2010/11/25

もしも36年の集積がゴミだったら







築36年、といえば、
そろそろリフォームの必要なところが
出てくるころかもしれないが。


先日、めでたく36歳の誕生日を迎えることができた。


ちょうど授業の日だったこともあり、
その日は、たくさんの生徒に誕生日を祝ってもらった。

教室では、新聞紙をちぎった紙吹雪を浴び、
仲よくしてもらっている生徒からも、
たくさんのお菓子やケーキや手づくりのカードなんかを
もらったりした。


とってもありがたいです。


誕生日を、
たくさんの人に祝ってもらった。


ちなみに。


昼休みに、中華料理店で麻婆豆腐を食べていて。

ふとテレビを見上げると、
画面のなかで山川豊氏が『アメリカ橋』を歌っていて、
その後ろではレオタード姿の「珍しいキノコ舞踊団」が
バック・ダンスを踊っていた。


麻婆豆腐をすくったレンゲを片手に凝固すること数秒間。


食事を再開してもなお、
ぼくの耳のなかで、

「石だたみ〜 石だたみ〜 ♬」


というフレーズがくり返されて。

店を出てもずっと、
「石だたみ〜♬」のリズムと
珍しいキノコ舞踊団の妖艶なダンスとが、
まるで36歳になったばかりのぼくを祝うかのように
ぐるぐると回りつづけたのであります。


誕生日。


よろこびを表現するのが下手クソなぼくは、
果たしてうれしさを表わせたのかどうか、
それは分からないけれど。

みんなから、いろいろなお祝いをもらった。


そんななか、友人の弟から、
1枚の色紙をもらった。



スマップのメンバー、
全員のサインが書かれた色紙。



ぼく宛に書かれた、
スマップ全員のサインなのだが。

それは、友人の弟が、
ぼくのために書いてくれたものだ。


友人の弟が書いた、
スマップのサイン。

スマップのサインであって、
スマップのサインではない。

友人の弟が、
ぼくのために書いてくれたスマップのサインだ。


友人の弟は、
スマップ全員のサインを
完全にマスターしているのだという。

迷いのない線で書かれた、スマップのサイン。

この「スマップのメンバー全員のサイン色紙」は、
ぼくにとって、ある意味、
本物のサインよりもうれしいプレゼントだ。


友人の弟は、
スマップが大好きで、
遠隔地で行なわれるコンサートでも、
できるかぎり観に行く。

当日、コンサートに行くときは、
「万が一のために」(って、どういうこと?)
スマップ公式グッズのブリーフをはいていくという
念の入れようだ。


コンサートが終わったあとは、
同じくスマップ好きの仲間と2人、
コンサートで歌った曲順でスマップの曲を熱唱して、
カラオケ・ボックスのなかで、
会場さながらにペンライトをゆらすのだという。


ああ、なんと熱いのか。


ぼくには、趣味がない。

だから、そういう熱さがうらやましい。


小学生のとき、
仲のいい友人と2人、
同級生を巻き込んで映画をつくった。

つくったものは『仮面ライダー』の映画なのだが。

脚本をぼくが書いて、
キャラクターや美術、
細かなアクションは友人と2人で考えた。

同級生だけでなく。

怪人の衣装などをつくるのに母親を巻き込み、
当時、高価だったビデオカメラを用意するのに、
後輩とその父親までをも巻き込んで。

毎週日曜日は、
近所の採掘現場に集合して「撮影」をした。


小学生のやることだから。

「フィッシュキッド」という怪人の衣装が、
ぼくが着古したパジャマだったり、
「キノコキッド」という怪人のマスクが、
厚紙でできていたりと、
チープな面もかなりあったが。

仮面ライダーのマスクは、
工事用の現場ヘルメットをハンダゴテや糸ノコでくりぬいて、
裏から半透明の黒いプラ板を貼って、
目の「のぞき窓」をつくり、
メタリックのラッカーで塗装したあと、
ライダーの目の部分に
赤く塗ったクリアのゴムシートを貼りつけて。

見た目的にも、強度的にも、
けっこうな完成度のマスクをつくった。

「触角(しょっかく)」の部分が、
クリーニング店でもらった針金ハンガーだったりするところが
小学生の図画工作的発想なのだが。

仮面ライダーの撮影で
実際に使っている「本物」のマスクと同じように、
「頭部」と「あご」で分割してかぶれるようにつくった。

衣装も、
主役である仮面ライダーは「おかあさん」の力を借りて、
しっかりとつくった。

友人が、主役の仮面ライダー。

ぼくは、そのライバルの「にせ仮面ライダー」役だ。


サッカー部を終えて。

ぼくらはその映画づくりに熱を注いだ。

毎週、毎日、
休日や空いた時間は、
時間の許すかぎり映画の撮影に費やした。


それなのに。


映画は「未完成」のまま終わった。


撮影当初、
ぼくと友人は、
シーンごと、順番に撮影していきたいと主張した。


それなのに。


ビデオカメラを操作する「おとな」が、こう言った。


「あとで編集すればいいから」


ぼくらは聞いた。


「へんしゅうって、どうすればいいの?」


「大丈夫だって。あとできちんと編集するから」


そう約束してくれたにもかかわらず。


その約束は、果たされることがなかった。


しつこく「へんしゅう、へんしゅう」と繰り返すぼくらに、
撮り終えたテープを渡してはくれたものの。

装置もなければ知識もないぼくらには、
そのテープを、ただただ再生して見る以外、
何もできなかった。


そんなふうにして。


撮り終えたはずの映画は、未完成のまま終わった。


ぼくらが「こども」すぎたのか。


それとも、相手が「おとな」すぎたのか。






ぼくらの映画への熱は、
しゅるしゅると風船のようにしぼんでしまった。




こども と おとな。



36歳になったいま、
ぼくは、どこらへんにいるのか。


築36年といえば、
そろそろリフォームの必要なところが
出てくるころかもしれないが。


玄関のとびらが開いたまま、
閉まらなくなっているぼくは、
ついさっき新しく考えたキン肉マンの超人を、
さっそくゆでたまご先生に送ろうと思っているのであります。


< 今日の言葉 >

「食後にアイスが食べたい」

「えっ、ライス?」

(どんだけ食いしん坊だと思われてるんだ、という聞きまちがい)




2010/11/13

アペン型チョコ 〜追いつめられた てっちゃん〜








中学のころ、
「てっちゃん」という友だちがいた。

てっちゃんとは、部活がいっしょで、
クラスは違ったけれど、
1年のときからよく遊んだりしていた。


てっちゃんは、どちらかというと、
あまり勉強ができるほうではない。


いや。

どちらかといわなくても、
勉強ができるほうではない。

いわゆる「ばか」だった。


要領が悪いのか、
それとも吸収力がよくないのか。

いくら勉強をしても
テストはいつも赤点ばかり。

それでいて根がまじめなものだから、
宿題もきちんとやってくるし、
授業中もしっかりノートを取っていた。


英語の授業内のレクチャーで、
アメリカからの交換留学生に、


「ドゥーユーライク、ジャクソン・マイケル?」


と質問して。


しばし渋い顔で悩んだあと、
やっと意味を解した留学生に、


「NO」


と短く切り捨てられたこともある。

(てっちゃんは、
 『マイケル・ジャクソン』を「英訳」して、
 『ジュンコ・タカノ』のように
  裏返しちゃったのね)


宿題もノートも、
間違いだらけだったけれど。

まじめでまっすぐなてっちゃんは、
いつでもにこにこ笑っていた。

ちょっとくだらないことを言っただけでも、
大げさなくらいに笑ってくれるので、
うれしくてぼくは、
いつもてっちゃんを笑わせていた。


そんなてっちゃんと、
部活の練習時間の合間に遊んでいて。


「ギリギリパンチをしよう」


ということになった。


ギリギリパンチ。


それは、腕をのばして
「ギリギリ当たらない距離」を測っておいて、
鼻先ギリギリで止まるよう
パンチをくり出す、というものだ。


てっちゃんの鼻先に腕をのばし、拳を握る。


動いて距離がくるわないよう、
てっちゃんは、
廊下の壁を背にして直立している。

鼻先ギリギリ、
5ミリくらいの「余白」をあけて、
距離を決める。


精神集中。


「じゃあ、いくよ?」


「うん」と、うなずくてっちゃん。


ひとつ、呼吸をおいて。


拳を握って、びゅう、っと
パンチをくり出す。


「ぱちん」「ごちっ」


拳の先に、
ほんの少しだけやわらかいものが当たった。

ふれるかふれないかくらいの感じで、
ほんの少し、
拳が、てっちゃんの鼻先に当たったのだ。


ギリギリの距離を測ったはずなのに。


パンチを出すとき、
思わずほんの少しだけ肩が入ってしまった。


肩が入った分だけ距離が縮まり、
当たらないはずの拳が、
てっちゃんの鼻先に見事当たってしまったのだ。


ごちっ、と、
遅れて聞こえた鈍い音。

それは、鼻先に拳が当たって、
びっくりしてのけぞったてっちゃんが、
後頭部を壁に打ちつけた音だった。


はっとして手を引く。


はっとしたまま、
ぼくも、てっちゃんも、
絵のようにじっと動かなかった。


2秒ほど遅れて、
てっちゃんの鼻の穴から、
赤い筋がつうっと、音もなく流れた。


左の鼻から、つうっと1本。


その、わずか数秒間が、
何十秒にも感じた。


てっちゃんの鼻から流れた赤い血を見て、
じっと固まっていた時間が一気に融解した。


「ごめん、てっちゃん!
 大丈夫っ!?」


あわてて詰め寄るぼくに、
てっちゃんは鼻をこすって
赤いものを確認したあと、
白い歯を見せて「えへへへ」と笑った。


いつもの、満面の笑みだった。


そのことが、
逆にぼくを不安にさせたりもしたが。

まったく痛くはなかったと聞いて、
少し、ほっとした。


いきなり笑い出したものだから。
てっちゃんがおかしくなってしまったのかと思い、
一瞬、びっくりしてしまった。


ひたすら謝るぼくに、
てっちゃんは、


「いいっていいって」


と、手をそよがせながら、
まぶしすぎるほどの笑顔で、
へへへと笑うのでありました。


なんと寛大な心の持ち主だろうか。


鼻先をパンチされ、
壁に頭を打ちつけたてっちゃんは、
手についた鼻血を見てまた
へへへ」と笑い、
つられて笑ったぼくを見て
「あはは」と笑った。



そんなてっちゃんと、
2年生になって同じクラスになった。

授業中はもちろん、
休み時間や体育の時間の着替えとか。

いつでもぼくらは、
ふざけたり遊んだりして
けたけた笑っていた。


昼休み。

てっちゃんとぼくと、もうひとり。
お昼の時間は、いつもこの3人で
かたまって弁当を食べていた。


「しりとり弁当」


いつからか始まったこの遊び。

ルールは簡単。
しりとりをしていって、
自分の順番(答えるまで)のあいだは
弁当が食べられない、というもの。

考えているあいだが長ければ長いほど、
弁当を食べる時間が短くなる。

さっさと答えていかなければ、
弁当を食べ終わる間もなく
お昼休みが終わってしまう、という仕組みだ。


ぼくは、しりとりが得意だった。
しりとり自体が好きだった。

もうひとりの友人は、勉強ができるほうで、
しりとりをしても
答えにつまることは少なかった。


てっちゃんは、というと。

やっぱり、しりとりは得意ではないらしく、
答えにつまることが多かった。


学ランが夏服に変わっても。
ぼくらは、飽きることなく
「しりとり弁当」を続けていた。


何がそこまでおもしろかったのか、といえば。

切羽詰まって出てくる、
てっちゃんの「こたえ」が
おもしろかったのだ。


あるとき。

「国の名前」というテーマで
しりとり弁当をしていて。

「ら」

で答えにつまったてっちゃんは、


「ライポン共和国」


と、真顔で言い放った。


すぐさま弁当を食べようとする
てっちゃんを止めて、
聞き慣れないその「国」のことを
詰問(きつもん)した。


するとてっちゃんは、
答えにつまりながらも
いろいろ質問に答えてくれた。


ライポン共和国。

その国の大きさは、
「北海道の3分の5」らしく、
「地図には載っていない国」である。

なぜ地図に載っていないかというと、
常に「空中に浮かんで、飛んでいるから」だ。


「いま、どこに浮かんでるの?」


という問いに対し、てっちゃんは、
少し中空を見据えてこうつづけた。


「いまはねぇ・・・ちょっと待ってよ・・・。
 いまは、アジアの上のあたり。
 ちょうどアジアの上を飛んでるところ」

アジア、って・・・。

と、思いつつも。

どうして国土の大きさを、
「北海道の3分の5」という
過分数で表わすのか、聞いてみる。


「ライポン星は、
 大きくなったり小さくなったりして、
 大きさがいつも変わるから」


「え、ライポン星?
 共和国じゃなくって?」


疑問がさらなる疑問を呼び、
眉をひそめるぼくに、
うろたえながらてっちゃんが言う。


「・・・ライポンはね、惑星なんだよ」


「惑星なの?」


「なんていうか、その・・・惑星の、共和国」


あまりにも平然とした顔で
言ってのけるものだから。

ぼくらはそれを「あり」とした。


ライポン共和国。


この「ライポン共和国」というこたえも、
「ン」で終わりそうになってあわてて
「共和国」をつけ足した感があったが。

その「国」があるのかどうかは別として、
しりとりの答えとして
「あり」ということにした。


何より。

あまりにも真剣に、
ぼくらを「だまそうと」する
てっちゃんの熱意が、そうさせたのだ。



しりとり弁当をつづけるうち。

「ライポン共和国」で味をしめたのか、
てっちゃんの「こたえ」がどんどん
怪しくなっていった。


「映画俳優の名前」というテーマで
しりとり弁当をしていて。


「ジャッキー・スタローン」


という、
浅はかで安易な創作の、
合成ネーミングが頻発しはじめて。

さすがにぼくらも黙ってはいなかった。


あれこれ突っ込むぼくらに、
ムキになっててっちゃんが言い返した。


「だって、
 ぜんぜん弁当が食べれないもん。
 最近、毎日弁当残すから、
 おかあさんが怒って
 弁当作らないよって言うんだもん」


たかがしりとりに、
おかあさんを引き合いに出してくるとは
思わなかったけれど。


「それじゃあ、
 がんばってしりとり答えなよ」


と、冷静に言い放つぼくでありました。



そんなこともあって。

後日、てっちゃんは、
「食べもの」というテーマのしりとり弁当で、
「あ」のこたえにつまって、こう言った。


「あ・・・・・アペン型チョコレート」


あまりにも新鮮な響きのこたえに、
ぼくらは箸(はし)を止め、
てっちゃんの顔を凝視した。


「なにそれ?
 アペン型チョコレートって・・・」


「知らないの、アペン型チョコ?」


と、涼しい顔のてっちゃん。


「知らない、何それ?」


「ペン型の、チョコレート」


「えっ、じゃあ『ペン型チョコレート』
 じゃないの?」


「ちがう、アペン型チョコ」


「それって・・・。もしかして、
 ディス・イズ・ア・ペン、
 みたいな感じってこと?」


ぼくはおそるおそる、聞いてみた。


「そう」


てっちゃんが、
自信満々の真顔で大きくうなずく。


「1本入りなの?」


「いや、たくさん入ってる」


「じゃあなんで『ア』なの?」


「えっ、知らないよ。
 だって、そういう名前のチョコだもん」


てっちゃんは、どういう規則性で、
なぜ『ペン』の前に『ア』がつくのか、
まったく意味が分かっていないらしかった。


かたくなに「アペン型チョコ」を
連呼するてっちゃんに、
ぼくらはしかたなく「折れる」ことにした。


アペン型チョコ。


ぼくは、
てっちゃんの柔軟な発想力に
敬意を表したい。


時間内に弁当が食べられなくて、
おかあさんに叱られはじめたてっちゃん。

かくいうぼくらも、
てっちゃんの出す「こたえ」に
翻弄(ほんろう)され、
ちっとも箸が進められなくて、
昼休みの時間が足りなくなっていた。


まるで14歳とは思えない、
稚拙(ちせつ)な「こたえ」に。

ぼくらはいつも、たのしませてもらっていた。

弁当が食べられなくなるくらい、
腹を抱えて笑うことも少なくなかった。


ライポン共和国。

そして、アペン型チョコ。


いまだどちらにも、
出会うことはないままだけれど。



20代半ばのころ、
友人の結婚式の二次会で、
10年ぶりくらいにてっちゃんに会った。


久々に会ったてっちゃんは、
中学3年のときとそっくりそのまま
同じ髪型をしていた。


ぼくらが中学生のころ、
ちまたで流行った(?)髪型で、
通称『ギバちゃんカット』と呼ばれる
髪型があった。

短めにそろえた髪の毛を
ぺったり寝かせて前方に流し、
前髪を帽子の庇(ひさし)のように
立ち上げる髪型なのだが。

90年代ごろ、柳葉敏郎氏が
そういう髪型にしていたため、
世間では『ギバちゃんカット』と呼ばれていた。


てっちゃんは、
中学3年ごろからその髪型だった。


中学を卒業して10数年。

てっちゃんは、
当時と寸分くるわず同じ髪型だった。


10数年のあいだ、
いわゆる『ギバちゃんカット』のまま
ずっと貫き通してきた、てっちゃん。


「だって、
 どんな髪型にしていいか
 分かんないもん」


淡いピンクのポロシャツを着たてっちゃんは、
そういって、たははと笑っていた。

中学のときとまったく変わらぬ、
まぶしいほどまっすぐな笑顔で。


もしかすると、てっちゃんには、
ライポン共和国が見えているのかもしれない。


ライポン惑星にある、ライポン共和国。


空をただよいつづける、
北海道の3分の5のライポン星で、
たのしげに「アペン型チョコ」を食べる
てっちゃんの姿は、
やっぱりギバちゃんカットなのでありました。



< 今日の言葉 >

ときめきを はこぶよ
チンチントレイン

(ときめきを運んでくれるチンチン電車)