2023/06/15

Hi, Punk. 第5日目: しぼんだ肺を治します



 




5月13日土曜日。

入院第5日目。


リハブの男性が話していたように、

窓の外はくもり空だ。


昨日、看護師さんに聞いたところ、


「明日は、検査も入っていないですね。

 特に予定もないので、

 ゆっくり過ごしてください」


ということだった。


本日、土曜日。

ここへ来て初めての「休日」だった。


まだうろうろできないし、

ゆっくり絵でも描こうかな。

そんな心づもりでいた。


5月13日 朝



朝食。


配膳のとき、2日目の夜に、

お互いびっくりさせ合ってしまった

看護師さんと「再会」した。


「あのときはびっくりさせてしまって、

 すみませんでした」


「こちらこそびっくりさせて、

 すみませんでした」


看護師さんいわく、

病棟には高齢の患者さんがほとんどで、

夜中、巡視に回っても、

目を覚す人はいないそうだ。


そんな状況に慣れていたため、

急に目を覚ましたことに、

おどろいてしまったそうだ。


自分は自分で、

まったく状況がつかめず、

何も言葉を返せなかったので、

こうしてまた

「答え合わせ」ができたことは、

それこそ胸のつかえが取れたようで、

ありがたかった。


胸が苦しいため、

体を起こしたまま寝ているのだと

伝えると、


「うちの父も、気胸で入院してました。

 退院してからもしばらく、

 そうやって枕を高くして寝てました」


と、まさかの気胸つながりで。


経験者の話が聞けたことで、

「やっぱりそうなんだ」と共感でき、

妙な安堵(あんど)を覚えたりした。




朝食を終え、つかの間の休息。


そこに、父と母がやってきた。


いきなりの訪問に、おどろいた。


5分ほどの面会だったが、

父が話しつづけ、

自分は終始、聞き役だった。


母は、父の横に立ち、

静かにほほえんだままぼくを見ていた。


父と母が、ならんでいること。


やっぱりそれは、うれしいことだなと。


父と母が、仲よくいること。

2人が仲よくならんでいること。

それは「子ども」として、

うれしいことなんだなと、

あらためて感じた。


生まれて初めての「お見舞い」。


2人そろって

「お見舞い」に来てくれたことは、

それだけで特別なことに感じて、

ありがたく、そしてうれしかった。


目の前にすると、言えない気持ち。

お礼は言えるが、それ以上のことは、

なかなか言えない。


「心配かけてごめんね、ありがとね」


そういうぼくに、父が言った。


「気ぃつかわんでええねや。

 なんも気にせんでええから。

 ぜんぶわかったぁるから、大丈夫や」


父はかしこい人だ。

父は父なりに、

きっと「ぜんぶわかって」

いるのだろう。


たとえそれが、

自分の思うものとちがっても。

その気持ちだけは、

すなおに受け止め、感謝したい。


つむじ風のように、

さっと現れてさっと消えた父と母。


昨日の夜、感じた気持ち。


目の前の現実には、

まだ戸惑うことも多いけど。

その思いは、忘れない。


父さん、母さん、ありがとう。


患(わずら)って、気づくこと。


格好つけず、恥ずかしがらず、

すなおにまっすぐいられるように。


いつのまにか重ね着してきた、

重たい鎧(よろい)を脱ぎ去って。

はだかの心でかけ回りたい。


遠いあのころの、

まだ「子ども」だったころの、

あのときの気持ちで。


いくつになっても、

親の前では子どもだ。


父と母がならんだ姿に、

子どものころの、

素直で無垢な気持ちを、

少しだけ、思い出した気がした。


父さん、母さん、ありがとう。


また「忘れちゃう」かもしれないけど、

その都度、思い出すように努めたい。



* *



5月13日 昼



昼食。


デザートにメロンが出た。

小さいころ、

メロンはあまり好きではなかった。

メロンジュースや

メロンクリームなどの、

人工的な「メロン味」は好きだったが。

あみ目もようの、

本物のメロンは好きじゃなかった。


思えばそれこそ病院つながりで。

大阪のおじいちゃんが

入院しているとき、

お見舞いに届くメロンを

たくさん食べた。

あっても傷むばかりだからと

差し出され、姉とぼくで、

競うようにして何個も食べた。


調子に乗って食べすぎたせいか、

それとも、

「おじいちゃんの入院=メロン」

というふうに、

頭の中で結びつけられてしまった

せいなのか。


もし、おじいちゃんが、

元気になっていたら

ちがったかもしれないが。


おじいちゃんは退院後、

また入院したりしながら、

元気なころの姿に戻ることはなく、

死んでしまった。


だから、メロンがきらいになった。

メロンを見ると、腹立たしかった。


大好きなおじいちゃん。


ぼくにとってメロンは、

甘くなく、

苦々しい味の象徴だった。


大きくなって。

メロンとおじいちゃんは、

関係のないものだと「わかって」きた。


はじめのうちは、

プリンスメロンしか

食べられなかったが。

だんだんマスクメロン

(いわゆる「メロン」)も

食べられるようになった。


子どものころは、

それを説明する語彙(ごい)も、

理解する力もなかった。


大きくなるにつれて、

自分の記憶を紐(ひも)解いていき、

少しずつ「理解」できるようになる。


ずっと引っかかっていた記憶。


忘れちゃえば簡単なんだけど。

忘れられない、ものもある。

忘れたくない、ものもある。

無視して放っておいた、ものもある。


この入院生活で、

なぜだかいろいろなことを思い出す。


走馬灯?


なんて思ったりはしないが。


いろいろな引き金、

いろいろなきっかけ。

いろいろな場面で

いろいろなふたが開いて、

いろいろなことを思い出す。




昼食を終えて、くつろいでいると、

扉をノックする音がした。


返事のあとに扉が開かれ、

背の高い男性が現れた。


「すみません。勝手に来ちゃいました」


黒い、

手術衣のようないでたちの男性は、

風のような感じで、

すうっとそばまでやってきた。


「ちょっと横になってみて」


言われるままベッドに横たわると、

男性は器械と向き合った。


「あーって言ってみて。

 もう1回。・・・深呼吸して。

 ・・・なるほど。はい、OKです」


てきぱきと、

言葉少なに「確認」をした男性は、


「また来ます」


と言って、

風のように去っていった。


いったい何だったのか。



その男性が、

呼吸器外科の先生だということは、

のちにわかった。


内科の先生との話し合いのあと、

気になって「勝手に」来た

ということだった。


再度、部屋にやってきた先生は、

言葉は少なくとも、

的確な表現でわかりやすく、

現状を説明してくれた。


肺からはまだ、空気がもれている。

これまでの経過と、

現時点でのふくらみを見て、

再手術(第二手術)の必要がある。


週明け、早ければ月曜日にでも、

外科手術をしましょう、と。


ぼくの意思を確認すると、

先生はいったん退出して、

たくさんの書類とともに

また戻ってきた。


資料を前に、先生が説明していく。

淡々としながらも、

ざっくばらんな口ぶりは、

裏表のない、すがすがしい印象だった。


説明のあと、

手術の同意書に署名をする。


「どうしましょう、ご家族のほうには、

 どちらに連絡しましょうか」


先生の問いに、ぼくの口は、

とっさにこう答えた。


「母でお願いします」


「ちらっと聞いたんですが、

 お父様が、押しのつよい人だと。

 何かご商売でもされてる方ですか?」


「いえ、何ていうか、父は関西人で、

 慣れない人には、

 言葉がちょっとつよくて」


「関西の、どこですか?」


「大阪の、北区です」

(※旧「大淀区」)


「ど真ん中の大阪弁ですね」


先生は、マスクの下でほほえんだ。


「それじゃあ、

 お父様に連絡しましょう」


その答えに。

頭のいい人だな、と思った。


「めんどうなほう」を

あと回しにすれば、

それがかえって、

もっと「めんどうな」ことになる。


迷わずめんどうなほうと向き合う姿勢。

ぼくは、その姿に感服し、

好感を抱いた。


先生はきっと、

将棋やチェスがつよいだろうな、と。

一人勝手にそう思った。



* * *



「休日」だったはずの土曜日。

それが、にわかに忙しくなった。


手術をひかえ、

そのためにいくつかの検査が

必要となった。


まず、採尿。

これは難なくすぐに終わった。


さらっとすぐに、50mlほど出た。

それで充分な量だということだが。

ふたをしたあと、置き場にこまった。


コーヒーか何かとまちがって、

飲んでしまわないように、

すぐ看護師さんに提出した。



検尿容器



次に、CT検査。

生まれて初めてのCT検査だ。


『CT」の正式名称は

『computed Tomography』。

日本語では

「コンピュータ断層撮影」という。


その名のとおり、

体を輪切りにした状態の画像を

撮影するものだ。

現代の技術では、

0.5ミリ間隔の像を記録でき、

より細かな異状や病気を

発見できるとのことだ。


身長177センチ。

単純計算で、

3,540枚の画像ということか。



初めての棟。

これまでレントゲンばかりだったので、

CTのある棟には初めて来た。


土曜日ということもあってか、

人の姿も少ない。

どことなく重厚感のある色合いや、

その造りに、

研究室のような空気を感じる。


車イスを押されながら、

はたと気づいた。


今日は「何もない」ということで、

すっかり気を抜いて、

すっかり忘れてしまっていた。


パジャマの下、

洗って干したおパンツを、

履いてくるのをすっかり忘れた。


ノー・パンツによる検査。

看護師さんに、聞いてみた。


「今日の検査って、

 脱いだりしますか?」


「CTもレントゲンも、

 脱ぐことはないですから。

 着たままで、大丈夫ですよ」


よかった。


別に見られてこまるような、

ひみつもないが。

全裸になるのと、

パンツを履いていないというのは、

少しちがう。


「ここでお待ちくださいね。

 何かあったら、押してください」


ナースコールを手渡され、

がらんとした部屋で順番を待つ。


腰高のカーテンで仕切られた、

グレーっぽい、ひんやりとした部屋。

2階にあるのに、まるで地下みたいだ。


カーテンをへだてた横の間には、

ベッドで寝転ぶ

おじいさんがいるようだ。

体調がすぐれず、

ずっと吐き気をもよおしている。

看護師さんが声をかけつつ、

そばについていた。


おじいさんが移動していく。


「大丈夫そうですか?」


検査の技師さんが尋ねる。


「バイタルが下がってて、

 血圧が70くらいに

 下がってる状態です」


「・・・ううん、そうですか」


声とともに、

3人の姿も部屋から消えた。


しいんと静まりかえった部屋の中。

誰もいなくなると、

パジャマ1枚では肌寒く感じた。



検査の順番が来た。

車イスが押され、部屋の扉をくぐる。

部屋の中は、まるでSFだった。


『AKIRA』の中で、

鉄雄が調べられていた

ラボ(研究室)のような。

何だかすごく、わくわくする風景だ。


本当はもっと、

すみずみまでじっくり

見たかったのだが。

今回は社会見学ではなく、

手術のための検査だ。

係の人の声に従い、

言われるままに体を「ベッド」へ

横たえる。


目の前には、銀色の、

鏡面仕上げのぴかぴかした

輪っかがある。


「ア・・・キ・・・ラ・・・」


という声が、聞こえてきそうだった。


そこに描いてある図柄が、

最初、何の形なのか、

まるでわからなかったが。


「合図がありましたら、

 息を止めてくださいね」


そう言われて点灯、消灯する図柄に、

呼吸をする人の横顔姿だと

ようやくわかった。



<CTの息止めサインの図>



そんなことを思っているうちに、

検査は、あっというまに終わった。



検査室を出て、

先ほどの待合場所で、

またナースコールを片手に

待っていると、

お迎えの看護師さんがやってきた。

 

「レントゲンのほかに、

 超音波の検査も入ったみたいです」


と、新たな紙(受診予約票)を

渡される。


「足のエコーですね。

 時間的に、そっちを先に

 行きましょう」


そのまま超音波(エコー)検査の

部屋に向かった。


自分のほかには、3人くらいか。

人の少ない待合室で、

自分が呼ばれる順番を待つ。



受付の電話が鳴った。

受話器を取る、係の女性。

何度か返事をしたあと、その女性は、

むずかしい単語がならぶ長い文章を、

一度も切ることなく、

一息でさらっと言ってのけた。


その肺活量に、ぼくは、

リリアン・ブリッジズを連想した。





◆リリアン・ブリッジズ

(Lilian Briggs:1950年代、トランペッターにしてシンガーでもある。その長いブレスに興味を抱いた方は、ぜひ『I Want To Be My Baby』をご視聴ください)

Lilian Briggs : I Want To Be My Baby

https://www.youtube.com/watch?v=MWxOMEhkVI0



などと思っていると、

今度は、通訳の女性を連れた、

中国系の男性患者さんが現れた。


マンダリン(普通話)だけでなく、

広東語や北京語を話す通訳さんも

いるのだろうか。


流暢な中国語は、

音楽を聴いているようで心地いい。



音楽といえば、

初めて入ったこの棟には、

広々とした待合に

グランドピアノが置いてあった。


きれいな澄んだ音色に、

誰かが演奏しているのかな、

と思ったら、

それは、自動演奏によるものだった。


自動演奏でも、生音は生音。

やっぱり、はっとするほど

いい音がする。


久しぶりに聴いた「いい音」に、

音楽が恋しくなる。


音楽っていいな。


入院生活の、飢えた心で思ったこと。


音楽って、やっぱり本当に、

癒しの力があるんだなと。

歌詞や唄声だけでなく、その音色も。


かつて音楽は、

医学を勉強した上でしか

習得できなかったと。

お医者さんの知り合いが、

教えてくれた。


「音楽は、人の心や体に

 影響を与えるもの」


そう考えられていたためだ。


久しぶりの生音に、

そんな言葉を思い出す。


病院での、音楽。

それは、病気そのものだけでなく、

患者さんの気持ちを

解きほぐしてくれる。


グランドピアノのゆたかな音色に、

そう感じずにはいられなかった。


エコー監査の待合室にも、

廊下からこぼれるピアノの音が、

かすかに聞こえてくる。


カーペンターズの

『I Need To Be Love』。

いまにもカレンの唄声が

聞こえてきそうなほどだ。



耳をそばだて、

その音色を聴いていると、

技師の男性がやってきた。


「足の検査ですね。

 それでは移動しますね」


おだやかでやわらかな声とともに、

検査室へと運ばれる。


「足の部分に

 エコー装置をあてていきますので。

 では、パジャマのズボンを

 脱いでください」


え!

と、思った。


脱ぐの⁈

と、あせった。


ズボンを⁈

と、戸惑った。


「パンツはいてないんですけど。

 どうしたらいいですか?」


と言うと、技師の男性は、


「それではこのタオルを

 おかけしますから。

 はい、そうですね、よいしょっと。

 こんな感じで行きましょうかね」


と、腰のあたりを

白いタオルでおおってくれた。

安心して、パジャマのズボンを

するりと脱ぐ。


足(下肢)の検査は、

血流を見ると同時に、

血栓などの有無をたしかめるためだ。


全身麻酔での手術中に、

足に血がたまったりしたとき、

血栓などがあると

そこで血流が止まってしまう。

もし血栓が見つかれば、

術前にその対策が必要となる。


「それでは検査していきますからね」


ブホッ、という音とともに、

「エコーゼリーが注出される。


ゼリーは体にではなく、

機器の先に塗られるのだが。

ゼリーでぬるぬるになった

エコー装置が、ぬるぬると、

足の各部をすべっていく。


ふくらはぎから、足の付け根の、

鼠径部(そけいぶ)のあたりまで。


天井からは、空調の風が静かにそよぐ。

タオルからはみ出た素足に、

ひんやりと風を感じながら、

ときどきはっとする。


デリケートな部分に、

たしかに感じる。


天井からの風を、たしかに感じる。


いま、ぜったいに出てる。

先がちょっとはみ出してる。

ぜったい顔がのぞいてる。


そう思っていると、

しばらくしてタオルが、かけ直される。


そして検査がつづく。


あ、出てる!

・・・すうっとタオルが直される。


いま、完全にはみ出してる!

・・・ふわりとタオルがかけ直される。


ちらりとふわり。

そしてぬるぬる。


そんなことを何度かくり返す。


技師の男性が、「おじさん」でよかった。


男性患者は男性技師、というふうに

なっているかもしれないが。


とにかくおじさんで、助かった。


最後、おしぼりを渡されて、

ぬるぬるゼリーを拭き取り、

ズボンを履く。



気をつけよう。

「下肢」のエコー検査は、

ズボン(またはスカート)を脱ぐ。



<エコー室の図>



検査が終わり、

そのまま待合室に運ばれる。

しばらく待っていると、

つづいてレントゲン室へと移動した。




左の手のひらが、

かぶれたように

皮がぼろぼろとめくれている。


いろいろ思い当たるものを考えてみた。


行き着いた「こたえ」は、

「殺菌ジェル」だった。


レントゲン室では、

これまで何度か手の消毒を求められた。


最初のうち、

心電装置が左手につながっていたので、

消毒ジェルは、自由な右手で、

左の手のひらに出していた。


皮のめくれかたは、左がひどく、

右はそれより小さく、

まだ「まし」に見えた。


殺菌ジェルでかぶれることが

あるかどうか、

看護師さんに聞いてみた。


「ありますよ。

 特にジェルは、強いので」


かぶれた手を見せると、

ああっと顔をくもらせ、

小さく何度かうなずいた。


テープといい、ジェルといい。

どんだけ肌が、弱いんでしょうか。



「何の予定もない休日」

だったはずの土曜日が、

売れっ子みたいに忙しくなった。


自分はほとんど

「座って」いるだけだったが。

予定された検査も終わり、

自室に戻った。


と、息をつく間もなく、

外科の先生が来られた。


もう一度、タンクの水を見ながら、

しっかりと「空気もれ」をたしかめる。


肺から、空気がもれているから、

手術をする。

もれていなければ、

手術はしなくてよいのだ。


採血も行なう。

腕ではなく、鼠径部と言われて

またあせった。


パジャマのズボンを

ずりさげた格好での採血だったので、

おパンツなしでも大丈夫だったが。

女性の看護師さんもいたし、

ちょっとひやっとした。


『うまい棒』くらいの、

太めの注射器で、

たっぷり80mlくらいは血を抜いた。


止血しながら、

体勢を変えたり、深呼吸をしたり、

あーと声を出したり。

何度も確認しながら、

先生が、タンクの泡の、

空気もれをたしかめる。



泡は、出たり止まったり。

止まったように思えて、

またぶくぶくっと出たり。


ローラーつきの鉗子(かんし)で

チューブをしごくようにして、

「詰まり」がないこともたしかめて。

左胸との結合部分も確認して、

慎重に、いろいろな形で

「もれ」をたしかめた。


「うん、大丈夫。ちゃんともれてる」


言ったあと先生は、自分で、


「ちゃんと、

 っていうのもおかしいけど」


と笑った。


本当は、

もれていないほうがいいのだけれど。

思わず笑うその感じが、

とてもよかった。





いきなりの予定変更で、

いきなり状況がいろいろ変わった。



手術は月曜日の午後。

時間は未定。

手術室が空き次第、入室となる。


初めてばかりの連続だが、

全身麻酔での手術もまた、

初めてのことになる。



* * * *



窓の外は、雨だった。


鉛筆を削り終え、自室に向かうとき、

内科の回診に来ていた男性の先生と、

ばったり顔を会わせた。


再会するのは、初日以来のことだった。


「手術になったそうですね」


ちょっとだけ苦い感じで、先生が言う。


「これで思いっきり、

 飛行機にも乗れますから」


そう答えるぼくに、

先生が目を細めて笑顔を浮かべた。


「手術、頑張ってくださいね」


「がんばります」


大きくうなずき合うようにして、

その場をはなれる。


みんな、いい人たちばかりだ。

仕事に向き合う姿、

患者に向き合う姿勢には、

本当に頭がさがる。


お医者さんは、

診療以外でも「安心」をくれる。

看護師さんもそうだ。

ちょっとした声かけ、気づかいで、

治療ではない「安心」を与えてくれる。


病院は、

あんまり得意じゃなかったのだが。

病院のことが、

ちょっと「好き」になった。


外国に行くと、

その国のことが好きになる。

地名や国旗を見ただけで、

まるで友だちに会ったような

気持ちになる。


そんな感じなのかしら。


まあ、病院のことを、

あんまり好きになっても、

いけないのかもしれないんだけどね。




回診に来られた女医の先生に、

コンビニの許可をいただいた。


5日目にしてようやく、

10階以外へ行けるようになった。


明日は日曜日。

外来の患者さんもいない。

明日、コンビニに行ってみよう。


いまさらかもしれないが、

必要なものも、買いそろえたい。




5月13日 夕



夕食。


ポークソテーは、

しっかりした歯ごたえの豚肉で、

おいしかった。

「みたらし」みたいな感じで、

ほっとする味わいだった。


献立票()に、

「カクテルデザート」と

書かれたゼリーは、

食べるときまで冷凍庫に入れておいた。

冷え冷えきらきらのゼリーは、

ちょっと子どもっぽくって、

うきうきした。


(※トレイの上に、毎食A5サイズの紙がついてくる。

 そこに「お品書き」をはじめ、カロリーや成分、

 塩分量などが記されている。

 自分はまず、それを見ずにひと口食べて、

 答え合わせのように献立を見る。

 見るまで何かわからないものもあって、それがおもしろい)





昨日、家を売る夢を見た。


家の庭には、

犬の「ハナ」がつながれている。

家は、その、

つないだままのハナといっしょに

売ってしまうのだ。


さんざん迷って思い直し、

あわてて「家」に戻ると、

鎖につながれたハナは、

汚く、やつれて、片目が閉じて、

見るに見かねるような姿に

変わりはてていた。


新しい家主に、

やっぱり犬は返してほしい、

と伝えると、

文句を言いつつも、

しぶしぶハナを返してくれた。


なぜかネズミみたいに

小さくなったハナを抱きかかえ、

小走りで帰っていく。


駅前に停めた赤い車が盗まれていて、

その足で近くの派出所を探す。


駅の路地裏は、

人が歩くのがやっとくらいの

せまい道がつづき、

店の軒先や窓の大きさも、

昭和初期の建物のように小さく、

低かった。


赤い窓枠で緑の壁の中華料理店。

国道から見おろす位置にある

その建物は、

ゆるやかな坂にへばりつくようにして

立っていた。


ほかにも、酒屋や煙草屋などの店々が、

長い壁がつづくようにして、

ぎっちり連なっていた。


看板や電線が、

枝葉や、生い茂ったつる草みたいに、

あちこちから顔を出し、

縦横無尽に伸びている。


ようやく見つけたと思った派出所は、

むかしは派出所だったが、

外観などはそのままに、

いまは喫茶店となっていた。


派出所はどこだろう。


胸のポケットには、

手のひらにおさまるくらいの

犬のハナが、

小さな目でぼくを見あげていた。


・・・そんな夢を見た。



* * * * *



夜、ノートを書いていると、

扉をノックする音がした。


返事につづいて、

看護師さんが入ってきた。


「手術の前後、

 この薬を飲むようにしてください」


渡された薬は、たくさんだった。

うがい薬をはじめ、

何種類かの錠剤があった。


看護師さんが、

ひとつひとつ説明してくれる。

わからなくなる前に、

さらさらとノートにメモをする。


看護師さんが退室したあと、

忘れてしまう前に、

薬の種類と用法を確認した。


<術前術後のお薬>




今日で5日目、明日で6日目。

そんなこんなで、もうすぐ1週間だ。


1週間といったら、立派な旅行だ。


まだまだわからないことも多いが、

入院当初よりは、

わかったことも増えた。



手術。


いろいろ考えなくもない。


けれど、それはサイコロ次第。

その先の景色が何色か。

いまとはちがった色が見えることは、

たしかなこと。


何にせよ、ここから出られることは、

まちがいない。


手術後に、異変がなければ、

翌日までには退院できるとのことだ。



まったくここは、

快適な刑務所のような毎日だ。

刑務所に入ったことはないけれど、

本ではたくさん読んだことがある。


それは、

あくまで知識や情報であって、

体験ではないけれど。

思わず想像してしまう。


壁に囲われた囚人生活。

ここでは、罪状ではなく、

病状がその人の刑期だ。


刑務作業のない「檻(おり)の中で。


あさって、刑の執行だ。


チオペンタールナトリウム。


ここでは、生きるために、

おなじ種類のガスを吸う。



どんなものでも、使い方によって、

天使にも悪魔にもなる。


それは、人の心もおなじこと。


人の心が、天使を悪魔に変える。


だとしたら、

悪魔を天使に変えることも、

きっとできるはず。


姿形は変えられなくても、

その心は、変えられるはず。


きたない心の天使と、

きれいな心の悪魔。


鏡に映るその姿に、

人は、何を見るのか。


いくら装ってみても、

心はごまかせない。




くだらない妄想が暴走する前に、

ここらでペンを置こうと思う。



・明日、頭を洗おう。


・コンビニに行って、

 ノートと歯ブラシ、

 歯みがき粉を買う。


・お医者さんも看護師さんも、

 みんなすごくかっこいい。





5月13日土曜日、

入院生活第5日目。



いかがでしたでしょうか。


禁断の花園、

いよいよご開帳か⁈

人生初の大手術をひかえた家原の、

その命運やいかに・・・。


次回、

5月14日 日曜日、

第6日目につづく。




< 今日の絵 >


何か (2023/03/13)







森の魔人 (2023/03/13)









おかしなパフェ (2023/03/13)









しぼんだ肺を治します (2023/03/13)










南の窓からの景色 (2023/03/13)









バンザイ(2023/03/13)




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