2022/05/22

家原利明店 OPEN

 






ieharatoshiaki shop
家原利明店

オープンです。


ieharatoshiaki shop
家原利明店


それは、
家原利明のグッズを
まとめたページです。


どうぞ一度、
ご覧になってみてください。

おもしろいものが
きっと見つかるはずです。




絵を描き続けるためにも。

おもしろ活動を続けるためにも。



これからも少しずつ
いろいろやってみますので。

今後ともよろしくお願いいたします。




” 変らず、そこにある。
変わりながら、ありつづける ”




そんなキャッチコピーを
ぶら下げつつ。


ないものを形にするために、
思ったことは、
やってみようと思います。


夢もうつつも幻も、
すべてが現実。


そういったわけで。




ieharatoshiaki shop
家原利明店



どうぞよろしく 
お願いいたします。



日雇い委託アルバイト契約派遣社員:家原利明  




< 今日の言葉 >

「ダンディ板野の『ゲット』」

(石野卓球氏がラジオで言ったフレーズ。そこまで覚えたんならちゃんと覚えようよ、と、瀧氏)









2022/05/19

展覧会の絵日記 2022 〜其の3〜




 

* * *


全3回でお送りしている
このシリーズ。

今回は『其の3』、
最終回(#16 〜 #21)です。




面と向かって直接は、
恥ずかしくて言えないこと。

文章だから言えること。

ちょっと格好つけて、
言ってみたかったこと。


そんなことも詰め込みました。


だからどうか、
くれぐれもここだけの話にしてください。



感動の最終回。


それではどうぞ、ごゆっくり。










3月28日

#16『No.16』


あれこれ模索しながら、
ああでもないこうでもないと描いた絵。

紆余曲折しながら、
最後、香水の瓶の絵になった。

題名は、この絵が展覧会のための新作
「16枚目」の絵だったから。










4月6日

#17『どうぶつ』


4月に入って1枚目の絵は、
こんな絵に仕上がった。

迷わずまっすぐ、
真っ白な気持ちで。

とにかくネコ科の動物を描いた。


犬好きのぼくではあるが。
猫やネコ科の動物も好きである。

ネコ科の動物は、
描いて楽しい動物が多い。

模様や曲線、その仕草。

図鑑ではなく、
動物園でもサバンナでもいいから、
本物の動物が見たい。

って。

この絵を前にしては、
何の説得力もない発言ですね。









4月6日

#18『公園のねこ』



先の発言の
つづきではないけれど。

やはり、
本物から得られる「情報」は、
たとえ対面したのが数秒間であっても、
その量と質がまるでちがう。


公園で見た野良猫。

彼または彼女は、
目が合うとぴたり歩みを止めて、
こちらを威嚇(いかく)するように
鋭くにらみを利かせてきた。

風に散る桜吹雪には目もくれず。
貫禄(かんろく)ある姿でじっと固まり、
目やにだらけの視線を浴びせ続ける。


その間、わずか3、4秒。


動物どうしのにらみ合い。


やがて危害のない存在だと悟った野良猫は、
ゆったりとした歩みで何事もなく、
ぼくの目の前を横切っていった。


そんな瞬間のひとコマ。



本物の息づかい。

本物の迫力。

本物の、野生のすごみと空気感。



この絵でもやはり、
説得力のない言葉の羅列、ですかね。









4月12日

#19『やや大きめの微生物』



18枚目の絵を描き終えて。

しばらくは
案内状(DM)の宛名書きなどに
時間を費やしていた。

図鑑を見て絵を描いたり、
思うままに手を動かしたり。
宛名書きをしながらも、
スケッチブックへのお絵描きはしていた。

おかげで寝るとき、
右手を伸ばすと、腕が痛かった。

スナックの袋などを開けるときには、
右手親指、人差し指が痛かった。

スナックの袋を
はさみで開封するなんて。

まるでお姫さまにでも
なったような気持ちだわ。



数日間の「空白」のあと。


手を動かすと、
こんな形が踊り出した。

図鑑を見ていて
何となく頭に残っていたのか。

ぼくにはそれが微生物に見えた。


大きめの微生物は、
もはや微生物ではなく、
ただの生物なのだろうか。


形のないものにも、形状はある。

見たことがないからこそおもしろい。


既知だけでなく、
未知のものへの好奇や理解も
深めていきたいものですね。









4月13日

#20『おめかししたサボテン』



80年代の話。

小学生のぼくは、
『宇宙船サジタリウス号』という
アニメが好きだった。

そこには、サボテンのような姿をした
「シビップ」というキャラクターが登場する。

初めのうち、

「ペポペポ」

という意味をなさない「声」ばかりを
発していたシビップだが。

いつも背負っている、
琵琶(びわ)のような形の楽器で唄い出すと、
みながうとっり、
その唄声に聴き入ってしまう。


そんなシビップが、
どんな流れでどんな話だったかも忘れたが、
いきなり「地球語」を話し出したときには。

物語に登場するトッピーやラナと同じくらい、
ぼくもびっくりした。


そんな記憶が、
関係しているかどうかは
わからないけれど。

サボテンを見ると、
何か「意思」のようなものを
感じずにはいられない。


頭にふたつ、
白い花をちょこんと乗っけたサボテンは、
話すことも唄うこともないけれど。
たしかにそこに存在している。


そんな「存在感」。


「そこに在る」感じが出せたと思う。


何も言わないからといって、
何も感じていないわけじゃない。

しゃべらないからこそ、
感じていることもある。



かつても引用した話。

ソロモン諸島の原住民には、
道具を使わず、
声だけで木を倒す「猛者(もさ)」がいるという。

来る日も来る日も、
早朝に、木に向かって罵声を浴びせる。
するとある日、
突然その木が折れて倒れるそうだ。



サボテンや鉢植えの花も、
猫でも犬でもカラスでも。

もしかすると、
車やパソコンなんかにも、
おなじことが言えるかもしれない。


逆もまた、しかり。


じっと黙ったサボテンは、
言葉の代わりに花を咲かせた。


そんなふうに思うと、
世界がとっても
チャーミングに見えてきますね。


けど、うっかり手は出さないでね。
私には、とがった棘(とげ)があるから。









4月16日

#21『うつくしき世界』



風景画としての肖像。

たくさんの色。
流れ、形、構図。



この日の夜、久しぶりに、
映画『ガタカ』を観た。


2年ほど前にも観ているが。

古い記述を見ると、
2014年ごろにも観ていたらしい。

https://aoaocuq.blogspot.com/2014/05/blog-post.html


そのときの引用はこれ。



『欠点を探すのに必死で、気づかなかっただろ。
 ・・・・可能だっていうことを』

「They've get you looking for any flaw,
 that after a while that's all you see.
 ....... It is possible.」

(映画『GATTACA(ガタカ)』のセリフより)



自分自身で「レッテル」を貼り付けて、
やる前からあきらめる口実を信じきってしまっている。

そんな相手に向けられた言葉だが。


ほかにもまだ
好きな台詞(セリフ)がある。


泳ぎくらべをする場面で、
かつての勝因を尋ねる弟・アントンに、
主人公・ヴィンセントがこう答える。



『あのときどうしたか知りたいか?
 今と同じだ。
 戻ることなんて考えずに全力で泳いだんだ』

「You wanna know how I did it?
 This is now I did it Anton.
 I never saved anything for the swim back.」



ちなみにこの「ヴィンセント」という名前は、
みなさんご存知の画家、
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホから来ている。



やらない理由なんて、
いくらでも見つけられる。


挫(くじ)けそうになったとき。
勇気をもらいたいとき。
ヴィンセントに会いたくなったとき。

そんなときぼくは『ガタカ』を観る。



うつくしき世界。


それは、目の前にある。

見えないのは自分のせい。


こたえは全部、自分の中にある。











4月17日

#22『あたらしい朝』



「最新作が最高傑作」

いつもそう思って
描いているのだけれど。

この絵が描けたとき、
迷わずすぐにそう思えた。


だからこれを最後の絵にした。



この絵は、
いったん途中で止めて、
翌日完成させた。


1日1枚の絵の、最後の1枚は、
2日がかりで描いた。




この絵を描いて思い出した、
一編の詠(うた)。


最後にそれを引用して、
締めくくらせていただきます。




*********************


『朝』



何回目の朝か

久しぶりに
この目で朝を見た


夜明け

夜ばかりでもないし
雨ばかりでもない

すべて流転するって
本当なんだな


鳥が鳴く


鶯(うぐいす)の声

3月中旬には下手だったさえずりも
一昨日ごろには上手くなっていた

そう思ったころに
声は聞こえなくなった


ベランダには
散った桜の花びらが
溶けない雪のように
降りつもっている

4月

何かが動き出している

世界が動きはじめたのか
それとも自分が動きはじめたのか


結局はどちらも
おなじことか


止まって見えた
景色と時間が
急に ゆったりと
動きはじめた

そんなことを教えるために
夜中に目覚めて
今こうして
朝を眺めている


何十億分の1の
大して意味のない
ただの朝かもしれないけれど

自分にはそれが
力づよくてやさしい
手のひらのように感じた


『朝』/詠み人知らずの詠(うた)》





* * *





ご静聴ありがとうございます。


いかがでしたでしょうか。

もしお時間があれば、
下記のアンケートにお答えください。


・・・・・・・・・・・・・・・・・

今回の企画について、


□すごく面白かった

□大変ためになった

□非常に興味深かった

□また見たい

□どちらでもない

□どうでもいい

□時間を返せ

□知人からの紹介で

□今は自分ことで精いっぱい

・・・・・・・・・・・・・・・・・

該当する項目の□に、
チェックを入れてください。

(複数回答可・油性ペンでお願いします)

・・・・・・・・・・・・・・・・・


< 今日の言葉 >


鼻をほじっていて。

その指を引き抜くと、
指先にからまるようにして、
想像以上に大きなものが現れた。


「私は鼻くその精霊。願いを叶えよう」


そんな夢を 見た朝に限って
見つからない靴下


(『イエハラ・ノーツ2022』より。
  後半部分は、BLANKEY  JET  CITY『Soon Crazy』より)



2022/05/11

展覧会の絵日記 2022 〜其の2〜



* *


先回につづいて、
今回は2回目。

『其の2』(# 9〜#15)です。

長ったらしい前置きは抜きにして、
さっそく本編へどうぞ。









3月15日

#9『Mr.ルチャリブレ』


15日、2枚目の絵。
(『其の1』#8 参照)

ルチャリブレとは、
メキシコのマスク・プロレスのことをいう。

そして
レスラー(選手)のことは、
ルチャドールを呼ぶ。


(以下、長い回想のはじまり)


話は1年前に
さかのぼる。


昨年の展覧会の準備のとき、
近所の犬の絵を描いた。

「けんちゃん」と呼ばれる雑種犬で、
道路に面した家の小屋に、
鎖でつながれていた。

ずいぶん老犬なんだろう。
やせて、顔ばかりが大きく見える。
その姿は、老齢の雄ライオンを
彷彿(ほうふつ)させた。

ぼさぼさの体毛はところどころ抜け落ち、
くすんで灰色がかった色をしたけんちゃん。
お世辞にも「きれい」とは言いがたいが。
ぼくは、けんちゃんが好きだった。

前を通りかかるたび、

「けんちゃん、おはよう」

とか、必ず声をかけていた。

けんちゃんにしては
迷惑だったかもしれないが。

たるんだ顔の皮に
埋まってしまったかに見える
その細い目(線?)をちらりとこちらに向けるだけで、
それほど興味のないようなそぶりで
じっとしているけんちゃんが、
ぼくには愛おしい存在だった。


それでいてけんちゃんは、
しっかりとした番犬である。

知らない人が通りかかると、
低い声で吠えたてる。

吠えられはしないぼくは、
少なくとも「敵」とは
思われていないようだった。



ある寒い夜。

家々の屋根や道路の上に、
うっすらと白いものが降り積もる。

いきなり来た寒さに、
空も、木々も、
みなが戸惑っているかのようだった。

夜、けんちゃんらしき
犬の鳴き声を聞いた。

めずらしいこともあるものだ。

しかしその声は、
なかなか止むことがなく、
やや悲痛な感じで、
何かを訴えかけるかのように続いていた。

時刻は午前2時すぎ。

しばらく続いたその声に、
気になって、けんちゃんの元へと
走ろうかとも思ったが。

あまりの寒さに
窓を開けることすらためらい、
そのままベッドにもぐりこんだ。


次の日も、寒かった。
昨日にも増して寒いような気がした。


夜。

またしてもけんちゃんの
鳴き声が聞こえた。

悲しげに鳴く声。

さすがに気がかりになったぼくは、
けんちゃんの姿が見えるわけではないのだが、
窓を開けて顔を突き出してみた。

外は白く染まっていた。
吐く息が、どこまでも白く伸びた。

気づくとけんちゃんの声は
止んでいた。

しばらく待ってみたが、
鳴き声はもう、聞こえなかった。


それからしばらく、
展覧会の準備やらで忙しく日々を送って。
家に帰らない日が何日か続いた。

寒さも和らぎ、
少し時間ができたころ。
けんちゃんの家の前を通りがかった。


あれっ、いない。


「けんちゃん」

ためらいがちに呼んでみる。

もちろん返事はない。

それはいつもと同じだが、
いるべきはずの場所に
けんちゃんはいなかった。

いくら探してみても、
けんちゃんの姿は見あたらなかった。


何日かして、玄関先に、
けんちゃんの飼い主の
おばちゃんがいた。


「おはようございます」


「・・・おはようございます」


いつもの低い声だが。
小声であいさつを返すおばちゃんの顔が、
どことなく寂しげに見えた。

よほど聞こうかと思ったが。

こわくてとても聞けなかった。


その後、
何回通っても、
何日か過ぎてからも、
けんちゃんの姿は、見えなかった。



あまりの寒さに、けんちゃんが・・・。

あのとき、躊躇(ちゅうちょ)などせず、
外に出ていれば・・・。


後悔ばかりが頭に浮かんだ。


少し離れた別の場所には、
あずきちゃんという犬がいた。

さらさらの髪をなびかせて、
若くきらきらした目で庭を駆け回る。

広い庭、家屋に寄り添うようにして、
小さな「はなれ」があった。

「小屋」と呼ぶには大きめの、
その小さな建物は、
あずきちゃんの「お家」だった。

エアコン完備で、
たとえ人が過ごしても
四季を通して快適であろう。


ボールを投げると
嬉しそうにくわえて持ってくるあずきちゃん。

犬っ気の多いぼくは、
あずきちゃんのことも
もれなく好きだった。


かたやエアコン付きの
専用ハウスに住まう犬。

かたや狭い檻(おり)の中、
鎖につながれて過ごす犬。

おなじ犬でもこんなにちがうのか。

比較見本のような相対性。
優劣や貴賎(きせん)ではない、
絶対的な「ちがい」。


いなくなってしまった
けんちゃん。

ぼくは、
浮かんでくる涙をじっとこらえ、
愛しのけんちゃんを偲んで
空を見上げた。


そして、
けんちゃんの絵を描いた。


細い、線のような目で、
こちらに顔を向けるけんちゃん。

今日までの時間を思い返しながら。

春の、
あたたかな陽気に包まれた
けんちゃんの姿を、
19センチ角のパネルに
描き刻んでいった。


数日後。


「けんちゃん!」


思わす声を
はり上げてしまった。

けんちゃんは「無事」だった。

無事も何も、
ひとり勝手な思い込みに
沈んでいただけである。


いつもの定位置に戻った
けんちゃん。

あまりの寒さに、
室内に入れてもらっていたらしい。

思ったとおりであると言えば
それまでのことではあるが。
たしかめるまで、
不安は拭い去れずにいた。


けんちゃんもあずきちゃんも、
愛されている。

しあわせの尺度。

人の(犬の)境遇を勝手に決めつける、
勝手な思い込み。


ひとり、教訓めいた心持ちで、
けんちゃんの元気な姿を
その懐かしき匂いとともに
しっかり感じ取ったぼくは、
描きあげたけんちゃんの絵を、
ニスも塗らずにそのまま置いていた。


1年経って。

どこか悲しげだったけんちゃんの絵を、
上から塗りつぶした。

塗りつぶしながら、
どんな絵が出てくるのか楽しみにして、
手と目と感覚が行きたがる方向にまかせた。


そして出てきた覆面レスラー。

まさにけんちゃんの絵を
マスク(覆う)して出てきた
ミスター・ルチャリブレ。


そう。

長いわりには落ちのない、
そんなに昔の話でもない
昔話でありました。











3月15日

#10『とんがり島の風景』


15日、3枚目の絵。

この日は勢いにまかせて、
描きに描いてみた。



こちらもおなじく、
1年前のパネルに「上描き」した絵。

もとは
人工衛星の絵が描かれていて、
題名は『地球の周りを回るもの』だった。

想像したとおりに描いてはみたものの。
想像の域を超えず、
何だか物足りなさを感じたため、
ニスを塗らない状態で、
そのまま壁にかけていた。


人工衛星が描かれた画面。

消しゴムで色を薄めて、
背景色とおなじ
蛍光ピンク(ネオンピンク:PC1038)で
ごしごし塗りつぶしていく。

そしてそこに、
オレンジ(PC918)や
ポピーレッド(PC922)の線を遊ばせていく。


何が出てくるんだろう。


映像や線や模様や風景が、
秒速で現れては消えていく。

これだ!と思ってつかまえた断片が、
何だこれ?だったり。

よし、と思って進んだ景色が、
なんかちがうなぁ、だったり。

そうして線や色と
「お戯(たはむれ)れに」なるうち、
何だかおもしろいものが浮かんできてはしぼみ、
不意に過ぎ去っていく。


途中、パネルをぐるりと回し、
天地を反転させてみる。

お、いい形が出てきたぞ、と思い、
手を止めてまた眺めてみる。

腕組みすること数分、
または数十分。

さらにパネルを回してみる。
今度は45度、1/4回転。

描いては眺め、
眺めては回す。

そんなことを繰り返す。



すると見えてきた。


島の風景が。

とんがった島の姿が
見えてきた。



こうなるともう、
迷いはない。



頭に浮かんだ像をつかまえに、
ひたすら無心で手を動かす。


ここまでの道のりが、
近い(早い)こともあれば、
遠い(遅い)こともある。

どちらがいいというわけでもない。

時間をかければ
いいというものでもない。


大切なのは、
純度と密度。


遊んだ時間が長ければ長いほど、
その絵の濃さがぐっと増す。

絵の深みというのか。

純度や熱量をたっぷり含んだ絵は、
実質的な時間や顔料以上に、
画面に厚み、奥行きを持たせる気がする。


あくまで「気がするだけ」の
ことかもしれないが。


この「気がする」に耳を傾け、
信頼し、委ねてみるとおもしろい。



もちろん、
このやり方ばかりで描くわけでもない。

習作を描いてから進める場合もあるし、
いきなりまっすぐ完成する絵もある。


色鉛筆は、重ね塗りに限界がある。
適度な緊張感と不自由さ。
絵の具とはちがった魅力がある。

木製のパネルは、紙よりも丈夫だ。
だから、破れる心配はほとんどない。

濁ったり、限界を迎えたり。
消したり削ったり、削れちゃったり。


今回のように
どんどん重ねて描く場合は、
足し算と同時に、
彫刻的な、
引き算もしながら進めていく。


計算ではなく、
あくまで感覚。

計算は、苦手なもんで。


言葉にすると長ったらしくてややこしく、
説明するほど退屈でつまらなくなるけれど。


反射神経、運動神経、
選択、感覚、判断力。


そんなものをぐるぐる活動させて、
進むべき「こたえ」へとひた走る。


ぼくはこの、
「描きながら描く絵」が、
嫌いじゃない。
むしろ好きだ。

わくわくするし、どきどきする。


自分でも、どんな絵になるのか楽しみで、
完成を急いでしまうこともあるが。

そんなあわてんぼうにも、まだまだ、
経験と研鑽(けんさん)の余地がある。




そんなこんなで生まれた
『とんがり島の風景』。


原画は、背景が蛍光ピンクなので、
まぶしくて、あざやかで、
ここで見る絵とはまるで別物だ。


現物ってすごい。

本物っていい。


とんがり島の景色を見ながら、
そんなことを感じてもらえたら、
あたし、まぢうれしいっス。








3月17日

#11『じっとしている』


長い歳月で、
蔦(つた)がからんだ、
車や建物。

そんな絵を描いてみようと思って、
描きはじめた絵。

で、こんな絵になった。


人間も、
ひたすらじっとし続けたら、
苔(こけ)とか蔦とかに
包まれていくかもしれない。

そうすれば、
花も咲き、果実も実り、
やがて動物たちも
集まってくるかもしれない。


絵本の『おおきなかお』みたいな絵になった。


(過去記述:『おおきなかお』参照)

https://aoaocuq.blogspot.com/2021/03/blog-post.html









3月20日

#12『エルヴィス』


高校3年生、
18歳の誕生日。

エルヴィスのポストカードとおなじポーズで、
おなじような写真を撮った。

横向き姿の立像。

エルヴィスのような
立派なもみあげ(sideburn)を持たぬ
高校生の家原は、
現像したモノクローム写真の肖像に、
黒いペンでもみあげを描き足した。


エルヴィスとぼくとの思い出。

一方的で、取るに足らない思い出ではあるが。


家を焼いてもいいし、車を盗んでもいいから、
とにかくぼくの青いスウェードの靴だけは
踏まないでほしい。

その思い出は、
薄く色あせたりはしていないが。
薄いままのもみあげは、
決して濃くなったりもしていない。



ちなみにぼくは、
映画『Loving You』(1957年)の
ころなんかも好きだけど。

68年から69年、70年、
映画界から歌唱界への「復活」を遂げたころの
エルヴィスの唄が、特に好きだ。


68年、NBC(テレビ)の公開放送で唄った
「Lawdy, Miss Clawdy」
「Wearin' That Loved On Look」などは
すごくたのしげで、
聴いていて身体が踊ってしまう。

69年「A Little Less Conversation」は、
曲も映像も、わかりやすく「かっこいい」し、
「Wearin' That Loved On Look」で始まるアルバム、
『From Elvis In Memphis』も味わい深い。


そして70年、
ラスベガスの舞台『オン・ステージ』。

そこで熱唱する
「明日に架ける橋(Bridge Over Troubled Water)」には、
聴くたびに感動を覚える。

ショウの終盤、
「ポーク・サラダ・アニー(Polk Salad Any)」から
「サスピシャス・マインド(Suspicious Mind)」、
「好きにならずにいられない(Can't Help Falling in Love)」までの流れは、
思わず息を飲んで見入ってしまう。


なんだろう、あの熱は。


あんなふうになれたらいいなと。

今日も
ありそうでなさげなもみあげをなでる
家ルヴィスでありました。









3月21日

#13『大人の時間』


絵を描くときには、
お酒は飲まない。

お菓子とジュース。

お菓子は「サウンド(音)」。
味も大事だけど、
噛みごたえの、その音が重要。

噛んだときの音。
噛みしめるリズム。

音楽を聴きながら、
スナックの音を、
骨伝いに、脳でじかに感じて噛みしめる。

骨伝導。

食感は味。

スナックは音色。

ごはんだと、すぐにお腹がいっぱいになるから。
お菓子だと、たくさんサウンドを感じられる。


ちなみにジュースは、
100%のフルーツ・ジュースが
いちばんいい。

搾りたてなら、最高にいい。

フレッシュ・ジュースは、
果物(くだもの)のスープです。


ノー・アルコホール、
ノー・ドラッグ。

オーガニックでは
ないかもしれないけれど。

音色や味覚。
「色味」を感じることが大切。

ナチュラルで
ファンタジックで
スリリングなアドベンチャーを目指して、
オラ、絵ぇ描いてんだ。


煙草をやめた今では、
空気ばかりを吸ったり吐いたり。

だからときに、
お酒も飲みます。


そんなとき、
絵が描きたくなることもあって。

その絵は作品というより、
お絵描きに近い。

そんなお絵描き、
落描きの時間はまた格別でやんす。


言ってることが
矛盾してるようですが。

「お酒を絵具の一部にしたくない」

簡単に言うと、
そういうことなのです。



「大人の時間」


夜、「電氣ブラン(お酒)」を飲みながら、
鉛筆でデッサンした絵を元に、
翌日、色鉛筆で描いてみた絵です。










3月26日


#14『ステラ』



カステラを食べながら描いた絵。
だから、名前は「ステラ」にした。

お菓子とジュース、
などと言いいながら。

このときは、
カステラと牛乳。

卵たっぷりのカステラには、
やっぱり牛乳がよく似合う。










3月28日

#16『おかしな家』



おかしな家でもあり、
お菓子の家のようでもあり。

家をつくるつもりで描いた絵。

二次元だと、
重力などのつじつまを無視して、
自由に建設できるから楽しい。


こんな家があったら、
アリみたいにあちこちよじ登って、
なめたりかじったりして
自由にこわしてみたい。


つくってこわして
またつくる。


出口はまだ、
ずっと先のようです。




* *



さて。

今回も長話にお付き合いいただき、
ありがとうございます。


尺としては、
先回の『其の1』とほぼ同じ。

次回の『其の3』は
どうなることやら。

乞うご期待です。



< 今日の言葉 >


「俺は死んだら、間違いなく天国に行ける。
 ”なぜお前が ” だって?
 よく祈ったか?・・・いいや。
 分かち合ったか?・・・そうでもない。
 謙虚だったか?・・・全然だ。
 じゃあなぜ天国へ行けるって自信がある?
 教えてやる。
 真実しか言わないからさ」

(映画『ワンダーラスト』/冒頭の語りより)


※原題:『Filth and Wisdom』(悪徳と知恵)