2023/07/28

(帰) 家原美術館 のお知らせ

 





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(帰) 家原美術館

(かえってきた いえはらびじゅつかん)


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《と き》

2023年

9月9日(土)から9月24日(日)まで


《ばしょ》

文化のみち橦木館(しゅもくかん)


愛知県名古屋市東区橦木町2-18

052-939-2850


地下鉄桜通線「高岳(たかおか)」駅

①番出口より北へ徒歩約10分


《じかん》

10:00〜17:00

月曜休館

(祝日の場合は直後の平日)


《入館料》

200円

(中学生以下無料)

※文化のみち橦木館の入館料です。




→ コマーシャル(48秒)




今回の「家原美術館」、

開催地は、

文化のみち橦木館です。


関係者の方から

お声をかけていただき、

このような運びとなりました。


窓口となっていただいた方の言葉を

そのまま頂戴し、

「帰ってきた」

という冠をつけての開催です。



というのも。



記念すべき第1回目の

『家原美術館』は、

この、文化のみち橦木館にて

開催させていただきました。


2012年から約10年を経て、

再びこの場所へ

「帰ってきた」家原美術館。


病院のベッドから、

ちょうど「帰ってきた」

時期でもあって。


今回、

頭に「(帰) <かえってきた>」を

つけさせていただきました。





『(帰) 家原美術館』



「はじめまして」の方も、

「おかえりなさい」の方も、

いずれも大歓迎でございます。


2012年のようすと

少しばかり変わったかな、と。

景色を見くらべながら来られるのも

一興かと思います。



<2012年の記事>





会場には、

旧作を中心に、

おなじみのコレクションなどを

展示します。

新作・未発表の作品をはじめ、

新しい「おみやげ」も

用意しておりますので、

どうぞお楽しみに。



「美術なんて、わからないわ」


「アートとか芸術なんて、むずかしくって」



そんなみなさま、

大歓迎でございます。


なぜなら、

家原美術館にならんだ絵は、

すべてただの「絵」ですので。


わが子が描いた絵をながめるように。

景色や花をながめるように。

むずかしいことはぬきにして、

たのしく感じていただければ、

とてもうれしく思います。



どうぞみなさま、

お誘いあわせのうえ、

こぞってご来館いただきますよう、

心よりお待ち申しあげて

いたしておりまぬす。





毎度お伝えしておりますが。


館内は、

靴を脱いでのご観覧となります。


ですので、

靴下のやぶれや、

かかとのすけなどのないよう、

くれぐれもご注意ください。





案内状の裏面、最下段、

『後援』の記述があるのですが。

その可否を聞く前に、

先走って案内状を制作いたしまして。


もしかするとその記述が

単なる「デザイン(飾り)」と

なってしまっているやもしれません。


うそでも悪意でもいたずらでもなく、

勢いありあまっての、

フライングです。


もし、

お手に取られた方は、

その旨、どうぞご了承ください。


正解は、


後 援


中日新聞社

名古屋市教育委員会

愛知県教育委員会


でございます。




以上。



どうぞみなさま、

広くご喧伝のうえ、

開催までしばしお待ちくださいませ。



で わ、

会場にて。



家原美術館副館長:家原利明



『家原美術館』(2012)の案内状




< 今日の言葉 >


小学生のころ、

「振り替え休日」のことを

「ふりかけ休日」だと思っていたくらい、

白いごはんが好きだった。


(ぜひ、いい声のナレーターの方に、
 回想する感じて朗読していただきたい言葉。
 『イエハラ・ノーツ2023』より)


2023/07/27

Hi, Punk. [B面]:#3 ひげのない未熟者






先回、「一度」退院して、

家に帰って。


メールを見ると、

「お仕事」の連絡を、

いくつかいただいていた。


いくつかのお声を、

いくつかお断りして、受けたお話。


まだ見ぬ景色を思い描いて、

頭の中で、構想(妄想)を進める。


朝ごはんのあと、歯をみがきながら。

昼さがりに、検査の待合室で。

夜、横たわった、ベッドの中で。


いつでも動けるように、

頭の中で、準備を進める。



<妄想構想(モーソーコーソー)の図>



5月27日、土曜日。

再入院、3日目の朝がきた。



* *



夜、2:00ごろ目が覚めてしまった。

胸の痛みで目が覚めた。


22:00ごろ飲んだ薬の効きが、

切れたのか。

胸がズキズキして、

寝ていられなくなった。


4時間経っているので、

もう1粒飲んだ。

(頓服薬:トアラセット)

痛みは少しやわらいだが、

薬のせいか、

頭がさえて眠れなくなった。


ベッドに寝転んだまま、

いろいろ考える。

やりたいこと。計画。

妄想。構想。案内状の図案。

会場内のようす。


5:30。

とうとう起きあがって、

ノートを書く。


意味ある目覚めだと

カーテンを開けると、

朝日が真正面に見えた。

薄ぐもりだが、

太陽は雲を透かしてまぶしく輝く。


もうすでに、

しっかり顔を出していた。

よし、いつか日の出を見てやろう。


朝はナースコールがはげしい。

まるで踏切のように鳴りつづける。


さえわたる感覚。

もし、薬の影響なら、

これは完全にアッパー系だ。

脳が覚醒している。

昨日、あんなにノートを書いたのも、

そのせいなのか?

いや、それだけではないと思う。


ここを出てからすぐ動けるように、

できるだけ準備(下ごしらえ)を

しておこう。


昨日、たくさん汗をかいたので、

頭がかゆい。




20代、30代の看護師さん、

お医者さんと話していると、

ふと、生徒や卒業生と話しているような

気持ちになるときがある。


応援したくなるような、

見守りたくなるような、

そんな気持ち。

自分のほうが「患者」なんだけどね。


この部屋の朝は、元気になる。

朝日の光と熱が、まぶしくてあつい。


胸の痛み。

寝転ぶことで、

当たり所が悪くなるのか。

何かに喩(たと)えるまでもなく、

胸の中に、

棒状のものを突き立てられている感覚。

鈍く、ズキズキと、

絶え間なく痛み、動くとさらに

はげしい痛みが走る。


大きく息を吸いこんでも、

おなかに力を入れても痛い。

起きあがったり、

寝転んだりするときがつらい。


左肩と、首のうしろも痛い。

偏頭痛のような痛みをずきずきと刻む。


肩は、腕の付け根が

引かれるように痛い。

重い物を持っているみたいに、

腕がぐっと引かれているようだ。


いまは、薬のおかげか、

起きあがった姿勢のせいか、

じっとしている分には、

気になるほどの痛みはない。

腹筋に力が入ったり、

大きく息を吸ったり

吐いたりすると痛い。


廃液はほとんど出ない。

2日で50mlくらい(25/25)だ。


(タンクの)泡は、元気に出ています。


痛みのせいで、猫背になる。

おかげでおなかに、横線が入っている。

胸をはると、肺が苦しい。

チューブの結合部もちくちく痛む。

先回のチューブは、

まるで何も気にならないくらいに、

快適だった・・・。


<左胸のドレーン(チューブ)の図>



2回目だから、

この2回目の痛みに「違和感」を

感じられたが。

もしこれが最初なら、


「こういうものなのか」


と、思うにちがいない。


素人(しろうと)の提案だが。

ドレーンを入れるとき、可能であれば、

固定する前に少し、

様子を見てもらうのはどうだろうか。


テープなどで仮止めして、

体を起こし、

当たり所や深さをたしかめて。

それから糸で留める、という具合に。


深さは、人ぞれぞれでちがうはずだ。

線まで、とか、何センチ、とか、

一律で決めてしまわないほうが

いいように思った。


・・・それくらい、

この2回目の「最初」はきつかった。

あんな痛みは、

もう二度と味わいたくない。


肺が『アイアンメイデン(※)』で

はさまれているみたいだった。


(※ アイアンメイデン:

 「鉄の処女」と呼ばれる、中世の拷問器具。

 棺のような箱の内側に、鋭い針がびっしりならんでおり、

 その中に「囚人」を入れる。

 実際には、人を中に入れることはほとんどなく、

 拷問室に置かれる「おどかし用」の置物だった、

 とも言われている。

 イタリア(ミラノ)の「拷問博物館」で現物を見たが。

 それはもう、とても痛そうだった)


<参考資料:アイアンメイデンの図>





6:50ごろ、

元気な看護師さんが検診に来る。


「明日、休みだからよけいに元気です。

 何も予定は、ないんですけどね」


「けど、休みっていうだけでも、

 うきうきしますよね」


「夕方になると、明日も仕事かぁ、

 ってなりますけどね」


と、看護師さんは、屈託なく笑う。


みんなに元気をくれる看護師さんが、

みんなから元気をもらえますように。


5月27日 朝



おトイレ事情。

寝不足と、胸が痛くて力めないせいで、

納得のいくものが出ていない。


手術中、おむつの中には出したくない。

前日の薬(便通応援薬)で

出し切れるといいな。

・・・まだ、2日ある。


頭も洗いたい。


いろいろたまってきたが、

ここを辺境の地だと思うことにしよう。


不満よりも、

ここで最善を尽くせるように。

できることを、しっかりやろう。

贅沢を言わず、状況をたのしむ。


「なるようになる」の気構えで、

こだわらず、肩の力をぬいて。


100点という日はない。

足りない部分は、自分で補う。



* * *



9:00すぎ、

机の上をアルコール消毒する

看護師さん。


9:30ごろ、母が来た。

1階36番へ、

「術前外来」の麻酔説明に行く。



まずは休憩室みたいな場所で

「ビデオ」を観たあと、

36番の部屋に入った。


<ビデオで観た全身麻酔の図>



なんとなく、だけれど。

そこは、ほかの部屋とは少し、

空気感がちがった。

待ち人はみな静かで、

受付の看護師さんの

大きな声だけが響く。


受付をすませると、

歯科の人からの検診・説明があった。


歯のぐらつきや

入れ歯の有無を確かめる。


「きれいにお手入れされていますね。

 歯のほうは、問題ありません」


静かな口調で、看護師さんが言った。


「手術時には、

 ひげを剃ることになりますが、

 大丈夫ですか?」


「あ、はい。大丈夫です」


「ご自分で剃ることは、できますか?」


「ここ20年くらい、

 ひげを剃ったことがなくて。

 うまく剃れるか、自信ないですけど」


肌が弱い自分は、ひげを剃ると、

必ずと言っていいほど、肌が赤くなり、

ひりひりと痛む。


最後にひげを剃った記憶は、

いつのことか。


ものすごく印象に残っているのは、

18歳のころ、フランスで、

朝、ひげを剃る友人の姿に、

自分も剃ってみたくなり、

シェービングフォーム(泡)と

T字のひげ剃りを借りてみた。


あまりなじみのない、

シェービングフォームというものを

目の前にしたぼくは、

その真っ白な泡がすごくたのしげで、

どうしても体験してみたくなったのだ。


さっそく、鏡の前に立つ。


「ねえ、見て。

 大変なことになったよ」


ゆっくりを扉を開けてみせるぼくに、

友人は、あわてて腰を浮かせた。


どこでどういうふうになったのか。

思いっきり肌を切ってしまったらしく、

真っ白だった泡が、

真っ赤に染まっていた。


笑わそうと思って見せたのだが。

あまりの出血に、友人の顔は、

色を失い、固く引きつっていた。


さいわい傷も浅く、

血はすぐに止まったが。

以来、T字のカミソリは、

非常に苦手な存在だった。


電気シェーバーも、

ひげの腰がやわらかすぎるのか、

ちっとも上手く剃れず、

肌がどんどん赤くなった記憶がある。


そういったこともあって、ぼくは、

ひげを伸ばしっぱなしにしている。

生えるままに任せて、

伸びた分を、ときどきはさみで切る。

ここ20年くらい、

もうずっとそうして過ごしてきた。


そんな背景もあり、

相談というのか、

ちょっとした「おしゃべり」のつもりで

話したのだが。


生まじめそうな看護師さんには、

どうやら「ちがったふうに」

伝わったようで、

何やら神妙な顔をしていた。


「手術前に、看護師が剃ったとしても、

 大丈夫ですか?」


「はい、大丈夫です。

 むしろ助かります。

 だったら、当日、

 剃っていかなくてもいいですか?」


「剃毛(ていもう)」などで

手慣れた看護師さんに

剃ってもらえるなら、

確実だし、安心な気がした。

それなら、

カミソリも用意しなくて済む。


病棟への刃物の持ち込みは、

禁止されている。

コンビニで見かけたのは、

電気シェーバーだけだったように思う。

カミソリを買うなら、

「外の世界」で買う必要がある。


それらのことを鑑(かんが)みて、

プロに剃ってもらうのが

いちばんいいと。

そんなふうに結論した。


「それでお願いできたら、助かります」


「わかりました・・・・。

 それではちょっと、そういう方向で、

 担当に話してみます」


看護師さんは、やや伏せ目がちに、

ぼそぼそと言った。



いったん、待合室に戻り、

また呼ばれるのを待っていた。


「33番のかたー」


男性の声に呼ばれ、立ち上がる。


「よろしくお願いします」


あいさつとともに、

頭をさげて入室する。

あとにつづいて、母も、

お願いします、と会釈をする。


麻酔科の男性は、

いかにもおもしろくない

といったそぶりで、

ぼくのほうを見た。


いったい何なんだ。


いきなりの「敵意」に、

ぼくは、ぼう然として男性の顔を見た。


男性は、ひとつ息を吐き出すと、

ぼくとは目を合せずに口を開いた。


「当日手術前に手術室でひげを剃る

 なんていうことは

 絶対にありえません。

 前日までに剃ってきてもらわなければ

 手術はできません。

 ひげを剃れないというのであれば

 手術は中止にします」


ややあきれたように、

かなり怒った感じで、冷ややかに、

声高にまくし立てるそのさまに、

ただただぼくはびっくりした。


ぼくが言った、わけじゃないのに、と。


いきなり「怒り出した」男性医師に、

あっけにとられたぼくは、


「そうですか」


と返すのがやっとだった。


男性は、なおもおなじようなことを、

くり返し言った。


いろいろあって。

「怒られる」と、

胸がどきどきしてくるので、

なるべく静かに息を整えていた。


「T字のカミソリって、

 病院内で売ってるんですか?」


話の向きを変えるため、ぼくは質問した。


「そんなことは知らないです。

 患者さんみんな、

 これまでどうにかして

 剃ってきてるんですから、

 どうにかして剃る手立ては

 あるはずです。

 看護師に聞くなり何なりして、

 何とかそちらでやってください」


ずっと「怒りつづけている」

男性の口ぶりに、

一瞬、怒りがこみあげて

きそうになったが。


Calm down.

落ち着いて。


別に自分が提案したわけでもないことで

怒っているのだから、仕方がない。

沸(わ)きかけた怒りの熱も、

ゆっくり冷えておさまった。


男性が怒っているのは、

「思いちがい」だ。


ははぁん・・・。


これはもしかして、

ぼくがひげを剃りたくないと言って、

難癖をつけてるように

思われてるのかもしれないな。

長年の自分の「こだわり」を

通そうとして、

ごちゃごちゃごねているのだと。


怒りは静かにおさまったが。

いやだな、という気持ちは健在だった。


そんな「悪魔」に負けないよう、

ぼくは、男性の目を見て

まっすぐ話した。


「わかりました。それじゃあ、

 ほかの看護師さんに聞いてみて、

 とにかく当日剃っていきます」


「当日じゃあだめですよ。

 もし失敗して

 血だらけになったとか言われても、

 こっちは困りますからね。

 かならず前日とかそれまでには

 剃っておかないと、

 ぶっつけ本番で

 上手く剃れなかったとしたら・・・」


「わかりました。

 たしかにそうですね。

 前日までには剃っておきます」


放っておいたらもっとつづいたであろう

男性の言葉をさえぎるふうにして、

口をはさんだのだが。


かみ合わないなー。

当日って、そういうつもりじゃ

ないのにな。

当日までには、っていう意味なのにな。

まったくどこまで

「うたがわれて」いるのやら・・・。


この感じ。


本当に、もう、久しぶりに出会った。



が、このときにはもう、

怒りよりも困惑がまさり、

あきらめにも似た、

苦々しい笑いがこみあげていた。


思いちがい。誤解。

思いこみ。レッテル。

「そういうふう」に見られること。


そういうのに、

慣れたとまでは言わないが、

よくあることだ。

特に、閉鎖的な環境では、

その「風当たり」もきびしい。


髪が長くてひげを生やし、

よくわからない服を着て、

平日の町をふらふら歩く。


「街」ではいいが、

「町」では「変人」あつかいだった。


息苦しい毎日に、

外へ出るのがつらくなった。


そう。


思いこみ。


誤解されるような、自分が悪い。

はみ出して歩く、自分が悪い。

そして、そんなふうに、

負い目を感じる、自分が悪いのだ。


怒りというより、かなしみ。



いきり立つ麻酔科の男性に、

いくばくかの怒りを

浮かべてしまったこと。


「あの人、感じ悪いね」


部屋を出て、

母の、飾らないつぶやきを聞いたとき、

怒りが再燃しそうになったが。


頭を冷やして思ってみた。


麻酔医には、

患者の命があずけられている。

言い換えると、

自分のせいで患者が

命を落とす場合がある、

ということだ。


人の命がかかっているんだから。


それは、神経質にもなるはずだ。


あれくらいきびしく言っておかないと、

てきとうにふわっと聞き流して、

約束を守らなかったり、

やぶったりする患者さんが

出てくるのかもしれない。


大変だな、麻酔科は。


そう思ったら、

さっきまで嫌忌した男性が、

当日、担当してくれたらいいな、

と思いはじめた。


先ほどの男性が、

当日の麻酔医になってくれたら。


「先生、剃ってきたよ!」


と、笑顔で元気に

「ひげなし顔」を見せたい。


そのときぼくは、本当にそう思った。



そして感じた。


痛みや苦しみで、「余裕」がないときは、

心も器も、小さくせまくなる。


普段よりもよけいに、

愚かで未熟な自分が、露呈する。


どうあがいて、どうかくしてみても、

未熟者は未熟者。


あるから出るのであって、

ないものは出てこないのだ。


ぼくは、麻酔科の男性のおかげで、

未熟な自分の姿を知った。


と同時に、かつてにくらべて、

少しは成長した自分にも気づかされた。


怒りに、同調しない自分。


感情に、感情をぶつけない自分。



本当に、

いろいろな人がいて、

いろいろ教わることが多い。


今日もまた、school day。


毎日が勉強です。



* * * *



《手術当日:5月29日 月曜日》


・持ち物は → 手ぶらで

・トイレ → 月朝も出したい

・絶食 → 0:00〜

(ごはんは日曜夕まで)

・絶飲 → 当日朝7:00〜

(6:30までにしっかり給水)

・薬 → 当日朝、1種類ずつOK

(痛み止め19:00、23:00)

・メガネ、ケース、おむつ(×4)、

 水500ml、薬、ティッシュ、

 歯ブラシ、歯みがき粉


◆術前・術後は、しっかり歯みがき。

 口の中を清潔に。


◆8:30 〜 9:00入室


・ドレーンは手術後、別のものになる。

・この痛みは、手術前までのこと。


◆荷物 → 部屋はいったん

      「空(から)」にする。

 荷物をまとめ、コインロッカーへ。

(財布、おはし、時計は、リュックへ)



* * * * *



5月27日 昼


バランス。


何ごとも、甘さばかりじゃない。

ひとつまみの塩。

ちくっと刺さった針に、はっとする。


感謝の心。

自分は自分。

ゆるすもゆるさないも自分。


またひとつ、

いい薬を処方してもらった。



13;45、シャワー了。

頭を洗ってすっきり。

ひげを剃り、へんな顔。

まぬけな顔。


<ひげなし変な顔の図>



使い終わったひげ剃りを、

看護師センターの

看護師さんにあずける。


ひりひりして痛い。


クリームを頼んでみると、

男性の先生が、


「何か用意します」


と言ってくれて、

そのまましばし待つことになった。


そうか。

ここは「保健室」じゃないんだ。

頼んでさっと出てくるわけでもない。


すばやく「処方」してくれても、

手もとに届くまでには時間がかかる。


ひりひりする!


やばいぞ、これは。

絶対に赤くなる・・・。


やむをえず、

洗髪後のターバンタオルスタイルで、

階下のコンビニへ急ぐ。


地下のコンビニで

『NIVEA スキンミルク』を買った。

たっぷり200gの、大容量。


<NIVEAスキンミルクの図>



また、わがまま野郎と思われて、

ひんしゅくを買ったかもしれないが。

肌の弱さは、お墨つき。


コンビニを出てすぐ、

クリームを塗った。


処方してくれた先生にお詫びをしつつ、

ターバンスタイルのまま自室へ帰還。


これで、

ツッパリハイスクールな

ロックンロール肌に

ならずにすんだ。




シャワーを急かされ、

2回も女性看護師さんに

扉を開けられて、

肩身がせまい思いです。


シャワーの前、

予約表に名前を書こうと思っていたら、

気の合う男性看護師さんが、


「あ、書かなくて大丈夫ですよ。

 後の予約も入ってないんで。

 ゆっくり入ってもらって

 いいですからね」


と言ってくれて。

その言葉に甘えて、頭を洗って、

ゆっくり慎重にひげを剃っていた。


あわただしくノックする看護師さんに、


「後の人が、待ってるんですからね。

 なるべく早くしてくださいね」


と、きつめに言われた。


ふうっと、ため息。


そんなんだったら、

ちゃんと予約表に記帳すればよかった。


言いたいことは山ほどあったが、

それはすべて「言いわけ」で、

口からこぼれ出た言葉は、


「はぁい」


だけだった。


何だか、気持ちががっくりする。


別にあわてたわけでもないが。

いきなり扉を開けられて、

ちょっとだけ急いで、

早くひげを剃ろうと思った。


そして。

まんまと肌を切ってしまった。

小さく2カ所。


血はすぐに止まったけれど、

ひりひりする肌、

そこだけぴりぴりとしみている。


はあっとため息。


手術とひげ。


ひげのなくなった

未熟者の自分が、鏡に映る。


ひげ剃りは、

病院の敷地の外(シャバ)の薬局で、

母が買ってきてくれた。

使い捨てのT字のひげ剃りが

3本入ったものだ。


新品のひげ剃りは、

怖いほどよく切れて、

まだ少し、剃り残しはあったが、

これ以上深追いすると

血だらけになりそうだったので、

ある程度でやめておいた。


それで正解だった。


ヒリヒリー&ピリピリー。


麻酔科の男性が言うように、

当日じゃなくてよかった。


カイカイクリームとおなじで、

きっと肌に塗りたくった

スキンクリームがじゃまをして、

酸素の吸引器が口もとに

貼りつけられなくなったにちがいない。


こういう、

どうでもいいこと(小話)を

話せる人が

いない(少ない)のがつらい。


どうでもいいように見えても、

けっこう地味に気になること。


そんな話って、ただ聞いて、

笑ってもらえるだけで、

ほっとするもの、ですよね。



頭は、今日で3日目だった。

もう、かゆくなりはじめていた。

頭が洗えてよかった。

汗は、かゆみの栄養です。



* * * * * *



薬漬けのジャンキー。

なんとか薬でおさえている。


月曜日は、

起きてすぐまた「眠る」んだね。


今日でまだ入院三日目なのに、

すごく長くいるように感じる。



先入観。

どこへ行ってもそう。


自分が何者かは、自分で決める。

自分の行ないで決める。


「一般」じゃなくても。

気にしない。

つよくなる。



もう病院へ来なくていいように。

No more hospital.


過信しない。

「むら」も個人差もある。

均一ではない。均一を求めない。


「いいですよ、やらなくても」


と、言われたとしても、


「いちおう・・・・

 しておいていいですか」


と、きちんと押さえておく。

あとで自分が困らないように。


いろいろなことは、心で思う。


『口は災いの門(かど)、

 舌は災いの根』


I don't mind.

笑ってすごす。


自分は自由。

他人の自由には興味がない。


くらべない。いつも「白紙」で。

「通」ぶらない。


無知で謙虚で、口数少。沈思黙考。

重み。堂々と。不動心。余裕。


こうなったら私も動かないわよ。


自分のことは語らない。

特別でもない。

中心軸はひとつじゃない。

それぞれが中心。

100は存在しない。

いい所どりで。

自分を正当化する必要もない。

自分がいちばんよくわかっている。

ちっぽけな自分。

ここで少しは大きくなれるかな。



5月27日 夕



夕食。

土曜日だからか、

何だかごちそうめいていた。


食後に口をぬぐって、はっとした。

ひげが、ない。

そうか、そうだったな、と。


<身も心もあたたまる『ホスピタリtea』の図>


「今日、エビピラフだって」


「こんどの月曜日は、八宝菜らしいよ」


ちょっところんとした女性二人が、

廊下の掲示板に貼られた

献立表を見ながら盛りあがっている。


やっぱり「食」って、大事ですね。



鏡の前で歯をみがいていて、

はたと思った。


やっぱり、ひげがないと、

大がらなおばちゃんに思われるかな。


マスクをしていると、

ときどき、年配の方などから

女性とまちがわれることがある。


服装のせいか、何なのか。

ひげのおかげで、


「ひげ・・・ああ、男の人か」


と、わかってもらえる。


ひげガール。

新宿に、そんなお店があったが。


ひげがあーると、すぐにわかる。

ぼくが「男」だということが。


ひげガールではない、

ひげボーイでもない、

ひげのおじさん。


やっぱり自分に「ひげ」は必要だ。



19:15。

夕食を完食したので、

おなかいっぱいだ。

手術に向けて、

食べられるときに

しっかり食べておこうと思う。



夜、21:30には、消灯した。


それまでは、

Ketil Bjørnstad

(ケティル・ビヨルンスタ)の

Sunrise』を聴いて、まどろんでいた。






このアルバムは、

画家、ムンクの一生を

描きあげた組曲で、

澄んだ音色が気持ちよく

眠気を誘ってくれた。


胸の痛みであまり寝られず、

眠気がたくさんたまっていた。


日本語でもなく英語でもなく、

フランス語でもドイツ語でもない、

ノルウェーの言葉。


意味も内容も「わからない」、

唄声の音感がまた心地よい。


1曲目の、

A Bird Of Pray Is Clinging To

   My Inner Being」、

それにつづく2曲目の「The Mother」。


斉唱から独唱。

チェロやシンバル、

鉄琴とか、

ウインドチャイムみたいな音、

ピアノやアルトサックス。


そして3曲目、

Nothing Is Small」の、

ピアノと男女の重唱。


真っ暗な病室に広がる『Sunrise』。


そのうつくしい音色と唄声に、

このまま召されていくような

気にさえなった。


ベッドの角度を調整しながら、

いい位置を探る。

20〜25°くらいがちょうどよく、

痛みもいくらかましだ。


そのままじっと目を閉じ、

いつのまにか、眠りにおちた。





さて今回も、

はてしない物語でしたが。


5月27日、

再入院3日目の記録。

これにて幕でございます。


次回、#4、

5月24日の記録につづきます。


それでは、

La oss møtes igjen!

(また会いましょう)



← #2   ・   #4 →



< 今日の言葉 >


『オマエらは、

 ネオンの海にただようボウフラさ。

 生きていたって

 意味なんてあるもんか。

 風にのまれて消えちまいな』


(『ヤヌスの鏡』第5話より)


2023/07/20

Hi, Punk. [B面]:#2 7センチの楽園








7:00起床。


左の胸が、けっこう痛い。


傷口というより、

ドレーン(チューブの先)の

当たりどころがよくないような、

そんな感じがする。

10段階で7くらいの、

ずきずきする痛みだ。


大きく息を吸ったり、力んだり、

動いたりすると、ずきずき痛い。

痛さに、咳やくしゃみができない。


この痛みに、体がちょっと疲れている。


何かしようという気持ちが削がれる。


いま、じっとしているだけで、

胸の中央あたりが痛い。



夜は「平ら」でも寝られた。

2:15ごろ、音と痛みに目が覚めた。

が、またすぐ眠った。



曇天。

森の向こう、

街の景色がかすんで、海みたいだ。

そう思うと、景色がまた新しくなる。


打たれ弱くなった心とともに、

肉体的な痛みにも弱くなっているのか。


何か別のことを考えて、

気を紛(まぎ)らわせているといいが。

この痛みは、

ひどく憂鬱(ゆううつ)だ。



N棟は、

人の声や咳などはほとんどない。

とても静かだ。

ただ、ナースコールは、

絶え間なく鳴りつづけている。

夜中もずっと鳴っていた。


「2回目」と思わず、白紙の気持ちで。

あわてない、急がない、ていねいに。



7:30ごろ、

昨夜の看護師さんがさわやかに登場。


ごはん前に、採血と検温。

ごはんが「おあずけ」。

おなかは減っているようでいて、

食欲はそれほどない。

痛みのせいか。

そのせいで動いていないからか。


元気な看護師さんに、元気をもらう。


血圧125−85。


「夜から働いてて、

 朝なのに元気ですね」


と言うと、


「朝のほうが、

 なぞのハイテンションで

 元気なんです」


と、看護師さんが笑う。


「時間が押してて、残業確定なんです」


看護師さんが、笑顔のまま言った。


「明日もまた夜勤でーす」


元気な看護師さんが、元気に言う。

おかげで痛みを忘れられた。


5月26日 朝



処置をしてくれた、

若い先生がこられた。

痛みを告げて、

ドレーンの「深さ」について相談した。


「ちょっと引いてみましょうかね」


その言葉を聞いたおかげで、

かなり安堵(あんど)。


痛みとつき合いすぎてもよくない。

がまんをしすぎていいことはない。

解決する方法を採(と)るべきだ。


待つ5分は、3倍くらいに感じる。

時計をはめていて、

5分がこんなに長いものかと思う。


肩の力をぬいて、何も待たずに・・・



昨日、食べ終わったトレイを返すとき、

初めてほかの人のごはんを見た。

全部がとろとろで、

液状のごはんもあった。



オエッ、オエッ、と。

うそみたいな咳をして歩くおじさん

・・・と思ったが。

きっとどこかに響いて、

咳がしづらいのだろう。

いまなら、わかる。



* *



9:00ちょっと前。

歯をみがいていると、

レントゲンに呼ばれた。


「ご自分で行けますか?」


初めての、自力レントゲン。


自分で行くほうが、

格段に「楽」だった。


気楽にふらふら好きな道を歩いて、

好きな所に寄れる。



「あっち側」と「こっち側」の世界。


一人、レントゲン室に向かうとき、

外の世界の人々——

「あっち側」の世界の人たちが

入ってくる、玄関口を通る。


色とりどりの服。

チューブも器械もなく、

自分の足で、自由に歩く姿。


どっちが「現実」なのか。


外国のような、異邦人のような。

そんな不思議な気持ちになった。




レントゲンの待合で、

入院患者の2人の女性が、

井戸端ばなしをしていた。


調剤師として働いていた女性と、

掃除の仕事をする女性。

腸閉塞(ちょうへいそく)で、

車イスに乗った調剤師の女性は、


「治ったらまた来てください」


と、いったん職場から

解雇された形になった。


「戻ったとき、仕事があるか心配」


と、こぼす調剤師の女性。


「70歳になったら

 思い切り遊ぼうと思ってたけど・・・

(それまで)生きてられるかって、

 思うよね」


調剤師の女性の言葉に、

聞き手の女性も大きくうなずく。


「なんか、取っとくようなものじゃ

 ないような気がしてきた」


2人はまた、

うんうんと大きくうなずいた。


そこで、

聞き手の女性の番号が呼ばれた。

女性は、軽くおじぎをしたあと、

レントゲン室の中へと消えた。




自室に戻るとすぐ、

看護師さんからの検温・検診があった。


使い終わった

「ねまき(パジャマ)」を下げてくれて、

まちがえて、


「ごちそうさまでした」


と言ってしまった。


看護師さんにはそれが、

すごくおかしかったようで、

なんだかとても笑っていた。



つづいて

「ねまきレンタル」の業者さんが来て、

レンタルの説明をしてくれた。


新人らしき女性の横に、

先輩の女性が立っている。

たどたどしい説明に、

先輩女性が黙って見守る。


なんだろう、この光景は、と。

入院中の身には、

何となく不思議な景色に見えた。



No Suger.

「造影剤(ぞうえいざい)」

による検査では、

飲食ともに「糖分」がじゃまをする。



* * *



10:00すぎ、

ドレーンの位置を調整してもらう。


処置は、最初とおなじく、

若い男性医師と、先輩医師、

男性の看護師さんが2人だ。


もう、すべてがめちゃくちゃ痛かった。


チューブをさわるたび、胸が痛む。

麻酔の針も、格段に痛く、

何をされても痛かった。


固定のための糸を切り、

ドレーンを引きぬいていく。


3センチ、4センチ、

5センチあたりまで引きぬいて、

あきらかに胸の中が軽くなった。

重い雲が、晴れたような感覚だった。


「もう少し、いけますか?」


と、おねだりして、

あと2センチ引きぬいてもらった。


その、たった2センチだけで、

だいぶちがった。


マイナス7センチ。


まったく痛みが

なくなったわけではないが。

その7センチで、

かなり痛みが緩和された。


固定のための糸を、また縫っていく。

麻酔はあっても、

痛みは別の箇所に走る。


とにかく痛くて、すごく疲れた。

20分とは思えないくらい、

どっぷり疲れた。



処置が終わっても、

すぐには起きあがれなかった。

痛みで、腹筋に力が入らない。


看護師さんの手を借り、

引き起こしてもらう。


「いま、10のうち、

 どれくらいの痛みですか?」


一人、部屋に残った看護師さんが、

心配そうに尋ねる。


「じっとしてると、6くらいで。

 動いたりすると、7とか8くらいです」


「けっこう痛いですね。

 痛み止め、

 お願いしておきましょうか?」


「そうしてもらえると、助かります」



実際、引きぬく前と後では、

痛さ苦しさがずいぶんちがい、

かなり楽になった。


じっとしているときの痛みの度合いは、

7、8から6くらいへ

下がったように思う。


お願いしてすぐ、

迅速に処置してくれて、

すごくありがたい。



明日の土曜日、10時から、

手術前の麻酔説明があり、

そこには家族の同席が

必要になるとのことで。


母に連絡をするも、留守番電話だった。



息をつく間もなく、

手術の説明に、若い男性医師が

やってきた。


そこに、

ちょうどのタイミングで、

母が現れた。


面会しに来てくれたおかげで、

明日予定していた面談も、

このまま行うことになった。


先ほど電話したとき、

母は駐車場に

車を停めていたところだったと。

自室で少し、

母に今後の予定などを話した。



母とともに、面談室へ。

若い男性医師の横に、担当医の外科の先生が座る。


たくさんの資料とともに、

手術の内容、注意点などの説明が

はじまった。



手術は5月29日、月曜日。

8:30〜9:00ごろ入室。


手術自体は、

1時間から2時間くらいで終わる。

何もなければ、昼前には終わる予定だ。


当日、母には、立会人として

来てもらう必要がある。


合併症の説明や、

手術中の不測の事態など、

さまざまな「リスク」についても

話された。


全身麻酔での手術には、

外科的な「リスク」だけでなく、

麻酔による「リスク」もある。


「リスク」は、

どうがんばっても

「0」にはできはない。


お医者さんが

全力をつくした上での

「リスク」なのだから。

それはもう、仕方がない。


数々の「リスク」を承認し、

書類に署名する。


これで、手術の説明は終了。

手術の合意が締結(ていけつ)した。



過去の記述

第1日目:いきなり緊急入院)で、

「ダビンチ的な、

 モニタを使ったアーム手術」

というふうに書いたが。

正しくは、

「胸腔鏡(きょうくうきょう)手術」で、

「ダビンチ的な」手術ではない。


胸腔鏡手術は、

ダビンチとおなじく、

モニタを使った手術ではあるが。

機械操作による遠隔操作で

ロボットアームを動かすのではなく、

アームを手動で操作しながらの

手術である。



<胸腔鏡手術の図>


現在、

気胸の手術で行なうのは、

この「胸腔鏡手術」です。


訂正するとともに、

お詫び申し上げます。



面談の途中で、

外科の先生の電話が鳴った。

緊急らしい内容で、

思わず耳がそちらにかたむいた。

相手の声は聞こえなかったが。

先生の言葉が、耳に残った。


「首かぱっくり開いちゃってるから。

 呼吸器ではもう、

 できることはないかな」


それがどんな状況で、

どうしてそんなことになったのか。

もっと詳しく知りたかったが、

首をつっこむような話でもない。


「首かぱっくり開いちゃってるから」


ただただ、

先生の言葉が、耳に残った。



手術の説明が終わって。

尻を落ち着けるひまもなく、

今度はエコー検査に呼ばれた。


母を見送りがてら、

2階まで一緒に行く。

と、母はそのまま、

検査室前までついてきた。


部屋前で別れるとき、


「気をつけてね。がんばりなね」


と、母は手をふった。



* * * *



入院日誌(前編)の、

補足・訂正のようになるが。


エコー検査の技師さんは、

「患者:技師」=「男:男」「女:女」

という関係ではなかった。


そんな規則性などないらしく、

今回は、女性の技師さんだった。


もしかすると、

下肢(かし:足)の場合は、

同性の組み合わせに

なるのかもしれないが。


とにかく、

先回は男性(おじさん)技師で、

本当によかった。



今回は、

CTで見つかった

「あやしい影」のために、

肝臓のエコーを撮影する。


ここでいうエコー(echo)とは、

超音波の「反響」、

音波の「返り」のことだ。


魚群探知機や、

潜水艦の「ソナー」とおなじように、

音波の返りを画像化して、

「見えない像」を

可視化(見えるように)するための

ものだ。


当初の予定では、

外来での検査という段取りだったが。

急な予定変更(緊急再入院)のため、

飲食の制限を無視した格好での

検査になった。

(本来なら前日の夜から絶食し、

 当日はお茶か水などの無糖・無果実の

 飲み物だけ飲むことが許される)


女性の技師さんに呼ばれて、

検査室に入室。


ベッドの上に寝転ぶと、

上着をまくり、右腹部を出す。

技師さんの合図に従って、検査が進む。


「軽く息を吐いてー。

 大きく息を吸ってー・・・

 はい、止めて。

 ・・・楽にしてください」


これを8〜10回くらいくり返す。


その間、腹部にあてられた器具の先に、

コンコン、と硬い音で

ノックをされながら、

肝臓の、いろいろな部位の「かたさ」を

計測していく。


それが終わると別室へ通され、

「造影剤(ぞうえいざい)」を使っての

検査に移った。


先回も書いたかもしれないが。


「造影剤」というのは、

「泡」の入った液体で、

エコーをひろいやすく

するためのものだ。


薬剤は、腕からの点滴で

血管の中に注入される。


検査は、

ベッドにあおむけて

横たわった体勢で行なわれた。


室内には、

エコー装置を操作する男性技師さんと、

別の端末を操作する女性の技師さん、

そして、見学らしき女性の医学生さんが

1人いた。


「はい息を吸って・・・止めて。

 そのままがまんして。

 そのまま頑張ってください」


男性技師さんの合図で検査がはじまる。

質問しても、

あまり返事がかえらず、目も合わない。

男性技師さんは、

まるでぼくなど

いないかのような感じで、

2人とばかり話している。


「息を吸って、はい、止めて。

 そのままがまんして。

 そのままそのまま、

 はい、頑張ってくださーい。

 ・・・楽にして」


つい先ほどの

検査での合図にあった、


「軽く息を吐いてー」


の部分の重要性がわかった。


その「インターバル(準備時間)」が

あるのとないのとでは、

迎えるこちらの構えがちがう。


さらに、

先ほどの技師さんの合図は、

どれもまったく一定のリズムで、

寸分くるわず

おなじ合図(言葉)だった。


おかげですごく、息が止めやすかった。


肺の具合で、

息が大きく吸いづらく、止めづらく、

胸に痛みを抱えている現状。

そんな「些細な」ちがいを

つぶさに感じる。


もし、チューブを浅く

引きぬいてもらっていなかったら。

こんなふうに

いきなり大きく息を吸って、

長く息を止めることは、

むずかしかったと思う。


現状の痛みで、

何とかやっと、という感じだ。


医学生の女性に、

いろいろ説明をしながら、

検査を進めていく男性技師。


女性の技師を含めた3人が、

じっと視線を向ける器械の画面は、

ベッドに横たわるぼくの目からは

ちょうど見えない角度だった。


がんばって首を動かしてみても、

見えるのは薄型モニタの側面ばかりで、

画面も背面もまるで見えない。

うそみたいにちょうど真横なのだ。


男性技師を中心に、

3人は、

画面を囲むふうに集まっている。

男性技師が、

あれこれと説明をつづける。

ぼくにではなく、

医学生の女性に向けてだ。


ずいぶんと放置されているような

気持ちになるくらい、

男性から医学生への、

けっこう長い「講義」がつづく。


ああ、とか、はいとか。

返事をしながらメモを取る医学生さん。

うんうんとうなずく女性の技師さん。

そんな気配を横目に、

一人、ベッドに横たわる。


何だか自分だけ

「仲間はずれ」にされているみたいで、

おもしろくなかった


「ほらここ、見てください。

 こういうふうに映ってるでしょ」


その声に、

興味だけがどんどんふくらむ。


熱心に耳をかたむけ、

画面を食い入るように

見つめる医学生さん。


見たい。


いったい何が、

どんなふうに映っているのか。

それが知りたかった。


そのまま左腕に、

女性技師さんによって針が刺され、

造影剤が注入されていく。


しばらくまた、講義の時間がつづいて、

おもむろに声がかけられた。


「はい、息吸って、止めて。

 そのままがまんして。

 そのまま止めててくださいねー。

 はい、そのまま頑張ってくださーい。

 そのまま、そのまま・・・・・・・

 ・・・楽にしてー」


思ったより長い息止めに、

額(ひたい)にじわっと汗がにじむ。


「だいたい5〜10センチくらい。

 体側からも届かない場合は、

 こうやって息を大きく

 吸いこんでもらって、

 何とかいい場所を探し出す。

 息が止められない場合とかには、

 いろいろ場所を変えたりして、

 いい所を見つけていきます」


医学生さんがうなずき、メモを取る。


「最初の音波は、

 バブルが割れちゃってもいいです。

 音の返りを

 見つけるためのものなので。

 そして音圧を調整しながら、

 進めていきます」


なるほど。

生徒じゃない患者が、一人うなずく。


「音圧は、1.2とか、それくらいで。

 様子を見ながら調整していきます」


ぼくをまったく無視して

進められる講義に、

何としても画面が見たくなる。


だめだ。


首を伸ばしても、

鼻の下をうんと伸ばしてみても、

画面のようすは

ちっともうかがい知れない。


と、いきなり何の前ぶれもなく。


「もう一度大きく息を吸って。

 はい、頑張って止めてくださぁい」


合図の声が投げかけられた。


へこんだおなかに、

器具の頭がぐぐっと押しあてられる。

肋骨(ろっこつ)の裏を

えぐるようにして、

ぐぐっと深く、押しこまれる。


そのまま、

長い、無呼吸の時間がつづく。


「楽にしてー。

 ・・・うん、いいね。

 これでいけそうだね」


男性技師さんの声に、

女性技師さんが画面をのぞく。


2人の技師さんが確認しあったあと、

もう一度、造影剤が注入された。


そして、

つい先ほどとおなじことを、

またくり返した。


「ほら、見えるかな。

 拡散するように散らばってるでしょ。

 ここのこれは、典型的な例ですね」


また出た。


典型的。


もう、気が気ではない。


(え? 何が⁈

 何の話してるの、いま?)


本人を目の前に、

「うわさ話」をされているようで、

たまらない。


めちゃくちゃ気になるっ!


典型的って、何がどうtypicalなのっ⁈


「はい、おつかれさまでしたー」


気になることだらけで、

気になったまま、検査は終了した。


ベッドから起きあがり、

ぼくは見た。


ついに、とうとう、

ぼくは見た。


みんなが楽しく盛りあがっていた、

器械の画面を。


ぼくは、

そのまま5秒間ほど、

じっと画面を凝視した。


そこには、

街灯の明かりに照らされた、

夜の雪のような画が映されていた。



<造影剤エコー検査画面の図>



* * * * *



部屋に戻ると12:00。

すぐに昼食が運ばれてきた。


休息のようで、休息ではないような。

ひとまず尻を落ち着けて、

お昼ごはんを食べる。


5月26日 昼



食後にノートを書いていると、

13:20ごろ、呼び出しがあった。


「2階内科の15番に行ってください」


メモをしようと思ったが。

「2階の15番」

番号さえわかれば大丈夫だ。


立ちあがって歩くと、

音もなく、何かが落ちてびっくり。


チューブの根元をおおう、

ガーゼだった。

体の一部が取れたのかと思って、

びっくりした。


看護師さんに声をかけ、

処置室でガーゼを貼り直してもらう。


処置室には、

スポンジを小さく切っている

看護師さんがいた。


「晩ごはんのおかずに、

 高野豆腐でも切ってるのかと

 思いました」


などと、くだらないことを言いつつ。

胸のガーゼを貼り直していただく。



これまであまり

病気をしてこなかったこともあってか。

何科とか、何科があるのかとか、

そういう分類にはうとかった。


内科といっても、

呼吸器内科や循環器内科、

脳神経内科など、

こんなにいろいろな科があるとは、

知らなかった。


眼、耳鼻・咽喉、歯
脳神経、呼吸器、循環器、消化器
《外科・内科》
泌尿器、産科、婦人科
形成、整形
精神


呼吸器でも、外科と内科がある。

循環器や脳神経、

消化器にも、外科と内科がある。


これは何科なのか。

内科か外科、どっちなのか。


自分が患い、受診してみてやっと、

どういう症状がどの科に該当するのか、

うっすらだけどわかってきた。


ただ、自分がいま、

何の検査で呼ばれているのか。

何の件で受診をするのか。

肺以外に「別のもの」を抱えている

現状では、

少しばかり混乱した。


「2階の15番」


これまでの習慣で、

つい、フロアと番号だけを

記憶してきた。


それが、いけなかった。



エレベーターで2階へ。

手には『MSー009』号を

がらがらと引き連れながら、

15番を探し、長い廊下を延々と進む。


15番は、

なかなか見つからなかった。

そしてついに、

病棟の「端(はし)」まで

来てしまった。


立ち止まり、

フロアガイドに目を向ける。

歩けるとはいえ、

長く歩くと息があがる。

汗もじわっと浮かんでくる。


2階に15番は、ないようだった。

2階には16番までしかなく、

15番は1階だった。


再びエレベーターを待つ。

4基あるエレベーターだが、

なかなかつかまらないことがある。


車イスの患者さんや、

点滴を転がすお年寄りの患者さんなどに

どうぞどうぞと先をゆずったり。

そんなことをしているうち、

ずいぶんと時間がかかって、

ようやく1階へ到着。


15番に入ると、

がらんとして待ち人は一人もおらず、

ちょっと「ラグジュアリ感」のある

静かな部屋だった。


受付の女性に、


「15番に行くように言われて来ました」


と言うと、


「・・・・・」


といった感じで、ややあってから、


「術前外来の方(かた)ですか?」


と尋ねられた。


ジュツゼンガイライ。


病院の単語はむずかしい。

「術前外来」と聞いても、ぴんとこない。


「アノデスネー・・・」


いったい何を伝えればよいのか

わからなかったので、

いまの自分の状況を説明した。


一度退院して、またすぐに再入院して、

これから手術をする身だということを、

ばかみたいに伝えた。


ひとまず何か伝わったらしく、

36番へ行くように言われた。


15番からまた長い廊下をひたすら進み、

長い道のりを経て36番に到着。


部屋の中には受付もなく、

番号がふられた各部屋の前で、

何人かの患者さんが静かに待っていた。


一人おろおろしていると、

看護師さんの姿が目に入った。


「15番に行ったら、

 36番へ行くように言われました」


と、事情を話すと、

受付の女性につないでくれた。


部屋の外にある、

空港みたいなカウンターが、

受付らしかった。


そこでまた事情を話すと、

受付の女性は、調べたり、

問い合わせたりしてくれた。


イスに座ってじっと待つ。

背中がじっとり汗ばんで、

マスクがすごく息苦しい。


受付女性が戻ってきて、


「明日の10時の

 予約になっているみたいです」


と言った。


頭の中に浮かんだ

????をそのままに、

また、ばかみたいに、

自分の状況を話した。


「看護師さんから、

 2階の15番へ行ってくださいって

 言われたんですけど。

 何内科かっていう部分が、

 ぬけちゃってるんです。

 2階に15番って、ないですよね?」


さらに、


「気胸が・・・CTで・・・

 肝臓が・・・」


と、いうことも話す。


「もう一度、お待ち願えますか?」


受付女性は、

再び問い合わせの電話をしてくれた。


「イエハラさん、

 2階の16番の、内科です。

 そちらに行ってください。

 15番っていうのは、

 お部屋の番号かもしれません。

 ・・・大変申し訳ありませんでした」


そう言って受付の女性は、

ていねいに謝った。


「2階の16番の、内科ですね。

 ありがとうございます。

 助かりました」


うっすら汗を浮かべながら、

再びがらがらと、

2階の16番へ向かった。


ゆっくりと乗降する

お年寄りを見守ったり、

先をゆずったりしつつ、

ようやくにして

「目的地」の内科に到着。


時計は見ていなかったが。

はたしてどれくらいの時間、

さまよっていたのだろう。


受付に行くと、

今度は、血圧測定をお年寄りにゆずり、

順番を待った。


次の順番の、付き添いの男性は、

先をゆずるぼくに

先をゆずってくれたので、

会釈をしつつ、血圧測定をすませた。


測定結果の紙を手に、

『15』と書かれた扉の前へと進む。


なるほど。


15番とは、そういうことか。


36番の受付女性が謝ってくれたが。

誰も、誰一人悪くなかった。


自分が「内科」という肝心な部分を、

もやもやと聞いてしまったせいだ。


「内科」


呼吸器や循環器などと、

中途半端に詳しくなったぼくには、

想定外の、意表をついた

「こたえ」だった。


正解は「なになに内科」ではなく、

ただの、プレーン味の

「内科」だったのだ。


扉の前に立つと、

ちょうどのタイミングで

先生に呼ばれた。


内科の先生との、久々の「再会」。

先生の顔を見て、

自分が「何の件で呼ばれたのか」が、

初めてわかった。


肝臓の、検査結果のためだった。


やや中性的な、

物腰やわらかな先生が、

やわらかな口調で言った。


「再入院になったんですね」


先生は、

やさしいほほえみで気づかってくれた。


さっそく、肝臓の件へ。

画像を見ながら先生が言った。


「血管腫が見えますね」


ええっ⁈

と、顔を寄せる。


「ここです。この白い部分、

 典型的な血管腫ですね」


出た、典型的。


「・・・良性のものですし、

 悪性になるものでもありません」


へっ?

そうなの・・・?


「硬さも正常値のあいだですし、

 特に問題はなさそうですね」


ほっ。


先生が、やさしい笑顔でぼくを見る。

先生の言葉を聞いて、

やっぱりほっとした。


「肺の手術、頑張ってくださいね」


「ありがとうございます」


内科の先生の

あたたかなまなざしに見送られ、

15番の診療室をあとにした。



CTで見つかった「あやしい影」。

甲状腺も、肝臓も、

どちらの「影」も、「異状なし」だった。


これにて「健康診断」の結果は終了。

典型的、という言葉も、

答え合わせができたし、

すべてが全部、すうっと流れた。


肝臓の検査結果はもちろん、

15番の謎も、すっきり「解決」。


これで、肺の治療に専念できます。




長い「旅」を終えて自室に戻ると、

よく冷えたジャワティの甘みが

すごくおいしく感じた。


ノートを書いていると、

内科への指示をくれた看護師さんが

検温に来た。


「すみませんでした、

 迷わせてしまって」


申し訳なさそうに謝る看護師さん。

おそらく、

先ほどの問い合わせの連絡で、

ことの次第を知ったのだろう。


「いや、自分が、

 いちばん大事な部分を

 聞きもらしちゃったせいです」


笑いながら、ちょっとだけ

「冒険譚(たん)」を話した。

看護師さんも笑っていた。


「無事にたどり着いてよかったです」


「明日の予習になりましたよ」


まさかの思いちがいで、偶然、

明日を先取ってしまったことも

おもしろい。

心も体も、いろいろどきどきする、

そんなひとときをすごせた。


気づくとあっという間に1時間が経ち、

時刻は14:30だ。



胸の痛みも徐々におさまり、

7、8だった痛みが6くらいになって。

15:00現在、

いまは5くらいまで落ち着いている。



そんなこんなで、ひと息ついていると、

外科の若い先生が入ってこられた。


「イエハラさん、明日の麻酔説明は、

 ご家族同席でお願いしたいんですが、

 大丈夫ですよね?」


先ほど、検温のときに

看護師さんから聞いた内容だ。

そのとき、


「別に家族はいいかなって思ったので・・・。

 先生は、どうおっしゃってましたか?

 必ず同伴で、って言ってましたか?」


と、尋ねた。


その「こたえ」がいまの状況。

あわてた先生が、

「確認」に来られたのだ。


「え、やっぱり、

 いたほうがいいんですか?」


「必ず家族同席でお願いします」


危なぁ、といった表情の先生に。

笑いごとじゃないけど、

なぜだか笑いがこみあげる。


いろいろなことがたくさんありすぎて、

何がどれで、

どれが何だかわからなくなっていた。


もう終わった予定なのか、

それともまだ必要なことなのか、

また別の新しい予定なのか・・・。


中止や再入院、

予定変更や検査や手術の準備など。

受診や説明が多くなって、

点と点がばらばらになり、

ごちゃごちゃになって、

いま、自分が

何のための検査をしているのか、

どれが何のことだったのか、

線がつながらなくなっていた。


そんな中、

説明が前後したり、

偶然母が来たりして。

家族同席の面談が終わったので、

家族の同席は、

もういいのかと思ってしまった。


けれども実際は、まだひとつ、

残っていたようだ。


刑務所でいうところの、

「指示待ち人間」。


自分の頭で考える機会が

ほとんどない状況では、

人の思考は、どんどん停止する。


「線」ではなく、

「点」で出される情報や指示。


そうなってくると、

自分がいま、

何のためにそれをやっているのか、

わからなくなる。

そのことを疑問にすら思わなくなる。

わからないということすら

気にかけなくなる。


自分で考えながら

文章を打つときにくらべ、

人が書いた文章を

そのまま打つときには、

なぜが誤字や脱字が多くなる——。

そんな現象とよく似ている。


指示を待つだけで、

自分の意思や判断で動けない、

いまの自分に。

ふと、そんなことを想起した。



そんなわけで。

ご家族にすぐ連絡してほしい、と、

若い先生が言った。


携帯電話を持っていないので、

電話室へ行ってくる、

ということを話すと、

先生は、看護師センターへ行って、

電話の「子機」を借りてきてくれた。


わが家とおなじ、

Panasonicの『おたっくす』だった。


番号を押しても、

聞きなれないアナウウンスで、

「通話できません」と言われて通じない。

何度かけてもてもつながらない。


狼狽(ろうばい)する先生に、


「試しに、先生の電話に

 かけてもらってみてもいいですか?」


とお願いする。


「・・・・かかりませんね。

 おかしいな、ちょっと、

 待っててください」


先生はまた、看護師センターへ消えた。


すぐに戻って来た先生が、

子機を差し出す。


「まず『0』を押してから、

 それから番号を押してください」


言うとおりかけると、

今度はすぐにつながった。


母に、明日、朝9時40分に

また10階まで来てほしいと伝えると、

わかった、と了承してくれた。


明日、朝10時。

36番にて、

家族同席で麻酔説明。


電話を切ると、

席をはずしていた先生が

ちょうど戻って来た。


「ありがとうございます。

 明日、来てくれるよう、伝えました。

 おさわがせして、すみませんでした」


子機を返しつつ、先生に報告。


「よかったぁ。

 ありがとうございます。

 助かりました」


先生は、心底ほっとしたようすで、

子機を受け取った。



「退屈知らずの1日」


絵を描くひまもなかった。


めまぐるしく巻き起る出来事を、

ひたすらノートに書くばかりだった。



16:00ごろ、清拭。

背中を拭いてもらって、

あとは自分できれいに拭いて、

新しいパジャマですっきり爽快。



それから17:00ごろまで、

スケッチブックに絵を描く。


BICの黒ボールペン1.0。

つたない線で、ゆらゆらと。

上手さではなく、忠実さ。


形がおかしくても、

そこにあるものを写し取り、

描いていくのはたのしい。


少しわかった。

見ることと描くこととの関係が。


自分で勝手に線をつくらない。

「飾り」の線は存在しない。



17:00すぎ、外科の先生

(初回、ドレーン除去時の助手の男性)

と、久々の「再会」。


肺の「パンク修理」の話を

してくださった。

まさに「パンク修理」。

生理食塩水を胸腔に満たして、

泡の出る箇所を見つけて、

そこを修復するのだと。


見つけてね!


まったく、あわただしい1日だった。





* * * * * *



17:30すぎ。

痛み止めを飲んだ。

新たに処方してもらった、痛み止めだ。



頓服【とんぷく】:

薬の服用法(飲みかた)の呼称。

食後や食前などの

定期的な服用ではなく、

痛いときなど、必要なときに飲む薬。

「頓用(とんよう)」ともいう。



てんぷく

はんぷく

ぶんぶくちゃがま


ぼくは、「とんぷく」の意味を、

知らなかった。


薬を渡されるとき、


「この薬はトンプクでいいので」


と言われ、

質問して初めてその意味を知った。


新しい薬は、

トンプク(=トンヨウ)で、

1日4回まで、

飲む間隔は4時間以上あけること。


本当に、毎日が勉強です。


<頓服の痛み止め薬の図>



痛みがない(少ない・気にならない)

ってすばらしい。

いろいろできる。

動けるし、絵も描ける。

そして何より、気分が軽やかになる。



5月26日 夕


夕食のあと、

窓の外を見ながら歯をみがいていると、

鉄塔のちょうどまんなかあたりが

虹色に光っていた。


何だろう、と思っていたら、

それは、遠くに見える観覧車が、

ちょうど鉄塔のまんなかに

重なって見えているせいだとわかった。


鉄塔(2023/05/26)



おお、これはすごい。

消えない花火みたいで、きれいだ。


iPodで、キャプテン・ビーフハート

(Captain Beefheaet & His Magic

 Band)の『Sure 'Nuff'n Yes I Do』を

聴きながら歯をみがきつつ、

一人、窓辺で踊っていた。


痛くないって、すばらしい!


たぶん、痛みはあるんだろうけど。

今日の朝までの痛みとくらべたら、

取るに足らない痛みだ。


思えば昨日は、地獄の痛みだった。



日常でもおなじことが言える。

高いと、ちょっと下がっただけでも

低く感じるし、

底の底のように、低い場所から見ると、

ちょっと上がっただけでも高く感じる。


等身大、というのか。

惑わされずに、

実寸大で見極められる、白紙の心。

それが大切だ。


落ち着いて、あわてず、

ゆっくり、ていねいに。


平常心、不動心。


おそれず、人目を気にせず、

いつでも自分に正直に。



筋トレはまずかった。

いくら痛みが減ったといえ、

腹筋したら、

胸がめちゃくちゃ痛くなった。

腕立ては、構えてみただけで、

胸が痛んだ。


薬で「ごまかして」

いるだけなのだから。

・・・そりゃ、あたりまえか。

痛みが消えたわけではない。

痛みを「感じにくく」しているだけだ。


筋トレは、まだまだおあずけだ。

完治したら、

めちゃくちゃいっぱいやる。



21:00。


「今日の夜担当の△△でーす」


看護師さんがやってきて、器械を確認。


「オッケーイ」


「今日も元気ですね」


「元気です! いっぱい寝てきたんで」


元気って、いい。



* * * * * * *



『まだある』


たくさん笑って たくさんたのしんで

たくさん遊んで たくさんよろこんで

たくさん旅して たくさん冒険して

たくさん見て たくさん聞いて

たくさん感じて たくさん考えて


たくさん踊って たくさん描いて

たくさん思って たくさん書いて

たくさんけんかして たくさん泣いて

たくさん仲直りして たくさんわらって

たくさん走って たくさん食べて

たくさん眠って たくさんつくって

たくさんならべて たくさんこわして


たくさんひろって たくさん捨てて

たくさん気づいて たくさん見つけて

たくさんなくして たくさん集めて

たくさんもらって たくさんあげて


たくさん訊(き)いて たくさん知って

たくさんわかって たくさん忘れて

たくさんこまって たくさんうなずいて

たくさんまよって たくさん決めて


たくさん出会って たくさん別れて

たくさん助けて たくさん助けられて

たくさん進んで たくさん戻って

たくさん立ち止まって たくさん唄って


たくさんときめいて

 たくさんどきどきして

たくさん落ちこんで

 たくさん立ち直って

たくさんこだわって

 たくさん胸をはって


たくさんくさって たくさんくだけて

たくさんぶつかって たくさんすねて

たくさんためして たくさんけがして

たくさん休んで たくさん学んで

たくさん感心して たくさん感激して

たくさん感動して たくさん叫んで


たくさんだまして たくさんだまされて

たくさんやぶって たくさんつないで

何もしないで 空を見て

自分の手のひらを じっと見る


まだやれる

まだやれることがある


まだやり残したことが きっとある


ちょっと思って ちょっとだまって

ぎゅっと握って


やれることは まだある

やりたいことは まだある


じっとだまって

ぎゅっと握って

そう 思った




22:00すぎ。

そろそろ寝ようかと思う。


今日はいろいろなことがあった。

1日とは思えないくらい、

本当にたくさんのことがあった。


(ティッシュ)耳せんも、

昨日よりフィット感UP。


今日も1日ありがとう。





やたらに長い記述ですが。

ご清聴、ありがとうございました。


ノートに書かれた記録をもとに、

どこかを切り取るわけにもいかず、

ほぼ無修正で

お届けさせていただいております、

この『Hi, Punk.』[B面]。


「蓼(たで)食う虫も好き好き」


お好きな方は、

どうぞごゆっくり召しあがれ。


次回、#3にて

またお会いしましょう。



← #1   ・   #3 →




< 今日の言葉 >


『あたしの住処(すみか)は、

 幻の国にあるのさ。

 あたし以外が通りぬけようとすると、

 体がズタズタに引きちぎれるよ』


(『ヤヌスの鏡』より)


2023/07/13

Hi, Punk. [B面]:#1 再発








気胸(ききょう)。


それは、肺に穴があき、

しぼんでしまう症状である。


穴は、

自然にふさがることもあれば、

手術を要することもある。


自然治療で

一度ふさがったかに見えた穴が、

再び「空気もれ」を起こすことは、

ままあることらしい。


いわゆる「再発」。


「再発」の場合、自然治療ではなく、

病変箇所への「手術」が妥当である。



自然に治ったかに思われた、わが気胸。


退院してわずか8日目に、

それは起こった。



* *



5月24日、水曜日。


夜中にふと目を覚ましたとき、

肺に違和感をおぼえた。

うっすらとした記憶では、

息を、深く吐ききったときを境に、

左胸が「重たく」感じはじめた。


そのときはそのまま目を閉じ、

また眠りについた。



朝、ごく普通に起きて、

いつものように朝食をとり、

普段どおりにシャワーを浴びる。



入院前の数カ月、

左の肩が、痛かった。

あまりの痛さに腕があげられず、

服を脱いだり着たりするのも

つらかった。


いきなり、というか。

特に前兆もなく、

いつのころからか痛み出した。


四十肩とか五十肩とか、

そういうものがやってきたのかと思って

ようすを見ながら、

その痛みとつき合っていたのだが。

いっこうによくなる気配もなく、

痛みはずっとつづいていた。


左腕を針と見立てて。

時計でいうところの「12時」には、

とてもあげられない。

痛みを感じながら、

ゆっくり動かしてようやく「3時」、

「2時」までいくと、かなりきつい、

という具合で。

日常の動作のいろいろな場面で、

左腕に痛みが走った。


左胸の気胸と

関係があったのか、なかったのか。

それはわからないけれど、

退院後、気のせいか、

左の肩が軽くなっているように感じた。


あさっては、退院後初の「外来受診」。

退院後の経過を、

お医者さんに診てもらう日だ。


左肩の痛みで、

敬遠してきた車の運転だったが。

久々にエンジンをかけてみた。


思ったとおり。


エンジンは、かからなかった。


電車や徒歩で出かけるばかりで、

最後に車に乗ったのは、いつのことか。


ずっと乗らずに放置していた車が

すねてしまった。

・・・というわけではなく。

バッテリーが、

あがってしまったのだろう。


先代の旧車

(1971年式空冷ビートル)では、

乗らなくてもときどき

エンジンを回したり、

まるで犬の散歩のように

近所をぐるりと周ったりしていたが。


「新しい」車になってからは、

気になりつつも、

エンジンをかけることはなかった。


左肩の痛みもあって、

車に乗らなくなり、

気づくとそのまま

何カ月かが過ぎていた。


車庫の中で、動かなくなった車。


あわてずさわがず、

日本自動車連盟(JAF)に連絡する。



20分くらいして、

隊員の男性が来てくれた。


「バッテリーですね」


発電装置と車のバッテリーをつなぎ、

充電してみる。


すぐにエンジンはかかかった。

が、バッテリーが弱っており、

充電する力が

ほとんどなくなっているとのこと。


「見てください、

 バッテリーの側面が、

 ふくらんでるのがわかりますか?」


たしかに。

バッテリーの乳白色の容器の側面が、

ゆるやかな曲線で、

ふっくらとふくらんでいる。


「12ボルトのバッテリーだと、

 元気なもので、

たいてい10とか11とかですが。

 現状の電圧は、4.8ボルトです。

 これでは、エンジンを止めたとき、

 次にエンジンがかかるかどうか、

 かなりあやしい状態ですね」


そんなわけで。

そのままバッテリーを

新品に交換してもらった。


てきぱきと作業を進める隊員の男性は、

まるでお医者さんのようだと

いつも思う。


車のお医者さん。


いつもお世話になっている整備士さんも

ぼくには「お医者さん」の

ように見える。


パイプやコードが走る

エンジンルームは、

内臓器官部とよく似ている。


ケーブルは神経、チューブは血管、

パイプは気管みたいだなと。

整備士さんと話しながら、

そんなふうに思ったことがある。


ガソリンが血なら、

エンジンオイルは水。


エンジンは心臓。

規則正しくリズムを刻むエンジン音は、

鼓動だ。


空冷の旧車には、

キャブレターが2つ、ついていた。

それはまるで肺のようだ。


途中で「ツインキャブ

(キャブレター2つ)」から、

「シングルキャブ(キャブレター

1つ)」の「純正仕様」へ戻した。


キャブレターとは、

ガソリンと空気を混合し、

いい具合に燃焼しやすいよう

調整する場所だ。


現代の車では、キャブレターの役目を、

電子制御の機械が行なう。


エンジンへと送られた混合気は、

電気で火花を飛ばすスパークプラクに

着火され、

次々と爆発を起こして、動力に変える。


吸気、燃焼、爆発、排気。

そうやってピストンを動かしながら、

車は走っていくのだ。


・・・・車や機械には、

まるでうとかったが。


故障を重ねる旧車のおかげで、

車のことが、

ほんの少しばかりは

わかるようになった。


現在の、新しい車では、

自分でさわれる場所が

限られているので、

ほとんどの場合、

「車のお医者さん」に

任せることになるだろう。


そのぶん故障しにくくもあるけれど。

今回は、新しい車の、

「記念すべき第1回目のレスキュー」

だった。


作業の合間に、

隊員の方からいろいろな話を聞いた。

専門家の話を聞くのが好きなので、

ついついいろいろ聞きたくなる。


車の状態や程度を(「お世辞ぬきで」)

大絶賛してくれた隊員の男性は、

そのままオーディオの話をしてくれた。


男性は最近、

SENNHEISER(ゼンハイザー)の

イヤフォン(有線)を購入したそうで、

その音のすばらしさを熱く語った。


20万円台のそのイヤフォンの、

音の厚み、広がりと言ったら・・・。

いまは、そのイヤフォンで

音楽を聴くことが

楽しみで仕方ないと話してくれた。


男性は本当にうれしそうで、

聞いているぼくまで、

何だかわくわくするような気分だった。


「車、乗ってあげてくださいね。

 いろいろな場所へ、

 連れて行ってあげてくださいね」


「はい。大事に乗っていきます」


当初の目的を忘れるような時間が

なだらかに過ぎ、

隊員の方にお礼を言って、見送った。



あさってのために、

車の汚れを洗い流していると、

ちょっといやな感じがした。


息が、苦しい。

ちょっと動くと、息があがる。


なるべくゆっくり動いて、

作業を終えると、

部屋に入って聴診器を手にした。


左の胸の、音を聞いてみる。


音が、聞こえない。



2回目の「それ」は、

初めてのことではないので、

すぐに「それ」とわかった。



* * *



翌朝、すぐに病院へ行った。

朝一番に、母の車で駆けこんだ。


「調子が悪くなったので、

 1日早く来ちゃいました」


そう言うぼくに、

外科の先生が言ったひと言は、

短いけれど、それがすべてだった。


「すぐ入院! 

 2回目なので、今度は手術です。

 いいですね?」


さすがに今度ばかりは

予期していたことなので、

そのまま入院できる準備は

しっかりしてきた。


心のどこかで「思い残して」いたもの。

それは「手術」だった。


しなくていいなら、

しないほうがいいが。

何となく、心のすみで、

「したほうがいい」ような

気がしていた。


自然治癒ではなく、手術による治療。


自分としては、

「再発」が早くてよかったと思った。

「自宅療養」からの再入院。

やりたいことも、やるべきことも、

まだ何も、動かしていない。


いったん家に帰って、

メールや諸々の連絡をすませ、

それからの再入院なので、

流れとしては

とてもいいタイミングだった。


自然治癒では、

再発することが多いらしく、

いつまた気胸になるのかわからない。


どうせなら、しっかり「治し」たい。

心のかたすみでは、そう願っていた。


穴がふさがり、

手術が中止になったときに感じた、

複雑な心境。


それが、現実につながった。


ある意味で願いが叶(かな)ったと。

心の中で、そんなふうに思った。



そのときは、

まだそんなふうに思えた——。



先に起こる地獄の苦しみなど、

まったく予想すらしていなかった自分は

最初の入院とおなじような気持ちで、

のんきに、気楽にそう思っていた。



5月25日、木曜日。

うすぐもりの、白々とした朝だった。



* * * *



いろいろな処置をする前に、

まずはPCR検査ということになり、

別室の、ビニールテントの中で

待機した。


初のPCR検査。


しばらくじっと待っていると、

看護師さんがやってきた。


「それでは検査しますね」


まず体温を測り、

そのあと血中酸素濃度を測った。


血中酸素濃度の検査は、

その名のとおり、

血液に含まれる酸素量を測定する。

クリップ状の小さな機器を

指先にはさむと、

そこに数値が表示される。


『95:SpO₂ /56:BPM』


「95」というのが、

血液中の酸素の濃度。

「56」というのが、

心拍数(回/分)だ。


「95・・・。だいぶ下がってますね」


「普通、どれくらいなんですか?」


「じっとしている状態で、

 97とか98、それくらいが正常値です」


たしかに。

これまでに測ってもらったとき、

たいてい「98」だった。


「たった2とか3で、

 こんなに苦しいんですね」


「歩いたり動いたりしたら、

 95より、もっと下がりますよ」


なるほど。


体温は何となく感覚でわかるが、

血中酸素濃度は、まだわからない。


安静時で95という状態。

数字と自分の「息苦しさ」を

照らし合わせてみて、

その感じを覚えておく。


さて、いよいよ「検体」の採取だ。


検体とは、血液や体液、尿など、

検査をするために採る

「サンプル」のことだ。


PCR検査は未体験だったが、

身内や友人などから聞いていた。


「ジャンボメンボー」


まさにそう形容したくなる、

うそみたいに巨大な綿棒が登場。


それが、鼻の穴へと挿入される。


「右と左、どちらにしますか?」


「じゃあ、右でお願いします」


ジャンボメンボーがゆっくり迫り、

そのまま鼻の奥へと突っこまれていく。


すでに経験ずみで、

ご存知の方も多いかと思われるが。


思ったよりも、奥にきますネ。


想像のやや上をいく箇所まで

するりと奥深く進んだ

ジャンボメンボーは、

そのまま静かに引きぬかれた。


こういうのは、注射などとおなじで、

全身の力をぬいておくと、

比較的、楽に終わる。



<PCR検査・ジャンボメンボーの図>



今度は左の鼻か、と、

一人勝手に身がまえていたが。


「はい、おつかれさまでした。

 検査の結果が出るまで、

そのままお待ちくださいね」


そうか。


「検体」の採取だから、

片方だけでいいのか。

そんなことを思いつつ、

またしばらく、テント内で待つ。


いたずらに長く感じる時間に、

ふと、時計へ目を落とす。


再入院の今回、

腕時計をはめてきた。

オメガは手巻きだから、

寝ていても止まる心配はないけれど、

ごつかったので、

おじいちゃんの形見の金時計を

はめてきた。


金時計は自動巻きなので、

はめずに長く置いておくと、

止まってしまう。

それでも、

おじいちゃんの金時計は正確で、

1950年製造の古いものではあっても、

合わせた時間がくるうことは

ほとんどない。


金でもいやらしくない、

おじいちゃんの時計を、

「お守り」もかねてはめてきた。


病院に着いたとき8時台だった時間も、

いつのまにか10時になっている。


しばらくして

先ほどの看護師さんが戻ってきて、

明るい声で言った。


「お待たせしました。

 検査の結果、陰性でした」


むかしはこの「陰性」というのが、

「わるいほう」なのだと思っていた。

「陽性」のほうが、

明るくてハッピーな感じがするのに。

「陽性」でよろこんじゃ、

いけないんだよね。



PCR検査がすんで、

ようやく「自由に」

動けるようになった。


といっても、自力ではなく、

車イスでの移動だった。


別室で待っていてくれた母が、

看護師さんの説明を聞きながら、

ぼくの乗った車イスを押し進める。


まさか母親に、

車イスを押してもらうとは。


逆のことは想像しないでもなかったが、

母に車イスを押してもらうことなど、

夢想だにしなかった。


現在、病室がいっぱいらしく、

空き部屋ができるまで、

しばらく廊下のロビーで

待っていてくださいとのことだった。


待っているあいだ、母と話していた。


なんだろう、この不思議な時間は。


おだやかな時間だった。



母に車イスを押してもらって

頭に浮かんだのは、

小さなころ、

母の自転車の後ろに乗って、

近所へ買い物に行く風景だった。


スーパーマーケットや靴屋やとうふ屋、

パン屋やケーキ屋など、

幼稚園の帰りに、

あちこちめぐった記憶。


思い出せば一瞬だが、

ずいぶん遠い昔のことだ。


こうして病院のロビーで話す時間も、

何だかなつかしいような

気持ちになった。


入院や手術ということを忘れて、

ここが病院だということすら薄れて、

ただ静かに、

とりとめもないことを話していた。


どれくらいの時間か。

他愛のない話をしながら、

じっと座って待っていた。

車イスのシートは、

長く座っていると

お尻が痛くなってきたので、

待合いのソファに座りなおした。


母は、いつもどおりのんきで、

ときどき感心したり、

無邪気に笑ったりしていた。


この、何でもないようなひとときが、

実はすごく特別で、

かけがえのない時間なのかもしれないと

思った。



ときどき看護師さんが気づかって、

ようすを見にきてくれた。


「よかったらお昼ごはん、

 食べに行ってきてもらっても

 いいですよ」


もうそんな時間なのか。

時計を見ると、12時前だった。


「大丈夫です。大人しく待ってます」


それからほどなくして、

また看護師さんがやってきた。


「よかったです。

 ちょうどいま、お部屋が空きました」


母の押す車イスで、

エレベーターに乗って10階へ。


つい先日もおなじ10階だったが。

今度は「S」ではなく「N」だった。


南から北へ。


おなじ10階でも、「N」病棟は、

「S」と反対側に位置しており、

内科ではなく外科の病棟になる。



N1017。


部屋に着くなりすぐ、荷物を置いて、

おなじフロアの処置室へと向かった。


先回同様、

胸にチューブを入れるためだ。



ここN病棟にも、

S病棟とおなじ感じの

「処置室」があった。

先回とおなじく、

試合前のボクサーの

控え室のように見えるその部屋は、

こういった「簡単な処置」をするための

部屋だった。



若い男性のお医者さんと、

それを見守る、先輩の医師、

補佐役を務める看護師さん2名。

今回は全員、男性だった。


上半身裸になって、

ベッドに横たわると、

左胸への「胸腔ドレーン」の処置が

はじまった。


2回目ということもあり、

心の準備や段取りなど、

初回よりはくつろいで身を委ねた。


「すみません、

 お水もらってもいいですか?」


朝から動きっぱなしで、

気づくと、ここへきて初めての

給水だった。


看護師さんが、

冷たい水を持ってきてくれた。

見たことはあったが、初めて使った。

そのおもしろい形の容器に、思わず、


「魔法のランプみたいですね」


と、口に出したが。

看護師さんが、ぎこちなく笑うだけで、

誰も何も言わなかった。


<お水の容器の図>



「ありがとうございました。

 冷たくておいしかったです」


言葉をかけても、

あまり会話ははずまない。


会話が好きな人たちじゃないのかと思い

必要なこと以外、

口を開かないようにした。


例によって、体に、

清潔な紙のシートがかけられた。

顔をおおいつくして息ができない。

ただでさえ呼吸が苦しいのに、

マスクをしており、

さらに紙のシートが顔をおおって、

ほとんど息ができなかった。


おぼれる!


誰も気に留めないので、

勝手に顔の部分を折り返す。


ほっとひと息。


若いお医者さんは、

左胸に顔を向けたまま、

懸命に手を動かしていた。


「管の穴って、

 おなじ穴でいけますか?」


そう尋ねるぼくに、

先輩らしき男性が答えてくれた。


「はい、それで大丈夫です」


麻酔の注射が打たれた。

ふさがれた穴が再び開かれ、

処置が進められていく。


「それでは管を入れていきますね」


という感じで、

随時、声はかかるが、対話がなく、

少し一方向な感じだった。


2回目、ということもあり、

比べるでもなく、

無意識に「ちがい」を感じてしまう。

なるべく「白紙」でいようと

努めるのだが。

意識が勝手にそれを拾う。


引っぱったり動かしたり。

外科の若い先生は、

体の限界を知っているためか、

力がつよい。

その力づよさは、

物資的な感じがして、

少々「あらく」感じてしまう。


体を走る痛みに、

やはり「比べて」しまう。


内科と外科のちがいなのか。

女性と男性との差異なのか。


美容院と床屋のちがいのような。

そんな「力づよさ」が、

随所に見られた。


初回には感じなかった痛みに、

何度も歯を食いしばり、

声のない吐息をもらす。


「うん、そこ。

 そこでぐっと押しこみながら、

 開いていって」


先輩の男性が、

若いお医者さんに声をかける。


「そしたら、

この線まで奥に入れちゃって」


これは、

あくまで今回の処置の、

ぼく個人の所感だが。


内科の先生は、

患者と対話しながら進めていく。

外科の先生は、

体と対話しながら進めていく。


痛がる声を気にせず進めるお医者さんに

ぼくは、そんな印象を抱いた。


とにかく、

まあまあ痛かったり、

なかなか痛かったりで。


どちらかというと、

痛みにつよいと思っていた自分だが。

胸の奥をえぐられているような痛みに、

汗がにじみ、息があがった。


最後、管を留める処置。

チューブと体を糸で縫うのだが、

何度も糸が切れて、

何度か縫い直された。


「1号じゃなくて、

 0号の糸、持ってきて」


先輩の男性が言う。


若い先生は、その指示に従い、

0号の糸で縫い直した。

かなりつよく引っぱられたが。

0号の糸は、切れなかった。



そんなこんなで。

ドレーンの処置が、終了した。


時間は、20〜30分くらいか。

絶え間なくつづく痛みで、

実際の時間以上に、ぐったりつかれた。


「終わりました。

 起きてもらって大丈夫です」


ゆっくりと体を起こす。


胸の中の管が、

ものすごく深く入っている。

そんな気がした。


胸の奥に何かが

当たっているような感覚があったので、

医師の男性に聞いてみた。


「管って、

 どれくらいの長さが

 入ってるんですか?」


「だいたい20センチくらいです」


先輩らしき男性が言った。


20センチか。

けっこう深く入ってるな。


感覚的に、

先回よりも「深い」ような。


・・・いかんいかん。

何でも「比べて」しまっては。


お医者さんがやることなのだから、

それを信じるほかはない。


気のせい気のせい。



そんなふうに打ち消してはみたものの。


それは、

気のせいではなかったのだと思う。



地獄の苦しみのプロローグ(序章)。

これからつづく痛みの

オーバーチュア(序曲)。



医学や医療のことはわからないが、

自分の体のことは、

自分がいちばんよくわかっている。


もっと自信を持って、言えたなら。

もっと確証を持って、伝えられたら。


とにかく思った。


やはり「対話」は重要だと。



* * * * *



自室へ戻ると、

机に上に、歯みがき粉が置いてあった。


先回買った分では、

あと2日持つかどうかくらいだったので、

母に、


「今度は子供用じゃなくて、

 これを買ってきてね」


と、頼んでおいたものだ。


ありがたい。

今度はまちがいなく「大人用」だ。


歯みがき粉の横には、

メモ書きがあった。

コンビニのレシートの裏に、

書かれたメモだ。





『明日 また きます

 がんばってね 母より』


短かくても心のこもった

ありがたい「手紙」に、

黙礼をして、

ノートについたポケットにしまった。




1017号室。


部屋の間取りは、鏡映しのように、

先回の部屋を

まるっと反転した配置だった。





ベッドの右手が窓になり、

左手側に扉がくる。


だまし絵とか、

ミラーハウスみたいな感じで、

何だか変な感覚だった。


色は、先回のグリーン系ではなく、

ミモザ(暖色黄色)で統一されている。

ソファ、窓のカーテン、

目かくしカーテンも、あたたかい黄色。

こっちのほうが、色味は好きだ。


「アタマガ、アガリマス」


「アシガ、アガリマス」


という具合に、

ベッドのリモコンがしゃべる。



左胸のチューブにつながった

吸引マシンは、

『MSー008』から『MSー009』へ

バージョンアップ。


グレーのボディだったのが白へ、

パネル部分は青色になった。

何だかひんやりとした色合いだ。


<吸引マシン・MSー009の図>


チューブの位置が

正しいかどうかの確認のため、

レントゲンマシンがやってきた。


これは、先回もあったが。

ベッドにいながらにして

レントゲンが撮影できる、

すぐれた器械だ。


<ベッドにいながらレントゲンマシンの図>



撮影のため、背中に板をはさむのだが。

麻酔が切れてきたせいか、

ものすごく胸が痛かった。

自力で起きあがることができず、

ベッドを起こして体勢をつくる。


「アタマガ、アガリマス」


「もう少し、起こせますか?」


「アタマガ、アガリマス」


「はい、それでOKです」


激痛の中、撮影終了。


いい体勢を見つけて、

じっとしている分には大丈夫なのだが。

動くたびに、胸の奥に痛みが走る。


感覚としては、

先回よりも重い、鈍痛だった。

じっとしていても、それは感じる。


動くと激痛。

全身から力が抜けるほどの激痛に、

何かをしようという

気持ちが萎(な)える。


器械のタンクの泡は、

けっこう激しく出ている。


とにかく痛い。


左の胸の中心あたりが、

とにかくすごく痛かった。



5月25日 昼


ぎりぎりお昼ごはんをいただけた。


昨日の夕方、

17:30ごろ食べたきりだったので、

おなかがすごく減っていた。


鶏のうまい「お店」の、鶏が出た。




お昼ごはんを食べ終わったころ。


ドレーン(チューブ)の処置を

してくれた若い男性の先生が来られて、

今後の話をしてくださった。


「どうしますか」


という問いかけに、

手術をお願いする旨を伝える。


自然治癒での「治療」をくり返しても、

おそらく「イタチごっこ」に

なるのだから。

イタチの尻尾を見つけて、

つかんでもらえたら。


あとはお任せするのみ。


手術は、早くて月曜か火曜日。

外科としては、

いつでも準備ができているとの

ことだが、

麻酔科のほうが、

手術がぎちぎちの状態で、

週明けまでは動けないそうだ。


今日は水曜日。

月曜となると、4日はさむことになる。


とにかく、

そのときがそのときだ。


自分は、そのときを待つのみだ。




胸の痛みで、

ベッドから動きたくなかった。


そのくせトイレがやけに近い。


やりたいことは、いっぱいある。

心の中は、一人勝手に

忙しフェスティバルだ。


まずはトイレに行こう。



今回は、

チューブを留める

腰のテープの位置が高く、

パジャマズボンを上まであげられる。

それはとてもうれしいことだ。


A棟、10N。

1017号室。


何度も書いて覚えよう。

いや、もう覚えた。


看護師センターの、ななめ向かい。

それでもすごく静かに感じる。


ここは外科病棟。

おなじ病棟でも、

丸と三角くらいにちがう。

心なしか、看護師さんの男性の比率が

多いように見える。

ナースコールが鳴るのは

おなじだけれど、

数が、少ない気がする。



どんよりくもった空が、

明るい陽ざしを投げかける。


レンタルねまき(パジャマ)は、

1日112円。


この短期間で、

やたらと入院通(つう)に

なってしまった。



<<持ってきた物>>


・歯ブラシ   ・歯みがき粉

・シャンプー&コンディショナー

・メッシュタオル(体洗い用タオル)

・おはし   ・箱ティッシュ

・ノート   ・鉛筆、消しゴム

・ボールペン(BIC)

・スケッチブック(A5サイズ)

・替えパンツ(×3)

・替え靴下(×1)

・腕時計   ・iPod(&ケーブル)

・本(『ペルセポリスⅡ』)




眼下に広がる森の風景。

窓の外の景色が、

セントラル・パークみたいだ。


よし、

ここをニューヨークだと思おう。

ここはプラザホテル。

入口には、日本の国旗が

かかげられているということにして。



<木々のすきまに見える道路の図>



ベッドのリモコンと遊ぶ。


「アタマガ、アガリマス」


「アタマガ、サガリマス」


「アタマガ、サガリマス」


本当に、頭が、下がります。



白くて広い壁面に、

陽光が当たって明るい部屋だ。


ばちあたりのごくつぶし。


きっとまだまだ足りなかったのだろう。


いろいろなことへの、思いが。




14:00か。

時計があると、つい時間を見てしまう。

よし、今回は、

1日の流れと時間を記録しよう。


看護師さんが訪問。

痛み止めをいただき、

コップも貸していただく。


動くと痛いのは、つらいね。

動くのが、億劫(おっくう)になる。



看護師さんに聞いた。

洗髪は、火曜日だと。


え! 週に1日⁈


しかも6日後だ。



いろいろ「ちがう」。



紙が1枚、置かれている。

そこに、毎日の「記録」を

つけることになっているようだ。


ごはんを食べたあとの「記録」。

主菜・副菜をどれだけ食べられたのか。

10のうちどれくらいか、毎食書く。


6、9、14時の検温記録。

トイレ、大&小、

朝起きてから0時まで、

「正」の字で数を数えて記録する。


毎週金曜日は、体重測定(→記録)。



記録は以上だが。


記録用紙の末尾に、こう書かれていた。


「歩ける患者さんは、

 食事のあとのトレイを

『下膳車(かぜんしゃ)』へ

 片づけて下さい」


おなじ病院、

おなじ症状での入院でも。

ところ変われば、

いろいろ決まりがちがうものです。



胸の痛みに、ベッドで座って本を読む。


15:00ごろ、掃除の男性が来訪。


15:15ごろ、男性看護師さんに、


「ナースコール押しましたか?」


と、尋ねられる。



『自分自身に満足していなければ、

 この先満足するようなことなど

 できないのだ』

(『ペルセポリスⅡ』より)



そのまま何もなく、

16:00をまわった。

『ペルセポリスⅡ』は、

3分の1以上読み進んだ。


本当に、

かえって静かすぎると思うくらい、

静かな部屋だ。




空気もれの場所、

見つかるといいな。

どうせなら、

ばしっと完治するといいな。




10階のつながりがわかった。

ラウンジ(自動販売機のある休憩室)へ

行ってみて、はたと気づいた。


ラウンジは、

自分のよく知る「ラウンジ」だった。

それをはさんだ反対側に、

かつてお世話になった、

内科の病棟がある。


何だかもう「なつかしく」、

遠いむかしのことのように感じる。



『夜はよき預言者である』

(『ペルセポリスⅡ』より)



17:00、外科の先生の来訪。

引きつづき今回の「担当医」である

先生は、

風のようにふわりとやってきた。


手術は、月曜日の午前。


明日、母が来る予定なので、

そのことを伝えよう。



『この出来事を啓示と思うべきだ。

 過去と決別しなくては』

(『ペルセポリスⅡ』より)



わからないこと、知りたいこと。

じっとしていたって、

誰も教えてはくれない。


こちらからうごき、

こちらからはたらきかけなければ、

事は進まない。


待ってちゃだめだね。

こちらからどんどん聞こう。



* * * * * *



もうすぐ18:00。

「ごはんを待つ犬」の再来。


管の穴は痛むが、大きく息は吸える。

痛みはあっても吸うことができる。



窓からは、

広々とした森のような景色が見える。

広大な墓地を囲む森だ。


何年か前に、自転車で

その墓地の前を通りがかった。

見晴台のようなものが

あるという看板に、

森の奥へと進んでいった。


見晴台から見る景色は、

とても眺めがよく、

自分の見知った街が遠くに見えた。

そこから引き返すようにして

戻る道すがら、

一軒の家を見つけた。


森の中に、ぽつんと建つ一軒家。


家自体は、ごく普通の、

ありふれた感じの建物だったが。

木々がうっそうと

生い茂る森の中にたたずむその家は、

どこか奇妙で、

そぐわないように感じた。


もう誰も住んでいない家——。

廃屋だった。


その家から少し離れたところに、

別棟のような、小さな小屋があった。

何の気なしに小屋の扉を引っぱると、

思いがけず、扉の引き合いになった。


中に、誰かいたのだった。


いたというより、そこに「住んで」いたのだ。


足元には、

レンジで温める

パックのご飯の空容器が、

神経衰弱のトランプのように、

ちらばっていた。


たくさん並んだ

2リットルのペットボトルには、

水がなみなみと入っていた。

その水は、「猫よけ」のためではなく、

住人のための「生活用水」だった。


小屋から少し歩くと、

墓地の水くみ場がある。

小屋の住人は、そこで水をくんで、

いつでも使えるように備蓄していた。


小屋の住人との「引っぱり合い」は、

ほんの十数秒にも

満たないものだったが。

その短かい時間に、

いろいろ思い、いろいろ感じた。


そして、

ほんの一瞬ではあったが、

住人の腕と、

部屋の一部をちらりと見た。


いろいろな「物」が集められ、

積みあげられ、

袋や物が山のようになった室内からは、

昨日今日ではない、

何カ月、何年もの「歴史」が

感じられた。


そこには、

しっかりとした、生活感があった。



・・・・立ちならぶ木々の中、

遠くに見える見晴台の姿に、

ふと急に、そんな記憶を思い出した。


おたがい、

声もなく扉を引っぱり合ったあの瞬間、

腕に、生々しい「生(せい)」を

ひしひしと感じた。




5月25日 夕


賢明なる読者諸君は、

もうお気づきかと思うが。


この短かい期間に、

ごはんメニュー、

2巡目を食してしまった。


みそ汁が、やたらにおいしかった。

おろし煮も、すごくいい。




病室内、

iPodで聴く

『Downtown』(Petula Clark).。

窓の外が見たくなる。

やっぱり、街の灯がよく似合う。


イヤフォンで音楽を聴くのも

久しぶりだ。


コードやらチューブやら。

いくら技術が発達しても、

胸からつながるこのチューブは、

「無線」にはならないだろう。



『限界をこえた不幸は、

 笑うしかないのだ』


『恐れが人に良心を失わせる。

 恐れが人を

 卑怯(ひきょう)者にさせる


(『ペルセポリスⅡ』より)




20:30ごろ、

薬(をまちがいなく飲んだかどうか)と

左胸のカーゼの確認。


体を動かすと、

胸の中に入ったチューブも動く。

チューブが動くと、痛みが走る。


なので、

胸のチューブの根元をおおう

カーゼのテープを、

少しきつめに貼り直してもらう。


ゆるくて動く、

チューブの根元がひきしまり、

動きにともなう痛みがやわらいだ。



21:35ごろ、

『ペルセポリスⅡ』読了。


プレイリストの曲も、

ちょうど最後の1曲。


昨日、眠れなかった分、

今日はゆっくり寝よう。


母に感謝。

笑顔で笑いとばそう。


すべてが流れる。


深刻になって、今をくもらせていたら、

一度きりの今がどんどん色あせていく。


時は一瞬。

前にしか進まない。


大切な時間を、ゆたかに、

笑ってすごしたい。



22:00前(21:50ごろ)、

チューブ、根元の確認。


自然に笑顔のこぼれる、

はつらつとした看護師さんだった。


人に「いいもの」を与える力って、

すごい。







さて、いかがでしたでしょうか。


またしてもはじまった入院生活。

5月25日、木曜日。

長い第1日目が、終わりを迎えました。



『Hi, Punk.』[B面]


ノートに書きつづった生の言葉を、

なるべくそのまま

お伝えしたいと思っております。


とりとめのない記述と

なるかもしれませんが。


よければどうぞ、

最後までおつきあいのほど、

よろしくお願い申し上げます。



家原利明(ieharatoshiaki)



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< 今日の言葉 >


『心がビンビンにしびれたいんだろ。

 あたしだってそうさ。

 魂を真っ赤に燃やせるものなら、

 命なんてくれてやるさ。

 人形のように生きるなんて

 まっぴらだ。

 命根こそぎギンギンに生きたいよ。

 心はりつめて、体をはりつめて、

 ナイフみたいに生きたいよ。

 ・・・燃えつきたい。

 ごらん、ピカッと光った星になるさ』


(『ヤヌスの鏡』より)