2013/02/24

特別席からの景色



























小学校2年のころ。
ぼくらは、休み時間になるたび、
鬼ごっこをしていた。


鬼ごっこ、とはいっても。
「鬼」は、いつも決まった子だった。


当時、ぼくらが夢中で遊んでいた「鬼ごっこ」は、
クラスにいたひとりの女子を「鬼」にした「鬼ごっこ」で、
その名も「XXごっこ」だった。


「XXごっこ」


XXには、その女子の名字が入る。
つまり、その女子の名字がそのまま
「遊び」の名前になっていたのだ。



彼女は、当時めずらしいことでもないけれど、
家族が多く、たくさんの姉妹がいた。

総勢何人なのかは分からないけれど、
とにかく、兄弟ではなく、
なぜか姉妹ばかりがたくさんいた。


彼女は、当時めずらしく、家に電話がなかった。
そして、お風呂もなかった。


彼女は毎日のように汚れた服を着ていて、
ほこりっぽいような、汚れたにおいがいつもしていた。


小学1、2年のぼくら男子は、
そんな彼女のことを平気で、くさいとか汚いとか言って、
わいわいはしゃいでいた。


「きったねーなー」


「うるせぇ」


「うわっ、くっせー」


「うるせぇ」


ぼくらが笑いながら揶揄(やゆ)すると、
彼女は、本気で怒ったり、あきれたりしながらも、
ときにはぼくらにつられて笑ったりしながら、
全力で言い返してきた。


XXごっこ。


いつ、どんなふうにしてはじまったのか。
そのはじまりは定かではないけれど。

2年生の、1学期のうちにはもう、
XXごっこ」をして遊ぶようになっていた。


休み時間のチャイムが鳴ると、
ぼくらは一目散に外へ出る。

上履きを自分の靴に履き替えるのも、
まどろっこしいくらいに。

とにかく大急ぎで遊具のある運動場の奥へと
全速力で駆け出していく。


しばらくすると、
「鬼」である彼女の姿があらわれる。

うす暗い下駄箱から、ゆらりと、
陽の光の射す運動場へと出てきた彼女の姿に、
ぼくら男子は、


「きたっ!」


と、本気で身構える。


遊具の上で、ぼくらは、
こっちからきたらこう逃げようとか、
あそこまできたらこうしようとか、
おのおの、頭のなかで「そのとき」を想定する。


そして、
みるみる近づいてくる彼女の姿に、
誰かが、


「わ、きたっ!」


などと、声をあげる。


たいていの場合、
そうやって「びびった」やつから脱落していく。

びびったせいで、
相手にのまれて本来の力を発揮できないのか。
それとも、すでに気持ちで負けてしまっているのか。
むしろ、もともと勝ち切る地力がないからなのか。

よくは分からないけど、
「悲鳴」をあげたやつから、
鬼である彼女の餌食(えじき)になる。

もしかすると、彼女も、
動物的な嗅覚で、瞬時に「獲物」を
見極めていたのかもしれない。


「わぁ、なんでいつもおればっかりねらうんだよ!
 ずるいって、そんなん! ちょっと、まってって!」


などと言っているうちに。
そいつは「鬼」に、タッチされる。


XXごっこは、タッチされたらそこで終わりだ。


XXごっこは、タッチされると「XX菌」がつく。
XX菌がついたら、そこで終わり。
次の休み時間まで「参加」できない。

彼女にさわられると「XX菌」がつく。

「XX菌」がついたら嫌なので、
ぼくらは本気で逃げ回った。


彼女は、決して足が速い方ではないけれど、
めちゃくちゃ遅いわけでもない。


ちょっとでも気を抜くと、
彼女にタッチされてしまう。

ちょっとでも目測を誤ると、
彼女につかまってしまう。



興奮しながら本気で逃げまどうぼくらを、
彼女は興奮気味に、終始笑いながら追いかけてくる。


本当に。


「でゅへへへ、ぐふふふふ」


と、いった感じの、
興奮し切って声にならない声で笑いながら追いかけてくるさまは、
当時のぼくらにとって、
まさに「生きるか死ぬか」くらいの「すごみ」があった。


獲物を行き止まりに追いつめ、
興奮しすぎた彼女が、よだれをたらす。


「わぁっ、よだれっ! よだれがっ!」


もちろん、故意ではなく「事故」だったとは思うが。
ごっこの最中には、そんな「事件」がちょくちょく起こった。

それゆえぼくらは、いっそう身をちぢませ、
本気で「生還」したいと全力で思った。


「キンコンカンコ〜ン、キンコンカンコ〜ン」


休み時間の終わりを報せる、チャイムが鳴る。

そうなると、自分がどこにいようと、
下駄箱目指してまっしぐらに走り出す。


『終わりのチャイムが鳴ったあとは、
 下駄箱に入り切った人をタッチしてはいけない』


「XXごっこ」のこういった「ルール」のほとんどは、
ぼくが決めていた。

やっぱり「遊び」には「ルール」が必要で、
「ルール」がおもしろくなければ、
その「遊び」もおもしろくなくなると。

当時、分からないなりにも、
なんとなくそう思っていたぼくは、
「ルール」の設定と厳守を重んじていた。


けれどそれは、「ごっこ」だから。

「遊び」だったから、かもしれない。



最初は4、5人くらいの
ごく少数でやっていた「XXごっこ」も。
しだいに、「XXごっこ、ぼくもいれて」という子がふえていった。


入りたい子は、
自然とぼくに聞いてくる感じになっていたので、
ぼくが「いいよ」と言って、「許可」していた。


そのうち、女子のなかにも、入りたがる子が出てきた。

けれど、そのときのぼくは、
女子が入るのは、「なんかちがう」と思っていたので、
いくら入りたがっても女子は入れなかった。


「となりのクラスで、はいりたいっていう子がいる」

とか、人づてに聞いたりもしたけれど。

直接聞いたわけでもなかったので、
ほかのクラスにまで輪が広がることはなかった。









2年生の、2学期になって。

担任の先生が、席替えをすると言った。


「ただし。家原だけは、先生の用意した特別席だからな」


ぼくは、授業中のおしゃべりが多く、落ち着きがないので、
教卓の真ん前の、いちばん前の、どセンター席だ、と。
少し笑いながら、先生に言われた。


ええっ、と思ったけれど。


小学2年生当時、
先生のおっしゃることは「絶対」で、
言い返したり、反論したりすることは選択肢になかった。


クラスのみんなが席替えをするのに。
ぼくだけは、先生が決めた「特別席」に固定された。

みんなは小さく切った紙に書かれた番号札の「くじ」をひいて、
黒板に書かれた座席表を見ながら、


「うわー、いちばんまえかぁ」とか、

「やった、せき、ちかいね」とか。


わいわい一喜一憂していて、すごくたのしそうだった。

ぼくは、それにも「参加」できず、
いきなり、「特別席」だった。


まぁ、それもこれも。
自分のまいた種なのだろうけれど。


ふり返って見ると、小学校生活6年間のうちの、
おそらく半分ちかくを「特別席」ですごしたように思う。


教卓のど真ん前の席にはじまり。
ひとりだけみんなの「群れ」からはみだして、
教卓のわきにベタづけされてひとりだけ横向きになってる席や、
教室の入口を入ってすぐの、受付みたいな場所に、
ひとり分だけぽつんと席を設けられたり。

なんでなのかは分からないけれど。

学年が上がって、担任の先生が代わっても。

ぼくだけやたらと「特別席」だった。



4年生になって。
しまいには、全校中でぼくだけひとり、
廊下に席を設けられて、窓ごしに授業を受けていた。


「授業を受ける権利はあるから」


そういって先生は、
廊下に設けた特別席から教室の中が見えるように、
きゅるきゅると廊下側の窓を開け放った。


廊下から見る教室の、授業風景は、
ものすごく新鮮で、おもしろかった。

ぼくだけひとり、観客になったような。


寒くて、冷たかったけれど。

右を見ても、左を見ても、
ぼくしかいない。

しいんとした廊下は、
無機質に長く伸びていて、
なんだか神聖な感じすらした。


このうえない特別席に、
ぼくは、なんだか逆にわくわくしてしまって、
いつもにたにた笑っていた。


先生が黒板に字を書いているすきに、
音を立てないよう、静かに窓を閉めていく。

すると、ぼくの姿はまったく「見えなく」なってしまう。

と、教室のあちこちから、
くすくすと、小さな笑い声がこぼれる。


あるときには、
先生に気づかれないよう、
少しずつ、体操服に着替えていった。

極力、上半身を動かさず、
まずはズボンを脱いで、体操ズボンに履き替えて。

さっとセーターやらシャツを脱いで、体操服を着て。

みんなが気づいたときには、
もう「赤白帽」までかぶっていて、
あごにはきちんと帽子のゴムもかけている。


笑い声で、
何やら異変に気づいた先生は、
すぐさまぼくを見て、


「コラーッ、家原ー! 何やっとる!」


と、大きな声で怒る。


それを期に、
教室のみんなが、どっと笑う。


「次の授業、体育だから


ぼくには、着替える場所がないから。
早めに着替えないと、廊下がほかの生徒であふれちゃうから、と。
そんな主張を込めて、特別席の、ぼくが言う。


教室の、みんなが笑う。

笑い声に、先生がいっそう怒りだす。

最後はぼくが、しかられる。


この「パターン」のくりかえし。





ぼくは、それがたのしかった。


それも「ごっこ」のようなものだと。

そう思ってたのしまなければ、もったいないと。

そんなふうに思っていた。





◆ ◆





さて。


話は戻って、小学2年生の2学期。

「授業中の態度がよくない」と先生に言われたぼくは、
教卓のど真ん前のどセンターの席で、
毎日授業を受けていた。

となりの席は、「XXごっこ」の「鬼」である彼女だった。

彼女の席も、先生が決めた席だった。


そしてことあるごとに先生は、
忘れものをした彼女に、定規を貸してあげなさい、だとか、
ノートを1ページ破いてあげなさい、だとか、
そんなことをぼくに言った。

しぶしぶ、先生の言葉に従うことがほとんどだったけれど、
さすがに、ハーモニカを貸してあげなさい、と言われたときには、

「いやだ」

と、最後まで突っぱねた。




そんなことがありながらも、
小学2年生の学校生活は、すくすくと前に進んでいった。



そんななかで。

担任の先生が、
授業の時間を割いて、話しはじめた。



内容は、「XXごっこ」についてだった。


先生はまず、
XXごっこをしている生徒に手を挙げさせた。

XXごっこをしている男子は、
それぞれ、顔を伏せたり、きょろきょろ周りを見渡したり、
あきらかに不自然な挙動で、落ち着きがなくなった。

最前列、どセンターのぼくは、
先生と目が合った。

すると先生は、ぼくを見て、


「家原と、あとほかは誰だ。手を上げろ」


と、言った。


なぜだか分からないけど、ぼくは、
もう「参加組」に入っていた。

まちがいじゃないけれど、
どうしてぼくだけ「挙手」じゃなく「名指し」なのか、
それは、分からなかった。


まあ、これも、
日ごろの行いのせいなのだろうけれど。

どうして、とは思った。

けれど、
まちがいじゃないだけに、何も言えない。

さすがは「先生」。

なんでも「お見通し」だ。



教室を見渡す先生のまなざしに、
まるですべてを見透かされてしまったかのように、
ほかの男子がぱらぱらと手を挙げていく。


つづいて先生は、「XXごっこ」をただちにやめるよう、
ぼくらに言った。


そのときの、
教室の空気が凍りついたような感覚は、
いまでも忘れない。


XXごっこは、XXさんを差別しているので、
よくないことである。

たしかにXXさんの家は、家族も多く、貧乏かもしれないが、
そのことでXXさんをばい菌あつかいして
逃げ回るような遊びをしていることは非常によくないことだ。

そんなのを「遊び」としてたのしんでいるのは悪いことで、
XXさんがかわいそうだ、と。


先生は、そんなようなことを、ぼくらに話した。


「そうだよね、みぃちゃん?」

先生は、XXさんの下の名前の愛称で、彼女に問いかけた。


彼女は下を向いたまま、
はいとも、いいえとも言わなかった。


「そうだよね?」


先生が、もう一度問いかけた。


けれども、彼女は何も言わなかった。

となりの席のぼくには、
彼女の表情がよく見えた。

彼女の顔は、けっしてよろこんでいるふうには見えなかった。
かなしそうにも見えなかったけれど。
ぼくには、ひどく困っているような感じに見えた。

彼女の顔からは、
気持ちは分からなかったけれど。


「な? そうだろ?」


と、彼女に問かけつづける、
すぐ目の前の先生の顔が怒っているふうな顔つきで、
すごく怖かったことはよく覚えている。



そして先生は、
ぼくらに「XXごっこ」をもう二度としない、
という約束をさせた。


二度と、「XX菌」などと言ってさわいだり、
逃げ回ったりしないということも約束させた。



先生からひとりひとり、
名指しで「いいか?」と問いかけられたぼくらは、
小さな声で「はい」と答えて、
もっと大きな声でとうながされ、
びっくりして大きな声で答えたり、
最初より少しだけ大きな声で「はい」と答えたりした。


そしてひとりひとり、
彼女に謝るよう、先生に言われた。

XXさん、ごめんなさい、と。


言われるままに、ぼくらはひとりひとり、
彼女の目の前に立ち、頭を下げて謝った。



彼女は、ずっと困ったような顔つきのまま、
何も、言わなかった。






◆ ◆ ◆




休み時間。

運動場のすみっこで、
なにやらしょうもないことでわいわい遊んでいたとき。


「ねえ、XXごっこやらないの?」


彼女がそばにやってきて、ぼくらに聞いた。


聞かれたぼくらは、
なんだか、ふれてはいけないもののような感じで、
それぞれ、彼女から目をそらして、
質問そのものから逃れようとした。


「ねえ、なんでやらないの?」


詰め寄られた友人が、もごもごと口を開く。


「もう、あきたから」


「ねえ、なんでやらないの?」


詰め寄られたまた別の友人が、ぽつりと言う。


「べつに、いいじゃん」


「ねえ、XXごっこやろうよ。たのしいよ」


「おれ、もういいよ」


「ねえ、XXごっこは? おもしろいからやろうよ」


聞かれたぼくは、返す言葉が見当たらず、
ちらりと彼女の顔を見たあと、
またすぐうつむいて、「やらない」と答えた。


「ねぇ、XXごっこ、やろうよ」


また別の友人が聞かれて、かん高い声でこう言った。


「やだよ、先生におこられるから」


その言葉に。

たのしげに笑っていた彼女の顔から、表情が消えた。

すぐそばで聞いていたぼくらも、
はっとしていっせいに顔をあげて、
その友人の顔を見た。


なんとなく、ではあったけれど。

誰もが避けてきた言葉を、彼は言った。

言ってしまった。



運動場のあちこちからは、
たのしそうに遊ぶ声がそらぞらしく聞こえる。


止まってしまったかのような瞬間につづいたのは、
彼女の声だった。


「・・・ふうん、つまんない」


そう言って彼女は、そのまま背を向けて、
ゆっくりぼくらのいる場所からはなれていった。


そのあとのことは、あまり覚えていないけれど。


何だかすごく悪いことをしたような、
苦々しく重い気持ちがしばらく残ったのは覚えている。





先生との約束どおり。

XXごっこ」という言葉は、誰も口に出さなくなった。

XX菌」という言葉も、誰ひとり言わなくなった。



「ごっこ」を失ったぼくらは、彼女と遊ぶこともなくなり、
だんだん口をきくことすら、なくなっていった。


いままで、彼女を「いじって」さわいだり
はしゃいだりしてきたのに。

もう、それができなくなった。


しばらくは彼女のほうから、
ちょっかいを出してくることもあったけれど。

関わるとしまいには怒られるという気がして、
だんだんと本当に避けるようになってしまった。



バカで無邪気なぼくらは、
そのうち彼女のことも考えなくなり、
休み時間には、また新しく見つけた遊びに夢中になっていった。


いま思い返すと、
休み時間、「XXごっこ」以外で、
彼女が遊んでいる姿を思い出せない。

彼女が誰かといっしょにいるところも、
記憶にない。



小学3年生になると、クラスが替わって、
彼女とは別のクラスになった。

彼女とはそのあと、
同じクラスになることはなかった。






ずいぶん経って。


地元の電車のなかで、彼女らしき人の姿を見た。


『あ、XXだ』


思わず、心のなかではっきりつぶやいた。


姿形は変わっても、
その顔は、一見してすぐに分かった。



彼女は、ブランド物の財布と
かわいいビーズのストラップがついた携帯電話を手に持ち、
小さな子どもを抱いていた。


その姿に。

ぼくは、心のなかで『ややっ!』と思った。



子ども?

結婚したのか?

財布、ヴィトンなんだ。



昼下がりの電車のなか。
逆光の陽を浴びた彼女の髪に、
白い毛がちらほらあるのが見えた。


あれから何年経ったのだろう。


遠巻きに彼女を見て、
いろいろなことを思い出した。



XXごっこのことを、
彼女はどう思っているのだろう。
どう思って、いたのだろう。

少なくともぼくの目には、
彼女が心底たのしそうに「遊んで」いるように見えたのだけれど。


バカなぼくは、
自分がたのしむことしか考えていなかったので、
本当のところは、分からない。


たしかに、やさしさなんて、これっぽっちもなかった。

ただただ、そこにいるみんなと、たのしいことがしたかっただけだから。




何年かぶりに見た彼女は、

ブランド物の財布と、
かわいいビーズのストラップがついた携帯電話を手に持ち、
小さな子どもを抱いていた。


それが、なんだか不思議な感じがして、
少しおもしろく感じた。


あれから何年か経ったぼくは、
ヴィトンの財布も持っていなければ、
携帯電話すら持っていない。
小さな子どもも抱いていない。


いまだにどれも、持っていない。


ぼさぼさ頭のぼくは、
駅で電車を待っているだけで、
女子中高生に笑われて、こっそり「写メ」を撮られたりする。


それが、何だか不思議な感じがして、
ときどき、おもしろく感じる。





< 今日の言葉 >


「はい。ゼクシィは毎月買ってます」

(『いつか言ってみたい答え』/イエハラノーツ2012より)