2023/05/25

Hi, Punk. 第2日目: 眠れない夜

 





〽︎ ハァ〜、

  テレビ観ねェ ラジオもねェ

  Wi-Fiあるけどスマホもねェ。

  一人部屋 誰もいねェ

  面会謝絶で誰もこねェ。


(昭和のヒット曲シリーズ〜『おら東京さ行くだ』の替え歌)




ずいぶんむかしに、

お見舞いに行ったときに見た

病室のテレビは、

分厚い「ブラウン管」のテレビだった。


テレビカードやイヤホンで、

観るテレビ。

テレビの形態は変わったが、

いまでもそれはおなじようだ。


大部屋とちがい、

個室のテレビは「無料」で見放題だ。


けれども自分は、

テレビを観ることがない。


せっかく「見放題」なのだから、

スイッチは入れなくても、

じっくり「見る」ことにした。


病室の薄型のテレビは、

棚に固定されていて、

引っぱると、

ちょっとだけ「腕」が伸びて、

ちょっとだけベッドに近くなる。


リモコンは、

棚の引き出しの中にあった。



退屈な入院生活。


もし、パソコンか

スマートフォンがあったら、

アマゾンとかで

いろいろ注文しちゃいそうだ。


目の前に、

こんなに大きな白い壁があるのだから。

プロジェクタを注文して、

ベッドにいたまま、

思いっきり映画や音楽を鑑賞できる。


「ここにプロジェクタを設置して、

 スピーカーやウーファーがだめなら、

 DENONとかSENNHEISERの

 ヘッドフォンで・・・」


と、そんな妄想で、

いくばくかの時間を灰にして。



咳をしてもひとり。


チューブにつながった器械のタンクが、

ぽこぽこっと泡を鳴らすだけ。



5月10日、水曜日。

入院生活2日目がはじまった。



* *



初日の夜は、眠れなかった。


いろいろなことが、

一気にたくさんありすぎて。

興奮状態から覚めやらず、

気持ちが高ぶったまま、

なかなか寝つけなかった。



ティントン、ティントン、

ティントン・・・。

トゥルルル、トゥルルル、

トゥルルル・・・。


あちこちから聞こえる、呼出音。

鳴り続ける「ナースコール」の音は、

昔のゲームセンターにいるみたいな

感じだった。


ベッドの上で、うとうとしていて、

自分がどこにいるのか、

一瞬、わからなくなった。


寝る体勢は、

あお向けの、平らに寝る格好では

寝られなかった。


上体を寝かせると、

このまま息が止まるんじゃないかと

思うほど胸が苦しくなり、

あわてて起きあがった。


起きあがるにも、

胸が苦しく、痛むので、

ベッドの脇の手すりをつかんで、

力づくで起きあがらなければ

いけなかった。


本当に、

どうしたらいいのか

わからなかった。


その感じは、溺れるような、

胸と心臓を握りしめられているような、

すごく苦しい感覚だった。


やばい、死ぬ!

と、思ってしまうほど、

切羽詰まったその感覚に、

思わず飛び起きてしまうのだ。


ベッドをリクライニングさせて、

角度をいろいろ探ってみたり。

枕を2つ重ねたりして、いろいろ試す。


上体を起こした

「座位」の格好では苦しくない。

角度にして、

45〜50度ほど起こした状態。

それ以上たおすと、

息が、胸が、苦しかった。


結局、その「座ったまま」の格好で、

布団をかぶり、じっと目を閉じていた。



何時かはわからないが。

少しまどろみ、

意識がふうっと遠のいた。


と、そのまま、

意識がなくなりそうな感じがした。


20代のころ、

脱水症状になったことがある。

そのとき、ちょっとだけ

意識を失いかけた。


あのときの感覚。


血の気が引いて、体が、意識が、

すうっと消えていくような感覚。


寒くて、冷たくて、

目の前に、緞帳(どんちょう)のような

暗い幕がゆっくりおりてくる。


ああ、このまま死ぬんだな・・・。


そんな感覚。


やばい、と思った。


あのときの感じと、よく似た感覚。


消える!


朦朧(もうろう)とした意識の中、

左手を伸ばしてナースコールを押した。




ほどなくして、

看護師さんがやってきた。

かっぷくのいい、男性だった。


「どうしましたか」


真っ白い懐中電灯の光の輪に、

看護師さんの、やわらかな声がつづく。


事情を説明する。

呼んだ瞬間よりは、

いくらか生きた心地がしていた。


すぐに血圧、脈拍などを測定して、

特に問題はないことを確認する。


原因はよくわからない。

けれど、あぶない、と思ったのは

本当だった。


「夜になって、

 急に気温が下がってきたので、

 それで血圧が下がったのかも

 しれませんね」


ベッドの横、カーテンの裾からは、

窓からの夜の冷気がもれている、と。


「お部屋の温度、上げておきますね」


昼間、ちょっと暑く感じて、

空調の設定温度を25度にした。

そんなことも忘れて、

そのまま布団に入ってしまった。


温度を上げてもらった

おかげもあってか、

そのあとは、息もしやすく、

胸が苦しくなることもなかった。


これが、人生初めての、

ナースコールだった。



そんなこんなで、

ほとんど眠れなかったけれど。


朝方、短かい眠りに落ちた。



朝、空調の温度設定を見てみると、

28度になっていた。


それ以降、温度設定は変えなかった。


旅先でも、

初めての場所(宿)では、

空調温度の適温がわからない。

ましてや「健康体」ではない状態では、

さらにわかりにくい。



意識が消えそうな、あの感じ。

何だったのかはわからないけど、

何もなく終わった。


ここは病院だから、

大丈夫だとは思いつつも。

やっぱりちょっと、怖かった。


そして思った。


いくらつよがっていても、

やっぱり怖いんだなと。


生きたい。


ナースコールを押した、あのとき。

自分の体が、心が、そう叫ぶのを、

たしかに感じた瞬間でもあった。



体につけている心電装置も、

あくまで「もしものため」の

装置であって、

これをつけていれば「安全」と

いうわけではない。


最悪の事態の一歩手前で、

その合図を知らせてくれる。

そういう器械だ。


看護師さんが言っていた。


「何かあったら、

 すぐにナースコールを

 押してください。

 遠慮とかせずに、

 すぐ呼んでくださいね」



意識がたしかな「患者」なのだから。

自分でそれを、伝えるしかない。


もちろん、巡回や検温など、

注意を払って

見守ってくれているけれど。


患者さんは、ぼくだけではない。

ぼくだけに

かかりっきりなわけでもない。


最後は自分。


何となくそれが、わかった気がした。



<心電送信機の図>




* * *



「気胸」になるのは、

背が高くてやせ型の若者に多いという。

喫煙者で、65歳以上の高齢者にも多い。


咳やくしゃみをしたわけでもなく、

特に力んだわけでもなく、

自転車に乗っていて、

いきなりなった人もいるらしい。


煙草は6年前にやめた。

まだ10本以上残った煙草

『ハイライト』を

コンビニのゴミ箱に捨てて、

やめようと思ったその瞬間から

今日まで1本も吸っていない。


身長177センチ、体重69キログラム。

太ってはいないが、やせてもいない。

若くもないし、高齢でもない。


そんな中途半端なぼくだが。

こうして気胸で入院している。



朝、ほとんど眠ることなく

目が覚めてしまった。


せっかく「早起き」したのだから、

朝日がのぼるのを見てやろう。


朝方はまだ、ひんやりとして寒い。

カーテンを開けて、またベッドに戻る。

『フランスベッド』の

リクライニングベッドは、

リクライニングだけでなく、

アップ・ダウン、

上下に高さも変わるようだ。


「これはすごいザマス!」


おフランス帰りのミーもびっくり仰天。

ベッドを上昇させると、

窓の外の景色が低くなり、

はるか遠くまで見渡せるようになる。


本当に、

ほんの少しだけのことかもしれないが。


ベッドに背をあずけたままの

ぼくにとっては、

その「たった少し」

「ほんのちょっと」の変化だけでも、

景色がずいぶんひらけて見えた。


「このままモンマルトルや、

 凱旋門まで見えそうザマスね」


そんなことを思いながら、

布団をかぶり、首だけ窓の外に向けて、

じっと太陽がのぼってくるのを待った。


外の世界を焦(こ)がれる、

カゴの中の鳥のように。


色のない世界に、色が灯りはじめる。

のっぺりと一色に見えた景色に

色がさし、影が伸び、

立体的に起きあがる。

人工的な明かりが消え、

止まっていた景色が、動き出す。


景色がぱあっと、

あたたかな色に染まる。


窓からは太陽の姿が見られなかったが。

新しい1日が、始まろうとしている。


雲のない、広々とした空。

今日もいい天気になりそうだ。




看護師さんに聞いたところ、

朝は、寝坊してもよいとのこと。

ここ、個室では、

就寝時間も起床時間も、

ある意味「自由」でかまわないそうだ。


「入院のしおり」みたいな冊子の中に、

『入院中の過ごし方』とあった。

そこには「6:30起床」

「21:30消灯」と記されている。


てっきり、そうなのだと思っていたが、

個室のぼくは、

またしても「例外」だった。


ちなみに。

1日(平日)の流れは、

「7:30朝食」「12:00昼食」

「17:30〜夕食」、

「8:30〜17:00診療時間」、

とぃう感じだ。



5月10日 朝



朝食。


看護師さんに、事情を話し、

おはしを持っていないことを伝えると、


「一膳だけ、お出しします。

 あとはコンビニとかで

 買ってきてくださいね」


と、一膳の「わりばし」を

手渡してくれた。



カリフラワーサラダには、

「ツナ」が入っていた。

ツナは苦手だが、

「お薬」だと思って残さず食べた。


煮物はおいしくて、揚げのふわふわと、

大根のしゃきっと感がたのしい。


みそ汁は、

ほんのり梅肉のような風味がした。


「ふりかけ」なんて、

何年、いや、何十年ぶりか。

遠足とか修学旅行みたいな気分になる。


『名古屋牛乳』もなつかしい。

そう、この味。給食を思い出した。

紙パック入りは初めて飲んだ。


しめて、523キロカロリー。


たっぷりのご飯も残さずに。

体のために、しっかり食べた。


おはしがあって、よかった。


左手には心電装置のコードがある。

右手でおはしを使うのは、

久しぶりだった。

両利きって、こういうときに便利です。




朝食後、

ちょっとかがんだはずみで、

「げっぷ」が出た。


すると、タンク内の「お水」が、

ぶくぶくっといった。

(右側の、透明なほうの「お水」)


朝、トイレで力んだら、

赤っぽい「水」がどぼどぼと

チューブを走った。


何なんだ、これは。


この、左側にたまった「排液」は、

ブラッドオレンジジュースみたいな、

深い赤色をしている。


昨日見たときは「20」くらいだったが。

今朝見ると「50」くらいに増えている。


これがなんなのか。

このタンクの仕組み、役割、

そして、ぶくぶくとこぼれる

泡の正体は、何なのか。

まったくわからない。


何もかもが、わからない。


お医者さんや、

看護師さんに聞いてみよう。



<タンクの観察記録>



<タンク構造簡略図>


<ノートのメモ>


(何がしたいか)

・自転車に乗りたい。

・チョコレートが食べたい。

・海が見たい。

・おいしいパンとブリーが食べたい。



・布団は表が青系で、裏が赤系。

 どちらもおなじ、花(バラ)柄。


・消毒のにおいに、

『家原美術館2019』を思い出す。


・まだ7時だって!

 今日はぐっすり眠れそう。




* * * *




部屋にいると、

理学療法士さんらしき人に、

「リハブ(リハビリテーション)」の

勧誘を受けた。


安静にしているよう

言われているのだが。

そのへんはどうなのかと尋ねると、


「もし、ここで受ける約束をしても、

 またあとで断ることもできますから。

 担当の先生と相談の上、

 もしむずかしいようであれば、

 そのときはまたちがう形を考えます」


と、言った。


そのままの流れで、

握力の計測を求められ、

つい、全力で思いっきり

握ってしまったが。

ちょっと胸が、痛かった。


左手には、

心電装置のコードがつながっており、

ほとんどまともに握れなかった。


つづいて、

両足先を一直線にならべた形で

直立するものや、

片足立ちを左右、交互に行なった。


心の中では、


「昨日手術で入院したばかりなのに。

 まだ、リハブとかいう段階じゃ

 ない気がするんだけどな」


なんて、思ったりした。


のちに思った。

ここは内科病棟。

まさか外科手術を終えた患者がいるとは

思ってもいないのかもしれない。

リハブ勧誘の男性が、

何となく状況を把握していない感じも、

それでうなずける。


本当に。

わからないことばかりで、

それがつらい。

何をどうしたらいいのか、

それがわからない。


先生が来たら、いろいろ聞こう。

そう思った。



入れ替わるようにして、

今度は清掃の人がやってきた。


「ごくろうさまです」


清掃の人は、そう言われているのか、

こちらに顔を向けることもなく、

返事をすることもなく、

黙々と清掃を進めていく。


なるほど。


そして検温、血圧などの測定。

食後、薬をきちんと

飲んだかどうかの確認。

毎食後に飲む薬は、

飲んだ後、空の容器を

「箱」に入れておくことになっている。


また別の看護師さんが、

食事の器を下げにくる。


いろいろな人が、

代わる代わるやってくる。


病室は、個室であっても、

「プライバシー」など存在しない。


そう、ここは病院。

ホテルでもないし、家でもない。


イタリア、ミラノのホテルで、

ノックもなく入ってきた

清掃員のおばさん。

別のとき、外出から戻っると、

そのおばさんが、

ぼくの部屋でテレビを観ていたこと。

出先から戻ると、

買っておいたポテトチップスが

きれいに食べられていたこと。

そのとき「チップ」を

置き忘れてしまっていたから、

代わりに「チップス」を

食べられたのか・・・と。

そんなふうに思った記憶。


まるで関係のない記憶だが、

なぜか急に、そんなことを思い出した。



<枕元にある給気弁>



そんなこんなで、

気づけば「お昼」になったようだ。


時計がないので、食事の配膳が、

ざっくりとした時間の目安になる。



5月10日 昼


上手に薄味で調理するなあ、と感心。

酢の物のしゃきしゃき感は、

スナック菓子のようなサウンドで

心地よい。

わかめの茎(くき)も、

こりこりしていて食感がたのしい。


煮物は、

白みその甘みがさといもを包み、

やや歯ごたえのある、

硬めのにんじんが、またいい。

豚肉も、みそとよく合う。


やきそばは、いい感じのソース味。

キャベツ、にんじん、豚肉、たまねぎ、

具もすごくおいしかった。


何といっても、ココアムース。

これはもう、ドルチェだ。

日本ベスト株式会社。

チョコが食べたかったので、

すごくベストにおいしく味わった。


これは、もはや給食だ。



飛行機の機内食のような勢いで、

次々とやってくるお食事。


私たち患者の胃袋を、

これでもか、これでもかと

言わんばかりに

満足させてくれる病院食。


管(チューブ)をつけて

じっとしている自分は、

健康になるどころか、

丸々と太ってしまいそうだ。


やきそばは大好きだけど、

麺はほとんど残して、

具だけをきれいに食べつくした。

(のこしてごめんなさい)


算数が苦手で、

カロリー計算はわからないが、

毎回完食したら、

大変なことになりそうだ。




『いただいた「わりばし」を、

 黒檀(こくたん)のような

「つや」になるまで、

 使いこんでやるぞ』宣言。


使い終わったわりばしを洗って、

ティッシュで拭いて、乾かす。


まだ、コンビニには行けない。

先生のお許しが出ていない。


おはしも、歯ブラシも、

しばらくはこのまま、

おつきあいいただこう。


パンツも、ひとまず、

寝ているあいだに洗って乾かす作戦で。

寝るときノー・パンツなのは、

いたしかたない。

ただ、干す場所

(ハンガーをかける場所)が、

部屋に見あたらない。

仕方なく、体につながる吸引マシン、

『MS-008』のポールに

干すことにした。


毎晩、巡視・点検に来る

看護師さんからすると、

そこがけっこう目につく場所だと、

あとあと気づく。


お見苦しいものをお見せして、

大変申し訳ありませんでした。





『MS-008』の「引っかけ部分」 → 物干し


布面積がせまく、乾きやすいおパンツ





昨日、ほとんど眠れなかったので、

食後にまんまと眠くなった。


うとうとするひまもなく、

「コードブルー」のアナウンスに

目が覚める。


ベッドを倒して、

「まちがいナースコール」を

押してしまう。

(倒したベッドにはさまって、

 マットレスがボタンを

 押しちゃったってわけ)


そんなわけで、

昼寝をすることもままならない。


それはいいことだ。



〽︎ 昼寝を すれば夜中に 

  眠れないのはどういうわけだ

(『東へ西へ』井上陽水氏)



昼寝をしなければ、

夜、しっかり眠れるのだから。



清拭【せいしき】(名):

体を拭いてもらう時間。


ありがたい。

お風呂もシャワーも入れないので、

非常に助かる。


看護師さんが、

おしぼりで背中を拭いてくれる。

あとは自分できれいに拭く。


この「清拭」が、

2日に1回だということも、

もっとあとになって知った。


もし拭いてほしければ、

看護師さんにお願いすればいいのだと。


汗をかくようなことは

あまりしていないが、

寝返りもうてず、

じっと天井を見たまま

寝転んでいるせいで、

背中には汗をかいているように感じた。



現時点では、チューブよりも、

左手の心電装置のほうが

「やっかい」だった。


寝るとき変に気をつかい、

左手を動かさなかったせいで、

左の肩と腕が、

がちがちに固まってしまった。


左胸のポケットに入れた心電装置は、

重さか約200グラム。

あお向けに寝転ぶと、

その重みで胸が(息が)苦しかった。

稼働中は熱を持つため、胸が熱く、

そこだけじっとり汗ばんだ。


片手しか使えない不便さは、

行動を消極的にさせる。


チューブを気づかい、左手を気にして、

気づくといろいろ「省略」したくなる。


こうやって人は、

不精(ぶしょう)という衣を

まとうわけだ。



* * * * *



ちょっと退屈になったので、

気晴らしに10階ラウンジへ行く。


自動販売機や、

電子レンジなどがあるその場所を、

ここでは「ラウンジ」と呼ぶ。


壁一面がガラス張りの、

見晴らしのいい空間だ。


男性が2名、座っていた。

間隔をあけて、ぽつんぽつんと

座っている。


きっと大部屋にいるより、

居心地がいいのだろう。


窓に向かってイスを置き、

外の景色を見ているような、

見ていないような感じで、

何をするでもなく、

ぼんやりと遠くに目を向けている。


紙パックの、

100%オレンジジュースを買う。


きんきんによく冷えた

オレンジジュースは、

内臓の形を透かすような感じで流れこみ

ぼんやりとした体をゆり起こした。


そのままほとんど一気に飲み干すと、

なんだか元気になったような気がした。



ゆったりと、散歩をするように、

10階病棟内の廊下を歩く。


自室前の廊下の窓から、

西の空をながめていると、

少しはなれた場所から

名前を呼ぶ声がした。


知り合い?


と、思ったが。

なわけがなく、声の主は、

執刀医の女医さんだった。


「どうですか?」


「痛みもないですし、

 胸の苦しさも、術前より

 楽になった気がします」


女医の先生に現状を伝えると、

ほっとしたようすで、

心から喜んでくれた。


ただ、まだまだ、

肺にたまった空気の抜けが

不十分なようで、

レントゲンの結果では、

肺がまだ、

半分にも満たないふくらみだという。


体調面での安定感に加え、

いま自分のいる「現在地」が

わかったことは、

気持ちの上ですごく「たすかった」。


どうなっているのか。

どうしたらいいのか。


わからないというのは、

痛み、苦しみとならんで、

つらいことだった。


「あとでまた、お部屋に行きますね」


そう言って先生は、

別の患者さんの部屋へと消えた。






女医の先生は、

また別の男性の先生を連れて、

やってきた。


いろいろな問診、やり取りのあと。


ついに『MS-008』号、

目覚めのときが来た。


スイッチを入れて、パネルを操作する。

圧力を調整しながら、

「15(㎝ HO)」に設定。


「ちょっとこれで

 様子を見てみましょう」


うれしいことに、

左手の心電装置を外してもらった。


これで両手が自由に使える。

顔も洗えるし、

おはしと鉛筆が同時に使える。


この「解放感」は、すごく大きい。


うれしさのあまり、

自由になった左手を

ぐるぐるとふり回したほどだ。



人間、すぐに忘れて「贅沢」になる。

それはどうすることもできない。

忘れてはいけない「場面」。

「立ち返り」。



明日、またレントゲンで、

肺の広がり具合をみるとのこと。


明日のことは、

明日にならなければ、わからない。


明日が今日になるまで。

今日は、今日の日をすごそう。




* * * * * *




5月10日 夕




気づくと夕ごはんの時間。


思わず笑っちゃうくらいに

おいしかった。

一人、声に出して、


「うっまぁ〜っ!」


と言ってしまうほどだった。


どれが、というより、

全部がおいしかった。


白和えは、

なめらかでクリーミーで、

大豆の味がものすごくした。

盛りつけも高盛りで、うつくしかった。


切干大根の煮物は、

切干大根のほかに、あげ、しいたけ、

いんげん豆が入っていた。

これまでの煮物にも言えることだが、

しっかり食感を残す「かたゆで」感が、

すごくおいしい。

いんげんは「コリッ」と

音がしそうなほどで、

それでいて、噛むといさぎよく割れる。


そして、鶏の葛(くず)粉焼き。

添えられたさつまいもは

皮つきで香ばしく、

金時の焼きいものような甘さだった。


鶏は、おそらく蒸し焼きだと思うが、

皮つきの鶏もも肉のうまみを、

葛粉がしっかり閉じこめている。

ぷるぷる、ぷりぷりの食感と、

鶏のうまみは、

思い出しただけで

垂涎(すいぜん)もの。

自分がこんなにも

食いしん坊」だったのかと

思わずにはいられない。


本日の夕食。

この味、このうまさで、

塩分量は、食塩(相当)3.1グラム。

ぜひともレシピを知りたいと思った。


今日もごちそうさまでした。





夜。

いま何時なのかはわからない。



廊下に鳴り響くナースコール。



「△△さぁーん、どこ行くの?」


看護師さんの声に、

おじいさんの声が返る。


「あそこに、何か、おる」


「どこ? そんな所、

 何にもないでしょう」


「なんにもないところに、

 何か、おる」

(Where there is nothing, 

 there is something.)


何だか名言のようなその言葉に、

思わずふふっと頬(ほお)をゆるめる。


きっと彼は「預言者」だ。






昨日、眠れなかったので、

今日は早めに布団に入った。


電気を消して、目を閉じる。


昼間、看護師さんと話していて、


「睡眠導入剤、出しましょうか」


と聞かれた。


けれどもそれは断った。

できるだけ自力で寝たかった。

ここに「慣れる」とまでは

いかないにしろ、

なるべく自力で寝たかった。


そんなわけで、

あまり気は進まなかったが。

今日は「耳せん」をすることにした。


ティッシュで作る、簡易的な耳せんだ。

これがばかにできないもので、

なかなかの遮音力なのだ。




<ティッシュ耳せんの作り方>




夜中、異変に気づいて目を覚ました。


自分が眠っていたのも、

目を覚ましたことで気がついた。


真っ白な光の輪。


逆光で、その姿はよく見えなかったが。


「すみません、起こしてしまって!

 夜担当の◇◇です」


どうやら看護師さんらしい。


記憶が途切れたみたいに、

いきなりぐっすり眠っていたせいで、

ここがどこなのか、どんな状況なのか、

それすらあやふやだった。

夢か現実かもわからない状態だ。


「器械の警告音が鳴っていたので。

 すみません、びっくりさせて、

 起こしてしまって」


びっくりしたのは、

おたがいさまのようだった。


寝不足での深い睡眠に加え、

「耳せん」をしていたおかげで、

警告音など、

まるで聞こえていなかった。


そこで急に、何かの気配を感じて、

びっくりして目を覚ましたぼくに、

さらに看護師さんがびっくりした。

そんな図式だった。


そういえば、

今日から電源を入れたんだった。

コンセントを入れてください、

とは言われていなかったので、

特に気にもしていなかったが。


そうか、たしかにそれはそうだよな。


数時間は、

内臓のバッテリーで稼働するらしいが。

電源が落ちたら、

大変なことになるところだった。

また肺が、

ぺしゃんこになってしまったかも

しれない。


あやうく命拾い。


もし、気づいてもらうのが遅かったら。

もし、いろいろなタイミングがずれて、

器械が止まってしまっていたら・・・。


そんなことは、ないだろうが。


いろいろ考えると、危ない局面だった。



警告音に気づいて、

コンセントを入れてくれてありがとう。


あわてて飛んできてくれた看護師さんに

心から感謝した。


・・・もっとも、そう思い至ったのは、

翌朝、ごはんを食べているときの

ことだった。


目が覚めたときは、

寝起きドッキリのような気持ちで、

説明を聞いても、

何が何だか状況がわからなかった。


ぼう然としたまま、

言葉も返せなかった。


そんなこんなで、

深い深い眠りから

覚めてしまったわけだが。


目を閉じて横になっていると、

知らないうちに眠っていた。


途中、何度か夢を見ながら、

浅い眠りから覚めたりもしたが。

深い眠りに包まれて、

泥のようにぐっすり眠った感じもある。




こうして、

入院2日目の夜がふけ、

3日目が、始まろうとしていた。





入院2日目、

5月10日水曜日。


いかがでしたでしょうか。


次回、

入院第3日目、

5月11日木曜日。


はたして家原に、

朝は来るのでしょうか。


乞うご期待です。




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< 今日の言葉 >


食べることと、生きることは、ちがう。


(5月10日の入院ノートより)





2023/05/20

Hi, Punk. 第1日目:いきなり緊急入院








いきなりの入院だった。


肺に、穴があいた。



左の肺が「パンク」して、

肺がぺしゃんこにしぼんでしまった。


「気胸」と呼ばれるこの症状。

病気、というより、

けが(傷)のようなものだ。


ここ15年くらい、

風邪をひいた記憶もない。


これまで、

大きなけがも病気もなく、

すくすく育ってきた。


生まれて初めての入院。


それは「突然」やってきた。



* *



5月7日、

連休最後の日曜日の朝。


いつもより手ごわい相手が、

お尻のあたりにひそんでいた。

前日、作業に没頭しすぎて、

ついおトイレに行くのを

忘れてしまっていた。


毎朝毎日、

ごはんを食べて歯をみがくと、

ハト時計のような正確さで出てくる

「おババ」だったが。

それが少し、みだれていた。


朝ごはんを食べずに、

そのまま机に向かったり、

トイレに行かないまま、

夜まですごしたり。


そんな小さな「みだれ」の

積み重ねもあってか。

めずらしく、手ごわい相手だった。


いつも以上に力んだ。

息を止めて、

全身いっぱいに力をこめた。


手ごわい相手ではあったが。

なんとか分娩に成功し、

何ごともなかったようにトイレを出た。



イスに座って、

息を吸いこもうとしたとき、

胸がちくっと痛んだ。


思わず前かがみになるほど、

ものすごい痛みだった。


そこから急に、息が吸えなくなった。


まったく息が

吸いこめないわけでないが、

大きく息が吸えないのだ。


感覚としては、まるで自分の肺が、

リンゴくらいの大きさに

なった感じだった。

それ以上ふくらむことをこばんでいる、

そんな感覚だった。

(まさにそのとおりだったのだが)


いまにして思えば、

この「胸の痛み」は、

初めて感じたものでは

ないかもしれない。


たまーに、息を吸いこんだとき、

ちくっとした痛みが走ることは、

何度かあった気がする。


痛みは、瞬間的なもので、

そのあと違和感もなく、

何の影響もなく感じていたので、

人の体に「よくあること」なのだと

思って流していた。


「そういえば・・・」


と、いう具合に。

ずいぶん経って思い出したくらい、

すっかり忘れていたことだった。



今回は痛みのあとに、

急に息が、吸えなくなった。


いままでとちがって、

それが治まる気配がない。


歩くのもしんどくて、

ちょっと動くと息があがる。



ひとまず休もうと思って、

ベッドに向かう。


座っている分には痛みもなかったが、

うつむいたり、かがんだり、

あお向けに寝転んだり、

胸を開いたりすると、

ものすごい力で

胸を押さえつけられているような

圧迫感がある。


あお向けにずっと寝転んでいると、

とてもじゃないけど

そのままの姿勢でいられなかった。

胸の圧迫感どころか、

心臓をぎゅうっと

握りしめられるような感じがして、

胸が、異様にどきどきした。


うしろに倒れすぎても、

前にかがみすぎても苦しくなる。

ベッドで寝転がることもできず、

背中に座布団を敷いて、

座ったままの姿勢で

ベッドに「横たわる」。


原因は肺なのか、心臓なのか。

どちらも痛く感じて、苦しかった。


とにかく、

息を大きく吸うことができず、

動くと動悸(どうき)が激しくなり、

ときどき心音のリズムもみだれた。


じっと静かにしていると、

さほど痛みも苦しみもない。


浅く小さく、ゆっくり息をして、

しばらくそのまま休んでいた。



結局その日は、

日曜でもあるし、様子見もかねて、

ベッドの上でじっとしていた。


夜も、横たわることができず、

座った姿勢のまま、

少しだけまどろみ、浅く眠った。




翌日、

5月8日、月曜日。


症状は、

良くもならず、悪くもならず、

横ばいの状態に感じた。


じっとしているだけなら、

ある意味「何ともない」のだが。

息がうまく吸えない、動くとしんどい、

体をかたむけると胸が苦しい。

息を吸うとき、喉が、

ひゅうひゅう、ぜいぜい、

という音もする。


熱はなかった。

脈拍も、じっとしているだけなら

問題ない。

聴診器で胸の音を聞く。

ときどき飛んだりみだれたりするのは

気になるが、

それ以上のことは、何もわからない。


とにかく、動けなかった。

動きたくなかった。


このままじっとしているだけなら

大丈夫だと。


おかしなことに、

このままじっとしていようと、

そんなふうに思った。


動くのが苦しくて、

何もしたくなかった。



夜、少しだけ横になった。

ゆっくり、本当にさぐりさぐり

ゆっくりと動くと、

ようやく横たわることができた。


あお向けはできない。

左胸を下にもできない。


体の右側を下にして、

クッションや座布団などで

高くした「枕」に、

頭というか、右肩をあずける。

その姿勢でなら

「横に」なれることがわかった。


前日、ほとんど寝ていなかったので、

その日は少しだけ眠った。


どれくらい眠ったのかは

わからないけど。

朝早くに目が覚めた。



5月9日、火曜日の朝。


医者へ行こうと思った。


このままではまずい。

そう感じた。



自分で行く自信がなかったので、

母に連れて行ってもらうことにした。


息がうまく吸いこめず、

声が、出なかった。


ゆるやかに悪化している。

そんな気がした。



* * *



「紹介状を書きますから、

 すぐに行ってください」



診療所の先生は、

おだやかな声ではあるが、

いかにも差し迫っているという口調で

きっぱり言った。


「肺ですね。気胸だと思います」


レントゲンの画像には、

左側の肺の姿が、

まったく映っていなかった。


「気をつけて行ってください。

 あわてず、

 ゆっくり行ってくださいね」



左の肺が、まったくなかった。

肺に穴があいて、しぼんでしまった。


どうりで息が苦しいはずだ。



救急車で行っても

よいとのことだったが。

何とか歩けるので、

「自力」で行くことにした。


火曜日の今日、

外科が休診日とのこと。

本来は呼吸器外科だが、

緊急のため、

呼吸器内科へ行くようにと。


とにかく、

予断をゆるさない状況だということが

はっきりわかり、

そのまま、その足で、

処置のできる

総合病院へと急いで向かった。



10分ほどで、総合病院に到着。

玄関前で、車を降りる。

母は、車を駐車場へ停めに向かった。


たしかに、

ショッピング・モールのように

たくさんならぶ

大きな駐車場からは、

とてもじゃないが歩けそうになかった。


入口をくぐり、案内を聞く。

ふだんなら

なんていうことのない長い廊下が、

いたずらに遠く感じる。


国際空港のロビーのように

広々とした病院内の廊下を、

いまにも止まってしまいそうなほど

遅々とした歩みで進んでいく。


きびきび歩くと危ない。

そう感じた。


人の体はよくできたもので、

危険なときは、

それ以上、無理が利かないよう、

ブレーキ(抑制)がかかるのなのだと、

身をもって体感した。


わずか数百メートルの距離に、

汗がにじみ、息があがった。


見た目には

どこも悪くないように見えるので、

誰かが心配するような

こともなかったが。

このときがいちばんつらくて、

本当に苦しかった。


熱々のお湯が

ひたひたに入った湯飲みを手に、

平均台の上を

ゆらゆらと歩いているような。

そんな「あやうい」感覚があった。



たくさんの人をやりすごすように進み、

番号札を手に順番を待つ。


番号を呼ばれて窓口へ。

紹介状を渡し、

書類や手続きやらの記入を済ませて、

次に呼ばれるのを座って待つ。


待ちくたびれた女性が、

係の人に文句を言っている。


たくさんの人が動きまわる。


自分はただ、

ゆっくりと息をしながら

じっとしていた。


音も景色も、まるで他人事のようで、

実際よりも遠く感じた。



どれくらいかして呼ばれて、

次の指示が出された。

2階へ行って、検査をしてほしいと。


母の姿を探しに歩いたが、

約束した場所に、見つからなかった。

これ以上歩くことが

ちょっと無理だと感じたので、

ひとまず、検査へ向かった。



血圧、身長体重の測定、

別室での採血を済ませて待っていると、

自分の番号が呼び出された。


若い、男前の先生が言った。


「これはすぐ入院だね。

 いいかな? そういうことで」


いいえ、と断る気などまったくないが。

その問いかけに選択肢がないのは

聞くまでもなくわかった。



待合室で待っていると、

母がやってきた。


近代的で大きな総合病院。

受付で聞けば、

その患者がいまどこにいるのか

すぐにわかるらしい。


それはあくまで、

ふらふら動き回っていなければ、

の話だが。

携帯電話やGPSなどなくても、

どこで順番待ちをしているのか、

居場所がすぐにわかる。


広い院内も、

一見ややこしく見えて、

番号や記号がふられているので、

多少、迷ったとしても、

見たり聞いたりすれば、

迷子になったり、

はぐれたりすることなく移動できる。


方向おんちの母が、

こうして目の前に現れたことが、

何よりの証明だった。


母に状況を話す。

わかったような、わからないような。

それでも、

緊急な状態だということは、

理解しているようだ。


「先生が、

 いますぐに行ってください、

 って言ったからね」


診療所の先生が、母にも重ねて、

緊急で、しかも慎重に、ということを、

伝えてくれていたらしい。


しばらくここで

待つように言われたので、

ソファに座って待っていると、

係の女性がやってきた。


「いま、お部屋のほうなんですが、

 大部屋がいっぱいで、

 空きがない状況で。

 個室でも大丈夫ですか?」


大部屋は「無料」だが、

個室は「有料」とのこと。

価格を聞いてみたものの、

これまた選択肢がない現状、

どうすることもできない。


「空き次第、大部屋のほうへと

 ご案内させていただきますので」


自分には分不相応で、

贅沢な感じが否めない「個室」。


個室というと、

大阪のおじいちゃんが入院していた

病室の記憶しかない。


梅田駅のすぐ近く、

古くて立派な病院の個室。

ベッドのほかに、テレビや冷蔵庫、

お風呂とトイレ、ソファとテーブル、

横にちょっとした畳敷きの間があって、

何人かが泊まることもできる。


大きな窓からは空が見える。

家具などの調度品や、

壁や床などの内装。

どれもが「立派」だった。

高級そうなイスや机や、

ふかふかのじゅうたん。

思わずはしゃいで、

しかられた記憶がある。


それはまるで、

病室というよりは

「部屋」といった感じで、

「社長室」みたいな雰囲気だった。


病院にあまり縁がなかった自分には、

個室というと、それしか浮かばない。


とにかく、そういう事情で。

ぼくは「個室」に入ることとなった。


いますぐ、このまま、緊急入院。


心の準備はともかく、

何の準備もないまま、緊急入院だった。


病院ということで、

ほとんど手ぶらのような格好で来た。

出るとき、玄関で迷ったが。

革靴でなく、

カンフーシューズを

履いてきてよかった。


腕時計もしてこなかった。

ふだんより荷物も少なく、

ものすごく「軽装」だった。


替えのパンツどころか、

歯ブラシもパジャマも、

とにかく何もない。



「もう少しここで、お待ちくださいね。

 すぐにお迎えが来ますから」


去っていく女性を見送り、

少し遅れて思った。


『すぐにお迎えが来ますから』


って。


相手によっては禁句に近いような。


なんか、逝(い)っちゃうみたいで、

ちょっと笑えた。




ソファで座るぼくの前に、

車イスを押す人たちが現れた。


誰かを探すように、

あたりをうかがうその人と目が合った。


「イエハラトシアキさんですか?」


「はい」


「では、こちらに乗ってください」



車イスは、

ぼくを運ぶためのものだった。


実感としては、

死ぬような症状ではないようでいて。

実際には、自分がいま、

命にかかわる状態なんだと

あらためて感じた。



* * * *



エレベータで10階に着くと、

男性と女性の2名のお医者さんが

現状と、これからのことを

説明をしてくれた。


気胸。

左の肺に穴があいて、

しぼんでしまっている。


簡単に言えば、

肺がパンクしている状態。


進度は「3」。

3段階のうちで、

いちばん「重度」の状態だった。


胸の圧迫感や息苦しさは、

吸いこんだ空気が、

やぶれた肺の穴からもれて、

胸の中に充満して、

それが体内の器官を

圧迫しているためだ。


肺にあいた穴が、

肺をふくらませないだけでなく、

ちょうど「戻り弁」のようになって、

出るだけで入らない状態に

なる場合があるらしい。


胸の中(胸腔)には、

「すきま(空間)」がある。

横隔膜(おうかくまく

焼肉でいう「ハラミ」)で仕切られた、

お腹より上の、胸の空間。

そこに「もれた」空気がたまるのだ。


しぼんだ肺と、

胸腔内にもれる空気。


しぼんだ肺は、

酸素を取りこむ力を失い、

もれた空気が胸腔にたまりつづけると、

肺静脈などを圧迫する。

となると、心臓に血液が戻らず、

体に血液が送り出せなくなる。


そのまま血圧が下がれば、

心肺停止の状態になる。


現在、非常に危険な状態で、

このままではいつ「異変」があっても

おかしくない状況であると。


ようするに、

死んじゃうかもしれないよ、

ってことだった。



とにかくまず、

すぐにその空気の逃げ道を

つくってやる必要がある。


『胸腔ドレーン(ドレナージ)手術』


と、呼ばれる方法で、

胸の、「脇腹」あたりに穴を開けて、

「管」を通す。

そこから、中にたまりつづける空気を、

体の外へ逃がしてやるのだ。





肺にあいた穴が小さく、

そのまま自然にふさがるようであれば、

胸腔にたまった空気を抜きつつ、

肺が元どおりの大きさに戻るのを待って

それで「終了」となる。


それで穴がふさがらない

(空気のもれが止まらない)

ようであれば、

第二手術となる。


『ダビンチ』的な、

モニタを使ったアーム手術だ。


<イメージ画像>



そうなると、

また別の穴を3、4個あけての

外科手術となる。


2〜3センチの穴を3、4カ所。

場合によっては、

8〜10センチの穴になることもあると。


従来の開腹手術と比べれば、

体への負担は格段に少ないが。

全身麻酔での外科手術になるため、

『胸腔ドレーン(ドレナージ)』に

比べると、やはり、

体への負担は大きくなる。

手術による「合併症」や、

その他諸々の「リスク」も上がる。

けれども「気胸」は完全に治る。



「本当に、

 自転車のタイヤのパンクと同じです。

 CTや生理食塩水を使って、

 穴の位置を見つけます。

 その穴のまわりを切り取って、

 別の組織を縫(ぬ)ってふさいだり、

 ネットを貼って補強したり。

 そうやって穴を完全にふさぎます」


「自然治癒(ちゆ)」の場合、

「再発」する場合がないとは言えない。

さらには、

(かなり余裕をみて)約半年くらい、

飛行機に乗ることができない。


外科手術での治療であれば、

ダイビングなどの

減圧・加圧が激しいものでなければ、

術後、飛行機に乗っても大丈夫だと。


最初から、外科手術での治療を

選んでもかまわないという話だったが。

ぼくは、できればおなかを

開けたくなかった。


お菓子は、

袋を開けちゃったら、

早く食べないといけない。

開けるとしけるし、いたみも早い。

開けなければ、長くもつ。


人の体もおんなじ。

そんな気がしている。


だから、できれば開けたくない。


手術自体は、

お医者さんがやることなので、

怖くもなければ、抵抗もない。

ただ、開けないでいいなら、

開けずにおきたい。


それが、ぼくの考えだった。



あとは、なるように任せるだけ。

自分ができることは、特にない。

お医者さんに任せる以外、

ほかに方法はない。


まさしく、

『まな板の上の鯉(こい)』

といった心境である。



まずは穴をあけて、チューブを通して。

それで治らなければ、

そのときはそのときだ。



諸々の書類に目を通し、署名をする。


「では、すぐに始めましょう」


「え、いまからですか?」


「はい。いますぐです」


「コンビニとか、

 行く時間はないですか」


「もし行くとしても、

 まずは管を通して、

 それからでないと。

 いまの状態では危険です。

 急に血圧が下がったりしたら、

 どうにもなりませんから。

 とにかくまず、

 手術がいちばん先です」


じっと座っていると、

それほど痛みも苦しさもなく、

自覚症状も少ないので、

思わず「健康体」のような

気がしてくるが。


実際には、

予断をゆるさない、

危険な状態なのだ。



すべてが急だった。


入院も、そして手術も。

すべてが「いきなり」だった。



ということで。



横にいた母に、

入院に必要な物の買い出しを頼んだ。


歯ブラシ、歯磨き粉、替えのパンツ、

シャンプー、ノート、ボールペン。

あとでスケッチブックや

鉛筆なども買ってきてほしいと。



そして手術は始まった。



本当に、そのままの流れで、

すぐに手術に移行した。



* * * * *



想像していたより、

簡素な部屋だった。


これまでに、傷やけがを

縫ってもらったことは何度もあるが。

こういう「手術」は初めてのことだ。


「手術」と「手術室」。


自分のイメージでは、

マンガや映画などの

手術の映像しかない。


「メス、・・・鉗子(かんし)」


といった、わかりやすい、

お決まりのイメージである。



手術の部屋は、

そんな物々しさや

にぎやかな機器などが一切ない、

がらんした場所だった。


まるで試合前の

ボクサーの控え室のような。

広々とした部屋の中ほどに、

ちょっとしたベッドがひとつ。


いまって、こんな感じなんだな。


そんなふうに思いつつ、

ベッドに横たわったぼくは、

お医者さんや看護師さんが

てきぱきと準備を進める姿を

横目にながめていた。


人の数は、

見学の医学生さん

(スチューデント・ドクター)も含めて

4、5名くらい。


言われるままに服を脱ぎ、

差し出されたパジャマに着替える。

病棟内のおしゃれ着、おパジャマ。

男子は青系、女子は赤系。

あわい色合いの、チェック柄だ。


手術のため、ズボンのみを着用した。

上半身裸の状態で、ベッドに座る。


「息を大きく吸ってください。

 はい、大きく吐いて」


聴診器が背中にあてられる。

その数が、2つ、3つと増える。

医学生の聴診器だ。


「変な音とかするんですか?」


尋ねるぼくに、先生が言った。


「その逆です。

 何の音もしないんです。

 左肺は、呼吸しても、

 まったく音が聞こえないんです」


なるほど。


脈拍や血圧を測られたり、

その間にも、準備は着々と進む。


「それでは、横になってください」


あお向けになると苦しいので、

枕を敷いてもらい、

苦しくない姿勢を探った。


左手を上げる格好で

行なうとのことだったが、

その体勢がつらかったので、

左手を下ろした姿勢でも

いいかと尋ねてみる。


2名の先生が、

あれこれと短かく意見を交わしながら、

体勢を決めつつ、

何とかいけそうだということで、


「大丈夫です。

 それじゃあ、これでいきましょうか」


と、左手を下ろした姿勢で

執り行うこととなった。


天井をながめる形で横たわる。

各所にビニールシートがあてがわれ、

上半身全体が、

お刺身シートみたいな、

清潔な紙で包まれる。


手術をする左胸部分だけ、

ぐるりと切り取られた紙のシートだ。


「ちょっと冷たいですよ」


左の脇腹に、

消毒液のひんやりとした感触。

想像していたより、

およそ4倍くらい冷たいそれが、

3回、4回とくり返される。


体勢を調整し、しっかりと決め、

穴を開ける位置に印をつける。


第6肋骨(ろっこつ)と

第7肋骨のあいだだった。


「ここに、このチューブが

 つながりますからね」


チューブの太さは、

直径11ミリ(1.1センチ)くらい。

思ったより太いチューブだった。


左胸から伸びたチューブの先は、

器械(下図)につながる。




「では麻酔をしていきますね」


執刀医は女医さんだった。


「少しちくっとしますよ」


思っていたよりも深く刺さる針に、

心の中で「おおっ!」と思う。

痛いけれど、

がまんできない痛みではない。


「はい、深く入りますね。

 ここがいちばん痛い

 個所だと思います」


おおっ!


胸膜あたりにとどいた針。

とても痛くて、

またもや「おおっ!」と思った。


顔は天井を向いているので、

目でそれを確認することはできないが、

体感としては

5センチ以上入っているように感じる。

いままでに、

こんな深く針を刺されたことはない。


注射ぎらいなほうではないが、

その針は、献血よりも太く、

深さもかなり、深かった。


いままでの注射の中で、

いちばん痛かった。


それでも、いやな痛さではない。

深い、というだけで、

痛み自体はそれほど大きくなかった。


麻酔液が注入される、あの感じ。


麻酔の効きは、早かった。


ゆっくりと痛みが「消えて」いく。

自分の体の、そこだけが

ゴムか何かの無機物になった感覚。

針の動きや、

押される感じだけがわかる。


「では本番、いきますね」


そう言って女医さんは、

体に穴を開けはじめた。


まず、メスで切開する。

穴の大きさは1センチほど。


そこに、何やら器具を差しこんで、

ハサミを開くように、というのか、

グリップを握るように、というのか、

体に差しこんだ部分を

広げているような感覚が伝わってきた。



医師のお2人、看護師の方々、

みなさんとても感じがよく、

よけいな緊張や不快感もなく、

なごやかな雰囲気で手術が進む。


さて、いよいよ管の挿入だ。


「・・・あれっ」


管を押しこみながら、

女医さんがつぶやく。


「あれっ・・・入らない」


脇腹が、つよく押されつづける。

角度を少し変えながら、

ぐいぐいと、穴に管が押しこまれる。


ん、ん・・・と、

口からもれる、小さな声。

表情はうかがえないが、

けんめいな感じが伝わってくる。


もう一度、

先ほどの器具で穴を押し広げ、

あらためて管が押しこまれていく。


もう一度、そしてもう一度。


長いような短かい時間。


こういうとき、

なぜだか少し、笑いがこみあげる。


まるで「コント」のような展開に、

われながらちょっと笑えてしまう。



「入りましたっ」


女医さんのはずんだ声に、

思わずぼくは、


「おめでとうございます」


と答えた。


なんだかそれくらいに、

いろいろな感じが伝わってきた、

長くて短かい時間だった。


「おつかれさまです」


女医さんがぼくに言う。


「ありがとうございます」


少しだけ顔を向けて答える。

マスクで顔は見えないけれど、

女医さんの目は、大きく笑っていた。


そこにいるみんなが、笑顔だった。


つづいて、管と体を

「縫合(ほうごう)」していく。

体から管が抜けてしまわないように、

固定するための処置だ。


黒い糸で、するすると縫われていく。

小さな針が、ちくりと感じる。


「先生、ここの結び方は、

 どうしてますか?」


女医さんが、

男性の医師さんに質問する。


「ぼくの場合は、ここで1回結びます」


「なるほど」


そんなやり取りにつづいて、

女医さんが言った。


「結び方には、

 いろいろ流派があるんです」


「できるだけしっかり、

 留めておいてください。

 動きまわっても、

 取れちゃわないように」


チューブの先には、器械がつながれる。

小型で可動式とはいえ、

しっかり留めておくに

こしたことはない。


ミシンの最後の始末も、

上糸と下糸を

結びたくなる性分のぼくは、

迷わずそう答え、

管と体をしっかりとつないでもらった。



あたたかなおしぼりで体を拭かれ、

もう一度、消毒。


痛みは感じなくても、

流血はしていたようだ。

袋に捨てられたおしぼりなどが、

赤く染まっている。


「ここはプロにお任せします」


と、

代わって担当してくれた看護師さんが、

カーゼやテープを貼ってくれた。


体と連結した管の先を

カーゼでおおい、テープで留める。

その先につながるチューブを

体側に固定する。


さすがは「プロ」と

呼ばれるだけあって。

部屋に帰って、あとで見てみたら、

本当にきれいな、

見事な仕上がりだった。



<管と心電装置の図>



* * * * * *




そんなこんなで、手術が終了。


麻酔が切れると、痛かった。



容体が安定するまでは、

心電装置をつけてすごすことになった。

24時間、常時、

心臓の拍動が転送される。


勝手にはずすと、

看護師さんが飛んでくる。

転送が止まるということは、

すなわち「心停止」ということだから。



手術は、準備を含めて、

30分ほどのあいだに

終わったように思う。


いま、何時なのか。


時計も何も持たずに来たので、

いまが何時かもわからない。


携帯電話を持たないぼくは、

いま、静かな病室で、

これを書いている。


パソコンではなく、

コンビニで買ってきてもらった

大学ノートに。


ボールペンは、

看護師さんにいただいた。

黒のインクが切れた、4色ボールペン。


初めてのボールペンは、

筆圧や筆致の感じがむずかしい。


いつもはBICのボールペンを使っている。

仕様の変化はありつつも、

使いつづけて20余年。


いただいたボールペンも、

そのうちきっと、

さらさらと書けるようになるだろう。



そして、ごはんが運ばれてきた。



窓の外は夕焼けで、

雲ひとつない空がゆっくりと

桃色に染まっていく。


遠くにタワーも見える。


ここは10階の個室。

いちばん端の、角部屋だ。


大部屋に空きがなかったとはいえ、

どこか身分に合わない感じの

この個室に、

ひとり、入院している。


想像していたよりはずっと簡素な、

ビジネスホテルのような

感じではあったが。

大部屋とちがって、

シャワーもトイレも、

部屋についている。



いきなり入院、そして手術。


幸か不幸か。

しばらくは10階内だけしか

動いてはいけないと。


「安静にしてください」


実際、

かなり重度の「気胸」なのだから。

ぼくは、おとなしくしていようと思う。


本当は、病棟の中を、

あちこち探検したかったんだけどね。


退院までは、まだ何日もある。


最速で5日。

たいてい7日。

長ければもっと長くなる。


いつかはこの、

吸引マシン『MS-008』を連れて、

病院内をお散歩しようと思う。



必要物資を買いに、

コンビニにも行きたい。


母に頼んだ買い物は、

やっぱり「母」らしく、

ちょっとばかりずれていた。


替えのパンツは、白のブリーフ。

何年ぶりに見たのか、

本当に、ただの白のブリーフを。


さすがにこれは履かないので、

返品してもらうことにした。


歯ブラシは、

どうしたわけか、歯間ブラシ。

歯磨き粉は、

グレープ味の、子ども用だった。


そんな母の「買い出し」に、

思わず笑いがこみあげる。


細い歯間ブラシでは、

歯をみがき終えるのに

何十分かかるのか。

その間ずっと、甘〜いグレープ味だ。


何ごとも経験。

まあ、しばらくはこれで、

やってみよう。



<ハハミガキセット>



ちなみに。


病院では、

おはしが出ないもようで、

コンビニなどで買ってくる必要が

あるらしい。



5月9日 夕




・きゅうりの酢の物 ・肉じゃが

・焼き魚、かぼちゃ ・ごはん

・オレンジ(FRUITS LIFE)

・お茶



夕食は、

おはしがなくて、手で食べた。


すごくおいしかった。

手で食べたせいもあってか、

よけいにおいしく感じた。


3本入りの鉛筆の、

2本を使って食べようかと思ったが。

そのステッドラーの鉛筆は、

最初から先が削られており、

お尻に消しゴムがついていたので、

おはしに使うのはやめておいた。



<病室間取>




ソファから出入口を望む





ベッドの足回り





ベッドの頭回り





棚とソファ



あとで思った。


ここは、内科の病棟。


先生たちがどことなく

「不慣れ」な感じがしたのも、

外科の専門医ではなく、

内科が専門の先生が手術をしてくれた、

そのためだったのかと。



初めてのことばかりで、

何もわからず、

どれもがいきなり「緊急」すぎて、

何が何だか

わからないことだらけだった。


緊急、かつ、

外科が休診だったこと。

そのため急きょ、

内科の病棟で手術が行なわれた。

手術をしてもらった部屋が、

手術室ではない部屋だということも、

のちに知った。



本当に、わからないことばかりで、

とにかく何もわからない。


病院のしきたりも、

入院の決まりも、

病室での過ごしかたも。


気胸という「病気」のことも、

まだまだわからない。


「安静」というのが、

どういうことかもよくわからない。


誰も、教えてはくれない。

わからないことは、

こちらから聞くしかない。





5月9日火曜日。

入院第1日目。



ひとまずこれにて、幕でございます。

はたして、家原の運命やいかに・・・。


次回、5月10日水曜日につづきます。


乞うご期待。



第2日目 →



< 今日の思いつき >


上司:「おまえ、はしの使いかた

    下手だな」


部下:「はい。ナイフ・フォークで

    育ったので」


上司:「へえっ、そうなのか。

    それなら、ナイフとフォーク、

    もらおうか?」


部下:「ありがとうございます」


部下:(受け取った

    ナイフ・フォークを手にして)

   「いやぁやっぱり、

    ナイフ・フォークのほうが

    使いやすいですね」


<ナイフ・フォークの図>