2008/09/29

のりもの



「カラフルなカー」(2010)




人はなぜ、
乗り物に乗るのか。


速さや確実さなどを選んで、
乗り物に乗ることもある。

便利さ、快適さなど、
「楽」を選んで乗り物に乗ることもある。


乗り物に乗る目的は、
たいていの場合が「移動」にある。

より速く、快適に、
目的地へと移動する手段。

普段、意識すら
していないかもしれないが。

乗り物は、
自分の足代わりになって、
体を運んでくれる存在だ。


「移動」という
「無駄な」時間を短縮するため。

時代の移り変わりとともに、
より速く「移動」する乗り物が
求められている。


観光地などへ行くと、
そういった、本来の目的から
はずれた乗り物もある。

「速さ」という意味では、
むしろ時代の流れから
「はみだしている」と言ってもいいだろう。


そんな「のりもの」で、まず最初に浮かぶのが、
須磨浦山頂遊園(神戸市)のふもとにある、

『カーレーター』

という乗り物だ。

山頂までの傾斜地を「楽に」のぼることができる、
2人乗りのカートのような乗り物である。

『カーレーター』という名前も、
おそらくそこから(カート+エスカレーター)
きているのだろう。


乗ったのは、
もうずいぶん前のことなのだが。

乗り降りする際には、
カーレーター本体横に
突き出た「ハンドル」をつかむよう、
注意書きに記されていた。

まず、その「ハンドル」にやられた。

ネコ型ロボットの、
ドラちゃんのシッポみたいな形の「ハンドル」。

それが、
カーレーターの座席の脇から、
にょきっと「生えて」いるのだから。

なんとも
かわいらしくて仕方ない。


事故や転倒防止のためにも。
乗り込む際には、
その「ハンドル」を握り、
安全を確保しながら座席に着くのだ。


乗り込んで着席すると、
長い坂が、ずっと続く。

車体は、傾斜に入ると、
うまい具合に「水平」になる。

そのまま、
ジェットコースターの、
最初の上り坂のような緊張感が続くのだが。

ガクガクと揺れつつも、
けっしてスピードを上げて
急降下することはない。

ゆっくりした一定の速度をキープしたまま、
山頂付近の「終着駅」まで進むのだ。


徒歩でのぼるよりは、
ずいぶん楽で、
歩くよりはいくぶん速く。

楽とか快適とか、
そういったことは別にしても。

僕は、この『カーレーター』の存在が、
いとおしくてならない。



ほかにも、
賤ヶ岳(滋賀県)や
大室山(静岡県)をはじめ、
のどかなゴンドラを楽しめる場所はある。


江ノ島(神奈川県)にある
「エスカレーター」も
風変わりで面白い。


吉野山(奈良県)や
湯の山(三重県)などにある
「ロープウェイ」も魅力的だ。

新穂高(岐阜県)などは、
ゴンドラが2階建てだったりする。

比叡山(京都府/滋賀県)や
箱根の駒ヶ岳(神奈川県)などの
「ケーブルカー」もいい。


スイスの高峰、
ユングフラウ・ヨッホへと向かう電車は、
ケーブルカー並みに急な斜面を、
ずうっとのぼりつづけていく。

トンネルをいくつか抜けると、
外は一面、白銀の世界だった。


「馬鹿と煙は、高いところが好き」


そんなおしゃれな
言葉もあるけれど。


傾斜地をのんびりのぼる「のりもの」は、
乗っているだけで楽しくなる。



知らない土地では、
公共交通機関の「乗り物」ですら、
思わず「移動」を忘れてきょろきょろしてしまう。


フランスの地下鉄では、
めずらしくアナウンスが流れたと思うと、
そのまま列車が車庫に入ってしまった。

車掌に苦笑いされつつ。
身ぶり手ぶりでうながされ、
暗いトンネルの壁沿い、
細い細い足場を、
カニ歩きしながらホームへと向かった。


ニューヨークの地下鉄は、
落書き防止のため、
シートがつるつる滑る。

駅名のモザイクタイルの写真を撮っていると、
ガタイのいい婦人警官に
「NO!」といきなり怒られた。

カナダでは、
各駅によって違う、
駅名のモザイクタイルを
撮っていても怒られなかった。


フランスの列車の駅構内には、
物を売る人、
楽器を演奏する人などが
たくさんいた。

それは、イタリアや韓国でも、
カナダでも、ニューヨークでも見られた。

僕にはそれが、
お祭りみたいに見えた。

いつ乗っても、毎日、
お祭りみたいににぎやかで、
たのしかった。



記憶に残る、
風変わりな「のりもの」のひとつに、
ナイアガラ・フォール(カナダ)の
「ゴンドラ」がある。


これは、ナイアガラ滝方面と
ミノルタ・タワーのある辺りとをつなぐ、
「近道」的な乗り物だ。

近道なだけでなく、
急な坂道をひいひい歩かなくても済む。

別に「近道」したくは
なかったのだけれど。

その「ゴンドラ」の形を見て、
僕は、どうしても乗りたくなった。


「まるで記念撮影でも写すみたい」


なんとも、
ゴンドラの箱に並んだ座席は、
集合写真を撮るときの
「ひな壇」のような格好だった。

天井も壁もない、
ほぼ骨組み丸出しのゴンドラ。

むき出しのゴンドラの、
一段ずつ高くなった
階段状の座席に、
乗客みんなが同じほうを
向いて座るのだ。

目の前に広がる名勝、
ナイアガラ・フォール。

壮大な景色を見下ろす格好で、
ひな壇パッケージ入りの
乗客が下っていく。

とはいえ、思っていたより
「速い」スピードでぐんぐん下って、
あっというまに「終点」に着いた。

たしか、5ドルくらいは
払ったように思う。

あっけないほど速く目的地に着いてしまって、
景色はおろか、
すてきな「ひな壇ゴンドラ」の
乗り心地を味わう余裕もなかった。


そんなこんなで。

降りるとき、自然と
「笑み」がこぼれる乗り物だ。



飛行機、船、電車やバス。

「のりもの」は、
乗っているだけで楽しくなる。


電車やバスに乗りながら、
窓の外を流れる風景を見ていると、
少しずつ自分が洗いすすがれていくように
感じることがある。


遠くに行けば行くほど、
自分が新しくなっていくような、
そんな気がする。



普段、電車やバスに乗っているときにも、
僕は、居眠りしない。

寝てしまうと、
「のりもの」が楽しめないからだ。


最近では、
本を読むことも少なくなった。

本は、家でも読めるけれど、

「のりもの」は、
乗り物に乗っているときしか
味わえないから。



< 今日の言葉 >

【問】正しいものに
 丸を付けなさい。

・あ、「マイ箸」あるから。
 割り箸捨てちゃっていいよ。

・今日の服には、
 こっちのエコバッグの
 ほうが合うから。

・環境のために、
 今日から息するの
 やめようと思うんだ。

・乗ったほうがいいよ。
 だってこれ、
 エコ自動車だから。

2008/09/23

ほら、ホラ



「神さま」(2008)




タケちゃんマンは、
ホラ貝を吹くとやってくるけれど。

小学生のころとかには、
いわゆる「ほら吹き」が
ぽつぽつといた。


彼らの“ ほら ”は、
すぐに「うそ」と分かるものが多く、
たいてい何枚ものうそを
重ね着していく。

追いつめられると、


「ほんとだって、
 いとこのおじさんにきいてみてよ」


などと、確かめようの
ないことを言ったりする。


だまされかけたことは
何度もあるけれど。

どれも、些細なうそばかり
だった気もする。


ちっちゃなうそを重ねる彼らのことを、
どこか、にくみ切れなかった。



こんな歌を、
小学校の音楽の時間に教わった。

『トムピリピ』という歌だ。


「トムピリピは2隻、
 お船を持っている・・・
 ・・・仲良しになりたい。
 大金持ちの、トムピリピ」


というように。

トムピリピという男は、
大きな家に住み、船を持っていたりで、
たいそうな金持ちという内容だ。

そんな(大金持ちの)トムピリピだから、
みんなは「仲良しになりたい」と思う。

しかし、物語(歌)が進むにつれ、
トムピリピの言っていた話が
どれも「つくりごと」だと判明する。


「トムピリピの癖は、ウソをつく癖。
 お家も船も、つくりごと」


そして最後、


大ぼら吹きの、トムピリピ」


といった具合に、歌は終わる。


言ってしまえば、
寂しがりやで、見栄はりな男の歌なのだ。

大ぼら吹きのトムピリピ。

ほら吹きだと分かっても。
それでもみんなは
「仲良しになりたい」と思っている。


たぶんみんなは、
はじめから分かっていたんだと思う。

ぜんぶうそだということを。


この歌、いまにして思えば、
ものすごくふところが深い。

愉快なほら吹き男の、
人徳もあるだろうけれど。

次から次へと出てくるうそを
楽しむ「おおらかさ」に、
なんとものんびりとした
空気を感じる。

罪のない「うそ」に
「だまされつづける」寛容さ。

みんなには、
大ぼら吹きのトムピリピに
つきあう「ゆとり」があるのだ。





さて。

小学校の頃、
ガンダムのプラモデル、
俗にいう「ガンプラ」が、
かなりの勢いで流行っていた。


とにかく新しい
モビルスーツのガンプラを買い、
いかにうまく作るか、
ひそかな勝負が熱く繰り広げられていた。

年上の兄がいたりすると有利だった。

着色や改造など、
同年ではむずかしい技術や
知識を共有できるからだ。


当時のガキどものあいだでは、
ハイレベルで、
完成度の高いガンプラが
部屋に飾ってあることは、
どんなに高級な壷を飾るよりも
まばゆいステイタス・シンボルだった。


きらびやかな「あこがれ」に浸りたい。

けれど、現実にはかなわない。


そんなとき、どこからともなく、
“ ほら吹き ”が現れる。


僕のクラスにいたのは、

「しんせきのおじさんが、
 バンダイのシャチョウだ」

と言って自慢をする子だった。


「だから、ガンプラは
 ぜんしゅるいもってるし、
 1ぶんの1(原寸大)のガンダムも、
 おじさんの別荘においてある」

ってなことも言っていた。


確証はないけれど。

かなり「あやしい」気がする
自慢が多かった。

たいてい理由をつけて、
見せてはくれない。


一度など、

「ここにガンプラがかくしてある」

とはるばる遠くまで連れて行かれた上に、

「ぬすまれた」

と言って、結局、
真っ暗になった夜道を
えんえんと帰らされたこともある。



● ●



もうひとつ流行った
もののなかに、
『ビックリマンシール』がある。

僕は、それより前のシリーズ
『まじゃりんこシール』で
全盛を迎えていたため、
悪魔やら天使やらの出てくる
ビックリマンブームのことは、
やや冷めた感じで見ていた。

シール自体も、
自分で買うことはなく、
当初は誰かにもらったものが
何枚かあっただけだった。


ある日、
同じクラスの「ブーちゃん」が、
僕を含めた3人を家に呼んだ。

3人とも、ブーちゃんの
家に行くのは初めてだ。


「家にあるビックリマンシール、
 ぜんぶ持ってきてよ」


ブーちゃんの言葉どおり、
僕らはありったけの
ビックリマンシールを持って、
家に向かった。


家に着くなり、ブーちゃんは、


「ビックリマンは?
 はやく見せてよ」

と言った。僕らは、

「ブーちゃんのも見せてよ」


と言いながら、
輪ゴムで止めた分厚い札束のようなシールを、
いかにも大事そうに持っていた。

ブーちゃんのシールを
見せてくれたら、こっちも見せる、と
友だちのひとりが切り出した。

するとブーちゃんは、
ややどもりながら、こう言った。


「し、シールは、
 や、屋根裏にある」


じゃあ取ってきてよ、と言うと、
ブーちゃんは少し黙った。

屋根裏部屋というものに
興味を持った僕は、
じゃあみんなで上がろう、
というようなことを言った。

またしてもブーちゃんは、
どもりながら、こう言うのだった。


「い、犬がいるから、ダメ」


「ええっ、屋根裏に
 犬がいるのっ?!」

すぐさま驚きの声が上がった。

「そ、そう。
 い、い、犬がいる」


顔を見あわせた僕らは、
仕方なく、あきらめることにした。


友だちのひとりが
「見せてくれないなら帰る」
と言い出すと、ブーちゃんはこう言った。


「わかった。
 いまから屋根裏に取りにいくから、
 目つぶってて」


屋根裏部屋への入口は、
誰にも秘密だということだ。

そしてなぜか、ブーちゃんは、
こうつけ加えた。


「取ってくるから。
 だから、目つぶって、
 ビックリマンをここに
 ぜんぶ置いておいて」


床の中央を指差され、
僕らは首をかしげながらも、
しぶしぶ言うとおりにした。


長い、沈黙だった。


妙な物音が気になり、
僕はこっそり薄目を開けて見てみた。


あやしいとは思っていたけれど。

まさか、と自分の目を疑った。


なんと。


ブーちゃんが、
床に置かれた分厚い束から、
ごっそりとシールを抜き取っていたのだ。


気をつけて見てみると、
ブーちゃんは、ばれそうで、
ばれなさそうな、
微妙な枚数を抜き取っているふうだった。


そう思ったのも、
僕のペラペラの束からは、
見ただけで1枚も抜こうと
していなかったからだ。


ほかの2人は気づいていない。
僕は、よっぽど声を出そうかと思った。


けれど。


あまりにも「真剣な」表情の
ブーちゃんを見て、
声が、出せなくなった。


「い、いいよ。目、あけて」


ブーちゃんがそう言って、
やや厚みのある
ビックリマンの束を差し出した。


キラキラの、
スーパーゼウスもあったし、
他にもめずらしい
天使のシールが何枚かあった。


「なんだ。けっこう
 持ってるやつばっかだな」


ブーちゃんの
 “ コレクション ” を見て、
友だちがそう言った。


たしかに、当たり前である。
さっきまで自分の束に
あったのだから。


5分もしないうちに、
なぜか急にブーちゃんは
「用事ができた」と言い出した。

そしてすぐに、僕らを
追い返すようにして帰らせた。


帰り道。


迷ったあげく、
僕は、友だちに言った。


「シール、へってない?」


あわてて友人たちは、
シールを調べ、ああっ、
と口々に声をあげた。


翌日、ブーちゃんに言って、
シールは返してもらった。

誰にも言わない、という約束で。

無事にシールが返ってきたので、
友人2人もそれ以上、
何も言わなかった。



チッポケなウソをついた夜には
 自分がとてもチッポケな奴
 ドデカイ ウソをつきとおすなら
 それは本当になる

(『泣かないで恋人よ』作詞・作曲/真島昌利)



些細なウソをついて、
少しのあいだ「酔って」いたい。

そんな罪なき “ ほら吹き ” たちは、
うそと分かっていながら、
どこかそのうそを自分でも
「信じて」いたんじゃないかと思う。


うそと分かっていて、
他人を巻き込むような
うそをつくのはよくないけれど。

誰も傷つけずに、
人を楽しませるような
うそなら大歓迎だ。


うそみたいな出来事が多い、
こんな世の中ですからね。

ふわふわしたうそに、
ずっとだまされつづけていたい。


そして、ずっと
だましつづけていたい。


他の誰でもなく、
自分自身を。



< 今日の言葉 >

グレコローマン?
ああ、たしか
「1000のキズを持つ男」
とかいう超人だよね。

(「マン」がつくとすべて、キン肉マンの超人だと思い込む、成長の止まった男)

※ ちなみに正解は「バッファローマン」でした。