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80歳の母が作ったハンバーグ |
*
8月。
世間でいうところのお盆休みに、
母と二人、机を挟んで、
夕食を食べた。
「最近、昔のことをよく思い出す」
と、母が語りはじめた。
「あんたが
2階から落ちたこととか、
急に思い出した。
2歳だったかね、あんた。
子供が落ちてきましたよ!って、
1階の事務所から声が聞こえてきて。
おるはずの場所に、
あんたがおらんもんで。
あわてて下に降りてったら、
あんた、口から血ぃ出しとって。
もうだめかと思ったけど、
急いで病院連れてって、
なんともなかったからよかったわぁ。
まあ、あんときはびっくりしたわ」
地面にまあるく、
そこだけクローバーが咲いていた場所。
ちょうど座布団くらいの大きさで、
ふかふかと緑色の絨毯が
生い茂った箇所。
2歳のぼくは、そこに落ちた。
結合部分が突き出た、
鉄製のフェンスの上でもなく。
鋭い枝を空に伸ばす、
枯れかかった灌木の上でもなく。
硬いコンクリートの
地面の上でもなく。
ちょうどそこだけ生い茂った、
クローバーの上に、
ぼくは、
2階ベランダの手すりの上から、
真っ逆さまに転落した。
よほど頭が軽い幼児だったのか。
それとも、体がやたらと
軟らかかったのか。
打ち所も悪くはなかったようで、
口からの流血以外、
何の別状もなかったそうだ。
もし、記憶に間違いがなければ、
うっすらとかすかに覚えている。
こんもりと、
まあるく生い茂った、
黄緑色のクローバー。
ふかふかとした感触は、
視覚的な記憶かもしれない。
それが、
どんどん大きくなって、
みるみる間近に迫り、
視界いっぱいまで広がって……。
そんな「記憶」が、
おぼろげにある。
死ななくてよかったと。
自分で思うよりも、
それを話した相手に言われて、
たしかに、と思う。
客観的に考えてみて初めて、
自分が生きてきた機運に驚き、
そして、感謝する。
目には見えない、何ものかに。
ありがとう、と言わずにはいられない。
* *
乗るはずの電車が横転して、
たくさんの負傷者が出たこと。
ちょっとの差で、
すぐ前を走るタクシーが、
凍結した橋から
川に転落したこと。
前を行く四輪駆動車が急停車して、
ぼくの車のすぐ前の、
ワンボックス車が追突した。
運転手は足を挟まれ、
車からが出られなくなった。
あの日、
玄関先で急に、
氷の入ったウーロン茶が
飲みたくなった。
もし、それに従わず、
すんなり家を出てきていたら。
あの夜、
履くのに面倒な革靴を選んで、
紐を結ぶのに手間取らなかったら。
電車の切符を、
どこへしまったか忘れなかったら・・・。
もしかすると、今、
ここに、いないのかもしれない。
かくいう母も、
また同じく。
(以前どこかで書いたかもしれないが)
終戦の年、
生まれたばかりの母は、
避難先の防空壕で窒息しかけた。
祖父(母の父)に逆さ吊りにされ、
ゆさぶり、ひっぱたかれなかったら、
今、こうして
生きていなかったかもしれない。
そうなれば、
ぼくもここには
いないということだ。
転んだり、ぶつかったり、転落したり。
けがをしたことは数え切れないけれど。
数々の事故で、
けがをしたことは、一度もない。
死にそうになったことは
何度かあっても、
死なずにこうして生きている。
お盆。
この時季、
こんなことを思うのは、
死者たちからの
贈り物なのかもしれない。
感謝の気持ちを忘れないよう、
黄泉の国から届けられた、お中元。
天地無用のクール便。
こわれもの注意の宅急便。
賞味期限はあくまで目安ですので、
忘れないよう、お早めにお召し上がりください。
なお、
これを書いたときがお盆であっても、
これを読む時季がお盆であると限らないことは
あらかじめ暑中お見舞い申し上げます♡
・・・これも、
亡きき者が憑依して為す、
ダイニングからのメッセージ。
と、
くだらない思いつきを、
ご先祖さまのせいにしてしまう、
ばち当たりなぼくは、
今は亡き父と2人、
大阪から名古屋まで
車で運んだ仏壇に向かって、
手を合わせ、
ちりん、と、おりんを
鳴らすのでありました。
* * *
父を亡くして初めて迎えるお盆は、
いわゆる「初盆」というものではあるが。
例年とさして変わらない、
それどころか、
昨日とすら変わり映えしない、
ただの「日常」だった。
母がいて、ぼくがいる。
テーブルには、母が作った、
通算何百か、
何千個目かもわからぬハンバーグ。
そんな「日常」に、
ふと、涙がこぼれそうになる。
あゝ、けふまでのこの一年、
いろいろなことが、あつたな、と。
近ごろの母は、
とても元気で明るくて、
楽しそうに笑っている。
間違いや失敗ばかりくり返す母に、
あろときぼくは、こう伝えた。
「母さん、大丈夫だよ。
忘れちゃっても、
同じことを何回くり返しても、
気にしなくていいよ、
そのたびに何回でも言うからね」
嬉しそうに笑う母が、答えた。
「本当、ありがとね。
母さん、ばかだもんで、
何回言われても
すぐに忘れちゃうんだわ。
頑固っていうか、融通が利かんのか。
だけど、怒らんといてね。
母さん、一生懸命頑張るから」
母の口から、はっきりと、
「怒らないで」という
言葉を聞いたのは、
初めてのことだった。
誰だって、怒られたくはない。
そんなことは、
聞かずとも承知のことのはずなのに。
80歳になった母の口から聞いた、
その言葉は、
なぜだか妙にしおらしく、
健気でいたわしく、
胸のまんなかに突き刺さった。
最近ぼくは、
母に「注意すること」をやめた。
笑いながら話し、
ありがとう、と
たくさん言おうと心に決めた。
その甲斐があったのか。
母がかもす雰囲気は、
いつでも明るく、軽やかで、
やわらかな笑顔をたたえている。
冗談みたいな、
いたずらみたいな、
不運なことや、
不測の事態がいろいろあって。
偶然みたいな、運命のような、
感動的な場面が、
たくさん舞い起こって。
絶望的な顔で、
毎日、沈み込んでいた母。
原因もわからず、理由も不明で、
周囲の人が、
老いや痴呆だと言う中、
一人、首をかしげ続けて。
観察と試行錯誤で、
出口があるのかもわからない、
長くて暗いトンネルを
なんとか手探りでくぐり抜けた。
この1年間、
切れそうなほど細くて、
頼りなくてもたしかな糸が、
今日というこの日まで
ぼくを運んでくれた。
そんなぼくを
支えてくれた人たちがいる。
一人じゃきっと、無理だった。
あきらめなくて、よかった。
くじけなくて、よかった。
今、この景色を目の当たりにして、
あらためて実感する。
何の変化もない、
母と食べる、ただの夕食。
急須に注ぐやかんのお湯が、
たとえ水でも。
冷たい、水出し緑茶の味を、
楽しめばいい。
焦げたピーマンの味も、
笑顔のなかった日々と比べれば、
ほろ苦さすら感じない。
何もない、という「しあわせ」。
困難がある、という「よろこび」。
それは、
通り抜けたからこそ
わかる景色で。
焦燥にまみれた
すきまだらけの心では、
けっして見えない、
透き通った景色だ。
* * * *
偶然の軌跡と、
奇跡の偶然の連続。
もし、あのとき、
「選択」を間違えていたら・・・。
「ここ」に、
自分は立っていない。
「今」「この景色」の中に、
ぼくはいない。
先日、甥っ子と話をしていて。
「去年の今ごろ、
こうやってここで話してること、
想像できた?」
なんてことを言ってみたり。
フランスに行く予定だった彼が、
進路を変えて、
欧州車を販売しながら、
1970年代のフィアットに
乗っていることも。
自分の未来すら、
予見できないのだから。
他人のことなど、
想像できようがない。
いろいろな線が交わったり、
並走したり、離れていったり、
近づいたり。
二本の糸が
撚り合わさることもあれば、
複数の糸がもつれて、
絡まることもある。
切れたり、結んだり、ほどいたり。
切ったり、
引っぱったりするのではなく、
じっと見つめて、
目でたどることも。
「ほどく」という、
ひとつの方法なのだと。
今ごろになって、
ようやくわかった。
いつ死んでも構わない。
明日死んでも悔いはない。
ずっとそうして生きてきた。
けれど今は、
生きたいと思う。
死にたくないんじゃなくて、
生きていたいと、心から思う。
この、
偶然の奇跡につながる線を、
もっとたくさん見たいから。
もっともっと、
見ていたいから。
奇跡の軌跡。
・・・なんてことを、
言ってみたり。
直感的思考は、母譲りなのか。
老いた母が、
ときどき巫女か、
シャーマンに見える。
「心にやましいこととか、
後ろめたいことがあると、
やっぱりだめだね」
いきなりそんな言葉を吐いた母。
よくないことも、
至らぬことも、
たくさんしてきた。
今さら聖人に
なれるとも思わないけれど。
過去の自分を恥ずかしく思い、
反省する。
過去の自分は、
すすけて黒く汚れているけれど。
今現在の自分には、
後ろ暗さも、嘘もごまかしも、
何ひとつない。
母の言葉に、
背筋を伸ばしたぼくは、
どうしてそんなことを思ったのかと、
聞いてみた。
「別に。ただ、
今朝起きたとき、ふと、
なんとなくそう思った」
もしかして母は、
預言者なのかもしれない。
ぼくが今、
ちょうど同じようなことを、
思っているのを見越して、
ぼくの思考を
なぞってみせたのかもしれないと。
ほんのちょっとの瞬間だけど、
真剣にそう思い、
少しのあいだ、空想していた。
母に何かが憑依して、
そんな言葉を、語らせたのだと。
母の目は、丸く大きく、
小さい頃の写真を見ると、
顔が小さかった分だけ、
今よりさらにお目目が大きく見える。
「母さん昔、みんなに、
びっくり恵美子って呼ばれとった」
うちのシャーマン恵美子は、
驚いてもいないのに、
「びっくり恵美子」と呼ばれていた。
その古風なネーミングセンスに、
「びっくり恵美子て」
と、一人でつっこみ、
何度も笑いがこみあげる。
「冬瓜(とうがん)を見ると、
おばあさんのことを想い出す。
夏に、よく冷えた冬瓜の煮物を
作って食べさせてくれた」
びっくり恵美子が、
何度か聞いた昔話を、
リピート放送でまた聞かせてくれる。
「冬瓜って、夏が旬なのに、
なんで「『冬』って書くんだろう」
「なんでだろうね」
ぼくの問いを受け、
びっくり恵美子が、
冷蔵庫から冬瓜を取り出す。
「本当、冬の瓜だね。
四分の一で、98円。
愛知県産って書いてある。
夏はスイカとかの、
瓜しか育たんのかな、やっぱり」
謎の「やっぱり」を披露する
びっくり恵美子が、
質問とはまるで関係のない、
思考の迷路にはまり込む。
「スイカって、
西の瓜って書くよね。
それでよくスイカって
読ませたもんだよね」
と言うぼくに、
やっぱり恵美子が、
びっくり恵美子に戻って、
唐突に切り返す。
「昔、キナウリっていうのを、
よく食べた」
「キナウリ?」
「そう。
黄色い瓜って書く、果物」
「果物?」
「これくらいの大きさで、
ちょっと長細くて、
メロンよりは安くて質が落ちる、
甘い果物」
キナウリが聞いたら
さぞかし気を悪くするであろう言い回しで、
びっくり恵美子の手が、
20センチほどの楕円をつくる。
「キナウリか・・・。
聞いたことないなぁ。
今もあるの、それ?」
「知らんけど、あると思うよ」
びっくり恵美子の情報をもとに
調べてみると、
キナウリなる物が、
別名「マクワウリ」という、
メロンの仲間だとわかった。
画像を見て、小さいころ、
母が切って出してくれたことを
思い出した。
季節の記憶はなかったが。
なるほど、たしかに、
思い出すのは夏休みのような、
お盆のような風景だ。
びっくり恵美子と瓜。
ちなみに
父方の祖母の旧姓は、
瓜が生えると書いて
「瓜生(うりゅう)」です。
お盆。
ご先祖さまの、気配がしますね。
そう。
そして今は、おそらく10月。
びっくり恵美子が、
びっくりしないで、
おだやかに過ごしてくれていることを
祈りながら。
過去に書いた、
未来の記述を、
締めくくろうかと思います。
人生は、
ほんのちょっとの違いで、
その進路を大きく変えるもの。
そのときには、
ほんのちょっとにしか見えない、
わずかな差が、
いつか大きな差異につながる。
だからこそ、
一つ一つをおそろかにせず、
大切にしていきたいものですね。
偶然の産物が、またここに。
奇跡の軌跡が、またここに。
じいちゃん、ばあちゃん、
おじさん、おばさん、
そして父さん、
レオ、ゴマ、ハナ。
奇跡の軌跡をつなぎながら、
ぼくは、今も生きています。
びっくり恵美子と呼ばれた母さんは、
とぼけてはいいても、
毎日元気に、
笑顔で過ごしております。
生きてるうちに、気づけてよかった。
びっくり恵美子を、
これ以上びっくりさせないように。
無軌道ではあっても、おだやかに、
健やかに正直に過ごしたいと思う。
< 今日の瓜知識 >
ちなみに「冬瓜」は、
冷暗所に保管すると、
夏に収穫したものでも、
冬までもつって言われてるから
「冬瓜」っていうんだって。
豆知識ならぬ、瓜知識でした。