2008/12/23

異文化交流


「少数民族部族」(2011)



海外に行くと、
文化や考え方の違いに
ふれられておもしろい。


ホテルなどの宿泊施設ではなく、
誰かの家に泊めてもらうと、
生の文化を味わうことができ、
さらにおもしろい。

旅行者向けの
「よそいき」の顔ではなく、
その国の「素」の顔が
見られるからだ。


異文化交流。


何も「外国文化」に
ふれることだけが
異文化交流ではないと、
最近よく思う。

いってみれば、
「自分以外のすべてが異文化」だ。

犬も歩けば、ではないけれど。
道を歩くと「異文化」にぶつかる。


昭和歌謡曲を
大熱唱しながら歩くおじいさんも、
置物みたいに座っている
タバコ屋のおばあちゃんも、
二重跳びの練習をしている小学生も、
2つとも同時に鳴り出した携帯電話を
じっと眺める女子高生も。

みんな、それぞれの
「文化」を持った「独立国家」だ。

そんな人たちと話し、
交流するのも、立派な「異文化交流」だと思う。


見ているだけでも、
異文化に触れることはできる。

まずは「異文化」に興味を持つことで、
異文化交流の扉は開くのです。


自分は「学校」という場所で
働かせてもらっていることもあり、
さまざまな分野の、
幅広い世代と接する機会がある。

10代、20代の生徒をはじめ、
同世代の先生、
さらには大先輩の先生や校長、
親ぐらいの年齢の掃除のおばちゃんや、
警備のおっちゃん。

ちょっとしたきっかけで、
あいさつを交わすだけの関係から
一歩踏み込むと、
いろいろな「文化」が見えてくる。


フタをあけてみると、
みんなおもしろい。

年齢や世代はもちろん、
性別や生活環境、趣味や趣向など。

いままでその人が歩いてきた
足どりの違いで、
「個性」というものがつくられている。

選ぶものも違えば、
考え方、ものの見方も当然違う。

いままで自分が
見向きもしなかったような
こと(もの)に気づかされたりもするし、
ものすごく「せまい」部分で
共感しあったりすることもある。


本やCDを貸したり借りたり。

「これはおいしい」というものを
教えたり教わったり。

おもしろかった出来事を
話したり聞いたり。

一方通行じゃないからこそ
「交流」がおもしろくなる。


ときには意見を言いあって、
ぶつかることもあるけれど。

そうやって自分の「ものさし」を
「たしかめて」いく。

伸ばしたり整えたりしながら、
自分の「ものさし」を磨いていけば、
測りづらかった事柄も、
いつかは寸法が採れるように
なるのだろう。


先日、芸大に遊びに行って、
何人かの学生さんと話をした。

みんな、
それぞれの「世界」を温めていて、
自分の世界と「外の世界」とをつなごうと、
表現している。


日付をふられ、
箱に入れられた落葉。

どの箱も、
落葉が1枚ずつ入れられている。


「落ちてきた葉っぱを、
 指でつかむんです」


作品を見せてくれた
院生の彼は、おだやかで、
曇りのない声でそう説明してくれた。

ひらひらと舞い落ちる葉っぱを見ると、
彼のことを思い出す。

今日も葉っぱを
つかまえてるのかな、と。


きっかけは、
ほんのちいさな種だったかも
しれないけれど。

彼の「世界」は、
僕の中にしっかりと根づいた。


こんなふうに、
お互いの「文化」を交換していく。

コーヒーを飲みながら、
タバコをふかし。
ときにはアルコールも交えながら。

自分の奥底にある、
どうでもいいような「文化」を掘り出し、
外の世界にさらけだす。

たとえイスに座ったままでも、
海外旅行なみに濃密な時間がすごせる。


外国から戻ってくると、
自分の国のことが、
あらためて見えてきたりする。

それは、個々人の
異文化交流でも同じことが言える。

慣れ親しんだ文化にとどまることなく、
異文化にふれることで、
「自分」が見えてくる。

必要なものも見えてくる。


『仮面をつけて生きるのは
 息苦しくてしょうがない』

 (ザ・ブルーハーツ「チェインギャング」より)

さあ、みなさんも、
素顔をさらけだして、
生の異文化交流をたのしみましょう。



++++++++++++++++++++++++++++++
+++++ クリプレ(クリスマス・プレゼント) ++++++
++++++++++++++++++++++++++++++

     
+++++++++++++++++++++++++++++++