2025/07/01

好きか嫌いか


「パレットにはりついたくま」(2020年)


 *



「何でも好き嫌いだけで

 決めてはいけない」


などと、言ったりするが。


好き嫌い以外、

何を基準に判断すればいいのか。


「あんまり好きじゃないけど、

 やっておいたほうが得だから」


「みんながやってるから」


「流行ってるから」


「あとで高く売れやすいから」



好き嫌い。


直感。感覚。ひとめぼれ。


それは、

人付き合いも同じだ。


たいていの場合、

会った瞬間に、ほとんどわかる。


人間も動物だ。

動物的な直感で、相手がわかる。


「あ、いいな、この人!」


「わ、嫌だな、この人・・・」


少なくとも、

好き嫌いだけは一瞬でわかる。


わからないのは、

わからなくしているだけ。


頭がそれを邪魔している。

情報が感覚を遮断している。

理性や倫理、体裁、

損得勘定など、

社会的な思考が、

直感を曇らせている。


「好き嫌いで決めちゃ

 いけないよな」


たしかにそれも一理ある。


だからこそ、

頭が軌道を修正する。

感覚的に歩もうとする足取りを

言葉で、理屈で、誘導しながら、

理性の地図におさめようとする。


「みんなと仲よくやらなくちゃ」


「食わず嫌いはよくないよな」


果たしてそれが「正解」なのか?


まちがいでは、ないと思う。


けれども「正解」かと問われたら。


どうだろう?


それは、

自分が決めた「正解」だろうか。

自分の心が決めた「こたえ」なのか。


そんなことを、ふと思った。



* *



母に、

こんな出来事があった。


母は長年、

日本舞踊の教室に通っている。

事件はその、

踊りの教室で起こった。


教室には、

母よりもずいぶんあとに入ってきた

一人の女性がいた。


ここでは「女性」と

呼ぶことにしよう。


今から10年ほど前の話で、

「女性」は母より3歳

年上だった。


となると、

「女性」の歳は、

72、3というところか。


90歳(当時)の親御さんが

たくさんの借家、

マンションなどを所有しており、

娘である「女性」は、

豊かな生活を送っていた。


服装や持ち物にも気を配り、

ブランド品や高価な物を身につけて、

いつもきれいな身なりをしていた。



ある日、

喫茶店でお茶を飲んでいて、

「女性」が母に言った。


「ちょっとお手洗いに行くから。

 この鞄、見ててもらえる?」


「女性」が

机に置いた鞄を指し示す。

何も思わず、母は承諾した。


その時、母と「女性」以外、

ほかに誰もいなかった。


密室ではないが、

当事者以外、

目撃者も証人も誰もいない。

母と「女性」は、2人きりだった。


ほどなくして

戻って来た「女性」は、

鞄を開けるなり、声を挙げた。


「お金がなくなった。

 ここに入れておいた10万円がない。

 盗んだでしょう?」


もちろん盗むわけがない。


母は唖然として声を失った。

恐怖にうち震え、

血の気が退いていくのがわかった。


声に集まったほかの仲間が、

「女性」の主張に耳を傾ける。


さいわい、

母を疑う人は、いなかった。


母は、鞄に手も触れてはいなかった。


教室の立ち上げ当時から

ずっと踊りを習っていた母には、

母をよく知る仲間がいた。


「えみちゃんが

 そんなことするはずない」


信頼というよりも、

確信に近い擁護の声が、

仲間内を包んだ。


その日のことは、

ぼくもよく覚えている。


いつになく消沈した母から、

当時、この話を聞いたからだ。


「母さんね、

 どろぼうって言われた。

 どうしよう。

 裁判とか警察とか、

 そんなことに言われても、

 知らんもんは知らん、

 やっとらんもん、そんなこと」


いくら明るい声でなだめても、

深刻な顔をしたまま、

母はこの世の終わりのように

落ち込んでいた。


数日後、

母の口から聞いたのは、

安堵に満ちた声だった。


「わたしも

 おんなじことやられたって。

 △△さんに言われた」


「女性」は依然として、

裁判だの警察だのと、

かんかんに怒ったままだが。

周囲の目は、冷めていた。


誰も母を疑いはしなかったし、

責めることも、同調することも、

無視することもなかった。


無視されたのは「女性」だった。


新参者で、

人の悪口を

よく口にしていた「女性」は、

みなの信用を得るには

至らなかった。


『10万円紛失事件』は、

「女性」とともに姿を消し、

事態は静かに幕を下ろした。


しかし ——。


危ないところである。


もし母が、

みなに信用されないような

人柄だったら。


借金などがあり、

お金に困っていたら。


現在、または過去の素行が、

悪かったら。


もし・・・と言い出したら、

きりがない。


あとで聞いたところ、

現金だけでなく、

指輪や時計までもがなくなったと

言われたらしい。


「もう絶対に、

 そういう頼みごとを

 聞いちゃだめだよ」


「そういう人と、

 二人きりになっちゃだめだよ」


よかったね、と言いつつも。

当時のぼくは、

母にそんな教訓めいたことを

とくと伝えた。



* * *



久しぶりに母が、

その「事件」を思い出し、

当時をふり返るようにして

苦々しく笑った。


「あのときはもう、

 本当にどうしようかと思った」


「母さん、その人のこと、

 初めて見たとき、どう思った?」


「なんていうの。

 お金持ちだけど、

 案外けちけちしとって。

 意外と細かいんだわ。

 何でも自分で仕切りたがるし。

 すぐ人の悪口言うし」


「好きか嫌いかで言ったら、

 どっちだった?」


「・・・嫌い。

 ぱっと見たとき、

 苦手だなって、そう思った」


そう。


のんきで、おとなしく、

父に言わせれば「どんくさい」母でも、

動物的な感覚が、知らせていたのだ。


起こるべき事態を、なのか。

それとも、

相性がよくないということを、なのか。


『以心伝心』


『魚心あれば水心』


とも言うけれど。


母が抱いた反感情が、

「女性」の気持ちをくすぶらせ、

事態に火を点け

燃えあがらせたのか。


何やかんやで

みんなに可愛がられている、

母のことを妬んで起きた事なのか。


現実につながる糸は、

あとから手繰りよせようにも、

もはや確かな正体はない。


ただひとつ言えること。


直感。


好きか嫌いか、という気持ち。


そこに、嘘はない。



合わないものは、合わないのだ。



どちらが悪というものでもないし、

どちらかが正しいわけでもない。


合わないものは、合わない。

そこにいても、

いい結果は産まないし、

待っていても変わることはない。

自分が動くか、変わるしかない。



人にはそれぞれ事情があり、

現在の姿がある。


人を悪く言うのはよくない。


言葉はそのまま自分に返る。

投げかけた感情が、

そのまま自分に返ってくる。


過去はどうすることもできないが。

現在のふるまいが、未来の自分を救う。


欲がそのまま、

「好き」につながる人もいる。


それも、人の好きずきだ。


ひとつひとつの、小さな積み重ね。


積み上げるのには時間がかかるが、

壊すのは一瞬だ。


完璧でも上手でもないが。

ひいきなしに、

母は、まっすぐ生きてきた。


貧しくとも、

ゆたかさだけは忘れずに。

裏表なく、損得勘定ではなく、

物事を判断してきた。


多少は愚痴をもらしたりするが。

悪態をついたり、悪口を言ったり、

批判をしたりはしてこなかった。


どちらかといえば、

騙されてばかりで、

損することも多かったように思うが。

他人を騙すことは、しなかった。


そんな母を、

みんなが守り、かばってくれたこと。

それは「正しい」ことで、

嬉しい結末だった。


簡単なはずのことが、

ややこしく見える現代でも、

昔話みたいにすこやかな結末が、

まだちゃんと息をしているのだと。


そう思いたいし、

そうであってほしいと願う。


不器用でも真面目に

生きている人がいる。


いくら強くても、

嘘ばかりの長いものには、

巻かれたくない。



好き嫌い、という感覚。


感覚は、すなわち「センス」。


「センス」のない生き方って、

怖いなって思った。


それは、

地図なく歩くよりも

怖いことだ。


センスは、自分の感覚。

自分だけの「こたえ」。


いいものは「いい」し、

嫌なものは「嫌」だ。


わがままと、自分勝手は、

似ているようでまるで違う。


わがままは、

自分の筋を通すことで、

自分勝手は、

状況や場面で、

事実を都合よく変えること。



好きでもないものを受け入れるうちに、

自分の好きとか嫌いが、

わからなくなる。


気づかぬうちに、

選ぶことも、考えることも、

できなくなる。

好きも嫌いも、いいも悪いも、

わからなくなる。


そんなふうに、

心の声が何も聞こえなくなったら、

もっと怖い。



< 今日の言葉 >


「出かけるときは、

 重たいから

 家に置いてくんだけど」


(携帯電話を指して母が言ったひと言)



2025/06/15

時代遅れの不携帯携帯電話




☎︎


2025年5月。


50歳にして初めて、

携帯電話を手にした。


訳あって、

持つ(使う)運びに

なったのだが。


この携帯電話は、

亡くなった父が

使っていたものである。


処分するでもなく、

しばらく手元に置いていて。

何か使い途はないかと

思案していたところ、

晴れて「通信用」として

使うことになったのだ。


携帯電話を

「通信に使う」なんて、

当たり前の話だと

お思いになるだろうが。


契約していない携帯電話は、

当然、誰とも電波が

つながっていない。


最初は

デジカメ代わりか、

音楽を聴くためにでも

使おうと思っていた。


けれど別に、

わざわざ携帯電話を使わなくとも、

用は足りていた。


ということで。


しばし眠ったままだった

携帯電話——。

やや年配者向けの、

スマートフォンである。


デザイン性より

利便性に重きを置いた顔つきの画面は、

何だか昔のファミコンのような感じがする。


それでも。


これまで一度も

携帯電話を持ってこなかった自分には、

何もかもが新しく、驚きの連続で、

ハイ・テクノロジーの代物に思えた。


もちろん、知人や友人、

母親の携帯電話などは

さわったことがあるのだが。


自分の物ではない上に、

今後持つとも思っていなかったので、

さして興味を抱く対象でもなかった。


ゆえに、

携帯電話の操作や事情などには、

まったくと言っていいほど疎かった。


とはいえ、

パソコンはずっと

使い続けている。

10代の頃から、

マッキントッシュと仲よしだ。


これまで一度も、

携帯電話を持ちたいとは

思わなかった。

思いもしなかった。


携帯電話があれば、と。

一瞬くらい思ったことは

あったかもしれないが。

公衆電話とテレフォンカードと、

固定電話とパソコンメールで

充分だった自分は、

ついぞ2025年まで

携帯電話を持たずに来た。


高校時代、友人たちに誘われ、

ポケットベルを持ってはみたが。

たいして便利だとも

必要だとも思えず、

3日と経たずにどこかへ消えた。


なくしたポケットベルを探すために、

自分で何度も呼び出しのベルを鳴らして。

気づくと3カ月ほど

料金を払い続けていたという、

ろくでなしの高校生。


そんな自分だから。


携帯電話も、いらないと思った。


世間よりも自分。

主義でも自己主張でもなく、

ただただ持つ理由がなかった。


元来、おしゃべりなぼくは、

持ち歩くことのできる電話なんて

手にしたら、日がな一日、

話し込んでしまうのではないかと恐れた。


人と会って話す以外は、

こうして画面と向き合って、

ぶつぶつひとりごとを言っているのが

ちょうどいいと、

そう思っていた。


けれど。


いろいろな状況が重なり、

絡み合い、撚り合わさって。


ついに、

携帯電話を

持つこととなった。


これは、

自分を知る人たちからすると、

事件級の出来事である。


しかし、

自分が携帯電話を

持ったという事実を、

ほとんどの人が知らないままだ。


なぜなら、

いわゆる「電話」として

契約しておらず、

使用目的以外の誰にも

連絡先を教えていないからだ。


初めてづくしのぼくは、

もののためしに、

契約なしのWi-Fi端末を購入した。


自分が選んだものは、

50GB(ギガバイト)で、

使用期限は1年。

「ギガ」がなくなれば、

10GBでも100GBでも、

いつでも買い足し(チャージ)

できるというものだ。


何のために自分が

携帯電話を手にしたのか。


それは、

アプリ(ケーション)による、

通話だった。


あえて「何」とは明言しないが。


おそらくぼくなんかよりも、

みなさんのほうがよくご存知の、

国内では約1億人ほどの登録者が、

積極的に使用している

アプリ(ケーション)である。



☎︎ ☎︎



手書きの文字は、

自分で思った言葉を、

自分の言葉で書き連ねる。


漢字も、送り仮名も、

辞書や書物などを開かない限り、

思違いや間違いを含めて、

すべてが自分の記憶と選択に

委ねられる。


パソコンなどの、

キーボードで入力する

文字、文章、言葉。


最近のパソコンでは、

変換や候補など、

意味も添えられて、

自動的に「言葉」が提案される。


提示された候補から

適宜、漢字やカナや、

表現したい、伝えたい語句を選ぶ。


この「予測変換」が、

自分のパソコンの持つ「学習」を上回り、

自分では思いもつかないような

言葉を提示する。


言うまでもなく。

これは「ネットワーク」の

おかげである。


広大なネットの海で

学習したAI(人工知能)が、

私たちにそれを提示するのだ。


生まれて初めて、

携帯電話と向き合って。


手書きやパソコンに親しんだ、

前時代的自分が感じた驚きは、

筆舌しがたい。


文字をタップすると

ずらりと並ぶ

語句(ボキャブラリー)の豊富さ。


まるで本棚に詰まった、

たくさんの書籍みたいに。

クローゼットに吊るされた

色とりどりの洋服よろしく。

さながらショーケースに並んだ

きらびやかな宝石のように。


たくさんの言葉たちが、

きらきらと箱詰めされて並んでいた。


『あ』


と、入力してみる。


すると、

以下のような語句が

ずらりと続いた。


あ。。。 アイテム

あの 甘え あ

愛 朝夕 安眠

アブラナ アスパラ

明日 ある 朝

あなた あるいは

あまり 雨 あれ

あと あまりに 相手

頭 ああ 味


・・・・といった具合に。


賢いもので、

何度か文字を打ち込むと、

使用頻度が高い、

よく使う語句たちが、

最上位にちょこんと座って、

じっと出番を待ちかねている。


おそらくみなさんには、

聞くのも退屈なくらい、

ごくごく日常的な、

当たり前の光景だろうが。


携帯電話を手にして数日の自分には、

パソコンとのシステムの違い、

根本的な「変換の仕方」の違いに、

少なからず衝撃を受けた。


もちろん、

自分で思う言葉を

一字一句、

入力することもできる。


けれど、

それでは「遅く」感じる。

ずらり並んだ語群から

「選んだ」ほうが

ずっと楽だし効率的だ。


特に、

リアルタイムのやりとりでは、

細かな表現よりも、

テンポや速さが優先される。


それは、会話に近い感覚で、

ちょっとしたニュアンスよりも、

軽やかで飾らない言葉の流れが

心地よかったりする。


手紙や文章とも違い、

メールともまた少し毛色が違う。

電話での会話とも、

直接の対話ともまた違う。



携帯電話は、電話である。

通常の電話はもちろんのこと、

ビデオ電話とかもできてしまう。


未来の映画の話じゃなくて。

この、薄くて小さな機器ひとつで、

世界じゅうどこにいても、

本当に通話ができちゃうんです。


とはいえ。


ぼくは、携帯電話を携帯していない。


現時点では、

持って歩くような予定はない。


手元に置いて、

着信があれば、取る。

または、かける。


話す、または、

文字での会話をする。


文字を打ち込む代わりに、

音声入力とやらを試してみると、

なかなか感度がよく、

ごつい指先でタップするよりも、

打ち慣れたキーボードで打つよりも、

はるかに早かった。


50歳にして、発見の日々。

挑戦と試行錯誤と、冒険の日々。


天国のお父さん、ありがとう。


ああ、ぼくは、

父さんの遺した携帯電話で、

今、生きた時間とつながっています。


初めて携帯電話で声を聞いた時。

なんだか信じられないくらいに

相手が近くに感じて、

時代遅れなぼくは、

ちょっと泣きそうになるほど

感動したりした。


テクノロジー。


思わず、

グラハム・ベルに思いを馳せて、

総務省をはじめ、

通信を支えてくれている

たくさんの技術者・開発者の方々に

感謝を抱いた。


「すごいなぁ・・・」


竹のフィラメントに

明かりが灯ったかのごとく。

声を耳に浴びながら、

一人、感激していた。


ほとんど

固定電話の子機とおなじく、

室内犬がうろつくくらいの

狭い範囲でしか話していないけれど。

おそらくたぶん、話しながら、

家の外にも出られるのだろう。


Wi-Fiの届く範囲なら、

・・・いや、

携帯電話よりも小ぶりな、

このWi-Fi端末を持ち出せば、

どこにいたって通話ができるのだ。


騒ぐようなことではない。


みんながこれまで、

日常茶飯事として

普通にやってきた、

携帯電話での「通信」である。


けれどぼくには、

魔法みたいだ。


こんな薄くて小さな器械で、

世界とつながっていることが。

声や、言葉が、

つながっていることが。


わかっていても、

魔法みたいに、不思議なことだ。



☎︎ ☎︎ ☎︎



携帯電話を携帯するのは、

まだまだ先のことになるだろう。


置きっぱなしの携帯電話。


不慣れなぼくは、これで充分だ。



ぼくは、不便さが、

嫌いじゃない。


不便の中にあるものとの

対話が好きだ。


辛抱。想像。期待。

学習。加減。調整。

齟齬。不具合。間違い。

記憶。忘却。創意工夫。


現代の利器も悪くない。


使い方次第で、

ゆたかになれる。


人類が火を使い始めたのは、

旧石器時代、

約180万年前から80万年前のこと。

——これを瞬時に調べられたのも、

現代の利器、

インターネットのなせる業(わざ)。


かつての時代に、

火を見て

忌み嫌う者もいれば、

間違った使い方をした者も

いたはずだ。


使ったからこそ、わかること。

使ってみて初めて、感じること。


新しいものや、ことは、

心がわくわくする。


下手でもいいから、大切にしたい。


自分が今、

なぜそれを手にしているのか。

大事なことを、見失いたくない。


温度もなく、

血の通わない器械に、

ぬくもりや息づかいを吹き込むのは、

使う人の心次第。


どう使うかという、

感性(センス)と智慧(ちえ)。


センスや智慧は、

情報ではない。

実体験の賜物だ。


情報収集による学習で

身につけるものではなくて。

実際に、体を使って、

肌で感じるものだから。


鉛筆を削って、

紙に文字を書くことを。

紙に書かれた文字を読むことを。

空の下で、

草の匂いとか

コンクリートの匂いを

思いっきり吸い込んで、

走って転んで汗をかいて、

はあはあと息切れする感覚を、

どきどきする血の巡りを。

死ぬ瞬間までずっと感じていたい。


選択肢は無限にある。


用意されたものだけでなく、

自分だけの選択肢を、

自分でつくり出すことも。

数ある選択肢のうちのひとつだ。


意識の視野が

小さく薄く切り取られて

狭く軽くならないよう、

目の前にある、

現実の景色を見つめていきたい。


犬は、

携帯電話を持っていない。

それでも犬は、生きている。

全力で、まっすぐ、生きている。


ぼくは人間だ。

携帯電話を持った、人間だ。


犬のようには生きられないけれど。

犬みたいには、生きられる。


抗うことなく、

流されることなく、

たゆたうように。

すべてを受け入れ、

受け止めて、

心から今を楽しんでいきたい。


生きる、ということを、

全力で楽しむ。


死ぬ時の最期の瞬間まで、

生きることしか考えない。


今さら手にした、携帯電話。


父の形見の携帯電話を手にして。

ぼくは、そんなことを思ったりした。



☎︎ ☎︎ ☎︎ ☎︎



朝起きると、

携帯電話に何通かの着信があった。


あわてて返事を打ち込む

ぼくの手は遅く。


  

い  あ  え

   お


文字の配列、

子音の配置を頭に描き、

懸命に文字を入力していく。


まるでニュータイプの

パイロットのように。


「遅い!

 携帯が自分の動きに

 ついてこない!」


などと嘆いてみても。


遅いのは、

思考に追いつけていない、

自分の手の動きである。


遅すぎる入力におろおろしながら、

朝食も摂らずに返信を重ねていると、

さすがにお腹が減ってきた。


ぼくの、不携帯携帯電話の「常識」は、

まだ「その場でじっと向き合う」という、

前時代的、デスクトップ・パソコン的な

範囲にとどまっている。


ということもあり。


ぼくは、手近にあった

『キャベツ太郎』を手に取り、

ぽいぽいつまみながら携帯をいじった。


お菓子まみれの人差し指ではなく、

中指での入力。

不慣れな文字入力は、

輪をかけていい加減なものになり、

誤字や誤送信をくり返した。


と、無意識に

いつもの人差し指を使っており。

気づくと画面は、

緑のアオサと、

細かなコーン粉末、

そして、ぎとぎとぎらぎら、

べったりとした油にまみれてしまった。


おかげで画面がつるつる滑り、

さらに意図せぬ誤字脱字が増え、

よくわからない文面を送信していた。


携帯歴0年。


50歳にして、

スナックまみれの

携帯画面に向かう自分を、

草葉の陰から

父はどう見ているだろうか。


そんなことより。


ぼくは今、

不携帯携帯電話での通信を、

毎日、楽しんでいる。


おもちゃを手にした

小学生みたいに。


驚きと、感動と、喜びを胸に。


紙やインクや声の代わりに。

電波と音とギガを使って、

交信している。


はたして50年後には、

何を使って交信するのか。


未来の現代人の通信を、

草葉の陰から、そっと見守りたい。



< 今日の言葉 >


『いいかい、

 あれはおてんとうさまの

 することだ。

 山におやすみをいいながら、

 じぶんのいちばん

 きれいな光を投げてやるんだよ。

 あしたまたくるまで、

 おぼえててくれよ、ってな』


(『ハイジ』ヨハンナ・シュピーリ/

 アルムじいさんがハイジにした「夕焼け」の説明)

2025/06/01

踊り続ける母の葛藤




 *


母は、

幼少の頃からずっと、

日本舞踊を習ってきた。


踊りの名前は、花柳胡蝶花。

胡蝶花と書いて「しゃが」と読む。


母の父が、

大学の教授からもらってきた

名前だという。


冒頭の写真が、胡蝶花の花だ。


庭に咲いた胡蝶花を、

母が摘んできた。


* *


母が、

踊りの「おけいこ」に行ったのは、

久々のことだった。


カルチャーセンターでの、

日本舞踊のおけいこ。


4歳からずっと、

日本舞踊を続けてきた母は、

結婚後、しばらくしてまた、

踊りのおけいこを再開した。


平成8年(1996年)からだと

いうことなので、

今年で29年目ということになる。


結婚前の期間を足せば、

50年余にもおよぶ。


名取である母は、

習うまでもなく、

教える側にもなれるのだが。


教えるのではなく、

ずっと「習う」側だ。


母はただ、踊っていたいのだ。

母は、踊りが大好きだった。


母が「おけいこ」に行ったのは、

本当に久しぶりだ。


父が死んでからは、

初めてのことだった。



* * *




月謝ばかり払って、

まったくおけいこに

行かなくなった母を見て、

ぼくは少し、憂慮していた。


行くのも、行かないのも、

母の自由だ。


けれど、

数カ月分まとめて支払う

月謝(講義料)を見たとき、

決して安いとは思えなかったので、

行くなら行く、

行かないのなら月謝を払うのを

やめたほうがいいのではと、

気を揉んでいた。


何歩か譲って、

何千円ならまだしも。

3カ月で数万円の月謝を、

まったく行かないまま

支払い続けることには、

いつか区切りをつけるべきだと

思っていた。


あるとき、母に聞いた。


「母さん。

 踊り、もう行かないの?」


「うん? 行かないことないよ」


「最近全然行ってないから。

 もうやめちゃったのかと思って」


「このまえ休んだだけで、

 あとは1回も休んだことないよ」


嘘である。


嘘というより、

それは母の思い込みで、

事実はまるで違っていた。


昨年8月からの8カ月。

母は、一度も「おけいこ」に

行っていない。


着物で出かけるのが

ちょっと暑くてしんどい、とか、

ちょっと風邪で洟(はな)が出るとか、

肩が痛いとか、脚が痛いとか、

聞くでもなく、毎回、

違う「いいわけ」を口にするのだが。



結局のところ、

母は一度も「おけいこ」には行かず、

ずっと休んだままだった。


おけいこのある月曜日。

昼下がりに母は、電話をかける。


「・・・ちょっと

 体の調子が悪いので、

 今日のおけいこは

 休ませてもらいます。

 すみません、

 よろしくお願いします」


毎週、決まって、

そんな声を聞いた。


月謝がもったいない。

それなら、

もっと別のことに使えばいいのに。


夕食どき、

母にしっかり聞いてみた。


「母さん、踊り、どうするの?

 母さんね、去年の8月から

 1回も行ってないよ」


「そんなことない。

 母さん1回も

 休んだことなんてない」


4歳からずっと続けてきた日本舞踊。

母自身も、それを誇りに思っていた。

反面、もう充分かな、とも言っていた。


「もう、歳も歳だし。

 何十年もやってきて、

 今さら習うとか

 そういうこともないから。

 先生もそろそろいい歳だし、

 教室、やめるかもしれんって

 言っとった。

 なんていうの、

 その、そういうの・・・」


「潮時?」


「そう、それ!

 そろそろ潮時かもしれん。

 最初っからずっと続けとるの、

 母さんだけだし。

 最初は、なんていうのか、

 『サクラ』みたいな感じで、

 母さんとほかの何人かが入って

 やっとったんだけど。

 みんなすぐにやめてった」


踊りの先生は、

日本舞踊を習っていた教室の先輩で、

母より5つ歳上だ。


今年80歳になった母は、

古株というだけでなく、

最年長の生徒でもあった。


あとの生徒さんは、

70代、60代、といった感じらしい。


『1回も休んだことない』


はじめは、

どうして「嘘」をつくのかと

思っていたが。


罪悪感のようなものが、

はたらいているのか。


それとも、

「きっかけ」が

見出せずにいるのか。


母の生真面目な気質を鑑みて、

なんとなくだが、

その心情が理解できた。


ちょっとしんどい。

そろそろやめようかな。

けど、4歳の頃から今日まで、

ずっと続けてきたし。

(実際には

「ずっと」というわけではないが。

 母の中では「中断期」を含めて、

 今日までずっと、踊りの糸は、

 切れることなくつながっている)


先生にも悪いし。

みんなと会えなくなるのも

寂しいし。


どうしよう。

そろそろ「潮時」なのかな。


着物着て支度して、

行って帰ってくるだけで疲れるし。


もう、いいかな。

4歳からずっとやってきたし。

踊りのおかげで足腰も丈夫で、

今日まで元気に

やってこられたんだから。


踊りやめても、

ラジオ体操とかやればいいよね。

毎朝やってるから。

肩が痛くて、

腕が上がらなくなってきたけど。

ラジオ体操なら、できるから。

体操してれば、いいよね。


・・・・と。


母の口からこぼれ落ちた、

今日までの言葉を手繰り寄せると、

ゆれ動く心模様が透けて見えた。


母は、迷っている。


後ろ髪を引かれる思い。

やめたいという気持ち。

やめようかなという思い。

どうしようかなという逡巡。


ずっと続けてきた「習慣」を前に、

母は、いろいろな角度で、

いろいろな方向から

引っぱられているふうだった。


どうしたらいいのかわからず、

がんじがらめで動けない。

そんなふうにも見えた。


ぼくは、母に言った。


「行かないんなら、

 月謝がもったいないかなって

 思ったけど。

 言うだけのこと言ったから。

 あとは母さんの

 好きにしたらいいよ。

 気の済むまで行くもいいし、

 このままやめるもいいし。

 もしやめたら、

 おつかれ会やってあげるよ。

 うなぎでもケーキでも、

 母さんの好きな物、ごちそうするよ」



数日後、母は、

先生に電話をした。


携帯ではなく、

自宅のほうに連絡したらしく、

どうやら先生は不在で、

母のことをよく知る

娘さんが電話口に出た。


というのも、

やや耳が遠くなり、

音量が大きくなった母の声が

壁床天井を越えて

筒抜けだったおかげで、

会話の内容が手に取るように

わかったのだ。


「どうも長いあいだ

 お世話になりました」


たしかに、

そう言うのを聞いた。


とうとうやめるのか。


寂しいような、

ほっとしたような。


長いあいだ、おつかれさま。


労いの気持ちが、

湯気のようにゆらめいた。



* * * *



4月半ばの月曜日。


母の部屋から、

樟脳のにおいが漂ってきた。


母が、着物を着ている。


やめたんじゃ、なかったのか。


何も言わずにぼくは、

母が出かける気配を、

匂いと音で感じていた。


久しぶりに母が、

出かけて行った。


買い物ではなく、

着物を着て

おけいこに出かけた。



日が傾いて。

窓の外が、真っ暗だった。


夢中になっていた手を止めて、

時計を見てみた。


夕食の時間は、

とうに過ぎている。


母は、まだ帰らない。


ご飯の支度でも

しようかと思ったが。

あれこれしているうちに、


「ただいまぁ」


という声が聞こえてきた。


おけいこで遅くなる月曜日には、

母に代わって、

晩ご飯を作ったこともあるが。


台所に、母がやりかけた、

晩ご飯の準備が置かれているのを見て、

そのまま母に任せることにした。


きっと母は、

自分でやりたいのだと。

自分でやり通したいのだと。

そう思ってぼくは、

静観していた。


「ごめんね、遅なって」


お腹はぺこぺこだったが。

待っていてよかったと思った。


なつかしい、

元気な母の姿があった。


母の顔は、

すごく楽しそうで、

きらきらしていた。


「もう、街行ったら、

 つっかれちゃった。

 みんな忙しそうにしとるね。

 黒い服着て、しゅっとした人とか。

 地下鉄は本当、階段が多いねぇ。

 母さん、転ぶと怖いで、

 手すりにつかまって

 隅っこのほうをゆっくり歩くもんで。

 みんな、ちゃぁっと抜いてくんだわ。

 たくさん人がおるねぇ、本当に」


晩ご飯の支度をしながら、

母が楽しげに語る。


言葉より何より。


楽しかったんだな、

という気持ちが、伝わってきた。


それでもぼくは、聞いてみた。


「今日、どうだった?

 久しぶりに行って、楽しかった?」


「うん。

 みんなに会えて、楽しかった。

 やせた人とか、太った人とか。

 2キロもやせたんだって。

 えらい細なっとった」


主語のない話題が、

誰のことを言っているのかは

わからなかったが。

楽しげに話す母を、

微笑ましく見ていた。


「一人、男の人がおって。

 その人が、

 えみちゃん、えみちゃん、

 元気だった? って、

 聞いてくるんだわ。

 あの人、一人だけで

 女の人の中に混じって。

 女きょうだいの中で

 育ったみたいだで、

 そういうの、なんとも思わんのだね。

 すうっと入ってきて、なじんどるもん。

 今日なんて、

 長いストールみたいなのを

 首に巻いてきて。

 みんなに巻き方が違うとか

 なんとか言われとった」


「何色のストール?」


「オレンジとか紫とか、

 いろんな色の、柄のやつ。

 ジョーゼットみたいな、

 ふわっとした生地」


「服は、何色なの?」


「カッターシャツみたいな、

 青いシャツ」


「上着は?」


「こんな色」


母が、青磁色の器を指す。


「へえ、センスあるね」


「そうなんだわ。

 あの人、おしゃれなんだわ。

 何やっとる人か知らんけど。

 自分で何かやっとるんじゃないかな。

 時間の自由がきくみたいだで」


ちなみにパンツ(ズボン)は、

グレーだそうだ。


この人の話は、

以前からちょくちょく聞いていた。


会ったことはないのだけれど。

なんとなくぼくは、

その人のことが好きだった。


「みんなでちょっと

 お茶してきたもんで。

 そんで遅なったんだわ。

 ごめんね、悪かったね」


「全然いいよ。

 よかったね、楽しめて」


「楽しかったぁ。

 たまには街に出ないかんね。

 家におってばっかりじゃ、いかんね」


「そうだね。

 今日はぐっすり眠れそうだね」


「毎日ぐっすり寝れとるけどね」


「今日はゆっくりお風呂に入って。

 ゆっくり休んでよ」


ご飯を食べ終わり、母に聞いた。


「片づけ、やろうか?」


「いいていいて。何言っとるの。

 母さんの仕事」


『母さんの仕事』


母の言う「仕事」とは、

母が存在する意味でもある。


それを、奪ってはいけない。


母さんが「母さん」であり続けるための、

「仕事」なのだから。

取り上げてしまったら、

母は、母でなくなってしまう。


御年80歳の母は、

79歳の時よりも、75歳の時よりも、

若々しく見える。


数字は所詮、目盛りでしかない。


今の母は、かつてよりも若い。

それは母が、

生き生きと「生きている」からだ。


ぼくは、

母から「仕事」を奪いたくない。


そして、思った。


母から「踊り」を奪わなくて、

よかったと。


明るい母の笑顔を見て、

頭ではなく、

心に従うことの大切さを、

あらためて教えてもらった。


「母さん。

 踊り、気がすむまで続けたらいいよ。

 85歳でも何歳でも、

 好きなだけ続けたらいいよ」


行くも休むも、続けるもやめるも。

母が決めることだ。

いくら家族であっても、

「他人」が口出しすることではない。


たとえ来週、

母がまた「仮病」を使って休んでも。

母がそう決めたのなら、それでいい。

心の赴くまま、

したいようにすればいい。


おそらく父なら、

口を出すだろう。


けれどもぼくは、父ではない。

ぼくは、ぼくだ。


ばくは、

母が笑っているのが、

いちばん嬉しい。



母にはたくさん教えられる。

本当にいい教材を、たくさんくれる。

ぼくに足りないものを、

母がいつも教えてくれる。


ありがとう。


何ひとつ立派なこともできず、

母を安心させてあげることもできず、

心配ばかりかけて、

歳だけ重ねてきた自分だけれど。


母を笑顔にすることができるのも

自分だということに、

最近ようやく気がついた。


特別なことじゃなくて。

物やお金なんかじゃなくて。


もっと些細で、目には見えない、

小さくて身近なものなんだと。


おしゃべりすること。


いいよ、という気持ち。


笑顔でやさしく見守ること。


一緒にご飯を食べること。


子どもみたいな顔で、

楽しげに笑う母。


惑う心を、母の笑顔が、

すすぎ清めてくれた。


「最近、お茶とか高くなったねぇ。

 自動販売機のペットポトルも、

 170円とか180円とか

 するようになったね」


たとえ母が、

ペットボトルのことを、

ペットポトルとか、

ポットベトルとか言ったとしても。


ぼくの心は、もう迷わない。


いくら現実的で、

世間的には賢明な選択だとしても。


小難しい話より、

ぼくは、笑顔が好きだ。



< 今日の言葉 >


音楽をかけて

計画をねりねり


(『ワンルーム・ディスコ』Ferfume)



2025/05/15

みんな初めて


『大人のふりをした子供』(2008年)




 



子どものころは、

何をやっても

「初めて」のことが多かった。


初めて海の水を舐めたこと。

初めてかさぶたができたこと。

初めて自転車を買ってもらったこと。

初めて水彩絵具で絵を描いたこと。

初めて犬をなでたこと。


枚挙のいとまがないほどの

「初めて」が、毎日、

ずらりと列をなしていた。


気のせいだろうか。


大人になると、

そんな「初めて」が影をひそめる。


「初めて」のことが

なくなるわけではないのだけれど。

「初めて」だということに、

わくわくやときめき、

喜びや感動などを感じにくくなる。


かつての「初めて」とは

また少し違った形の、

「初めて」を感じる場面は

依然としてあり、

むしろそっちのほうが多くなる。


初めて食べるお菓子、料理。

初めて行く場所、国、お店。

初めて聴く音楽、観る映画。

初めて着る服、帽子、靴。


「初めて」が、何となく、

内面ではなく、

外面の行為に変わっていく。


メンタル(精神的行為)から

フィジカル(物質的行為)へ。


中身だけ変わって、

入れ物は同じなような。

そういう種類の「初めて」が

増える気がする。


みんながみんな、とは言わないけれど。


「おじさん」になると、

「初めて」を避けるようになる。


決まった店で、

決まった席に座って、

決まった物を注文して。

決まった順序で、

決まった早さで食べながら、

いつも決まった新聞を手にして、

決まった時間の、

決まったテレビに目を向ける。


同じ道を通り、

同じ角をまかり、

同じような服を着て、

同じ髪型で、同じ靴を履いて、

同じ歩幅で歩いていく。


同じ時間にすれ違う犬を横目に見て、

同じ場所で顔を会わせる人に

毎日同じような挨拶を交わし、

同じような笑顔を浮かべる。


それが悪いとは思わない。


けれど本当は、

毎日、全部が「初めて」なんだと。


それに気づいている人は、

そんなに多くないようだ。


もし「初めて」だとわかったら。

もっとわくわく、しないだろうか。

もっと瞬間瞬間の出来事と

丁寧に向き合い、

もっとしっかり味わわないだろうか。


子どものころは、

毎日意味なく、

馬鹿みたいにわくわくしていた。


朝起きてから寝るまで、

ずっとわくわくしていた。


それは、

全部が「初めて」だったから。

毎日「初めて」だと思っていたから。

毎秒が「初めて」の瞬間の連続だったから。


見たい、知りたい、感じたい。


今日という日が、

毎日「初めて」だったから。


ふと思う。


それは今も同じなんじゃないかと。



 * *



父や母の姿を見ていて、思った。

父は父であろうとしていたし、

母は母であり続けている。


けれども本当は、

初めてのことばかりで、

戸惑ったり、迷ったり、

わからないことばかりで

おろおろしてる。

・・・のだけれど。


「大人」のふりをして、

「親」のふりをして、

「歳上」のふりをして、

そんな迷いを

おくびにも出さないよう、

懸命に「大人らしく」

ふるまっているのではないかと。


なんだか、

そう見えてくる場面が、

ときどきある。


大人、の人たち。


わからないなら、

わからないって言えばいいのに。

できないんだったら、

できないって言えばいいのに。


失敗したっていいのに。

ごめんね、って言えばいいのに。

そんな偉そうにしなくてもいいのに。


どうしてやる前から、

そんなに心配ばっかりするんだろう。

頭ばっかり大きくなって、

体がちっとも動かなくなってる。


経験と学習。

それが、じゃまをしている。


失敗して、転んで、痛い目を見て。

もう二度と味わいたくないから、

ぬかりなく準備をするようになる。


それは、悪いことではないと思う。


けれど、何でも行きすぎると、

かえって障害や毒にもなる。


そしていつしか、

大きく育てたはずの「大人の器」が、

どんどん小さく狭く、

固いものになっていく。


大人になって、

できることが増えたはずなのに。

やらないことが、増えている気がした。


恥ずかしい。みっともない。

こうしなければいけないし、

そんなことはすべきでない。


かちかちになった大人は、

「初めて」を嫌うようになる。

「初めて」のことを恐れるようになる。


準備をして、下調べをして、情報を集めて。

せっかくの「初めてのこと」が

どんどん「初めて」ではなくなっていく。


別にそれも悪くはない。


それでも。


わくわくする心は、

なりをひそめて

じっと何も言わなくなる。


「何かおもしろいことないかなぁ」


刺激に飢えて、

変化を求める気持ちは

あるのだけれど。

危ない橋は、渡らない。


十徳ナイフひとつで、

密林のジャングルに

飛び込んだりなんかしなくても。


冒険は、すぐそばにある。


今日というこの瞬間は、

全部「初めて」の瞬間だ。


わかった顔をしないで、

予備知識も準備も情報も捨てて、

いつでも白紙の心で向き合えば。


かつて味わったのと同じような、

「初めて」のわくわくが

また目を覚ます。


「何これ?!」


「すごい、初めて見た!」


「こんなの知らない!」


知ったかぶりより。

全部「初めて」で、

いいじゃないか。


生きてることは、

仕事や義務じゃない。


「もっとわくわくしようよ」と。


心の声が、ぼくに囁く。


これが、悪魔の誘惑なのか。

それとも、天からの啓示なのか。


どちらにせよ、

「初めて」だから、

ぼくには答えがわからない。


この先に何が待っているのか。

それもわからないけれど。


どんな瞬間も「初めて」だから、

全部が大切で、愛おしくて、

余すことなく受け止めたい。


* * *


老いた母を見て思う。


たとえ母が、

グラスを落として

割ってしまっても。


「ほら、いつも言ってるでしょ。

 そんなとこに置くから落とすんだって」


などと、

過去を引き合いに出して

嘆いたり。


「もう、けがでもしたら、どうするの?」


なんて、

まだ起こってもいない

未来の心配をしてみたり。


そんなことで「今」を使うより。

同じようでも違う「初めて」と、

しっかり向き合ってみるのも

悪くはないはず。


母だって、

年を取るのは「初めて」で、

老いていく自分と対面するのも

「初めて」なのだから。

戸惑うのは、当たり前だ。


母だけではない。

誰でも同じだ。

若くても、年を取っても、

みんなこの瞬間は

「初めて」なのだから。


失敗だろうが、2回目だろうが。

毎回が「初めて」。

同じ瞬間は、二度とない。


この瞬間が、一期一会。


みんな初めて。


そう思えばもっと、

やさしくなれる。


今この瞬間が

「最初で最後」だと気づけたら、

目の前のことが

もっと大切で、

もっと愛おしくなるんじゃないかと。

そんなふうに思った。




< 今日の言葉 >


「何これ。

 誰か人が入っとるの、それ?

 あ、それって、

 あそこにおる子じゃない?

 パンダじゃなくて。

 あそこの動物園の。

 イルカじゃなくて・・・

 ラッコちゃんだ、この子!

 割るやつね、コンコンて」


(水族館の広告写真を見ながら、懸命に「ラッコ」を思い出す母)




2025/05/01

日常デッサン

 






デッサン。


日本語では、

下絵、素描などと表される。


英語では、ドローイング、

などとも称されるが。

個人的な

「ドローイング」のイメージは、

面や陰影よりも、

輪郭や形を重視した画、

「クロッキー」に近い絵を

連想する。


デッサンと聞いて、

おそらく思い描くのは、

尖った鉛筆を片手に、

イーゼルまたは

画板に固定した大きな画用紙に向かい、

静物や石膏像を

描いている姿ではなかろうか。


または「デッサン」そのもの、

鉛筆で描かれた、

モノクロの絵ではないだろうか。


デッサン。


形を拾い、面をとらえ、

線を重ねて陰影を表現する。


ハッチング

トリミング

スティプリング

パースペクティブ

モチーフ

輝度(きど)

明度 彩度

コントラスト

グラデーション

順光 逆光

フォルム

ディテール

テクスチュア

マチエール

マッス 重量感


デッサンとは、

絵を描くための技術のことを

言うのかもしれないが。


デッサンすること自体は、

技術ではない気もする。


デッサン。


それは、観察力。

見る力。感じる力。

そしてそれを、表現する手腕。


デッサン力とは、

そういうものだと、ぼくは思う。



* *



専門学校1年生。

4月。


人生初めての

デッサンの授業があった。


「まずは思うまま、

 好きなように描いてみて」


「にぼし」を1匹渡されて、

90分×2コマの授業で、

四つ切り画用紙いっぱいに

1匹の「にぼし」を描いた。


絵を描くのが好きなぼくは、

絵を描いているうちに

すっかり絵の中に没入していた。


HBの鉛筆を握りしめたまま、

削ることも忘れて、

ひたすら画用紙と向き合う。


「きみ、うまいね。

 画塾、行ってたでしょう?」


背後から聞こえる声に、

顔を上げる。

そこには、

授業の講師である「先生」が

立っていた。


首をかしげるぼくに、

先生が言い募る。


「絵の学校。

 予備校とかで、

 デッサン習っきたでしょう?」


「習ってないです」


「嘘つけぇ。そんなはずない。

 絶対、習ってきたはずだ」


「習ってないです」


「それじゃあ、

 なんでステッドラーなんて

 使ってるんだ」


ぼくの手に握られた鉛筆を指差し、

先生は眉をひそめた。


「ドイツ製が、好きなんで」


当時のぼくは、

『Made in U.S.A.』を経て、

『Made in Germany』の文房具に

凝り始めていた時期だった。


目の前に立つ先生は、

そんな説明では

納得できない模様で、

まるでぼくの言葉を信じていない様子を

ありありと顔に浮かべて、

そのまま声にして言った。


「そんなわけない。

 これで習ってないなんて

 いうはずがない。

 オレは東京芸大卒なんだ。

 オレが言うんだから、

 間違いないはずだ」


「だから、習ってないって」


呆れたぼくは、

半ば吐き出すようにして

言葉を返した。


「そんなはずないけどな・・・。

 絶対に習ってるはずだけどなぁ・・・」


なおもぼやき続ける先生から

目をそらし、

ぼくはまた、

絵の中のにぼしと向き合った。



ぼくは、絵を描くのが好きだった。


特別うまいわけでもないと思うが。

下手でないことは自覚していた。


絵画コンクールでは、

いつも何かしらの賞をもらっていた。

大賞こそもらったことはないが、

佳作というのは、

出せば必ず誰でももらえる

「参加賞」のようなものだと

思っていた。


ぼくは、絵を描くのが好きだった。


授業中、

おしゃべりや居眠りができない授業では、

こっそりノートに絵を描いていた。


お菓子のパッケージを「模写」したり、

前に座る女子の後ろ姿を描いてみたり、

自分の手や足を描いてみたり、

資料集の写真を見ながら、

歴史上の人物を描いてみたり。


小、中、高校と。

6、3、3の12年間、

大好きな「お絵描き」を

思いっきり楽しんできた。


家でもたくさん絵を描いた。


クレパス画、鉛筆画、

ペン画、水彩画、色鉛筆画。

画材は変われど、

とにかく「お絵描き」はずっとしてきた。



勉強でも習い事でもなく。

義務でも仕事でもなく。

描きたいから絵を描いてきた。


専門学校1年生の4月。


その積み重ねが、

たまたまそこに現れただけだ。


高校生のとき、今後の進路を考えて。

ぼくは、いったん芸大を視野に入れつつも、

芸大に行くという選択をやめた。

絵よりも知りたいことがあったからだ。


絵は、習うものではない。

当時のぼくは、そう思った。


今にして思えば、

芸大に行っていれば、

絵以外の周辺知識や技術も

たくさん学べたろうな、と思う。

専門的な知識や情報なども、

きちんと備わったことだろう。


ぼくは、絵を習っていない。

だから、

絵のことはまるで分からない。

好きだから描いてきた。

ただ、それだけだった。


専門学校で、

デッサンの先生に言われたひと言に、

当時のぼくは、素直に喜ぶことができず、

なぜか悔しさにも似た気持ちを

感じたりした。


1年生の基礎科目である

デッサンの授業では、

「A(ラージエー)」しか

取ったことがなく、

優秀作品に選ばれないことは

一度もなかった。


いや、1回だけあった。


そのときはひどく悔しくて、

次の画題はいっそう本気を出して、

描きあげた。


選抜される作品は、

自分以外、ほとんどが

画塾出身の生徒ばかりだった。


ぼくは、絵を習っていない。

好きだからずっと描いてきた。


自分の絵が、

きちんと学んだ人たちと同じように

評価されていること。


それが自信にもなり、

また、誇らしくもあった。


「たくさんの絵を見てきたけど。

 ほかの絵には感じられない、

 空気感みたいなものを、

 きみの絵からは感じる」


先生の言葉は、

素直に嬉しかった。


ただ、

自分がどうやってそれを

やっているかとか、

どうしてそう感じられるのかなどは、

まるで分からなかった。


自分はただ、

いいなと思う絵を描いているだけ。

ただそれだけだった。


絵で何かをやっていくとも、

やっていけるとも

思っていなかったぼくには、

技術や技法や点数などは、

あまり興味のない事柄だった。


とにかく自分が

100点だと思える絵を描く。


「大いなる自己満足」


若かりし頃のぼくの興味は、

それだけだった。



* * *



今ぼくは、

こうして文章を書いている。


絵を描くのも好きだけど。

文章を書くのも、大好きだ。


「書く」と「描く」は、同じ。


日常の風景をじっくり見て、

観察して、感じて、それを書く。


デッサン。


日記やブログは、デッサンだ。


書く力を磨くための、

毎日の積み重ね。


形のあるものや、

形のないものを、

言葉にして書き表わす。


日記を書き始めて37年。

途中、書いたり書かなかったりもあったが、

日記は、なんとなく今日まで続いている。


絵もしかり。


描いたり描かなかったり。


日記やブログだけでなく、

物語を紡いで編んでみたり。

日常の「デッサン」だけでなく、

存在しない世界のお話を

「描いて」みたりもする。


デッサン。


「絵」を「描く」こと。


想像力は、

観察力と記憶力の賜物だ。


だからぼくは、デッサンを続ける。


スケッチブックと同じように、

たくさんのノートを言葉で埋める。


キャンバスを塗りつぶすように、

画面に文字を並べていく。


言葉か色か。単語か形か。

文章か図案か。構想か構図か。


点と点、

線と線をつないで、

一枚の「絵」に仕上げていく。


書くのも、描くのも、同じことだ。


まだまだ未熟で

拙いかもしれないけれど。

技術や技法よりも、

ぼくは、楽しむことを楽しみたい。


「としくんの作品はさ、

 絵でも小説でも、

 魂がこもってるから

 五感で自分が捉えたものを

 投影できてるのかもしれないね。

 あんまり芸術論とかわからんけどさ。

 うまく書こうとか、

 かっこよく見せようとか、

 こうしたらウケるんじゃないかとか、

 そういうのがない

 ピュアなところがいいんだよね』


姉からの言葉に、涙したり。


『Yes, why not?』


同志の言葉に、

ゆるぎない勇気をもらったり。


なんていうのか、

うまくは言えないけれど。


じたばたしながら、

試行錯誤と探究心で、

ひたすら前に進んでいくこと。


ぼくは、うまくなりたくない。


こつを覚えて手を抜いたりせず、

毎回が初めての気持ちで全力でやる。


そんなやり方が好きだから。

だから、習ってこなかった。


自分の目で見て、感じて、

自分の思う形で表わしたい。


下手でも構わない。


ぼくしかできないことをやる。


そして伝える。


それが、ぼくの「意味」だから。



そんなことを教えてくれたのは、

先生でも学校でもなくて。


一生懸命、

全力でもがいていたときに

出会った人たちだった。


自分一人の小さな力で

 変えようとするには

 世界はあまりにも大きすぎる。

 私たちにできることは、

 自分と自分の周りの笑顔と

 幸せを叶えてゆくこと。

 作品、特に物語を

 生み出すっていうのは、

 まさにそれだと思う



頑張ったことがない人からは、

出てこない言葉がある。


必死で頑張ったことが

ある人にだけ、

見える景色がある。

言える言葉がある。


自分はようやく、

その景色の一端が、

見えるように

なってきたのかもしれない。



ありがとう、と思える心。



美しい目でなければ、

本当に美しい景色は見えてこない。


技術や技巧だけでは見えてこない。


この美しい景色を、

いつか表わすことができたらと、

拙いぼくは、

づよく思うのでありました。




< 今日の言葉 >


「何、チーズボール!?

 チーズでできた

 ボールがあるの!?」


(広告を見ながら叫んだ母のひと言)

2025/04/15

赤い花 白い花 〜エイプリルフールのゆうべ

 




母と話していて、

ふと今日が

エイプリルフールだと

思い出した。


四月ばかを理由にする

わけでもないけれど。

母に、聞いてみた。


「ねえ母さん。

 もし父さんが死んだら、

 母さんどう思う?」


ここまでの記述

(過去のブログ)を

読んでこられた方には

お分かりだろうが。


父はすでに他界している。


お空の星か、はたまた

賽(さい)の河原の石くれにでも

変わっているだろうか。


とにかく父は、もういない。


「ねえ、母さん。

 ちょっと想像して、考えてみてよ」


「うううん・・・

 わからん、そんなの。

 考えもつかん」


「それじゃあ、いくよ。

 はい、今、

 電話がかかってきました。

 父さんが死にました、

 っていう報せがきました。

 はい、どう?

 どんな気持ち?」


「ううん・・・」


「母さん、泣くと思う?」


「ちょっとは泣くかな。

 顔見たら、泣くと思う」


そっか、泣くんだ。

と思った。


「じゃあ、葬式っていうか、

 火葬場の斎場でもいいけど、

 母さんは行く?」


「そりゃあ、行くでしょ」


以前は「行かない」と

言っていた母だが。

なぜか今回は

「行く」と答えた。


「母さん一人でも行く?」


「なんで一人なのっ?!

 一人だったら、よう行かん」


「なんで? 怖いの?」


「怖いっていうか。

 なんか、引っぱって

 いかれそうで」


「大丈夫だよ、母さんは。

 ぼくとか姉ちゃんとかが

 引っぱってるから」


少し前には

「早く死にたい」と

言っていた母が、

今では生きることに

わずかながらも

執着をみせている。


そこで、質問を変えた。


「父さんのことで

 思い出すことって、

 何かある?」


「ううん・・・特にないけど。

 まぁ、あれかな。

 新婚旅行かな」


「北海道?」


「そう。

 アイヌのとことか、

 クマ牧場とか」


「いい思い出だね」


「なんていうか。

 お父さんが、すごくきた」


「・・・・・」


息子としては、

なんとも返答に困る種類の

内容だった。


母自身も、

自分が口走ったことを

ごまかそうとする感じで、

あわてて口を開いた。


「新婚旅行だったから。

 まあ、そういうので、

 姉ちゃんができたんだわ」


これはもう、

ごまかしたというより、

太字でなぞっただけである。

舵が効かず、

もはや開き直った感さえあった。


話題の流れとはいえ、

方向転換できたはずが、

母はそのままアクセルを踏んだ。

なのでぼくも、

さらりと便乗した。


「へえ、そうなんだ。

 姉ちゃん、北海道の子なんだ。

 それって姉ちゃん、知ってるの?」


「知らんと思う。

 言っとらんで」


「なんで言わないの?」


「別に、言うことでもないかなって」


ではなぜにそれを、

息子に言うのだ。


「じゃあ、ぼくは?」


などと聞くほど好奇心旺盛で、

天真爛漫なハートの持ち主ではないので。

ぼくはそれ以上、何も聞かなかった。


ということで。

話題を「父の死について」に戻した。


「連絡とかがないだけで。

 父さんもう、

 死んでるかもしれないよね」


 ぼくは言葉を続けた。


「連絡先がわからなかったら、

 そういうことだってありえるから。

 ・・・けど、そう思うと。

 どう、母さん?

 今、父さんがいなくて、

 なんか困ってることってある?」


「特に、ない。

 どこかで生きてるんだって

 いうのがあるで、

 べつに何もない」


その言葉を聞いて。

なんとなくぼくは、嬉しかった。


父が直接、

何かをしたわけではないのだが。

母の気持ちが、あきらかに

変わってきているように感じた。


そして思った。


父がもういないということを、

母に言わずに

つきつづけている「嘘」。


この嘘が、

今の母にとって、

けっして悪いものでは

ないということを。


『どこかで生きてる』


その安心感。

たしかに、わかる。


大阪のおばあちゃんが死んだ時。

最期、故郷の大分へ移ってしまい、

顔を会わすことなく

そのまま終わってしまった。


そのためか、

遠く離れているだけだという思いが、

そのまま残留しつづけていた。


どれくらいだろうか。

思い込みと錯覚に、

心はしばらく騙されたままだった。


死んだ、と認めることと、

今、ここにいないだけで、

どこかで生きていると思うことは、

同じ不在でも、まるで違う。


ずっとそばにいた人であったら。

もしかすると、

その残留感は、

場合によって酷なものに

なるかもしれない。


音沙汰なく、

ずっと離れて過ごしていた人ならば。

「もういないよ」と明かされるほうが、

かえってつらい場合が

あるように思う。


どこかで生きている、

という「思い込み」。


そう。

今もどこかで生きているのだ。



死んだ人は、

もう思い出されなくなったとき、

本当に死んでしまうのだと、

どこかで聞いた。


そういうこと、かもしれない。


母に父を思い出してもらいたい。

そうすれば、

なんだかわからないけど、

ちょっと嬉しい。


父と母が、

ともに生きていたという証。

そんなのが見たいのかもしれない。

感じたいのかもしれない。


たとえどんな形でも、

愛があったという足跡を、

息子のぼくは、

感じたいのかもしれない。


いや、むしろ、

母に感じてほしいのだろう。


言葉にはならない、

手触りすらもう

なくなってしまったものを、

忘れ去るのではなく、

ほんの少しでもいいから、

感じてほしいと。



* *



80歳の誕生祝いに、

母は、大切な人から、

花束をもらった。


母が娘のように

可愛く思っている人からの花は、

びっくりするほど長く咲き続け、

食卓のある部屋を

華やかに彩ってくれた。


やがてその花が枯れ、

最後の一輪までもがなくなったとき。

母が、ぽつりとこぼした。


「なんか、

 花がなくなったら、

 急に寂しくなったね」


「庭の椿でも生ければ?

 今、すごくきれいに咲いてるよ」


ということで。


母は、ぼくの言葉そのままに、

庭の椿の枝を切り、

切子の花瓶にきれいに生けた。


とぼけた母ではあるけれど。

かつていちおう、

生け花をたしなんできたおかげもあり、

仕上がりはなかなか見事である。


「美松庵恵美子先生、さすがですね」


美松庵(びしょうあん)というのは、

母、恵美子の雅号(がごう)。

つまり、生け花の芸名である。


ちなみに日本舞踊の名は、

「花柳胡蝶花」。

胡蝶花と書いて「しゃが」と読む。


花の名前をもらったのも、

なんだか花と縁があるようで。

花を愛でる母の背中を、

静かに見守る息子でありましたが。


たわわに咲いた椿に気づいたのは、

息子ではなく、客人だった。


庭の椿を見た客人は、

後日、野放図に育った庭を指差して、

明るく声を弾ませた。


視線の先には、

白い雪柳が

匂やかに咲いていた。















正直、ぼくには、

そんな花が咲くことも

すっかり忘れていたし、

小さな花を

稲穂のように実らせる花が、

雪柳という名前だということも

知らなかった。


見ているはずなのに、

気づいていなかった。


ようするに、

そこにあることを

まったく意識していなかった。


海みたいできれいだと。

見る前に言われたときには、

姿形も

思い描けなかったのだけれど。


ひと目見て

その言葉の表現がよくわかった。


白い飛沫(しぶき)を立てて、

波立つ海。


満開に咲く雪柳は、

見事なまでに真っ白な

大海原だった。


ちょうど洗濯物を

取り込みに来た母に、

雪柳のことを話した。


「きれいだね。

 名前も知らなかったし、

 今、咲いてることも、

 気づかなかった」



翌日、

花瓶に新たな花が増えた。


真っ赤な椿の背後に挿された、

幾筋かの雪柳の穂。

白い花が、

波のように弧を描いて

咲いていた。





きれいだった。


外で見るのもきれいだったけれど。

こうして人の手で摘まれた「自然」も、

わるくない。


それは、美しい風景を、

絵や写真にして切り取って

飾るような。

人間らしい、営みに感じる。



夕食どき、母に聞いた。


「庭の雪柳って、

 誰が植えたの?」


「母さんが植えた」


「そうなんだ」


「椿は、父さんが植えたやつ。

 公園の枝かなんかを、

 取ってきたんじゃなかったかな」


父のよくない面である。

公園さん、ごめんなさい。


けれどもそれは、

今、見事に咲き誇り、

鮮やかに赤く咲き続けている。


母が言う。


「去年のことは覚えとらんけど。

 こんなに咲いたの、初めてかもしれん」


部屋に置かれた、

青い切子の花瓶。


そこでは、真っ赤な椿と、

真っ白な雪柳が、

寄り添うようにして生けられている。


もちろん、

意図した仕業では

ないのだけれど。


こうして父と母の花が、

仲よくひとつの花瓶に収まる姿に、

何かしら感動のようなものを

覚えずにはいられなかった。


たとえ母が気づかなくても。

ロマンチック馬鹿な息子には、

そう思わずにはいられなかった。


植えられて40年ほど経った、

庭の花。


椿と雪柳。

赤い花と、白い花。


長い時間を経て、

偶然ひとつになった、

花の物語。


それもこれも、

庭を見たいという、

花を愛でる心を持った客人が

紡ぎあげたものだと。

そう思えて仕方がない。


花を、きれいだと思う心。


そういう気持ちが、

人をつなぐ。


すすけて古く、

忘れられかけた、

記憶をつなぐ。


見逃してしまいそうな些事に

光を当てて、

ぱっと色鮮やかな花を咲かせる。


花は、美しい。


心に咲いた花は、

いつまでも枯れることなく、

みずみずしく咲き続ける。


『窓辺に咲く一輪の花、

 キュア マドベ!』


そんなわけで。


これからも、

心の窓辺に咲いた

ぼくという名の一輪の花は、

あなたを見守っていくことでしょう。



< 今日のお花言葉 >


親の話は きくのはな

人の悪くち くちなしで

頭は垂れて ふじのはな

笑顔あかるく ひまわりで

愛をはぐくむ ばらのはな

心清らか しらゆりで

世は移ろいて あしさいの

月は早く たちばなで

散り際さやか さくらばな

先は浄土の はすのはな


(『人生花づくし』紙コースターに書かれた言葉)

 



2025/04/01

父との約束と、母さんへの嘘





ぼくは、嘘が得意だ。



小さいころから夢見がちで、

嘘のお話をたくさん

つくってきたからだろうか。


とにかく、嘘が得意だ。

小さいころは、

悪い嘘もたくさんついた。


大きくなった今。

悪い嘘は、

悲しいものだと気がついた。


今、ぼくは、

母さんを騙し続けている。


死んだ父が、

まだ生きていると。



父が死んで、

ちょうど5カ月目の日に。


明日、遺族年金が入ることを、

母に説明していた。


遺族年金という名目だけれど、

それはあくまで呼び名であって、

父が死んだわけではない、とか。


今ここにいない父が、

動けなくなる前に、

事前に手続きしたのだ、とか。


「母さん、覚えてるでしょ?

 ぼくが毎日、区役所とかに

 通ってたときのこと。

 母さんにもときどき、

 ついてきてもらったよね?

 あのとき、母さんが一人になっても、

 この先こまらないよう、

 いろいろな書類をつくって

 提出してたんだよ」


書類の作成や提出自体は、嘘ではない。

ただ、その内容や目的に、大きな嘘がある。


物事をあまり

深く考えない(理解しない)

母の特性を逆手にとって、

ぼくは、母の疑問・質問を煙に巻いて、

ややこしくしながらも誠実に答え、

とにかく母を安心させた。



何十年も別居していて、

月に1度くらいしか

顔を見せなかった父だが。

ここ最近、

まったく顔を見せなくなった。


当然である。


鬼籍に入った父が、

顔を見せにこられるはずがない。

もしこようものなら、それはお化けだ。


母は、父がどうしているのかと

ぼくに尋ねた。


「どうだろう、

 どこかで元気にしてるんじゃないかな。

 施設とか病院に入ったりしてたけど。

 もしかして、

 もう死んじゃってるかもしれないね」


などと笑ったりしながら、

とにかく母を心配させないようにしてきた。


母の心配は、もし父がいなくなったら、

自分はこの先、一人でどうやって

生きていけばいいのかという、

経済的な問題に終始していた。


もちろん、父のことは心配だろうが。

長年別居している母にとっては、

やはり現実問題として、

自分の生活がいちばんに

優先されるようだった。


父の死、という現実を、

母がどうとらえるのか。

それは、わからない。


もしかすると、

金銭面、経済面なんかより、

精神的な喪失感や後悔などが

襲ってくるのかもしれない。


母がどう感じるのか。

それはよくわからないが、

とにかく

心に負担を与えるだろうことは

想像できた。


だからひとまず、

遺族年金が支給されるまでは、

なんとか嘘をつき続けたい。

そう思って、今日までやってきた。


この数カ月、

母に嘘ばかりついてきた。


『生前遺族年金制度』とかいう、

ありもしないでたらめの制度を

でっち上げたりもした。


忘れっぽい母は、

何度おなじ話をしても、

または違う説明をしても、

数カ月とか数日後には、

すっかり忘れてしまっていることが多い。


素直な母は、

ぼくの言葉を信じてくれる。

ぼくは(少なくとも大きくなってからは)、

母に悪い嘘をついたことはない。

そのせいもあってか、

母はぼくを信じてくれる。


「よくわからんけど、

 あんたの言うようにするわ」



父が死んで、

ちょうど5カ月目の夜。

夕食後の団欒で、父の話をしたのも、

明日、初めての「遺族年金」が、

支給されるからだけでは

ないような気がした。


ぼくも母も、

明日が14日だとは

わかっていなかったからだ。

(年金の支給日は15日なのだが。

 15日が土曜日の場合、前日に支給される)


父がそうさせたのではないかと。

今日が13日だと知ったとき、

なんとなくそう感じた。


父の命日は「13日」だった。

父の誕生日は14日で、

その前日が命日だった。


ぼくが母に伝えたのは、

父への感謝の気持ちを忘れないでほしい、

ということだった。


「父さんね、いろいろあったけど、

 やっぱり母さんのこと、

 ずっと心配してるみたいだったよ。

 ぼくね、父さんに言われたんだ。

 母さんのこと頼むな、って。

 だからぼく、父さんに言ったんだよ。

 わかった、任せといてって。

 父さん、ちょっと安心したみたいだった。

 ずっと心配だったし、

 自分じゃできないことだったから」


そして、ぼくら家族——

ぼく、姉ちゃん、甥っ子たちや、

周りの人たちが、

どれだけ母さんのことを

大切に想っているかを話して伝えた。


「母さん、恵まれてると思うよ。

 しあわせ者だなって、そう思う。

 父さん、ずっと母さんのこと

 心配してきたし。

 こうやってずっと、

 生活費とか年金がもらえて、

 何の心配もしないで生きていけるのも、

 父さんのおかげだから。

 ぼくも姉ちゃんも、

 りんた(甥っ子)たちも、

 みんな母さんのこと大好きだし。

 みんなが母さんのことを想って、

 見守って、大事にしてる。

 だから、父さんに感謝してね。

 毎日でも毎月でも、

 年金をもらったときでもいいから。

 父さんに、

 ありがとうって言ってあげてね」


そんなことを、母に伝えた。


話しながらぼくは、

父を思い、涙があふれそうになった。


けれども懸命にこらえた。

母が変に思うといけないので、

ぼくは歯を食いしばって、

涙を飲み込んだ。



* *



父が死んで、

四十九日が経ったとき。

母を誘って、

母の父母が眠る墓地へ行った。


祖父母のお墓参りは、

ぼくにとって久しぶりのことだったが。

そこは、父を火葬した場所でもある。


祖父母の墓をお参りしたあと、

火葬場の背後の道に差し掛かったとき、

ぼくは車の速度をそっとゆるめた。


火葬場を見ながら、母が言った。


「誰か燃やされとるね。煙が出とる」


「なんかわかんないけど、

 お参りしとこっか」


ぼくは母を促し、

二人で火葬場に黙祷した。


父の死を知らない母に、

父を弔ってもらいたくて誘ったお墓参り。

どんな形でお参りすればいいのか、

決めかねていたが。


静かに煙を立ちのぼらせる

火葬場に向かって、

二人、じっと手を合わせて拝んだ。


『父さん、母さんのこと、

 心配しないでね』


心の中で、そうつぶやきながら。

ぼくは父に約束した。



父さんと約束したから。

ぼくは、今日までずっと、

母を騙し続けてきた。


騙しやすいのか、

騙されやすいのか。

母との付き合いが長いぼくは、

母を騙す術に長けている。


いや、待てよ。


もしかすると、

ずっと騙されたふりを

してくれてる、とか・・・。


そんなわけ、ないか。



いろいろな言葉を並べて、

空箱や湯呑みなんかも駆使して、


「いい? これが年金だとして、

 こっちが遺族年金ね」


などと説明する。


年金と遺族年金と、

今後の母の暮らしが

「マイナス」にはならなず、

むしろ「楽になる」という説明をし、

父さんがいなくなっても

心配はいらないという話を

くり返し伝えた2月13日。


「とにかく、

 何の心配もいらないよ。

 母さんは今までどおり、

 笑顔でいてくれれば、

 それで大丈夫だから」


「そう? 今までどおり、

 ぱーぱーの母さんでいいのかな?」


「いいよいいよ。

 それがいちばんいい」


洗い物をする母の背中は、

鼻歌まじりで、

いつもより楽しげで嬉しそうだった。


内容よりも空気感。


内容の理解度なんて、どうでもいい。


ぼくは母が

笑っていてくれさえいれば、

それでいい。


ぼくは、終始笑って、

笑顔で母に話し続けた。


きっとその空気が

伝わったのだろう。

母は、何の心配もせず、

陽気に歌を唄っている。


階下に聞こえる母の唄声をBGMに、

ぼくは今、この文章を書いている。


2月13日、木曜日。


母からもらった

バレンタインデーのチョコを

ひとつ摘んで。


ミルクティ味の

甘い吐息を吐き出しながら、

ぼくは、父を思った。


ありがとう、父さん。

ぼくたち家族はしあわせだよ。

ずっとずっと、ありがとね。



賞のひとつも

獲れないぼくだけれど。

今見えている景色は、

本当にすばらしく、

涙が出るほど嬉しい景色ばかりだ。


ありがとう。


父さんを想って流す涙は、

まだ枯れないけれど。

約束どおり、

母さんのことは、

心配しないでください。



いつまで母を騙し続けるのか。

それは、わからない。


このままずっとかもしれないし、

いつか明かすのかもしれない。


ただひとつ言えることは、

今、母さんが、

ぼくが知る中でいちばん

しあわせそうだっていうことだ。


だからこの嘘は、

悪い嘘じゃないんだって。

ぼくも、姉ちゃんも、

そしてたぶん父さんも、

そう思ってくれてることと信じている。


もう少し母さんを、

騙し続けようと思う。


嘘のすべてが

罪だなんていうことはない。


誰かを安心させたり、

しあわせにする嘘だって、

あるものだ。


ぼくは上手に嘘をつきたい。

人をしあわせにするための

嬉しい嘘を。


どうせなら、そんな嘘で、

人を騙していきたい。



もしかすると、

この話だって嘘かもしれない。



嘘か本当かなんて、

どっちでもいい。


信じるか、信じないか。

ただそれだけのことなのだから。



2025年2月13日:記




< 今日の言葉 >


1000回ケンカして

 1000回大切な事を

 忘れたとしても

 1001回仲なおりして

 私たちは永遠に向かうのだ』


(『空の小鳥』羽海野チカ)