*
5月15日、月曜日。
入院生活第7日目。
雨のちくもり。
何時にベッドに入ったのかは
わからないが。
しっかりよく眠れた気がする。
夜中、この部屋にないにおいで
目が覚めると、
巡視の看護師さんの姿があった。
何も言わず、そのまま目を閉じる。
朝は、巡回の看護師さんの訪問で、
6:30に起きた。
横たわったまま布団の中にいて、
しばらくしてまた
別の男性の医師の方が来られた。
そこで起きあがって、トイレに行った。
そして、うがい。
外はしっとり、雨だった。
それもすぐにやんだようだった。
あぶないところだった。
目覚まし代わり、
時計代わりの朝ごはん。
「時報」のように待っていたが、
来るはずがなかった。
そういえば、
昨日の21:00から「絶食」だった。
さらに今日の10:00からは
「絶飲」にもなる。
絶飲になると、水すら飲めなくなる。
絶食のみの現在は、水やお茶、
スポーツドリンクなどの
飲み物は飲める。
オレンジジュースや
ブラックコーヒーなどはいいが、
ミルク入りの飲み物や、
果肉入りのジュース、
100%の野菜ジュースなどは
飲んではいけない。
ここで、父からの野菜ジュースの登場。
『野菜生活』は、
野菜汁70%と果汁30%。
100%の野菜ジュースではない。
ということで、
朝ごはん代わりにがぶがぶと飲んだ。
ここで飲まなければ、
2リットルの野菜ジュースは
飲みきれなさそうだ。
コップ2杯(500ml強)、
しっかり味わって飲んだ。
よく冷えた野菜生活は、
心身ともにしゃきっと目覚めるほど
おいしかった。
歯みがき中に回診があった。
雨はすっかりあがっている。
昨日、
「便通応援薬」が処方されたので、
いちおうは飲んだが。
さすが長年の習慣。
歯をみがいてしゃがんだら、
ハト時計のごとき正確さで
「ポッポ〜」っと出た。
「もう出たの⁈」
と、いつもおどろかれる。
自分でも、お尻に何か「つぼ」か
スイッチのようなものでも
ついているのかと思うくらいに。
便座に座ると、つるんと出る。
座って流すまでに
10秒とかからないことがほとんどだ。
時がくると、門の鍵が開く。
本当にお利口なお肛門。
おり肛門だ。
うん、この感じ。
本日も快腸です。
テーブルを拭きに来てくれた
看護師さんに、
10:00のお知らせのお願いをしてみる。
「ぜんぜんいいですよ、10時ですね」
「15分前の、
9:45ごろでもいいですか」
「わかりました。
それじゃあ、9時45分。
15分前にお知らせに来ますね」
看護師さんは、快く受けてくれた。
気持ちのいい、笑顔だった。
時計はないけど、
親切な看護師さんが
いてくれて助かった。
これで時間を超えちゃう心配もないし、
直前にしっかり水分補給もできる。
ちなみにいまは、8:40だと。
おお、知らぬまにもう9時前だ。
よし。
ちょうどシャワー室の受付時刻だ。
いまのうちに頭を洗っておこう。
シャワー室の予約に行くと、
9:00〜9:30の枠がうまっていた。
予約の記帳をよく見ると、
何と、誕生日がおなじ人だった。
こんなことって、あるんだ。
一人興奮していると、
すぐそばの看護師さんと目が合った。
誕生日がいっしょだった、と話すと、
看護師さんもおなじく、
「そんなことって、あるんですね」
と、興味深くおどろいてくれた。
11月19日生まれ。
誕生日がおなじの、
ぼくより少しばかり
「お姉さん」の女性。
いままで、どういうわけか、
誕生日がおなじ人に
出会ったことがない。
めずらしいわけでもないだろうが、
1日ちがいがせいぜいで、
おなじ日という人には
会ったことがない。
今回も、会ったわけではなかったが。
会うよりも偶然を感じる
「出会いかた」だった。
手術日の今日。
何かいい「お報せ」をもらったようで、
うれしかった。
ということで、
9:30〜10:00の枠を予約した。
時刻を知らせてくれる看護師さんと
入れちがいになるといけないので、
ネームプレートにメモをはさもうと
廊下へ出ると、
偶然、たまたまのタイミングで、
初日の男性の先生に声をかけられた。
今日の手術への
励ましの言葉をいただき、
本当に、ありがたく思った。
覚えてくれているだけでなく、
こうして声をかけてくれること。
そんなやさしさは、
一朝一夕にできるものではない。
ありがとうございます。
ぼく、がんばります。
* *
廊下では、
「いつもの日常」がうごきはじめる。
リハブの男性と、おじいさんの声。
あわただしくうごき回る人たちと、
それを待つ人たち。
そろそろシャワーの時間かな。
そう思っていると、
外科の先生が回診に来てくれた。
簡単な問診のあと、
器械のようすを見て、ぽつりと言った。
「止まったかもしれない」
泡が、止まっている。
たしかに、
おとついあたりから泡は出なくなった。
土曜日、くしゃみをしたあとに
泡の音を聞いたくらいから、
聞いていないような気もする。
あたりまえだが、急に、
いつのまにか知らないうちに、
泡が出なくなっていた。
「手術、中止かもしれないです」
そう言うと先生は、
チューブの詰まりがないか
たしかめたり、
あーと言ったり、深呼吸をしたり、
寝転がったり起きあがったり、
いろいろためして調べてみた。
「止まったね」
先生が言う。
土壇場で急変。
いろいろなことがまた、
ちがう向きへと転がりはじめる。
極端から極端へ。
針が、大きく振れる。
何はともあれ。
ひとまずシャワー室の予約は、
キャンセルしてこよう。
* * *
もう一度、
あらためて先生が来られた。
もれがないようなので、
いったん手術は中止にしましょう、
ということに決定した。
体に負担がかかることなので、
やはり、しないに越したことはないと。
急展開からの急変化。
今日、これからチューブを抜いて、
あとは外来で経過を見ましょうと
いうことになった。
手術の中止から、
いきなり急角度で退院の方向へ。
言っていることも内容も
ぜんぶ理解できるのだが。
気持ちだけ、
落ちこぼれてついて行けず、
何が何だかわからず
立ち止まっているような、
そんな感覚だった。
きっとぼくの「気持ち」は、
ぽかんと口を開けたまま、
何度もまばたきをくり返しているにちがいない。
そういうぼく自身も、
おなじような顔を
しているのかもしれない。
「よくあることです」
先生がつづける。
「本当に、判断がむずかしくて。
こうやって急に止まることは、
よくあることなんです。
とにかくよかったです」
先生は、
マスクからはみ出るほどの
満面の笑みで、
うれしそうに笑っている。
白衣の下からは、襟のついた、
チェックのシャツがのぞいている。
手術の予定だった今日。
いつもより正装のような感じに見える
先生は、
裏表のない笑顔で言った。
「それじゃあ、管を抜いて退院、
ということで、よろしいですかね?」
窓の外は、すっかり晴れ渡っている。
明るい陽光を浴びた先生の顔は、
よけいにまぶしい笑顔に見えた。
* * * *
心を決めたあとで、
がっかり、とまではいかないが、
少し拍子抜けしたというのか。
そんな肩すかしな感じが
しなくもないけれど。
とにかく、そういうことだ。
お別れ、となると、
何だかさみしくもある。
この個室とも、
吸引マシンMSー008号とも、
窓から見える景色ともお別れだ。
ちょうど7日目。
まる1週を、ここですごした。
晴れたりくもったり、雨がふったり。
たった7日間の出来事だが。
初めての入院生活、
床はバリアフリーで平坦でも、
いろいろな起伏や曲折が
あったように思う。
本当に、いろいろありました。
11:00から、
胸のチューブを抜く処置を
するとのこと。
ここ、わが個室にて
執り行われるそうだ。
いまは10:00ごろ。
もう、おとなしくしていよう。
気胸という症状。
大きな誤解は、
泡を出し切らないといけないのだと
思いこんでいたこと。
肺の穴からもれた空気が、
胸の中(胸腔)に
たまってしまわないよう、
チューブで逃がす。
そうやって空気を逃がしながら、
肺の穴がふさがってくれるのを待つ。
それがこの、
「胸腔ドレーン(ドレナーデ)」の
目的だ。
前半はたしかに、
胸の中にたまった空気が、
泡として出ていたこともあるはずだ。
泡の出る場面、
泡の出かたなどが変わっていき、
次第に泡の大きさも小さくなる。
ぼこぼこっ、から、
ポコポコ、プクプクへ。
そうなったときの泡は、
肺からもれた空気で、
胸の中にたまっている空気ではない。
泡が止まったということは、
胸腔にたまった空気が
抜け切ったということではなく、
肺にあいた穴がふさがったという
報せなのだ。
だから、自然と時間に任せるしかない。
止まるかどうかもわからないし、
いつ、どうやって止まるかもわからない。
ぽこぽこと深呼吸をくり返したり、
泡を出し切ろうと
気ばったりしていては、
治るものも治らない。
安静。
とにかくそういうことなのだ。
治そうと思って
何かできるものでもないし、
止めようと思って
止められるものでもない。
経過を見て、観察し、
穴がふさがるのをじっと待つ。
予想も制御も結論もできない。
本当に、誰にもわからないことなのだ。
状況に応じて、
的確な対処と判断をするのが
お医者さんの役目で、
患者自身は、
いっそう何もやれることはない。
できることは、安静。
あとは祈って待つのみ。
それしかないのだ。
* * * * *
「はい、息を吸って、吐いて・・・。
はい、吸って・・・はい、止めて」
合図に合わせて、息を止める。
そのあいだに、
胸のチューブをするするっと抜く。
抜き切るとすぐ、
穴の付近に刺しておいた針を引っぱり、
すばやく穴を縫いふさいでいく。
5秒くらいのあいだに、
2針ほど縫う。
コッヘルみたいな形の持針器を使って、
少し湾曲した針をつかみ、
すいすいっと縫っていく。
そうして穴が閉じると、
息止めも解除される。
先生はそのまま処置を進めながら、
おだやかな声で、淡々と、
助手の先生に「講義」していく。
「今回、最初の処置は、
自分でやってないから。
どういうやり方をしてるか
わからない。
そういうときは、安全策、安全策で。
垂直方向に2回。
1回でもいいけど、ここは安全策で。
・・・・そのあと、
ここを1本だけ切って、糸を抜く。
2本とも切ると、
体の中に残っちゃって、
取れなくなるから」
なるほど、とうなずきながら、
助手役の先生が、
先生の手さばきをじっと見ている。
見えないし、わからないけど、
想像力をふくらませて、
ぼくなりに「なるほど」と、
納得しながら、
先生の話を聞いていた。
最初、糸を切るために
チューブを引っぱったとき、
体につながれた糸がぴんと張って、
すごく痛かったけど。
先生の手さばきには迷いがなく、
処置自体の痛みは
すごく小さなものだった。
力任せでもなく、
ばたついたり、もたついたりもせず、
ていねいで早い。
ものすごく落ち着いて、
常に冷静な感じだった。
とにかく先生は、「上手」だった。
15分くらいで、
すべての処置が終わった。
もう、自分の体に、
チューブはなかった。
横にいるMSー008号のチューブは、
ぼくとはつながっておらず、
ぼくの体の中に入っていた先端部分は、
医療廃棄物のビニール袋の中に
おさまっている。
ずっとそばにいたMSー008号が、
なぜか急に、遠くに見える。
さみしさとかそういう感情ではなく、
自分の体の延長線から、
一塊(いっかい)の器械に戻った。
そんな感覚だ。
チューブが抜けた。
体から、チューブがなくなった。
なかったほうがあたりまえで、
なかった期間のほうが
圧倒的に長いはずなのに。
左胸からチューブが伸びていないことに
違和感を感じるほど、
チューブが体の一部になっていた。
リードを外された犬が、
思いっきり全速力でかけまわる気持ち。
その気持ちが、よくわかった。
ベッドの右側の物を取るとき、
器械が置いてある左側から
大まわりに周って、右側へ行く。
まだ「チューブがあるときの動き」が、
体にしっかり染みついている。
自分が動く前に、まず、
自然と左側の器械とチューブを
たしかめる。
そう。
四六時中、毎日毎日、
チューブと器械を気にしていた。
マイクのコードを手にして歩く、
70年代の、昔の歌手みたいに。
せまい個室の中を、
病棟の廊下を、検査室の中を。
チューブ優先で歩いていた。
それが、ない。
もともとなかったものだが。
しばらく「チューブありき」で
すごしたあとでは、
「ない」ということが、
どれほどすっきりと軽やかなものか、
言葉では言い表しきれない
解放感があった。
「チューブがなーいっ!」
声に出してよろこび、
その場でぐるぐる回って、
ぴょんと軽く跳ねあがった。
いかんいかん。
「今日はベッドの上で
安静にしていてください」
先生にそう言われたのだった。
かけまわり跳ねまわり、
踊りたくなるような解放感は、
その言葉とともに飲みこんだ。
* * * * * *
2冊目のノート。
2冊のノートの1ページ目は、
どちらも「MSー008」で
はじまっている。
出会いと別れ。
7日間、お世話になりました。
外は、
祝福するかのように晴れ渡っている。
ソファに座り、
その賛辞をすなおに浴びていた。
CT検査で、偶然見つかった
甲状腺の中のかたまり。
5ミリくらいの小さなかたまり。
外科の先生にうながされ、
それもついでに診てもらうことにした。
これまで、病院はもとより、
健康診断なども受けてこなかった。
最後はたぶん、20代だったように思う。
学生のころや会社勤めのころには、
健康診断を受けた記憶がある。
と言っても、ごく簡単な検査ばかりで、
血液検査と尿検査と、
レントゲンくらいしかなかった気がする。
あれから20余年。
医療技術も格段に進歩したし、
自分の体も、
確実に劣化しているにちがいない。
本音は、検査より何より、
とにかく家に帰りたかった。
いきなり緊急入院して、
何の準備もなく出てきた家に、
ひとまず帰りたかった。
退院までの時間を利用しての、
甲状腺の検査。
さらには肝臓にも
「何かあるかもしれない」
ということで、
あわせてそちらの検査も
行なうことになった。
みんながよく言う、
「早期発見早期治療」というやつか。
チューブが取れたいま、
今度は、甲状腺と肝臓の検査を受ける。
左の腰には、
チューブを留めるための
テープがあった。
そのせいでズボンをしっかり、
上まであげることができなかった。
ただでさえゆるゆるゴムの
パジャマズボン。
いつ「半ケツ」がくだされるのか、
いつも冷や冷やしていた。
その心配も、もうなくなった。
上まであげたズボンは、とても快適だ。
こんなふうに。
どうでもいいような
些細なことばかりかもしれないが。
そういう些事が
満たされるということが、
どれほどしあわせなことかと
つくづく思い知らされた。
先生が、
父とのやり取りを話してくれた。
最初のときにくらべて、
今日は人が変わったみたいに
おだやかだったと。
手術が決まったとき、
熱い言葉をならべた
(まくし立てた?)あと、
父はこう言っていたそうだ。
「自分が守らないといけない」
先生は、
「責任感のつよい人だと思いました」
と、おだやかに言った。
そう言ってもらえると助かる。
何でもつよすぎるといけない。
ほどよく、ちょうどよく。
その微妙な調整、さじ加減が、
「学び」や「経験」なんだろう。
『過ぎたるは猶(なお)
及ばざるが如し』
まさに、そういうことだ。
その言葉を知っていて、
いくら頭でわかった気でていても。
なかなか「ちょうど」はむずかしい。
人生に再放送はない。
毎回が「初めて」のことばかりだから、
想像力で応用する、センスがいる。
何でもつよすぎる父。
そして思った。
父は「なぐってさする」人なんだと。
攻めているように見えて、守っている。
不安なこと、心配なものが来る前に、
そうやって「攻めの守り」を
するのだなと。
いまのぼくには、
そういうふうに見えた。
やはり父は「つよがり」の人だと。
父がやさしく、
愛情深い人だということは、
よく知っている。
ただ、それがつよすぎる。
自分の思いがつよすぎる。
そういうことだ。
・
ひとまず、これでひと段落。
あとは経過を見ながら、
外来で診てもらう。
7日間。
ここで経験したこと、感じたこと、
思ったことは、やってみる。
たとえ失敗しても傷ついても、
こてんぱんに打ちのめされても。
肩の力を抜いて、
すがすがしい気持ちで。
直接的ではなく、
「間接的に」学べた「副作用」。
まったくおなかが
減らなくなっていたのに。
いまではおなかが、
たくさん減るということ。
ぐうっと鳴るのは、
生きたいと叫ぶ鳴き声だ。
おむつ体験も、全身麻酔も、
外科の手術も、みんななくなった。
チューブが取れて、
胸の違和感も消えた。
寝転んでみても、
胸が圧迫される感じは気にならない。
・
止まって、かたまっていては、
ついていけない。
時流について行く必要はないが、
物事の流れや動きに
置き去られてはいけない。
自分を完成させてしまうこと。
それは、ひとつの終わりの形だ。
あせらず、ゆっくり、落ち着いて。
どんと構えてゆったりと。
かつての自分を思い出せ。
かつての自分を取り戻せ。
* * * * * * *
5月15日 昼 |
朝食ぬきの昼ごはん。
最近ではよくあったことだが。
数年前までは、
昼ごはんは食べないとしても、
朝は、必ずきちんと食べていた。
1日のはじまりの朝ごはん。
プレーンオムレツとベーコンとチーズ。
バターたっぷりのパンと、
淹(い)れたてのコーヒー。
気づくとコーヒーも、飲まなくなった。
朝、または、
午後の休憩で淹れる、1杯のコーヒー。
かぐわしい琥珀(こはく)色の香りに、
いつも心がときめいた。
すべての根本は、罪悪感。
自分なんかが朝ごはんを、
食べる資格はない。
コーヒーなんて、贅沢すぎる。
そう思うようになった。
いつか言われやしないかと、
おどおどしていた。
そしてそれが「あたりまえ」になった。
いろいろなものが、どんどんこわれた。
もう少しで本当に
「病気」になるところだった。
病名も薬もほしくなかった。
まったくの「別件」での
緊急入院ではあるが。
今回の入院で、
いろいろなものが、
少しずつ「治った」。
少しずつ、うごきはじめた。
そんな気がする。
朝食を1食ぬいただけのお昼ごはんが、
ありがたく、
目にもまぶしいものに感じた。
目だけでなく、味も、
いつも以上においしく感じられた。
サラダは、スパゲッティかと思ったら、
細切りのだいこんだった。
しゃきしゃきとした食感に
びっくりした。
「土佐煮」というものとは
初めての対面だ。
大きめに切った、
れんこんの食感がうれしい。
厚切りのれんこんを絵に描くと、
『トム&ジェリー』に出てくる
チーズみたいだ。
メカジキは、
パプリカだけでもご飯が食べられる。
デザートのおまんじゅうは、
まるで快気祝いのようで、
口にも、心にも、その甘みがしみた。
刑務所では、
お正月などのおめでたいときだけ、
おまんじゅうが出るそうだ。
所内では「甘味」がものすごく
貴重品だと。
何でも刑務所にたとえて恐縮ですが。
たしかに、久々の「あんこ」は、
とろけるようで、
とても甘くておいしかった。
1週間使いこんだ「おはし」は、
黒檀(こくたん)のようには
まったくならなかった。
先のほうが少し変色した、
ちょっと汚れたわりばしにしか
見えない。
毎食、使ってきたおかげで、
心なしか先のほうに
被膜(ひまく)ができ、
オイルステイン仕上げのような
「防水」になった気がする。
洗ってもそこだけ、水の吸収が少ない。
2、3年使いつづけたら、
もっとエイジング(経時的変化)が
進んで、
ウォルナットや黒檀のように
なるかもしれない。
<使いこんだおはしの図> |
<わがままを言って 看護師さんから1日借りていた 鉛筆削りの図> (色は青色系) |
<移動式テーブルの図> 勉強机にも食卓にも、 ちょっとした手術の作業台にも、 絵を描く机にもなる キャスターつき片足テーブル。 |
待望の、憧れの、念願のシャワー。
個室内の、
自由に使えるはずのシャワーを、
使うことなく、
このまま終わりかと思ったが。
チューブを外したので、
シャワーを浴びてよいとの
お許しが出た。
「気持っちぃーー!」
ため息のあと、
声に出さずにいられないくらい、
ほとばしるお湯が気持ちよかった。
初シャワー室。
6日ぶりのシャワー。
体を洗うタオルは、
初日に母が買ってきてくれた、
ゆたかな泡立ちをお約束する
「ネットタオル」だ。
これまでの清拭で、
自分では届きにくかった部分も、
すみずみまでしっかり洗う。
背中もお尻も、
デート前のように、
真っ白な泡できれいに洗った。
<個室シャワー室の図> 温かなオレンジ色の照明がうれしい。 |
シャワーでさっぱりして、
新しいパジャマを着たときの感触。
ぜんぜんちがう。
一皮むけるというのは、
こういう感じか(2度目)。
ぱりっとしたパジャマが
洗いたての背中に当たる感触は、
あいだに何もじゃまするものが
ないといった感じがする、
シャワー、
すごく気持ちよかった。
思わずちょっと笑うくらいに。
源しずか嬢(しずかちゃん)では
ないけれど。
シャワーもお風呂も大好きなので、
それができないことは、とてもつらい。
シャワーの時間は、
コーヒーとおなじく、数少ない、
自分の「趣味・嗜好品」あつかいでも
あった。
香りや泡や肌の感触。
温かなお湯に、目を覚まし、
解きほぐされる体の感覚。
罪悪感にさいなまれていたとき、
お風呂どころか、
シャワーも浴びられなくなった
時期がある。
頭も体も、3日くらいは気にならない。
そうやってどんどん、
身体的感覚をたしかめる機会を失い、
心が何も、感じなくなった。
すべてが生まれて初めてのことだった。
ごはん。食感。音。におい。味。
コーヒー。紅茶。緑茶。
香り。くつろぎ。
入浴。シャワー。感触。肌ざわり。
におい、香り。唄。鼻唄。声。口笛。
清潔さだけではない、
体の血が、おどる感覚。
日常生活にひそんだ、身体的感覚。
それは、
自分が生きているということを
無意識的に感じる場でもある。
やめてみて、初めてわかる。
できなくなって、初めて思い知る。
何気ない、
ちょっとしたことの、重要さ。
たしかに自分は「贅沢」かもしれない。
けれども、目や耳、
頭でほしがることはない。
動物的な感覚。
見栄や欲、依存や信仰でもなく、
心のままに実践してきた、純粋な行為。
それが罪だとしたら、
生そのものが原罪だ。
劣等感と罪悪感。
シャワーがすべてを
洗い流してくれたわけではないが。
自分の血がうごきはじめる。
そんな感覚が、たしかにあった。
16:30ごろ、いきなり呼ばれた。
風呂(シャワー)あがりの
「ターバンスタイル」、
ぬれ髪に白いバスタオルを
巻いたままの姿で、
車イスに乗りこんだ。
消化器内科に到着。
肝臓の件で、先生からの問診があった。
「まだ、CTの映像だけでは、
何かわかりませんが。
肝臓に、影があるので、
その正体をたしかめましょう」
次回、
「造影剤(ぞうえいざい)」を使っての
エコー検査を実施するとのこと。
造影剤というのは、
液体の中に「泡」が入っている薬剤で、
エコー(超音波)をぶつけたとき、
泡のおかげで像が「見やすく」なり、
内部のようすが
いっそう解析しやすくなる。
当日は、
手術のときとおなじように、
絶食・絶飲の制限がある。
胃の中に「異物」があると、
正確な像を得られないためだ。
来週の金曜日、10:00。
血液検査のあと、
造影剤を使ってのエコー検査だ。
退院後、外来での検査になる。
車イスを押してもらって、
10階に戻る。
看護師センターの一角で、
車イスに座ったおじいさんが、
絵を描いていた。
お昼ごはんのあとなど、
放っておくと、
昼寝をしてしまう患者さんがいる。
そういう人には日中、リハブをはじめ、
折り紙やお絵描きなど
「何か」してもらう。
目を離すと寝てしまう患者さんは、
こうして目の届く場所で
「何か」してもらっているのだそうだ。
昼間寝てしまうと、夜が眠れず、
深夜徘徊(はいかい)の元となる。
そうなってしまわないよう、
こうして「作業」に
没頭してもらうのだと。
看護師さんが教えてくれた。
車イスに座ったおじいさんは、
色鉛筆を使って、
赤い花の絵を描いていた。
その手はふるえ、
ためすように、探るように、
何かを思い出すように、
ゆっくりとした緩慢な動きで筆が進む。
それでいて
色鉛筆を握りしめた両手からは、
力づよさがひしひしと伝わってくる。
おじいさんの背後に立つ格好で、
その姿を見守るように、
描き進められる絵を
たのしくながめていたのだが。
突然、
何だか心に迫るものがあり、
それ以上、見ていられなくなった。
視界が潤み、
なぜか涙がにじんできた。
何の感情かはわからない。
けれども、そのおじいさんが描く、
ゆらゆらと波打つ線に、
心がぐっと打たれてしまった。
頼りない線と色で描かれたその絵は、
すごくきれいな絵だった。
上手い下手ではない、
とてもきれいな絵だった。
あわてて部屋に戻って、
一人泣いた。
涙がどんどんあふれてきた。
赤い花の絵を描くおじいちゃん (2023/05/15) |
* * * * * * * *
本当に、ドラマチックな7日間だった。
誰も自分を、退屈にはさせてくれない。
「△△さ〜ん、ごはんきたよ」
「うん・・・。今日は、夜勤か?」
「夕方に帰るよ。明日、家に帰れるね」
「ありがとね」
「こちらこそ、今日までありがとね」
廊下から、
看護師さんと患者さんとの
声が聞こえてきた。
いつも廊下でリハブをしていた、
おじいさんの声だった。
どうやらおじいさんも、
明日、退院のようだ。
夕ごはん、まだかな。
さっき「ごはん」って言ってたけれど。
配膳に時間がかかってるのかな。
それとも、安心したのか、
やけにおなかが
減ってきたのかもしれない。
食いしんぼうなやつめ。
そう思っていたら。
「食器片づけますねー」
さわやかな声とともに、
男性が入ってきた。
「もらってないです」
と言って、
手術が中止になった件を話す。
「だったらいけるかもしれないです。
だいぶ遅くなるかも、ですけど。
お待ちください!」
と、急いで部屋を出て行った。
扉が閉まるとすぐ、
廊下で「くうっ・・・!」と叫ぶ、
男性の声が聞こえた。
一人部屋で、時計もなければ、
毎日の夕ごはんの時刻も
把握していないぼくは、
あやうく夕ごはんを
「すっぱかされ」そうになっていた。
どうりで窓の外の景色が暗いはずだ。
いつもなら夕景のはずだが。
窓の外は、すっかり夜景だった。
本当に、いろいろあるものですね。
5月15日 夕 |
ひとり、夕ごはんを忘れられた・・・・
というわけではなかった。
本来なら今日、手術の予定だったため、
術後に入るはずだった部屋のほうへと
運ばれていたのだった。
「ごめんなさーい!
お待たせしました。
ゆっくり食べてもらって
大丈夫ですからね」
すっかり冷めた、夕ごはん。
「レンジ使っていいですからね」
看護師さんは、
自分が悪いわけでもないのに、
何度もお詫びの言葉をくり返しながら、
やさしい気づかいの声をかけてくれた。
ごはんは冷たくても、
それで充分あったかかった。
その看護師さんが、
夕方、廊下でおじいちゃんと
話していた人だと、
声でわかった。
「ありがとうございます」
「とんでもない!
それではどうぞ、ごゆっくり」
きっと看護師さんは、
これまでにたくさんの「ありがとう」を
聞いてきたにちがいない。
「ありがとう」
誰もいない部屋で、
一人、ごはんに向かってお礼を言ってみる。
「いただきます」
遅れて届いたごはんは、
冷めていてもおいしかった。
むしろ味は、しっかりわかる。
冷めてもおいしいごはんは、
本当においしいごはんの証拠だ。
八宝菜は、9品入っていた。
もしかして、
「九宝菜(きゅっぽうさい)か?
スープも肉だんごもデザートも、
どれもおいしかった。
今日は、中華の日だった。
(ちなみに「幻の朝ごはん」は、
廊下の掲示板に貼られた
週の献立表を見たところ、
五目煮、マカロニサラダ、みそ汁、
ごはん、豆乳、ということでした)
いよいよ最後の夜、の、予定。
チューブなしの、最初の夜でもある。
明日、ばたばたしないよう、
荷物をざっとまとめておく。
一抹のさみしさがあるような、
なんとも言えない、不思議な感じ。
あんなに待ち望んでいた退院。
瞬間的な不安や退屈さは、
1、2度あったが。
気づくとあっというまの7日間だった。
学びと発見。
自分自身の、いまの姿。
自分自身の、これまでの姿。
癒えていなくても、見えたこと。
いつのまにか、
心が猫背になっていたこと。
針が真逆に振れたこと。
落ち着き。貫禄。
ゆったり、ゆっくり。
何も考えない心。
気にしない心。
執着しない心。
打たれづよく、やわらかな心。
自分自身の、心の在り方次第。
ぜんぶ思い出。
すべて後ろに流れていく。
もう会えないけれど、消えない風景。
『前に進むためには、
後ろに何かを
置いていかなければならない』
ニュートンの運動第三の法則。
(映画『インターステラー』より)
それは心もおなじこと。
・・・はて。
急にいろいろ予定が変わったけれど。
連絡は、ついているのか。
連絡は、つくのだろうか。
お迎えには誰か、来てくれるだろうか。
入院費や治療費って、
どれくらいなんだろう。
明日、全額支払いなんだろうか。
まあ、そういうこともぜんぶ、
明日、そのとき考えればいい。
今日もいろいろあった。
今日も1日が長かった。
そのくせあっというまにすぎ去った。
明日、退院できることを願って。
今日はここらで、おやすみなさい。
*
いよいよ待ちに待った、退院の日。
本当に明日、退院できるのか。
予定はあくまで未定。
一体どうなることやら・・・
次回、5月16日火曜日。
入院生活第8日目でお会いしましょう。
それでは、
ハスピトルディスチャァジ!
(hospital discharge)
主人の帰りを待つソファ (2023/05/15) |
< 今日の言葉 >
病院(病棟)を、
家と思えるようになって
一人前の患者である。
先生のことを「お父さん」と呼び、
看護師さんのことを「お母さん」と
呼ぶようになって、
初めて立派な患者となる。
(入院ノート5月15日より)