2023/06/01

Hi, Punk. 第3日目: 目覚めの朝










『MS-008』号に

電源を入れることになって、

じっとしているときは

なるべくコンセントに

つないでおこうと思った。


そこで感じたのは、

コンセントの抜き差しや、

コードの始末の手間もあり、

立ったとき、なるべくついでに

いくつかのことをやろうと、

無意識に段取りしてしまうことだ。


お年寄りなどが「立ったついで」に、

いろいろなことを、

まとめて片づける気持ちが

少し理解できた。


なるほど。

こういう心理か。


根本がわかれば、解消も早い。

その「立ったついで」の心情に負けず、

思ったことは思ったときに、

やろうと思った。


まとめず、こまめに、その都度やる。


それが「メンドーマン(面倒人間)」に

ならない秘訣だ。


メンドーがらずに、

こまめに動ける心をいつも持ちたい。



便利さは、

快適ではあっても発展はない。

不便の中には、発見もある、

進歩もある。

convenience is comfortable, 

but there is no development.

Inconveniences include discoveries

and progress.


かの有名な偉人、

エイブラハム・リンカーンが

こんなことを言っていた、


・・・という記録はどこにもない。


自分が勝手に、思っただけだ。


(リンカーンの名言その1:木を切り倒すのに6時間もらえるのなら、私は最初の4時間を、オノを研ぐことに費やすだろう。If i had six hours to chop down a tree. I'd spend the first four hours sharpening the axe.)




体の動きとともに、

泡が出る音が聞こえる。

昨日まではほとんど出なかった泡だが。

器械に電源を入れて、

圧をかけているおかげか、

泡が出るようになった。


ふだんの動作で、体の中の空間が

こんなにいろいろ

変化しているのだと気づく。


呼吸はもちろん、

咳、くしゃみ、げっぷ、

力を入れたとき、かがんだときなど、

ぷくぷく、ぽこぽこと、泡が出る。


体内から出てくる「排液」の色も、

赤っぽいものから

黄色っぽく変わってきた。



となりの部屋の男性は、

ずっと咳をしている。

すごく苦しそうだ。

ごはんのときは止まるようだが。

食べ終わるとまた、咳がつづく。


たんを、かあぁーっと吐き出す、

「たんきりおじさん」。

その音は、食事中とかに聞くと、

ちょっと笑えてくる。


「もう! ごはん中だってばっ」


と、思わず言わずにはいられなくなる。


そう。

ここは呼吸器内科病棟。


咳やたんなどで、

苦しむ患者さんの集まる場所だ。


咳って、ずっとしつづけると、

腹筋がばきばきに割れてくる。

腹筋が痛くてつらくて、

本当はもう、咳なんてしたくないのに。

出るときは出るから、すごくつらい。


そんな遠い記憶を思い出し、

おじさんの割れた腹筋を想像してみる。


個室にいるせいで、

ほかの患者さんとは

ほとんど顔を会わさない。

だから、音や声だけで、

姿はまったくわからない。


廊下でちらっとすれちがう人。

その人がこの咳の人なのか、

はたまた「たんきりおじさん」なのか。

それともまた別の人なのか。


ちっとも結びつかないまま、

一人、個室で声だけ聞いている。


昼間、廊下でリハブに励むおじさん。

理学療法士さんの声。

初めてその姿を見たとき、

想像とちがった二人の姿に、

ちょっと意外に感じたり。


声と音と、その人の姿。

なんだかおもしろいですね。



5月11日 朝



朝食。


そろそろパンが恋しくなる。

スパゲッティサラダがおいしかった。

みそ汁は、豆腐かと思ったら

じゃがいもだった。

凍った豆腐か、干し豆腐かと思った。



* *



<パジャマの前後問題>



洗面所の蛇口は、センサー式の、

「自動蛇口(オート・ジャグチー)」だ。


手を差し出すと水が出る、あれです。


あれって、ときどきむずかしい。


ニューヨークにいたとき、

空港のトイレとかホテルの洗面所とか、

ことごとくうまく反応してもらえず、


「日本人じゃあ、だめなのかなぁ」


などと真剣に思ったほどだ。


5日目にしてこつがつかめた。

(というか、通りがかりの

 おじさんが教えてくれた)

両手のひらを広げて、

なるべく面積を「大きく」すると、

一発で水がほとばしる。


余談だが、当時、

地下鉄のプリペイト式カードや、

銀行ATMなどの

「磁気カード」の読み取りも、

通す「スピード」にこつが必要だった。


カードの磁気部分を

器械のすきまに通すとき、

早すぎても、遅すぎても、

『error』とか、

『your card is damaged』の

表示が出て、

何度やってもだめな場合がある。


さいわい自分は、

この磁気カードとの相性がよく、

ATMでも問題なく出金できたし、

地下鉄でも、改札口ではさまれたことは

一度もなかった。


すっかり慣れて、気を抜いたときに、

思いっきりはさまれた。


「そいつ」は、

慣れたころに、やってくる。


慣れって、怖いですね。



話は戻って。


病室の洗面所の蛇口は、

車イスでも無理なく使える

高さになっていて、

その高さは、自分にとっては

やや低い位置にある。

ちょうど股下くらいに蛇口が来る。


さらにはそのセンサーが、

ニューヨークとは逆に、

ものすごく高精度で、

ちょっと手や腕が

そばに寄っただけでも、

シャーっと水がほとばしる。


顔を洗うときなど、

その「高さ」と「感度」に慣れるまで、

何度パジャマ(ズボン)を

ぬらしたことか。


ちょうど「おしっこ」を

もらしちゃったみたいに。

股の部分が、じわあっと丸く、

ぬれてしまうのだ。


ぬれたパジャマを替えるため、

看護師さんに声をかける。


「パジャマのLLサイズ、お願いします」


言いわけがましく、


「洗面所の高さが、むずかしくて」


などと付け足す自分の小ささに、

辟易(へきえき)しながら。

新しいパジャマをもらって、

とぼとぼと自室へ戻る。


そんなことを、

再放送のドラマみたいに

何度くり返したことか。



新しいパジャマは、気持ちいい。

けれども、ズボンのゴムは、

どれもゆるゆるだ。


体側にチューブを留めているため、

ズボンはいつも「腰ばき」だった。

腰に固定したチューブで、

ズボンが上にあげられないのだ。


まるでベニスの

スケーターのようなスタイルだが。

ゆるゆるゴムの腰ばきパジャマは、

廊下を歩いているだけで、

ずるずるとずり下がってきてしまう。


何かを手に持っていて、

片手しか使えないときは、

右手で『MS-008』号を

引き連れながら、

その手をさっとはなして、

ズボンをすっとあげてまた

『MS-008』号の握り手をつかむ。

そしてまたズボンをあげて、

握り手をつかむ、という、

空中ブランコのような

素早いパスワークをくり返しながら、

長いような短かい廊下を歩いていた、

・・・・などとは、

誰も知るよしはないだろう。



どうでもいい、お話ですね。

おしゃれなパジャマに着替えたい(2023/05/11)




* * *





いつしか、じっと寝そべって、

治るのを待つだけになる。


誰かが治してくれる、

誰かに治してもらう、

そんな気持ちになるのかもしれない。


お医者さんたちは、

治すためのお手伝いをしてくれる。

治すための処置をしてくれる。

それが仕事だ。


治すのは本人。

本人の心と体次第だ。


じっとベッドに横たわっていても、

治るわけではない。

たとえ体が動かなくても、

治そうという気持ちが動かしてくれる。


それでもむずかしいことは

あるだろうけど、

少なくとも、動けるのであれば、

自分から迎えに行くべきだと思った。


自分でできることを、自分がやる。


不自由なだけで、

できないわけではない。

できることを、

できるうちにやっておかないと、

できなくなってからではもう遅い。



何にもつながれていないのに、

何かにつながれていた。


どこへでも行けるのに、

どこにも行かなかった。


何をしてもいいのに、

何もしなかった。



何かにつながれているから、

その何かを切りはなしたかった。


どこへも行けないから、

どこかへ行きたくて仕方なかった。


何もゆるされないから、

何かひとつでもやりたかった。



何にもつながれていないから、

いつでもすべてとつながっている。


どこにでも行けるから、

どこでも自由にうごきまわる。


何をしてもいいから、

何でも思ったことをぜんぶやる。



いつでもできるものだと

思っているから、

いつもやれずに終わっていく。


いつでもできるものは、

ひとつもない。


いま、今日、この瞬間。

思ったときが、そのとき。


思ったのにやらないのは、

もったいない。

思ったことを、

ひとつでもいいからやればいい。



体がうごくと、血がうごく。

血がうごくと、心がうごく。


いつのまにか

猫背になっていた自分に言う。

もっと胸を張りなさいと。


よく眠って、よく食べて、

それ以上によくうごく。


ためることなく、どんどん燃やす。


健全なる肉体に宿る魂。


心と体は、切りはなせない。


(5月11日・入院ノートより)



* * * *



母からの物資が届く。


手さげ袋には、

タオル、お買い物バッグ、

そしてスケッチブック。


待望のスケッチブックだ。

本当にありがたい。



レントゲンのお迎えが来た。

先生の指示により、

検査室などへの移動は

「車イス」だった。


レントゲンや諸々の検査室は、

1、2階にある。

車イスに腰をおろすと、

踏み台を起こし、足を乗せる。

看護師さんによってまちまちだが、

チューブの先につながった

『MS-008』号を

自分の手で持つか、

看護師さんが運んでいくか。


看護師さんが運ぶ場合は、

片手に車イス、片手に機械、

という格好になる。


この『MS-008』後のキャスターが、

なかなかくせ者だった。

5輪キャスターの台座に、

後から1輪足して

6輪にしたような形態で、

決まった一方向には押しやすいが、

後退や右左折などをするとき、

車輪がまごつく。


自分はちょっとだけそれに慣れたが、

初めましての看護師さんは、

たいてい「あれっ」となった。


「よくこんな押しにくいの、

 押してますね」


などと言われたり。


握り手や器械の、

向きや位置を調整してくれた

看護師さんもいた。


たいていの場合、

「行き」と「帰り」は

ちがう看護師さんになる。


レントゲンのあと、

別の検査がある場合も、

おなじ看護師さんが押してくれるとは

限らない。


検査の待合室まで押してくれ、

検査が終わると、

検査室の人が待合室まで押してくれる。

そこでまた「お迎え」を待つ。


そんなわけで。

毎日、代わる代わる、

たくさんの看護師さんに

車イスを押してもらった。



待合室では、

なかなかお迎えに来てもらえず、

気分の悪さや、

腰などの痛みをうったえる

患者さんもいた。


受付の人が、

お迎えの催促の電話を入れる。

ほかの車イスの患者さんが

どんどん帰っていくのを尻目に、

ため息まじりに待つおばあさん。


ほとんど動かず、じっと座ったまま、

黙ってお迎えを待つおじいさん。


ベッドのまま運ばれてくる

患者さんもいたし、

自分の足で歩いてくる患者さんもいる。


老若男女、

とにかくいろんな患者さんがいた。



レントゲン室は、特に混みあう。

入院患者だけでなく、

外来の患者さんもたくさんいた。

曜日や時間、タイミングで、

その混み具合はまったくちがった。


パジャマを着て、チューブをつなぎ、

点滴やその他の器械、

自分とおなじ

『MS-008』号を連れた

患者さんもいた。


「おおっ、先輩!」


などと、心のうちで思いながら、

そっとタンクのようすなどを見る。


ものすごくたくさんの量の

「排液」がたまっているのを見て、


「あんなにたまらないといけないのか!

 そんなんじゃあ、いつになったら

 ここから出らるのか、

 わかったものじゃない・・・」


などとがっくり、肩を落としてみたり。


(看護師さんに、それは気胸ではなく、

 また別の、肺の中に水が

 たまる病気かもしれない、

 と聞いて、

 よくわからない安心感を覚えたり)


人の集まる待合室は、

ある意味、情報収集の場でもあった。



受付では、本人確認のため、

患者は、氏名と生年月日を

口頭で答える。


「お名前と生年月日、教えてください」


わかりやすいよう、

毎回、決まったフレーズで、

尋ねられる。


入院生活が長いのか、

それとももう慣れてしまったのか。

特に「おじさん(年配の男性)」などは

その問いかけが終わる間もなく、

やや食い気味なくらいの感じで、

氏名と生年月日を

「お経」のように唱える。


女性(年配のおばさま)の場合は、

聞かれるまでのんびりとかまえていて、

答えかたもゆっくりで、

「ええっと・・・」といったふうに、

思い出すような感じで返す人が多い。


相手の目を見て答える人。

まっすぐ、実直そうな声で返す人。

です、をつける人、つけない人。

笑顔の人。ぶっきらぼうな人。

面倒くさそうな人。いらいらした人。

のんびりした人。ていねいな人。


声や口調、話しかた、

しぐさや表情、言葉づかいに、

その人の人となりや

人生観などがにじみ出ている。


たとえおなじパジャマを着ていても、

その人柄は、確実に声に表れた。


誰もがおなじことを

求められるおかげで、

個々のちがいが、比べやすいのか。

比べたり照らし合わせたり

するまでもなく、

その「ちがい」が

浮き彫りになって見えた。


おなじことをしているのに、

みんなちがう。


いろいろな人がいて、おもしろいな。


そう思った。




レントゲンが終わって、

待合室で「お迎え」を待つ。

ぼくのすぐ横には、

白髪のおばあさんがいた。


氏名のあとに、

生年月日を聞かれたおばあさんが、

やわらかな声でよどみなく答える。


「昭和8年8月8日」


おおっ!

と、思った。


8。8ならび。

8が3つもならんでいる。

末広がりの8。

それが3つもならんでいる。


すごくめでたい感じがした。

ここがカジノなら、

なんかいっぱい出てきそうだ。


よっぽどそのおばあさんに

声をかけようと思ったが。

このご時世、よけいな無駄口は

シャット・アップである。


「わるいねぇ・・・すみません、

 年寄りが若い人に迷惑かけて」


そう言いながら、

何度も頭をさげるおばあさん。


「こんな立派な病院に入れてもらって、

 本当にありがたいことで」


おばあさんの言葉に、

返事を返す人は誰もいなかったが。

おばあさんは、祈るように、

ゆっくり頭をさげていた。



しばらくして、

お迎えの看護師さんが来てくれた。


車イスは、今回の入院で初めて乗った。

案外、風(かぜ)をたくさん感じる。

空調の効いた室内では、

進むときの風が、

肌寒く感じた。

その風は、「車」というより

「バイク」だ。


そんなことも、初めて感じたし、

目線の高さ、段差、

勾配(こうばい)など、

押されているだけでも、

いろいろ思うところがあった。


正直、歩こうと思えば歩ける自分は、

こうして送迎してもらい、

車イスを押してもらうことに

一抹の罪悪感があった。


歩かないように、というのは、

お医者さんの指示だ。


実際、まだ自己判断できるような

状況ではないのだが。


器械につながれて、

車イスに乗っていると、

誰もが「重症」のように感じるようで、

そんな雰囲気がまた居心地悪かった。


歩けないわけではないけれど、

歩き回ってはいけない。

たくさん歩いちゃいけないだけで、

立てないわけではない。


そういう「中途半端」な自分が、

もどかしい。


そんな思いもあって。


10階の病棟に着いたとき、

自室の前で、看護師さんに言った。


「ここで、大丈夫です」


立ちあがるぼくを見て、

看護師さんが言った。


「歩けるんですね」


ややクールな感じの看護師さんの声に、

なんだかうそをついているような

後ろめたさが一瞬芽生える。


「だましたみたいで、すみません。

 立ったり歩いたりは、できるんです」


そう言って自室に戻ると、

ちょと小さく息を吐き出して、

肩をすくめた。


『I have no gray.』


何でも白黒つけたいほうだったが。


白とか黒じゃない、

微妙な階調のグラデーション。


「はい」と「いいえ」だけでは

うまく説明できない、

そんなものも、あリますね。



* * * * *



レントゲンのあと、

今回の執刀医の女医さんが

来てくださった。


肺のふくらみが、思わしくないようで、

昨日と比べて、あまり大きく

変わっていないとのこと。



<5月11日の肺のようす>


週明けまで見て、

それでもふくらみが充分でなければ、

外科の先生と相談しながら、

外科手術も検討したいと。


週明けに、空気が出つくして、

肺が元のようにふくらんでいたら、

チューブを外してめでたく退院、

ということだ。


今日は木曜日。

週明け、月曜日までは、

金、土、日の3日間。


第二手術か、退院か。


この3日間の進展で決まる。



気胸は、何か努力をして

「早く治せる」というものでは

ないらしい。


「時間薬」


経過の観察と、

自然治癒に任せるしかない。



それでも、

心の中、頭の中のイメージで、

肺が大きくふくらむ「姿」を、

穴をぴたっとふさぐその「絵」を、

できるだけ鮮明に描いてみた。



風邪や熱のときなどにも、

自分の体の中の「いい菌」が、

「わるい菌」とたたかって

やっつける姿を思い浮かべる。


子どもっぽくて、うそみたいな話だが。

ぼくより立派な大人の、

しっかりしたパティシエさんも、

おなじようなことを言っていた。


イメージ。


ぼくはお医者さんでもないし、

科学者でもない。


だから、こんな根拠のない、

「あいまいな」ものも、信じている。


ぼくは、ぼくのできることをやる。

それだけのことだ。





母が届けてくれたスケッチブックに、

さっそく絵を描く。


鉛筆は、ステッドラーのHB、3本入り。

先が丸くなったら、その都度、

受付(看護師センター)へ行って、

自動の鉛筆削りで、ががががっと削る。


病室には、

一切の刃物類の持ち込みが

禁じられている。

ひげ剃り、つめ切りなどの、

一部の刃物類は、

許可・申請のうえ、

持ち込みが許される。


鉛筆削りは、どうなのか。


いまさらまた母に

「追加」を頼む気もしなかったので、

鉛筆は、受付まで行って

削ることにした。



そんなふうにして、

スケッチブックに向かって

絵を描いていると、

昼食の時間がやってきた。


看護師さんが扉をノックする。

返事をしつつも、手は止まらない。

ほどなくして、

きりのいいところで手を止める。


しまい遅れたスケッチブックを見て、

配膳に来た看護師さんが声をもらした。


「きれいな絵ですね」


その声に、はっとする。

先ほど車イスを押してくれた、

看護師さんだった。


クールな感じのその声に、

お世辞や、社交辞令のようなものは、

混じっていない。


まっすぐなその言葉に、

ぼくは、本当にすごくうれしく思った。


自分を知らない人が、

絵だけを見て、

それを「いい」と言ってくれた。



そうだ。

そうだった。


この感じ。



自分自身ではなく、

「絵」を、ほめてもらった、

このよろこび。



もう何年ぶりか。


どれくらいぶりのことだろう。


そう、そうだった。



自分が求めていたもの。



絵の表に「サイン」を入れないわけ。


英文字で名前を書いたとき、

頭文字を、

大文字ではなく、

小文字で表記するわけ。


『ブランド』でもなく、

『固有名詞』でもなく。


絵が、絵であるように。


リンゴとかイヌとかみたいに、

「普通名詞」であるように。



看護師さんがくれた言葉に、

いろんなことを、思い出した。





この数年間、いろいろなことがあった。

いろいろなことが、ありすぎた。


ここでは書ききれないようなことが、

たくさんあった。



そして絵が、描けなくなった。



それまで思いもしなかったこと。

初めて感じることばかり。


いっしょうけんめいやっていても、

遊んでいるふうにしか見られない。


罪悪感。


こんなことをしていていいのか、

という疑問。


こんな景色が見たくて

絵を描いてきたのか、いう疑問。


何のためにこんなことをしているのか、

という疑問。


いろいろな疑問に、

心が、止まってしまった。



あんなにたのしくて、

大好きだった「お絵かき」が。


子どものときからずっと、

絵を描かないときなどなかったのに。


絵が、描きたくなくなった。


描こうという気持ちが

起こらなくなった。


心がおどらなくなってしまった。



環境や時勢の変化など。

思い当たるものはたくさんある。

けれど、

原因探しや犯人探しをするより、

どうして自分が絵を描くのか、

それを掘り返してみた。


自分の原点、初期衝動。

それが何だったのか、思い返した。


わかったことは、いくらかあった。


頭でいくらそれがわかっても、

心はじっと、動かなかった。


だから、絵以外の、

やりたいと思うことを

片っぱしからやってみた。



そして今回。

そんな中での、入院だった。



きれいな絵だと言われたその絵は、

本当に久しぶりの、

スケッチブックに向かった

「絵」だった。


だからよけいにうれしかった。


また「描いてもいいよ」と、

言ってもらえたみたいに。


ちょっと泣いちゃいそうなくらいに、

心の底から、すごくうれしかった。



目覚めの瞬間(2023/05/11)




この絵で、本当に目覚めたのか。

完全に目を覚ましたのか。

それは、わからない。


けれども、

何かが目を覚ましたその感じは、

まちがいなくある。


久しぶりに、

スケッチブックに向かったこと。

久しぶりに、

お絵描きをわくわくたのしめたこと。


そんな小さな「目覚め」ではあるが。

たしかに何かが動いた気がした。



壁にぶつかったとき、どうするのか。

ある人が教えてくれた。


乗り越えるのでなくて、

 壁を少しずつ叩きながら

 砕いていくってのもいいかも。

 乗り越えるばかりじゃ

 体力が保たないからね」



越えるのではなく、

ちょっとずつ、くずす。


breakthrough.


英語にすると、

ちょっと気恥ずかしいけど。


その人の言葉を聞くほんの少し前に、

ちょうどそんな言葉が

頭に浮かんで閃(ひらめ)いていた。


なるほど。


乗り越えるのではなく、

突きくずすのか、と。





看護師さんが去った部屋で、

一人、窓の外に目を向ける。



食べることと、

生きることはちがう。


たとえ食べられなくても、

生きていたい。


自分には、それしかできない。


最近になって、

それが、よくわかった。



・・・なあんて。


ドラマチックばかなぼくは、

一人、主人公気取りで

そう思うのでありました。




* * * * * * *




5月11日 昼





5月11日 夕

《今日の大発見》


ごはんのトレイが、

左右で分割されているのだけれど。

小と大、

小さいほうが「冷たい(COLD)」で、

大きほうが「あったかい(HOT)」だと

初めて気がついた。


いつも、

写真代わりに絵を描いていたせいで、

トレイをすぐにさわることが

なかったのだが。

ふれてみて、はっと、気がついた。


なるほど。

よくできておりますね。



『肺がブロッコリー』


肺の中の ブロッコリー畑

収穫祭は 月曜日

たくさんいっぱいになるといい

ハイホー(肺胞) ハイホーと

陽気に唄って

左の肺のブロッコリー畑

どうかたくさん 実りますように


(5月11日・入院ノートより)



今日、カーゼの交換のとき、

初めて自分の

「チューブ取付け口」を見た。


何の金具も器具もなく、

何の違和感もなく、

胸からチューブが伸びている。

黒い糸で結ばれて、

穴すらよくわからない。


そのまま体にすぽっとはまっていて、

まるでチューブが生えているみたいだ。



<左胸チューブの図>




お医者さんは、内臓器官の図を、

まるで地図でも描くみたいに、

さらさらと簡単に描く。

簡単に、しかもわかりやすく。


さすが専門分野の先生だ。



夕焼けがすごくきれいだった。

夕日は、部屋からも姿が見える。


ニジマスのおなかみたいな、紅い空。

山の陰影が、

ラベンダー色に染まっている。


今日の部分の空が、ゆっくりと、

昨日の部分へと飲みこまれていく。

明日の空が、

見えないほどゆっくり、

今日の空と入れかわりはじめる。


見えない線が、分けていく。

今日を、明日と昨日に分けていく。



問診票の、数ある項目の中で、

どれもがほとんど

「特になし」「ありません」

だったのだが。


今回の、唯一の「ある」が、

『テープアレルギー』だった。


覚えのない、皮膚の丸い赤みに、

大きなヒルにでも

噛まれたのかと思ったら。

それは、心電装置のテープ痕だった。


2日弱のおつきあいだったが、

まさか、こんなことになっていたとは。

ほんのりふくらんだ赤い肌は、

ちょっぴりちくちく痛がゆい。


時期をおなじくして、

管を留めるのテープのほうも、

ちりちりかゆく、うずいてきた。


今度の交換のとき、

テープのことを相談してみよう。



夜、3日目にして、

天井からの

「ドラマッチクライト」の存在を知る。


さらには、

「真っ暗」にできることも知った。

真っ暗で寝られるのはありがたい。


毎日、少しずつのランクアップ。

下がっていくより、

上がっていったほうが、

いいですものね。


<天井からのドラマチックライトの図>





さて。


第3日目の回も、

そろそろ幕でございます。


次の機会もごひいきに。

また講演、つかまつる〜。



次回、5月12日、金曜日。

第4日目でお会いしましょう!


それでは、

ハスピタライゼィシュン!

(hospitalization)



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< 今日の言葉 >


「こっちのほうがエーデルワイス」


(5月11日・入院ノートより)