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| 「パレットにはりついたくま」(2020年) |
*
「何でも好き嫌いだけで
決めてはいけない」
などと、言ったりするが。
好き嫌い以外、
何を基準に判断すればいいのか。
「あんまり好きじゃないけど、
やっておいたほうが得だから」
「みんながやってるから」
「流行ってるから」
「あとで高く売れやすいから」
好き嫌い。
直感。感覚。ひとめぼれ。
それは、
人付き合いも同じだ。
たいていの場合、
会った瞬間に、ほとんどわかる。
人間も動物だ。
動物的な直感で、相手がわかる。
「あ、いいな、この人!」
「わ、嫌だな、この人・・・」
少なくとも、
好き嫌いだけは一瞬でわかる。
わからないのは、
わからなくしているだけ。
頭がそれを邪魔している。
情報が感覚を遮断している。
理性や倫理、体裁、
損得勘定など、
社会的な思考が、
直感を曇らせている。
「好き嫌いで決めちゃ
いけないよな」
たしかにそれも一理ある。
だからこそ、
頭が軌道を修正する。
感覚的に歩もうとする足取りを
言葉で、理屈で、誘導しながら、
理性の地図におさめようとする。
「みんなと仲よくやらなくちゃ」
「食わず嫌いはよくないよな」
果たしてそれが「正解」なのか?
まちがいでは、ないと思う。
けれども「正解」かと問われたら。
どうだろう?
それは、
自分が決めた「正解」だろうか。
自分の心が決めた「こたえ」なのか。
そんなことを、ふと思った。
* *
母に、
こんな出来事があった。
母は長年、
日本舞踊の教室に通っている。
事件はその、
踊りの教室で起こった。
教室には、
母よりもずいぶんあとに入ってきた
一人の女性がいた。
ここでは「女性」と
呼ぶことにしよう。
今から10年ほど前の話で、
「女性」は母より3歳
年上だった。
となると、
「女性」の歳は、
72、3というところか。
90歳(当時)の親御さんが
たくさんの借家、
マンションなどを所有しており、
娘である「女性」は、
豊かな生活を送っていた。
服装や持ち物にも気を配り、
ブランド品や高価な物を身につけて、
いつもきれいな身なりをしていた。
ある日、
喫茶店でお茶を飲んでいて、
「女性」が母に言った。
「ちょっとお手洗いに行くから。
この鞄、見ててもらえる?」
「女性」が
机に置いた鞄を指し示す。
何も思わず、母は承諾した。
その時、母と「女性」以外、
ほかに誰もいなかった。
密室ではないが、
当事者以外、
目撃者も証人も誰もいない。
母と「女性」は、2人きりだった。
ほどなくして
戻って来た「女性」は、
鞄を開けるなり、声を挙げた。
「お金がなくなった。
ここに入れておいた10万円がない。
盗んだでしょう?」
もちろん盗むわけがない。
母は唖然として声を失った。
恐怖にうち震え、
血の気が退いていくのがわかった。
声に集まったほかの仲間が、
「女性」の主張に耳を傾ける。
さいわい、
母を疑う人は、いなかった。
母は、鞄に手も触れてはいなかった。
教室の立ち上げ当時から
ずっと踊りを習っていた母には、
母をよく知る仲間がいた。
「えみちゃんが
そんなことするはずない」
信頼というよりも、
確信に近い擁護の声が、
仲間内を包んだ。
その日のことは、
ぼくもよく覚えている。
いつになく消沈した母から、
当時、この話を聞いたからだ。
「母さんね、
どろぼうって言われた。
どうしよう。
裁判とか警察とか、
そんなことに言われても、
知らんもんは知らん、
やっとらんもん、そんなこと」
いくら明るい声でなだめても、
深刻な顔をしたまま、
母はこの世の終わりのように
落ち込んでいた。
数日後、
母の口から聞いたのは、
安堵に満ちた声だった。
「わたしも
おんなじことやられたって。
△△さんに言われた」
「女性」は依然として、
裁判だの警察だのと、
かんかんに怒ったままだが。
周囲の目は、冷めていた。
誰も母を疑いはしなかったし、
責めることも、同調することも、
無視することもなかった。
無視されたのは「女性」だった。
新参者で、
人の悪口を
よく口にしていた「女性」は、
みなの信用を得るには
至らなかった。
『10万円紛失事件』は、
「女性」とともに姿を消し、
事態は静かに幕を下ろした。
しかし ——。
危ないところである。
もし母が、
みなに信用されないような
人柄だったら。
借金などがあり、
お金に困っていたら。
現在、または過去の素行が、
悪かったら。
もし・・・と言い出したら、
きりがない。
あとで聞いたところ、
現金だけでなく、
指輪や時計までもがなくなったと
言われたらしい。
「もう絶対に、
そういう頼みごとを
聞いちゃだめだよ」
「そういう人と、
二人きりになっちゃだめだよ」
よかったね、と言いつつも。
当時のぼくは、
母にそんな教訓めいたことを
とくと伝えた。
* * *
久しぶりに母が、
その「事件」を思い出し、
当時をふり返るようにして
苦々しく笑った。
「あのときはもう、
本当にどうしようかと思った」
「母さん、その人のこと、
初めて見たとき、どう思った?」
「なんていうの。
お金持ちだけど、
案外けちけちしとって。
意外と細かいんだわ。
何でも自分で仕切りたがるし。
すぐ人の悪口言うし」
「好きか嫌いかで言ったら、
どっちだった?」
「・・・嫌い。
ぱっと見たとき、
苦手だなって、そう思った」
そう。
のんきで、おとなしく、
父に言わせれば「どんくさい」母でも、
動物的な感覚が、知らせていたのだ。
起こるべき事態を、なのか。
それとも、
相性がよくないということを、なのか。
『以心伝心』
『魚心あれば水心』
とも言うけれど。
母が抱いた反感情が、
「女性」の気持ちをくすぶらせ、
事態に火を点け
燃えあがらせたのか。
何やかんやで
みんなに可愛がられている、
母のことを妬んで起きた事なのか。
現実につながる糸は、
あとから手繰りよせようにも、
もはや確かな正体はない。
ただひとつ言えること。
直感。
好きか嫌いか、という気持ち。
そこに、嘘はない。
合わないものは、合わないのだ。
どちらが悪というものでもないし、
どちらかが正しいわけでもない。
合わないものは、合わない。
そこにいても、
いい結果は産まないし、
待っていても変わることはない。
自分が動くか、変わるしかない。
人にはそれぞれ事情があり、
現在の姿がある。
人を悪く言うのはよくない。
言葉はそのまま自分に返る。
投げかけた感情が、
そのまま自分に返ってくる。
過去はどうすることもできないが。
現在のふるまいが、未来の自分を救う。
欲がそのまま、
「好き」につながる人もいる。
それも、人の好きずきだ。
ひとつひとつの、小さな積み重ね。
積み上げるのには時間がかかるが、
壊すのは一瞬だ。
完璧でも上手でもないが。
ひいきなしに、
母は、まっすぐ生きてきた。
貧しくとも、
ゆたかさだけは忘れずに。
裏表なく、損得勘定ではなく、
物事を判断してきた。
多少は愚痴をもらしたりするが。
悪態をついたり、悪口を言ったり、
批判をしたりはしてこなかった。
どちらかといえば、
騙されてばかりで、
損することも多かったように思うが。
他人を騙すことは、しなかった。
そんな母を、
みんなが守り、かばってくれたこと。
それは「正しい」ことで、
嬉しい結末だった。
簡単なはずのことが、
ややこしく見える現代でも、
昔話みたいにすこやかな結末が、
まだちゃんと息をしているのだと。
そう思いたいし、
そうであってほしいと願う。
不器用でも真面目に
生きている人がいる。
いくら強くても、
嘘ばかりの長いものには、
巻かれたくない。
好き嫌い、という感覚。
感覚は、すなわち「センス」。
「センス」のない生き方って、
怖いなって思った。
それは、
地図なく歩くよりも
怖いことだ。
センスは、自分の感覚。
自分だけの「こたえ」。
いいものは「いい」し、
嫌なものは「嫌」だ。
わがままと、自分勝手は、
似ているようでまるで違う。
わがままは、
自分の筋を通すことで、
自分勝手は、
状況や場面で、
事実を都合よく変えること。
好きでもないものを受け入れるうちに、
自分の好きとか嫌いが、
わからなくなる。
気づかぬうちに、
選ぶことも、考えることも、
できなくなる。
好きも嫌いも、いいも悪いも、
わからなくなる。
そんなふうに、
心の声が何も聞こえなくなったら、
もっと怖い。
< 今日の言葉 >
「出かけるときは、
重たいから
家に置いてくんだけど」
(携帯電話を指して母が言ったひと言)
*
母は、
幼少の頃からずっと、
日本舞踊を習ってきた。
踊りの名前は、花柳胡蝶花。
胡蝶花と書いて「しゃが」と読む。
母の父が、
大学の教授からもらってきた
名前だという。
冒頭の写真が、胡蝶花の花だ。
庭に咲いた胡蝶花を、
母が摘んできた。
* *
母が、
踊りの「おけいこ」に行ったのは、
久々のことだった。
カルチャーセンターでの、
日本舞踊のおけいこ。
4歳からずっと、
日本舞踊を続けてきた母は、
結婚後、しばらくしてまた、
踊りのおけいこを再開した。
平成8年(1996年)からだと
いうことなので、
今年で29年目ということになる。
結婚前の期間を足せば、
50年余にもおよぶ。
名取である母は、
習うまでもなく、
教える側にもなれるのだが。
教えるのではなく、
ずっと「習う」側だ。
母はただ、踊っていたいのだ。
母は、踊りが大好きだった。
母が「おけいこ」に行ったのは、
本当に久しぶりだ。
父が死んでからは、
初めてのことだった。
* * *
月謝ばかり払って、
まったくおけいこに
行かなくなった母を見て、
ぼくは少し、憂慮していた。
行くのも、行かないのも、
母の自由だ。
けれど、
数カ月分まとめて支払う
月謝(講義料)を見たとき、
決して安いとは思えなかったので、
行くなら行く、
行かないのなら月謝を払うのを
やめたほうがいいのではと、
気を揉んでいた。
何歩か譲って、
何千円ならまだしも。
3カ月で数万円の月謝を、
まったく行かないまま
支払い続けることには、
いつか区切りをつけるべきだと
思っていた。
あるとき、母に聞いた。
「母さん。
踊り、もう行かないの?」
「うん? 行かないことないよ」
「最近全然行ってないから。
もうやめちゃったのかと思って」
「このまえ休んだだけで、
あとは1回も休んだことないよ」
嘘である。
嘘というより、
それは母の思い込みで、
事実はまるで違っていた。
昨年8月からの8カ月。
母は、一度も「おけいこ」に
行っていない。
着物で出かけるのが
ちょっと暑くてしんどい、とか、
ちょっと風邪で洟(はな)が出るとか、
肩が痛いとか、脚が痛いとか、
聞くでもなく、毎回、
違う「いいわけ」を口にするのだが。
結局のところ、
母は一度も「おけいこ」には行かず、
ずっと休んだままだった。
おけいこのある月曜日。
昼下がりに母は、電話をかける。
「・・・ちょっと
体の調子が悪いので、
今日のおけいこは
休ませてもらいます。
すみません、
よろしくお願いします」
毎週、決まって、
そんな声を聞いた。
月謝がもったいない。
それなら、
もっと別のことに使えばいいのに。
夕食どき、
母にしっかり聞いてみた。
「母さん、踊り、どうするの?
母さんね、去年の8月から
1回も行ってないよ」
「そんなことない。
母さん1回も
休んだことなんてない」
4歳からずっと続けてきた日本舞踊。
母自身も、それを誇りに思っていた。
反面、もう充分かな、とも言っていた。
「もう、歳も歳だし。
何十年もやってきて、
今さら習うとか
そういうこともないから。
先生もそろそろいい歳だし、
教室、やめるかもしれんって
言っとった。
なんていうの、
その、そういうの・・・」
「潮時?」
「そう、それ!
そろそろ潮時かもしれん。
最初っからずっと続けとるの、
母さんだけだし。
最初は、なんていうのか、
『サクラ』みたいな感じで、
母さんとほかの何人かが入って
やっとったんだけど。
みんなすぐにやめてった」
踊りの先生は、
日本舞踊を習っていた教室の先輩で、
母より5つ歳上だ。
今年80歳になった母は、
古株というだけでなく、
最年長の生徒でもあった。
あとの生徒さんは、
70代、60代、といった感じらしい。
『1回も休んだことない』
はじめは、
どうして「嘘」をつくのかと
思っていたが。
罪悪感のようなものが、
はたらいているのか。
それとも、
「きっかけ」が
見出せずにいるのか。
母の生真面目な気質を鑑みて、
なんとなくだが、
その心情が理解できた。
ちょっとしんどい。
そろそろやめようかな。
けど、4歳の頃から今日まで、
ずっと続けてきたし。
(実際には
「ずっと」というわけではないが。
母の中では「中断期」を含めて、
今日までずっと、踊りの糸は、
切れることなくつながっている)
先生にも悪いし。
みんなと会えなくなるのも
寂しいし。
どうしよう。
そろそろ「潮時」なのかな。
着物着て支度して、
行って帰ってくるだけで疲れるし。
もう、いいかな。
4歳からずっとやってきたし。
踊りのおかげで足腰も丈夫で、
今日まで元気に
やってこられたんだから。
踊りやめても、
ラジオ体操とかやればいいよね。
毎朝やってるから。
肩が痛くて、
腕が上がらなくなってきたけど。
ラジオ体操なら、できるから。
体操してれば、いいよね。
・・・・と。
母の口からこぼれ落ちた、
今日までの言葉を手繰り寄せると、
ゆれ動く心模様が透けて見えた。
母は、迷っている。
後ろ髪を引かれる思い。
やめたいという気持ち。
やめようかなという思い。
どうしようかなという逡巡。
ずっと続けてきた「習慣」を前に、
母は、いろいろな角度で、
いろいろな方向から
引っぱられているふうだった。
どうしたらいいのかわからず、
がんじがらめで動けない。
そんなふうにも見えた。
ぼくは、母に言った。
「行かないんなら、
月謝がもったいないかなって
思ったけど。
言うだけのこと言ったから。
あとは母さんの
好きにしたらいいよ。
気の済むまで行くもいいし、
このままやめるもいいし。
もしやめたら、
おつかれ会やってあげるよ。
うなぎでもケーキでも、
母さんの好きな物、ごちそうするよ」
数日後、母は、
先生に電話をした。
携帯ではなく、
自宅のほうに連絡したらしく、
どうやら先生は不在で、
母のことをよく知る
娘さんが電話口に出た。
というのも、
やや耳が遠くなり、
音量が大きくなった母の声が
壁床天井を越えて
筒抜けだったおかげで、
会話の内容が手に取るように
わかったのだ。
「どうも長いあいだ
お世話になりました」
たしかに、
そう言うのを聞いた。
とうとうやめるのか。
寂しいような、
ほっとしたような。
長いあいだ、おつかれさま。
労いの気持ちが、
湯気のようにゆらめいた。
* * * *
4月半ばの月曜日。
母の部屋から、
樟脳のにおいが漂ってきた。
母が、着物を着ている。
やめたんじゃ、なかったのか。
何も言わずにぼくは、
母が出かける気配を、
匂いと音で感じていた。
久しぶりに母が、
出かけて行った。
買い物ではなく、
着物を着て
おけいこに出かけた。
日が傾いて。
窓の外が、真っ暗だった。
夢中になっていた手を止めて、
時計を見てみた。
夕食の時間は、
とうに過ぎている。
母は、まだ帰らない。
ご飯の支度でも
しようかと思ったが。
あれこれしているうちに、
「ただいまぁ」
という声が聞こえてきた。
おけいこで遅くなる月曜日には、
母に代わって、
晩ご飯を作ったこともあるが。
台所に、母がやりかけた、
晩ご飯の準備が置かれているのを見て、
そのまま母に任せることにした。
きっと母は、
自分でやりたいのだと。
自分でやり通したいのだと。
そう思ってぼくは、
静観していた。
「ごめんね、遅なって」
お腹はぺこぺこだったが。
待っていてよかったと思った。
なつかしい、
元気な母の姿があった。
母の顔は、
すごく楽しそうで、
きらきらしていた。
「もう、街行ったら、
つっかれちゃった。
みんな忙しそうにしとるね。
黒い服着て、しゅっとした人とか。
地下鉄は本当、階段が多いねぇ。
母さん、転ぶと怖いで、
手すりにつかまって
隅っこのほうをゆっくり歩くもんで。
みんな、ちゃぁっと抜いてくんだわ。
たくさん人がおるねぇ、本当に」
晩ご飯の支度をしながら、
母が楽しげに語る。
言葉より何より。
楽しかったんだな、
という気持ちが、伝わってきた。
それでもぼくは、聞いてみた。
「今日、どうだった?
久しぶりに行って、楽しかった?」
「うん。
みんなに会えて、楽しかった。
やせた人とか、太った人とか。
2キロもやせたんだって。
えらい細なっとった」
主語のない話題が、
誰のことを言っているのかは
わからなかったが。
楽しげに話す母を、
微笑ましく見ていた。
「一人、男の人がおって。
その人が、
えみちゃん、えみちゃん、
元気だった? って、
聞いてくるんだわ。
あの人、一人だけで
女の人の中に混じって。
女きょうだいの中で
育ったみたいだで、
そういうの、なんとも思わんのだね。
すうっと入ってきて、なじんどるもん。
今日なんて、
長いストールみたいなのを
首に巻いてきて。
みんなに巻き方が違うとか
なんとか言われとった」
「何色のストール?」
「オレンジとか紫とか、
いろんな色の、柄のやつ。
ジョーゼットみたいな、
ふわっとした生地」
「服は、何色なの?」
「カッターシャツみたいな、
青いシャツ」
「上着は?」
「こんな色」
母が、青磁色の器を指す。
「へえ、センスあるね」
「そうなんだわ。
あの人、おしゃれなんだわ。
何やっとる人か知らんけど。
自分で何かやっとるんじゃないかな。
時間の自由がきくみたいだで」
ちなみにパンツ(ズボン)は、
グレーだそうだ。
この人の話は、
以前からちょくちょく聞いていた。
会ったことはないのだけれど。
なんとなくぼくは、
その人のことが好きだった。
「みんなでちょっと
お茶してきたもんで。
そんで遅なったんだわ。
ごめんね、悪かったね」
「全然いいよ。
よかったね、楽しめて」
「楽しかったぁ。
たまには街に出ないかんね。
家におってばっかりじゃ、いかんね」
「そうだね。
今日はぐっすり眠れそうだね」
「毎日ぐっすり寝れとるけどね」
「今日はゆっくりお風呂に入って。
ゆっくり休んでよ」
ご飯を食べ終わり、母に聞いた。
「片づけ、やろうか?」
「いいていいて。何言っとるの。
母さんの仕事」
『母さんの仕事』
母の言う「仕事」とは、
母が存在する意味でもある。
それを、奪ってはいけない。
母さんが「母さん」であり続けるための、
「仕事」なのだから。
取り上げてしまったら、
母は、母でなくなってしまう。
御年80歳の母は、
79歳の時よりも、75歳の時よりも、
若々しく見える。
数字は所詮、目盛りでしかない。
今の母は、かつてよりも若い。
それは母が、
生き生きと「生きている」からだ。
ぼくは、
母から「仕事」を奪いたくない。
そして、思った。
母から「踊り」を奪わなくて、
よかったと。
明るい母の笑顔を見て、
頭ではなく、
心に従うことの大切さを、
あらためて教えてもらった。
「母さん。
踊り、気がすむまで続けたらいいよ。
85歳でも何歳でも、
好きなだけ続けたらいいよ」
行くも休むも、続けるもやめるも。
母が決めることだ。
いくら家族であっても、
「他人」が口出しすることではない。
たとえ来週、
母がまた「仮病」を使って休んでも。
母がそう決めたのなら、それでいい。
心の赴くまま、
したいようにすればいい。
おそらく父なら、
口を出すだろう。
けれどもぼくは、父ではない。
ぼくは、ぼくだ。
ばくは、
母が笑っているのが、
いちばん嬉しい。
母にはたくさん教えられる。
本当にいい教材を、たくさんくれる。
ぼくに足りないものを、
母がいつも教えてくれる。
ありがとう。
何ひとつ立派なこともできず、
母を安心させてあげることもできず、
心配ばかりかけて、
歳だけ重ねてきた自分だけれど。
母を笑顔にすることができるのも
自分だということに、
最近ようやく気がついた。
特別なことじゃなくて。
物やお金なんかじゃなくて。
もっと些細で、目には見えない、
小さくて身近なものなんだと。
おしゃべりすること。
いいよ、という気持ち。
笑顔でやさしく見守ること。
一緒にご飯を食べること。
子どもみたいな顔で、
楽しげに笑う母。
惑う心を、母の笑顔が、
すすぎ清めてくれた。
「最近、お茶とか高くなったねぇ。
自動販売機のペットポトルも、
170円とか180円とか
するようになったね」
たとえ母が、
ペットボトルのことを、
ペットポトルとか、
ポットベトルとか言ったとしても。
ぼくの心は、もう迷わない。
いくら現実的で、
世間的には賢明な選択だとしても。
小難しい話より、
ぼくは、笑顔が好きだ。
< 今日の言葉 >
音楽をかけて
計画をねりねり
(『ワンルーム・ディスコ』Ferfume)