☆ ☆ ☆ ☆ ★
つい先日のこと。
電車を降りて、
駅前の広場で足を止めた。
足元に、1羽のスズメが横たわっている。
じっとして動かないスズメ。
死んでしまった、スズメだった。
地面のタイルに横たわる、スズメの死骸を見て。
ぼくの足は、無意識に立ち止まった。
時間にしておよそ3秒くらい。
ぼくの足はまたすぐに、
何事もなかったかのように、
先へと歩きはじめた。
眠るように目を閉じた、スズメの死骸。
しばらく歩いても、
その姿が残像のように浮かんでいた。
20代のころ。
繁華街を歩いていると、
歩道のやや左よりのあたりに、
1羽の鳥が死んでいた。
ビル街の歩道。
青くてきれいな羽根が混じった、
名前も分からぬ鳥。
鳥が横たわっていたのは、
土ではなく、ブロックタイルの上だった。
ひとり歩いていたぼくは、
鳥の死骸を手に取り、
車道よりの、街路樹の足元に死骸を置いた。
平日だったか休日だったか。
それなりに人通りの多い界隈で、
ぼくは、周りから注がれる視線が気になった。
だから、そこまでしかできなかった。
それがやっとだった。
土を掘って穴に埋めることまでは、
到底できなかった。
死んだ鳥を、
街路樹の下、わずかばかりの土の上に置いたあと、
やや足早のその場を離れた。
いくつか横断歩道を渡ったあとも、
ぼくの目には、
青い羽根の混じった、
死んだ鳥の姿が横たわりつづけた。
幼いころ。
飼っていた金魚が死んで、
庭に埋めた。
野良猫が掘り返さないように、と、
母に言われて、
朱色の園芸シャベルで土を掘っていった。
「もういいでしょ、そのくらいで」
母の声に手を止める。
50センチくらいは掘ったと思う。
ふり返ると母が苦笑していた。
野良猫が掘り返さないくらい、というのが、
どのくらいのことをいうのか分からなかったぼくは、
声をかけられなかったら、
地球の裏側まで掘り進めていきそうな、
そんな勢いだったのかもしれない。
金魚の死骸を穴のなかにうずめる。
いましがた掘り返した土を穴にかぶせ、
シャベルの背で、何度もしつこく叩いて、
土をならし固める。
そのときもまた、
「あんまりつよくしたら、
金魚がつぶれちゃうから」
そう母に言われて、
やさしく、それでいてしっかりと、
金魚がつぶれないよう気を配りながら、
掘った土をかぶせていった。
土をかぶせ終わると、
その上に棒を刺した。
棒というのも、
(おそらくこれを読んでいる方の中にも
おなじ経験があると思いますが)
食べ終わったアイスの棒に、
『金魚のはか』
と書いたものである。
幅1センチほどの、アイスの木の棒に、
油性マジックで書かれた『金魚』の文字は、
にじみ、つぶれて、
『全魚』とも『金角』ともつかない仕上がりで。
背伸びして『金魚』と書いたものの。
まだ「墓」という漢字が書けない幼稚園児のぼくは、
『はか』と書いてみて、
何となくしっくりこない思いを抱きつつも。
最後、どこからかちぎってきた花を添えると、
目を閉じ、頭(こうべ)を垂れて、
ぶつぶつと何やら唱えた。
「さようなら、金魚さん」
きっとそんな程度だったように思う。
名前もつけなかった金魚の、
名もなき墓。
それはまったく
「ごっこ」のようなものだったかもしれないが。
ぼくの「埋葬体験」の、
いちばん最初のものだった。
飼っていた小鳥の「ピースケ」が死んで。
こんどは太めのアイスの棒に、
『ピースケのはか』
と書いて、死骸を埋めた。
亀の「カメちゃん」が死んだときも、
おなじように、庭の花壇のすみに埋めた。
カブトムシやクワガタ、
その他いろいろな生き物たちが死ぬと、
そのつど、庭の花壇に埋めた。
いまにして思えば、
花壇の下は、
さぞかし「にぎやか」だったことだろう。
幼いころは、気にならなかったこと。
幼いころなら、気にされなかったこと。
ぼくは、駅前で遭遇したスズメの死骸に、
できないことがふえている不自由さを思った。
☆ ☆ ☆ ★ ★
小学3年生のときの、
ある日曜日。
おめかしして
出かけようとしているぼくを見て、
父が声をかけてきた。
「なんや、どっか行くんか?」
こくりとうなずき、
「おたんじょう会にいく」
と答えるぼく。
「男の子か?」
という父の問いかけに、首を横に振る。
「なんや、女の子かいな。
そんならちょっと待っとき」
言うなり父は、
庭に咲いていた白いバラの花を、
これでもかというほど切って、
ぐるぐると包装紙で包んで
大きな花束をつくった。
20本はあろう、大輪の、
真っ白なバラの花束。
そんなの、
歌謡曲とかでしか聞いたことがない。
いや、聞いたのは「真っ赤なバラの花束」か。
・・・そんなことはどうでもいい。
ぼくは、その大きな花束を
持っていくことを拒んだ。
「なんでや、
なんで持っていけへんねや?」
と、父がすごむ。
「はずかしい」
すでに戸惑い、口ごもるぼく。
「なに言うてんねん。
ええねや、持って行き。
誕生日なんやろ?」
うなずくのがやっとのぼくに、
父はたたみかけるようにして言いつのる。
「プレゼント、ないんやろ?
女の子の誕生日に
手ぶらで行ってどないすんねん。
ええから持って行き。
持って行ってすぐに渡したら、
それでええねやから」
ほとんど強引、ほぼ強制的に、
真っ白なバラの花束を持たされたぼくは、
しぶしぶと、やや重い足取りで、
自転車の置いてあるガレージまで歩いた。
途中で置いて行こうにも、
父が背後で、出かけるぼくを見守っている。
自転車の前かごに、
巨大な花束を入れたぼくは、
視界をじゃまされながらもときどき立ち漕ぎして、
おたんじょう会の会場へと向かった。
途中、用水路かどこかに流そうかとも思ったが。
何だかそれは、できなかった。
そうか。
なるべく早く行って、
みんなより先に着けばいいんだ。
そう思って道を急ぐも、
のぼり坂の多い道中、
大きな花束がいまにも転がり落ちそうで、
なかなか前に進まない。
気持ちばかり焦って、
ちっとも早くは漕げなかった。
会場に着くと、
すでにみんなが集まっていて、
女子は全員そろっていた。
女子たちの視線が集まる先。
かくすには大きすぎる白いバラの花束は、
ぼくより目立つくらいだった。
仕方ない。
「おたんじょうびおめでとう」
投げやりな感じで、花束を渡す。
「あたしに? ありがとう」
自分の足元ばかり見ていて、
相手がどんな顔をしていたのかは
分からないけれど。
一大任務を終えたぼくは、
とにかくほっと胸をなでおろした。
それもつかの間。
女子たちの黄色い声が、
堰(せき)を切ったように飛び交った。
そのときぼくの顔は、
恥ずかしさのあまり、
真っ赤に染まっていたことだろう。
花束をもらった本人まで、
真白だった頬(ほお)を、耳たぶを、
みるみる真っ赤に染めていた。
白バラは、紅潮する頰も隠してくれない。
「赤いバラだったらよかったのに」
・・・なんておしゃれなことを、
思ったはずもなく。
しばらく、
女子たちの冷やかしの洗礼を浴びつづけた。
「どうやった、よろこんだやろ?」
帰るなり、父に聞かれた。
ぼくは、あいまいに、
うん、とだけ答えて、
父の前からそそくさと消えた。
翌日からもしばらく、
ぼくは、バラの花束をあげた相手といっしょに、
ほかの女子から冷やかされつづけた。
それがいつまでつづいて、
どのように収まったか覚えてはいないが。
とにかく、花束騒動は、
しばらく尾を引いたのであった。
甘い、紅茶のような、白いバラの香り。
その匂いを嗅ぐと、
ふと、この一件を思い出す。
大きくなって。
好きな子のためにつくった、
ちょっとした絵本をプレゼントに添えて、
誕生日に告白したりした。
お酒も飲まずに、
照れながらも真面目な顔で。
そんな恥ずかしいことを、
さらりとやってのけるようになったはずなのに。
まだまだできないことは、たくさんある。
大切な人を泣かせたことも、
一度や二度ではなく、
数え切れないほどある。
☆ ☆ ★ ★ ★
知人の子どもと遊んでいて。
奇声をあげて、はしゃぎ回る姿に、
思わずぽつりと洩(も)らす。
「いいなあ、子どもは。
思いっきり走り回れて。
大人がやったら、
やばいやつと思われるよね」
近所のうわさで済めばまだしも。
下手をすれば通報ものだ。
いろいろな尋問のあと、
さまざまな検査をさせられて、
窓のない、やわらかい壁の部屋へと
連れて行かれるかもしれない。
それは困る。
けれど。
おいしそうな木の実を見つけて、
手を伸ばして捥(も)いで食べてみる。
長々とつづくアリの行列を見て、
どこに行くのか、ついて行ってみる。
夜、暗くなるまで、時間を忘れて遊んでいて。
「ごはんだよ」
と呼ばれて、ようやく家に帰る。
明日のことより、今日、いまのこと。
ずるはしない。うそは、つかない。
夢中になって、
誰かが呼ぶ声も聞こえない。
悲しいことがあれば、
大きな声をあげて泣きじゃくる。吠える。
嫌なことがあれば、
地団駄を踏んで、わめきちらす。叫ぶ。
やったことがないことは、
やってみないと分からないから、
とにかくまずはやってみる。
恥ずかしいとか人目とか、
そんなことより自分の「好き」がいちばんで。
やりたいことを、やりたいようにやる。
拙(つたな)かった表現が、
少しは成長して変わっても。
気持ちは変わらず、そのままなもの。
できなくなって、消えたもの。
どっちがよくて、どっちがわるいのか。
そもそも、
いいとかわるいとか、
そういうのは、ないものなのか。
☆ ★ ★ ★ ★
小学生のころ。
「正義の味方」に憧れていたぼくらは、
友人と、ヒーロー物のビデオを見たり、
ヒーローのフィギュアを集めたり、つくったり、
ヒーローの絵を描いたりして過ごしていた。
6年生になって。
仮面ライダーの映画をつくった。
(※過去記述『もしも36年間の集積がゴミだったら』参照)
そのことが学校の先生の耳に入り、
運動会で仮面ライダーの扮装(ふんそう)をしてほしい、
ということになった。
折しも、
映画で仮面ライダー役を演じたぼくら2人は、
2人ともが「体育委員」だった。
そしてぼくらは、
運動会の赤組と、白組の応援団長だった。
ぼくが赤組で、友人が白組だ。
仮面ライダーの格好で応援する、
という話を持ちかけられたとき、
ぼくは正直、嫌だと思った。
ぼくらがつくった仮面ライダーは、
映画のための「衣装」であって、
着ぐるみのように、人前で披露するものではないと。
第一、子どもじみていて、
恥ずかしいと思った。
自分もれっきとした子どものくせに、そう思った。
・・・だって、
クラスの女子とかにも見られるんでしょ?
大好きなあのコにも・・・。
もう1人の仮面ライダーである友人は、
先生たちからの提案に、
抵抗を示すことなく、よろこんでいるようすだった。
正義の味方らしく、まっすぐに。
そこが、彼とぼくとの大きなちがいだった。
映画の中でも、ぼくは、
友人演じる「仮面ライダー」の敵役の、
「にせ仮面ライダー」役だった。
(※過去記述『金田と鉄雄と、ぼくとおっか』参照)
そんなこんなで。
結局、仮面ライダーの扮装で
運動会の応援合戦に登場することとなったぼくらは、
当日のために準備をした。
撮影でボロボロになった部分を修繕したり、
新調した部分もあった。
手袋は、食器洗いのときに使うゴム手袋だ。
長靴は、給食室のおばさんに貸してもらった。
ぼくのは少し、
給食のスパゲッティみたいな、
ケチャップの匂いがした。
手袋も長靴も、白だった。
ぼくは、赤組ということもあって、
せめてマフラーくらいは赤に、と、
当日、母にスカーフを借りて、首に巻いた。
真紅(しんく)のマフラーは、
本当に、そこだけ、
正義の味方のような感じで、
悠然(ゆうぜん)と風にたゆたっていて、
すごく誇らしく感じた。
子どもだまし、
と思っていた出し物だったが。
小学校には
たくさんの「子どもたち」がいるわけで、
応援合戦のあと、
気づくと低学年を中心に集まって、
ぼくらの周りに人の輪ができていた。
ぼくらの胸にも満たない身長の「子どもたち」が、
わらわらと、ひたむきに集まってくるさまは、
斜に構えがちだったぼくの心をも溶かし、
そのときばかりはぼくを、
「正義の味方」へと変身させた。
仮面ごしに見た、子どもたちの笑顔。
その顔は、目の前にいるぼく(ら)が、
本物のヒーローであるかのような、
きらきらとまぶしい、
憧れに満ちた表情だった。
ぼくは、やってよかったな、と思った。
やってみて、
よろこんでもらえるものなんだと
初めて知った。
自分ではうれしくないものでも、
よろこぶ人はいるのだと。
よろこんでもらえたことが、
すなおにうれしかった。
ほんの一瞬の、錯覚かもしれないけれど。
あのときぼくは、
本物の正義の味方に、
本物のヒーローに、なれた気がした。
身長157センチの、正義の味方。
小学6年生のぼくには、
そのとき少しばかり、
視界が高くなったように感じた。
★ ★ ★ ★ ★
先生とか親とか、
そんなものから離れたはずなのに。
誰かに「怒られる」ような気がして、
自分が思うことをできない不自由さ。
みんなに「笑われる」ような気がして、
ためらい、遠慮する、気弱さ。
変だって思われたら
どうしようという心配。
誰かって、誰だ。
みんなって、誰だ。
変って、何だ。
それは全部、自分の姿。
いまの自分が、そう決めている。
いつの自分が、本当の自分なのか。
いつからの自分が、偽りの自分なのか。
いいこと、わるいこと。
まちがっていること、正しいこと。
とりとめもない、
ばらばらのかけらたち。
ばらばらのかけらも、
集めて回せば万華鏡。
くるくる回る、過去未来。
見えてくるのが虚像なのか、実像なのか。
自分の原点はいずこに。
終着点はいかに。
くるくる回る、万華鏡。
見えているのは、いまの景色。
同じように見えて、
同じ風景は、
二度とないのであります。
< 今日の言葉 >
「範囲を決めてから冒険するようなやつとはもうおさらばだ。」
(『冒険者たち 〜ガンバと十五ひきの仲間』斎藤惇夫:著)