2009/04/27

まこちん



「Mr.M」(2020)



専門学校生のころ、
ひとつ上の先輩に
「まこちん」という人がいた。

学年は1こ上だけど、
年齢はたしか2こ上だったように思う。

まこちんは、いわゆる「クオーター」で、
父方か母方かは忘れてしまったが、
おじいさんがドイツ人だ。

(ちなみにおじいさんは、
 遺体を医学用の骨格標本として
 献体されたそうだ)


背が高く、端正な顔立ちをしているので、
ぱっと見、「外国人」のように見える。

男前のまこちんが
サングラスをかけて歩いていると、
すれ違いさま、結構な確率でふり返られる。


そんな「まこちん先輩」。


街ゆく人にふり返られる理由は、
端正な容姿のせいだけでは
ないのかもしれない。

まこちんのファッションは、というと。

当時(1993年)、
スナックの壁紙のような
どぎつい花柄模様のベルボトムを履き、
金色の革のダブルのライダースを着て。

ティア・ドロップ型のサングラスをかけて、
鎖のついた黒革のポリスマン・キャップを
かぶったりしていた。

1970年代の、
グラムロック的なファッションを彷彿させる、
まさに「ステージ衣装」のようないでたちで
「闊歩(かっぽ)」していた。

「闊歩」というのも。

まこちんは、歩くとき、
やたらと姿勢がいいのだ。


昔、市のマーチング・バンドに
在籍していたという話だが。

そのせいかどうかは不明だけれど、
反り返るほどに背筋をぴんと伸ばし、
両手を前後に大きく振り、
ヒザをまっすぐ伸ばして歩く姿は、
どう見ても「ひとりパレード」だった。

白地に赤いラインの入った
「マーチング・パンツ」を履いて
金色の革ジャンを着てきたときなどは、
クイーンのボーカリスト、
フレディ・マーキュリー氏そのものだった。


そんな「まこちん」だからこそ、
僕も「ひとめぼれ」したに違いない。

いや、もちろんノーマルな意味で。


入学したての僕は、まこちんをはじめ、
オリーブ先輩、ジュリー先輩、
はっとりくん、卍(まんじ)先輩など、
どぎつい個性の先輩方に魅了されていった。

当時、まこちんは、
紺色の「フェスティバ」に乗っていた。

マニュアル車のフェスティバ。
嘘みたいに適当に見えるギア操作で車を走らせ、
爆音で流した音楽に合わせて大声で熱唱する。

十八番(おはこ)はやはり、クイーンだ。

そういうわけで、車内はいつも、
まこちんのステージ(舞台)だった。

助手席に座っていると、
信号待ちなどで車が停まるたびに、
クイーンを熱唱されられる。

顔を5センチの距離まで近づけられての合唱。

クイーンはぼくも、
もともと覚えるほどに聴き込んでいたが。

おかげで、
しまいには『ボヘミアン・ラプソディ』を
まこちんとパート分けして唄えるまでになった。

そのさまを、後部座席のはっとりくんが
大喜びで見ていた。



あるとき、
はっとりくんが僕に耳打ちをした。


「まこちん、実は“あっち系”なんだよ・・・。
 なんか、お前のこと、狙ってるらしいぞ」


それを聞いた僕は、
一瞬だけ疑いはしたものの、
完全に打ち消すだけの自信がなかった。

たしかに、思い当たるフシが、なくもない。

釣りやボウリングなど、遊びに行ったあと、
まこちんは僕を家まで送ってくれた。

そして帰りにいつも
「健康ランドに行こう」と誘うのだ。

当初は何も気にせず、
「ふたりっきり」で風呂に入った。
健康ランドの正装、
おそろいの「ムームー」まで着て。

入浴中、たしかに「熱い」視線を
感じなくもなかった。


ちなみにまこちんは、
風呂上がりには決まって
「メロンソーダ」を飲む。

初めての店では必ず、

「チェリー乗ってる?」

と確認してからメロンソーダを頼む。

端正な顔立ちも助けて、
一見、立派な「大人」に見えるまこちんだが。

まったく「ガキ」のような
屈託のない口調でそう聞くのだ。

クリームソーダが届くと、
それまでの会話がぷつりと終わる。

そして、子どもっぽい早さで
緑色のソーダを一気に飲み干したあと、
黙々とアイスクリームをほおばり、
お楽しみのチェリーを口に運ぶ。

高々とつまみ上げたチェリーを仰ぎ見て、
高い枝に成った木の実を食べるかのような感じで、
大口を開けてぱくりと食べる。

最後、タネを勢いよく「プッ」と吐き捨て、
いたずらをしたあとの子どものように
「ヌへへへ」と笑う。

タネは灰皿に入ったり、床に落ちたり、
テーブルにはね返って僕の手元に転がってきたり。

タネの行方にはおかまいなしで、
ただ、吐き出すことに夢中な様子だ。


「まこちんはあっち系だ」


その「忠告」のせいで、
さすがに健康ランドも行きづらくなった。

ふたりっきりで「会う」のも、
何となく気まずくなった。


しばらくして。

その「忠告」が冗談だということが分かった。

「えっ、もしかして本気で信じてたの?」

あっち系だと言われると、
何もかもが「そう」見え始めて。
僕は、すっかり本気で信じ込んでしまっていた。

言いっぱなしで種明かしをしない先輩たち。

そういう「いたずら」は、
いつもやる側ばかりだった。

やられてみると、
結構長い間「だまされっぱなし」だったので、
何が本当でどこまでが嘘なのか、
少しのあいだ、分からなかった。

そわそわと落ち着かない気持ちだけが、
妙にくすぶっていた気がする。

とにかくまこちんは、
あっち系ではないらしい。


旅行先では、浴衣の前をはだけ、
赤いビキニタイプのパンツをむき出しにして。


「ローリングいなりアタック!」


などと絶叫しながら、
ゴロゴロと「でんぐり返し」を繰り返して、
男女構わず股間を押しつけるまこちん。

股間の下敷きにされて嫌がる姿を見て、

「ヌヘヘヘ」

と満足げに笑いつつ、
なおもでんぐり返しをしつづける。


そんな破天荒なまこちんだけれど。

家では親がかなり「厳しい」らしく、


「まことさん」

「はいっ」

「ちょっと、音楽が
 大きすぎじゃないの?」

「はいっ」


お母様に叱られたまこちんは、
いままでガンガンに音楽を流していた
ステレオのボリュームを、
聞こえないくらいにぎゅうっとしぼる。

はっとりくんいわく、


「まこちんは、ヤヌスの鏡だ」


・・・ヤヌスの鏡。
(わからないおともだちは、
 おうちの人に聞いてみてね)

家が厳しい分、その反動で、
学校ではじけている・・・と。

あまりにぴったりな喩えに、
思わず大きくうなずいてしまったほどだ。


聞くところによると、
ステージ衣装のような派手な格好も、
学校付近の車の中で着替えているとのことだ。


舞台ソデで、
ステージ衣装に着替えるまこちん。

学校は、まこちんにとっての
「ステージ」なのだ。


やっぱり、まこちんはすてきだ。


そんなすてきな先輩たちに囲まれて、
のびのびと学生生活を
謳歌(おうか)できたのだから。

僕はきっと、しあわせ者に違いない。


ちなみにまこちんは、
遊園地などの「絶叫系」の乗り物が苦手だ。

それなのに、
コンパの会場が遊園地だったとき、
男女8人、全員分の
入場料+フリーパスの料金を払ってくれた。


「乗らないの、まこちん?」


と聞いても、首を横に振るばかり。

自分はいつも「見学」で、
そのたびにメロンソーダやジュースを飲んでいた。

そんなこともあり、
後半、トイレに行く回数が尋常じゃなかった。


「子供用だから、全然大丈夫だって」

と。

強引な誘いに半ば折れるような感じで、
まこちんが唯一乗った、
テントウムシ型のコースター。

予想に反して2周するコースターに向かって、


「2周すんなよ、バッカヤロー!!
 怖ぇえじゃんかよー!!!」


と本気で激怒していた。

結局そのあとも、
手に巻いたフリーパスはほとんど活かされず、
フリーパスの効かない「ゲームコーナー」で
1万円近く使っていた。


とにかく。


まこちんは男前でかっこいい、

子どもみたいな歳上の、
すてきな先輩だ。



< 今日の言葉 >

守備範囲 360度
スクリーンみつめて身じろぎもせず
どんな情報も見逃さないが
自分捕える機能はない
レーダーマン
疑似ロボット高性能 識別不可能
レーダーマン
疑似ロボット高性能 識別不可能

(『レーダーマン』/戸川純)

2009/04/21

遊べなくなったらおしまい


「山を眺める木」(2011)




仕事が早く
終わった日の午後。

いい天気だったので、帰り道、
ひとつ手前の駅で降りて
ふらふらと散歩した。

一軒の古本屋に入り、
おもしろそうな本を物色していて、
『マックス・エルンスト展』の図版
(1983年/読売新聞社)を見つけた。


マックス・エルンスト(1891-1976)。

彼は、ドイツの、ケルン近郊生まれの
作家(画家、版画家、彫刻家)だ。

その名前は聞いたことがあり、
いくつかの作品も原画で見たことがある。


けれど、彼の「人となり」となると、
あまり詳しく見聞きしたことがなかった。


彼の名前を聞いて思い浮かべるのは、
フロッタージュや
(紙などの下に模様のある素材を置いて、
鉛筆などでこすって模様を写し取る技法)
デカルコマニーなど
(画面の絵具がまだ乾かないうちに
素材を押し付けて、模様を写し取る技法)
いまでは専門用語となった
単語が思い浮かぶ。

マックス・エルンストの作品説明を見て、
「こすったり」「写し取ったり」する手法に、
きちんとした名前がついていることを知ったのだ。


もうひとつは、「鳥」に対する執着だ。

彼の作品には、
ちょくちょく「鳥」をモチーフにしたものが
登場するのだが。

それにまつわる逸話で、
すごく印象に残ったものがある。


彼が10代の頃、
飼っていたインコが死んだ。

その死骸を見つけたときに、
妹が生まれたという知らせを聞いた。

インコの死と、
妹の誕生との「つながり」。

そのせいで、人と鳥とを
混同するようになった、と。

どこかの美術館のキャプションで、
そんな物語を読んだ。


おもしろい人だな、と思った。


『1906年。彼の親友のひとり、
 いちばん利巧で思いやりのある
 桃色のインコが、
 1月5日の夜に死んだ。

 翌朝その死骸を見つけたとき、
 ちょうど父親が彼に、
 妹のロニが誕生したということを告げたので、
 マックスはおそろしいショックを受けた。

 少年の心中の騒乱はあまりにも大きく、
 気絶してしまったほどだった。
 
 想像のなかでは、
 彼は両方の出来事を結びつけており、
 鳥の命の消滅を赤ん坊のせいに
 していたのである。

 一連の不思議な失神、ヒステリーの発作、
 昂奮と銷沈(しょうちん)がつづいた。

 鳥と人間とのあやうい混同が
 彼の心になかに根をおろし、
 デッサンや絵のなかにも
 顔を出すようになった・・・』


・・・と。

彼自身の手によって書かれた
『伝記のためのノート』に、
そう記されているらしい。

(この手記のなかで
 マックス・エルンストは、
 自分のことを「彼」という
 三人称で呼んでいる)


古本屋の片隅に置かれた、
マックス・エルンスト展の図版。

買って帰って、さっそく彼の
「人生」の一部を読んでみた。


彼は
「あるかなきかの “ ずれ ” の魔術師」と
呼ばれた版画家でもある。

その反面で、彼自身、

『私には、専門家を
 喜ばせる才能がない』

と自己評価をしている。

彼は、直接的な定義や明言はしない。

そういった「作業」が
好きではなかったようだ。

彼は、作品の中でしゃべる。
その「こたえ」も、強要はしない。


『これら(作品)を
 好きなように解釈するのはいい。
 しかし、理詰めのやり方で、
 その意味を解き明かし、
 それによって作品を
 平板化するべきではない』


彼の、この言葉を聞いて。

大きくうなずいた人は、
少なくないだろう。


当人以外があれこれと枝葉をつけたり、
ありもしない注釈を入れたり。


どうしてわざわざ、
おもしろくなくするんだろう。


スポーツでも、
映画でも、音楽でも。
そして、絵画などの作品でも。

おもしろくないことを言って、
どうしてわざわざ、
おもしろくなくするんだろう。


マックス・エルンストの言葉で、
他にもおもしろいものがあった。


『流行に栄えあれ。
 芸術よ、くたばれ』


彼の魂に、パンクを感じた。

かのジョニー・ロットンに
勝るとも劣らない、
ふつふつと燃える、パンクスの魂。


表現の仕方は違っても、
原動力は同じ。

怒りや哀しみ、不安や疑問、
そして喜び、たのしみ。


彼らは、
平和的な表現手段で
メッセージを伝える。

人々が忘れかけてしまっていたり、
おろそかにしてしまっていることを、

「大事にしろよ」

と気づかせてくれているに違いない。


絵画は絵具のなかに。

音楽はメロディに乗せて。

こたえは、机の上にはない。
教科書にも載っていない。

日々の生活の中に、それはある。


『書を捨てよ、町へ出よう』

と、寺山修司氏は言った。

書物のつくり手である作家自身が
「書を捨てよ」などと言うなんて。

これまたパンクだ。


僕が思うに。

マックス・エルンストは、
どこにも属していない。

彼は、自由だ。

体制や形態、アカデミックな
解釈などに囚われず、
彼は自由に「遊んでいた」ように感じる。


彼が崇拝する鳥のように。

自由を求めて、
もがいて、はばたいて、
飛びつづけていたように思えてならない。


どんなときでも、自由に遊べるように。


目の前におもちゃがあるのに、
遊ばないなんて。

いい音楽が流れているのに、
踊らないなんて。


遊びに名前なんて、いらない。

遊びは、習ったりして
教わるものではない。


言葉じゃ言えないから、
言葉じゃ足りないから、
だから、思いっきり遊ぶ。


広場には、
変わった形をした石ころや、
きれいな色の木の実や、
いい匂いがする花や、
誰かの捨てたぼろぼろの靴とか、
ネジとかお菓子の袋とか、
いろんなものがたくさんある。

こんなにおもしろそうなものが
あふれているのに。


遊べなくなったら、おしまいだ。



「あったかニット」(2011)





< 今日の言葉 >

『意味はなく、誰もが呼びやすい
 小学生でもわかるような英語で、
 バンドの音楽性が
 見えないような名前』

(「ブルーハーツ」という名前について/甲本ヒロト)