2023/09/21

決定版・これが円校舎だ




中学生のころ、

ぼくらの学校には

「円校舎」というものがあった。


円校舎(えんこうしゃ)。


読んで字のごとく、

円形状の校舎である。


その円形校舎のことを、

ぼくら生徒や先生はみな、

「円校舎」と呼んでいた。


この、円校舎。

老朽化ということで、

ぼくらが入学した年の

後期には取り壊されて

しまったのだが。

(新校舎ができるまでは、

 運動場に建てられた

「プレハブ(仮設)校舎」だった)


ぼくはこの、

円校舎のことが

すごく好きだった。


もう、

なくなってしまった円校舎。

その付き合いは

ほんのわずかではあったけれど。


かすかで曖昧な記憶をもとに、

円校舎の記録をしたためていきたい。



短かいお付き合いでの記憶のため、

細部の記憶がかなり曖昧で、

まちがっているところ、

ぬけている部分があるかと思いますが、

何とぞ、ご了承くださいませ。



* *



円校舎には、

入学したての1年生が入る。


教室の数は7部屋。


ぼくらの年は、

8クラスだった。


ということで、

1クラス「はみ出る」形になった。


はみ出たクラスは、

2年生のいる校舎に入った。

そこはもちろん円形ではなく、

ごくふつうの、

四角い校舎だ。


1から8組のうち、

「はみ出した」のは1組だった。


残念なことに、

ぼくはその1組だった。


そのせいもあって、

ぼくは、休み時間ごとに、

円校舎の友人のもとへと

遊びに行った。


部活に入るまでの

ほんのつかのまの期間。

授業後に、

図書館などへかよっては、

円校舎の雰囲気を

胸いっぱい吸いこんだ。


うれしいことに、

2クラス合同の授業や、

特別活動などの時間は、

円校舎で授業を受けられた。


あの、おそろしい職員室に

ご指名でお呼びがかかったときにも、

円校舎の空気は味わえましたが。


それ以外に、

学年委員会などの舞台も

円校舎だったので、

1組代表の「級長」として、

授業後の円校舎へ足を運んだ。


ちなみに、

ぼくが「級長」になった

いきさつは、

出席番号が「1番」だったことと、

小学生のころの、

学級委員経験者だということ。


この「学級委員」というのも、

小学6年生のとき、

なかよしの親友と

クラスが別々になって、

ちょっとでも一緒になれるようにと、

おたがい、自分のクラスの学級員に

立候補したのだった。


親友は1組、ぼくは2組。


おかげで修学旅行のときなど、

一緒にみんなの前に立ち、

大きな声で、


「手を合わせて、

 いただきます!」


などと号令をかけたりできた。


それだけでも

うれしかったりしたのだから。

つつましやかですてきな、

よき思い出であります。



中学に入って。

1組の1番となって、

「級長」となった。


学級委員のバッヂは、

紫色のキクみたいな模様のまん中に、

白で「委員」という文字が

刻まれていた。


級長のバッヂは、

深い赤色のサクラ型で、

すすけた真鍮(しんちゅう)の

金色文字で、

「級長」と書かれていた。


級長。

バッヂの書体もさることながら、

その、なんだか古めかしい呼び名が、

妙に背筋をぴりっとさせた。


あゝ、

もう小学生ぢゃ、

なゐのだな、と。



それにしても、

「イエハラ」で1番とは驚いた。


2番は「イワモト」、

3番は「ウチコシ」。


 「イイダ」も「アンドウ」もおらず、

「イエハラ」が1番となりました。


級長になると、

背の順とは関係なく、

列のいちばん前になるから

嫌だった。


背の低いイワモトくんは、

そこでもぼくにつづいて

2番目だった。


1年1組1番。

1ならび。

ぼくにはちっともめでたくない、

1の3ならびだった。



* * *



「いいなぁ、円校舎で」


うらやましがるぼくに、

友人が眉をひそめる。


「たまに来るから

 よく思えるだけで。

 ずっと暑いし、

 ぜんぜんよくないよ」


気づかいでも謙遜でもなく、

そう言いのける友人。


その「よゆう」が

よけいにうらやましく思えた。

ぼくもそんなこと、

言ってみたいと。


円校舎は、

中央にらせん階段があり、

廊下というのか、

円形のフロアがつづいて、

その周りを教室が囲むという

造りだった。


パイナップルのような、

シフォンケーキのような、

そんな形を想像してもらえば

わかりやすい。













円校舎は、

その円形の構造上、

南側の、陽のあたる教室は、

あたたかいが、

夏場はとても暑い。


反対に、北寄りの教室は、

夏でもひんやり涼しいが、

冬場はじんじん冷える。


真冬を迎える前の季節に、

円校舎は解体作業に入ったが。

たしかに、

北向きの教室はとても寒かった。


毎日、

温まる時間がないまま

朝から昼、そして夜になる。

冷えた鉄筋コンクリートの教室は、

本当に冷え冷えとしていて、

足もとから底冷えする感じだった。


雨やくもりの日には、

気持ちまでもがどんより沈んだ。

薄暗い廊下までもが、

ひんやりと、重たく見える。


南向きのl教室は、

いつも明るく、あたたかだった。

が、言うとおり、

夏場は温室にいるようで、

ものすごく暑かった。


冷えるのとおなじく、

温まった鉄筋コンクリートは、

ずっと熱を持ったままだった。



教室前方(教卓側)





教室後方(窓側)




扇(おうぎ)型の教室の後方は、

ほぼ全部がアルミサッシのガラス窓。


夏場は窓を開けて、

教室の前方の、

教卓側にある扉を全開にする。


ぬけ道を探してさまよう風は、

円い校舎の中で、

その行き場だけでなく、

涼しさもいっしょに失った。


容赦ない夏の日射しにくわえ、

風が流れない教室は、

本当に暑かった記憶がある。


7組の女子の1人は、

「3階の日当たり良好な教室」の、

最後部席で夏を迎えて、

セーラー服の背中が

熱い太陽に直射されつづけ、

「とにかく暑かった記憶しかない」

といった話である。


誰もが下敷きでばたばたとあおぎ、

勢いよくあおぎすぎて、

バキッと下敷きを折る音が、

教室に響いた。



それでもぼくは、

円校舎が好きだった。


わが「角校舎」から

ちらりとうかがえる円校舎を、

授業中、

あこがれのあの子を見守るようにして、

ずいぶんと眺めたものである。



* * * *



円校舎は、

校舎のまわりをぐるりと

ベランダが囲う構造となっている。


言い換えれば、

校舎の周りをぐるりと一周できる、

ということでもある。


輪っか状のベランダが、

ぐるりとつながっているおかげで、

授業中、こっそり窓から抜け出して、

ほかのクラスのおともだちに

「やあ」とごあいさつして回り、

何ごともなかったように

また自分の教室へ戻ってくることができる。



ベランダ徘徊(はいかい)の図




まっすぐな、直線型のベランダでも

おなじかもしれないが。


行って帰ってくるのと、

一周するのとでは、

何となく「感じ」がちがう。


何だろう。


一周し終えたときの、

あの爽快な達成感は。


気持ちの問題かもしれないが、

何となく、何かがちがった。



そんな円形構造を「悪用」して、

こっそり着替え中の女子を

のぞきに行く、

不届きな輩(やから)もいたりした。


かくいう自分も

たった一度、

体育の着替え時間、

円形のベランダを

這い進んだことがある。


姉のいるぼくは、

正直、着替えをのぞくという行為に、

それほど甘い幻想を

抱いてはいなかった。


着替えは着替え。

下着は下着。

めずらしくもありがたくも

何ともない。


そんな感じだったが。


「ちょっと行ってみよう」


胸はずませる友人の、

何とも言えないドキドキ感に押されて、

ベランダへとおどり出た。


女子が着替える教室の窓。


ほんの少し、ちらりと顔を上げて、

教室の中をのぞいた。


「見えた!」


と、友人にささやいたものの。


見たようでいて、

何も見ていなかった。


きれいごとでも何でもなく。

そのときのぼくは、

罪悪感のほうがまさって、

すぐまた来た道を引き返した。


「遊び」が

「遊びでなくなる」気がして。


好きな子の姿を、

そんなふうに見たくないと思って。


中学1年坊主のぼくは、

気分だけ味わって、

そのまま教室へ戻った。


そして思った。


ぼくはこういうの、

好きじゃないな、と。


そんなことを「学んだ」円校舎。


円形の、円い学び舎(や)で、

しっかり「学べて」よかったと思う。



のぞきは犯罪です。


もし円校舎を見つけても、

みなさんは絶対に

真似をしてはいけませんよ。




* * * * *




円校舎の廊下は、

30センチ角の、

タイル状のリノリウムが

敷き詰められていた。


色は、

ビターチョコレートのような、

深い色のこげ茶色だった。


ところどころ、

角の欠けたリノリウムタイルは、

何十年もの歴史のあいだ、

たくさんの生徒たちの

足裏に磨きこまれ、

エナメルみたいにぴかぴかと

輝いていた。


その質感が、

すごく好きだった。


廊下に窓らしきものはない。

教室の扉についた窓があるだけだ。


薄暗い廊下に、ほのかな光が反射して、

濡れたように光っている。



らせん階段と廊下




らせん階段を囲う、

直径1.5センチくらいの鉄の棒。

白にアイボリーを混ぜたような、

あわい灰色の表面は、

何度もペンキが塗り重ねられ、

公園の古い遊具みたいな表情だった。


ところどころ

漆黒の鉄の肌をのぞかせ、

まだら模様になっていた。


見あげると、

その細い鉄の棒が、

上階からこぼれる光の筋に

沿うようにして、

放射線状に降りそそいで見える。


棒と棒の間隔は、

こぶしや腕は入るが、

頭は入りそうにない、

といった幅でつづく。


造形ではなく、

階段を支えるための構造であり、

柵でもあったのだが、

すごくリズミカルで、

規則的な連続性が見事だった。


それは、円校舎の

「見どころ」のひとつと言えた。



教室の扉は、

見た目にも重厚な鉄製で、

床の色に似た感じの、

深いこげ茶色だ。


扉の表面もまた、

長い歴史の中、

何度も何度も塗り重ねられた、

重厚な肌をしていた。


はげたり、割れたりした

塗料の上から塗り重ねられ、

でこぼことした表面は、

SLや列車などをも思わせた。


扉の取手は真鍮製で、

つるりと円い形状が、

いかにも時代を感じさせる。


人の手によって

磨きこまれた表面は、

ぴかぴかと黄金色に輝いていた。


鍵穴は、

マンガに出てくるみたいな

「前方後円墳型」で、

それがまた古めかしさを彩る。


ぼくは、この扉のことも

すごく好きだった。



鉄製の扉と真鍮製の取手




扉の窓は、

ワイヤー入りの半透明ガラスで、

暗い廊下を照らす

照明器具のようでもあった。


教室によっては、

開け閉めするのにかなり重たく、

ギギィッと大きな音を

きしませる扉もあった。




手もとに資料がないので、

詳しいことはわからないが。

たしか、昭和30年代の建築だと、

聞いた気がする。


愛知県には

『博物館明治村』という、

すばらしい施設があるのだが。


そこにあってもおかしくないような、

そんな深さと重みがあった。


中学生当時、

こんなにもぼくが

円校舎のことを好きだということは、

同級生はもとより、

先生方など、知る由もなかっただろう。


当時は自分でも気づかなかった。

まさかこれほどまでだとは。


こんなにもぼくに

「影響」をあたえるものだとは、

まるで思いもしなかった。



つよく、うつくしいものは、

いつまで経っても忘れない。


深く、つよく、うつくしく。

心の中に、刻みこまれている。


花のようにうつくしく、

流星のようにきらきらと、

消えない花火の残像のように

はっきりと。



円校舎の思い出。


写真や映像ではなく、

記憶の中の思い出。


怒られてばかりの

中学時代だったけど。


円校舎の記憶は、

いまでもずっと色あせない。



* * * * * *



大掃除の日。

机やイスの点検があった。


ガタつきや、

ぐらつきのあるものには、

先生が赤いチョークで

バツ印をつけた。


「おい、家原。

 バツがついたのを、

 屋上まで運んでくれ」


先生にそう言われたとき。

いつもなら「ええ〜っ」と

のけ反るところだが。


ここは、円校舎。


円校舎の屋上は、

ふだん鍵がかかっていて、

生徒が出入りできる場所ではなかった。


屋上!


円校舎の屋上!


禁断の屋上への切符を

手に入れたぼくは、

重たい机もなんのその、

らせん階段をぐるぐるのぼり、

屋上へとつづく扉に到着した。


すでに何台かのイスや机が

運びこまれていたためか、

鍵は、開いていたように記憶している。


取手に手をかけ、

扉を開ける。


薄暗かった景色が、

火が灯ったように明るく染まる。



「・・・・!」



目の前に広がる

その光景に、

思わず息を飲んだ。


街が、景色が、

広々と広がる。


見慣れたはずの景色が、

すごく特別な感じの景色に見えた。


空が、高かった。


青くて、高くて、大きくて、

そしてどこまでも広くつづいていた。


円校舎は、

高台に建っているため、

ほかのどこよりも高く、

何もじゃまするものが

ないように感じた。



ぼくは、

あのとき見た景色、

空の広さを忘れない。



額を転がる汗もそのままに、

自分の目的も忘れて、

しばらくその場にたたずんでいた。


それが、

数秒間だったのか、

数十年だったのか。


それすらわからない、

永遠の一瞬だった。



記憶の中では、

蟬しぐれが降りそそぐ、

残暑の季節の出来事だったが。


それも、曖昧な記憶だ。



広く、大きな空が、

すごく青くて、

白い雲が

悠然と浮かんでいた。


ぼくは、あの景色を忘れない。


円校舎の屋上から見た、

あの大きな空を、

ぼくはずっと忘れない。








いかがでしたか。


みなさんはどんな校舎の、

どんな思い出がありますか?


消えてしまった建物と、

そこで紡いだ思い出たち。


みなさんにも、

忘れられない建物は、

ありますか?


そこから見た景色。


そこから見た空。


忘れられない風景は、

ありますか?



時は移ろい、

街も景色も変わっていきます。


それでも、

うつくしい記憶は、

けっして変わりません。


記憶は体験です。


特別なんかじゃなくっても、

すてきな体験を、

ひとつひとつ

大切にしていきたいものですね。



・・・・えっ?


本当ですってば。


ぼくは本当に、見てないですよ。


シミーズ姿の、

女子の姿なんて。


(※シミーズ(シュミーズ):昭和のころの女性用下着。現在のキャミソールより丈が長く、袖のないワンピースのような仕様)



(正しくはこんな感じでした):緑区誌より




< 今日の言葉 >


無理やり、

力づくで物ごとを

押しつける人のたとえで、

『北風と太陽』の話を例に出して。


「・・・そうだね、

 そういう人もいるからね」


と、納得したあと、


「あれって、本当の話?」


そう母に聞かれて、

鼻水が出た。


(イエハラ・ノーツ2023『ある日の思ひ出』より)