小学校5年のクラス替えで、Sくんといっしょのクラスになった。
Sくんとは、1、2年生のときも同じクラスで、
仲のいいメンバーのひとりだった。
5年生になったSくんは、
ずいぶん背が伸びていて、すっかり大人びて見えた。
身長170センチ以上で長髪で。
ランドセルが逆に嘘っぽく見える。
見た目だけでなく。
中身もかなり大人っぽくなっていた。
5年生の夏、
他県へキャンプに行った。
学校行事としては初めての「旅行」で、
親元を離れて寝泊まりする最初のイベントだ。
キャンプ1日目の夜。
晩ご飯を食べ終え、大浴場での集団入浴も終わり。
まくら投げやプロレスに疲れたぼくらは、
「消灯」されて真っ暗になった室内で、
ひそひそと話しつづけた。
「1組でいちばんかわいい女子は誰か」
「2組でいちばんかわいい女子は誰か」
・・・といった感じで。
ぼくは、となりのふとんで寝ているSくんと、
真っ暗な天井を見ながらひそひそ話していた。
「ねえ、赤ちゃんってどうやってつくるか知ってる?」
突然、Sくんがこう切り出した。
「セックスするとできるんだよね」
ぼくがそう答えると、Sくんがさらに言った。
「じゃあ、セックスって、どうやってやるか知ってる?」
「知らない」
そう答えるぼくに、Sくんがやや身を起こして語りはじめた。
「女の、チツってところがあってね・・・(中略)・・・を、そこに入れるんだよ」
そんなふうに。
微に入り細に入り、すっかり説明を聞いたぼくは、
わけがわからなくなって混乱した。
衝撃だった。
「セックス」という言葉しか知らなかったぼくには、
まさかそんなことをするなんて、想像外の世界の話だった。
「△△(クラスの女子の名前)にも、▲▲にも、チツはあるんだよ」
最後、Sくんは、いたずらっぽく笑ってそうつけ加えた。
何となく、ショックだった。
Sくんのせい、というより、知らなかったことを知ってしまったということへの動揺。
ほんわかとした「夢想」の扉が開けられて、
ついに生々しい「真実」を見てしまったような。
まさに「大人の階段」を1歩、駆け上がった瞬間だった。
翌朝、Sくんは、
歯磨きしている女子の横顔を見ながら、
片目をつぶり、口元を手で隠すようにして、
「うおーっ、興奮するー」
と叫びつつ。
「もっと横向いて」とか
「そのまま(歯磨き粉を)吐き出して」とか、
ひとり興奮気味に指示を出していた。
ぼくは、昨晩聞いた「真実」が頭にこびりついて離れず、
妙にふわんふわんした感じで女子を見ていた。
真実と現実が結びつかない。
そんな不安定な感じで。
Sくんには、彼女がいた。
相手は女子高校生。
Sくんは、小学校5年当時から、
女子高生とつき合っていたのだ。
背も高く、おしゃれなSくんは、
たしかに小学生には見えなかった。
同級生と遊んでいると、近所の人から、
「あの子は、小さい子とばっかり遊んで。
同年代の友だちがいないのかしらね」
そんなふうにささやかれたことがあると言っていた。
キャンプの夜の「性教育」もひとつの例だけれど。
Sくんはとにかく、いろいろなことを知っていた。
勉強もかなりできるほうだったので、
ときどき、本当に年上のお兄さんと話しているような感じがした。
むずかしいことでも何でも、ぼくにも分かるように話してくれるSくん。
お茶を出したり、お菓子を買ってきたり、ビデオや音楽を流したり。
鍵っ子だったSくんは、何でも自分でやれて、ぼくには格好よく見えた。
初めて『MTV』を観たのも、Sくんの家だった。
シンディ・ローパーとか、デビット・ボウイとか。
『おニャン子クラブ』について、いろいろ教わったのもSくんだった。
新田恵利のファンだったSくんが、
「会員番号4番、新田恵利です。よろしくお願いします」
と「挨拶」したら、ぐるりと回した右手を口元に当てて、
「エーリちゃあ〜ん!」
とエールを送る。そんな「遊び」を教えてくれたのも、Sくんだ。
また、『てつ100%』というバンドの掛声を、
パート分けして「練習」させられたこともある。
「て」(Sくん)「つ」(ぼく)
「ワン」(Sくん)「ハンドレッド」(ぼく)
「パーセンテージ」(ふたり)
・・・これをよどみなく、流れるように発音するのだ。
いきなり、何の前ぶれもなく「て!」とはじまるので、
いつでも心の準備しておかなければいけない。
ある日。
6年生の校外授業で。
プラネタリウムに行くことになった。
ぼくはたいてい、Sくんと行動していたので、
自然、Sくんととなりどうしの席になった。
全体の座席のいちばん後ろの列。
最後部に座ったぼくらは、
昼間の星を見上げながら、
星座にまつわる物語に耳を傾けていた。
「ねえ」
Sくんが、小さな声でささやいた。
「ナマがいい? それとも、パンツがいい?」
いきなりの問いかけに。
ぼくは答えるべき言葉を失った。
しばらく答えに困っていると、
もう一度、Sくんが同じことを繰り返し言った。
「ナマ」が何かは分からなかったのだけれど。
少なくとも「パンツ」よりはマシなような気がして、
ぼくは「ナマ」と小さな声でぽつりと答えた。
すると、おもむろにSくんがぼくの手を取り、
自らの股間に押し当てた。
まわりのクラスメイトは、みんな黙って、
人工的な星空を見上げている。
とてもじゃないけど、
声を出せるような雰囲気ではない。
生暖かく、奇妙な感触。
これが「ナマ」の「こたえ」だったのか。
ぼくはただただ、
Sくんのちんちんに手を当てたまま、
宝石をちりばめたかのような天球を見上げていた。
少しも嬉しくはなかったけれど。
不思議と嫌な気持ちでもなかった。
ただ、Sくんがそれを望んだことに、
ちょっとだけびっくりして、
ほんの少しだけ悲しい感じがして、
傷つけたくないと思った。
石のように固まった、長い静寂。
ぼくの手を外して、
Sくんがぽつりとささやくように言った。
「ありがとう」
薄暗闇のなか、Sくんの白いブリーフがそっとしまわれる。
担任の先生も、クラスの女子も、男子も。
何ごともなく、みんな一様に星を見つめていた。
いまのぼくからは、
まったく想像もつかないことだけれど。
当時のぼくは、色白で、さらさらの茶色い髪の毛で、
ちょいちょい女の子に間違えられた。
美容院で髪を切り、整髪料で髪をセットして。
自分で服を選んで買っていたぼくは、
当時では「ませた」部類に入る。
そんなふうに容姿を気にしていたためか、
ときどき歳上の女の人から、
「かわいい」
などと、からかられた。
中学に入る直前、学生服を買いに行ったとき、
「セーラー服は、あちらですよ」
と、おじさん店員に言われたこともある。
そんな容姿のせいもあったのだろうか。
それとも「ともだち」の「しるし」だったのだろうか。
Sくんの行動は、いまでもよく分からない。
それを機に、というわけでもないけれど。
ぼくは、腕立て伏せをはじめた。
変声期を迎えると、女の子っぽい容姿は見る影もなく、
すっかり「男くさく」なっていた。
仲よしだったSくんとは、
中学で別々になった。
小学校を卒業して4年後の夏。
駅で偶然、Sくんと会った。
久々の再会。
久々に会ったSくんは、記憶のなかのSくんとあまり違いがなかった。
高校生になったぼくは、彼女といっしょだった。
気づくとぼくの身長は、Sくんよりも高くなっていた。
ぼくから見るSくんは、Sくんのままだった。
Sくんから見るぼくは、どうだったのか。
これから出かけるぼくは、
少しだけしゃべってそこで別れた。
Sくんがいて、ぼくがいて。
ぼくがいて、Sくんがいて。
ぼくの人生に、脇役はいない。
みんなぼくのともだちだ。
ひとつ言えること。
それは、あのとき「目覚めなかった」ということ。
いまにして思えば、あのとき、禁断の扉を開けるという選択肢がなかったわけでもない。
ともだちんこ。
ロマンチックな星空の下。
ぼくはただ、
そんなふうに解釈しただけだったのかもしれない。
< 今日の言葉 >
『あなたはどうやら新しく入ってきたあの男の子にかんぜんにノックアウトのようね』
『どうかあのイヌたちがこのコロッケを食べますように アーメン』
(『ロマンスの薬』/楳図かずお より)