*
5月16日火曜日、晴れ。
入院生活第8日目。
今日の「おあずけ」は、
採血によるものだった。
50mlの血が必要とのことで、
配膳された朝食を前に、
血を抜き取ることとなった。
「ごめんなさい、ごはん前に」
申し訳なさそうにする看護師さんに、
「食べかけよりいいと思いますから。
ちょうどよかったです」
と、答えると、
「なんてポジティブなんですか」
と、目を丸くした。
なるほど。
人によってはこういうのが
ポジティブだったりするわけか。
ひとつまた「ちがい」を知った。
看護師さんは、まだ経験が浅いようで、
あたふたと、そしてさぐりさぐり、
採血をはじめた。
「50ml、多いですけど大丈夫ですか?」
「50ですよね?
献血だと、200とかですもんね。
ぜんぜん大丈夫です」
「よかったです。
・・・・血は平気ですか?
私は最初のころだめで、苦手でした」
などと話しながら採血は進み、
50mlの血液が抜かれていった。
太くてわかりやすい血管は、
いつも献血の人にほめてもらえる。
見つけやすく、刺しやすく、
採りやすい血管らしい。
あるときなどは、係の人が声をかけ、
3人くらいが集まって血管をながめ、
大絶賛されたり。
自分の数少ない長所、
「血管美人」である。
「ありがとうございます。
おつかれさまでした」
ガーゼを押さえて止血する。
採った血を、4本の容器にふり分けていく。
「足りるかな・・・足りて、足りて、
お願い・・・!」
と、祈るように言いながら、
看護師さんが、血液を分配していった。
「なんとかぎりぎり足りました!」
看護師さんが、
うれしそうに容器を見せる。
「よかったですね」
「ありがとうございます」
そう言って
採血した容器をしまいかけて、
看護師さんの手がはたと止まる。
「あれ・・・これも、
いるのかな・・・?」
見ると、おなじ形の空容器が、
まだ2つあった。
「ちょっと確認してきます。
あ、ごはん食べてもらってて
いいですからね」
かけ足で退室する
看護師さんの背中を見送り、
机の上に置かれたままの朝食に、
ようやく箸(はし)を伸ばす。
ほどなくして、
看護師さんが戻ってきた。
しょげたような顔で申し訳なさそうに、
ぼくの顔をじっと見すえた。
「すみません・・・
やっぱり要りました」
ちょっと笑って、箸をおろす。
「こんどは右手でもいいですか?」
「はい、大丈夫です」
右腕をさし出し、
ゴム管を巻きつけて血管を浮かせる。
親指を握りしめる格好で、
軽くこぶしを握って、
針先が、
血管をとらえるのをじっと待つ。
「あれっ・・・あれっ・・・
ここじゃない、
えーっ! ここ? ちがうな。
えーっ! ごめんなさい・・・
えーっ、どうしよう!」
一人うろたえる看護師さんに、
声をかける。
「やっぱり左腕にしましょうか」
「えーっ! ごめんなさい!
怒っていいですよ」
「怒ることじゃないでしょ。
わざとじゃないんだし」
「えーっ! なんていい人なんですか!
ごめんなさい、きれいな腕を
傷だらけにしてしまって」
注射器の針なんて、
たいして痛くもない。
押さえていれば、血も止まるし、
傷も消える。
それにちゃんと、対話があった。
「Everyday is school day。
毎日が勉強。ぼくの好きな言葉です」
「いい言葉ですね」
そんなこんなで、
左腕で採血をしなおす。
今日までの「学び」で、
テーブルの高さを少しさげ、
心臓よりも腕を下にして、
血管を浮き出しやすくする。
会社にいたとき、聞いた言葉。
先輩から学んだことを、
後輩たちに教える立場になって、
もう一度学ぶことができるのだと。
「教えることは、学ぶこと」
理解していなければ、
教えることもできない。
教えることで、あらためて、
自分の言葉で説明できる。
上だけでなく、
下から学ぶこともたくさんある。
ちょうどいまの、この状況みたいに。
毎日が勉強。
Everyday is school day.
文句を言ってもはじまらない。
怒ったって、何も生まれない。
怒るような、ことでもない。
看護師さんの懸命さは、
しっかり伝わっている。
未熟なだけで、
怠惰でも悪意でもないのだ。
感情と、感覚はちがう。
感情で動いても、
いいことはほとんどない。
冷静な感情における感覚は、
自分との対話で、
進むべき道すじを示してくれる。
おたがいの学びの場。
いまは、そういう状況だ。
「右手の刺青、
なんて書いてあるんですか?」
血を抜きながら、看護師さんが尋ねる。
「『Nothing』です。
アメリカに行ったとき入れました。
ネイティブの人に、
英語で文字を
書いてもらいたかったんですけど、
入れたい言葉は別になかったから、
『特になし』って入れてもらいました」
「センスありますね」
「はは、ありがとうございます」
そんなふうにして「2度目」の採血が、
無事に終わった。
両腕には、
3つのカーゼが貼りつけられている。
「本当にすみません。
ありがとうございました」
「それじゃあ、今度こそ、
ゆっくり朝ごはん、
食べさせてもらいますね」
笑いながら、わざとそう言うぼくに、
看護師さんは少し肩をすくめて、
「はい、ごゆっくりどうぞ。
本当に・・・・いいお話を、
ありがとうございました」
「とんでもないです」
本当は
「とんでもナイチンゲールです」と
言いたかったが、
さすがにそこまでの
勢いはなかったので、
その句を飲みこんだ。
退室していく看護師さんの背中に、
頭に浮かんだ言葉を投げかけた。
「これからも、がんばってくださいね」
ふりかえった看護師さんは、
力づよく、大きくうなずき、
顔を向けた。
「はい、ありがとうございます!」
「おあずけ」にされ、
すっかり冷めた朝ごはん。
病院での最後の朝ごはんは、
急がなかった分だけ、
いいものを味わえた気がした。
5月16日 朝 ・米飯 ・味噌汁 ・含め煮 ・中華風和え ・ふりかけ かつお ・牛乳200ml |
朝ごはんを食べていると、
お膳を下げに来た人が、
「あ、ゆっくりでいいですよ」
と、にっこり笑う。
お言葉に甘えて、
そのとおりゆっくり朝食をすませると、
少しして、のんびりするまもなく、
エコー(超音波)検査に呼ばれた。
車イスに座り、
階下の検査室まで運ばれていく。
押してくれた方は、
看護師さんではなく
「助手さん」と呼ばれる人だった。
デスクワークが苦手な女性で、
こうやって体を動かしているほうが
性に合ってる、と。
現在、パソコンの習得中で、
いやでもじっと
座っていないといけないので
大変だと笑っていた。
「どうやったら
集中力ってつづきますか?」
そう尋ねられて、
いろいろ答えは浮かんだが、
「ごほうび制度がいいですよ。
この仕事が終わったら、
チョコレートひとかけ、とか。
そうやっていくうち、
だんだん座っていられるように
なると思います」
そんなこんなで、検査室に到着。
エコー室へは、先回とおなじく、
「おじさん」の技師の人に迎えられた。
「今日は学生がずらっと見学しますが、
よろしいですか?」
「脱がないですよね?」
「はい。服のままで大丈夫です」
検査室には、3人の女子学生が、
エステとかの受付みたいに、
横一列でずらっとならんでいた。
白衣のふちに、紺色の線が入った制服。
そろいの服を着た学生さんたちが、
両手を前に重ね、
ゆっくりと会釈(えしゃく)をする。
そのさまは、
開店時間の百貨店のようでもあった。
今回のエコーは、
首(頚椎:けいつい)なので、
着衣はそのまま、
首まわりを丹念に検査した。
検査が終わり、
待合室で「お迎え」を待っていると、
検査室から、
学生さんたちに話しかける
男性技師さんの声が聞こえてきた。
「・・・ほら、ここ、見てください。
これは貧血。典型的な貧血ですね」
それはそうかもしれない。
だって、さっき50ml+α、
おそらく70〜80mlは
血を抜かれたんだもの。
「典型的な貧血」
医療機器と、
検査の数値の正確さに、
一人そっとうなずくのでありました。
(ちなみにぼくは、
「典型的」という意味の英単語、
『typical』が好きだ。
発音したときの、
その音が好きなのです )
引きつづき、そのままレントゲン室へ。
今度は、今回のメインである
「胸」の検査だ。
研修中の札のついた男性技師さんの、
細やかな指示で検査を進める。
「基本」をしっかりおさえた進行に、
ようやく「ベテラン」たち
それぞれの進行の、
省略と進化を知る。
指示の出しかた、動きかたはちがうが、
「おさえるべき点」は、おんなじだ。
各人のやりやすい、
それぞれのやりかた。
それでもおなじく、
きちんと目的は果たしている。
守・破・離。
どこの世界の、どんな分野にも、
そういう「道」があるのものですね。
* *
10:30ごろか。
ようやく自室へ戻る。
外科の先生が来られて、
宣言をされていった。
「肺もしっかり伸びてきてます。
それでは、午後に退院ということで。
よろいいでしょうかね、
そういうことで?」
退院の宣告。
やわらかな口調でそう告げられて、
お礼を述べて頭をさげた。
テレホンカードを手に、
10階の「電話室」へと向かう。
公衆電話の置かれた、小さな部屋。
ここに人が入っている姿は、
一度も見ていない。
自分の以外のただの一人、
誰も足を踏み入れていない。
黄緑色の受話器を片手に、
母のいる「自宅」へ電話する。
出ない。
母は、留守だった。
当初の予定があれこれと変わり、
急に決まった「退院」だ。
つながらないのも、無理はない。
母の携帯電話の番号が知りたくて、
看護センターにいる人に聞いてみる。
「調べてから、
のちほどお伝えしますね」
ということで、自室にて待つ。
ノートに日記をつけていると、
看護師さんが現れた。
体温、血圧、血中酸素濃度の測定。
そして看護師さんは、
母の携帯電話の番号を教えてくれた。
再び電話室へ。
教えてもらった番号を押す。
「・・・はい、もしもし」
聞いたことのない、男性の声だ。
母の代理人?
そうではなく、まちがい電話だった。
「すみません、まちがえました」
男性が、
公衆電話からの連絡に
出てくれたことを感謝しつつ。
番号の書かれたメモを見なおす。
番号にまちがいはない。
ふと思った。
なんとなくの記憶では、
9と6が反対のような気がする。
公衆電話から
母の携帯電話にかける機会など、
これまでにほとんどなかったが。
入院のとき、
書類に書くために見た
母の携帯番号の記憶、
頭に浮かんだ「映像」では、
9と6が逆な気がした。
そんな、
頼りない手がかりではあったが。
ほかに思いつくこともなく、
ためしに9と6を入れ替えた番号に
かけてみた。
かかった。
呼び出し音につづく前の音が、
母の携帯電話の音だった。
誰も出ず、
そのまま留守番電話サービスに
つながったが。
母とおなじ、携帯電話の音だった。
その音は、
固定電話から何度か聞いたことがある。
たったそれだけの理由で、
9と6を入れ替えた番号が
母の携帯電話の番号だと
勝手に確信する。
そんな自分の、いい加減な「直感」も。
結局のところ「正解」だったが。
ひとまず、
また看護師さんのもとへ行き、
わけを話して父の携帯電話の
番号を聞いた。
ついでに確認した母の番号は、
記入のときにまちがえたのか、
9と6が逆さまの、
「見知らぬ男性の」電話番号のほうが
登録されていた。
それを訂正しつつ、
再度、電話室へと舞い戻る。
父に電話をかける。
父は、4コール目に出た。
今日退院が決まったことと、
もし来れたら迎えに来てほしい
ということを伝えると、
「わかった。
何時かわかったら、また電話しぃ」
と、快諾してくれた。
自室に戻ると、
内分泌科の先生が部屋に来られた。
「昨日おじゃましたのですが。
シャワーを浴びて
いらっしゃったので」
とのことだった。
えーっ!
ぜったいたぶん、唄ってたと思う。
もし唄ってなかったら、
ノックとか扉の音とか、
気づくはずだもん。
女医の先生は、
それに気づいたぼくに
気づいたような「溜(た)め」のあと、
切り替えるようにして言葉をつづけた。
甲状腺には、
これといった異状もなく、
大きな問題も見られず、
陰性だったので、
検査の結果、
これにて「了」ということだった。
いくらそうだと思っていても。
試験の合格発表みたいに、
結果を聞くまでは、
やっぱり何もわからないもの。
正直、ほっとしたのが事実だ。
なるほど、こういう感じか。
みんながどきどきする、
健康診断なんかの検査結果とは。
検査と診療はまるでちがう。
自覚症状がなくても見つかるのが
「検査」だ。
自分は、自覚症状のない状態で
病院に来たことはないので、
この感覚は、初めてのものだった。
ひとまず甲状腺は問題なし。
あとは肝臓の検査、ということになる。
いくら自信はあっても、
裏づけはない。
結果の通告、
どきどきしますね。
* * *
5月16日 昼 ・米飯 ・ポークソテーのおろしソース ・生揚げと白菜の煮物 ・ホウレン草味噌和え ・果物 |
あわただしく、めまぐるしく。
配膳された昼食を食べ終えると、
ゆっくりするまもなく、
すぐにまた声をかけられた。
母が来た、
という知らせだった。
いきなり、何の予告もなく、
ふらりと現れた母。
電話は通じなかったが、
思いは通じたのか。
ラウンジへ行くと、母の姿があった。
母とは、こういう「偶然」がよくある。
明日ハンバーグが食べたいな、
と思っていると、
翌日の夕食がハンバーグだったり。
ふらっと家に寄ったとき、
ちょうど帰って来たところだったり。
そういうことがちょくちょくあるので、
いきなりの訪問も
「そういうこと」かなと、
思ったりした。
「さっき電話したとこだよ」
そう言うと、母は笑みを浮かべた。
「本当は昨日こようと思ったんだけど。
何となくやめて、今日にした」
「すごいね。
ちょうど今日、退院になって、
迎えに来てほしかったんだよ。
携帯、気づいた?」
「電話は、電池が少なかったから、
いま家でつないで置いてある」
そう。
母は、そういう人だ。
普段、携帯電話を
固定電話の「子機」のように使っており
「持ち歩けて便利!」
という、携帯電話最大の利点を、
あまり活用していない。
それでも。
あてにならないようでいて、
こんなふうにして
何とかつながるから不思議である。
「ご家族の方ですね。
ちょうどよかったです。
退院手続きの説明をしても
よろしいですか?」
ラウンジに顔を出した看護師さんが、
そのまま退院の説明をしてくれた。
何枚かの書類に目を通した上、
署名をし、
請求書や精算についての話も聞いた。
「これで、終了です。
お大事になさってくださいね」
「え、もう、これで『退院』ですか?」
「はい。そうなります」
入院こそばたばたしたが。
退院は、思った以上に
あっさりとしたものだった。
紙吹雪もなければ、
ファンファーレもない。
見慣れたラウンジに、
母と、看護師さんがいるだけだった。
「どうもお世話になりました」
ぼくのあとに、
母も、深々と頭を下げて、
お礼を述べた。
病室に戻って、荷物を手にする。
忘れ物がないか、
看護師さん立会いのもと、確認する。
「お世話になりました」
看護師さんたちにあいさつしたあと、
父に連絡をするため、
電話室へ向かった。
すぐにつながり、
状況を伝えようとすると、
父はすでに病院内にいて、
いま、7階にいるとのことだった。
「10階やったな?
まちがって7階で
降りてしもたんやけど、
いま行くから、そこで待っとき」
こちらの話を聞くまでもなく、
父がそう言った。
母を残したラウンジに戻り、
座って父を待つ。
父は、本当に「せっかち」である。
まだ連絡をする前から病院内にいて、
さらにはもう
こちらに向かっているとは。
もしかすると、
父にも「思い」が
伝わっていたのかもしれない。
何の約束もしないまま、
こうして父と母、
ご両親の姿が一堂にそろうというのは、
退院にふさわしいことかもしれない。
「父さんがもうすぐ来るよ。
母さんがつながらなかったから、
父さんにかけてみた」
そんな説明をするうち、
自動扉の向こうに、父の姿が見えた。
父は、紫色のマウンテンジャケットを
着ていた。
先ほど母に話したように、
退院までのあらましを話し、
さらには突然、
母が来たことも父に伝えた。
「なんや、そうかいな」
父は怒るでもなく、
がっかりするでもなく、
ただ無表情にそう言った。
「せっかく来てもらったのに、
ごめんね。
帰りは、母さんに送ってもらうよ」
父の車には、もう何年も乗っていない。
入院生活でつかれたぼくは、
とにかくゆっくりしたかった。
おなじ何年ぶりでも、
母の車には、入院のときに乗っている。
たったそれだけ、
ほんの少しのことなのだが、
それだけでもずいぶん気が楽だった。
そのときは、何の迷いもなく、
自分の「楽」を選んだ。
いまにして思えば、
父の車に乗ればよかったな、と、
少し悔やまれる。
せっかく来てくれた父を、
手ぶらで返させてしまったみたいで、
何だかちょっと悲しくなった。
実際、
母のほうが楽なのは事実だ。
せっかちな父に急かされるのは、
子どものころから苦手だった。
母はのんきでのんびりしている。
あわてることはあっても、
急かすことはない。
まだまだ気づかいのない、
自分勝手な自分。
父は、退院したぼくをいたわり、
「重いもんとか持ったらあかんで。
無理せんと、ゆっくり休みや。
あわてんでええから、気ぃつけてな」
と、気づかった。
父も、いまはいろいろ患っており、
元気だったころの姿とはまるでちがう。
筋肉質で、
超人のようにごつかった体も、
やせ細り、
手足もほっそりとしてしまった。
脳梗塞で何度か倒れ、
そのたびに復活を
遂げてきた父だったが。
「がんやて。肺がんや。
もうあかんかもしれへん」
ぽつり、そんなふうにもらした。
相変わらず押しはつよく、
気丈にふるまってはいるものの、
手には杖を持ち、
歩くのもゆったりで危うく見える。
いつのまに、
こんな姿になってしまったのだろう。
お見舞いのときには、
それほと気にならなかった。
いや、自分のことでいっぱいで、
気づけなかったのかもしれない。
元気になったら父と、
ごはんを食べて、ビールでも飲みたい。
そんなことを思っていたのに。
入院していたぼくより、
父のほうが「病人」だった。
「父さんも、気ぃつけてね」
「まあ、がんばるわ。
やれるだけ、がんばってみるわ」
その言葉には、
誰にも頼らず、
世話にもならない、という、
意思のようなものが宿っていた。
「そしたらな。気ぃつけや」
半分背中を向けた格好でそう言うと、
父はそのまま去っていった。
こうして回想しながら書いていると、
やはり、父の車で帰りたかったなと、
さみしく思う。
乗ったら乗ったで
「めんどう」だったかもしれないが。
かつての自分なら、
乗りたかったと思うことすら
なかっただろう。
それでも、
顔を会わせることができてよかった。
もし、母とつながっていたら、
父には蓮絡しなかったと思う。
ほんの10分にも満たない時間だったが。
病院の「ラウンジ」で、
父と母と3人、
つかの間の「団らん」を
過ごせたことは、
ぼくにとって、
何よりの「お祝い」だった。
つい数日前の自分にはない感情。
父さん、来てくれてありがとう。
完治したら、連絡しよう。
そう思った。
* * * *
入院の会計などを済ませるために、
言われた番号の窓口へ行く。
そこはもう、病院というより、
空港や役所といった雰囲気だ。
入院費、治療費などの合計は、
想像よりも高くはなく、
かといって手持ちの財布から
すぐに出せる額でもなく。
諸々の書類を書いて、
後日振込む約束を交わした。
地下のコンビニへ行き、
手術の中止で使わずに終わった、
未開封のおむつを返品する。
そうしてようやく、外の空気を吸った。
病院の窓は、開かない。
外の空気を、風を、
久々に感じた。
よく晴れた昼さがり。
入院したときよりぐっと暑く、
季節が変わってしまったかに思えた。
そのせいでえらく長いあいだ、
入院していたように感じられた。
景色が、音が、においが。
生々しく踊っている。
葉っぱのにおいと、土のにおい。
思ったよりも、排気ガスくさい空気。
これまで、
こんな空気を吸っていたのかと、
少し驚く。
小学3年生のころ、
東京へ行ったとき、
新幹線のホームで、
「おえっ、くさい!」
と感じた記憶がある。
写真や映像とちがって、
本物には、においがある。
外国の国々にも、
それぞれ独特のにおいがあるように。
場所や時間にも、
それぞれちがったにおいがある。
退院してすぐの外気のにおいは、
木と土のにおいと、
バスやタクシー、
迎えの車の排気ガスのにおいだった。
「あれっ、おっかしいな・・・。
たしかここだったと
思うけど・・・・」
例のごとく、母は、
自分の車を停めた場所を失念した。
「Aって書いた看板の
すぐ横だったと思うんだけど。
たしか4台目。紺色の車の横だった」
手帳を開きながら、
自分で書いたメモを見る。
そこには「Aー4」と書かれていた。
紺色の車の横。
動く物を目印にしてしまう母は、
典型的な「方向おんち」だった。
ショッピングモールなどへ
買い物に行って、
一人、駐車場で30分以上、車を探して
うろうろ歩きまわることがあるという。
メモするように勧めたのは、
ぼくだった。
降りたらまず見る、という意識づけを
つくりたかったのだ。
きちんとそれを
実践してくれていることに
うれしく思いつつも。
真夏のような陽ざしのなか、
屋根のない駐車場を
うろうろと歩きまわるのは、
退院したばかりの体にはきつかった。
長期戦も予想して、ゆっくり歩いて、
端から端までくまなく探す。
5分以上、10分未満か。
自分が思っていた以上には早かったが。
喉もからからで、
ちょっとしんどかった。
車は、Aと書かれた看板より左奥の列、
奥から数えて4台目にあった。
もとより母のメモは、
宝の地図程度の、
あくまで目安として考えていたが。
今回の謎解きは簡単だった。
思いこみや情報だけにとらわれず、
あわてず、自分の目で探すこと。
入院前、ドラクエとかのRPGを
やりこんでおいてよかったなと。
本気でそう思った。
母のシルバーの車を、
蛍光ピンクとか蛍光オレンジに
塗ったらどうかと、
そんなふうにも思った。
車に乗りこみ、ほっとひと息。
かつての自分が、戻っている気がした。
よく過ごす5人の人を足して
5で割った姿が、
いまの自分の姿だと。
そんなふうに聞いた。
自分はそれほど
怒りっぽいほうではなかったが。
気づくとかりかりしている自分がいた。
それがすごく嫌で、
すごく怖かった。
自分が自分じゃないみたいで。
先生に怒られてばかりだった、
中学生のころの
いらいらした自分みたいで。
本当に嫌だった。
去年、姉にも言われた。
「あんた、どうしちゃったの?
最近すごく怒りっぽい」
駐車場での車探し。
しんどかったが、腹は立たなかった。
ちょっと笑えたし、
もう、頼むわ、
っという程度の感情だった。
完全に、ではないだろうが。
少なくとも「余裕」は
出てきたみたいだ。
そんな自分の「変化」に気づく。
いまの気持ちを忘れないよう、
たとえ忘れても、
すぐに思い出せるよう、
何度も立ちかえりたいと思う。
『暴力は、どんな暴力でも、
自分より弱い者にしか
勝つことはできないんだ。
弱い者いじめでしかないんだ』
(『ヤヌスの鏡』第15話より)
本人にその自覚がなくても、
自分でそうと気づいていなくても、
怒りや八つ当たりの感情は、
ときに暴力として人に突き刺さる。
近しい人のものであるほど、
心には、つよい痛みが走る。
鏡写しのヤマアラシ。
行き場を失った心は、
肺みたいにパンクして、
やがて小さくしぼんでしまう。
母の運転する車の助手席で、
流れる景色を目に映す。
母は、遠回りでも、
自分がよく知る道を選んで走った。
知らないあいだに変わった風景。
何年かぶりに通った道は、
まるで知らない街に見えた。
病院からの帰り道、
薬局に寄ってもらう。
傷口の消毒のための、
薬液と脱脂綿を買った。
消毒液と脱脂綿、 上の器具は「ハルトマン氏 咽頭捲綿子」。 本来は、喉に薬液を塗るための器具だけれど、 左胸の、届きにくい箇所を消毒するのにちょうどよい。 |
久々の家は、
よその家みたいなにおいがした。
見るとちょうどおやつの時間だ。
待望のチョコレートを食べた。
こんなにも甘い物を
食べていたのかと驚く。
喉がひりひりするくらいに甘かった。
冷蔵庫のヨーグルトや
オレンジジュースは、
賞味期限が切れていた。
はがきや請求書、
「お仕事」のメールも、
いくらかたまっていた。
ここで、
入院生活をまとめる気持ちはない。
感じたこと、思ったこと、
これまでに記したことが「ぜんぶ」だ。
ひと言でまとめられるほど、
一辺倒なことでもない。
結論できるほど、単純なものでもない。
しいて言えば、
「やっぱり健康って大切です」。
心身ともに、
ケンコーイチバン。
体がエンジンなら、
心はガソリン。
どちらかが欠けても、
前には進まなくなる。
戒(いまし)めに、というのか、
感謝の気持ちや反省の念を
忘れないためにも、
腕に巻いていた「病院フリーパス」を
「記念に」いただいてきた。
5月16日火曜日、晴れ。
入院生活第8日目の今日は、
退院生活第1日目でもあった。
次に病院へ行くのは、
10日後の金曜日。
退院後、初の「外来受診」だ。
順調であれば、
そのときに抜糸をおこなう。
それまで湯船につかることはできず、
シャワーのみの「入浴」となる。
ひとまずは「自宅療養」。
ゆっくり、安静に、
はしゃいで走りまわったりせずに。
10日後の診断までは、
おうちでおとなしくしていましょう。
左胸、チューブの入っていた箇所。 やや赤みがかっているのは、 すべて「テープかぶれ」。 |
縫合した傷口には、 防水シートが貼られています。 |
*
気胸は、
誰の身にも起こりうる。
咳やくしゃみ、
重い物を持ったり、
トイレで気ばったときだけでなく、
自転車に乗っていたりして、
いきなりなることもある。
もし、胸が息苦しく感じたら。
自己判断はせず、
すぐお医者さんに診てもらいましょう。
中等度、重度の気胸は、
放っておいても治りません。
きちんと処置をしてもらえば、
治るものです。
人生初の入院生活。
この記述が、
何かしらのお役に立てれば幸いです。
少なくとも、入院生活時の
ひまつぶしくらいには
なるかと思います。
もしもあなたが入院されたら。
こうして記録をつけてみては、
いかがでしょうか。
学術的な研究記録や
臨床記録に勝るとも劣らない、
唯一無二の、
貴重な記録となること
まちがいなしです。
患者なかまはもちろん、
お医者さんや看護師さんなどにも、
何か役立つことがあるかと思います。
大切なのは「現場」の声、
そして「オリジナル(当事者独自)」の
体験です。
そんな、初めての入院生活、
『Hi, Punk』。
ご清聴、ありがとうございました。
8日間の病院生活。
まさか再来はないと思いつつも。
よもや心残りがあったとは・・・
神ならぬ者の、
知る由(よし)もなかったのである。
(『ヤヌスの鏡』第5話ナレーションより)
記録は、
まだまだつづきそうです。
< 今日の言葉 >
「いろいろな合図を見逃さないこと」
(入院ノート・5月16日より)