『もし、生まれ変われるとしたら。
あなたは何に生まれ変わりたいですか?』
そんな質問をされたとき、
どう答えるだろう。
「アイドルグループのメンバーになって、
唄や踊りでみんなをあれしたい」
「サッカー選手になって、
ワールドカップであれを決めてみたい」
「犬になって、
思いっきり駆け回って、
思いっきりあれをふり回したい」
「蘇我馬子になって、
自分がどうして『馬子』という名前なのか、
親にあれしてみたい」
・・・人それぞれ。
生まれ変わってみたいもの、
生まれ変わってみたい人物は
いろいろあるだろう。
もし、自分がカブトムシに生まれ変わったら。
おしっこをしながら、
ふと、そんなことを思った。
★ ☆ ☆ ☆
夏の終わりに産まれた卵は、
湿り気を帯びた土の中ですくすくと育った。
地上に秋の気配が漂いはじめたころ、
孵化(ふか)したばかりの幼虫のぼくは、
父上ゆずりの探究心であたりを散策しながら、
やわらかな体をぐんと伸ばす。
暗い土の中。
けれどもその暗さが暗いとは思わない。
かたいもの、やわらかいもの。
たべれるもの、まずいもの。
活発に動き、眠る。
寒くなった地表が、
少しあたたかくなってきたころ。
動き回っていた体がじっとかたまり、
べっこう色の皮膜をまとって、
そのときを待ちつづける。
そのとき、というのが
何なのかは分からないが。
ぼくはただ、
そのときを待ちわび、
土の中でじっとしている。
やがて「そのとき」がやってきた。
手も動く。
足も動く。
誰かが呼んでいるような。
何かが呼んでいるような。
そんな気がして、
ただひたすら土をかき進む。
まぶしい光。
はじめて見る空の光に、
目がくらみそうになる。
青い空。白い雲。
緑の葉っぱ。褐色の樹々。
赤い実がゆれている。
黄色い花も咲いている。
花のにおい、
せせらぎの音。
色、かたち、光、におい、音。
やわらかな体毛をそっとゆらす風。
すべての刺激が、
ぼくをうちふるわせる。
銀色の太陽の光を照り返す、かたい角(つの)。
自分の頭にこんなものがあるなんて、
はじめて気がついた。
おぼろげに見た母上のお姿。
たしか、そのお顔に角はなかった。
目の前にそびえる、褐色の木。
まるで天まで届きそうなその木が、
ぼくを呼んでるような気がした。
おそるおそる爪をかけ、
のぼってみる。
樹皮にめり込む爪の感触。
意外に軽く、自分の体が持ち上がる。
その感覚をたしかめながら、
しだいに夢中になって
手足をリズムよく動かしていくと、
みるみる景色が低くなった。
なんだろう。
この香りは。
鼻腔をくすぐる甘美な香り。
ぼくを呼んでいたもの。
その正体は、
樹皮からあふれる飴色の樹液だった。
たまらない香りにいざなわれ、
ごくりと喉を鳴らして樹液に近寄る。
と、黒いかたまりが、ぬっと現れ、
ぼくの目の前に立ちはだかったかと思うと、
2本の大きな角でぼくを軽々はさんで、
ふり払うようにして中空に放り出した。
ぼくの体は上下を失い、
ものすごい早さでぐんぐん引っぱられていく。
これが「落ちる」ということだと知ったのは、
もっとあとになってからの話だ。
そのときのぼくは、
わけも分からずもがきつづけ、
手足をばたばた、めちゃくちゃに動かしつづけた。
ふと、体が軽くなった。
手足をばたつかせたせいではなく、
それは、自分の背中から出てきた
うすい膜のようなもののせいだと
感覚的に分かった。
戸惑いながらも、
手足ではない「それ」を動かそうと
必死でもがいた。
かたい背中に、風を感じた。
すると、不格好に開いた一対の膜が、
ぐんぐん速くなる速度をやわらげて、
ぼくの体の進路を変えた。
気づくとぼくは、
生い茂った緑の中に体を横たえていた。
はじめて光を感じたその日。
一瞬一瞬が、すごく長くて鮮明な、
まぶしい記憶だった。
★ ★ ☆ ☆
樹液をたしなむぼくの横には、
ぼくより小さな仲間がいる。
コガネムシの彼は、
メタリックなうつくしい色の体をしていた。
彼は、陽気な歌だけでなく、
曲芸飛行やとなりの木への移動など、
うまく飛ぶ方法を教えてくれた。
彼は物知りでもあり、
2本の角を持った「あいつ」が
ノコギリクワガタだということも教えてくれて、
なかでもぼくが出会ったのが、
『大クヌギのボス』であることも知っていた。
「やめたほうがいいって。あいつは危険だから」
カナブンが、
ぶうんと不満げに羽根を鳴らす。
「けどさ、なんでいきなりはさんできたのか、
そのわけが聞きたいんだよ」
ぼくは言う。
「それは、本能さ」
「ホンノウ? ホンノウって何?」
首をかしげるぼくに、カナブンがぶうんと笑う。
「ははは。本能ってのはさ、
理由もなく、それをせずにはいられない、
生きていくための衝動なんだよ」
「だとしたら、ぼくがノコギリクワガタに
話を聞きにいきたいっていうのも、
ホンノウなんじゃないのかな」
「うう、たしかに。そりゃそうだ」
カナブンが、まいったというように
ぶぶっとうなった。
満月の夜。
月が西の山に沈んでいくころ、
大クヌギの足元に立った。
あのとき以来、くることはなかったが。
景色はまるで変わっていなかった。
「べつに、話をしにきただけだから」
ぼくは、そう独りごちて、
静かに樹皮に爪をかけた。
あのときと同じ、感触だった。
背中の羽根が、ぶるっとざわつく。
それでもゆっくり、ゆっくりと、
大クヌギをのぼって進んでいく。
樹液があふれる「うろ」のあたり、
大きな黒い影がこちらをうかがい、
じっと身構えているのが分かった。
なぜだろう。
前に見たときよりも、
その姿がものすごく巨大に見えた。
そのときぼくは、
自分が恐怖しているということに
初めて気がついた。
どうしよう。
退こうにも体が動かない。
力が入りすぎて、
食い込んだ爪が樹皮から抜けない。
巨大な影が、
音もなく、ざわっと動いた。
もうだめか、と思った瞬間。
それでも意識は、普段よりも刮目(かつもく)していた。
巨大に思われたその影は、
ゆっくりと分かれて3つの影になった。
「こんな朝早くに、
若い人がめずらしいのねぇ」
3つの影の正体は、
ルリタテハのご夫人たちだった。
朝を待つ、
うす暗がりの大クヌギの樹皮で。
幻影にひるんだ自分に赤面したぼくは、
居住まいを正して、
「おはようございます、ご婦人がた」
とゆっくり角を下げた。
そしてすぐ、知りたいことを聞いてみた。
「あの、ここにいた、オオクワガタは・・・」
言い終わるまでもなく、
まんなかの、少し派手めな模様のルリタテハが
優雅に答えた。
「ああ、ここのご主人のことね。
あの人、鳥にさらわれたそうよ」
「鳥に、ですか?」
「そう。たしかブッポウソウだって話だけど」
「そうよね、そう聞いたわね」
「そう、聞いた話。だから、あたしたちは
もちろん見てないけどね」
羽根をひらひらさせながら、
最後は3人ともが口をそろえてうなずきあった。
「そうですか・・・」
落胆のような、
不思議な感覚に角を落していると、
まんなかのご婦人が羽根をさっと広げた。
「うそかもしれない、って思うんなら。
もう少しのぼって、見てみるといいわ」
「何を、ですか?」
答える代わりに、
ルリタテハのご夫人たちは
そのまま朝もやの中へと飛んでいった。
ひとり残されたぼくは、
ルリタテハの言い残した言葉どおり、
足を、上へと進めていた。
幹が分かれる手前の樹皮に、
何やら光るものがあった。
おそるおそる近づいて見てみる。
と、そこには、
1本の角が突き刺さっていた。
ぎざぎざの、のこぎり状の黒い角。
先端を樹皮に突き立てたその角は、
途中でぽきりと折れていた。
ぼくは、その角をじっと見つめて、
彼の姿を思い浮かべた。
威厳に満ちた、雄大な姿。
ゆっくりと顔をのぞかせた朝日が、
もの言わぬ彼の角を赤く染め上げる。
ぼくには、彼の角が、
めらめらと燃えているように見えた。
★ ★ ★ ☆
ヒグラシが鳴きはじめたころ。
キリギリスやテントウムシ、
アオスジアゲハなどが集まる楽園へ、
遊びに出かける機会があった。
じりじりとせまる陽差しを避け、
コナラの倒木のかげでくつろいでいると、
ナナホシテントウムシが
ぼくのそばにやってきた。
「ねえ、カブトムシさん。
あなたの、その、
小さいほうの角が、折れてるのはどうして?」
その声に、みなが触覚を向け、
みな一様にぼくの言葉を待った。
「この角のことかい?」
と、折れた胸の角(小さいほうの角)を指し示し、
ゆっくりと言葉をつづけた。
「これはね。あるニンゲンが、
折ってしまったんだよ」
みなの触覚がぴんとなり、
しんと静まり返った。
ぼくは、少しのあいだ空を見上げて、
ひとつ笑った。
「なつかしい、思い出だよ」
「ニンゲンって、ほんとうにわるいやつだ!」
カマキリが両手の鎌を大きく広げた。
「あたしも羽根をつかまれたことあるわ!」
ツマグロヒョウモンチョウが羽根をばたつかせる。
「ひどいことするね、ニンゲンって」
ナナホシテントウムシがぽつりと言った。
「いや、そうでもなかったよ。ショウタロウは」
ぼくがふふっと笑うのを見て、
「ショウタロウ?」
と、みなが口々にくり返した。
「その、ショウタロウっていうのは何?
ニンゲンの種類のこと?」
「ねえ、おしえてよ、カブトムシさん」
「そうだね・・・・」
ぼくは、ひとつ息を大きく吸って、
ゆっくり吐き出してから、言葉をつづけた。
「つまらない、昔話かもしれないけど・・・」
あの夏のことは、今でも忘れない。
まだ陽が昇ってそれほど経たない、
蒸し暑い日のことだった。
ミンミンゼミが鳴いていた。
仲間たちと談笑していた。
アリたちが運んでいた、
めずらしい獲物の話をしようとした、
そのときだった。
いきなり目の前に白い膜が現れて、
身動きが取れなくなった。
もがけばもがくほど手足がからまり、
羽ばたいても体が浮くことはなかった。
クモの巣か、と思いもしたが。
すぐにそうではないことが分かった。
ニンゲン。
ニンゲンの手が、
白い膜の外から伸びてきて、
ぼくの体をそっとつかんだ。
そのまま白い膜の外に出されたかと思うと、
こんどは緑色の箱に移された。
オレンジ色の透明な板が下ろされると、
箱のなかには、
自分しかいないことに気がついた。
ほっとしたのも束の間。
いきなりがたがたとゆれ出して、
緑色の壁や地面にはげしく打ちつけられた。
転がらないよう必死でつかんでいるうち、
箱には、どうやら出口がないことに気がついた。
緑色の壁は、
すきまだらけなのに出ることができず、
風ばかりがつよく吹いた。
森が遠ざかるのを感じながら、
ぼくはゆっくり意識を失った。
次に見た景色は、
白くて四角い空に囲まれた場所だった。
つるつると滑る足場を踏みしめ前に進むと、
見えない壁に角(つの)がぶつかった。
明るくなったり、暗くなったり。
そのたびニンゲンの顔が近づいてくる。
つるつる滑る透明な壁は、
どうやってものぼれない。
箱の天井が開いたかと思うと、
ニンゲンの手がまたにゅうっと伸びてきて、
ぼくの体をつまみあげた。
どうやらニンゲンは、
ぼくに危害を加えるつもりはないようで、
つるつる滑る透明な箱に、
ふんわりとした木のくずを敷きつめたあと、
ぼくの体をそっと置いた。
いくらか生きた心地を取り戻したぼくは、
どっと疲れが押し寄せて、
あらがいようのない睡魔にみまわれた。
ふかふかの寝床のせいもあり、
気づかぬまま眠りの淵へと堕ちていった。
ニンゲンは、
いつもぼくを見にやってくる。
果物や野菜を運んできたり、
散らかった寝床を掃除したり。
ぼくをもてなそうとしているニンゲンの姿に、
いつしかぼくも好感を覚えた。
そのニンゲンは「ショウタロウ」と呼ばれているらしく、
その名を呼ばれると「はーい」と返事する。
名前を呼ばれると姿が見えなくなり、
戻ってくるとぶつぶつ何かを言っていたりするが、
ぼくの前では白い歯を見せて、
にこにこうれしそうな顔を浮かべている。
「カブちゃん、おはよう」
うれしそうな顔を見ているうちに、
いつしかぼくは、
ショウタロウのことが好きになっていた。
ある日のこと。
ショウタロウがぼくの体をつまみ上げた。
こうしてときどき別の箱に移されて、
全身赤や黄色の、
ずいぶん小さくて動かない『ニンゲンもどき』と
遊ばされたりすることもあったが。
その日は、箱に移ることもなく、
いきなり角に赤い糸を結わえつけられた。
小さいほうの角、
『胸の角』に結わえつけたれた糸の先は、
何だか固そうで重たいかたまりの、
鼻先らしき場所に結わえつけられた。
「カブちゃんは力持ちだから、
クルマだって引っぱれるんだよ」
ショウタロウのはずんだ声に、
ぼくは、何となく状況を理解した。
『この「クルマ」というやつを
引っぱればいいのだな』
足元が滑らないようにと、
やわらかいものを敷いて準備した地面を見ても、
ショウタロウの意気込みが伝わってくる。
『ようし。このクルマというやつを、
引っぱってやろう』
「よーい、スタート!」
ショウタロウの合図で指を放されたぼくは、
全身の力を手足に込めて、
前へ、前へと進み出した。
が、まったく動かない。
まるで大木を相手にしているかのようだった。
右、左、前、後ろ。
全神経を手足に送って、
けんめいに這い進む。
腹が地面につきそうになりながらも、
ひたすら前方へと視線を向けた。
「すごい! いいぞ、カブちゃん!」
永遠に動きそうにもないかと思われたクルマは、
動きはじめると軽々動きだした。
その感覚は、不思議なものだった。
「カブちゃん、がんばれ! あと少し!」
敷きつめられた地面の先に、白い線が見えた。
その線が、みるみる近くなり、
線をまたぎ越えようとした、その瞬間。
背後からさわがしい音が聞こえた。
と同時に、角に強烈な衝撃が走った。
とっさに身構え、踏んばった。
それが、いけなかった。
まっすぐ進んでいたはずのクルマは、
ぼくの必死の迷走につられ、
いつのまにか蛇行していたらしく、
もう一段低い地面に向かって落ちていった。
角に結わえつけられていたはずの、赤い糸。
それが、ないことに気づいて、
遅れて現状を理解した。
角が、折れたのだった。
「か、カブちゃん・・・」
ふるえる声で、
ショウタロウが折れた角をつまみ上げた。
「どう、どうしよう・・・。
つのが、おれちゃったよ」
あわてふためくショウタロウ。
いきなりばたばた動き回ったかと思うと、
手にしたものから白い液体をしぼり出し、
折れた角の断面に塗りつけた。
と、すぐさまぼくの額に
それを押しつけた。
ひんやり、冷たい感触が走る。
「ごめんね、カブちゃん、ごめんね、ごめんね・・・」
目を潤ませて、そうくり返すショウタロウは、
ぼくと折れた角を持ったまま、
しばらくのあいだ放そうとしなかった。
やわらかくてあたたかい
ショウタロウの手は、
かすかにふるえつづけていた。
「・・・まあ、そんなことがあったんだよ」
なつかしい思い出の余韻にひたるように、
ぼくはゆっくり、2、3度うなずいた。
「そうだったのか・・・」
ナナホシテントウムシが神妙にうなずく。
「でも、折れた角、元どおりにしてくれたんでしょ?
なのにどうして折れたままなの?」
「何だか分からないけど。
雨にぬれたらまた取れて、それっきりだよ」
「あの、聞いてもいいかしら・・・」
ずっと黙って聞いていたカブトムシの娘が、
恥ずかしそうに手をあげた。
「ニンゲンの世界で食べた果物って、
どんな味だったのかしら?」
「大したことないものもあったけど。
こっちじゃ食べられないくらいおいしいものも、
たくさんあったよ」
「まぁ!」
「特においしかったのは『ゼリー』っていうやつだよ」
「それって、どんな味なの?」
「ものすごく甘くて、やわらかくて、
ぷるぷるしてて、一度食べたらやめられない、
天国のような味だったよ」
羨望の声やため息など、
カブトムシの娘だけでなく、
そこにいた一同が色めき立った。
「それなのにどうしてまた、
森に帰ってきたの?」
質問好きのナナホシテントウムシは、
まだ聞きたりないようすだった。
ぼくは、
自分でもその答えをさがすようにして中空を見つめ、
やがてぽつりと口を開いた。
「本能、かな」
「ホンノウ?」
「そう、本能。
理由もなく、それをせずにはいられない、
生きていくための衝動、だよ」
「ほんのう、かぁ」
誰ともなしに、その言葉を口にして、
みな、大切そうに口のなかでかみしめていた。
「けど、ときどき後悔してるよ」
静けさに水を注すように、
ぼくが言った。
「ゼリー、うまかったからなぁ、って」
一同、みんなが笑った。
笑うみんなを見つめながら、
ぼくは、思い出していた。
夏の終わり、
閉め忘れた箱の窓から逃げ出した、
あの日のことを。
自由な空を取り戻した解放感。
そのはずなのに。
「あっ、カブちゃん!」
視界のすみに映ったショウタロウの顔。
窓から顔を出し、
ぼくを目で追うショウタロウの顔が、
ずっとずっと忘れられない。
思い出の淵から立ち上がるように、
ぼくは、ぶうんと羽根をふるわせ、
ひとりごとのようにつぶやいた。
「後悔はある。
けど、後悔がなければ、
今の自分は、ないからね」
★ ★ ★ ★
もし、ぼくがカブトムシに生まれ変わったら。
そんなふうに生きたいと思う。
カブトムシになって、
後悔しながらも、
甘いゼリーの夢を見つづけたい。
もし、生まれ変われるとしたら。
みなさんは、
どんなカブトムシに
生まれ変わりたいですか?
< 今日の言葉 >
『つべこべいってると ゆすぶって
ミルクセーキにしちまうぞ』
(『コブラ』寺沢武一/14巻より)