2023/09/26

(帰) 家原美術館だより#1

橦木館(2012)


 (帰) 家原美術館。

(Kaettekita-iehara-bijutsukan)


無事、閉館いたしました。


実質14日間の

宴(うたげ)ではありましたが。

おかげさまで、

まぢ大盛況で、

大大大成功の会でした。


ご来館いただいた

たくさんのお客様方、

本当にありがとうございました。


自分にとっても忘れがたい、

本当にたのしい会となりました。


これまででいちばん、

のびのびと等身大でたのしめた、

いちばんたのしい会でした。



さて。


この『(帰) 家原美術館だより』では、

開館の経緯にはじまり、

会期中の出来事や

会場のようすなどを

日記や記録をもとに、

記述していく心づもりであります。


まずはその第1弾、

『(帰) 家原美術館だより#1』。


レッツ、はじまりです。





 「橦木館、

 いろいろ変わりました」


今回、

声をかけていただいた館の方、

Yさんからのメールに、

そんな言葉があった。


Yさんはそれ以上語るでもなく、

後日、お会いする約束をして、

打合せに向かった。


6月20日。

退院したばかりの

ぼくを気づかうYさんは、

つい昨日も会ったような顔で、

あたたかく迎えてくれた。


文化のみち橦木館での開催は、

2012年以来、

約10年ぶりのことだ。


Yさんは、

そのころからの「古株」メンバーで、

かれこれ10年以上の

お付き合いということになる。


2012年以降にも、

毎年年間パスを作り、

少なくとも年に2、3回ほどは

館に顔を出していたのだが。


ここ数年は、

すっかり足が遠ざかっていた。



久しぶりに見た橦木館。

何かが変わっていた。



外見上の変化、というより、

目に見えない何か、

感覚的な「何か」が

明らかに違っていた。


郷愁でも固執でもなく。

館内の「空気」が変わっていた。



**



2012年、

ここから始まった『家原美術館』。


「おなじ所では二度開催しない」


こだわりというより、

まだ見ぬ新しい場所を試したくて、

さらには、

恒例化することを避けての

断り文句だったが。


お世話になった

Yさんからの「頼み」とあれば、

断るにはおよばない。


「帰ってきた家原美術館

 っていうのは、

 どうですか?」


その命名に、

むしろ心がときめいた。


「おもしろそうですね、

 やりましょう」


そんなふうにして今回、

『(帰) 家原美術館』

開催の運びとなった。



Yさんは、館の、

何がどうのように変わった

ということに関して、別段、

不満や文句をならべたてた

わけではない。


ただ、ここまでの経緯を

簡単に話してくれた。


その話によると、

館を管理する会社が

変わったということだった。


そのせいか、

自分の見知った客層と

違っている気がした。


時代の流れなのかと思ったりしたが。

なるほど。

広報や告知の仕方が変わり、

ターゲット層が

変わったようだった。



かつてぴかぴかだった

廊下や建具。

この10年のあいだに、

木肌が乾き、荒れているのが

目に見えてわかった。


「古いのと、ぼろいのとは違う」


自分がよく、

人に説明するときに使う言葉だが。


久しぶりに見た橦木館は、

古いだけでなく、

少しぼろくなっていた。



10年前。

館には「ミスター橦木館」がいた。


勝手にぼくが

そう呼んでいただけだが。


当時の副館長は、

がたぴしと、まるで動かず、

滑りの悪かった館内の建具、

扉という扉を、

するすると指で開けられるほどに

修復した人である。


道具は、

えごま油とぞうきんだけ。


あとは根気と熱意、愛情をこめて、

ひたすら磨きつづけるのだ。


「毎日ちょっとずつ、

 何年もかけて油を塗ったら、

 動くようになったんですよ」


指1本で障子をするりと開けながら、

副館長は、こともなげにそう言ったが。


ここまでくるには、

並々ならぬ労力が必要だったはずだ。


ぼくは、副館長が好きだったし、

副館長の磨きあげた館も大好きだった。


Yさんをはじめ、

職員の人たちみんなのことも、

大好きだった。


ここにこれば、ほっとする。


そんな空気が、そこにあった。

そんな顔が、いつもあった。



2012年。

初めて『家原美術館』を

開催するにあたって。

県内外の施設をちらほら回った。


いくつかを見て回ったり、

話を聞きに行ったりして。


橦木館にたどり着いたとき、

ぼくは、


「ここだ!」


と感じ、その場ですぐに、

使わせてもらえないかと話して、

手続きを済ませた。



そのときの「感じ」。

決め手となった、その「感じ」。


いま、言葉にするなら、

この古い建物が、

手に触れられない博物館や、

箱に入った文化財ではなく、

「現行の古い建物」だと

感じたこと。


戦火を免れ、

取り壊されることからも免れ、

いろいろな人に使われ、

守られ、大事にされて、

今日まで「生きている」建物。


子どもからお年寄りまで、

いろいろな人が来て、

みんながゆっくりしている空気感。


みんなに愛される「古い家」。


その姿にぼくは、

絵本『ちいさいおうち』を連想した。


大好きな絵本の「おうち」が、

そのままそこに

あるような感じがして、

ぼくは、

すごくいいなと思った。



いい建物にはいい人が集まる。


そして、そこにいる人がまた、

場所をつくる。

場所の空気をつくっていく。


2023年6月。

ぼろぼろになった館の姿を見て、

ぼくは、かなしく思った。


そして真っ先に、

ミスター橦木館の

副館長を思った。


あちこち傷んだ建物は、

輝きを失っただけでなく、

かつての威厳(いげん)が

なくなっていた。




***



展覧会打合せの日々で。

Yさんを介して、

新しい人たちと顔を会わせた。


これまで文化財や美術・博物に

携わってきたわけでも

ない人たちだからか。

ぼくには、どこか違和感があった。


「作品」というものに対する、

意識や思いが乏しい。

もっと言えば、

「物」に対する愛情が低い。


これは、

人柄や性格ではなく、

見識や分別の問題である。


習うものではなく、

これまでの経験で学ぶことだと、

そんなふうに思う。


ものをつくったことがない人に、

ものをつくる人の気持ちはわからない。

だから、想像する。

その思い、その気持ちを想像する。


想像力と感性(センス)と愛情。


時間と労力、心を費やし、

つくりあげたものは、

物であって、物ではない。



今回、

自分の展覧会の期間を

打合せして決めたあと、

いくつかの行事を

「ダブルブッキング」された。


正確には、

ダブルブッキングでは

ないものもあるが。


打合せ時に確認した際、

出てこなかった話が

あとからぽろぽろと出てきた。


そのぽろぽろが、ころころと転がり、

約束が約束でなくなり、

あと出しじゃんけんみたいなことが

くり返された。


最終日や夜のイベントなど。

展覧会の会期が決まったあとに

「ブッキング」したものがある。


黙っておくこと、隠すことは、

「言わない嘘」である。


ぼくは、自分の作品と、

展覧会を守るために、

思いを伝えた。


Yさんを介して

伝えてもらうことが、

だんだん申し訳なくなり、

ついには自分で思いを伝えた。


ぼくは、わがままだし、

言いたいことを言うので、

ちょいちょい人に迷惑をかけてしまう。


それでも、

約束はきちんと守るし、

筋だけは通してきたつもりだ。


かつての自分は、

子どもみたいに、


「もう、あの人きらい!」


とか、


「展覧会、やめようかな」


と、思うことがあった。


今回も、

ダブルブッキングや戸惑う行為に、

心がうごかなくなりかけた。


「もうやめようかな」


何度か頭をよぎる思いに、

Yさんの姿が浮かぶ。


展覧会の下準備、

教育委員会や

新聞社への後援申請など、

まるで自分のことのように、

いや、自分のこと以上に

一生懸命、奔走してくれたこと。


楽しみにしてくれている

みんなのこと。


そんなことを思うと、

おいそれとは

やめるわけにはいかなかった。


2022年も、いろいろあった。


うつくしいものをあつかう人が、

うつくしいとはかぎらない。


それを思い、

心がくじけかけた。


あたたかい言葉。

みんなの言葉が、心をすすいでくれる。

家族や友人、

応援してくれている人たちの声。


やめてよろこぶ人よりも、

かなしむ人のほうが多い。


やめるわけには、いかなかった。



かつての自分は、

思いを伝えるとき、

むきになったり、

よけいなことを言ったりしていた。


「帰ってきた家原利明」は、

そうではなかった。


(帰) 家原利明は、

感情に流されず、

自分が正しいと思うことを

まっすぐに伝えようと努力した。


『罪を憎んで人を憎まず』


タツノコプロのアニメ、

『ヤットデタマン』の

「大巨人」ではないが。


そんな言葉を胸に、

うるさ型のお客のごとく、

ぼくはぼくの思いを口にした。


怒ることが悪いのではない。

怒りをぶつけることが、悪なのだ。


(帰) 家原利明には、

痛いほどそれがよくわかっていた。


その結果は・・・・。


言葉は意味をなさず、

音としてのみ届き、

音のような言葉が返ってきた。


言葉や思いはちぐはぐで、

価値観も感覚もばらばらで。


ぼくはひとり、苦笑いした。


これは、心のリハブ

(リハビリテーション)なのだと。




会期中のある日、

ぼくの作品の上をまたぐ格好で、

館長の女性と、副館長の男性が、

送風機を渡しているのを見た。


ぼくは、

すごく腹立たしく思った。


その様子で、

すべてがわかった。


「作品」というものに対する、

意識や認識、感覚の低さが。


まず副館長の男性に話した。

次に、館長に話した。


変わってほしいからではなく、

ぼくは、ぼくの作品を守りたかった。

ただそれだけのことだ。


ぼくは、作品づくりも、

展覧会の会場づくりも、

本気で全力で、真剣にやっている。


新しい人たちの言動は、

ぼくの温度が

まるで感じられないような

ことばかりだった。


わがままなぼくは、

自分の作品が、展覧会が、

軽んじられていることに

がまんできなかった。


何かが変わるとも思わない。

変わってほしいとも思わない。


けれど、言う人がいなれば、

そのまま終わってしまう。


期待でも願いでもなく、

いけないことをいけないと言う。

言いつづける。


口論する気も論議する気もない。


だめなものはだめ、

嫌なものは嫌だ。


理屈や都合をならべられても、

おかしいものはおかしい。

ぼくはぼくでしかないのだ。



そして思う。


(帰) 家原利明は、

「見きわめ」というものが

できるようになった。


動かない岩に向かって

「どいてくれ」

とは言わなくなり、

別の道を歩くことを覚えた。


自分の目的は、

岩を動かすことではなく、

前へと進むことだ。


それを見失わない判断力。


自分にはやることがある。


時間は有限だから。


動かない岩と

戯れているひまなどない。


いざ、前へ。


それでもまだまだ、

くじけそうには、なりますけどね。



次の山はでかい。


だからもっと、

大きくつよくならねばと。


そう自分に言い聞かせる、

(帰) 家原利明でした。



****



目が悪くなり、

5メートル先の人の顔が見えない。


眼鏡をかければいいのだが。

見えないおかげで、

目の前の世界に集中できる。


そのせいで

ついつい話しこんだりしてしまい、

せっかく来てくれたにもかかわらず、

お客さんの存在に

気がつかなかったり。


全員と話せなくても、仕方ない。


体も頭も、

心も1個しかない。


不器用な自分は、もう、

考えることをやめにした。


面よりも、点と線。


いま、この瞬間。


そっちのほうが、自分は好きだ。


正しいとか間違いとかより、

自分の好きを選びたい。


自分が自分であるために。



10年ぶりの、橦木館。


10年経って、

橦木館だけでなく、

自分も変わった。


2012年。

巨大な文化財に

圧倒されていた自分。


やたらめったら、

自分がやりたい、見せたいばかりで、

勢いと力技で何とか形にした。


10年の経験を経て、

調和を考えられるようになった。


全員にじゃなくてもいい。

自由に見てもらえばいい。

前よりもいっそう、

そう思うようになった。


会場に来たお客さんと、

話すことは楽しい。


これまで、

のべ何万人の人と

しゃべってきたのだろう。


まだまだ

教わることがたくさんあるし、

学べることが、いっぱいある。


作品で訴えたいことは、

何もない。


自分がいいと思った絵を

飾っているだけだ。


それを見て

楽しい気持ちになってもらえたら、

すごくうれしい。



誰に言われるでもなく、

自分が好きなことを、

好きなようにやる。


言葉でなく、

自分がそれを体現していれば。


そんな仲間が、一人、二人と

増えていくかもしれない。


大切なものを、大切にしていれば。


そんな人たちが、少しずつ、

増えていくかもしれない。


絵だけでなく、

空間や展示や存在すべてで、

うつくしいものを伝えていければ。


美術でもアートでもなく、

純粋できれいな純度のかたまりに、

価値が生まれるはずだ。



次の山はでかい。


だからこそ、

みんなの声を聞きながら、

迷子にならないよう、

ぐねぐねとまっすぐ進んでいきたい。



家原利明、活動歴14年。

家原美術館、11年目。


ここから見る景色は、

悪くなし。

完成度、達成度も、

低くなし。



10年経って、

帰ってきた家原利明は、

ここにそれを刻んでいきます。


また10年後に、

どんな景色が見えるのかを

楽しみにしながら。


展覧会9日を終えて、

残りの会期を

全力で楽しみます。



2023年9月19日(会期中の休館日)



→ 次回へつづく


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母・家原恵美子(77)の応援文