丸く大きく、

小さい頃の写真を見ると、

顔が小さかった分だけ、

今よりさらにお目目が大きく見える。


「母さん昔、みんなに、

 びっくり恵美子って呼ばれとった」


うちのシャーマン恵美子は、

驚いてもいないのに、

「びっくり恵美子」と呼ばれていた。


その古風なネーミングセンスに、


「びっくり恵美子て」


と、一人でつっこみ、

何度も笑いがこみあげる。


「冬瓜(とうがん)を見ると、

 おばあさんのことを想い出す。

 夏に、よく冷えた冬瓜の煮物を

 作って食べさせてくれた」


びっくり恵美子が、

何度か聞いた昔話を、

リピート放送でまた聞かせてくれる。


「冬瓜って、夏が旬なのに、

 なんで「『冬』って書くんだろう」


「なんでだろうね」


ぼくの問いを受け、

びっくり恵美子が、

冷蔵庫から冬瓜を取り出す。


「本当、冬の瓜だね。

 四分の一で、98円。

 愛知県産って書いてある。

 夏はスイカとかの、

 瓜しか育たんのかな、やっぱり」


謎の「やっぱり」を披露する

びっくり恵美子が、

質問とはまるで関係のない、

思考の迷路にはまり込む。


「スイカって、

 西の瓜って書くよね。

 それでよくスイカって

 読ませたもんだよね」


と言うぼくに、

やっぱり恵美子が、

びっくり恵美子に戻って、

唐突に切り返す。


「昔、キナウリっていうのを、

 よく食べた」


「キナウリ?」


「そう。

 黄色い瓜って書く、果物」


「果物?」


「これくらいの大きさで、

 ちょっと長細くて、

 メロンよりは安くて質が落ちる、

 甘い果物」


キナウリが聞いたら

さぞかし気を悪くするであろう言い回しで、

びっくり恵美子の手が、

20センチほどの楕円をつくる。


「キナウリか・・・。

 聞いたことないなぁ。

 今もあるの、それ?」


「知らんけど、あると思うよ」


びっくり恵美子の情報をもとに

調べてみると、

キナウリなる物が、

別名「マクワウリ」という、

メロンの仲間だとわかった。


画像を見て、小さいころ、

母が切って出してくれたことを

思い出した。

季節の記憶はなかったが。

なるほど、たしかに、

思い出すのは夏休みのような、

お盆のような風景だ。


びっくり恵美子と瓜。


ちなみに

父方の祖母の旧姓は、

瓜が生えると書いて

「瓜生(うりゅう)」です。



お盆。


ご先祖さまの、気配がしますね。


そう。

そして今は、おそらく10月。


びっくり恵美子が、

びっくりしないで、

おだやかに過ごしてくれていることを

祈りながら。


過去に書いた、

未来の記述を、

締めくくろうかと思います。



人生は、

ほんのちょっとの違いで、

その進路を大きく変えるもの。


そのときには、

ほんのちょっとにしか見えない、

わずかな差が、

いつか大きな差異につながる。


だからこそ、

一つ一つをおそろかにせず、

大切にしていきたいものですね。



偶然の産物が、またここに。


奇跡の軌跡が、またここに。



じいちゃん、ばあちゃん、

おじさん、おばさん、

そして父さん、

レオ、ゴマ、ハナ。


奇跡の軌跡をつなぎながら、

ぼくは、今も生きています。


びっくり恵美子と呼ばれた母さんは、

とぼけてはいいても、

毎日元気に、

笑顔で過ごしております。



生きてるうちに、気づけてよかった。



びっくり恵美子を、

これ以上びっくりさせないように。


無軌道ではあっても、おだやかに、

健やかに正直に過ごしたいと思う。



< 今日の瓜知識 >


ちなみに「冬瓜」は、

冷暗所に保管すると、

夏に収穫したものでも、

冬までもつって言われてるから

「冬瓜」っていうんだって。


豆知識ならぬ、瓜知識でした。


2025/07/01

好きか嫌いか


「パレットにはりついたくま」(2020年)


 *



「何でも好き嫌いだけで

 決めてはいけない」


などと、言ったりするが。


好き嫌い以外、

何を基準に判断すればいいのか。


「あんまり好きじゃないけど、

 やっておいたほうが得だから」


「みんながやってるから」


「流行ってるから」


「あとで高く売れやすいから」



好き嫌い。


直感。感覚。ひとめぼれ。


それは、

人付き合いも同じだ。


たいていの場合、

会った瞬間に、ほとんどわかる。


人間も動物だ。

動物的な直感で、相手がわかる。


「あ、いいな、この人!」


「わ、嫌だな、この人・・・」


少なくとも、

好き嫌いだけは一瞬でわかる。


わからないのは、

わからなくしているだけ。


頭がそれを邪魔している。

情報が感覚を遮断している。

理性や倫理、体裁、

損得勘定など、

社会的な思考が、

直感を曇らせている。


「好き嫌いで決めちゃ

 いけないよな」


たしかにそれも一理ある。


だからこそ、

頭が軌道を修正する。

感覚的に歩もうとする足取りを

言葉で、理屈で、誘導しながら、

理性の地図におさめようとする。


「みんなと仲よくやらなくちゃ」


「食わず嫌いはよくないよな」


果たしてそれが「正解」なのか?


まちがいでは、ないと思う。


けれども「正解」かと問われたら。


どうだろう?


それは、

自分が決めた「正解」だろうか。

自分の心が決めた「こたえ」なのか。


そんなことを、ふと思った。



* *



母に、

こんな出来事があった。


母は長年、

日本舞踊の教室に通っている。

事件はその、

踊りの教室で起こった。


教室には、

母よりもずいぶんあとに入ってきた

一人の女性がいた。


ここでは「女性」と

呼ぶことにしよう。


今から10年ほど前の話で、

「女性」は母より3歳

年上だった。


となると、

「女性」の歳は、

72、3というところか。


90歳(当時)の親御さんが

たくさんの借家、

マンションなどを所有しており、

娘である「女性」は、

豊かな生活を送っていた。


服装や持ち物にも気を配り、

ブランド品や高価な物を身につけて、

いつもきれいな身なりをしていた。



ある日、

喫茶店でお茶を飲んでいて、

「女性」が母に言った。


「ちょっとお手洗いに行くから。

 この鞄、見ててもらえる?」


「女性」が

机に置いた鞄を指し示す。

何も思わず、母は承諾した。


その時、母と「女性」以外、

ほかに誰もいなかった。


密室ではないが、

当事者以外、

目撃者も証人も誰もいない。

母と「女性」は、2人きりだった。


ほどなくして

戻って来た「女性」は、

鞄を開けるなり、声を挙げた。


「お金がなくなった。

 ここに入れておいた10万円がない。

 盗んだでしょう?」


もちろん盗むわけがない。


母は唖然として声を失った。

恐怖にうち震え、

血の気が退いていくのがわかった。


声に集まったほかの仲間が、

「女性」の主張に耳を傾ける。


さいわい、

母を疑う人は、いなかった。


母は、鞄に手も触れてはいなかった。


教室の立ち上げ当時から

ずっと踊りを習っていた母には、

母をよく知る仲間がいた。


「えみちゃんが

 そんなことするはずない」


信頼というよりも、

確信に近い擁護の声が、

仲間内を包んだ。


その日のことは、

ぼくもよく覚えている。


いつになく消沈した母から、

当時、この話を聞いたからだ。


「母さんね、

 どろぼうって言われた。

 どうしよう。

 裁判とか警察とか、

 そんなことに言われても、

 知らんもんは知らん、

 やっとらんもん、そんなこと」


いくら明るい声でなだめても、

深刻な顔をしたまま、

母はこの世の終わりのように

落ち込んでいた。


数日後、

母の口から聞いたのは、

安堵に満ちた声だった。


「わたしも

 おんなじことやられたって。

 △△さんに言われた」


「女性」は依然として、

裁判だの警察だのと、

かんかんに怒ったままだが。

周囲の目は、冷めていた。


誰も母を疑いはしなかったし、

責めることも、同調することも、

無視することもなかった。


無視されたのは「女性」だった。


新参者で、

人の悪口を

よく口にしていた「女性」は、

みなの信用を得るには

至らなかった。


『10万円紛失事件』は、

「女性」とともに姿を消し、

事態は静かに幕を下ろした。


しかし ——。


危ないところである。


もし母が、

みなに信用されないような

人柄だったら。


借金などがあり、

お金に困っていたら。


現在、または過去の素行が、

悪かったら。


もし・・・と言い出したら、

きりがない。


あとで聞いたところ、

現金だけでなく、

指輪や時計までもがなくなったと

言われたらしい。


「もう絶対に、

 そういう頼みごとを

 聞いちゃだめだよ」


「そういう人と、

 二人きりになっちゃだめだよ」


よかったね、と言いつつも。

当時のぼくは、

母にそんな教訓めいたことを

とくと伝えた。



* * *



久しぶりに母が、

その「事件」を思い出し、

当時をふり返るようにして

苦々しく笑った。


「あのときはもう、

 本当にどうしようかと思った」


「母さん、その人のこと、

 初めて見たとき、どう思った?」


「なんていうの。

 お金持ちだけど、

 案外けちけちしとって。

 意外と細かいんだわ。

 何でも自分で仕切りたがるし。

 すぐ人の悪口言うし」


「好きか嫌いかで言ったら、

 どっちだった?」


「・・・嫌い。

 ぱっと見たとき、

 苦手だなって、そう思った」


そう。


のんきで、おとなしく、

父に言わせれば「どんくさい」母でも、

動物的な感覚が、知らせていたのだ。


起こるべき事態を、なのか。

それとも、

相性がよくないということを、なのか。


『以心伝心』


『魚心あれば水心』


とも言うけれど。


母が抱いた反感情が、

「女性」の気持ちをくすぶらせ、

事態に火を点け

燃えあがらせたのか。


何やかんやで

みんなに可愛がられている、

母のことを妬んで起きた事なのか。


現実につながる糸は、

あとから手繰りよせようにも、

もはや確かな正体はない。


ただひとつ言えること。


直感。


好きか嫌いか、という気持ち。


そこに、嘘はない。



合わないものは、合わないのだ。



どちらが悪というものでもないし、

どちらかが正しいわけでもない。


合わないものは、合わない。

そこにいても、

いい結果は産まないし、

待っていても変わることはない。

自分が動くか、変わるしかない。



人にはそれぞれ事情があり、

現在の姿がある。


人を悪く言うのはよくない。


言葉はそのまま自分に返る。

投げかけた感情が、

そのまま自分に返ってくる。


過去はどうすることもできないが。

現在のふるまいが、未来の自分を救う。


欲がそのまま、

「好き」につながる人もいる。


それも、人の好きずきだ。


ひとつひとつの、小さな積み重ね。


積み上げるのには時間がかかるが、

壊すのは一瞬だ。


完璧でも上手でもないが。

ひいきなしに、

母は、まっすぐ生きてきた。


貧しくとも、

ゆたかさだけは忘れずに。

裏表なく、損得勘定ではなく、

物事を判断してきた。


多少は愚痴をもらしたりするが。

悪態をついたり、悪口を言ったり、

批判をしたりはしてこなかった。


どちらかといえば、

騙されてばかりで、

損することも多かったように思うが。

他人を騙すことは、しなかった。


そんな母を、

みんなが守り、かばってくれたこと。

それは「正しい」ことで、

嬉しい結末だった。


簡単なはずのことが、

ややこしく見える現代でも、

昔話みたいにすこやかな結末が、

まだちゃんと息をしているのだと。


そう思いたいし、

そうであってほしいと願う。


不器用でも真面目に

生きている人がいる。


いくら強くても、

嘘ばかりの長いものには、

巻かれたくない。



好き嫌い、という感覚。


感覚は、すなわち「センス」。


「センス」のない生き方って、

怖いなって思った。


それは、

地図なく歩くよりも

怖いことだ。


センスは、自分の感覚。

自分だけの「こたえ」。


いいものは「いい」し、

嫌なものは「嫌」だ。


わがままと、自分勝手は、

似ているようでまるで違う。


わがままは、

自分の筋を通すことで、

自分勝手は、

状況や場面で、

事実を都合よく変えること。



好きでもないものを受け入れるうちに、

自分の好きとか嫌いが、

わからなくなる。


気づかぬうちに、

選ぶことも、考えることも、

できなくなる。

好きも嫌いも、いいも悪いも、

わからなくなる。


そんなふうに、

心の声が何も聞こえなくなったら、

もっと怖い。



< 今日の言葉 >


「出かけるときは、

 重たいから

 家に置いてくんだけど」


(携帯電話を指して母が言ったひと言)



2025/06/01

踊り続ける母の葛藤




 *


母は、

幼少の頃からずっと、

日本舞踊を習ってきた。


踊りの名前は、花柳胡蝶花。

胡蝶花と書いて「しゃが」と読む。


母の父が、

大学の教授からもらってきた

名前だという。


冒頭の写真が、胡蝶花の花だ。


庭に咲いた胡蝶花を、

母が摘んできた。


* *


母が、

踊りの「おけいこ」に行ったのは、

久々のことだった。


カルチャーセンターでの、

日本舞踊のおけいこ。


4歳からずっと、

日本舞踊を続けてきた母は、

結婚後、しばらくしてまた、

踊りのおけいこを再開した。


平成8年(1996年)からだと

いうことなので、

今年で29年目ということになる。


結婚前の期間を足せば、

50年余にもおよぶ。


名取である母は、

習うまでもなく、

教える側にもなれるのだが。


教えるのではなく、

ずっと「習う」側だ。


母はただ、踊っていたいのだ。

母は、踊りが大好きだった。


母が「おけいこ」に行ったのは、

本当に久しぶりだ。


父が死んでからは、

初めてのことだった。



* * *




月謝ばかり払って、

まったくおけいこに

行かなくなった母を見て、

ぼくは少し、憂慮していた。


行くのも、行かないのも、

母の自由だ。


けれど、

数カ月分まとめて支払う

月謝(講義料)を見たとき、

決して安いとは思えなかったので、

行くなら行く、

行かないのなら月謝を払うのを

やめたほうがいいのではと、

気を揉んでいた。


何歩か譲って、

何千円ならまだしも。

3カ月で数万円の月謝を、

まったく行かないまま

支払い続けることには、

いつか区切りをつけるべきだと

思っていた。


あるとき、母に聞いた。


「母さん。

 踊り、もう行かないの?」


「うん? 行かないことないよ」


「最近全然行ってないから。

 もうやめちゃったのかと思って」


「このまえ休んだだけで、

 あとは1回も休んだことないよ」


嘘である。


嘘というより、

それは母の思い込みで、

事実はまるで違っていた。


昨年8月からの8カ月。

母は、一度も「おけいこ」に

行っていない。


着物で出かけるのが

ちょっと暑くてしんどい、とか、

ちょっと風邪で洟(はな)が出るとか、

肩が痛いとか、脚が痛いとか、

聞くでもなく、毎回、

違う「いいわけ」を口にするのだが。



結局のところ、

母は一度も「おけいこ」には行かず、

ずっと休んだままだった。


おけいこのある月曜日。

昼下がりに母は、電話をかける。


「・・・ちょっと

 体の調子が悪いので、

 今日のおけいこは

 休ませてもらいます。

 すみません、

 よろしくお願いします」


毎週、決まって、

そんな声を聞いた。


月謝がもったいない。

それなら、

もっと別のことに使えばいいのに。


夕食どき、

母にしっかり聞いてみた。


「母さん、踊り、どうするの?

 母さんね、去年の8月から

 1回も行ってないよ」


「そんなことない。

 母さん1回も

 休んだことなんてない」


4歳からずっと続けてきた日本舞踊。

母自身も、それを誇りに思っていた。

反面、もう充分かな、とも言っていた。


「もう、歳も歳だし。

 何十年もやってきて、

 今さら習うとか

 そういうこともないから。

 先生もそろそろいい歳だし、

 教室、やめるかもしれんって

 言っとった。

 なんていうの、

 その、そういうの・・・」


「潮時?」


「そう、それ!

 そろそろ潮時かもしれん。

 最初っからずっと続けとるの、

 母さんだけだし。

 最初は、なんていうのか、

 『サクラ』みたいな感じで、

 母さんとほかの何人かが入って

 やっとったんだけど。

 みんなすぐにやめてった」


踊りの先生は、

日本舞踊を習っていた教室の先輩で、

母より5つ歳上だ。


今年80歳になった母は、

古株というだけでなく、

最年長の生徒でもあった。


あとの生徒さんは、

70代、60代、といった感じらしい。


『1回も休んだことない』


はじめは、

どうして「嘘」をつくのかと

思っていたが。


罪悪感のようなものが、

はたらいているのか。


それとも、

「きっかけ」が

見出せずにいるのか。


母の生真面目な気質を鑑みて、

なんとなくだが、

その心情が理解できた。


ちょっとしんどい。

そろそろやめようかな。

けど、4歳の頃から今日まで、

ずっと続けてきたし。

(実際には

「ずっと」というわけではないが。

 母の中では「中断期」を含めて、

 今日までずっと、踊りの糸は、

 切れることなくつながっている)


先生にも悪いし。

みんなと会えなくなるのも

寂しいし。


どうしよう。

そろそろ「潮時」なのかな。


着物着て支度して、

行って帰ってくるだけで疲れるし。


もう、いいかな。

4歳からずっとやってきたし。

踊りのおかげで足腰も丈夫で、

今日まで元気に

やってこられたんだから。


踊りやめても、

ラジオ体操とかやればいいよね。

毎朝やってるから。

肩が痛くて、

腕が上がらなくなってきたけど。

ラジオ体操なら、できるから。

体操してれば、いいよね。


・・・・と。


母の口からこぼれ落ちた、

今日までの言葉を手繰り寄せると、

ゆれ動く心模様が透けて見えた。


母は、迷っている。


後ろ髪を引かれる思い。

やめたいという気持ち。

やめようかなという思い。

どうしようかなという逡巡。


ずっと続けてきた「習慣」を前に、

母は、いろいろな角度で、

いろいろな方向から

引っぱられているふうだった。


どうしたらいいのかわからず、

がんじがらめで動けない。

そんなふうにも見えた。


ぼくは、母に言った。


「行かないんなら、

 月謝がもったいないかなって

 思ったけど。

 言うだけのこと言ったから。

 あとは母さんの

 好きにしたらいいよ。

 気の済むまで行くもいいし、

 このままやめるもいいし。

 もしやめたら、

 おつかれ会やってあげるよ。

 うなぎでもケーキでも、

 母さんの好きな物、ごちそうするよ」



数日後、母は、

先生に電話をした。


携帯ではなく、

自宅のほうに連絡したらしく、

どうやら先生は不在で、

母のことをよく知る

娘さんが電話口に出た。


というのも、

やや耳が遠くなり、

音量が大きくなった母の声が

壁床天井を越えて

筒抜けだったおかげで、

会話の内容が手に取るように

わかったのだ。


「どうも長いあいだ

 お世話になりました」


たしかに、

そう言うのを聞いた。


とうとうやめるのか。


寂しいような、

ほっとしたような。


長いあいだ、おつかれさま。


労いの気持ちが、

湯気のようにゆらめいた。



* * * *



4月半ばの月曜日。


母の部屋から、

樟脳のにおいが漂ってきた。


母が、着物を着ている。


やめたんじゃ、なかったのか。


何も言わずにぼくは、

母が出かける気配を、

匂いと音で感じていた。


久しぶりに母が、

出かけて行った。


買い物ではなく、

着物を着て

おけいこに出かけた。



日が傾いて。

窓の外が、真っ暗だった。


夢中になっていた手を止めて、

時計を見てみた。


夕食の時間は、

とうに過ぎている。


母は、まだ帰らない。


ご飯の支度でも

しようかと思ったが。

あれこれしているうちに、


「ただいまぁ」


という声が聞こえてきた。


おけいこで遅くなる月曜日には、

母に代わって、

晩ご飯を作ったこともあるが。


台所に、母がやりかけた、

晩ご飯の準備が置かれているのを見て、

そのまま母に任せることにした。


きっと母は、

自分でやりたいのだと。

自分でやり通したいのだと。

そう思ってぼくは、

静観していた。


「ごめんね、遅なって」


お腹はぺこぺこだったが。

待っていてよかったと思った。


なつかしい、

元気な母の姿があった。


母の顔は、

すごく楽しそうで、

きらきらしていた。


「もう、街行ったら、

 つっかれちゃった。

 みんな忙しそうにしとるね。

 黒い服着て、しゅっとした人とか。

 地下鉄は本当、階段が多いねぇ。

 母さん、転ぶと怖いで、

 手すりにつかまって

 隅っこのほうをゆっくり歩くもんで。

 みんな、ちゃぁっと抜いてくんだわ。

 たくさん人がおるねぇ、本当に」


晩ご飯の支度をしながら、

母が楽しげに語る。


言葉より何より。


楽しかったんだな、

という気持ちが、伝わってきた。


それでもぼくは、聞いてみた。


「今日、どうだった?

 久しぶりに行って、楽しかった?」


「うん。

 みんなに会えて、楽しかった。

 やせた人とか、太った人とか。

 2キロもやせたんだって。

 えらい細なっとった」


主語のない話題が、

誰のことを言っているのかは

わからなかったが。

楽しげに話す母を、

微笑ましく見ていた。


「一人、男の人がおって。

 その人が、

 えみちゃん、えみちゃん、

 元気だった? って、

 聞いてくるんだわ。

 あの人、一人だけで

 女の人の中に混じって。

 女きょうだいの中で

 育ったみたいだで、

 そういうの、なんとも思わんのだね。

 すうっと入ってきて、なじんどるもん。

 今日なんて、

 長いストールみたいなのを

 首に巻いてきて。

 みんなに巻き方が違うとか

 なんとか言われとった」


「何色のストール?」


「オレンジとか紫とか、

 いろんな色の、柄のやつ。

 ジョーゼットみたいな、

 ふわっとした生地」


「服は、何色なの?」


「カッターシャツみたいな、

 青いシャツ」


「上着は?」


「こんな色」


母が、青磁色の器を指す。


「へえ、センスあるね」


「そうなんだわ。

 あの人、おしゃれなんだわ。

 何やっとる人か知らんけど。

 自分で何かやっとるんじゃないかな。

 時間の自由がきくみたいだで」


ちなみにパンツ(ズボン)は、

グレーだそうだ。


この人の話は、

以前からちょくちょく聞いていた。


会ったことはないのだけれど。

なんとなくぼくは、

その人のことが好きだった。


「みんなでちょっと

 お茶してきたもんで。

 そんで遅なったんだわ。

 ごめんね、悪かったね」


「全然いいよ。

 よかったね、楽しめて」


「楽しかったぁ。

 たまには街に出ないかんね。

 家におってばっかりじゃ、いかんね」


「そうだね。

 今日はぐっすり眠れそうだね」


「毎日ぐっすり寝れとるけどね」


「今日はゆっくりお風呂に入って。

 ゆっくり休んでよ」


ご飯を食べ終わり、母に聞いた。


「片づけ、やろうか?」


「いいていいて。何言っとるの。

 母さんの仕事」


『母さんの仕事』


母の言う「仕事」とは、

母が存在する意味でもある。


それを、奪ってはいけない。


母さんが「母さん」であり続けるための、

「仕事」なのだから。

取り上げてしまったら、

母は、母でなくなってしまう。


御年80歳の母は、

79歳の時よりも、75歳の時よりも、

若々しく見える。


数字は所詮、目盛りでしかない。


今の母は、かつてよりも若い。

それは母が、

生き生きと「生きている」からだ。


ぼくは、

母から「仕事」を奪いたくない。


そして、思った。


母から「踊り」を奪わなくて、

よかったと。


明るい母の笑顔を見て、

頭ではなく、

心に従うことの大切さを、

あらためて教えてもらった。


「母さん。

 踊り、気がすむまで続けたらいいよ。

 85歳でも何歳でも、

 好きなだけ続けたらいいよ」


行くも休むも、続けるもやめるも。

母が決めることだ。

いくら家族であっても、

「他人」が口出しすることではない。


たとえ来週、

母がまた「仮病」を使って休んでも。

母がそう決めたのなら、それでいい。

心の赴くまま、

したいようにすればいい。


おそらく父なら、

口を出すだろう。


けれどもぼくは、父ではない。

ぼくは、ぼくだ。


ばくは、

母が笑っているのが、

いちばん嬉しい。



母にはたくさん教えられる。

本当にいい教材を、たくさんくれる。

ぼくに足りないものを、

母がいつも教えてくれる。


ありがとう。


何ひとつ立派なこともできず、

母を安心させてあげることもできず、

心配ばかりかけて、

歳だけ重ねてきた自分だけれど。


母を笑顔にすることができるのも

自分だということに、

最近ようやく気がついた。


特別なことじゃなくて。

物やお金なんかじゃなくて。


もっと些細で、目には見えない、

小さくて身近なものなんだと。


おしゃべりすること。


いいよ、という気持ち。


笑顔でやさしく見守ること。


一緒にご飯を食べること。


子どもみたいな顔で、

楽しげに笑う母。


惑う心を、母の笑顔が、

すすぎ清めてくれた。


「最近、お茶とか高くなったねぇ。

 自動販売機のペットポトルも、

 170円とか180円とか

 するようになったね」


たとえ母が、

ペットボトルのことを、

ペットポトルとか、

ポットベトルとか言ったとしても。


ぼくの心は、もう迷わない。


いくら現実的で、

世間的には賢明な選択だとしても。


小難しい話より、

ぼくは、笑顔が好きだ。



< 今日の言葉 >


音楽をかけて

計画をねりねり


(『ワンルーム・ディスコ』Ferfume)



2025/04/15

赤い花 白い花 〜エイプリルフールのゆうべ

 




母と話していて、

ふと今日が

エイプリルフールだと

思い出した。


四月ばかを理由にする

わけでもないけれど。

母に、聞いてみた。


「ねえ母さん。

 もし父さんが死んだら、

 母さんどう思う?」


ここまでの記述

(過去のブログ)を

読んでこられた方には

お分かりだろうが。


父はすでに他界している。


お空の星か、はたまた

賽(さい)の河原の石くれにでも

変わっているだろうか。


とにかく父は、もういない。


「ねえ、母さん。

 ちょっと想像して、考えてみてよ」


「うううん・・・

 わからん、そんなの。

 考えもつかん」


「それじゃあ、いくよ。

 はい、今、

 電話がかかってきました。

 父さんが死にました、

 っていう報せがきました。

 はい、どう?

 どんな気持ち?」


「ううん・・・」


「母さん、泣くと思う?」


「ちょっとは泣くかな。

 顔見たら、泣くと思う」


そっか、泣くんだ。

と思った。


「じゃあ、葬式っていうか、

 火葬場の斎場でもいいけど、

 母さんは行く?」


「そりゃあ、行くでしょ」


以前は「行かない」と

言っていた母だが。

なぜか今回は

「行く」と答えた。


「母さん一人でも行く?」


「なんで一人なのっ?!

 一人だったら、よう行かん」


「なんで? 怖いの?」


「怖いっていうか。

 なんか、引っぱって

 いかれそうで」


「大丈夫だよ、母さんは。

 ぼくとか姉ちゃんとかが

 引っぱってるから」


少し前には

「早く死にたい」と

言っていた母が、

今では生きることに

わずかながらも

執着をみせている。


そこで、質問を変えた。


「父さんのことで

 思い出すことって、

 何かある?」


「ううん・・・特にないけど。

 まぁ、あれかな。

 新婚旅行かな」


「北海道?」


「そう。

 アイヌのとことか、

 クマ牧場とか」


「いい思い出だね」


「なんていうか。

 お父さんが、すごくきた」


「・・・・・」


息子としては、

なんとも返答に困る種類の

内容だった。


母自身も、

自分が口走ったことを

ごまかそうとする感じで、

あわてて口を開いた。


「新婚旅行だったから。

 まあ、そういうので、

 姉ちゃんができたんだわ」


これはもう、

ごまかしたというより、

太字でなぞっただけである。

舵が効かず、

もはや開き直った感さえあった。


話題の流れとはいえ、

方向転換できたはずが、

母はそのままアクセルを踏んだ。

なのでぼくも、

さらりと便乗した。


「へえ、そうなんだ。

 姉ちゃん、北海道の子なんだ。

 それって姉ちゃん、知ってるの?」


「知らんと思う。

 言っとらんで」


「なんで言わないの?」


「別に、言うことでもないかなって」


ではなぜにそれを、

息子に言うのだ。


「じゃあ、ぼくは?」


などと聞くほど好奇心旺盛で、

天真爛漫なハートの持ち主ではないので。

ぼくはそれ以上、何も聞かなかった。


ということで。

話題を「父の死について」に戻した。


「連絡とかがないだけで。

 父さんもう、

 死んでるかもしれないよね」


 ぼくは言葉を続けた。


「連絡先がわからなかったら、

 そういうことだってありえるから。

 ・・・けど、そう思うと。

 どう、母さん?

 今、父さんがいなくて、

 なんか困ってることってある?」


「特に、ない。

 どこかで生きてるんだって

 いうのがあるで、

 べつに何もない」


その言葉を聞いて。

なんとなくぼくは、嬉しかった。


父が直接、

何かをしたわけではないのだが。

母の気持ちが、あきらかに

変わってきているように感じた。


そして思った。


父がもういないということを、

母に言わずに

つきつづけている「嘘」。


この嘘が、

今の母にとって、

けっして悪いものでは

ないということを。


『どこかで生きてる』


その安心感。

たしかに、わかる。


大阪のおばあちゃんが死んだ時。

最期、故郷の大分へ移ってしまい、

顔を会わすことなく

そのまま終わってしまった。


そのためか、

遠く離れているだけだという思いが、

そのまま残留しつづけていた。


どれくらいだろうか。

思い込みと錯覚に、

心はしばらく騙されたままだった。


死んだ、と認めることと、

今、ここにいないだけで、

どこかで生きていると思うことは、

同じ不在でも、まるで違う。


ずっとそばにいた人であったら。

もしかすると、

その残留感は、

場合によって酷なものに

なるかもしれない。


音沙汰なく、

ずっと離れて過ごしていた人ならば。

「もういないよ」と明かされるほうが、

かえってつらい場合が

あるように思う。


どこかで生きている、

という「思い込み」。


そう。

今もどこかで生きているのだ。



死んだ人は、

もう思い出されなくなったとき、

本当に死んでしまうのだと、

どこかで聞いた。


そういうこと、かもしれない。


母に父を思い出してもらいたい。

そうすれば、

なんだかわからないけど、

ちょっと嬉しい。


父と母が、

ともに生きていたという証。

そんなのが見たいのかもしれない。

感じたいのかもしれない。


たとえどんな形でも、

愛があったという足跡を、

息子のぼくは、

感じたいのかもしれない。


いや、むしろ、

母に感じてほしいのだろう。


言葉にはならない、

手触りすらもう

なくなってしまったものを、

忘れ去るのではなく、

ほんの少しでもいいから、

感じてほしいと。



* *



80歳の誕生祝いに、

母は、大切な人から、

花束をもらった。


母が娘のように

可愛く思っている人からの花は、

びっくりするほど長く咲き続け、

食卓のある部屋を

華やかに彩ってくれた。


やがてその花が枯れ、

最後の一輪までもがなくなったとき。

母が、ぽつりとこぼした。


「なんか、

 花がなくなったら、

 急に寂しくなったね」


「庭の椿でも生ければ?

 今、すごくきれいに咲いてるよ」


ということで。


母は、ぼくの言葉そのままに、

庭の椿の枝を切り、

切子の花瓶にきれいに生けた。


とぼけた母ではあるけれど。

かつていちおう、

生け花をたしなんできたおかげもあり、

仕上がりはなかなか見事である。


「美松庵恵美子先生、さすがですね」


美松庵(びしょうあん)というのは、

母、恵美子の雅号(がごう)。

つまり、生け花の芸名である。


ちなみに日本舞踊の名は、

「花柳胡蝶花」。

胡蝶花と書いて「しゃが」と読む。


花の名前をもらったのも、

なんだか花と縁があるようで。

花を愛でる母の背中を、

静かに見守る息子でありましたが。


たわわに咲いた椿に気づいたのは、

息子ではなく、客人だった。


庭の椿を見た客人は、

後日、野放図に育った庭を指差して、

明るく声を弾ませた。


視線の先には、

白い雪柳が

匂やかに咲いていた。















正直、ぼくには、

そんな花が咲くことも

すっかり忘れていたし、

小さな花を

稲穂のように実らせる花が、

雪柳という名前だということも

知らなかった。


見ているはずなのに、

気づいていなかった。


ようするに、

そこにあることを

まったく意識していなかった。


海みたいできれいだと。

見る前に言われたときには、

姿形も

思い描けなかったのだけれど。


ひと目見て

その言葉の表現がよくわかった。


白い飛沫(しぶき)を立てて、

波立つ海。


満開に咲く雪柳は、

見事なまでに真っ白な

大海原だった。


ちょうど洗濯物を

取り込みに来た母に、

雪柳のことを話した。


「きれいだね。

 名前も知らなかったし、

 今、咲いてることも、

 気づかなかった」



翌日、

花瓶に新たな花が増えた。


真っ赤な椿の背後に挿された、

幾筋かの雪柳の穂。

白い花が、

波のように弧を描いて

咲いていた。





きれいだった。


外で見るのもきれいだったけれど。

こうして人の手で摘まれた「自然」も、

わるくない。


それは、美しい風景を、

絵や写真にして切り取って

飾るような。

人間らしい、営みに感じる。



夕食どき、母に聞いた。


「庭の雪柳って、

 誰が植えたの?」


「母さんが植えた」


「そうなんだ」


「椿は、父さんが植えたやつ。

 公園の枝かなんかを、

 取ってきたんじゃなかったかな」


父のよくない面である。

公園さん、ごめんなさい。


けれどもそれは、

今、見事に咲き誇り、

鮮やかに赤く咲き続けている。


母が言う。


「去年のことは覚えとらんけど。

 こんなに咲いたの、初めてかもしれん」


部屋に置かれた、

青い切子の花瓶。


そこでは、真っ赤な椿と、

真っ白な雪柳が、

寄り添うようにして生けられている。


もちろん、

意図した仕業では

ないのだけれど。


こうして父と母の花が、

仲よくひとつの花瓶に収まる姿に、

何かしら感動のようなものを

覚えずにはいられなかった。


たとえ母が気づかなくても。

ロマンチック馬鹿な息子には、

そう思わずにはいられなかった。


植えられて40年ほど経った、

庭の花。


椿と雪柳。

赤い花と、白い花。


長い時間を経て、

偶然ひとつになった、

花の物語。


それもこれも、

庭を見たいという、

花を愛でる心を持った客人が

紡ぎあげたものだと。

そう思えて仕方がない。


花を、きれいだと思う心。


そういう気持ちが、

人をつなぐ。


すすけて古く、

忘れられかけた、

記憶をつなぐ。


見逃してしまいそうな些事に

光を当てて、

ぱっと色鮮やかな花を咲かせる。


花は、美しい。


心に咲いた花は、

いつまでも枯れることなく、

みずみずしく咲き続ける。


『窓辺に咲く一輪の花、

 キュア マドベ!』


そんなわけで。


これからも、

心の窓辺に咲いた

ぼくという名の一輪の花は、

あなたを見守っていくことでしょう。



< 今日のお花言葉 >


親の話は きくのはな

人の悪くち くちなしで

頭は垂れて ふじのはな

笑顔あかるく ひまわりで

愛をはぐくむ ばらのはな

心清らか しらゆりで

世は移ろいて あしさいの

月は早く たちばなで

散り際さやか さくらばな

先は浄土の はすのはな


(『人生花づくし』紙コースターに書かれた言葉)

 



2025/04/01

父との約束と、母さんへの嘘





ぼくは、嘘が得意だ。



小さいころから夢見がちで、

嘘のお話をたくさん

つくってきたからだろうか。


とにかく、嘘が得意だ。

小さいころは、

悪い嘘もたくさんついた。


大きくなった今。

悪い嘘は、

悲しいものだと気がついた。


今、ぼくは、

母さんを騙し続けている。


死んだ父が、

まだ生きていると。



父が死んで、

ちょうど5カ月目の日に。


明日、遺族年金が入ることを、

母に説明していた。


遺族年金という名目だけれど、

それはあくまで呼び名であって、

父が死んだわけではない、とか。


今ここにいない父が、

動けなくなる前に、

事前に手続きしたのだ、とか。


「母さん、覚えてるでしょ?

 ぼくが毎日、区役所とかに

 通ってたときのこと。

 母さんにもときどき、

 ついてきてもらったよね?

 あのとき、母さんが一人になっても、

 この先こまらないよう、

 いろいろな書類をつくって

 提出してたんだよ」


書類の作成や提出自体は、嘘ではない。

ただ、その内容や目的に、大きな嘘がある。


物事をあまり

深く考えない(理解しない)

母の特性を逆手にとって、

ぼくは、母の疑問・質問を煙に巻いて、

ややこしくしながらも誠実に答え、

とにかく母を安心させた。



何十年も別居していて、

月に1度くらいしか

顔を見せなかった父だが。

ここ最近、

まったく顔を見せなくなった。


当然である。


鬼籍に入った父が、

顔を見せにこられるはずがない。

もしこようものなら、それはお化けだ。


母は、父がどうしているのかと

ぼくに尋ねた。


「どうだろう、

 どこかで元気にしてるんじゃないかな。

 施設とか病院に入ったりしてたけど。

 もしかして、

 もう死んじゃってるかもしれないね」


などと笑ったりしながら、

とにかく母を心配させないようにしてきた。


母の心配は、もし父がいなくなったら、

自分はこの先、一人でどうやって

生きていけばいいのかという、

経済的な問題に終始していた。


もちろん、父のことは心配だろうが。

長年別居している母にとっては、

やはり現実問題として、

自分の生活がいちばんに

優先されるようだった。


父の死、という現実を、

母がどうとらえるのか。

それは、わからない。


もしかすると、

金銭面、経済面なんかより、

精神的な喪失感や後悔などが

襲ってくるのかもしれない。


母がどう感じるのか。

それはよくわからないが、

とにかく

心に負担を与えるだろうことは

想像できた。


だからひとまず、

遺族年金が支給されるまでは、

なんとか嘘をつき続けたい。

そう思って、今日までやってきた。


この数カ月、

母に嘘ばかりついてきた。


『生前遺族年金制度』とかいう、

ありもしないでたらめの制度を

でっち上げたりもした。


忘れっぽい母は、

何度おなじ話をしても、

または違う説明をしても、

数カ月とか数日後には、

すっかり忘れてしまっていることが多い。


素直な母は、

ぼくの言葉を信じてくれる。

ぼくは(少なくとも大きくなってからは)、

母に悪い嘘をついたことはない。

そのせいもあってか、

母はぼくを信じてくれる。


「よくわからんけど、

 あんたの言うようにするわ」



父が死んで、

ちょうど5カ月目の夜。

夕食後の団欒で、父の話をしたのも、

明日、初めての「遺族年金」が、

支給されるからだけでは

ないような気がした。


ぼくも母も、

明日が14日だとは

わかっていなかったからだ。

(年金の支給日は15日なのだが。

 15日が土曜日の場合、前日に支給される)


父がそうさせたのではないかと。

今日が13日だと知ったとき、

なんとなくそう感じた。


父の命日は「13日」だった。

父の誕生日は14日で、

その前日が命日だった。


ぼくが母に伝えたのは、

父への感謝の気持ちを忘れないでほしい、

ということだった。


「父さんね、いろいろあったけど、

 やっぱり母さんのこと、

 ずっと心配してるみたいだったよ。

 ぼくね、父さんに言われたんだ。

 母さんのこと頼むな、って。

 だからぼく、父さんに言ったんだよ。

 わかった、任せといてって。

 父さん、ちょっと安心したみたいだった。

 ずっと心配だったし、

 自分じゃできないことだったから」


そして、ぼくら家族——

ぼく、姉ちゃん、甥っ子たちや、

周りの人たちが、

どれだけ母さんのことを

大切に想っているかを話して伝えた。


「母さん、恵まれてると思うよ。

 しあわせ者だなって、そう思う。

 父さん、ずっと母さんのこと

 心配してきたし。

 こうやってずっと、

 生活費とか年金がもらえて、

 何の心配もしないで生きていけるのも、

 父さんのおかげだから。

 ぼくも姉ちゃんも、

 りんた(甥っ子)たちも、

 みんな母さんのこと大好きだし。

 みんなが母さんのことを想って、

 見守って、大事にしてる。

 だから、父さんに感謝してね。

 毎日でも毎月でも、

 年金をもらったときでもいいから。

 父さんに、

 ありがとうって言ってあげてね」


そんなことを、母に伝えた。


話しながらぼくは、

父を思い、涙があふれそうになった。


けれども懸命にこらえた。

母が変に思うといけないので、

ぼくは歯を食いしばって、

涙を飲み込んだ。



* *



父が死んで、

四十九日が経ったとき。

母を誘って、

母の父母が眠る墓地へ行った。


祖父母のお墓参りは、

ぼくにとって久しぶりのことだったが。

そこは、父を火葬した場所でもある。


祖父母の墓をお参りしたあと、

火葬場の背後の道に差し掛かったとき、

ぼくは車の速度をそっとゆるめた。


火葬場を見ながら、母が言った。


「誰か燃やされとるね。煙が出とる」


「なんかわかんないけど、

 お参りしとこっか」


ぼくは母を促し、

二人で火葬場に黙祷した。


父の死を知らない母に、

父を弔ってもらいたくて誘ったお墓参り。

どんな形でお参りすればいいのか、

決めかねていたが。


静かに煙を立ちのぼらせる

火葬場に向かって、

二人、じっと手を合わせて拝んだ。


『父さん、母さんのこと、

 心配しないでね』


心の中で、そうつぶやきながら。

ぼくは父に約束した。



父さんと約束したから。

ぼくは、今日までずっと、

母を騙し続けてきた。


騙しやすいのか、

騙されやすいのか。

母との付き合いが長いぼくは、

母を騙す術に長けている。


いや、待てよ。


もしかすると、

ずっと騙されたふりを

してくれてる、とか・・・。


そんなわけ、ないか。



いろいろな言葉を並べて、

空箱や湯呑みなんかも駆使して、


「いい? これが年金だとして、

 こっちが遺族年金ね」


などと説明する。


年金と遺族年金と、

今後の母の暮らしが

「マイナス」にはならなず、

むしろ「楽になる」という説明をし、

父さんがいなくなっても

心配はいらないという話を

くり返し伝えた2月13日。


「とにかく、

 何の心配もいらないよ。

 母さんは今までどおり、

 笑顔でいてくれれば、

 それで大丈夫だから」


「そう? 今までどおり、

 ぱーぱーの母さんでいいのかな?」


「いいよいいよ。

 それがいちばんいい」


洗い物をする母の背中は、

鼻歌まじりで、

いつもより楽しげで嬉しそうだった。


内容よりも空気感。


内容の理解度なんて、どうでもいい。


ぼくは母が

笑っていてくれさえいれば、

それでいい。


ぼくは、終始笑って、

笑顔で母に話し続けた。


きっとその空気が

伝わったのだろう。

母は、何の心配もせず、

陽気に歌を唄っている。


階下に聞こえる母の唄声をBGMに、

ぼくは今、この文章を書いている。


2月13日、木曜日。


母からもらった

バレンタインデーのチョコを

ひとつ摘んで。


ミルクティ味の

甘い吐息を吐き出しながら、

ぼくは、父を思った。


ありがとう、父さん。

ぼくたち家族はしあわせだよ。

ずっとずっと、ありがとね。



賞のひとつも

獲れないぼくだけれど。

今見えている景色は、

本当にすばらしく、

涙が出るほど嬉しい景色ばかりだ。


ありがとう。


父さんを想って流す涙は、

まだ枯れないけれど。

約束どおり、

母さんのことは、

心配しないでください。



いつまで母を騙し続けるのか。

それは、わからない。


このままずっとかもしれないし、

いつか明かすのかもしれない。


ただひとつ言えることは、

今、母さんが、

ぼくが知る中でいちばん

しあわせそうだっていうことだ。


だからこの嘘は、

悪い嘘じゃないんだって。

ぼくも、姉ちゃんも、

そしてたぶん父さんも、

そう思ってくれてることと信じている。


もう少し母さんを、

騙し続けようと思う。


嘘のすべてが

罪だなんていうことはない。


誰かを安心させたり、

しあわせにする嘘だって、

あるものだ。


ぼくは上手に嘘をつきたい。

人をしあわせにするための

嬉しい嘘を。


どうせなら、そんな嘘で、

人を騙していきたい。



もしかすると、

この話だって嘘かもしれない。



嘘か本当かなんて、

どっちでもいい。


信じるか、信じないか。

ただそれだけのことなのだから。



2025年2月13日:記




< 今日の言葉 >


1000回ケンカして

 1000回大切な事を

 忘れたとしても

 1001回仲なおりして

 私たちは永遠に向かうのだ』


(『空の小鳥』羽海野チカ)


2025/02/01

母の観察日記



2015年の肖像
(小さいほうが母です)





最近、

母にはまっている。

母が、楽しい。


普段あまり

「はまる」ようなことの

ない自分だが。


母の観察が、

おもしろくてたまらない。


**


免許証を返納して、

車がなくなった母は、

駅から遠い店に行ったり、

重たい物を運んだりすることが

大変になった。


なのでときどき、

母を車に乗せて、

買い物へ連れていく。


そう。

まさしく「連れて行く」と

いった感じで。


電車や徒歩では

あまり歩かない界隈や、

なつかしい景色を見た母は、

助手席できらきら目を輝かせる。


「ほら、あれ。

 あのオレンジ色の屋根、

 あそこの奥が△△さんの家。

 あれ、なにこのお店。

 全然知らん。

 ああ、あそこはもう、

 なくなっちゃったんだねぇ。

 旦那さんが亡くなってからずっと、

 奥さん一人でやっとったもんで。

 まぁ、歳だったでねぇ。

 あれ、ここって前、こんなんだったか?

 前はパン屋じゃなかったっけ。

 あそこのパン、おぉいしかったわぁ。

 駐車場がちっさいもんで、

 空くまで待っとらないかんのだわ。

 あれ、あの人、ちょっと、

 どういうこと。

 あんな道のまんなかに座りこんで。

 車にひかれちゃったらどうするの」


・・・・と、いった具合に。


のべつ間もなく、

一人でしゃべり続ける。


きっと、嬉しいのだろう。


ぼくはときどき

合いの手を入れながら、

母の語りを

音楽のように聴いている。


助手席に座って

窓の外に顔を向け、

走る車の外の景色を

眺める母の姿は、

まるで小さな室内犬のようだ。


茶色く染めた髪の生え際が、

伸びてきた地毛の白髪に彩られ、

そのさまがまた

コリー犬みたいな感じで。

いっそう犬感をかもしている。


姉と一緒にいたときに見た母は、

半分、髪が白かったので、


「母さん、

 ブラック・ジャックみたいで

 かっこいいね」


と、称賛するぼくに、

姉が手を振って笑った。


「わからんって」


笑う二人に、

母もにこにこ笑っていた。



スーパーに着けば着いたで、

ぼくに話しているのか、

それともひとり言なのか、

母は大きな声で何やら言いながら、

店内を練り歩いていく。


「ここは野菜がおいしんだわ。

 トマトがいつもおいしくてね。

 これこれ。せっかくだで、

 いっこ買ってこうかね。

 あ、やきいもがある。

 母さんやきいもが好きなんだわ。

 どうしよう、買おうかな。

 あ、こっちの金時芋のほうが安いで、

 こっち買って煮ればいいか。

 大根も最近は半分売りなんだよ。

 先っぽがいい人と、

 葉っぱのほうがいい人と、

 どっちのほうが多いんだろうね。

 先っぽは、からいで、

 葉っぱのほうが売れるんかな。

 あ、牛乳がなかった。

 牛乳買っていかないかん。

 重たいで助かるわ。

 卵もなくなったで

 買ってかないかんね」


試しに、ちょっと離れてみても、

やや小さくなった母の声が、

後ろ姿から聞こえてくる。


遠目に見ると、

大きな声でひとり言を言う

お年寄りにしか見えない。


母の背中を見て、

ぼくは一人笑っていた。


うろうろと歩く姿は、

基地を忘れ、迷子になった

ロボット掃除機みたいで、

ちょっとかわいらしい。


「お母さん、今、

 おならしたでしょ?」


あきらかにしたときでも、


「しとらんよ」


と、言うことがある。


なるほど、これか。


ときどき、スーパーなどで、

妙な残り香があるのは、

こういう現象のせいかもしれない。


たとえ

ごまかしていなくても、

知らぬ間に漏れてしまっている

可能性も高い。


都合が悪くなると、

母はすぐに話をそらす。


「あ、このせんべい好きなんだわ。

 安くなっとるし、

 買ってもいいよね?」


なぜかぼくに同意を求める母。


そのさまはまるで、

おまけつきのお菓子を手に、

あれこれと理由をつけて

買ってもらおうとする

幼少期のぼくの姿そのものだ。


「ほしいんでしょ?

 なら、買えばいいよ」


うろうろとどこかへ

歩いていく母の肩に手を添え、

レジのほうへと促す。

これまた幼少のころの

母とぼくの姿の逆転現象である。


母の細い腕、骨ばった手。

さすがに手をつないで歩くことはないが、

いつかまた、つなぐ日が来るのだろうか。


幼いころ、

母に引いてもらった小さな手は、

母の手よりも大きく分厚くなった。

いつの間にか小さくなった母の手を

そっと握り、引いて歩く日も

そう遠くはないはずだ。



90歳を超えたばあちゃんと、

昼食を食べに出かけたとき。

ばあちゃんは、

ぼくの腕を握って歩いた。


その力が意外にも強くて。


家からお店までの数十メートル、

右の二の腕がぎゅうぎゅうと

悲鳴をあげた記憶がある。


母は、どうなのか。


肉食だったばあちゃんも

細身ではあったが、

ばあちゃんに比べ、

母は華奢で、細くて、小柄で薄い。


長生きしたばあちゃんを見習って、

母にも「たんぱく質」を勧めている。


その甲斐あってか、最近ようやく、

母の口からこんな言葉を

聞くようになった。


「ハムっておいしいねぇ。

 ハムなんて今まで

 食べたことなかったから。

 ハムって、おいしんだね。

 最近、初めて知った」


かたまり肉は、

敷居が高いと思い、

まずはハム、ソーセージ類を

勧めての約3年。

ようやく、その成果が実った。


そして昨年末ごろから、

かたまり肉も

食べるようになった。


お肉を食べない母は、

お肉を焼くのが下手だった。

煮込み料理や

ハンバーグなどはおいしいのだが。

一枚肉や

かたまり肉の調理は不得手で、

母が焼いたお肉は、

革靴の中敷きのように硬くて

ぱさついて、

きんきらのシールが貼られた

国産肉でも、

まるでもったいないことになっていた。


ぼくが焼いたかたまり肉を食べて、

母が、目を丸くした。


「おぉいしいねぇ、これ。

 こんなやわらかいの、

 初めて食べた」


ということで。


食卓に並んだ母のお皿にも、

お肉が載るようになった。


それまでの母は、

晩ごはん後にすぐ、

食パンを焼いて食べたりしていた。


「母さんて、ごはん食べたよね?

 なんかおなか減っちゃって。

 パンでも焼いて、食べようかと思って」


ごはん、パン、うどん、おまんじゅう。

ときどき、ラーメン、カステラ、せんべい。

あとは野菜と果物。

豆や豆腐が好きなので、

たんぱく源はそこで摂取しているのか。


母の得意料理は、

ハンバーグ、カレーライス、

ビーフストロガノフ、

シチュー、ロールキャベツ、

鶏肉のピカタ、ポークチャップ、

揚げ春巻き、豚汁、茶碗蒸し、

鯖の味噌煮、ぶりの照り焼き、

金目鯛の煮付け・・・

などだが。


(個人的には、

 母がお料理教室で習った、

『ラグー・ドゥ・ポール・

 フォレスティエール』なんていう、

 豚の肩ロース、野菜やきのこ類を、

 ブーケガルニとともに煮込む、

 洒落た料理も好きだが)


肉料理は、

ほんの少しだけ皿により分け、

自分はちょっとしか

手をつけない。


うなぎが好物だが、

さすがにしょっちゅう食べるでもなく、

気づくと、

たいした「おかず」もないままに、

白いごはんを食べつくしていた。


よくもまあ、80年間も、

こんな感じにやってきたものだ。


ここまで元気に生きてきたのだから、

大きく変える必要はないと思うが、

年々、痩せ細ってきた腕や背中を見て、

多少、心配だった。


ないものは生み出せないので、

たんぱく質を摂ってもらいたいと。


高齢になると、

すぐにお腹がいっぱいになるそうだ。

サラダやスープなどを

先に食べていると、

そこでお腹がいっぱいになり、

主食にまでたどり着けなく

なることがあるらしい。


好きなものは先に、ではないが。

サラダやご飯なども大事だが、

栄養価の高いものを先に

食べてもらえると

ありがたいなと思うようになった。


まるで子を想う

母親のような気持ちで。

子供のような母を、

子が思っての推奨だった。


朝ごはんに、

ハムだけでなく、

チーズを食べることが習慣になった。


「おしいい」


これが大事だった。


薬のようにして、

義務みたいに食べるのでは、

同じ食べ物でも

本当の栄養にならないような気がして。


体のために、

嫌なものや食べたくないものを

無理して食べるのではなく。


「おいしい」


このきらめきが、重要だと思った。


この1月で、

80歳になった母さん。


少しお肉を食べるようになり、

手を上にあげる運動を始めた母は、

少しだけ腕に肉がつき、

頭を洗うのにも

痛くてあがらなかった腕が、

控えめな万歳ができるくらい

あがるようになった。


継続は力なり。


何ごとも、始めるのに

遅いということはない。



***



病院へ連れて行って。

終わったら電話をかけてと、

母に伝えた。


用事を済ませて家に戻ると、

思いのほか早く、

母からの電話が鳴った。


「それじゃあ、

 受付の横のベンチで待っててね」


「女の人が、二人くらい

 立っとるとこだよね」


「そう。

 行きに入った玄関の、

 すぐ前ね」


車を走らせ、

病院の入口脇に寄せて停める。


ハザードランプを点灯させ、

さっと小走りで約束の場所へ向かう。


いない。


いるはずの母の姿がない。


少し見回してみたが、

母らしき姿はどこにもない。


すぐに車へ戻ったぼくは、

広々とした駐車場に車を停め、

暖色に色づきはじめた

メタセコイヤの木立ちを眺めながら、

ガラス張りの大きな玄関をくぐった。


携帯を持たないぼくではあったが。

広大な病院内の、

どこに公衆電話があるかは、

把握している。


電話をかける前に、

母がいそうな場所へと向かってみた。


絵図に描き表し、

図解つきで何度か説明・確認し、

その紙を手渡して持参してもらった

待ち合わせ場所ではあったが。

母のことだ。

こうなることは予想の範囲内だった。


約束の場所からずいぶん離れたところ、

日当たりのいい窓辺に、

一人たたずむ母の背中があった。


白い、丈の長いカーディガンを羽織り、

窓の外を眺める母の姿は、

まるで飼い猫が

暖かい室内から冬空の景色を

眺めているようだった。


きょろきょろと顔を動かし、

心配げに、

ぼくの車が現れるのを探している。


「母さん」


近寄り、肩をたたくぼくを

振り返った母は、


「あれっ、どっから来たの?」


と、目をぱちぱちさせた。


「母さん、ここじゃないよ。

 けど、ここだろうなって思った。

 母さん、ここと

 間違えてるような気がしたから」


何の迷いもなく、

間違った待ち合わせ場所で

母を見つけたぼくは、

自然と笑いがこみ上げた。


せわしなく、

今か今かと車の登場を待つ母の姿は、

飼い猫というのか、

子供というのか、

とにかくどこか、微笑ましかった。


暖かい日差しの中に立つ

母の白い背中。


昼間の太陽を浴び、

逆光に輝くその景色は、

名もない画家の描いた風景画のように、

目の奥にじわっと焼きついた。



夜ごはんの頃合いになり、

食卓へ顔を出したぼくに、

母が笑って手を叩いた。


「まぁあ!

 ちょうどいいタイミングだねぇ。

 本当、今ちょうどできたとこだよ」


「いい匂いがしてきて、

 そろそろかなって思ったから」


「ほぉんとぉ。いい鼻しとるねぇ。

 あんた、犬みたいだねぇ」


できたての揚げ出し豆腐が、

静かな湯気を立てている。


「あれっ、母さん。生姜は?」


「そう、それがないんだわ。

 チューブのも、

 おろすのもないんだわ。

 作ってから気づいた。

 買うの忘れとった。

 からしじゃいかん?」


黄色つながりで

からしを勧める母に、

ひとつ鼻で笑って答える。


「じゃあ、一味でもかけるよ」


「ごめんね、一味で。

 和式だから、からしとか、

 一味とかならいいかねぇ」


「和式って、

 トイレみたいに言って。

 和食、でしょ」


「しつれいしました」


「まあ、

 豆腐がなかったんじゃなくて

 よかったね」


「そうだね。そしたら、

 作れんかったもんね、これ」


(ごく当たり前のことを

 大層なことのように言う、母と子)


「ぼく、母さんの作る

 揚げ出し豆腐、好きなんだよ」


「本当かね。

 母さんも好きなんだわ。

 揚げ出し豆腐。

 母さんは豆腐が好きだで、

 こんな、

 わざわざ揚げたりしんでも

 好きなんだけど、

 やっぱり揚げると

 かりっとしておいしいもんね。

 チンして水気、切ったけど、

 あんまり絞れとらんかな」


「豆腐の上に、

 小皿とかの重しを置いて

 レンジにかけると、

 しっかり水気が絞れるよ」


「へぇ、知らんかった。

 あんた、よう知っとるねぇ」


大根おろしの水気を絞り、

冷蔵庫からめんつゆを取り出して、

今にもかけようとするぼくを、

母があわてて制した。


「ちょ、ちょ!

 だめ、ちがう、それ!」


鍋を片手に、必死である。


「今、その、それを、

 あっためたやつがあるで、

 それをかけようとしとるところ」


鍋とお玉で両手がふさがり、

目と顎と唇とで必死に、

揚げたての

揚げ出し豆腐を指し示す。


そのさまは、

古典芸能の「どじょうすくい」の

ようでもあり、

あちこち餌をついばむ

とぼけた鳥のようでもあり。


どこか滑稽で、

必死になればなるほど、

見ている側のおかしさは

累乗した。


「おいしいねぇ」


揚げ出し豆腐をほおばるぼくに、

母が顔を向ける。


「ちょっとまって、まだ食べとらん。

 ・・・ほんとだがね。

 おぉいしいわぁ。自分で作っといて。

 やっぱり、うちで作ったごはんが

 いちばんおいしいね」


かく言う母は、

外食時には、同じ口でこう言う。


「おぉいしいねぇ。

 やっぱり外で食べる料理は、

 おいしいねぇ」


この、あきらかな矛盾も、

嘘ではなく、

母の本当の気持ちが

込められているのだから。


よし、ということにしましょう。


母に、細かいことを言っても、

どうしようもない。


それは、ロボット掃除機に、

おすわり、とか、

お手、とかを要求したり、

かわいいワンちゃんに、

右足からではなく、左足から歩きなさい、

と言ってみたり、

日なたで昼寝している猫ちゃんに、

株式の動きと世界情勢の関係を

話して聞かせるような、

空疎で無意味なことである。



「今日見た木、きれいだったねぇ。

 葉っぱがいい色に染まっとった」


「天気もよかったし、

 光がきれいだったね。

 今年は色づきがよくないって、

 聞いたけど」


「暑かったり、

 急に寒くなったりしたもんね。

 ほいでもきれいだったねぇ」


「そうだね。きれいだったね」



こうして母と話していると、

やはり母とぼくは

似ているのだなと実感する、


細かいことは、どうでもいい。


去年とか、例年とか、

そんなことより、

今、目の前の景色がきれいなら、

それで充分なのだ。


ただ、目の前のことを楽しみたい。

明日や来週、来年のことなんて、

考えても仕方ない。


ばかな親子は、

こうしてなんとか

50年を過ごしてきた。


こんな他愛のない1日が、

18361日、重なって、

今日がある。


なんていうことすら、

どうでもいい。


現在 +(  )= 笑顔


この穴埋め算ばかりを

解き続けてきたぼくは、

いまだに大したことはできないけれど、

かっこの中を埋めることだけは、

多少、上手くなった気がする。


コントロールしない。

コントロールはできないのだから。

それより、目の前の現象を楽しむ。


そんな極意を、

一見適当に見える母の姿に教わった。



****



テレビっ子の母に、

本を貸した。


貸したのは

『チョッちゃんが行くわよ』。

黒柳朝子さん

(徹子さんのお母さん)が

書いた自伝的随筆だ。


たまたま母の母も「朝子」さんで、

同じ名前だったこともあって、

ふと思い浮かんだ。


内容も明るくおもしろく、

平滑な表現で読みやすそうなので、

その1冊を選んで母に貸した。


さすがに『ドグラ・マグラ』や

『孤島の鬼』、『家畜人ヤプー』や、

『電気羊はアンドロイドの夢を見るか』

なんかを貸すわけにはいかず。


「お母さん」の話なら、

母もきっと共感しやすいだろうと

思ってのことだ。


読んだ? と尋ねるぼくに、

母は最初、

何度も同じことを言っていた。


「ちらっとは読んだんだけど。

 なかなか読む時間がなくて、

 前に進まんのだわ」


母は、相変わらず

テレビっ子だった。


それ自体は悪いことではないが。

そればかりなのは、少し寂しい。


読んだ?

ちらっと読んだんだけど・・・と。

そっくり同じ問答が、

3、4回ほどくり返されて、

それ以上、何も聞かなくなった。


1か月ほど経って。

母が、言った。


「あの本、おもしろかったぁ。

 読みやすいし、すごくよかった。

 本なんてずっと読んどらんかったけど、

 いいねぇ、本って。

 何回も読み直せるし、

 読んどると絵が浮かんでくる」


まさに「読書」の

効能そのものを口にする母に、

ぼくはなんだか、

ほんの少し感動すら覚えた。


感想や、内容についての

話をする母に、


(ちゃんと本、読めるんだな)


と、当たり前のことを思ったりした。


新しいことも、新しい習慣も、

頭に入らないとばかり思っていたのだが、

読書という行為だけでなく、

登場人物の家族構成や、

各エピソードなども、

きちんと理解して覚えていた。


感想も、母ならではの、

母が感じた独自のものであり、

聞いていてこちらが、

へぇ、とうならされたりもした。


もう1回読み直してみたいから、

まだ貸しておいてと。


それは、嬉しい要求だった。


さらには、

もっと読みたいから、

別の本も貸して欲しいと。


驚くほどの「成長ぶり」である。


温まりかけた意欲を冷まさぬようにと、

親心にも似た気持ちで、

ぼくはさっそく、次の本を用意した。


母がぼくに言った。


「いつかあんたの書いた本も、

 読めるといいね。

 楽しみにしとるよ」


涙こそ流れなかったが。


ぼくは、胸が熱くなり、

視界がじわっと潤んでにじんだ。


「そうだね。

 長生きして待っとって。

 そのときを、楽しみにしとってよ」


ぼくは、母と同じく、

名古屋弁で答えた。


本当に。


ぼくが書いた、母の話を、

母が読んでくれたら。

それは、すごく嬉しい。


けど、「おなら」の話は、

怒るかもしれない。


笑った顔で、

「これっ!」という、

母独特の怒り方で。





ぼくは、

まるでアサガオの

成長記録のようにして、

母の観察を楽しんでいる。


素直な反応、意外な行動。

学びと発見と驚きと感動と・・・。


決して

上手くいくことばかり

ではないが。


とにかく、

母の観察が、おもしろい。


これが何になるかということよりも、

ぼくは今、

自分が楽しいと思うことをやりたい。


それが、

「自分自身を生きる」

ということだと。


父が死んでから、

つよくそう思うようになった。


嫌なものは嫌でいい。

できないことはできなくてもいい。

他人や世間の物差しではなく、

自分自身の心のままに。

大切なものを大切にして、

忘れたり、忘れなかったり。

覚えたり、覚えられなかったり。


今、笑顔でいれば、それでいい。


自分と、

目の前の人が笑顔であれば。

ぼくは、嬉しい。


大切な時間を、

なくしてしまう前に。

それが、嘘や理想や

きれいごとなんかじゃないと

気づけたことが、本当に嬉しい。




< 今日の言葉 >


「善光寺・・・あれっ、

 牛に噛まれて、だったか。

 あぁ、引かれて、ね。

 あそこは牛で有名なのかねぇ。

 牛って、モーっていうよね。

 よだれ垂らして。

 あれっ、今年、

 うし年だったっけ?

 あ、違うか。なに、辰年?

 辰年って、誰だった?

 ああ、そうそう、

 しゅうちゃんだがね。

 なに、引き算したの?

 あんた計算早いねぇ」

 

(本筋からどんどんスピンオフしながらほとんど切れ間なく言葉を並べる母の、すきまを突くように返す合いの手は、まるで餅つきの「返し」のようだと感じた)