2025/10/15

ほんのちょっとの差

80歳の母が作ったハンバーグ




 8月。

世間でいうところのお盆休みに、

母と二人、机を挟んで、

夕食を食べた。


「最近、昔のことをよく思い出す」


と、母が語りはじめた。


「あんたが

 2階から落ちたこととか、

 急に思い出した。

 2歳だったかね、あんた。

 子供が落ちてきましたよ!って、

 1階の事務所から声が聞こえてきて。

 おるはずの場所に、

 あんたがおらんもんで。

 あわてて下に降りてったら、

 あんた、口から血ぃ出しとって。

 もうだめかと思ったけど、

 急いで病院連れてって、

 なんともなかったからよかったわぁ。

 まあ、あんときはびっくりしたわ」


地面にまあるく、

そこだけクローバーが咲いていた場所。

ちょうど座布団くらいの大きさで、

ふかふかと緑色の絨毯が

生い茂った箇所。


2歳のぼくは、そこに落ちた。


結合部分が突き出た、

鉄製のフェンスの上でもなく。

鋭い枝を空に伸ばす、

枯れかかった灌木の上でもなく。

硬いコンクリートの

地面の上でもなく。


ちょうどそこだけ生い茂った、

クローバーの上に、

ぼくは、

2階ベランダの手すりの上から、

真っ逆さまに転落した。


よほど頭が軽い幼児だったのか。

それとも、体がやたらと

軟らかかったのか。

打ち所も悪くはなかったようで、

口からの流血以外、

何の別状もなかったそうだ。


もし、記憶に間違いがなければ、

うっすらとかすかに覚えている。


こんもりと、

まあるく生い茂った、

黄緑色のクローバー。


ふかふかとした感触は、

視覚的な記憶かもしれない。


それが、

どんどん大きくなって、

みるみる間近に迫り、

視界いっぱいまで広がって……。


そんな「記憶」が、

おぼろげにある。


死ななくてよかったと。


自分で思うよりも、

それを話した相手に言われて、

たしかに、と思う。


客観的に考えてみて初めて、

自分が生きてきた機運に驚き、

そして、感謝する。


目には見えない、何ものかに。

ありがとう、と言わずにはいられない。



* *



乗るはずの電車が横転して、

たくさんの負傷者が出たこと。


ちょっとの差で、

すぐ前を走るタクシーが、

凍結した橋から

川に転落したこと。


前を行く四輪駆動車が急停車して、

ぼくの車のすぐ前の、

ワンボックス車が追突した。

運転手は足を挟まれ、

車からが出られなくなった。


あの日、

玄関先で急に、

氷の入ったウーロン茶が

飲みたくなった。

もし、それに従わず、

すんなり家を出てきていたら。


あの夜、

履くのに面倒な革靴を選んで、

紐を結ぶのに手間取らなかったら。


電車の切符を、

どこへしまったか忘れなかったら・・・。


もしかすると、今、

ここに、いないのかもしれない。


かくいう母も、

また同じく。


(以前どこかで書いたかもしれないが)


終戦の年、

生まれたばかりの母は、

避難先の防空壕で窒息しかけた。

祖父(母の父)に逆さ吊りにされ、

ゆさぶり、ひっぱたかれなかったら、

今、こうして

生きていなかったかもしれない。


そうなれば、

ぼくもここには

いないということだ。



転んだり、ぶつかったり、転落したり。

けがをしたことは数え切れないけれど。

数々の事故で、

けがをしたことは、一度もない。


死にそうになったことは

何度かあっても、

死なずにこうして生きている。


お盆。


この時季、

こんなことを思うのは、

死者たちからの

贈り物なのかもしれない。


感謝の気持ちを忘れないよう、

黄泉の国から届けられた、お中元。


天地無用のクール便。

こわれもの注意の宅急便。


賞味期限はあくまで目安ですので、

忘れないよう、お早めにお召し上がりください。


なお、

これを書いたときがお盆であっても、

これを読む時季がお盆であると限らないことは

あらかじめ暑中お見舞い申し上げます♡


・・・これも、

亡きき者が憑依して為す、

ダイニングからのメッセージ。


と、

くだらない思いつきを、

ご先祖さまのせいにしてしまう、

ばち当たりなぼくは、

今は亡き父と2人、

大阪から名古屋まで

車で運んだ仏壇に向かって、

手を合わせ、

ちりん、と、おりんを

鳴らすのでありました。



* * *



父を亡くして初めて迎えるお盆は、

いわゆる「初盆」というものではあるが。


例年とさして変わらない、

それどころか、

昨日とすら変わり映えしない、

ただの「日常」だった。


母がいて、ぼくがいる。


テーブルには、母が作った、

通算何百か、

何千個目かもわからぬハンバーグ。


そんな「日常」に、

ふと、涙がこぼれそうになる。


あゝ、けふまでのこの一年、

いろいろなことが、あつたな、と。


近ごろの母は、

とても元気で明るくて、

楽しそうに笑っている。


間違いや失敗ばかりくり返す母に、

あろときぼくは、こう伝えた。


「母さん、大丈夫だよ。

 忘れちゃっても、

 同じことを何回くり返しても、

 気にしなくていいよ、

 そのたびに何回でも言うからね」


嬉しそうに笑う母が、答えた。


「本当、ありがとね。

 母さん、ばかだもんで、

 何回言われても

 すぐに忘れちゃうんだわ。

 頑固っていうか、融通が利かんのか。

 だけど、怒らんといてね。

 母さん、一生懸命頑張るから」


母の口から、はっきりと、

「怒らないで」という

言葉を聞いたのは、

初めてのことだった。


誰だって、怒られたくはない。

そんなことは、

聞かずとも承知のことのはずなのに。


80歳になった母の口から聞いた、

その言葉は、

なぜだか妙にしおらしく、

健気でいたわしく、

胸のまんなかに突き刺さった。


最近ぼくは、

母に「注意すること」をやめた。

笑いながら話し、

ありがとう、と

たくさん言おうと心に決めた。


その甲斐があったのか。


母がかもす雰囲気は、

いつでも明るく、軽やかで、

やわらかな笑顔をたたえている。


冗談みたいな、

いたずらみたいな、

不運なことや、

不測の事態がいろいろあって。


偶然みたいな、運命のような、

感動的な場面が、

たくさん舞い起こって。


絶望的な顔で、

毎日、沈み込んでいた母。

原因もわからず、理由も不明で、

周囲の人が、

老いや痴呆だと言う中、

一人、首をかしげ続けて。


観察と試行錯誤で、

出口があるのかもわからない、

長くて暗いトンネルを

なんとか手探りでくぐり抜けた。


この1年間、

切れそうなほど細くて、

頼りなくてもたしかな糸が、

今日というこの日まで

ぼくを運んでくれた。


そんなぼくを

支えてくれた人たちがいる。


一人じゃきっと、無理だった。


あきらめなくて、よかった。

くじけなくて、よかった。

今、この景色を目の当たりにして、

あらためて実感する。



何の変化もない、

母と食べる、ただの夕食。


急須に注ぐやかんのお湯が、

たとえ水でも。

冷たい、水出し緑茶の味を、

楽しめばいい。


焦げたピーマンの味も、

笑顔のなかった日々と比べれば、

ほろ苦さすら感じない。


何もない、という「しあわせ」。

困難がある、という「よろこび」。


それは、

通り抜けたからこそ

わかる景色で。


焦燥にまみれた

すきまだらけの心では、

けっして見えない、

透き通った景色だ。



* * * *



偶然の軌跡と、

奇跡の偶然の連続。


もし、あのとき、

「選択」を間違えていたら・・・。


「ここ」に、

自分は立っていない。

「今」「この景色」の中に、

ぼくはいない。


先日、甥っ子と話をしていて。


「去年の今ごろ、

 こうやってここで話してること、

 想像できた?」


なんてことを言ってみたり。


フランスに行く予定だった彼が、

進路を変えて、

欧州車を販売しながら、

1970年代のフィアットに

乗っていることも。






自分の未来すら、

予見できないのだから。

他人のことなど、

想像できようがない。


いろいろな線が交わったり、

並走したり、離れていったり、

近づいたり。


二本の糸が

撚り合わさることもあれば、

複数の糸がもつれて、

絡まることもある。


切れたり、結んだり、ほどいたり。


切ったり、

引っぱったりするのではなく、

じっと見つめて、

目でたどることも。

「ほどく」という、

ひとつの方法なのだと。


今ごろになって、

ようやくわかった。


いつ死んでも構わない。

明日死んでも悔いはない。

ずっとそうして生きてきた。


けれど今は、

生きたいと思う。


死にたくないんじゃなくて、

生きていたいと、心から思う。


この、

偶然の奇跡につながる線を、

もっとたくさん見たいから。

もっともっと、

見ていたいから。


奇跡の軌跡。


・・・なんてことを、

言ってみたり。


直感的思考は、母譲りなのか。


老いた母が、

ときどき巫女か、

シャーマンに見える。


「心にやましいこととか、

 後ろめたいことがあると、

 やっぱりだめだね」


いきなりそんな言葉を吐いた母。


よくないことも、

至らぬことも、

たくさんしてきた。


今さら聖人に

なれるとも思わないけれど。

過去の自分を恥ずかしく思い、

反省する。


過去の自分は、

すすけて黒く汚れているけれど。

今現在の自分には、

後ろ暗さも、嘘もごまかしも、

何ひとつない。


母の言葉に、

背筋を伸ばしたぼくは、

どうしてそんなことを思ったのかと、

聞いてみた。


「別に。ただ、

 今朝起きたとき、ふと、

 なんとなくそう思った」


もしかして母は、

預言者なのかもしれない。


ぼくが今、

ちょうど同じようなことを、

思っているのを見越して、

ぼくの思考を

なぞってみせたのかもしれないと。


ほんのちょっとの瞬間だけど、

真剣にそう思い、

少しのあいだ、空想していた。


母に何かが憑依して、

そんな言葉を、語らせたのだと。


母の目は、丸く大きく、

小さい頃の写真を見ると、

顔が小さかった分だけ、

今よりさらにお目目が大きく見える。


「母さん昔、みんなに、

 びっくり恵美子って呼ばれとった」


うちのシャーマン恵美子は、

驚いてもいないのに、

「びっくり恵美子」と呼ばれていた。


その古風なネーミングセンスに、


「びっくり恵美子て」


と、一人でつっこみ、

何度も笑いがこみあげる。


「冬瓜(とうがん)を見ると、

 おばあさんのことを想い出す。

 夏に、よく冷えた冬瓜の煮物を

 作って食べさせてくれた」


びっくり恵美子が、

何度か聞いた昔話を、

リピート放送でまた聞かせてくれる。


「冬瓜って、夏が旬なのに、

 なんで「『冬』って書くんだろう」


「なんでだろうね」


ぼくの問いを受け、

びっくり恵美子が、

冷蔵庫から冬瓜を取り出す。


「本当、冬の瓜だね。

 四分の一で、98円。

 愛知県産って書いてある。

 夏はスイカとかの、

 瓜しか育たんのかな、やっぱり」


謎の「やっぱり」を披露する

びっくり恵美子が、

質問とはまるで関係のない、

思考の迷路にはまり込む。


「スイカって、

 西の瓜って書くよね。

 それでよくスイカって

 読ませたもんだよね」


と言うぼくに、

やっぱり恵美子が、

びっくり恵美子に戻って、

唐突に切り返す。


「昔、キナウリっていうのを、

 よく食べた」


「キナウリ?」


「そう。

 黄色い瓜って書く、果物」


「果物?」


「これくらいの大きさで、

 ちょっと長細くて、

 メロンよりは安くて質が落ちる、

 甘い果物」


キナウリが聞いたら

さぞかし気を悪くするであろう言い回しで、

びっくり恵美子の手が、

20センチほどの楕円をつくる。


「キナウリか・・・。

 聞いたことないなぁ。

 今もあるの、それ?」


「知らんけど、あると思うよ」


びっくり恵美子の情報をもとに

調べてみると、

キナウリなる物が、

別名「マクワウリ」という、

メロンの仲間だとわかった。


画像を見て、小さいころ、

母が切って出してくれたことを

思い出した。

季節の記憶はなかったが。

なるほど、たしかに、

思い出すのは夏休みのような、

お盆のような風景だ。


びっくり恵美子と瓜。


ちなみに

父方の祖母の旧姓は、

瓜が生えると書いて

「瓜生(うりゅう)」です。



お盆。


ご先祖さまの、気配がしますね。


そう。

そして今は、おそらく10月。


びっくり恵美子が、

びっくりしないで、

おだやかに過ごしてくれていることを

祈りながら。


過去に書いた、

未来の記述を、

締めくくろうかと思います。



人生は、

ほんのちょっとの違いで、

その進路を大きく変えるもの。


そのときには、

ほんのちょっとにしか見えない、

わずかな差が、

いつか大きな差異につながる。


だからこそ、

一つ一つをおそろかにせず、

大切にしていきたいものですね。



偶然の産物が、またここに。


奇跡の軌跡が、またここに。



じいちゃん、ばあちゃん、

おじさん、おばさん、

そして父さん、

レオ、ゴマ、ハナ。


奇跡の軌跡をつなぎながら、

ぼくは、今も生きています。


びっくり恵美子と呼ばれた母さんは、

とぼけてはいいても、

毎日元気に、

笑顔で過ごしております。



生きてるうちに、気づけてよかった。



びっくり恵美子を、

これ以上びっくりさせないように。


無軌道ではあっても、おだやかに、

健やかに正直に過ごしたいと思う。



< 今日の瓜知識 >


ちなみに「冬瓜」は、

冷暗所に保管すると、

夏に収穫したものでも、

冬までもつって言われてるから

「冬瓜」っていうんだって。


豆知識ならぬ、瓜知識でした。


2025/10/01

アンテナ青空シンガポール






 猛暑日の昼下がり。


ふと、

母の様子が気になり、

母の部屋を訪ねてみた。


母が言った。

テレビが観れなくなった、と。

さっきまで観ていたはずのテレビが、

いきなり観れなくなったらしい。


BSなどは受信している。

観れないのは地デジだった。


テレビをまるで観ないぼくには、

最近のテレビの操作知識も、

トラブル・シューティング・スキルも

まったくない。


いろいろ調べて

試してはみたものの。

事態は改善しなかった。


テレビを観てばかりの母には、

ちょうどいい「変化」かもしれないと。

ひそかに思いつつも、

屋根の上のアンテナの具合を見ようと、

庭に出てみた。


夏空の下。


暑い日差しの中で、

まぶしさに目を細める。


蟬しぐれ。

空が、青い。


わたあめみたいな入道雲が、

ゆったり悠然と、

形を変えながら流れている。


猛暑が続く毎日。

冷房の効いた「箱」の中から、

四角い窓に切り取られた空ばかり見ていた。


窓の外側の世界。

窓も壁も天井もない景色。

あるのは地面と空だけだ。


風の音が聞こえる。

草木を撫でる風の感触が

肌に心地いい。


木陰は暑くもなく涼やかで、

そのままここに机とイスを並べて、

サンドイッチかおにぎりでも

食べたいなと思うほど気持ちがよかった。


しばらく空を眺めたあと、

室内へ戻り、母の様子をうかがった。


母は、

何の問題もなかったかのように、

BS放送の番組を観ていた。


「よかった。テレビ、観れるわ」


母がそう言うのであれば、それでいい。


地デジの受信は、

しばらくこのままにしておいてみよう。

いじわるでも何でもなく。

母がいいと言うのなら、

それでいいと思った。



四角い窓に

切り取られた世界。



ぼくの四角い窓には、

空の写真が届いていた。


ベランダから見た、

青い、夏空の風景。


すごくきれいだった。


おなじ時間に、

おなじ空の下で、

おなじ空を見ていた偶然。


そんなことが、無性に嬉しくて。

偶然以上の何かを感じた。


きっかけは、

母の様子が気になって

見に行ったことに始まり、

テレビの受信の不具合から、

アンテナの具合を見るため

外に出たことだった。


こんな「偶然」を、

単なる「偶然」として片づけられないぼくは、

この出来事を書き記しておこうと思った。


何の目的もなく、

何のメッセージもないものだからこそ、

野に咲く花のようにうつくしい。

広い世界の路傍に、

そんな「物語」が、

一輪くらいあってもいいはずだ。


つながらない電波と、

つながった空。


空にはたくさんの電波が飛び交って、

見えない波長が錯綜している。


声、顔、音、光、

言葉、気持ち、心、感情、思い・・・。


空がぼくらをつないでくれる。


青い空は、何も言わない。


けれど、いつも語ってくれる。


四角く切り取られた窓が、

いかに小さく、

限られたものかということを。


四角い窓から覗いた世界の中でも。

心の窓は、小さく四角く切り取らないよう、

いつでも広く開け放っておきたい。


窓の外の、見えない部分。

そこにひそむ、大切なもの。


ぼくはときどき空を見る。


大きな空は、何も言わない。


何も言わないからこそ、雄弁に語る。


答えもなく、際限もなく、

無限に広がる空の前では、

いかに自分が小さいことか。


答えのない空の前では、

答えなど無用のことだ。


心のままに。


理由も理屈も関係ない。


Just bring yourself.


今を楽しむ心があれば、

それでいい。


今この瞬間の、

目の前に広がる青空を曇らせるような、

せまくよどんだ心は風に預ける。


空を歌う唄は、たくさんある。

その時、その瞬間、

お気に入りの空の唄を歌って、

空を眺める。


心のままに。


心の天使がそっとささやく。

聞こえないほど、ささやかな声で。


「こっちだよ」


聞くほどに声は

どんどんはっきり聞こえるようになる。


「こっちにおいでよ」


「いっしょにあそぼう」


電波も天使も妖精も、

決して目には見えないけれど。


心のアンテナの感度がよければ、

きっと感じられる。



「心を亡くす」と書いて

「忙しい」と読む。


なるべく心をなくさないよう。


心の窓は、

大きく開いておきたい。



* *



母に代わって、

ぼくが夕食を作った時。


出し巻き卵を食べながら、

母が言った。


「おぉいしいねぇ、これ。

 味つけがちょうどいいわ。

 たまごの味がちゃんとするもん。

 ほんと料理上手だね。

 あんたは天才だわ」


「ははは。ありがとう」


やや大げさな賛辞を浴びつつ、

ぼくが笑う。


「そういえば。

 シンガポールに行く朝、

 お父さんが作ってくれたわ。

 卵焼き。

 めずしいこともあるもんななって。

 ふだん文句ばっかり言って、

 自分では何にもやらん人かと

 思っとったけど。

 案外、やさしいとこもあるんだなって。

 あの時は嬉しかった」


「へえっ。

 そんなことあったんだ」


母の口から、

父を賞賛する言葉を聞いたことは、

ほとんどないと言っても

よかっただけに。


母のこの、

ちょっとした「喜び」は、

ぼくにとっても嬉しい感触だった。


依然として母は、

父の死を知らない。


父の死は、ずっと伏せたままだ。


長年、別居してきた父は、

死別してなお「別居」のまま、

母の中では生き続けている。


事実を知らないはずの母だが。


もしかして母は、何か、

感じているのかもしれない。


お空の上の父と、何かしら、

つながっているのかもしれない。


そんなふうに

思ってしまうくらい。


生前はまるで

なかったことなのに。

最近、不意に母が、

父の思い出話をすることがある。


かつてに比べて

やわらかな顔つきで、

憎まれ口ではなく、

やさしい口調で。

父とのことを、回想するのだ。


母のいない場所で、

ちょうどシンガポールの話を

していた翌日。

母が、

シンガポール行きの

朝の一幕を話してくれた。


ぼくの作った、

出し巻き卵がきっかけだとしても。


ふと思い立ち、

出し巻き卵を

作ろうと思ったことも不思議だし、

前日までに、

何度かシンガポールの話を

していたことも不思議に思えた。


単なる「偶然」の仕業かも

しれないけれど。


偶然だけでは割り切れない、

妙なつながりを感じたぼくは、

目には見えないけれどたしかにある、

大気中を漂う「不思議なもの」に、

そっと笑いかけた。


その夜、

一人、湯に浸かりながら、

父に言った。


「だってさ。

 よかったね、父さん」


信じるとか信じないとか。

存在するとかしないとか。

そんなことは、どうだっていい。


父はたしかに生きていたし、

母が笑顔で思い出したのだから。


「ありがとう」


死んでからでは遅いから。


生きているうちに、

言っておきたい。


顔いっぱいの笑顔で、

心の底から伝えていきたい。


「ありがとう」


父と母に足りなかったのは、

お互いへの感謝の気持ちだ。


ぼくは、

感謝の気持ちを忘れたくない。


なぜなら、

父のようになりたくはないし、

母のようにもなりたくないから。


ほこりにまみれた母の記憶が、

静かに流れる時間にすすがれて、

清らかで美しいかけらが

表出しはじめたのなら。

それは、とても嬉しいことだ。


生きているうちには

できなかったけれど。


出し巻き卵が、

父との思い出につながった。


うれしかった、と言った母の顔。


とてもきれいな顔だった。


80歳のおばあちゃんの顔が、

一瞬だけ、少女に戻ったような。

愛らしい表情が

ちらりと覗いた。



ふと、心に浮かんだもの。


心に身を任せ、表現すること。



こうして生まれる「偶然」は、

偶然ではなく、

漫然とたゆたう

必然への糸口なのかもしれない。


つかむか、つかまないか。

気づくか、気付かないか。

感じるか、感じないか。



『E202』



心のアンテナに、

エラーメッセージは表示されない。


現実に答えなど存在しないから。


何を選び、

何をつかみ、

何を感じるのか。


ただ、それだけの「違い」でしかない。



* * *



電波を拒むテレビを指して、

母に言った。


「母さん。

 テレビが悪いものだとは思わないけど。

 ただ、テレビばっかりじゃあ、

 生きてる時間がテレビになっちゃうよ。

 これはぼくのアイデアでしかないけど。

 テレビを観る代わりに、

 また昔みたいに、クッキー焼いたり、

 ジャムを作ったりしてみたら、

 生きた時間になるんじゃないかな。

 そうやって作ったものを、

 ぼくとか姉ちゃんとか、

 りんた(孫)とかにあげたら、

 みんな嬉しいって思うよ。

 疲れちゃうくらいに、

 無理することはないけど。

 そういう時間は、

 みんなの中にずっと残るし、

 嬉しい記憶になると思う。

 テレビを相手に、

 一人で過ごす時間を選ぶか。

 生きた時間を自分でつくるか。

 それは、自分次第だって思う。

 ぼくは母さんに、

 いつまでも元気でいてほしいから。

 生きた時間を、

 楽しく過ごしてくれたら

 いいなって思う」


この思いが、

母にどれだけ伝わったのかは

わからないが。


結果はさておき、

母の「アンテナ」を信じて、

言うだけは言ってみた。


「花を植えたり、

 イチゴとかトマトとか育てたり。

 そんなのも、母さん上手だよね」


「そうだね。

 また苗とか買って、植えてみようかね。

 テレビばっかり観とったらいかんね。

 ちょっとのつもりが、

 ついついずうっと観ちゃうから」


「ねえ母さん。

 この種、植えたら出てくるかな?」


「アボアボ、じゃない、

 アボガボだっけ?」


「アボカド、でしょ」


「そうそう、アボガボ。

 植えたことあるよ。

 植えると芽が出てくる」


「え、実はなるの?」


「実はならんけど、芽は出る」


「へえ。植えてみよっか。

 もしかして、実もなるかもしれないよ」



明日になれば、

母は忘れてしまうかもしれない。


ぼくと話したことも、

自分で言った、反省と決意も、

明日には

どこ吹く風かもしれない。


たとえ実はならなくても。


後ろを向くより、

こうして目の前の景色を見て、

ちょっとずつでも前に進んでいくほうが、

ぼくは好きだ。


一進一退。一喜一憂。


あきらめたりあきれたりせず、

まっすぐ向き合うこと。



ぼくは、

ちっぽけで、ささやかで、

石ころみたいだけどぴかぴかしてて、

手のひらにすっぽり収まるくらいのそれを、

落とさないようにしっかりと、

こわさないようにそっと、

いつまでも大切に握りしめたい。



アンテナ

青空

シンガポール


・・・ぼくの古びたアンテナは、

見えない何かを受信して、

こんなことを

語らせるのでありました。





< 今日の言葉 >


『我王よ、彫るがいい。

 お前の心の内にある、悲しみ、苦しみ、怒り。

 それは、この世が終りを告げるその日まで、

 生きとし生けるすべてのものが、

 ひとつ残らず死に絶えてしまうその時まで、

 はるかなる時を超え、

 お前の子孫によって未来永劫

 受け継がれていくのです。

 さあ、我王。

 お前の心のおもむくままに、

 無心に掘り続けるがいい。

 それが、今この時代に生きている

 お前の証なのです』


(『火の鳥 鳳凰編』

 二月堂にこもる我王への

 火の鳥からの言葉)

 

2025/09/15

わが身を映す鏡







 うまくいくこと、いかないこと。


期待も執着も

コントロールもしないけれど。

平和な心を波立たせる、

自分以外の存在がある。


近頃どうも、かみ合わない。


困ったちゃんの母に、

手紙を書いた。


よくないことばかりするのが、

悲しいと。

仲よくしたくても、

これじゃ仲よくできないと。


子どもみたいな言葉で、

母に伝えた。


耳では聞いているのに、

ちっとも話を聞こうとしない母の姿に、

悪意は感じられないが、困惑する。


御年80歳。


テレビばかりを観るという悪習から

離れられない母は、

どんどん会話が難しくなっていく。


一方通行。


まるでテレビだ。


一方的に話し、

人の話は聞こうとしない。


どうしたものか。


加齢のせいばかりには

したくない。


母と、うまくやりたい。


そう思い、手紙を書いてみた。


ぼくはときどき、母に手紙を書く。

感謝の気持ちやお礼の手紙が多い。


けれど。


たまに、

悲しい気持ちや、

伝わらない想いを手紙にしたため、

母に渡す。


すると、母から手紙が返ってくる。


返事には、

母のその時の気持ちが

書かれていて、

思いが通じたような

気持ちにあふれる。


でも、

それはほんのひととき、

刹那のこと。


喉元過ぎれば、

ではないけいれど。

母の中での「問題」が過ぎれば、

すぐにけろりと笑顔に戻って、

何事もなかったかのように、

また元の黙阿弥、

ふりだしに戻ってしまうのだ。


最近の母は、

すぐに語気を強めて、

言い返してくるようになった。


普段、温和な母なのだが。


思わずこちらも、言葉を強める。


しかし。


落ち着いて見てみると、

それは自分の感情の、不安や不満が

母の言葉や声を借りて、

そのまま

はね返ってきているのだと気づいた。


自分の努力では

どうしようもないことが

増えてきて。

いつしか笑顔が消えていた。

深刻になりすぎ、

肩に力が入って、

むきになってしまっていた。


ふと思った。


もしかすると、

子どものころは、

反対の景色だったのかもしれない。


「こんなに一種懸命やってるのに・・・。

 こんなにも愛情を注いでるのに・・・。

 どうして思いが伝わらないんだろう」


おそらく母が、

そう思った瞬間はあるはずだ。

一度や二度ではない。


「うるさいなぁ、もう」


などと返す、青き日のぼくに、

唇を噛みしめた場面は

数え切れないほどあったに違いない。


逆転した立場で、想像してみる。


思いの届かないもどかしさ、

悔しさ、虚しさ、悲しみを味わい、

それでもなお、

まっすぐな愛情を注ぎ続けてくれたことを。


悪態をつこうとも、

予告なく帰宅が遅くなろうとも、

外で食事を済ませてこようとも。


毎日、

あたたかな食事を用意してくれて、

清潔に衣服を洗ってくれて。


母親の立ち位置と、

息子から見た景色は、

もちろん同じようにはいかない。


けれども。


想像することはできる。


最近、母への不信感が募っていた。


生活に関わる大切な約束を守らなかったり、

小さな嘘をついたり、ごまかしたり。


「わかったわかった」


と、そのときには返事するのだが。

すぐまた同じことをくり返す母に、

辟易としていたぼくは、

母に、冷ややかな顔で、

冷たい声を放っていたことに気づいた。


母の姿は、鏡だった。


今の自分の心を映す、

曇りなきまっすぐな鏡だった。


ぼくは、原点にかえって、

笑うことにした。



◆ ◆






「おはよう」


朝、笑顔で母にあいさつする。


「暑いね、今日も」


などと、話をする。


気になることも、おかしなことも、

全部そっちのけで。


笑顔で母と向かい合う。


問題は解決しない。


けれど、

心のもやもやだけは

自分で解消できる。


すべては心次第。


母に悪意は微塵もない。

あるのは、ただの欲と、

母なりの愛とやさしさだけだ。


怠惰 習慣 億劫

不安 心配 まあいいか。


そう。


母の問題は、母のことだ。

見守りはしても、

ぼくが解決する必要はない。


曲がりなりにも母は、

今日まで80年間、

死ぬこともなく生きてきた。


命に関わる危ないことも、

本当にどうしようもない過ちも、

していない。


だったらいいじゃないか。


そう。


「まあ、いいか」


母を、信じること。


心の余裕がなくなり、

まだ起こる前から心配ばかりして、

事前に予防策を張り巡らすことに

躍起になっていた。


『アンの青春』で言うところの、

ミス・エリザ・アンドリュウスのように。

何もかもを悲観的に見て、

何事にも心配性で、

まだ起ってもいないこと、

または、

起こりもしない出来事に

おろおろ不安を抱いている。


仏教用語では、

それを「妄想」と呼ぶ。


古今東西、老若男女、

時代を問わず。

悲観的な「妄想」は、

いつでもどこでも押し寄せる。


妄想は、

今の景色を澱ませる。

今現在の楽しい気持ちを、

曇らせ、濁らせ、

どんよりどっぷり沈ませる。


今考えたって仕方がないこと、

考えたって解決しないことで、

せっかくの今を台無しにするより。


今は今で、めいっぱい楽しみたい。



これまで、

努力で何とかなることが多かった。

自分の頑張りや工夫で、

何とかなることが多かった。


試行錯誤の末の解決。


そう。

自分の力で

「解決」できるものが多かった。


人のことは、どうすることもできない。

家族だろうが身内だろうが。

「他人」のことは、

コントロールできない。


促したり、

提案したりはできても、

変えることも、

強制的に従わせることもできない。

たとえできたとしても、

そんなことはしたくない。


線を引くこと。


境界線


無関係なわけでもなく、

無視するのとも違って。


ただ、受け止めて見守ること。

そばにいること。


そして、肯定。


「いいよ」


「いいと思うよ」


「いいんんじゃない」


本人がそう思うなら。

心の底からそれを

いいと思っているなら。


それが、いちばんいい。


自分の心に嘘をつかず、

心のままに、

第一希望を選ぶこと。


答えも解決策も

あげられないけれど。


世間がなんと言おうとも、

そばにいる自分が

「いいよ」

と言ってあげられることが、

何よりいちばんの支えになると思った。


本人に取って変わることはできない。


だから、黙って見守る。


答えはいらない。


無関心な目で、

冷ややかに突き放すのではなく。

あたたかな眼差しで、

黙って見守る。


そんなふうになれたらなと。


おせっかいなぼくは、

「沈黙」という術を

身につけたいと思った。


「沈黙こそ最大の言葉である」


なんていう言葉を、

最近聞いた。


依存と慈悲は違う。


依存は、

相手を自分の都合のいいように

変えることであり、

慈悲は、

相手の自立を促すことだと。

これまた最近、耳にした。


過干渉は、

依存のはじまり。

おせっかいは、

相手を変えることにつながる。


「As you like」


本人の好きにするのが

いいちばんいい。


何を言っても「聞かない」母に、

そんなことを教わった。



◆ ◆ ◆



先日、

甥っ子の家に遊びに行った。


ミニカーで遊んでいた、

22歳下の甥っ子が、

車を買って乗り回し、

レゴで遊んでいた小さな手で、

買ったばかりの大きな家の

玄関を開ける。


感慨深さ、というより。


もはや、

セワシくん宅に招待された、

のび太のような心境だった。


甥っ子宅でくつろいだあと、

雨が上がったので、

近所の散策がてら、

コンビニまで歩いた。


甥っ子はコーヒーを買い、

ぼくはクッキークリームサンダーを買った。

甥っ子と、奥さんの分も一緒に買った。


そう。


22こ下の甥っ子は、

新婚さんなのだ。


学生のころから

付き合いのある女性と、

晴れて昨年結婚した。


付き合い始めた当初、

わざわざ二人でぼくの家まで来て、

彼女を紹介してくれたこと。


結婚することを

二人で報告しに来てくれたこと。


そんなことを、

考えるでもなく思い返しながら。


「ソフトクリーム食べない?」


と、誘う。


いつもならカップにするのだが。

甥っ子がコーンがいいと言うので、

ぼくもコーンにしてみた。


久しぶりに食べた

コーンのソフトクリームは、

スプーンまでもが「コーン」だった。


容器である「コーン」に比べて、

やや香ばしく軽く、

サクサクとした歯ごたえが

心地よかった。


「おいしいね」


二人、肩を並べて歩きながら、

真っ白なソフトクリームを味わう。


「にいちゃん。

 最初に全部

 スプーン食べちゃったら、

 だめじゃない?」


「にいちゃん」とは、

言わずもがな、

叔父であるぼくのことである。


「はぁっ! しまった!

 サクサクしておいしいから、

 思わずいきおいで

 食べちゃった!」


「どうすんの?」


笑う甥っ子。


「大丈夫。

 もともとソフトクリームは、

 スプーンなしで食べるものだからね」


などと胸を張るぼくに、

甥っ子は、白い歯をこぼして、

楽しげに笑っていた。


「ほら、食べれるでしょ?

 ほら、ね」


二人、あははと声に出して、

楽しく笑った。


すごく楽しい一幕だった。



もしここで甥っ子に、

真面目くさった顔で、


「にいちゃん、

 それはまったく無知蒙昧な、

 無計画で無邪気すぎる行ないで、

 無軌道で無鉄砲にもほどがあるよ。

 大人としての振る舞いとは、

 到底思えない。

 僕より22歳年上なんだよね?

 大丈夫? しっかりしてよね」


などと、

半ば呆れたように、

講釈を述べられたりしたら。


おそらく、

非常に悲しいことだろう。


悲しく、寂しく、切なくて。

無邪気に楽しく振る舞う自分を

心から呪い、

穴があったら頭まですっぽり

埋め尽くしたい気持ちに

駆られることだろう。


配役を、

母とぼく(息子)に変えてみる。


「母さん。

 しっかりしてよね。

 なんで最初に全部使っちゃうの?

 今まで何年やってきたの?

 大丈夫? しっかりしてよね」


並べた言葉が、

いくら正しいものだとしても、

悲しくて、寂しくて、

切ない気持ちでいっぱいで。

どこかへ消えたい心地になるだろう。


かわいい甥っ子に

そんなことを言われたら、

泣いちゃいそうだ。


かわいいかどうかは別として。

手塩にかけて育てた息子に、

そんなふうに言われたら。


悲しくって、仕方がないはずだ。



正論でも、慰めでもなく。

どうせなら、笑ってほしい。


悲しい顔や、呆れた顔で、

冷ややかに見つめないで。


できることなら、

笑っていてほしい。


何もしてくれなくていい。

何も言わなくていいから。


ただ一緒に笑っていてほしい。



ぼくは、立派な叔父ではない。


ちょっと馬鹿でまぬけで、

気まままに生きてる、

だめな「大人」だ。


母に偉そうなことを

言えた立場ではない。

人にあれこれ

言えた柄でもない。



母の姿は、自分の鏡だ。


今の自分を映す、曇りなき鏡だ。



わが「鏡像」を見て、

はたと気づいた。


今の自分は、よろしくないと。


景色がそう見えるのは、

自分の心がそう見せたがってるから。


目の前の現実がそう見えるのは、

現実がそうなのではなく、

自分の心が

そのように見たがっているからだ。


事実と現実は、

同じようでいて同じではない。


事実は変えられないけれど、

現実は、どう見ようと自分次第だ。


「妄想」ではなく、

自分が見たい「現実」を見ればいい。


そう思ったぼくは、

笑うことにした。


ごまかすのではなく、

見ないようにするのでもなく。

すべてを受け止め、わかったうえで、

心から笑う。


冷ややかな目をした、

口元だけの笑いではなく。

腹の底から、思いっきり笑う。


まだまだうまくできない場面もあるが。

少しづつ、できるようになってきた。


何も解決はしていないのだけれど。

不思議なもので、

なんだか世界が明るく染まり、

心に羽根が生えたみたいに軽くなった。



そして、ある晩。


冷蔵庫に、

一枚のメモが

貼り付けられていた。




『今日も一日おつかれさまでした。

 利君の幸せな顔を見ているだけで

 母さんもとても幸せですよ

 オヤスミ』



冷蔵庫の前で、

ハワイ土産のマグネットを握りしめたまま、

ぼくは泣いた。


うれしくて、ほっとして、

ありがたくて。

そのほか、

名前もつけられない感情が

ごちゃまぜになって。


見慣れた母の筆跡を目に映しながら、

声を漏らして一人泣いた。


「ありがとう」


誰に言うでもなく、

ぽつりとこぼした。



9月14日。


昨日は、亡き父の誕生日。


一昨日は、

父が死んで1年の日だ。


1年。

あっという間のような、

そうでもないような。


この1年間、いろいろあった。


悲しみばかりではなく。

手放したくないほど、

尊い時間の連続だった。


うまくいかないことばかりに見えても。

それ以上にうれしいことがある。


「母さん。

 もし生まれ変われるとしたら、

 どんなふうに生まれ変わりたい?」


「うぅん・・・

 別にいいかな、このままで。

 今日まで生きてきて、

 なんやかんやいろいろあったけど、

 楽しかったなぁって。

 昨日、寝る前にふと思った」



曇った鏡に

それは映らない。

歪んだ鏡では感じられない。


今の自分を映す鏡。


そこに、

どんな自分が映っているのか。


醜く歪んだ姿ではなく、

できれば笑った顔を見ていたい。


いい加減とか適当なのは

好きじゃないけど。

あんまり真面目すぎても、

笑えない。


楽しむために

生まれてきたのだから。


なるべくなら、

肩の力を抜いて、

ゆったり構えて笑っていたい。


鏡に映った顔が

どんより曇って歪まぬように。


「あの人、大人なのに。

 全然ちゃんとしてないね」


なあんて言って、

たとえ人から笑われようとも。


半ズボンを履いていたころの気持ちで、

ほがらかに笑っていたい。




< 今日の言葉 >


『うそには、二とおりある。

 足がみじかくなるうそと、

 はながながくなるうそとね』


(『ピノッキオの冒険』カルロ・コルローディ)




2025/09/01

第三の答え





芍薬の花束をもらった。


蕾のまま開かない花も、

立ち枯れて散り落ちた花もあった。


きれいに咲く花も、

うまく咲かない花も。

咲くことだけを考えて、

散りはてる最後の瞬間まで、

まっすぐ生きている。


なんてけなげで

潔いんだろう。


ひたむきに咲く

芍薬の花たちに、ぼくは、

そんなことを思った。


*  *


考えにつまった時。


人に相談して、

もらった言葉がそのまま

答えになるとも限らない。


第一の答えが

自分の、

これまでの「答え」だとして。

第二の答えが

人から聞いた

「答え」だとしよう。


人と話して、

新たに浮かんだ

第三の「答え」。


相談することで、

新たな選択肢が

浮かんでくる場合があるものだと、

最近、実感した。



* * *



母の調子が、

おかしくなった。


体ではない。

身体的には、いたって健康だが。

心がなんとなく下を向き、

元気がないのだ。


母は、何か悩みごとや

心配ごとがあると、

言葉にこそ出さないが、

気持ちがうつむきになり、

日常生活に変化が出る。


覇気を失い、

テレビの前に座る時間が、

長くなる。


朝が昼になり、

午前が午後になって、

夕方が近づく。


あっというまに時間がなくなり、

不意にあわてはじめる。


話もかみ合わなくなり、

テレビで観た、

暗いニュースばかりを口にする。


何が気になるんだろう。

何か、あったのか。


そんな母を眺めて、

1週間ほど経ち。


行動もややいい加減になり、

開けっぱなし、やりっぱなし、

言っておいたことや

約束を忘れる場面が増えている。


齢80歳の母ではあるが。

どちらかといえば、

もともととぼけた気質の人で、

言っことや、約束などを、

すぐに忘れる。


さらに、頑固というのか、

融通が利かない気質でもある。


記録媒体に喩えると、

CD-Rといったおもむきで、

USBなどのように

「上書き保存」や

「更新」などが不得手な人だ。


せっかく習慣化した「よき行動」も、

何かの拍子に「元に戻る」。


デフォルト状態への初期化。


もっと言えば、

あまりよろしくない、

まちがった習慣へと戻ってしまうのだ。


日がな一日、

テレビを観続けて、

何もやらなくなったり。


お風呂に入って、

そのまま窓を閉め切ったままにして、

カビさんたちの大好きな環境を

提供し続けたり。


計算もせずに、

思いっきり買い物をしてしまったり。


どうでもいいような、

細かいことばかりだが。

積もり積もると、

なかなか厄介な問題になる。


お金の使い方も然り。


「いい?

 ここにカステラがあるとして。

 母さんはこれを、

 ひと月で食べるはずなんだけど」


などと、子どもじみた

説明をしてみたり。


こうするといいよ、と、言っても、

届かない場合が多くある。


おだやかな口調で伝える言葉が、

苦言に聞こえているわけでも

なさそうだが。

ときどき面倒くさそうに、

表情を曇らせる。


何度も同じことをくり返す母に、

どうしていいのか、

どうしたらいいのか、

戸惑い、悩んでしまうことがある。


おそらく母自身も、

同じく戸惑い、

困惑しているのだろう。


堂々巡り。

悪循環の、悪環境。


まあいいか、で済むこと、

済まされないこと。


いろいろある。


あまり目くじらを立てて、

なんでも禁止や取り上げで

母を「取締り」たくはない。


そうは思うのだけれど。


どうにかしたいのに、

どうにもいかないこともある。


話が通じない。

言葉が届かない。


そんな折、

母のことを、姉に相談した。


現実家の姉は、

まこと明快な答えを

いつもくれる。


開けっ放しにする扉には、

自動で閉まる器具をつければいい、とか。


今の母さんには、

テレビを観るくらいしか

隙間の時間を埋めることが

できないのだから仕方ない、とか。


お金の管理は、

もう任せないほうがいい、とか。


誤解のないように言っておきたいが。


姉は、冷たい人ではない。

とてもやさしく、温情のある、

面倒見のいい姉ちゃんだ。


ただ、頭がよくて、

本質的な人なのだ。


いつでもぼくのことを思って、

言ってくれていることばかりだ。


だからこそ、

夢想家のぼくには、

姉の言葉、考え方が

とてもためになるし、

いつも気づかされて助けられている。


今回、相談——というか、

おしゃべりをしに行って、

竹を割ったような姉の回答に、

なるほど、と思いつつも。


どこか腑に落ちない、

すっきりしない感情が

くすぶっていた。


あきらめきれない、

割り切れない気持ちが

ひっそりとあった。


以前のぼくなら、

「答え」を急いでいただろう。


事を「解決」しようと、

躍起になったことだろう。


もうできないことだと

あきらめる選択。



果たしてそれで、

いいのだろうか?


ぼくの「もやもや」は、

母に、ではなく、

自分に向けられたものだった。



行動に出る前に、

母の姿を観察しながら、

1週間ほどじっくり考えた。


母の行動ではなく、

自分が今、何を思い、

どういうときに何を感じるのか。

ノートに書いて整理してみた。


ほかの、些細なことも。

「もう仕方がないこと」だと、

あきらめ、切り捨ててしまって

よいものだろうか。


何事も、

すぐには変わらないのだから。

ゆっくり向き合う必要がある。


将来、大事な場面で、

同じようなことが起こった時。

大切な人を見捨てたり、

あきらめたりしないためにも、

今、ここで「練習」しておく必要が

あるのではないか。


姉は言う。


「自分のしあわせが、まずいちばん大事。

 自分のしあわせをいちばんに考えなよ」


自分がしあわせになる、

そのためにも。


自分のために、

自分自身が変わるべきだと。

そう思った。



解決ではなく、向き合いたい。



そう思ったっぼくは、

ほかの人にも、話してみた。

家族のことを話せる、

家族のような人に。


「答え」を出さないその人は、

「答え」を求めないぼくの気持ちに

そっと寄り添ってくれた。



かつてのぼくは、極端だった。

0か100か。

白か黒か。

やるかやらないか、

その二択しかないと決め込む気質だった。


最近にしてようやく、

「グレーゾーン」を設けることが

少しばかり「わかる」ようになった。


一刀両断に、答えを出したり、

解決するんじゃなくて。


ただ、向き合うこと。


もう二度と起こらないような

方法を見つけ、

事態を完全防御するのではなく。

また今度起こった時にも、

笑顔で受け止められる自分でありたい。


成長。 器。 度量。


外側に、ではなく、

内側に変化を求めること。


それが、

ぼくにとっての「しあわせ」の形だ。


ぼくは、笑顔がいい。

自分だけじゃなく、

目の前の人も、笑顔なのがいい。


準備や方策よりも、

「いいよ」と言える自分でありたい。


二人に話して、思った。


二人に話したからこそ、思った。



答えは、二択ではないと。



第三の「答え」。


答えを出さないという「答え」が、

あるということを。


そんな考えが、

流星みたいにひらめいた。



* * * *



姉が、母を誘って、

映画を観に行った。


めずらしいことだった。


映画の内容が、

母の趣味につながる

ものだったこともあるが。

母を思い、

気晴らしに行ったのかもしれない。


帰ってきた母に、

映画の感想などをを聞いてみた。


「すごくよかった」


母は楽しそうに笑っていた。


「映画なんて、

 タイタニック以来だわ」


おそらく、

ちょっと大げさに

色づけされたであろう、

母の述懐を耳に受け。

ぼくも笑っていた。


(事実、母は

『アナと雪の女王』を

 姉の家族と観に行っていた。

 母の中ではずっと、

「アンと白雪姫」なのだけれど)


「映画、

 3時間もあったんでしょう?」


「3時間?

 どうりで長いと思った」


母が驚きをそのまま顔に浮かべる。


夕食の支度をする母が、

コンロの上のフライパンを滑らせ、

派手な音を立てて床に転がした。

晩ごはんのおかずが、

床の、マットの上に散らばった。


「ごめぇん・・・どうしよう。

 せっかく美味しいの作ったのに。

 このフライパン、

 底がつるつるだで、滑るんだわ。

 どうしよう・・・

 マット、今朝洗ったばっかりだから。

 いいとこだけすくって

 食べればいい?」


「うん、いいよ、それで。

 こぼれただけで、

 やけどしなくてよかったね」


鶏肉とじゃがいもの炒め物には、

母の白い髪の毛が1本

入っていた。

潔癖性でも神経質でもないぼくは、

皿に盛られた料理を食べた。


そして、母と話した。


今、何を悩んでいるのか。

何を心配しているのかと。


母は言った。


自分が失敗ばかりしていて、

みんなに嫌われて、

一人ぼっちになって

しまうんじゃないかと。


母は「何もできない自分」を、

憂えていた。


ぼくは話した。


そんなふうに考えて、

うつむいてたら、

本当に一人ぼっちに

なってしまうよと。


「大丈夫だよ。

 ぼくもみんなも、

 母さんのこと大好きだから。

 元気に楽しくやっていこうよ。

 たった一人の家族だもん。

 仲よくやっていこ」


母は、嬉しそうに笑った。


問題は、

何も解決していないけれど。

心はそちらに向いている。


それで、よかった。


ぼくは母を信じている。


歳の割にしっかりしていて、

健康で、毎日元気に、

家事や料理をこなしている。


「しんどくない?

 しんどかったら

 やらなくていいからね」


「大丈夫、

 しんどくはない。

 手が痛かったり、

 肩とか、足が痛いけど。

 料理したりするの、楽しいから。

 それは、やっていきたい」



ぼくの「答え」ではない。

母の「答え」がそうならば。

それが「家族の答え」だ。




今日までぼくは、

母にたくさん世話になってきた。


恩義だけではない。


母は、

たった一人の母親なのだ。


「下手でもいいから、

 楽しんで作ってね。

 ぼくは母さんの作った料理を、

 1日でも多く食べたいから。

 毎日、元気に楽しんでね」


言葉は、無力だ。


けれど、

言葉にして伝える意味が、

皆無だとは思えない。


夢想家のぼくは、信じていたい。


現実的な「答え」のほかにも、

「答え」があるということを。


言葉や気持ちが

物事を解決してくれなくても。

安心だとか、嬉しい気持ちには、

なれるということを。


ぼくは、死ぬまで信じていたい。


面倒で、大変で、

戸惑ってばかりだけど。


そんな面倒な時間を

いとおしく思い、

まっすぐ向き合っていきたい。


答えは、いらない。


ただ向き合って、受け止めたい。


ぼくは、第三の答えで、

母と向き合う。


母の手を取り、握手した。


「長生きしてね、母さん」


「あんたの手、冷たいねぇ」


「母さんの手が、あったかいんだよ」


母の顔が、

子どもみたいに笑った。



次の日。


母に、シュークリームを買ってきた。

丘の上にあるケーキ屋さんの、

おいしいシュークリームだ。


「いつも頑張ってくれてありがとね。

 お礼にシュークリーム買ってきたよ」


「まぁああ! 嬉しいわぁ。

 涙が出ちゃう。

 やさしいねぇ、あんたは」


「やさしいよ、ぼくは。

 紅茶いれるから、一緒に食べよ」


「昨日、映画観たあと、

 シュークリーム屋さんの前で、

 いいなぁってじっと

 眺めとったんだわ。

 今日もなんか買おうと思ったけど。

 買わんでよかったわ」


「そうなんだ。以心伝心だね」


母と二人、紅茶を飲みながら、

シュークリームを頬張った。


母が、昨日観た映画の話をした。


「吉沢亮さん、

 お母さん好きなんだわ」


「すごいね、母さん。

 最近の人の名前とか、

 ちゃんと覚えられるんだ」


「そりゃそうだがね。

 あの人、何に出とったかな。

 あの人と知り合ったのはねぇ・・・」


と、

まるで本当の知り合いみたいに、

母が言う。


元気になった母の姿に、

ぼくの心も元気になる。


大切な人の笑顔ほど、

嬉しいものはない。


たった1、2回のために、

1万円弱のテープレコーダーを

買ってきた母に、

ぼくはもう、何も言わなかった。


また再来月の末に、

お金がない、と言って

落ち込むのかもしれないけれど。

そうなると限ったわけでも

ないのだから。


「今日、80歳に見えない、

 若く見えるねって、言われた。

 このシュークリーム、おおいしいねぇ。

 クリームがたっぷり入っとる。

 大きいねえ、これ。

 お母さんの顔くらい

 あるんじゃないの?」


嬉しそうに笑う、母の顔。


いい歳をした二人が向かい合い、

ぽろぽろナッツをこぼしながら、

シュークリームを味わった午後。


初めての風景のはずなのに、

なんだかなつかしい匂いがした。


いくつになっても、母は母だ。


自分の母を愛せない人間が、

ほかの誰かを愛せるはずがない。


ぼくは、大切な人を、

母以上に愛したい。


だからこそ、母に学ぶ。


信じること。

受け入れること。

受け止めること。

最後までじっと見守ること。


人からどう言われようが、関係ない。

自分がそうしたいのだから。


ぼくは、ぼくの答えを選ぶ。


耳を貸さないわけではない。


いろいろな話を聞いて、

最後は自分の心で決める。

頭ではなく、心で決める。


自分がなりたい、自分であるために。

かっこいい自分であるために。


ぼくは、ぼくの答えを選ぶ。



こんな気持ちの悪い、

きれいごとみたいな話を

書いておくのも。


ほかの誰でもなく、

未来の自分のためだ。


見失い、力つき、

迷子になった自分の道しるべ。


「産んでくれて、ありがとう」


たとえ大切な思い出を

忘れたとしても。


この感謝の気持ちは、

忘れたくない。




きれいに咲く花も、

うまく咲かない花も。

散りはてる最後の瞬間まで、

咲くことだけを考えて、

まっすぐ生きている。


それぞれが、

それぞれの咲き方で、

まっすぐに咲き誇っている。


どう見られるか、ではなく、

どう在るべきか。


懸命に生きる姿に、ぼくは、

そんなことを思った。





<  今日の言葉 >


『そうさな、

 わしには十二人の

 男の子よりも

 おまえひとりのほうがいいよ』


(男の子のほうが役に立ったでしょう、と尋ねるうアンに、マシュウが返した言葉。/『赤毛のアン』(Anne Of Green Gables)モンゴメリ:作・村岡花子:訳)


2025/08/15

パズルな人生


『じっとしたセミ』(2014年)


 


南半球に住む友人と

やりとりしていて。


友人が、

ジグソーパズルを組んではくずして、

また組み上げていくことに

はまってる、と聞いて、

ふと思った。


人生は、パズル。


組んではくずして、

また組み上げる。

そのくり返し、その連続。


そんなことを、ふと思った。


* *


完成した「絵」を

そのまま完成として飾るもよし。

完成を迎えるのではなく、

くずして、また

組んでいく過程を楽しむもよし。


完成形はあっても、

完成はない。


終わりのない完成。


パズルは、人生。

人生は、パズル。


パズルをする人、しない人。


初めから完成している「絵」を眺める人。

誰かの描いた「絵」を眺める人。


ゆっくりと過程を楽しむ人。

完成を急いで突き進む人。


うっかりピースをなくす人。

思わずパズルをくずしちゃう人。

パズル自体を作っちゃう人。


パズルと人生。


いろいろな形があって、

おもしろい。


* * *


見たい人は、見ようとする。


やって「みたい」。

して「みたい」。

見て「みたい」。

「みたい」という気持ち。


味わいたい人は、

よく噛んで食べる。

ゆっくりと噛みしめ、

じっくり楽しむ。


ジグソーパズルに、

説明書は付いていない。


ただ、完成形の絵が描かれている。


一つ一つのピースは、

どれもがおなじように見えるけれど。

手に取ってじっと見てみると、

全部ちがって、

まちがったところには

ぴったりはまらない。


目。感触。感覚。

観察。経験。積み重ね。


理屈じゃない。

説明書は、必要ない。


自分が思った「絵」を目指して、

自分が思い描いた「絵」を目指して、

ひたすら組んでいけばいい。


小さなことの、くり返し。

地道なものの、積み重ね。

一つ一つのピースがつながって、

気づけば大きな一枚絵になる。


始める前のわくわく感。

絵がつながったときの感動。

完成が見えてきたときの興奮。

長い時間をかけて組み上げ、

完成したときの喜び、達成感。


パズル。

人生。


数で満足する人もいる。

ピースや完成枚数、難易度。

そこに描かれた絵に

価値を見出す人もいる。

満足の基準は、

人それぞれの尺度がある。


完成図はあっても、正解はない。


ここらへんは生垣の部分だな、と。

ざっくり「色分け」して組んでいく人。

四隅から固めて、

どんどんつなげていく人。

わかりやすいところからつないで、

転々と進めていく人。

この横にくるのは・・・と、

ピースの山から探し出す人。


完成したパズルを、

額に入れて飾る人。


角がぼろぼろになるまで、

何度もくり返し遊び続ける人。


途中でやめちゃう人。


やりかけのパズルばかりが

たくさんたまっていく人。


買っただけで、やらない人。


買ったままの状態で、

開けられない箱が、

どんどん積み重ねられていく人。


それも、パズル。

それでも、パズル。


組むことがパズルではない。


パズルは常にパズルであり、

最初から最後まで

ずっとパズルのままだ。


組むも、組まないも、

パズルを手にした人の自由。

完成させようがさせまいが、

その人の自由だ。


どんな「絵」を見たいか、だけではなく。

どんなふうにしてその「絵」を見たいのか。


パズル。

人生。


人生は、パズル。

パズルは、人生。


目に見えるものが

すべてではない。


目に見えないものが

見えるようになってこそ、

その絵のすばらしさがわかってくる。


音楽を聴きながら。

お菓子を食べながら。

誰かと一緒におしゃべりしながら。

大きな背中にもたれながら。

小さな頭を背中に感じながら。

雨の日に。天気のいい日に。

暑かった夏に。寒かった冬に。

窓辺からの日差しを感じながら。

途中で洗濯物を取り込みながら。

愛犬にじゃまをされながら。


そんなふうにして組んだパズルは、

そこに描かれている絵以上に

ゆたかな景色を見せてくれる。


完成だけが、完成ではない。


パズルを楽しめる余裕こそが、

人生の醍醐味なんだと。


南半球からのメールで、

ふと気づかされた。



かくいうぼくの

パズルの現状は。


くしゃみをした拍子にひじが当たって倒れかけたからっぽのグラスを支えようと手を伸ばしたものの目測を誤って机の天板の底面を思いっきり撥(は)ね上げてしまいこれまで長い時間をかけて組み上げてきた何万ピースもの絵が見る影もなくばらばらにくずれてしまったのだけれど花火のように散らばったパズルの残像がゆるやかに目の奥に焼きついてそれがものすごくきれいだなと回想しつつ床のあちこちに点在したピースをお花畑みたいにぼんやり眺めながらひとり肩をゆらして声なく失笑しているような状態です。


嗚呼。

人生は、パズル。

パズルは、人生。


最後まで笑って、

楽しんでいきたいものですね。



< 今日の言葉 >


『大丈夫って言ってる人、

 たいてい大丈夫じゃ

 ないんですよ』

 

(映画『ヤクザと家族』より)



2025/08/01

白紙の心




 *


「あの子、なんだった?

 チンパンジーじゃなくて。

 笹食べる子。

 ああそうだ、コアラだ。

 あの子、かわいそうに、

 帰らないかんのだってね。

 ちいぃさいネズミみたいな

 赤ちゃんから育てて、

 せっかく大きくなったのに。

 寂しいね、返さないかんなんて」


後半でようやく、

母がパンダのことを

言ってるのだと解った。



そんな母が、ある日、

真面目な顔で、ぼくに言った。


「今日、お医者さんに

 行ってきたんだけど。

 母さん、心不全だって。

 いつ死ぬかわからん。

 あとはたのむね」


初めて聞く話ではないが。

やはり、聞いていて

楽しい話題ではない。


「ぼくだって

 明日死ぬかもしれないし。

 みんなおなじだよ。

 だから、先のことを心配するより、

 今日のことだけ考えて、

 楽しく笑っててよ。

 長く生きてきたんだから。

 なんにも考えず、

 あとは母さんの好きなように、

 楽しく過ごしてよ」


「そうだね。

 つまらんこと言っとっちゃいかんね。

 毎日元気に、笑っていかないかんね」


単純な母は、

すぐぼくの言葉に「だまされて」、

満面の笑顔で笑っていた。


その日の夕食どき、母が、

またおなじことをくり返し口にした。


けれどもその内容は、少し違っていた。


「母さん、ジンウエンとかいう、

 よくわからんやつなんだけど。

 まぁ、どうでもいいわね、そんなの。

 自分でなんともないし、

 これまでと変わらず、元気だから。

 別にどうでもいいよね」


ぼくの言葉が効いたのか。

思考のメカニズムも、

変換システムもわからないが、

母は、先ほどとは打って変わって、

何の心配もない顔つきで、

にこにこと話した。


母と話していると、おもしろい。


ときどき噂話や、

愚痴っぽい話題にもなるが。

そういう話題に興味を示さない

ぼくの顔色を見るや、

母はすうっと話を変える。


「連休は暑なるらしいよ。

 昔の天皇誕生日が

 昭和の日になったんだよね。

 昭和の天皇さん、眼鏡かけた、あの人。

 あの人は、天皇、って感じだったねぇ。

 ・・・・・あの人、病気らしいね。

 もう一人の人は、女の人のあれで、

 前から出とらんけど。

 もう一人の人も病気になったもんで、

 今、出とらんのだわ。

 テレビはそのまま

 やっとるのかもしれんけど。

 二人ともおらんようになったもんで、

 なんか寂しいね。

 ようしゃべる人だったもんねぇ。

 別れてはおらんのだろうね。

 まだ大阪とかで、

 舞台とかにはやっとるんかなぁ。

 昔観に行ったもんね。

 便利なとこに住んどったね、おばあさん。

 梅田の百貨店が市場みたいな感じだもんね」


時には正すこともあるが。

あえて正すことはせず、

黙って聞くこともある。


母の話は、

でたらめなラジオみたいに、

淀みなく流れ続ける。


「本当にあの子はいい子だねぇ。

 顔見とるだけで嬉しくなるし、

 にこっと笑って、本当に可愛いわぁ。

 しっかりして、気も利くし。

 仕事もできるんでしょう?

 手先が器用で、センスもあるんだね。

 芯がしっかりしとる人なんだなって。

 母さんはそう見とる」


笑顔で話す母の声は、

音量が少し多きめだけれど、心地いい。


そう。


あと何年、何カ月、

何日、何時間、何回、

母の話が、聞けるのだろう。


父の話も、

もっと聞いておきたかった。


父が死んでからというもの、

前にも増して、

母の死を考えるようになった。


母に限ってのことではなく。


一回一回、

その日一日一日が宝物だということ。


それを、父と母に教わった。


じめじめした気持ちではない。

いつかなくなるからこそ、

思いっきり味わいたい。

そういう晴れやかな感覚。


終わって欲しくないものでも、

永続することはなく、

必ず終わりがある。


だからぼくは、出し惜しみをしない。

思ったことは、全部やる。

思わないことは、極力やらない。


痛みや苦しみから目をそらさず、

ごまかしたりせず

まっすぐ向き合って、

じっくり観察する。


一人で我慢はしない。


目の前の景色を台無しにするような、

馬鹿な真似はしない。


自分の弱さで現実を見失い、

芽も出ていない不安の種に水をやり、

不幸の花を咲かせるようなことはしない。


細かいことはどうでもいい。

目の前の人が、笑っているなら。

過去や未来のことなど、どうだっていい。

今現在の笑顔を曇らせてまで、

伝えるようなことは何もない。


信じること。

信じ続けること。



大切な人から、教わったこと。


老いた母に、日々教わる。


まるで「おばあちゃん」みたいに、

おだやかに、やさしくまるく、

まろやかなっていく母。


近ごろの母は、

よく笑い、よくしゃべる。


「最近、父さんどうしとるんだろうね?

 全然、顔見んようになったけど。

 元気にしとるんかな?」


事実を告げられないまま、

父の死を知らない母が、

ふと、ぼくに尋ねる。


父が死んでから、

7カ月ほど経っていた。


「どうだろうね。

 どっかで元気に

 してるんじゃない?

 母さん。

 父さんと会った

 最後の記憶って、いつ?」


「もう2年くらい前かなぁ。

 庭で木を見ながら、

 じっと立っとった。

 あれが最後だと思う」


母の思い違いである。


昨年会っているはずだから、

少なくとも、

1年少し前が最後のはずだった。


「母さん、父さんと一緒に、

 お見舞い来てくれたよね。

 ぼくが入院した時。

 あれ、嬉しかったなぁ」


「え、あんた入院したの?」


このやりとりも、初めてではない。

最初は、忘れられたみたいで、

何となく悲しく感じたものだが。


姉いわく、


「母さん、あんまりショックすぎて、

 あんたが入院したこと、

 なかったことにしたいんだと思う」


おなじようにして、

父との悲しい記憶、つらい記憶も、

「なかったこと」にしているのだろうか。


人間の、曖昧な、都合よくできた、

記憶のメカニズム。

記憶の捏造、改ざん。再編集。


『思い出は美化される』


などというように。


思い出したくない記憶は、

なかったものとして、

記憶の奥底に沈められ、

忘却されていくようだ。


思い出す必要性がないのなら。

もう二度と、悲しい過去は、

蒸し返したくない。


歳を重ね、もう、

学習や準備などを

する必要がなくなった母にとっては、

なおさら「回想」することなど

無用なのだろう。


反省よりも、学習よりも、

今をどう生きるか。

これから先を、どう生きていくか。

それだけで精一杯なのだから。


過去に費やすエネルギーは、

それほど多く残って

いないのだろう。


母の口からこぼれる過去の話は、

黄金時代(ゴールデン・エイジ)の

きらきらした思い出話がほとんどだ。


悔しかったり、悲しかった話も、

つらかった時期の話ではなく、

母が、楽しかった時代の

記憶の一端だった。


おなじ話をくり返す母。


これは、

人生を締めくくるための、

回想録なのか。


人が死ぬ前に、

走馬灯を見るのは、

生きるための手がかりやヒントが、

自分の人生のどこかに

ひそんでいないか、

必死で探しているためだと。

最近、漫画で読んだ。


思い出話は、そのためなのか。


残された機能を

効率よく使った結果の行動なのか。


余計なものは捨てていく。

今を生きるための、最小限の割り振り。


そう考えると、

老いが、

人を幼児化させるのにも

うなずける。


やりたいことを、わがままにやる。

動物的な衝動と欲求。


昨日や明日より、今日のこと。

今しか見えない、狭窄した視野。


「今だけを見て、今を全力で生きる」


そう願うぼくは、

はたして子どもなのか、

それとも老人なのか。


そんなのは、どっちだっていい。


ぼくは、犬みたいに生きていきたい。


今日までずっと、そうしてきた。


自分に嘘をつかず、

手を抜くことなく、

すべて全力で向き合ってきた。


愛犬、ハナを見習って。

ハナみたいになりたくて、

一事が万事、一期一会で生きてきた。


『過去に拘わらず、

 未来に幻想を持たず、

 今現在を充実させる』


そんな言葉をどこかで読んだが。


ぼくは、自分を信じる。


自分の心に従順であれば。

今の自分が運んでくれる

その場所が、

自分の求める景色へと

つながる道だということを。


だから、頑張る。


だから、大切にする。


大切なものを、

大切な人を、

大切な宝物を大切にして、

執着しないで、つかみ続ける。


つかめば壊れてしまいそうなほど脆く、

手からこぼれ落ちそうなほどなめらかで、

見落としてしまいそうなほど小さくて、

どこかに紛れてしまいそうなほど儚くとも。


何度も何度も、つかみ続ける。


たくさんは、いらない。


大切なものは、ほんの少し。


大切なものが、何なのか。

大切にするということが、

どういうことか。

ほんの少しずつだけど、

わかりつつある。


放しちゃいけないものが

あるということを。


大切な人が、

父と、母が、教えてくれた。



忘れっぽいぼくは、ここに記す。



忘れたくなるような記憶に

囲まれるより、

忘れたくない思い出を

重ねていきたい。


忘れても、忘れても、

気にならないくらいに

ずっとずっと重ね続けたい。


時間は、有限だ。


最後は思いっきり泣くかもしれない。


それでも、手を抜いたりはしない。

逃げたり、ごまかしたり、

するしたり、なかったことにはしたくない。


誰よりも笑って、誰よりも泣きたい。


いつもありがとう、と。

ありがとうの気持ちを伝えていきたい。

何度も何度も何度でも。


大切にするということは、

箱に入れて飾るのではなく、

壊れることを恐れず、

壊さないよう丁寧に

思いっきり使っていくことだ。


変化をいとわず、

あわてることなく、急ぐことなく。

悠然と、ゆったりと、

今この瞬間の景色をかみしめたい。


何色にも染まらずに、

自分だけの色を塗ること。


何色かに染まって、

ゆたかな色を塗り重ねること。


父の人生は、どんな色だったのか。


母の人生は、どんな色なのだろうか。


何も考えない、という、考え方。


すべて受けて立つという覚悟。


準備するのは、心だけ。

受けて立つという、心の準備。


何の準備もしていない、

白紙の心だからこそ、

できることがある。


こだわりを捨ててこそ

見えるものがある。


決めるのは、

その時その時、その瞬間。


事が起こる前に、

構える必要はない。


心の準備は

できているのだから。


待つのではなく、迎えに行く。

守るのではなく、攻めの姿勢で。

型に押し込めるのではななく、

流れに任せて、受け止める。


未知なるものに遭遇したとしても、

間違いなく判断するための感覚を、

今日まで磨いてきたのだから。


臥薪嘗胆。

日進月歩。

百折不撓。


そんな泥臭い言葉を

腹いっぱい飲んで吐き出して。

できた泥の水たまりに、

つかめそうなほどくっきりと

虹が映る。


そんな人生は、

はたして何色なのだろうか。





母が言う。


「これ、

 チョコクロワッサン

 買ってきたんだけど。

 チョコ味かと思ったら、

 中にチョコが入っとって

 びっくりした。

 焼いてから刺すんだろうね、これ。

 かたまりのまま、溶けとらんもんね」


チョコチップ・クッキーとおなじで。

おそらく、チョコクロワッサンのチョコは、

最初から入れて焼いていると思ったのだが。

ぼくは笑って、何も言わなかった。


(ちなみに

 チョコチップ・クッキーは、

 チョコレート味のクッキーを

 作ろうと思って、

 砕いたチョコを混ぜ込んだことが

 きっかけで誕生したんだよ。

 溶けて混ざると思ったチョコが、

 溶けずにかたまりのまま残って。

 失敗から偶然生まれたってわけ)



何も考えずに書いたこの記述。


白紙のままで書いた記述は、

とこにも辿り着かないまま、

再び白紙へと

帰するのでありあました。



< 今日の言葉 >


本当の金持ちは、

語尾に「ざます」と

つけない事実を私は知っている。

本物の金持ちは、

語尾に「金(かね)」とつける。


「そうかね、そうかね


「いいかね、きみ


「これは、誰のかね?」


・・・といった具合に。


ありあまった「金(かね)」を、

語尾につける。

2025/07/15

夏休み直前企画 〜作文『20代の自分』〜







♥ 


20代のころのぼくは、

『午後の紅茶』

午前中に飲むほど無頼漢で、

『1日分の野菜』

立て続けに3本飲むくらい、

向こう見ずなところがあったし、

紅しょうがの色がなくなるまで

ずっと口の中で転がし続けるほどの

根性もあった。


毎朝見かける、

陶磁器製のボーダー・コリーの置物に

名前をつけて、

「おはよう、ラスカル」

なんて話しかけるほどの愛情もあったし、

その置物のラスカルが

割れてしまったとき、

7週間ほど泣き明かし、

陶器の破片を拾って埋葬して、

毎月の命日に、

花を手向け続けるほどの

慈悲深さもあった。


白い猫を見れば

「タマ」と呼び、

茶色い縞猫を見れば

チャトラン」と呼び、

シベリアン・ハスキーを見ては

「チョビ」と呼ぶ友人とともに、

おしゃれなセレクトショップで

サングラスの掛け合いっこをして、

昼下がりの陽光を浴びながら、

お互いを褒め合ったりもした日曜日。


夕方すぎには家に帰っていく人々を尻目に、

公園のブランコに乗りながら、

よおし、どこまで天国に近づけるか挑戦だ!

なんて言って、

自分で漕いだブランコで気持ちが悪くなって、

お昼に食べたAランチ定食の

メンチカツの味を思い出したりするような

甘酸っぱい気持ちは、今でも覚えている。


そんな男ふたりで、

わかれ道に立ったまま

8時間もしゃべりt続けて、

お金がないからって

自動販売機のコーンスープをふたりでわけ合って、

缶の中に残ったコーンの粒を、

最後の一粒まで必死になって食べようとして、

欲ばった挙句に缶で前歯を折っちゃった

お前の笑顔が忘れられない。



残り物には福があるって信じて、

毎日終電で帰るほど家に居場所がない

反抗期の自分。

そんな尖った過去を持つ経歴に憧れつつも、

毎日お母さんが作った晩ごはんで、

おかずがなくなってからまた

三杯もお代わりしている自分に、

理想と現実のギャップで唇を噛んで、

一人涙した夜は数え切れず、

数えてたらいつの間にか眠っちゃってたよ、

って、しびれた右手で頭をかいて、

自分の手じゃないみたいだなって感じて、

思わず「かいてくれてありがとう」って

お礼を言ったこともあったっけ。


そんな自分を、忘れたくない。

たとえそんな自分が、

どんな自分か忘れてしまっても、

忘れたくないって思ったことだけは、

せめて一生忘れたくない。


だから、覚えておいてほしい。

ぼくの代わりに、

忘れたくないっていう熱い気持ちを

このさき未来永劫ずっと末代まで。


この思いを

背中に彫ったまではいいけれど、

自分じゃ見えないことに、

彫り終えて家に帰ってから

初めて気がついた連休明け。


かつての自分。


そんな自分を想像しながら、

もうすぐ10代になる自分が、

20代の自分にエールを送る姿を

想像してみる。


が・ん・ば・れ、

が・ん・ば・れ、じ・ぶ・ん!

まけるな、おれるな、

お・ま・え!


「昔の俺は、

 今よりずっと背が高くて、

 ちょうど大仏さまの指の数の

 4.8倍くらいはあったよ」


そんな歯の浮くようなセリフを

さらりと言ってのけるような伊達政宗。

熊にまたがりお馬の恵子。

ああ、次男じゃなくて、長女だったんだね。


今という瞬間はすでに過去。

今は存在しない。

言葉は常に過去である。

これを読む君すら過去なのだ!

「ノーフューチャー」とは、そういう意味だ。


わかったかね、諸君。

地球は僕らの宇宙船。

水と緑の宇宙船地球号。

運転手は君だ、社長も君だ。

シュッシュポポシュッシュポポ。


「いまどきの若者たちに、

 陸(おか)蒸気がどんな乗り物だったか

 説明するほど野暮じゃないけど」


当たって砕けろ。

恋は直球ストライクゾーン。

トワイライトなスクールゾーン。

外角高めのフリースロー、

摩擦の力で軌道を変えろ。


歴史という名のストーリー。

化学反応ミステリー。

ヒステリーなヒストリーを

スウィートなストリートで

ストレートにささやくアスリート。


愛の調べ。

当社調べ。

誰の下僕。

俺の屍。

またいで歩けば明日がある。


明日は明日の風が吹き、

今日は京都で笛を吹く。

ピ、ピ、ピ、ピ、ピ、ピ、五条の橋の上。



これぞしらふのナチュラルパワー。

永遠に埋めておきたいタイムカプセル。

それはもはや埋葬。

ご大層なラジオ体操。

無理な方は、

イスに座ったままの姿勢でどうぞ。


そんなわけで。


皆さまの時間を奪い去り、

したたかに灰へと変える盗人、

怪盗華麗パン。


隙間を埋めるはずの器械で

よけいに隙間を広げちゃってる

子羊ちゃんたちに。


ラブ・アンド・ピクルス♡(既読)


大丈夫、

古くなったんじゃないから。

多少の酸味は大目に見てネ♡



・・・以上、

現場からお送りしましたとさ。


めでたしめでたし




< 今日の言葉 >


「最近、

 いろいろなことがわからんくなる。

 脳みそが足りんくなって

 きとるのかな。

 毎朝、味噌汁飲んどるのに」


(80歳になった母が真剣な顔で言った言葉)


2025/07/01

好きか嫌いか


「パレットにはりついたくま」(2020年)


 *



「何でも好き嫌いだけで

 決めてはいけない」


などと、言ったりするが。


好き嫌い以外、

何を基準に判断すればいいのか。


「あんまり好きじゃないけど、

 やっておいたほうが得だから」


「みんながやってるから」


「流行ってるから」


「あとで高く売れやすいから」



好き嫌い。


直感。感覚。ひとめぼれ。


それは、

人付き合いも同じだ。


たいていの場合、

会った瞬間に、ほとんどわかる。


人間も動物だ。

動物的な直感で、相手がわかる。


「あ、いいな、この人!」


「わ、嫌だな、この人・・・」


少なくとも、

好き嫌いだけは一瞬でわかる。


わからないのは、

わからなくしているだけ。


頭がそれを邪魔している。

情報が感覚を遮断している。

理性や倫理、体裁、

損得勘定など、

社会的な思考が、

直感を曇らせている。


「好き嫌いで決めちゃ

 いけないよな」


たしかにそれも一理ある。


だからこそ、

頭が軌道を修正する。

感覚的に歩もうとする足取りを

言葉で、理屈で、誘導しながら、

理性の地図におさめようとする。


「みんなと仲よくやらなくちゃ」


「食わず嫌いはよくないよな」


果たしてそれが「正解」なのか?


まちがいでは、ないと思う。


けれども「正解」かと問われたら。


どうだろう?


それは、

自分が決めた「正解」だろうか。

自分の心が決めた「こたえ」なのか。


そんなことを、ふと思った。



* *



母に、

こんな出来事があった。


母は長年、

日本舞踊の教室に通っている。

事件はその、

踊りの教室で起こった。


教室には、

母よりもずいぶんあとに入ってきた

一人の女性がいた。


ここでは「女性」と

呼ぶことにしよう。


今から10年ほど前の話で、

「女性」は母より3歳

年上だった。


となると、

「女性」の歳は、

72、3というところか。


90歳(当時)の親御さんが

たくさんの借家、

マンションなどを所有しており、

娘である「女性」は、

豊かな生活を送っていた。


服装や持ち物にも気を配り、

ブランド品や高価な物を身につけて、

いつもきれいな身なりをしていた。



ある日、

喫茶店でお茶を飲んでいて、

「女性」が母に言った。


「ちょっとお手洗いに行くから。

 この鞄、見ててもらえる?」


「女性」が

机に置いた鞄を指し示す。

何も思わず、母は承諾した。


その時、母と「女性」以外、

ほかに誰もいなかった。


密室ではないが、

当事者以外、

目撃者も証人も誰もいない。

母と「女性」は、2人きりだった。


ほどなくして

戻って来た「女性」は、

鞄を開けるなり、声を挙げた。


「お金がなくなった。

 ここに入れておいた10万円がない。

 盗んだでしょう?」


もちろん盗むわけがない。


母は唖然として声を失った。

恐怖にうち震え、

血の気が退いていくのがわかった。


声に集まったほかの仲間が、

「女性」の主張に耳を傾ける。


さいわい、

母を疑う人は、いなかった。


母は、鞄に手も触れてはいなかった。


教室の立ち上げ当時から

ずっと踊りを習っていた母には、

母をよく知る仲間がいた。


「えみちゃんが

 そんなことするはずない」


信頼というよりも、

確信に近い擁護の声が、

仲間内を包んだ。


その日のことは、

ぼくもよく覚えている。


いつになく消沈した母から、

当時、この話を聞いたからだ。


「母さんね、

 どろぼうって言われた。

 どうしよう。

 裁判とか警察とか、

 そんなことに言われても、

 知らんもんは知らん、

 やっとらんもん、そんなこと」


いくら明るい声でなだめても、

深刻な顔をしたまま、

母はこの世の終わりのように

落ち込んでいた。


数日後、

母の口から聞いたのは、

安堵に満ちた声だった。


「わたしも

 おんなじことやられたって。

 △△さんに言われた」


「女性」は依然として、

裁判だの警察だのと、

かんかんに怒ったままだが。

周囲の目は、冷めていた。


誰も母を疑いはしなかったし、

責めることも、同調することも、

無視することもなかった。


無視されたのは「女性」だった。


新参者で、

人の悪口を

よく口にしていた「女性」は、

みなの信用を得るには

至らなかった。


『10万円紛失事件』は、

「女性」とともに姿を消し、

事態は静かに幕を下ろした。


しかし ——。


危ないところである。


もし母が、

みなに信用されないような

人柄だったら。


借金などがあり、

お金に困っていたら。


現在、または過去の素行が、

悪かったら。


もし・・・と言い出したら、

きりがない。


あとで聞いたところ、

現金だけでなく、

指輪や時計までもがなくなったと

言われたらしい。


「もう絶対に、

 そういう頼みごとを

 聞いちゃだめだよ」


「そういう人と、

 二人きりになっちゃだめだよ」


よかったね、と言いつつも。

当時のぼくは、

母にそんな教訓めいたことを

とくと伝えた。



* * *



久しぶりに母が、

その「事件」を思い出し、

当時をふり返るようにして

苦々しく笑った。


「あのときはもう、

 本当にどうしようかと思った」


「母さん、その人のこと、

 初めて見たとき、どう思った?」


「なんていうの。

 お金持ちだけど、

 案外けちけちしとって。

 意外と細かいんだわ。

 何でも自分で仕切りたがるし。

 すぐ人の悪口言うし」


「好きか嫌いかで言ったら、

 どっちだった?」


「・・・嫌い。

 ぱっと見たとき、

 苦手だなって、そう思った」


そう。


のんきで、おとなしく、

父に言わせれば「どんくさい」母でも、

動物的な感覚が、知らせていたのだ。


起こるべき事態を、なのか。

それとも、

相性がよくないということを、なのか。


『以心伝心』


『魚心あれば水心』


とも言うけれど。


母が抱いた反感情が、

「女性」の気持ちをくすぶらせ、

事態に火を点け

燃えあがらせたのか。


何やかんやで

みんなに可愛がられている、

母のことを妬んで起きた事なのか。


現実につながる糸は、

あとから手繰りよせようにも、

もはや確かな正体はない。


ただひとつ言えること。


直感。


好きか嫌いか、という気持ち。


そこに、嘘はない。



合わないものは、合わないのだ。



どちらが悪というものでもないし、

どちらかが正しいわけでもない。


合わないものは、合わない。

そこにいても、

いい結果は産まないし、

待っていても変わることはない。

自分が動くか、変わるしかない。



人にはそれぞれ事情があり、

現在の姿がある。


人を悪く言うのはよくない。


言葉はそのまま自分に返る。

投げかけた感情が、

そのまま自分に返ってくる。


過去はどうすることもできないが。

現在のふるまいが、未来の自分を救う。


欲がそのまま、

「好き」につながる人もいる。


それも、人の好きずきだ。


ひとつひとつの、小さな積み重ね。


積み上げるのには時間がかかるが、

壊すのは一瞬だ。


完璧でも上手でもないが。

ひいきなしに、

母は、まっすぐ生きてきた。


貧しくとも、

ゆたかさだけは忘れずに。

裏表なく、損得勘定ではなく、

物事を判断してきた。


多少は愚痴をもらしたりするが。

悪態をついたり、悪口を言ったり、

批判をしたりはしてこなかった。


どちらかといえば、

騙されてばかりで、

損することも多かったように思うが。

他人を騙すことは、しなかった。


そんな母を、

みんなが守り、かばってくれたこと。

それは「正しい」ことで、

嬉しい結末だった。


簡単なはずのことが、

ややこしく見える現代でも、

昔話みたいにすこやかな結末が、

まだちゃんと息をしているのだと。


そう思いたいし、

そうであってほしいと願う。


不器用でも真面目に

生きている人がいる。


いくら強くても、

嘘ばかりの長いものには、

巻かれたくない。



好き嫌い、という感覚。


感覚は、すなわち「センス」。


「センス」のない生き方って、

怖いなって思った。


それは、

地図なく歩くよりも

怖いことだ。


センスは、自分の感覚。

自分だけの「こたえ」。


いいものは「いい」し、

嫌なものは「嫌」だ。


わがままと、自分勝手は、

似ているようでまるで違う。


わがままは、

自分の筋を通すことで、

自分勝手は、

状況や場面で、

事実を都合よく変えること。



好きでもないものを受け入れるうちに、

自分の好きとか嫌いが、

わからなくなる。


気づかぬうちに、

選ぶことも、考えることも、

できなくなる。

好きも嫌いも、いいも悪いも、

わからなくなる。


そんなふうに、

心の声が何も聞こえなくなったら、

もっと怖い。



< 今日の言葉 >


「出かけるときは、

 重たいから

 家に置いてくんだけど」


(携帯電話を指して母が言ったひと言)



2025/06/15

時代遅れの不携帯携帯電話




☎︎


2025年5月。


50歳にして初めて、

携帯電話を手にした。


訳あって、

持つ(使う)運びに

なったのだが。


この携帯電話は、

亡くなった父が

使っていたものである。


処分するでもなく、

しばらく手元に置いていて。

何か使い途はないかと

思案していたところ、

晴れて「通信用」として

使うことになったのだ。


携帯電話を

「通信に使う」なんて、

当たり前の話だと

お思いになるだろうが。


契約していない携帯電話は、

当然、誰とも電波が

つながっていない。


最初は

デジカメ代わりか、

音楽を聴くためにでも

使おうと思っていた。


けれど別に、

わざわざ携帯電話を使わなくとも、

用は足りていた。


ということで。


しばし眠ったままだった

携帯電話——。

やや年配者向けの、

スマートフォンである。


デザイン性より

利便性に重きを置いた顔つきの画面は、

何だか昔のファミコンのような感じがする。


それでも。


これまで一度も

携帯電話を持ってこなかった自分には、

何もかもが新しく、驚きの連続で、

ハイ・テクノロジーの代物に思えた。


もちろん、知人や友人、

母親の携帯電話などは

さわったことがあるのだが。


自分の物ではない上に、

今後持つとも思っていなかったので、

さして興味を抱く対象でもなかった。


ゆえに、

携帯電話の操作や事情などには、

まったくと言っていいほど疎かった。


とはいえ、

パソコンはずっと

使い続けている。

10代の頃から、

マッキントッシュと仲よしだ。


これまで一度も、

携帯電話を持ちたいとは

思わなかった。

思いもしなかった。


携帯電話があれば、と。

一瞬くらい思ったことは

あったかもしれないが。

公衆電話とテレフォンカードと、

固定電話とパソコンメールで

充分だった自分は、

ついぞ2025年まで

携帯電話を持たずに来た。


高校時代、友人たちに誘われ、

ポケットベルを持ってはみたが。

たいして便利だとも

必要だとも思えず、

3日と経たずにどこかへ消えた。


なくしたポケットベルを探すために、

自分で何度も呼び出しのベルを鳴らして。

気づくと3カ月ほど

料金を払い続けていたという、

ろくでなしの高校生。


そんな自分だから。


携帯電話も、いらないと思った。


世間よりも自分。

主義でも自己主張でもなく、

ただただ持つ理由がなかった。


元来、おしゃべりなぼくは、

持ち歩くことのできる電話なんて

手にしたら、日がな一日、

話し込んでしまうのではないかと恐れた。


人と会って話す以外は、

こうして画面と向き合って、

ぶつぶつひとりごとを言っているのが

ちょうどいいと、

そう思っていた。


けれど。


いろいろな状況が重なり、

絡み合い、撚り合わさって。


ついに、

携帯電話を

持つこととなった。


これは、

自分を知る人たちからすると、

事件級の出来事である。


しかし、

自分が携帯電話を

持ったという事実を、

ほとんどの人が知らないままだ。


なぜなら、

いわゆる「電話」として

契約しておらず、

使用目的以外の誰にも

連絡先を教えていないからだ。


初めてづくしのぼくは、

もののためしに、

契約なしのWi-Fi端末を購入した。


自分が選んだものは、

50GB(ギガバイト)で、

使用期限は1年。

「ギガ」がなくなれば、

10GBでも100GBでも、

いつでも買い足し(チャージ)

できるというものだ。


何のために自分が

携帯電話を手にしたのか。


それは、

アプリ(ケーション)による、

通話だった。


あえて「何」とは明言しないが。


おそらくぼくなんかよりも、

みなさんのほうがよくご存知の、

国内では約1億人ほどの登録者が、

積極的に使用している

アプリ(ケーション)である。



☎︎ ☎︎



手書きの文字は、

自分で思った言葉を、

自分の言葉で書き連ねる。


漢字も、送り仮名も、

辞書や書物などを開かない限り、

思違いや間違いを含めて、

すべてが自分の記憶と選択に

委ねられる。


パソコンなどの、

キーボードで入力する

文字、文章、言葉。


最近のパソコンでは、

変換や候補など、

意味も添えられて、

自動的に「言葉」が提案される。


提示された候補から

適宜、漢字やカナや、

表現したい、伝えたい語句を選ぶ。


この「予測変換」が、

自分のパソコンの持つ「学習」を上回り、

自分では思いもつかないような

言葉を提示する。


言うまでもなく。

これは「ネットワーク」の

おかげである。


広大なネットの海で

学習したAI(人工知能)が、

私たちにそれを提示するのだ。


生まれて初めて、

携帯電話と向き合って。


手書きやパソコンに親しんだ、

前時代的自分が感じた驚きは、

筆舌しがたい。


文字をタップすると

ずらりと並ぶ

語句(ボキャブラリー)の豊富さ。


まるで本棚に詰まった、

たくさんの書籍みたいに。

クローゼットに吊るされた

色とりどりの洋服よろしく。

さながらショーケースに並んだ

きらびやかな宝石のように。


たくさんの言葉たちが、

きらきらと箱詰めされて並んでいた。


『あ』


と、入力してみる。


すると、

以下のような語句が

ずらりと続いた。


あ。。。 アイテム

あの 甘え あ

愛 朝夕 安眠

アブラナ アスパラ

明日 ある 朝

あなた あるいは

あまり 雨 あれ

あと あまりに 相手

頭 ああ 味


・・・・といった具合に。


賢いもので、

何度か文字を打ち込むと、

使用頻度が高い、

よく使う語句たちが、

最上位にちょこんと座って、

じっと出番を待ちかねている。


おそらくみなさんには、

聞くのも退屈なくらい、

ごくごく日常的な、

当たり前の光景だろうが。


携帯電話を手にして数日の自分には、

パソコンとのシステムの違い、

根本的な「変換の仕方」の違いに、

少なからず衝撃を受けた。


もちろん、

自分で思う言葉を

一字一句、

入力することもできる。


けれど、

それでは「遅く」感じる。

ずらり並んだ語群から

「選んだ」ほうが

ずっと楽だし効率的だ。


特に、

リアルタイムのやりとりでは、

細かな表現よりも、

テンポや速さが優先される。


それは、会話に近い感覚で、

ちょっとしたニュアンスよりも、

軽やかで飾らない言葉の流れが

心地よかったりする。


手紙や文章とも違い、

メールともまた少し毛色が違う。

電話での会話とも、

直接の対話ともまた違う。



携帯電話は、電話である。

通常の電話はもちろんのこと、

ビデオ電話とかもできてしまう。


未来の映画の話じゃなくて。

この、薄くて小さな機器ひとつで、

世界じゅうどこにいても、

本当に通話ができちゃうんです。


とはいえ。


ぼくは、携帯電話を携帯していない。


現時点では、

持って歩くような予定はない。


手元に置いて、

着信があれば、取る。

または、かける。


話す、または、

文字での会話をする。


文字を打ち込む代わりに、

音声入力とやらを試してみると、

なかなか感度がよく、

ごつい指先でタップするよりも、

打ち慣れたキーボードで打つよりも、

はるかに早かった。


50歳にして、発見の日々。

挑戦と試行錯誤と、冒険の日々。


天国のお父さん、ありがとう。


ああ、ぼくは、

父さんの遺した携帯電話で、

今、生きた時間とつながっています。


初めて携帯電話で声を聞いた時。

なんだか信じられないくらいに

相手が近くに感じて、

時代遅れなぼくは、

ちょっと泣きそうになるほど

感動したりした。


テクノロジー。


思わず、

グラハム・ベルに思いを馳せて、

総務省をはじめ、

通信を支えてくれている

たくさんの技術者・開発者の方々に

感謝を抱いた。


「すごいなぁ・・・」


竹のフィラメントに

明かりが灯ったかのごとく。

声を耳に浴びながら、

一人、感激していた。


ほとんど

固定電話の子機とおなじく、

室内犬がうろつくくらいの

狭い範囲でしか話していないけれど。

おそらくたぶん、話しながら、

家の外にも出られるのだろう。


Wi-Fiの届く範囲なら、

・・・いや、

携帯電話よりも小ぶりな、

このWi-Fi端末を持ち出せば、

どこにいたって通話ができるのだ。


騒ぐようなことではない。


みんながこれまで、

日常茶飯事として

普通にやってきた、

携帯電話での「通信」である。


けれどぼくには、

魔法みたいだ。


こんな薄くて小さな器械で、

世界とつながっていることが。

声や、言葉が、

つながっていることが。


わかっていても、

魔法みたいに、不思議なことだ。



☎︎ ☎︎ ☎︎



携帯電話を携帯するのは、

まだまだ先のことになるだろう。


置きっぱなしの携帯電話。


不慣れなぼくは、これで充分だ。



ぼくは、不便さが、

嫌いじゃない。


不便の中にあるものとの

対話が好きだ。


辛抱。想像。期待。

学習。加減。調整。

齟齬。不具合。間違い。

記憶。忘却。創意工夫。


現代の利器も悪くない。


使い方次第で、

ゆたかになれる。


人類が火を使い始めたのは、

旧石器時代、

約180万年前から80万年前のこと。

——これを瞬時に調べられたのも、

現代の利器、

インターネットのなせる業(わざ)。


かつての時代に、

火を見て

忌み嫌う者もいれば、

間違った使い方をした者も

いたはずだ。


使ったからこそ、わかること。

使ってみて初めて、感じること。


新しいものや、ことは、

心がわくわくする。


下手でもいいから、大切にしたい。


自分が今、

なぜそれを手にしているのか。

大事なことを、見失いたくない。


温度もなく、

血の通わない器械に、

ぬくもりや息づかいを吹き込むのは、

使う人の心次第。


どう使うかという、

感性(センス)と智慧(ちえ)。


センスや智慧は、

情報ではない。

実体験の賜物だ。


情報収集による学習で

身につけるものではなくて。

実際に、体を使って、

肌で感じるものだから。


鉛筆を削って、

紙に文字を書くことを。

紙に書かれた文字を読むことを。

空の下で、

草の匂いとか

コンクリートの匂いを

思いっきり吸い込んで、

走って転んで汗をかいて、

はあはあと息切れする感覚を、

どきどきする血の巡りを。

死ぬ瞬間までずっと感じていたい。


選択肢は無限にある。


用意されたものだけでなく、

自分だけの選択肢を、

自分でつくり出すことも。

数ある選択肢のうちのひとつだ。


意識の視野が

小さく薄く切り取られて

狭く軽くならないよう、

目の前にある、

現実の景色を見つめていきたい。


犬は、

携帯電話を持っていない。

それでも犬は、生きている。

全力で、まっすぐ、生きている。


ぼくは人間だ。

携帯電話を持った、人間だ。


犬のようには生きられないけれど。

犬みたいには、生きられる。


抗うことなく、

流されることなく、

たゆたうように。

すべてを受け入れ、

受け止めて、

心から今を楽しんでいきたい。


生きる、ということを、

全力で楽しむ。


死ぬ時の最期の瞬間まで、

生きることしか考えない。


今さら手にした、携帯電話。


父の形見の携帯電話を手にして。

ぼくは、そんなことを思ったりした。



☎︎ ☎︎ ☎︎ ☎︎



朝起きると、

携帯電話に何通かの着信があった。


あわてて返事を打ち込む

ぼくの手は遅く。


  

い  あ  え

   お


文字の配列、

子音の配置を頭に描き、

懸命に文字を入力していく。


まるでニュータイプの

パイロットのように。


「遅い!

 携帯が自分の動きに

 ついてこない!」


などと嘆いてみても。


遅いのは、

思考に追いつけていない、

自分の手の動きである。


遅すぎる入力におろおろしながら、

朝食も摂らずに返信を重ねていると、

さすがにお腹が減ってきた。


ぼくの、不携帯携帯電話の「常識」は、

まだ「その場でじっと向き合う」という、

前時代的、デスクトップ・パソコン的な

範囲にとどまっている。


ということもあり。


ぼくは、手近にあった

『キャベツ太郎』を手に取り、

ぽいぽいつまみながら携帯をいじった。


お菓子まみれの人差し指ではなく、

中指での入力。

不慣れな文字入力は、

輪をかけていい加減なものになり、

誤字や誤送信をくり返した。


と、無意識に

いつもの人差し指を使っており。

気づくと画面は、

緑のアオサと、

細かなコーン粉末、

そして、ぎとぎとぎらぎら、

べったりとした油にまみれてしまった。


おかげで画面がつるつる滑り、

さらに意図せぬ誤字脱字が増え、

よくわからない文面を送信していた。


携帯歴0年。


50歳にして、

スナックまみれの

携帯画面に向かう自分を、

草葉の陰から

父はどう見ているだろうか。


そんなことより。


ぼくは今、

不携帯携帯電話での通信を、

毎日、楽しんでいる。


おもちゃを手にした

小学生みたいに。


驚きと、感動と、喜びを胸に。


紙やインクや声の代わりに。

電波と音とギガを使って、

交信している。


はたして50年後には、

何を使って交信するのか。


未来の現代人の通信を、

草葉の陰から、そっと見守りたい。



< 今日の言葉 >


『いいかい、

 あれはおてんとうさまの

 することだ。

 山におやすみをいいながら、

 じぶんのいちばん

 きれいな光を投げてやるんだよ。

 あしたまたくるまで、

 おぼえててくれよ、ってな』


(『ハイジ』ヨハンナ・シュピーリ/

 アルムじいさんがハイジにした「夕焼け」の説明)

2025/06/01

踊り続ける母の葛藤




 *


母は、

幼少の頃からずっと、

日本舞踊を習ってきた。


踊りの名前は、花柳胡蝶花。

胡蝶花と書いて「しゃが」と読む。


母の父が、

大学の教授からもらってきた

名前だという。


冒頭の写真が、胡蝶花の花だ。


庭に咲いた胡蝶花を、

母が摘んできた。


* *


母が、

踊りの「おけいこ」に行ったのは、

久々のことだった。


カルチャーセンターでの、

日本舞踊のおけいこ。


4歳からずっと、

日本舞踊を続けてきた母は、

結婚後、しばらくしてまた、

踊りのおけいこを再開した。


平成8年(1996年)からだと

いうことなので、

今年で29年目ということになる。


結婚前の期間を足せば、

50年余にもおよぶ。


名取である母は、

習うまでもなく、

教える側にもなれるのだが。


教えるのではなく、

ずっと「習う」側だ。


母はただ、踊っていたいのだ。

母は、踊りが大好きだった。


母が「おけいこ」に行ったのは、

本当に久しぶりだ。


父が死んでからは、

初めてのことだった。



* * *




月謝ばかり払って、

まったくおけいこに

行かなくなった母を見て、

ぼくは少し、憂慮していた。


行くのも、行かないのも、

母の自由だ。


けれど、

数カ月分まとめて支払う

月謝(講義料)を見たとき、

決して安いとは思えなかったので、

行くなら行く、

行かないのなら月謝を払うのを

やめたほうがいいのではと、

気を揉んでいた。


何歩か譲って、

何千円ならまだしも。

3カ月で数万円の月謝を、

まったく行かないまま

支払い続けることには、

いつか区切りをつけるべきだと

思っていた。


あるとき、母に聞いた。


「母さん。

 踊り、もう行かないの?」


「うん? 行かないことないよ」


「最近全然行ってないから。

 もうやめちゃったのかと思って」


「このまえ休んだだけで、

 あとは1回も休んだことないよ」


嘘である。


嘘というより、

それは母の思い込みで、

事実はまるで違っていた。


昨年8月からの8カ月。

母は、一度も「おけいこ」に

行っていない。


着物で出かけるのが

ちょっと暑くてしんどい、とか、

ちょっと風邪で洟(はな)が出るとか、

肩が痛いとか、脚が痛いとか、

聞くでもなく、毎回、

違う「いいわけ」を口にするのだが。



結局のところ、

母は一度も「おけいこ」には行かず、

ずっと休んだままだった。


おけいこのある月曜日。

昼下がりに母は、電話をかける。


「・・・ちょっと

 体の調子が悪いので、

 今日のおけいこは

 休ませてもらいます。

 すみません、

 よろしくお願いします」


毎週、決まって、

そんな声を聞いた。


月謝がもったいない。

それなら、

もっと別のことに使えばいいのに。


夕食どき、

母にしっかり聞いてみた。


「母さん、踊り、どうするの?

 母さんね、去年の8月から

 1回も行ってないよ」


「そんなことない。

 母さん1回も

 休んだことなんてない」


4歳からずっと続けてきた日本舞踊。

母自身も、それを誇りに思っていた。

反面、もう充分かな、とも言っていた。


「もう、歳も歳だし。

 何十年もやってきて、

 今さら習うとか

 そういうこともないから。

 先生もそろそろいい歳だし、

 教室、やめるかもしれんって

 言っとった。

 なんていうの、

 その、そういうの・・・」


「潮時?」


「そう、それ!

 そろそろ潮時かもしれん。

 最初っからずっと続けとるの、

 母さんだけだし。

 最初は、なんていうのか、

 『サクラ』みたいな感じで、

 母さんとほかの何人かが入って

 やっとったんだけど。

 みんなすぐにやめてった」


踊りの先生は、

日本舞踊を習っていた教室の先輩で、

母より5つ歳上だ。


今年80歳になった母は、

古株というだけでなく、

最年長の生徒でもあった。


あとの生徒さんは、

70代、60代、といった感じらしい。


『1回も休んだことない』


はじめは、

どうして「嘘」をつくのかと

思っていたが。


罪悪感のようなものが、

はたらいているのか。


それとも、

「きっかけ」が

見出せずにいるのか。


母の生真面目な気質を鑑みて、

なんとなくだが、

その心情が理解できた。


ちょっとしんどい。

そろそろやめようかな。

けど、4歳の頃から今日まで、

ずっと続けてきたし。

(実際には

「ずっと」というわけではないが。

 母の中では「中断期」を含めて、

 今日までずっと、踊りの糸は、

 切れることなくつながっている)


先生にも悪いし。

みんなと会えなくなるのも

寂しいし。


どうしよう。

そろそろ「潮時」なのかな。


着物着て支度して、

行って帰ってくるだけで疲れるし。


もう、いいかな。

4歳からずっとやってきたし。

踊りのおかげで足腰も丈夫で、

今日まで元気に

やってこられたんだから。


踊りやめても、

ラジオ体操とかやればいいよね。

毎朝やってるから。

肩が痛くて、

腕が上がらなくなってきたけど。

ラジオ体操なら、できるから。

体操してれば、いいよね。


・・・・と。


母の口からこぼれ落ちた、

今日までの言葉を手繰り寄せると、

ゆれ動く心模様が透けて見えた。


母は、迷っている。


後ろ髪を引かれる思い。

やめたいという気持ち。

やめようかなという思い。

どうしようかなという逡巡。


ずっと続けてきた「習慣」を前に、

母は、いろいろな角度で、

いろいろな方向から

引っぱられているふうだった。


どうしたらいいのかわからず、

がんじがらめで動けない。

そんなふうにも見えた。


ぼくは、母に言った。


「行かないんなら、

 月謝がもったいないかなって

 思ったけど。

 言うだけのこと言ったから。

 あとは母さんの

 好きにしたらいいよ。

 気の済むまで行くもいいし、

 このままやめるもいいし。

 もしやめたら、

 おつかれ会やってあげるよ。

 うなぎでもケーキでも、

 母さんの好きな物、ごちそうするよ」



数日後、母は、

先生に電話をした。


携帯ではなく、

自宅のほうに連絡したらしく、

どうやら先生は不在で、

母のことをよく知る

娘さんが電話口に出た。


というのも、

やや耳が遠くなり、

音量が大きくなった母の声が

壁床天井を越えて

筒抜けだったおかげで、

会話の内容が手に取るように

わかったのだ。


「どうも長いあいだ

 お世話になりました」


たしかに、

そう言うのを聞いた。


とうとうやめるのか。


寂しいような、

ほっとしたような。


長いあいだ、おつかれさま。


労いの気持ちが、

湯気のようにゆらめいた。



* * * *



4月半ばの月曜日。


母の部屋から、

樟脳のにおいが漂ってきた。


母が、着物を着ている。


やめたんじゃ、なかったのか。


何も言わずにぼくは、

母が出かける気配を、

匂いと音で感じていた。


久しぶりに母が、

出かけて行った。


買い物ではなく、

着物を着て

おけいこに出かけた。



日が傾いて。

窓の外が、真っ暗だった。


夢中になっていた手を止めて、

時計を見てみた。


夕食の時間は、

とうに過ぎている。


母は、まだ帰らない。


ご飯の支度でも

しようかと思ったが。

あれこれしているうちに、


「ただいまぁ」


という声が聞こえてきた。


おけいこで遅くなる月曜日には、

母に代わって、

晩ご飯を作ったこともあるが。


台所に、母がやりかけた、

晩ご飯の準備が置かれているのを見て、

そのまま母に任せることにした。


きっと母は、

自分でやりたいのだと。

自分でやり通したいのだと。

そう思ってぼくは、

静観していた。


「ごめんね、遅なって」


お腹はぺこぺこだったが。

待っていてよかったと思った。


なつかしい、

元気な母の姿があった。


母の顔は、

すごく楽しそうで、

きらきらしていた。


「もう、街行ったら、

 つっかれちゃった。

 みんな忙しそうにしとるね。

 黒い服着て、しゅっとした人とか。

 地下鉄は本当、階段が多いねぇ。

 母さん、転ぶと怖いで、

 手すりにつかまって

 隅っこのほうをゆっくり歩くもんで。

 みんな、ちゃぁっと抜いてくんだわ。

 たくさん人がおるねぇ、本当に」


晩ご飯の支度をしながら、

母が楽しげに語る。


言葉より何より。


楽しかったんだな、

という気持ちが、伝わってきた。


それでもぼくは、聞いてみた。


「今日、どうだった?

 久しぶりに行って、楽しかった?」


「うん。

 みんなに会えて、楽しかった。

 やせた人とか、太った人とか。

 2キロもやせたんだって。

 えらい細なっとった」


主語のない話題が、

誰のことを言っているのかは

わからなかったが。

楽しげに話す母を、

微笑ましく見ていた。


「一人、男の人がおって。

 その人が、

 えみちゃん、えみちゃん、

 元気だった? って、

 聞いてくるんだわ。

 あの人、一人だけで

 女の人の中に混じって。

 女きょうだいの中で

 育ったみたいだで、

 そういうの、なんとも思わんのだね。

 すうっと入ってきて、なじんどるもん。

 今日なんて、

 長いストールみたいなのを

 首に巻いてきて。

 みんなに巻き方が違うとか

 なんとか言われとった」


「何色のストール?」


「オレンジとか紫とか、

 いろんな色の、柄のやつ。

 ジョーゼットみたいな、

 ふわっとした生地」


「服は、何色なの?」


「カッターシャツみたいな、

 青いシャツ」


「上着は?」


「こんな色」


母が、青磁色の器を指す。


「へえ、センスあるね」


「そうなんだわ。

 あの人、おしゃれなんだわ。

 何やっとる人か知らんけど。

 自分で何かやっとるんじゃないかな。

 時間の自由がきくみたいだで」


ちなみにパンツ(ズボン)は、

グレーだそうだ。


この人の話は、

以前からちょくちょく聞いていた。


会ったことはないのだけれど。

なんとなくぼくは、

その人のことが好きだった。


「みんなでちょっと

 お茶してきたもんで。

 そんで遅なったんだわ。

 ごめんね、悪かったね」


「全然いいよ。

 よかったね、楽しめて」


「楽しかったぁ。

 たまには街に出ないかんね。

 家におってばっかりじゃ、いかんね」


「そうだね。

 今日はぐっすり眠れそうだね」


「毎日ぐっすり寝れとるけどね」


「今日はゆっくりお風呂に入って。

 ゆっくり休んでよ」


ご飯を食べ終わり、母に聞いた。


「片づけ、やろうか?」


「いいていいて。何言っとるの。

 母さんの仕事」


『母さんの仕事』


母の言う「仕事」とは、

母が存在する意味でもある。


それを、奪ってはいけない。


母さんが「母さん」であり続けるための、

「仕事」なのだから。

取り上げてしまったら、

母は、母でなくなってしまう。


御年80歳の母は、

79歳の時よりも、75歳の時よりも、

若々しく見える。


数字は所詮、目盛りでしかない。


今の母は、かつてよりも若い。

それは母が、

生き生きと「生きている」からだ。


ぼくは、

母から「仕事」を奪いたくない。


そして、思った。


母から「踊り」を奪わなくて、

よかったと。


明るい母の笑顔を見て、

頭ではなく、

心に従うことの大切さを、

あらためて教えてもらった。


「母さん。

 踊り、気がすむまで続けたらいいよ。

 85歳でも何歳でも、

 好きなだけ続けたらいいよ」


行くも休むも、続けるもやめるも。

母が決めることだ。

いくら家族であっても、

「他人」が口出しすることではない。


たとえ来週、

母がまた「仮病」を使って休んでも。

母がそう決めたのなら、それでいい。

心の赴くまま、

したいようにすればいい。


おそらく父なら、

口を出すだろう。


けれどもぼくは、父ではない。

ぼくは、ぼくだ。


ばくは、

母が笑っているのが、

いちばん嬉しい。



母にはたくさん教えられる。

本当にいい教材を、たくさんくれる。

ぼくに足りないものを、

母がいつも教えてくれる。


ありがとう。


何ひとつ立派なこともできず、

母を安心させてあげることもできず、

心配ばかりかけて、

歳だけ重ねてきた自分だけれど。


母を笑顔にすることができるのも

自分だということに、

最近ようやく気がついた。


特別なことじゃなくて。

物やお金なんかじゃなくて。


もっと些細で、目には見えない、

小さくて身近なものなんだと。


おしゃべりすること。


いいよ、という気持ち。


笑顔でやさしく見守ること。


一緒にご飯を食べること。


子どもみたいな顔で、

楽しげに笑う母。


惑う心を、母の笑顔が、

すすぎ清めてくれた。


「最近、お茶とか高くなったねぇ。

 自動販売機のペットポトルも、

 170円とか180円とか

 するようになったね」


たとえ母が、

ペットボトルのことを、

ペットポトルとか、

ポットベトルとか言ったとしても。


ぼくの心は、もう迷わない。


いくら現実的で、

世間的には賢明な選択だとしても。


小難しい話より、

ぼくは、笑顔が好きだ。



< 今日の言葉 >


音楽をかけて

計画をねりねり


(『ワンルーム・ディスコ』Ferfume)