2008/07/16

Oh、相撲







大相撲名古屋場所を見に行った。


僕は特別、相撲の大ファン
というわけではない。

今まで、テレビ中継やニュース映像、
新聞などで目にした程度で、
最低限「相撲というものが
どういう競技なのか」を
知っていたにすぎない。


当然、
実際に相撲を見るのは、
今回が初めてのことだ。


結論から言うと。


少なくとも一度は、
見に行くべきものだと感じた。


実際に自分の目で見た「相撲」は、
画面や紙面で見る「相撲」とはまるで違った。


まず、音。

力士どうしがぶつかり合う音や
「四股(しこ)を踏む」音。

空気をふるわすような鈍く、重厚な音は、
どんなに性能のいいアンプでも再現できない。

やはり「生音」にはかなわないだろう。


ほかにも、
力士の息づかいや観客のヤジなど、
テレビ中継では拾われない、
いろんな「音」が聞こえてきた。


やっぱり、音は「空気を通して」
肌で感じるものだと実感した。


そして「びんつけ油」の甘い匂い。

場所に着くまでに何度かすれ違った、
浴衣姿の力士たちも、
甘い、いい香りがしていた。


空気は、
その場でしか味わえない。


土俵上で対峙した力士がにらみ合う、
緊迫した空気。

土俵の下で、
出番を待つ力士たちの緊張感。

何ともいえない、
集中力の高い雰囲気が、
土俵まわりの空気をぴりぴりとふるわせている。


さらに、相撲は「競技」でありながら、
同時に「儀式」であることを
感じさせられた。


現在よく耳にする
「うわてなげ」「うっちゃり」など、
技(決まり手)が細分化されたのは
1960年ということだが。

言うまでもなく、
相撲自体の歴史は古く、
その起源は1500年以上の昔にさかのぼるらしい。


日本最古の歴史文献とも言われる
『日本書紀』にも載っているのだから。

まさに日本の「文化」
そのものとも言える。



相撲は、伝統行事とスポーツの融合で、
ひとつの「祭り」でもある、と。
そんなふうに思った。

ただ単に「スポーツ」という
言葉だけで表せない、
伝統と格式。

相撲のことを詳しく知らない僕でも、
見ていて「神事」のような厳格さが伝わってきた。


それは、
ひとつひとつの動作や決まり事にも表れていて、
見る側が「まどろっこしく」感じるしきたりや
“ 間(ま)”などにも全部意味があり、
無駄な「飾り」はひとつもないはずだ。


例えば、土俵入りで「四股(しこ)を踏む」のも、
大地を鎮めるための神事が起源ということらしい。


伝統とは、
既存のものを忠実に「なぞる」こと。

茶道や修行僧の道も同じ。


とはいえ。

不純な僕は、
相撲を彩るいろいろな「小道具」に
興味が向いて仕方なかった。


土俵を整える人の服装。

着物の裾がじゃまにならないよう、
脚絆(きゃはん)のような、
裾だけのズボンのようなものを履いている。

その人たちの持っている
「ほうき」や「じょうろ」も
いちいち気になる。


たぶん、どれも
「メイド・イン・ジャパン」の
“ こだわった ” 品なんだろう。


座布団の柄や素材、
塩の入った竹カゴ、
力士のまわしやちょんまげのデザイン、
化粧まわしの図柄など・・・
本当にもう、興味は尽きない。


次々に代わる「行司」の
服装も気になった。

「幕下」の取組みでは、
行司の着物の裾が
「六分丈の半ズボン型」
だったのだが。

「十両」の登場を境に、
どんどん行司の着物が
立派になる。

手にした「軍配」の素材やデザインも、
見るからに高級な感じになっていく。

小道具を含めた「場」が
どんどん豪華になっていくことで、
力士だけでなく、
見る側の気持ちも高揚してくる。


・・・余談だが。

現在、世間では
「格差社会がうんぬん」などと言われているが。

日本は、古来から農民や商人など、
平民には使用できない「色」などがあった。

「紅の八塩」
くれないのやしお

 は禁色で、

「紫根色」
しこんいろ

 は、何より高価で
 手が出ない物だった。


別に今の “ 風潮 ” を
くさすつもりはないけれど。

そういった意味での「格差」は、
あることが必然なのかもしれない。


強く、格が上の力士になればなるほど、
その待遇や場が豪華になる。


それは、
とても分かりやすい世界だった。



午前中からずっと何時間も
「相撲の世界」に浸っていて。

ふと、分からなくなった。


ここがどこで、
今が何時代なのか。


大げさなようだが、
着物を着て、ちょんまげを結い、
聞き慣れない言葉が飛び交う中にいると、
そんな錯覚におちいってしまった。

お客さんも、
普段行く場所では
あまり見ない感じの人が多い。

着物や浴衣など、
和装の人もいた。

どこかのお店の女将なのか、
リーゼントのような髪型の、
上品な女性も何人かいた。


ある意味、外国。


現代の「ニッポン」からすると、
外国文化ほど遠いものに感じる世界。

それは、初めてヨーロッパに行った時の
「異国感」にも匹敵する。


こんな相撲の世界に飛び込み、
相撲中心の生活を送る外国人力士は、
「ニッポン人」よりも
「日本人らしい」かもしれない。

少なくとも
僕の生活よりは「日本」だろう。


とにかく。


見るうちに僕は、
相撲の世界と、
おすもうさんの魅力に包まれた。


化粧まわしをつけて
土俵に勢揃いした力士たち。

キン肉マン世代の僕には、
彼らが超人に見えた。


「ああ、これから
 超人オリンピックが
 始まるんだな」


などとバカな感慨にふけっていたが。

照明を浴び、
色とりどりのまわしを巻いて。

鍛え上げられた巨大な体は、
まさに「超人」そのものだった。


「かっこいい」と、
純粋にそう思った。


おすもうさんに抱かれると、
その子は立派に育つなどというが。

僕も、
抱いてもらえばよかった。

もちろん変な意味ではなく。
できれば「お姫様だっこ」でも
してもらいたかった。



最後に。


館内で食べた「ちゃんこ」が
とてもおいしかった。

この日はちょうど
僕の好きな塩味だった。

(今回は、
 1〜5日目:しお、
 6〜10日目:みそ、
 11〜千秋楽:しょうゆ、
 ということになっていた)


あげ、厚あげ、
大根、にんじん、
ごぼう、豚肉、鶏肉。

それらの具材が、
だしの効いた塩味のつゆで
煮込まれている。


見た目に反して意外と薄味だが、
素材の味がしっかりする。

さすがに「ちゃんこ」。

塩分控えめなので、
これなら何杯でもたくさんいける。



大相撲名古屋場所3日目。


この日は、相撲を通して、
日本の文化をあらためて
考えさせられた1日だった。



< 今日のひとこと >

ウルフマン
テレビに出ると
リキシマン

(大人の世界は、法律とか権利とかが色々からんで、
 何かとややこしいということのたとえ)