2025/04/01

父との約束と、母さんへの嘘





ぼくは、嘘が得意だ。



小さいころから夢見がちで、

嘘のお話をたくさん

つくってきたからだろうか。


とにかく、嘘が得意だ。

小さいころは、

悪い嘘もたくさんついた。


大きくなった今。

悪い嘘は、

悲しいものだと気がついた。


今、ぼくは、

母さんを騙し続けている。


死んだ父が、

まだ生きていると。



父が死んで、

ちょうど5カ月目の日に。


明日、遺族年金が入ることを、

母に説明していた。


遺族年金という名目だけれど、

それはあくまで呼び名であって、

父が死んだわけではない、とか。


今ここにいない父が、

動けなくなる前に、

事前に手続きしたのだ、とか。


「母さん、覚えてるでしょ?

 ぼくが毎日、区役所とかに

 通ってたときのこと。

 母さんにもときどき、

 ついてきてもらったよね?

 あのとき、母さんが一人になっても、

 この先こまらないよう、

 いろいろな書類をつくって

 提出してたんだよ」


書類の作成や提出自体は、嘘ではない。

ただ、その内容や目的に、大きな嘘がある。


物事をあまり

深く考えない(理解しない)

母の特性を逆手にとって、

ぼくは、母の疑問・質問を煙に巻いて、

ややこしくしながらも誠実に答え、

とにかく母を安心させた。



何十年も別居していて、

月に1度くらいしか

顔を見せなかった父だが。

ここ最近、

まったく顔を見せなくなった。


当然である。


鬼籍に入った父が、

顔を見せにこられるはずがない。

もしこようものなら、それはお化けだ。


母は、父がどうしているのかと

ぼくに尋ねた。


「どうだろう、

 どこかで元気にしてるんじゃないかな。

 施設とか病院に入ったりしてたけど。

 もしかして、

 もう死んじゃってるかもしれないね」


などと笑ったりしながら、

とにかく母を心配させないようにしてきた。


母の心配は、もし父がいなくなったら、

自分はこの先、一人でどうやって

生きていけばいいのかという、

経済的な問題に終始していた。


もちろん、父のことは心配だろうが。

長年別居している母にとっては、

やはり現実問題として、

自分の生活がいちばんに

優先されるようだった。


父の死、という現実を、

母がどうとらえるのか。

それは、わからない。


もしかすると、

金銭面、経済面なんかより、

精神的な喪失感や後悔などが

襲ってくるのかもしれない。


母がどう感じるのか。

それはよくわからないが、

とにかく

心に負担を与えるだろうことは

想像できた。


だからひとまず、

遺族年金が支給されるまでは、

なんとか嘘をつき続けたい。

そう思って、今日までやってきた。


この数カ月、

母に嘘ばかりついてきた。


『生前遺族年金制度』とかいう、

ありもしないでたらめの制度を

でっち上げたりもした。


忘れっぽい母は、

何度おなじ話をしても、

または違う説明をしても、

数カ月とか数日後には、

すっかり忘れてしまっていることが多い。


素直な母は、

ぼくの言葉を信じてくれる。

ぼくは(少なくとも大きくなってからは)、

母に悪い嘘をついたことはない。

そのせいもあってか、

母はぼくを信じてくれる。


「よくわからんけど、

 あんたの言うようにするわ」



父が死んで、

ちょうど5カ月目の夜。

夕食後の団欒で、父の話をしたのも、

明日、初めての「遺族年金」が、

支給されるからだけでは

ないような気がした。


ぼくも母も、

明日が14日だとは

わかっていなかったからだ。

(年金の支給日は15日なのだが。

 15日が土曜日の場合、前日に支給される)


父がそうさせたのではないかと。

今日が13日だと知ったとき、

なんとなくそう感じた。


父の命日は「13日」だった。

父の誕生日は14日で、

その前日が命日だった。


ぼくが母に伝えたのは、

父への感謝の気持ちを忘れないでほしい、

ということだった。


「父さんね、いろいろあったけど、

 やっぱり母さんのこと、

 ずっと心配してるみたいだったよ。

 ぼくね、父さんに言われたんだ。

 母さんのこと頼むな、って。

 だからぼく、父さんに言ったんだよ。

 わかった、任せといてって。

 父さん、ちょっと安心したみたいだった。

 ずっと心配だったし、

 自分じゃできないことだったから」


そして、ぼくら家族——

ぼく、姉ちゃん、甥っ子たちや、

周りの人たちが、

どれだけ母さんのことを

大切に想っているかを話して伝えた。


「母さん、恵まれてると思うよ。

 しあわせ者だなって、そう思う。

 父さん、ずっと母さんのこと

 心配してきたし。

 こうやってずっと、

 生活費とか年金がもらえて、

 何の心配もしないで生きていけるのも、

 父さんのおかげだから。

 ぼくも姉ちゃんも、

 りんた(甥っ子)たちも、

 みんな母さんのこと大好きだし。

 みんなが母さんのことを想って、

 見守って、大事にしてる。

 だから、父さんに感謝してね。

 毎日でも毎月でも、

 年金をもらったときでもいいから。

 父さんに、

 ありがとうって言ってあげてね」


そんなことを、母に伝えた。


話しながらぼくは、

父を思い、涙があふれそうになった。


けれども懸命にこらえた。

母が変に思うといけないので、

ぼくは歯を食いしばって、

涙を飲み込んだ。



* *



父が死んで、

四十九日が経ったとき。

母を誘って、

母の父母が眠る墓地へ行った。


祖父母のお墓参りは、

ぼくにとって久しぶりのことだったが。

そこは、父を火葬した場所でもある。


祖父母の墓をお参りしたあと、

火葬場の背後の道に差し掛かったとき、

ぼくは車の速度をそっとゆるめた。


火葬場を見ながら、母が言った。


「誰か燃やされとるね。煙が出とる」


「なんかわかんないけど、

 お参りしとこっか」


ぼくは母を促し、

二人で火葬場に黙祷した。


父の死を知らない母に、

父を弔ってもらいたくて誘ったお墓参り。

どんな形でお参りすればいいのか、

決めかねていたが。


静かに煙を立ちのぼらせる

火葬場に向かって、

二人、じっと手を合わせて拝んだ。


『父さん、母さんのこと、

 心配しないでね』


心の中で、そうつぶやきながら。

ぼくは父に約束した。



父さんと約束したから。

ぼくは、今日までずっと、

母を騙し続けてきた。


騙しやすいのか、

騙されやすいのか。

母との付き合いが長いぼくは、

母を騙す術に長けている。


いや、待てよ。


もしかすると、

ずっと騙されたふりを

してくれてる、とか・・・。


そんなわけ、ないか。



いろいろな言葉を並べて、

空箱や湯呑みなんかも駆使して、


「いい? これが年金だとして、

 こっちが遺族年金ね」


などと説明する。


年金と遺族年金と、

今後の母の暮らしが

「マイナス」にはならなず、

むしろ「楽になる」という説明をし、

父さんがいなくなっても

心配はいらないという話を

くり返し伝えた2月13日。


「とにかく、

 何の心配もいらないよ。

 母さんは今までどおり、

 笑顔でいてくれれば、

 それで大丈夫だから」


「そう? 今までどおり、

 ぱーぱーの母さんでいいのかな?」


「いいよいいよ。

 それがいちばんいい」


洗い物をする母の背中は、

鼻歌まじりで、

いつもより楽しげで嬉しそうだった。


内容よりも空気感。


内容の理解度なんて、どうでもいい。


ぼくは母が

笑っていてくれさえいれば、

それでいい。


ぼくは、終始笑って、

笑顔で母に話し続けた。


きっとその空気が

伝わったのだろう。

母は、何の心配もせず、

陽気に歌を唄っている。


階下に聞こえる母の唄声をBGMに、

ぼくは今、この文章を書いている。


2月13日、木曜日。


母からもらった

バレンタインデーのチョコを

ひとつ摘んで。


ミルクティ味の

甘い吐息を吐き出しながら、

ぼくは、父を思った。


ありがとう、父さん。

ぼくたち家族はしあわせだよ。

ずっとずっと、ありがとね。



賞のひとつも

獲れないぼくだけれど。

今見えている景色は、

本当にすばらしく、

涙が出るほど嬉しい景色ばかりだ。


ありがとう。


父さんを想って流す涙は、

まだ枯れないけれど。

約束どおり、

母さんのことは、

心配しないでください。



いつまで母を騙し続けるのか。

それは、わからない。


このままずっとかもしれないし、

いつか明かすのかもしれない。


ただひとつ言えることは、

今、母さんが、

ぼくが知る中でいちばん

しあわせそうだっていうことだ。


だからこの嘘は、

悪い嘘じゃないんだって。

ぼくも、姉ちゃんも、

そしてたぶん父さんも、

そう思ってくれてることと信じている。


もう少し母さんを、

騙し続けようと思う。


嘘のすべてが

罪だなんていうことはない。


誰かを安心させたり、

しあわせにする嘘だって、

あるものだ。


ぼくは上手に嘘をつきたい。

人をしあわせにするための

嬉しい嘘を。


どうせなら、そんな嘘で、

人を騙していきたい。



もしかすると、

この話だって嘘かもしれない。



嘘か本当かなんて、

どっちでもいい。


信じるか、信じないか。

ただそれだけのことなのだから。



2025年2月13日:記




< 今日の言葉 >


1000回ケンカして

 1000回大切な事を

 忘れたとしても

 1001回仲なおりして

 私たちは永遠に向かうのだ』


(『空の小鳥』羽海野チカ)


2025/03/15

嘘つきだらけの世の中で


『頭をかかえるブロッコリー』(2010年)


 *



2025/03/01

おしゃれベクトル


「おしゃれをして出かける人」(2011)



センスと、

おしゃれは、ちがう。


センスとは、

自分が「いい」と思うものを、

「いい」と言えること。


かねがねぼくは、そう考えている。 



ひと昔にくらべると、

おしゃれな人が増えた。


街を見渡しても、

みんなおしゃれな人ばかりだ。


おしゃれな人は多いけど、

本当にセンスがあると思える人は

案外すなくて、

ほんのひと握りしか

いない気もする。


「おしゃれ」


その「おしゃれ」は、

外向きか、内向きか。


本当に自分が気に入っていて、

身につけたいものなのか。

それとも、

周りから「おしゃれ」に

見られたいのか。


「おしゃれ」


自分を喜ばせることで、

自分の気持ち、

心がきらきらときらめき、

それが魅力となって

「うつくしさ」をまとう。


「おしゃれ」とは、

そういう種類の「衣装」だと。

まるでおしゃれではないおじさんが、

偉そうに言う。


奇をてらって、

人と違った「衣装」を選ぶ。

何かを期待して、

高級な「衣装」を身につける。


変身するのは、いいことだ。


けれどもやはり、

その「ベクトル」が

内向きか外向きなのかで、

得られるものが

ずいぶん違ってくるような気が

しないでもない。


内向きであれば、

「おしゃれ」そのものが楽しめる。

その「おしゃれ」は、

やがて芽を出し、花を咲かせ、

実を結んだりもする。


内向きの「おしゃれ」は、

センスを磨く。


外向きの「おしゃれ」は、

模倣力を磨く。


どちらがいいわけでも、

悪いわけでもない。

好みの問題だ。


ぼくは、育てたり、

つくっていくことが好きなので、

模倣(真似)から入って、

創造するほうに向かった。


「こたえ」が「正しい」とか

「間違ってる」とかいうことではなく。


自分がいいと思えるものを追求して、

探し歩いて、たくさんの失敗を重ねて、

取捨選択をくり返してきた。


もちろん今もその途中で、

つかんだものも、

つかみきれていないものも、

たくさんある。


10代や20代ではないぼくは、

追いかけるのではなく、

追い求める道を選ぶ。


言葉で表すとよく似た感じだが。


実際には、

かなり違う道のりで、

かなり違った志向になる。



20代の甥が、ぼくに言った。


「ときどきすごく孤独に感じる」


甥っ子は、

自分の文化を持っていて、

自分の好きなものを追い求め、

独自の道を歩いている。

誰にも似ていない、

独自(オリジナル)の道だ。


「孤独を感じたとしても。

 それはただの孤独『感』で、

 一人じゃぁない。

 絶対にわかってくれる人がいる」


歳ばかりは彼よりも上の「叔父」は、

口ばかりで偉そうなことを言う。


「自分の心に正直に、

 自分が本当にいいと思うものを

 いいって言い続けていれば、

 必ず『仲間』に出会える」


陽が落ちて

真っ暗になった部屋の中で、

電気も点けず、

どっぷりと話した記憶。


甥っ子は、

自分の「好き」を模索しながら、

好きなものを見つけ、

いいと思うものを手に取り、

前へ前へと進んでいる。


その足取りは遅々として見えても、

確実に「前」へと進んでいる。

彼の目指す「理想」の場所へ。


自分では見えないかもしれないが。

はたから見れば、それはわかる。


彼の目が、姿が、

うっすらと光を放ち、

輝いているから。


言葉や理屈じゃなくて。


今の彼の姿が、

すべてを如実に語っている。


誰かに言われったわけでもなく。

誰かに与えられたわけでもなく。


自分の手で

つかむという行為そのものが

「センス」だということを、

彼は、言葉や概念ではなく、

感覚的に「理解」しているに違いない。


ぼくは、彼を尊敬している。


決して「叔父ばか」だけではなく、

かっこいいと思うし、

刺激や学びをたくさんもらう。


なぜなら、

彼は誰にも似ておらず、

彼だけの世界を持っているからだ。


「自分のことを、

 少数民族だと思えば。

 ほかの人との『外交』も

 楽しくなるよ」


少しだけ前を歩く「叔父」は、

若き甥に、そう伝えた。


あくまで「前」を歩いているだけで、

上でも下でもない。


「前」というのは、

時間的な位置を示す言葉でしかない。


放っておけば、

誰だって「前」には進んでいける。

ぼんやりしていていても、

嫌だと言って拒んでも、

必ず「前」に進まされる。

間違っても「後ろ」に進むことはない。


その、当たり前のことを

意識する人、しない人。


センス。


そう。

それもセンス。


センスは、自由なのだ。


拾おうが、捨てようが、

無視しようが。


すべてが「自由」。


言い訳も、理由も、口実も。

理屈も、知識も、データも。

統計も、歴史も、流行も、

感情も、潮流も、慣習も、

趨勢も、環境も。


どう捉えるのも、みんな自由だ。


ただ口を開けて待っているだけでは、

何も入ってこない。

追いかけているだけでは、

つかまえられない。


痛み、温度、感覚、感動。


結果を急ぐようなら、

「こたえ」を見ればいい。


過程を楽しみたいなら、

自分で「こたえ」を探せばいい。


「こたえ」が見つからないなら、

「こたえ」をつくればいい。



計算ドリルの宿題で、

こたえを丸写しにして

点数をもらうことをよしとするなら。


授業や宿題だけで、勉強したと言うなら。


数や点数などで、成果を量るなら。


センスなんて、必要ない。


いい音楽が流れて、踊る。

きれいな花を見て、目を細める。

ふさふさの尻尾を、そっと撫でる。

空の飛行機を見上げて、思いをはせる。

銀色に輝く芝生に寝そべり、太陽を見る。


おしゃれって何だろう。

センスってなんだろう。


本当は、

生まれたときから

みんな持っている。


誰にも似ていない、

自分だけのものを。


無くさないよう、

しっかり抱いて、

温め、守りつづけることも

「センス」のひとつ。


食べ物、お菓子、食べ方、飲み方、

音楽、映画、絵本、小説、漫画、

動物、景色、匂い、色、手触り、

遊び、思考、行動、趣味趣向。


わかっている人には、わかっている。

あえて言葉にはしないけれど。

わかっている人には、わかっている。


センス。


持って生まれたもののようだけれど、

生まれたままの、

そのままの形では使えない。


使ってこそ磨かれる道具であり、

磨いてこそ輝く宝石でもあり。

武器や防具や魔法にもなる、

目には見えない不思議な力。


センスは、人を笑顔にする。


自分だけでなく、

人の心に花を咲かせる。


センスの対義語(反対語)は何か?


モンク(文句)。


センスのない人は、文句を言う。


批判。愚痴。不平不満。


「あの映画、

 おもしろくなかった」


それはきっと、

おもしろさを見逃してしまったのだ。


おもしろいところ、

いいところはあったのに、

素どおりしてしまったのか、

それとも気づかなかったのか、


ちょうどそのとき、

センスが目を閉じてしまって、

感じられなかったせいだ。


センスは、

悪いほうには進みたがらない。


うつくしい、たのしい、うれしい、

きれい、ここちいい、やさしい。


センスとは、

そういうふうにできている。



つくらない人には、わからない。

つくろうとしない人には、

見えない景色。

感じられない情景。



センス。

おしゃれ。


おしゃれとセンスが

両方そろえば、

鬼に金棒、弁慶に薙刀。

フラメンコにパルマ(手拍子)、

3時におやつだ。



道の石ころを拾って、

ポケットに入れる。


センスは、

道端には落ちていない。


けれど、

道に落ちた石ころにも、

センスは宿る。


拾った石を見れば、

その人がわかる。


拾った石を大切にする人を見れば、

その心がわかる。


センスは、お金で買えない。

センスそのものは、

どこにも売っていない。


センスは時間。

時間の使途(使い方)。



こんなものを読んでいるあなたは、

センスの無駄遣いですよ。


もっとおしゃれで

有益な時間を使ってください。


おしゃれなセンスは、

ここにはないのですから。


ここにあるのは、

過去の声。


未来の人に捧げる、

過去の声。


未来の自分が

忘れないようにするための、

タイムカプセルです。


「こたえ」はここにはありません。


どうぞあなたは、

あなたの「こたえ」を

見つけてください。


心で思ったいちばん最初。


それがきっと、

あなたの「こたえ」ですから。



< 今日の言葉 >


「それって、何張羅?」


(せっかくおしゃれして着てきた服に言われたくない言葉)

2025/02/15

刀とピストル

 

「手を上げろ」(2003)



拳銃。 ピストル。

銃。 gun。 鉄砲。


あなたは、

銃を撃ったことがありますか?


ぼくは、ある。


入社したばかりの会社で、

5日目にいきなり社員旅行があり、

遊ぶ人もしゃべる相手もままならず、

拳銃を撃つ体験ができる施設に行った。


場所は、グアム。


価格はたしか、100ドルくらいで、

拳銃(ハンドガン)2種類と、

ライフルが撃てるパッケージだった。


拳銃は、22口径と、44マグナムだ。

ライフルは、胴体が木製の、

M14のような単発式の銃だった。


的までの距離は、10数メートル。


腰高のカウンターのような

横長の台の上に銃が並べられ、

その台が射撃スペースと

弾が飛んでいくエリアとを隔てている。


屋外ではなく、

壁と天井に囲まれた屋内空間。


まずはじめに、

22口径の拳銃を撃った。


遮音のために、

防音ヘッドフォンを装着するのだが。

生音が聞きたかったので、

あえて片耳だけずらして、

こっそり耳を出していた。


現地住人であるスタッフは、

さほど神経質でも細かくもなく、

日本人のぼくに

あっさりと拳銃を委ねた。


スタッフの彼は、

ビーチサンダルにジーンズ、

よれよれのTシャツといったいでたちで、

何の警戒心もないような感じである。


手にした拳銃が

「モデルガン」かのような、

そんな軽さすら漂う雰囲気の中で。


22口径の銃口を、

数10メートル先に掲げられた

「標的」へと向ける。


的は、白黒の印刷で、

丸い図形と数字の書かれた紙だった。


生まれて初めての射撃、1発目。


運動会のピストルみたいに、

軽く乾いた炸裂音が、

短く響いた。


本当に。


拳銃というより、

火薬のピストルみたいな音だった。


「パァン」


まるで凶暴さも暴虐さも感じさせない、

軽やかな音。


動かしたのは、人差し指1本。


わずか2センチにも満たない、

労力もほとんど感じない、

かすかな動きだった。


その「1発」で感じたこと。


「これはだめだ」


指先ひとつの小さな動きで、

一瞬にして、

目の前に存在するものの

エネルギーを奪ってしまう、

恐ろしい道具だと。

たった1発の発砲で、

心の底から、そんな思いがこみ上げた。


それまで映画やドラマなどの中でしか

見たことがなたった。


正確には、

イタリアのスーパーマーケットの出入口や、

スイス国境付近で

ライフルを構えた兵士の姿を見たこともあるし、

日本の警察官が腰に携えた「ニューナンブ」を

ちらりと覗き込んだことだってある。


(数年後には、

 カナダで発砲された翌日のコンビニを見たし、

 ニューヨークで何度か

 それらしき音を聞いたこともある)


けれども。


拳銃が発砲される瞬間は、

一度も見たことがない。


自分で撃ってみて、

そのあまりの「手軽さ」に愕然とした。


これは、だめだ。


銃になじみのない、日本人のぼくには、

想像以上に恐ろしいものとして

心をうち震わせた。


とはいえ。


ここは射撃場。

相手は紙の「的」でしかない。

しかも「人型(ひとがた)」ではなく、

円形の標的。


手にした拳銃が、

モデルガンと変わりなく思えてくるから。

これまた恐ろしい感覚だ。


リボルバー(回転)式の拳銃には、

6発の弾がこめられている。


2発、3発、と撃つうちに、

だんだん感じがつかめてきた。


引き金(トリガー)を引いて、

どれくらいのタイミングで

撃鉄(ハンマー)が倒れて

銃弾の底を叩き、

火薬が爆発するのか。


ミリ単位で人差し指を引き絞って、

銃口がぶれないように、調整していく。


映画などで見かけるように、

発砲と同時に、銃口が上へと跳ね上がる。

あれは本当のことで、

しかも「自然に」そうなるものだ。


爆発した火薬の力が、

反動エネルギーとなって、

銃口を上に向けさせる。


演出でも格好つけでもなく、

物理的な「動き」である。


撃ってみて体感してみて、

嘘みたいに銃口が跳ね上がるその感覚に、

またしても「火薬」の力を実感する。



ぼくは、たいして特技がない。


少年期、

何か特技が欲しいと思い、

のび太くんにならって、

あやとりと射撃をたしなんでみた。


あやとりはまるでだめだったが、

射撃のほうは、少し楽しく思った。


好きこそ物の上手なれ。


エアガンを買い、

数メートル先の的に向かって、

樹脂製のBB弾を発射し続けた。


時には、枝や枯葉を撃ったり。

空き缶やおもちゃの人形などを

標的にしてみたり。


拳銃の先、銃口の上あたりに、

1円玉を置いて、

引き金を引いてもそれが

落ちないように

何度も練習をくり返した。


・・・そんなことを、

思い出すでもなく想起していると、

スタッフの男性が何やら血相を変えて、

大きな声で騒ぎはじめた。


英語なのか。

いや、現地の言葉のようだった。


どうやらぼくが、

勝手に拳銃の胴体から空砲を取り出し、

新たな弾丸を詰め直していることに

激怒している様子だった。


英語で書かれた紙を渡され、


『勝手に弾は替えないでね』


みたいな文言があるのに気づく。


ああ、そういえば、

撃つ前の説明で、

彼が拙い英語で話してくれたっけ。


「ごめんごめん」


笑って片手を上げるぼくを見て、

スタッフの彼は、

もう、とでもいう感じで、

鼻からふうんと息を吐き出すと、

怒らせた肩をまたもとのなで肩に戻した。


22口径の拳銃を撃ち終えると、

今度は、44マグナムを握った。


あきらかに重く、

鉄の塊がずしりと右手にのしかかる。

鈍く黒光りするそれは、

22口径の拳銃にくらべて、

「まがまがしさ」が増したように感じた。


銃を握った右腕を伸ばし、

左手を銃把の底に添える。

突き出すふうにして伸ばした右手を、

左手で引き戻すような感じで、

左右のバランスを保つ。


口経が大きくなるほどに、

弾丸に詰まった火薬の量も増えるので、

単純計算で2倍の反動になるはずだ。

と、単純なぼくは、思った。


先ほどよりも大きな反動に備えて、

しっかりと左脇を締めて。

頬を右腕に押しつけながら、

照門と照準と標的とが、

一直線上に並ぶように構える。


息を止め、引き金を引き絞る。


思ったよりも早い場所で、

ガアァン、と、激しい炸裂音が轟き、

思った以上の反動が銃を躍らせた。


あまりの衝撃と音に、

とにかく愚直にびっくりした。


言葉を失い、やや呆然となったまま、

しばらくのあいだ、

数10メートル先の的のあたりを見つめていた。


遅れて動きを取り戻した目には、

ゆるやかに青白い煙を立ちのぼらせる、

真っ黒な鉄の塊が映った。


拳銃。


先ほどよりも、

恐ろしいと思った。


怖い。


動物的な、原初的な、

根元的な恐怖感。


そのときぼくの頭に浮かんだもの。


「よくこんなものを、人に向けられるな」


動物にだって。

いや、「物」にすら、

向けたくない気がした。


一瞬にして、

対象の歴史を終わらせる道具。


そんな思考が去来した。


もし、こんな道具を手にしたら。

自分が「強く」なった気がするのだろうか。

何かを、または何もかもを、

自由にコントルールできるように

なったとでも感じるのだろうか。


怖かった。


拳銃というより、

拳銃を手にする行為そのものに

恐怖を感じた。


「おもちゃ」では、

あんなにかっこよく感じたはずの拳銃が、

「本物」になると、

まるで意味が違っていた。


このとき感じた「違和感」も、

すぐに理解できたわけではない。


帰国後、ゆっくりと、

銃や拳銃の姿、映像などを見るたびに、

これまでと違った「何か」を

感じるようになっていった。

そんな気がする。



最後に、ライフルを撃った。


ずいぶん旧式に見える、

使い古した銃だった。


木製の胴体には年季がこもり、

物としては、

どことなく骨董品めいた

風合いでもある。


いざ、手にしてみると、

さほど重くは感じられず、

構えてみると、持ちやすい。


重量バランスなどの設計が

よく考えられている。


的に向かって撃ってみた。


「タン!」


反動もほとんどなく、

撃ったあと、

銃口はまっすぐ的を向いたままだった。


重さの割に軽やかで、

均衡のとれた重量設計と、

反動を打ち消す銃の構造。


そこに、冷ややかな恐ろしさを感じた。


破壊のための道具が、

これほどまでに精緻に、

かつ冷静に造られているという事実が、

言葉や理屈ではなく、

体感としてぼくを包み込んだ。



怖い。



人間が、怖かった。



考え、造り、手にして、撃つ。



おもちゃで遊んでいたころは、

もっと「かっこいい」物だとばかりに

思っていたのに。


陰湿で、冷たく、

悲しい道具だと、肌で感じた。


南国トロピカルの陽気な島国で。


薄ら寒さを感じるぼくに、


「Excellent!」


と言って、

穴だらけの的が手渡された。


中央に着弾が集中して、

まんなか部分が

切り取られたようになった的を見ながら、

ぼくは、空の薬莢を

こっそりポケットにしまった。






* *



銃弾の速度は、

秒速約400メートル。


弾は、横回転しながら飛んでいく。

回転することで、弾は、

まっすぐな弾道を描いて飛んでいく。

投げられた

アメリカン・フットボールの球と

同じ原理だ。


銃弾1発の価格は、

安価なもので、18円。

9ミリルガーの銃弾がそうだ。

たいていが、60円から90円くらいで、

200円から300円台、

高くて500円台といったところだ。


100円で買える弾丸と、

人差し指の力で奪われる「命」。



戦時下で、人は人に銃口を向け、

引き金を引いて、撃った。


戦後の調査では、

ほとんどの兵士が引き金を引かなかった、

という報告もある。


撃つのはたいてい、

上官がそばにいるときなどで、

撃ったとしても、

空(そら)に向けて発砲したり、

銃弾を交換したりして

なるべく時間を稼いだりしたという。


ごく限られた特定の人間が

一人で複数人を撃った、と。

そんな調査報告があるとも聞いた。


ちなみに「地雷」は、

「最も安価で卑劣な兵器」と呼ばれていて、

かつて戦場となった地域に、

今でも手つかずで残されていたりする。


地雷は、

殺害を目的とした兵器ではない。

「負傷(けが)」をさせるために

考案された物だ。


1人の兵士が、地雷を踏んで、

脚をけがしたとする。


すると、

けがをした1人の兵士を運ぶために、

2人の兵士が必要となる。


1人を殺してしまうのではなく、

3人の兵士を

「戦闘不能」にするための兵器だと。


そんな話を聞いたことがある。



この、恐ろしい算数を描くのは、

戦場の兵士ではない。

戦場に足を踏み入れることのない、

他の誰かが描いたものだ。


火薬の量。構造。設計。


せっかくの知識や頭脳、想像力を、

創造性とは真逆の、

破壊のために使うのは、

いろいろもったいない気がする。


使い方ひとつで、

包丁だって、武器になる。


はさみだって、石だって、

きれいな宝石だって、布だって。


使い方次第で、どうにでもなる。


言葉も同じ。


暴力の正体は、

「力」でしかない。


「力」を使う人の心。


あるから使う。

自分より、ない者に使う。

または、使い続けて、こわしていく。


押さえたり、押しつけたり。

おどしたり、おびやかしたり。

奪ったり、強要したり。


「力」として、

かなしい使い途(みち)をする。


一見、正しいことでも、

やり方を間違えれば暴力と同じだ。


それは、本当の「強さ」ではない。


「切り捨て御免」


侍の腰に携えられた、

甘塩の秋刀魚のように輝く刀も、

使い方こそ違えど、

銃と何ら変わりがない。


「抜きすぎても軽くなる。

 けれど、抜かなさすぎると、

 錆びてしまう」


などとは言うけれど。


錆びてしまえよホトトギス。


恫喝(どうかつ)のための刀なら、

高級車のロゴでも構わない。


銃も刀も持たない。


チョコバットで場外ホームラン。


いつでも心は真剣勝負。


刀やピストルなんかより、

心に花を。


乙女チックなおじさんは、

エクストラ・バージンな

おじさんでありたい。


お酒も煙草も薬もなしで、

いつでも酩酊していたい。


そう、あなたという、

チャーミングな美酒に。


刀やピストルなんかじゃ、

絶対に手に入らない。


ぼくが欲しいのは、

そんなものなんです。




< 今日の言葉 >


「ささ、じゃないか。

 さらさら、は違う?

 あ、たえこ、じゃない?」



(チョコレート菓子の『紗々(さしゃ)』を何と読むか、母の答え)



2025/02/01

母の観察日記



2015年の肖像
(小さいほうが母です)





最近、

母にはまっている。

母が、楽しい。


普段あまり

「はまる」ようなことの

ない自分だが。


母の観察が、

おもしろくてたまらない。


**


免許証を返納して、

車がなくなった母は、

駅から遠い店に行ったり、

重たい物を運んだりすることが

大変になった。


なのでときどき、

母を車に乗せて、

買い物へ連れていく。


そう。

まさしく「連れて行く」と

いった感じで。


電車や徒歩では

あまり歩かない界隈や、

なつかしい景色を見た母は、

助手席できらきら目を輝かせる。


「ほら、あれ。

 あのオレンジ色の屋根、

 あそこの奥が△△さんの家。

 あれ、なにこのお店。

 全然知らん。

 ああ、あそこはもう、

 なくなっちゃったんだねぇ。

 旦那さんが亡くなってからずっと、

 奥さん一人でやっとったもんで。

 まぁ、歳だったでねぇ。

 あれ、ここって前、こんなんだったか?

 前はパン屋じゃなかったっけ。

 あそこのパン、おぉいしかったわぁ。

 駐車場がちっさいもんで、

 空くまで待っとらないかんのだわ。

 あれ、あの人、ちょっと、

 どういうこと。

 あんな道のまんなかに座りこんで。

 車にひかれちゃったらどうするの」


・・・・と、いった具合に。


のべつ間もなく、

一人でしゃべり続ける。


きっと、嬉しいのだろう。


ぼくはときどき

合いの手を入れながらを、

母の語りを

音楽のように聴いている。


助手席に座って

窓の外に顔を向け、

走る車の外の景色を

眺める母の姿は、

まるで小さな室内犬のようだ。


茶色く染めた髪の生え際が、

伸びてきた地毛の白髪に彩られ、

そのさまがまた

コリー犬みたいな感じで。

いっそう犬感をかもしている。


姉と一緒にいたときに見た母は、

半分、髪が白かったので、


「母さん、

 ブラック・ジャックみたいで

 かっこいいね」


と、称賛するぼくに、

姉が手を振って笑った。


「わからんって」


笑う二人に、

母もにこにこ笑っていた。



スーパーに着けば着いたで、

ぼくに話しているのか、

それともひとり言なのか、

母は大きな声で何やら言いながら、

店内を練り歩いていく。


「ここは野菜がおいしんだわ。

 トマトがいつもおいしくてね。

 これこれ。せっかくだで、

 いっこ買ってこうかね。

 あ、やきいもがある。

 母さんやきいもが好きなんだわ。

 どうしよう、買おうかな。

 あ、こっちの金時芋のほうが安いで、

 こっち買って煮ればいいか。

 大根も最近は半分売りなんだよ。

 先っぽがいい人と、

 葉っぱのほうがいい人と、

 どっちのほうが多いんだろうね。

 先っぽは、からいで、

 葉っぱのほうが売れるんかな。

 あ、牛乳がなかった。

 牛乳買っていかないかん。

 重たいで助かるわ。

 卵もなくなったで

 買ってかないかんね」


試しに、ちょっと離れてみても、

やや小さくなった母の声が、

後ろ姿から聞こえてくる。


遠目に見ると、

大きな声でひとり言を言う

お年寄りにしか見えない。


母の背中を見て、

ぼくは一人笑っていた。


うろうろと歩く姿は、

基地を忘れ、迷子になった

ロボット掃除機みたいで、

ちょっとかわいらしい。


「お母さん、今、

 おならしたでしょ?」


あきらかにしたときでも、


「しとらんよ」


と、言うことがある。


なるほど、これか。


ときどき、スーパーなどで、

妙な残り香があるのは、

こういう現象のせいかもしれない。


たとえ

ごまかしていなくても、

知らぬ間に漏れてしまっている

可能性も高い。


都合が悪くなると、

母はすぐに話をそらす。


「あ、このせんべい好きなんだわ。

 安くなっとるし、

 買ってもいいよね?」


なぜかぼくに同意を求める母。


そのさまはまるで、

おまけつきのお菓子を手に、

あれこれと理由をつけて

買ってもらおうとする

幼少期のぼくの姿そのものだ。


「ほしいんでしょ?

 なら、買えばいいよ」


うろうろとどこかへ

歩いていく母の肩に手を添え、

レジのほうへと促す。

これまた幼少のころの

母とぼくの姿の逆転現象である。


母の細い腕、骨ばった手。

さすがに手をつないで歩くことはないが、

いつかまた、つなぐ日が来るのだろうか。


幼いころ、

母に引いてもらった小さな手は、

母の手よりも大きく分厚くなった。

いつの間にか小さくなった母の手を

そっと握り、引いて歩く日も

そう遠くはないはずだ。、



90歳を超えたばあちゃんと、

昼食を食べに出かけたとき。

ばあちゃんは、

ぼくの腕を握って歩いた。


その力が意外にも強くて。


家からお店までの数十メートル、

右の二の腕がぎゅうぎゅうと

悲鳴をあげた記憶がある。


母は、どうなのか。


肉食だったばあちゃんも

細身ではあったが、

ばあちゃんに比べ、

母は華奢で、細くて、小柄で薄い。


長生きしたばあちゃんを見習って、

母にも「たんぱく質」を勧めている。


その甲斐あってか、最近ようやく、

母の口からこんな言葉を

聞くようになった。


「ハムっておいしいねぇ。

 ハムなんて今まで

 食べたことなかったから。

 ハムって、おいしんだね。

 最近、初めて知った」


かたまり肉は、

敷居が高いと思い、

まずはハム、ソーセージ類を

勧めての約3年。

ようやく、その成果が実った。


そして昨年末ごろから、

かたまり肉も

食べるようになった。


お肉を食べない母は、

お肉を焼くのが下手だった。

煮込み料理や

ハンバーグなどはおいしいのだが。

一枚肉や

かたまり肉の調理は不得手で、

母が焼いたお肉は、

革靴の中敷きのように硬くて

ぱさついて、

きんきらのシールが貼られた

国産肉でも、

まるでもったいないことになっていた。


ぼくが焼いたかたまり肉を食べて、

母が、目を丸くした。


「おぉいしいねぇ、これ。

 こんなやわらかいの、

 初めて食べた」


ということで。


食卓に並んだ母のお皿にも、

お肉が載るようになった。


それまでの母は、

晩ごはん後にすぐ、

食パンを焼いて食べたりしていた。


「母さんて、ごはん食べたよね?

 なんかおなか減っちゃって。

 パンでも焼いて、食べようかと思って」


ごはん、パン、うどん、おまんじゅう。

ときどき、ラーメン、カステラ、せんべい。

あとは野菜と果物。

豆や豆腐が好きなので、

たんぱく源はそこで摂取しているのか。


母の得意料理は、

ハンバーグ、カレーライス、

ビーフストロガノフ、

シチュー、ロールキャベツ、

鶏肉のピカタ、ポークチャップ、

揚げ春巻き、豚汁、茶碗蒸し、

鯖の味噌煮、ぶりの照り焼き、

金目鯛の煮付け・・・

などだが。


(個人的には、

 母がお料理教室で習った、

『ラグー・ドゥ・ポール・

 フォレスティエール』なんていう、

 豚の肩ロース、野菜やきのこ類を、

 ブーケガルニとともに煮込む、

 洒落た料理も好きだが)


肉料理は、

ほんの少しだけ皿により分け、

自分はちょっとしか

手をつけない。


うなぎが好物だが、

さすがにしょっちゅう食べるでもなく、

気づくと、

たいした「おかず」もないままに、

白いごはんを食べつくしていた。


よくもまあ、80年間も、

こんな感じにやってきたものだ。


ここまで元気に生きてきたのだから、

大きく変える必要はないと思うが、

年々、痩せ細ってきた腕や背中を見て、

多少、心配だった。


ないものは生み出せないので、

たんぱく質を摂ってもらいたいと。


高齢になると、

すぐにお腹がいっぱいになるそうだ。

サラダやスープなどを

先に食べていると、

そこでお腹がいっぱいになり、

主食にまでたどり着けなく

なることがあるらしい。


好きなものは先に、ではないが。

サラダやご飯なども大事だが、

栄養価の高いものを先に

食べてもらえると

ありがたいなと思うようになった。


まるで子を想う

母親のような気持ちで。

子供のような母を、

子が思っての推奨だった。


朝ごはんに、

ハムだけでなく、

チーズを食べることが習慣になった。


「おしいい」


これが大事だった。


薬のようにして、

義務みたいに食べるのでは、

同じ食べ物でも

本当の栄養にならないような気がして。


体のために、

嫌なものや食べたくないものを

無理して食べるのではなく。


「おいしい」


このきらめきが、重要だと思った。


この1月で、

80歳になった母さん。


少しお肉を食べるようになり、

手を上にあげる運動を始めた母は、

少しだけ腕に肉がつき、

頭を洗うのにも

痛くてあがらなかった腕が、

控えめな万歳ができるくらい

あがるようになった。


継続は力なり。


何ごとも、始めるのに

遅いということはない。



***



病院へ連れて行って。

終わったら電話をかけてと、

母に伝えた。


用事を済ませて家に戻ると、

思いのほか早く、

母からの電話が鳴った。


「それじゃあ、

 受付の横のベンチで待っててね」


「女の人が、二人くらい

 立っとるとこだよね」


「そう。

 行きに入った玄関の、

 すぐ前ね」


車を走らせ、

病院の入口脇に寄せて停める。


ハザードランプを点灯させ、

さっと小走りで約束の場所へ向かう。


いない。


いるはずの母の姿がない。


少し見回してみたが、

母らしき姿はどこにもない。


すぐに車へ戻ったぼくは、

広々とした駐車場に車を停め、

暖色に色づきはじめた

メタセコイヤの木立ちを眺めながら、

ガラス張りの大きな玄関をくぐった。


携帯を持たないぼくではあったが。

広大な病院内の、

どこに公衆電話があるかは、

把握している。


電話をかける前に、

母がいそうな場所へと向かってみた。


絵図に描き表し、

図解つきで何度か説明・確認し、

その紙を手渡して持参してもらった

待ち合わせ場所ではあったが。

母のことだ。

こうなることは予想の範囲内だった。


約束の場所からずいぶん離れたところ、

日当たりのいい窓辺に、

一人たたずむ母の背中があった。


白い、丈の長いカーディガンを羽織り、

窓の外を眺める母の姿は、

まるで飼い猫が

暖かい室内から冬空の景色を

眺めているようだった。


きょろきょろと顔を動かし、

心配げに、

ぼくの車が現れるのを探している。


「母さん」


近寄り、肩をたたくぼくを

振り返った母は、


「あれっ、どっから来たの?」


と、目をぱちぱちさせた。


「母さん、ここじゃないよ。

 けど、ここだろうなって思った。

 母さん、ここと

 間違えてるような気がしたから」


何の迷いもなく、

間違った待ち合わせ場所で

母を見つけたぼくは、

自然と笑いがこみ上げた。


せわしなく、

今か今かと車の登場を待つ母の姿は、

飼い猫というのか、

子供というのか、

とにかくどこか、微笑ましかった。


暖かい日差しの中に立つ

母の白い背中。


昼間の太陽を浴び、

逆光に輝くその景色は、

名もない画家の描いた風景画のように、

目の奥にじわっと焼きついた。



夜ごはんの頃合いになり、

食卓へ顔を出したぼくに、

母が笑って手を叩いた。


「まぁあ!

 ちょうどいいタイミングだねぇ。

 本当、今ちょうどできたとこだよ」


「いい匂いがしてきて、

 そろそろかなって思ったから」


「ほぉんとぉ。いい鼻しとるねぇ。

 あんた、犬みたいだねぇ」


できたての揚げ出し豆腐が、

静かな湯気を立てている。


「あれっ、母さん。生姜は?」


「そう、それがないんだわ。

 チューブのも、

 おろすのもないんだわ。

 作ってから気づいた。

 買うの忘れとった。

 からしじゃいかん?」


黄色つながりで

からしを勧める母に、

ひとつ鼻で笑って答える。


「じゃあ、一味でもかけるよ」


「ごめんね、一味で。

 和式だから、からしとか、

 一味とかならいいかねぇ」


「和式って、

 トイレみたいに言って。

 和食、でしょ」


「しつれいしました」


「まあ、

 豆腐がなかったんじゃなくて

 よかったね」


「そうだね。そしたら、

 作れんかったもんね、これ」


(ごく当たり前のことを

 大層なことのように言う、母と子)


「ぼく、母さんの作る

 揚げ出し豆腐、好きなんだよ」


「本当かね。

 母さんも好きなんだわ。

 揚げ出し豆腐。

 母さんは豆腐が好きだで、

 こんな、

 わざわざ揚げたりしんでも

 好きなんだけど、

 やっぱり揚げると

 かりっとしておいしいもんね。

 チンして水気、切ったけど、

 あんまり絞れとらんかな」


「豆腐の上に、

 小皿とかの重しを置いて

 レンジにかけると、

 しっかり水気が絞れるよ」


「へぇ、知らんかった。

 あんた、よう知っとるねぇ」


大根おろしの水気を絞り、

冷蔵庫からめんつゆを取り出して、

今にもかけようとするぼくを、

母があわてて制した。


「ちょ、ちょ!

 だめ、ちがう、それ!」


鍋を片手に、必死である。


「今、その、それを、

 あっためたやつがあるで、

 それをかけようとしとるところ」


鍋とお玉で両手がふさがり、

目と顎と唇とで必死に、

揚げたての

揚げ出し豆腐を指し示す。


そのさまは、

古典芸能の「どじょうすくい」の

ようでもあり、

あちこち餌をついばむ

とぼけた鳥のようでもあり。


どこか滑稽で、

必死になればなるほど、

見ている側のおかしさは

累乗した。


「おいしいねぇ」


揚げ出し豆腐をほおばるぼくに、

母が顔を向ける。


「ちょっとまって、まだ食べとらん。

 ・・・ほんとだがね。

 おぉいしいわぁ。自分で作っといて。

 やっぱり、うちで作ったごはんが

 いちばんおいしいね」


かく言う母は、

外食時には、同じ口でこう言う。


「おぉいしいねぇ。

 やっぱり外で食べる料理は、

 おいしいねぇ」


この、あきらかな矛盾も、

嘘ではなく、

母の本当の気持ちが

込められているのだから。


よし、ということにしましょう。


母に、細かいことを言っても、

どうしようもない。


それは、ロボット掃除機に、

おすわり、とか、

お手、とかを要求したり、

かわいいワンちゃんに、

右足からではなく、左足から歩きなさい、

と言ってみたり、

日なたで昼寝している猫ちゃんに、

株式の動きと世界情勢の関係を

話して聞かせるような、

空疎で無意味なことである。



「今日見た木、きれいだったねぇ。

 葉っぱがいい色に染まっとった」


「天気もよかったし、

 光がきれいだったね。

 今年は色づきがよくないって、

 聞いたけど」


「暑かったり、

 急に寒くなったりしたもんね。

 ほいでもきれいだったねぇ」


「そうだね。きれいだったね」



こうして母と話していると、

やはり母とぼくは

似ているのだなと実感する、


細かいことは、どうでもいい。


去年とか、例年とか、

そんなことより、

今、目の前の景色がきれいなら、

それで充分なのだ。


ただ、目の前のことを楽しみたい。

明日や来週、来年のことなんて、

考えても仕方ない。


ばかな親子は、

こうしてなんとか

50年を過ごしてきた。


こんな他愛のない1日が、

18361日、重なって、

今日がある。


なんていうことすら、

どうでもいい。


現在 +(  )= 笑顔


この穴埋め算ばかりを

解き続けてきたぼくは、

いまだに大したことはできないけれど、

かっこの中を埋めることだけは、

多少、上手くなった気がする。


コントロールしない。

コントロールはできないのだから。

それより、目の前の現象を楽しむ。


そんな極意を、

一見適当に見える母の姿に教わった。



****



テレビっ子の母に、

本を貸した。


貸したのは

『チョッちゃんが行くわよ』。

黒柳朝子さん

(徹子さんのお母さん)が

書いた自伝的随筆だ。


たまたま母の母も「朝子」さんで、

同じ名前だったこともあって、

ふと思い浮かんだ。


内容も明るくおもしろく、

平滑な表現で読みやすそうなので、

その1冊を選んで母に貸した。


さすがに『ドグラ・マグラ』や

『孤島の鬼』、『家畜人ヤプー』や、

『電気羊はアンドロイドの夢を見るか』

なんかを貸すわけにはいかず。


「お母さん」の話なら、

母もきっと共感しやすいだろうと

思ってのことだ。


読んだ? と尋ねるぼくに、

母は最初、

何度も同じことを言っていた。


「ちらっとは読んだんだけど。

 なかなか読む時間がなくて、

 前に進まんのだわ」


母は、相変わらず

テレビっ子だった。


それ自体は悪いことではないが。

そればかりなのは、少し寂しい。


読んだ?

ちらっと読んだんだけど・・・と。

そっくり同じ問答が、

3、4回ほどくり返されて、

それ以上、何も聞かなくなった。


1か月ほど経って。

母が、言った。


「あの本、おもしろかったぁ。

 読みやすいし、すごくよかった。

 本なんてずっと読んどらんかったけど、

 いいねぇ、本って。

 何回も読み直せるし、

 読んどると絵が浮かんでくる」


まさに「読書」の

効能そのものを口にする母に、

ぼくはなんだか、

ほんの少し感動すら覚えた。


感想や、内容についての

話をする母に、


(ちゃんと本、読めるんだな)


と、当たり前のことを思ったりした。


新しいことも、新しい習慣も、

頭に入らないとばかり思っていたのだが、

読書という行為だけでなく、

登場人物の家族構成や、

各エピソードなども、

きちんと理解して覚えていた。


感想も、母ならではの、

母が感じた独自のものであり、

聞いていてこちらが、

へぇ、とうならされたりもした。


もう1回読み直してみたいから、

まだ貸しておいてと。


それは、嬉しい要求だった。


さらには、

もっと読みたいから、

別の本も貸して欲しいと。


驚くほどの「成長ぶり」である。


温まりかけた意欲を冷まさぬようにと、

親心にも似た気持ちで、

ぼくはさっそく、次の本を用意した。


母がぼくに言った。


「いつかあんたの書いた本も、

 読めるといいね。

 楽しみにしとるよ」


涙こそ流れなかったが。


ぼくは、胸が熱くなり、

視界がじわっと潤んでにじんだ。


「そうだね。

 長生きして待っとって。

 そのときを、楽しみにしとってよ」


ぼくは、母と同じく、

名古屋弁で答えた。


本当に。


ぼくが書いた、母の話を、

母が読んでくれたら。

それは、すごく嬉しい。


けど、「おなら」の話は、

怒るかもしれない。


笑った顔で、

「これっ!」という、

母独特の怒り方で。





ぼくは、

まるでアサガオの

成長記録のようにして、

母の観察を楽しんでいる。


素直な反応、意外な行動。

学びと発見と驚きと感動と・・・。


決して

上手くいくことばかり

ではないが。


とにかく、

母の観察が、おもしろい。


これが何になるかということよりも、

ぼくは今、

自分が楽しいと思うことをやりたい。


それが、

「自分自身を生きる」

ということだと。


父が死んでから、

つよくそう思うようになった。


嫌なものは嫌でいい。

できないことはできなくてもいい。

他人や世間の物差しではなく、

自分自身の心のままに。

大切なものを大切にして、

忘れたり、忘れなかったり。

覚えたり、覚えられなかったり。


今、笑顔でいれば、それでいい。


自分と、

目の前の人が笑顔であれば。

ぼくは、嬉しい。


大切な時間を、

なくしてしまう前に。

それが、嘘や理想や

きれいごとなんかじゃないと

気づけたことが、本当に嬉しい。




< 今日の言葉 >


「善光寺・・・あれっ、

 牛に噛まれて、だったか。

 あぁ、引かれて、ね。

 あそこは牛で有名なのかねぇ。

 牛って、モーっていうよね。

 よだれ垂らして。

 あれっ、今年、

 うし年だったっけ?

 あ、違うか。なに、辰年?

 辰年って、誰だった?

 ああ、そうそう、

 しゅうちゃんだがね。

 なに、引き算したの?

 あんた計算早いねぇ」

 

(本筋からどんどんスピンオフしながらほとんど切れ間なく言葉を並べる母の、すきまを突くように返す合いの手は、まるで餅つきの「返し」のようだと感じた)


2025/01/20

かなしい言葉たち の音色




今回はおもしろくない回です。


(2022年7月13日記述)







あ い う え お



五十音は、
や行とわ行の重複する音をのぞけば46。
そこに濁音(〝 )、半濁音(  ° )を足して51。

「ぎゅうにゅう」
などの拗音(ようおん)を合わせると85。

そして「あっち」などの促音(そくおん)、
「っ」を1と数えて、86音になる。



この86の音の組み合わせと、
漢字や抑揚(イントネーション)で、
語句の意味や内容が変わる。

そこからできる「言葉」。

日本語の単語は、
およそ72万語あると言われている。

その中で『広辞苑』に
載っている語句は、約24万語。

日常で使われている言葉となると、
それよりはもっと少ないはずだ。

そんな、音と漢字の組み合わせで、
ぼくらは意思の疎通(コミュニケーション)を図っている。


ここに並んでいる文字も、
単なる陰影の、電気信号でしかない。

それでも、読み手が理解し「解釈」することで、
意味をなさない図像が「言葉」になる。

読み手がなければ、
ここに「言葉」は存在しない。


文字ではない、音による「言葉」も、
聞き手が理解しなければ、ただの「音」。

外国語圏の人に、
日本語で一生懸命話しても、
その意味は伝わらない。

直接であれば、熱意や必死さなど、
その温度感は伝わるかもしれないが。

「言葉」だけでなく、
その人の声や表情、身ぶり手ぶり、
会話の流れや前後関係。

そういったいろいろなものが重なって、
「言葉」がまた別の意味を持ち始めたりもする。


言葉が意図せぬ意味合いになって、
褒めたつもりが、怒らせてしまったり。

助言のつもりが、
批判や否定に聞こえてしまったり。


コミュネケイション、デフェコルト。

ムズカシデスネ〜、ホントニィ。



◆◆



そんな「言葉」に感情を揺さぶられ、
笑い、泣き、怒りを覚え、
納得したり迷ったりして右往左往する。

たいていの人は、
相手を苦しめたり
傷つけたりするつもりは
ないのだろうけれど。

「売り言葉に買い言葉」という言葉があるように。
(「言葉」ガ多クテ、ヤヤコシイデスネ)

瞬間的に、何かを忘れて、
言うべきではない言葉を口走る。

冗談のつもりが、
冗談になっていなかったり。

それが禍根(かこん)となり、言われた相手は、
長い間その「言葉」を忘れられない。

その人の、
この先の判断や価値づくりに
大きく作用することだってある。


「俺が許しても、天が絶対に許さない」


アフリカなどの呪術圏では、
こういう言葉を「呪い」と呼ぶ。


もちろん、その逆も然り。


言葉ひとつで、笑顔の花が咲く。

言葉に救われ、励まされ、
思い改めて今日に至っていることもある。


そう。

こんな「当たり前」のことは、誰だって知っている。
学校で習わなくても、
経験として感じたことがある事実だろう。


言葉。


間違って使うと、人をあやめる。

よくない感情から生み出される言葉は、
限りなく黒い、灰色の暴力だ。


『好き勝手言う人の口にも、
 こんな錠がつけられたら。
 そうしたら、どれだけ平和なことか』


モーツァルト先生の歌劇『魔笛』に、
こんなような台詞(セリフ)がある。
(脚本はエマニエル・シカネーダー氏)

1791年。
今から200年以上前の、
ヨーロッパでのお話。


『口は禍(わざわい)の元、
 舌は禍(わざわい)の根』


これは、
二代目広沢虎造氏の『清水の次郎長伝』で、
何度か出てくるフレーズだ。


古今東西。
洋の東西を問わず、
今も昔も、ずっと同じことらしい。



◆◆◆



自分はこれまで、
どれだけ「禍」をまいてきただろうか。

自分の吐いた言葉で、
どれだけ人を傷つけてきたのだろうか。


こんな自分にさえ、消えない言葉があるのだから。

自分の吐いた言葉で何人の人を傷つけてきたのか。



そしてぼくは、怒っている。

うそつきの「大人たち」に。




言葉。


どうしてうまく操れないのか。


たくさんありすぎるから?

自分が未熟だから?


そもそも、操れないものなのか。

理解はしきれないものなのか。


言葉に頼るから、言葉に苦しむのか。



たくさん言葉を覚えれば、
少しは「うまく」なると思っていた。
少しは「やさしく」なると思った。


24万語とか72万語とか。

言葉が多すぎて、
うまく操れないのか。

それとも、
言葉を覚えすぎたせいで、
ややこしくなったのか。

「大人」になるほど、
どんどんむずかしくなってきた気がする。


子どものころ、表現できずにもどかしく、
充分すぎるほど歯嚙みをしたが。

大人になった今に感じる戸惑いと疑問は、
それとは比べようがない種類のものだ。


言葉の前に心がある。


『思考が言葉になり、言葉が行動になり、
 行動が習慣になって、習慣が性格になる。
 そしてそれが運命を形づくる』

そんな「言葉」もある。


思考をつくるのもまた「言葉」。
言葉がなければ、その観念も存在しない。
言葉を操るのは、その人の感覚(センス)次第だ。


口は禍の元。


『見ざる聞かざる言わざる』


日光東照宮のスリー・モンキーズ像。
これまで、

「なんたる事なかれ主義か」

と、やや否定的な気持ちで見ていたものだが。


これが、大人の階段なのか。


「さすがにそれはないでしょう」

と。

悔しくても、腹が立っても、
じっと黙ってわが身を見つめる。


それが、大人の作法なのか。


ああ、そうですね、と。
笑って過ごして、歯を磨いて寝る。


これぞ、大人の処世術なのか。


笑っていたら、寝耳に水。
わが目、わが耳を疑う言葉、言動。

聞いたはずの言葉、
言ったはずの言葉が消えていく。

なかったものに。
なかったことに、なっている。


返事はない。


ノー・コメント。


明日は明日の風が吹く。


そして気づけば自分も
『冷たい人間の仲間入り』。



使い方を誤った言葉は、
「グレーゾーン」の暴力だ。


暴力は、人をころす。

人の心をころす。


暴力は、また新たな暴力を生む。


暴力反対。


人をあやめたくはないし、
言葉をうまく操る自信もない。

やっぱり黙っているより仕方がないのかなと。
出口を失い、ため息をつく。


心のない行為。

みんな知らん顔。


大の大人が大真面目に
それをよしとするなんて。

すごく、かなしい。


「こんなの、いじめじゃん」


こっち側から見た景色は、
あっちからは見えない。



だから思う。


どうしてかなしい言葉を吐くのだろうかと。


大人になると、謝らない人がふえる気がする。

それでいいと思っているのか、
それとも、そう思いこんでいるのか。
もう、あきらめちゃっているのか、
気づいてもいないのか。

そもそも大の大人っていうものが、
そういうものなのか。


素直に謝ったら気持ちがいいのに。


幼稚園までに習った大切なことが、
勉強するほどに塗り替えられて、
いつしか無意味な「音」になってしまう。

ごめんなさいも、ありがとうも。

しおれた花みたいにかさかさになって、
足元にべったり横たわっている。



五十音の、86の音色。

楽器の演奏より
むずかしいのかもしれないけれど。
「日常の社会」においては、
ギターより「ものを言う」メロディだ。


その並べ方、使い方次第で
人をしあわせにだってできるのに。
世界をバラ色にだってできるのに。

かなしい使い方をするのは、どうしてなんだろう。


そういう自分も、禍だらけの人間。

ここに並べた言葉は、
もれなく自分に言えること。


「太鼓じゃないから音(ね)は出ないが、
 叩きゃほこりのひとつも出るもんだ」


明日はわが身の自分の鏡像。


「笑顔の花を咲かせたい」


そんなふうに言ってること自体が、
甘い幻想、おせっかいで無意味な夢物語なのか。



◆◆◆◆



言葉は人を傷つけるほどの凶器にもなるのに、
聞く人がいなければ、ひどく無力で頼りない。


言葉に頼りすぎてるわけじゃない。

1枚絵みたいな「感覚」を
「言葉」で言い表そうとすると、
どうしてもたくさんの言葉が必要になる。

伝えたい思いが過熱して、
だらだらと続いて冗長になる。

そうなったとき、言葉はまた意味を失い、
空疎な「音」となっていく。


言葉は、相手ありき。
相手の捉え方次第で、雑音にも暴力にもなる。



言葉以上に大切なもの。

伝え方。タイミング。
表情。気持ち。関係性。

それぞれの思い、考え、言い分や立場。


「・・・・・・」


いろいろ考えると、言葉が出なくなる。

衝突や摩擦を嫌うなら、
結局のところ、
黙っているのが良策だったりもする。


それでも、
黙って引き下がるわけには
いかない場合もある。


なんだかばからしくて、
言う気も失せる、そんなときもある。


やり場のない思い。


考えるとむずかしくなるから、
ここら辺でやめておこう。


答えなんてないものだし、
いくら周到に準備をしても、
戸惑いは必ず
それを超えてやってくるものだ。


考えたってどうにもならない。

そのとき、その場でどうするか。



ありがとうとごめんなさい。

その気持ちがあれば、
わかる人には必ず伝わる。


そこにある、心が大事。

心は、うそをつかない。
心は、うそをつけない。


答えも法則もわからないから、
その当たり前の事実を
信じていくより仕方ない。


気持ちのわるい幻想なのか。
うその世界では、うその花しか咲かないのか。


だったらその「うそ」を信じていきたい。



「えっ? どういうこと、それ?」


もしそれが冗談なら、
心から笑えるものにしてほしい。








< 今日の言葉 >

Leck mich im Arsch!
Lasst uns froh sein!
Murren ist vergebens!
Knurren, Brummen ist vergebens,
ist das wahre Kreuz des Lebens.
Drum lasst uns froh und fröhlich sein!
Leck mich im Arsch!



私のお尻を舐めなさい
陽気に行こう
文句を言っても仕方がない
ぶつぶつ不平を言っても仕方がない
本当に悩みの種だよ
だから
私のお尻を舐めなさい

(Wolfgang Amadeus Mozart「Leck mich im Arsch:K231」1782年)





2025/01/05

天井のようかん

 





古い車に乗っていたとき、

いつもどこかしら

気になる箇所があった。


走っていると、どこからか

かすかに聞こえるきしみ。

電装系の配線の不安。

アイドリング音のばらつき。

扉の閉まり具合。

開け閉めしにくいガラス窓。

破れたシートカバー。

ところどころ剥げた車体の塗装。

・・・などなど。


言いだしたらきりがない。

気にしだしたら止まらない。


整備工場の人と話していて、

こう言われた。


「どこまでをよしとして、

 どこまで直してくのか。

 古い車だから、

 完璧な状態になんて、

 ならないですよ」


たしかに。


ここを直しているあいだに、

別のところが悪くなったり。

いつか壊れるんじゃないか、

また故障するんじゃないか、と。

予兆ばかり気にしていて、

気が休まらなかったり。


古い車は、古い車なのだ。


気になる箇所を替えだしたら、

丸ごと全部、

替えなくてはいけない場合もある。


見えない箇所は、

オーバーホール

(全部ばらばらに解体して

組み立て直すこと)して、

きれいな部品か新品に替えるしかない。


自分で点検・整備をするか、

整備工場に通うのか。

それともいっそ、

新しい車に買い換えるか。


古い車に乗るということは、

古い車の状態と向き合い、

それとどう付き合っていくか、

ということである。


長い年月を経た、古い車。

長い年月乗っていれば、

必ずどこかしらが

悪くなってくるものだ。


それは、人間も同じ。


歳を重ねれば、

必ずどこか不具合が出てくる。


痛みや症状を気にして、

医者や病院へ通い続けるか。

それとも、

そんな状態を「日常」として

いたわりながら、

付き合っていくか。


母の姿に、思うことがあった。


母は、病院が苦手だ。

おそらく、

何かしらの経験が織り重なって、

母の中で、病院の印象が

よくないものへと

育っていったのだろう。


かくいう自分も、

長年、病院が苦手だった。

今でも得意ではないが。

数年前に、気胸で入院して以来、

病院への印象が

悪くないものへと変わった。


**


毎日、

笑顔で話していた母のようすが、

突然おかしくなった。


そわそわと落ち着きなく、

気もそぞろで、

なかなか話が通じなくなった。


夜、母に呼び止められた。


「ちょっと見てほしいんだけど」


母を追って寝室へ向かうと、

薄暗い部屋の天井にぶら下がる、

和室仕様の照明器具を指差した。

灯っているのは、

オレンジ色の小さな豆電球だった。


「電気の上に、ようかんが

 乗っかっとるんだけど。

 ちょっと見てもらえん?」


「ようかん?」


「そう。羊羹」


「え、なに、どういうこと?

 なんで羊羹が

 そんなとこに乗るの?」


「わからんけど。

 なんか羊羹が乗っかっとるから。

 ちょっと見てくれんかなぁ」


「その羊羹って、どこにあったの?

 この部屋にあったの?

 母さんが、何かやったの?」


「よくわからんのだけど。

 あれ、ほら、羊羹じゃない?

 夜中に寝とって

 顔にべちゃっと落ちてきたら

 嫌だなって思って。

 ない? そこに、羊羹。

 あの丸いのって何?

 羊羹じゃない?」


何を言っているのか、

さっぱりわからなかった。


羊羹・・・?

オレンジの光の輪っかのことか。

それとも、丸い影のことか。

どうして羊羹がここにあって、

さらにはどうやって

照明器具の上に乗っかるのか。


まるでわからず、謎だった。


電気を点けて、調べてみた。


「何もないよ。

 大丈夫だから、安心して寝てよ」


「そう?

 じゃあ、よかった」


「おやすみ」


「ごめんね、ありがと。おやすみね」


翌日、母に聞いてみた。


「昨日の夜のあれ、何だった?

 羊羹って、何だったの?」


「・・・たぶん、ちょっと

 ぼけとったと思う。

 寝ぼけとったのか、ぼけとったのか。

 ようわからんけど、

 ちょっとおかしくなっとったんだわ」


「何だったんだろうね、羊羹って」


「ようわからん。

 半分、夢見とったのかもしれん。

 なんか、そんなのが

 あるように思えて」


母と二人、声を上げて笑った。


この夜の一幕を思い出すと、

今でも笑いがこみ上げる。



ぼくは、医者でもなければ、

専門家でもない。


ただ母は、

普通に生活をしている。

笑顔で会話を交わし、

買い物に出かけたり、

食事の支度や掃除をしたり、

お友達とランチ会に出かけたりして、

ごく普通の日常生活を過ごしている。



また別の日に。


母のようすがおかしくなった。


会話がかみ合わない。

何かにあわてているようで、

視線も合わず、

一方的な「話」をくり返す。


そのとき気づいた。


病院へ行く日が、近づいている。


思い返すと、

例の『羊羹の怪』事件の日にも、

病院の話をしていた。


母は、病院が苦手だ。


それを言葉にすることもなく、

無意識に「嫌だな」という

気持ちが開花して、

行動や思考に表出する。


決して言葉には出さない。


病院に行きたくない、とか、

病院は怖いな、とか、

苦手だなとかは言わない。


ただ、頭の中は、

病院のことで

いっぱいになっている。


はっきりとした不満こそ

もらさないが、

カレンダーをちらりと見ながら、

ぼそりとつぶやく。


「もうすぐ病院行かないかんね」


その都度、母はくり返す。


「どうしよう、どうやって行こう」


「大丈夫。ぼくが車で送るから。

 帰りも迎えに行くから大丈夫だよ」


このやりとりを、

もう何十回くり返したことか。


こと、病院の話となると、

話が通じなくなる。

それがわかった。


もっと言えば、

おそらく母が「嫌だな」と

思っている事柄に関しては、

聞いた話も覚えておらず、

自分で言ったことも

記憶していない。


当初は戸惑い、困惑したが。


『嫌なこと=スルー』


忍法、受け流しの術。


なるほど。


忘れるのではなく、

おそらく最初から

「受けつけていない」のだろう。


原因というか、

根拠がわかったので、

かなり雲が晴れ晴れとした。



母が病院へ行く理由は、

治療でも診療でもない。

2年前に、

心臓のカテーテル手術をしたため、

病院側が求める

「定期検診」に行くのだ。


「なんでこんな病気に

 なったんだろう」


母さんは病気じゃないよ、

心臓は、手術してもう治ったよ、

データの収集とか、検査のためだから、

何の心配もいらないよ、と。

何度説明しても、母はくり返す。


「もう治らんのかなぁ。

 なんでこんなことになっちっゃたんだろう。

 痛くも苦しくも、何ともなかったのに。

 何で手術しなきゃ

 いかんかったんだろう」


1年以上、

くり返し伝え続けてきたせいか。

それとも、伝え方が上手くなったのか。

「病気」ではないということは、

少し理解してもらえてきたようだ。


そして最近、

定期検診だということも

理解できたようで、


「そんなんだったら、行きたくない」


と、母がまっすぐ顔を向けた。


「どっちでもいいよ。

 母さんが決めればいいことだから」


わかるかわからないかは置いておいて、

ぼくは、行く利点と、行かない難点とを

ゆっくり嚙みくだいて伝えた。


母の中で、いろいろな思いが錯綜する。

表情からも、その葛藤が見て取れた。


病気、怖い。病院、怖い。

行く、怖い。行かない、怖い。

行かない、先生に怒られる。

怒られる、怖い。


これはあくまで想像だが。

おそらく母の頭の中(または胸の中)では、

いろいろな利害がぶつかり合って、

答えをはじきだそうと

懸命に計算しているようだった。


「まぁ、今年は行くわ。

 来年からは、もう、やめるかもしれん」


来年になればまた、

同じこと言うかもしれない。

けれど、ひとまず母の中で、

決着がついたようだった。



報告も兼ねて、姉に連絡した。


姉が言った。


こないだね。

 私も歯医者に行ったんだけど、

 行くまでがめちゃくちゃ嫌だったから、

 お母さんもそうなのかなって。

 歯医者ってあんまり

 いい思い出なかったから。

 でも、早く治療したほうが

 大ごとにならないんだよね。

 わかってるけど、ってやつ。

 習い事のイヤイヤなのとかも

 そうだったよね」


さらに姉が助言をくれた。


なるべく笑顔で、

たいしたことないような雰囲気を

まわりでつくって接すれば、

母も「笑顔」で

過ごせるんじゃないかと。


本当にそう思う。


自分が子供時代に

けがをしたとき。


「わぁ、大丈夫?!

 すっごい血が出てる!

 ええっ、いやだぁ!

 ねぇ、大丈夫ぅ?!

 救急車とか呼んだほうが

 いいんじゃない?」


わーわーと騒ぐ人や級友に、

不安が増し、

よけいに怖くなった覚えがある。



まわりの笑顔が、

何よりの安心感を生む。


入院したとき、

上手に接してくれた看護師さん、

お医者さんはみな、

必要以上に騒いだりせず、

やわらかな笑顔をたたえていた。


もちろん、医師たちは

「プロ」だから、

いろいろな知識も対応力もある。

経験に保障された「笑顔」でも

あろだろうが。

少なくとも、

笑顔の効果は周知のはずだ。



笑顔がいちばんの薬。


最近、本当にたくさん

そう思わされる。



***



母が大河ドラマを

観たことを話してくれた。


「昨日のは、本当によかった」


とにかくすごく感動したそうだ。


テレビどころか、

世間にもうといぼくは、

虫食いだらけで間違いだらけの

俳優さんの名前を聞いても、

誰のことかわからず、

顔すら浮かんでこない。


しかも相手は母だ。

内容もあやふやで、

源氏物語が下敷きとなっている

ドラマなのだと知ったところで、

今どういった展開で、

どういう場面だったのかは、

聞いてもよくわからない。

役名ではなく、

虫食いだらけの

俳優さんの名前で語られる

「源氏物語」は、


「△△さんが、きれいだった」


という感想のみで終わった。


「今、どこらへんなの?

 どんな場面だった?」


「観たけど覚えとらん」


「けど、感動したんだよね?」


「うん、すごくよかった」


「そうか。じゃあ、よかったね」


何がどうだったかは覚えていなくても、

感動したことは、覚えている。


だったらいいか、とぼくは思った。


心が動いているのだから。


逆のほうが、ちょっと寂しい。


何を観たのか、どういう話だったか、

事細かに覚えているのに、

心が動かなかったことのほうが、

ぼくは悲しい。


感動を忘れることのほうがつらい。


晩ごはんに何を食べたのかは

忘れてしまっても、

おいしかったことは、

しっかり覚えている。


何を話したかは覚えていなくても、

すごく楽しい時間だったことは、

はっきり覚えている。


だったらぼくは、

それでいいと思う。


これも、笑顔の法則だ。



ピピピピ、と、

警告音を鳴らす炊飯器を前に、

母が小さくのけぞった。


「わっ、怒られた。

 母さん、怒られてばっかりだわ。

 ぼけた人がやっとるもんで。

 最近の機械はかしこいねぇ。

 こうやってすぐ教えてくれる」


母は、怒られてばかりだった。


機械だけでなく、

生前の父に、怒られてばかりだった。


だから、言えないのだ。


嫌なことを、嫌だと。



ぼくは、聞くようにしている。

母の気持ちを、

言葉に出してしてもらっている。

聞かなければわからないから、

どうしたいかを母に聞いている。


失敗や失態も、

大ごとでなければ、

なるべく笑顔で、

笑い飛ばすようにしている。


作り笑いや愛想笑い、

苦笑いや失笑ではなくて。

声に出して笑っている。


笑っておいたほうが、楽しいから。


どうしたらいいのかがわからない母は、

自分の感情を、鏡写しにする。

目の前の人の反応を見て、

今の状況を推し量る。


それって、もしかすると、

小さな子供と同じじゃないだろうか。


父や母の顔を見て、

これがいいことなのか、

わるいことなのかを読み取り、

判断する。


だとしたら、

よけいな心配で心を煩わせないよう、

笑顔で接したほうがいいだろう。



体のことを思って、

健康を気遣って行くはずの病院が、

かえって母の負担になるのなら。


ちょっとした検査や

健康診断などであれば、

お休みするという選択肢も

ありかもしれない。


病院へ行かなくちゃ、と、

落ち込む母を見ていると、

本当に「病気」になってしまいそうで。


一般論ではなく、

ぼくの母親に関しては、

それもよいかと思ったりした。


もしもぼくが母の立場なら、

きっとそれが嬉しいはずだから。


人生の「折り返し」を

とうにすぎた母なのだから。

ぼくは、

好きにやって欲しいと思う。

やりたいことをやって、

食べたい物を食べて、

嫌なことは嫌だと、

わがままに生きて欲しい。


ぼくはそれを横で見ながら、

ときどき注意したり、

手助けしたり、助言したり、

あくまで「傍観者」として、

母のするままに任せていきたい。



****



1970年代の車に乗っている甥っ子と、

うなずきあって話したことがある。


「古い車に乗ってると、

 多少のことでは、

 あせったりあわてたり、

 しなくなるよね」


トンネル内で停まった話。

ワイパーが止まった話。

エンジンがかからなくなった話など。


不測の事態に直面するたび、

嫌が応にも「成長」させられる。


別にトラブルが好きなわけではない。


けれど、難儀な局面と向き合って、

解決、解消していくたび、

少しずつ見え方が変わっていく。


古い車も、老いた母も、

ぼくにいろいろ教えてくれる。


悩んでも、準備しても、

怒っても、あわてても。


起きるときは起きるし、

なるようにしかならない。


笑顔がいちばん。


よくわからず、

つられて笑う母の笑顔に、

ぼくの笑顔も

さらに大きな笑顔になる。


問題とか、災難とか。

何があったかっていうことを

忘れてしまっても、

笑顔でやり過ごした

ことさえ覚えていれば、

それで充分だ。


また同じことが起こったとしても、

今度こそ本当に笑って、

笑顔で乗り越えられる。


学びや学習、反省は、

母ではなくぼくがすればいい。


老いた母は、

なおもぼくを、育ててくれる。


いつまでたっても母は母だし、

ぼくは子供のままだ。




自分の50歳の誕生日を祝うとき、

母の偉業も一緒に祝った。


『祝50』


ぼくが生まれて50年ということは、

母がぼくを産んでから

50周年の記念でもある。






「産んでくれてありがとう。

 50年間、

 育ててくれてありがとね。

 50歳ってことは、

 母さんとの付き合いが

 50年ってことだからね」


「50年! そんなになるかね。

 まぁ、立派に大きくなって。

 ・・・あんたが生まれたのは、

 朝だったもんで。

 おじいさん(母の父)に

 病院に送ってもらって、

 15分くらいしたら、

 ころんって生まれた」


「全然痛くなかった?」


「もう、全然。

 あれ、あれ、って言っとるうちに、

 ころっと生まれて。

 よっぽど生まれてきたかったんだねぇ」


50年前、ぼくは、

この世界に勢いよく飛び出してきたらしい。


昨日観た大河ドラマの内容を忘れる母も、

ぼくを産んだ日のことはずっと覚えている。


50周年のことも、

いつか忘れてしまうかもしれないけれど。

一緒に食べた、おいしいケーキの味は、

いつまでもきっと忘れないだろう。


「何、このイチゴ。

 ぴちぴちしとって、おぉいしいねぇ」



ぼくも、忘れない。

エプロンについたアップリケの犬。

真っ白なケーキと母の笑顔。


50年目に見たこの景色を、

ぼくはずっと忘れない。






 


< 今日の言葉 >





(日付は1カ月まちがえているけれど、

 嬉しいことが書かれた母からの書き置き)