2024/05/15

怒る人

「怒りのにこにこ仮面」(2009年)



 

3日のうち2日は

怒っている人がいた。


理由はあってないようなもので、

とにかく何かしら怒っていた。

いらいらと、

いつも何かに怒っていた。


おそらくそれは常態化した習慣で、

開き癖がついた本みたいに、

自然と「怒り」のページが開いていた。


批判、否定、不満、文句。

その矢印は、

いつもこちらに向けられる。


あえて選んで

そうしているのだろうか。

怒っても仕方がなく、

どれもがすぐには

どうすることもできない

ことばかりだった。


とにかく、

自分でも気づかないうちに、

怒っている自分にも気づかないで、

いつの間にか怒っている。


悲しいことに。

怒りは、怒りを呼ぶ。


毎日怒りを浴びていると、

気づかぬうちに伝染し、

知らないうちに怒りを発している。


考え方も、思考も、行動も。

いつしか怒りに染まってしまう。


あれっ?

何か変だな、と。

気づけるうちはまだいいけれど、

それでも、

染み込んだ怒りはなかなか取れない。


それを抑えようとしたとき、

芽生えてきたのは、

激しい自己否定の感情だった。



怒りは、暴力。


暴言、罵倒、憤怒、破壊。

暴力は、

まっすぐなものをねじ曲げ、

やわらかなものを硬くする。


もろく砕け、とがり、

鏡写しの諸刃となる。


自分では気づかない姿も、

はたから見ると、はっとする。

受けてみて初めて気づく、恐ろしさ。


かつての自分を省みて、

他人事じゃないと思い知る。


* *


暴力。

それは、人を破壊する。


人の心、判断力、

感情や思考を破壊する。


吸い込んだ暴力は、

じわじわと心を蝕み、

外や内に向かって攻撃を始める。


反撃なのか自衛なのか。

否定と対立、閉鎖的な疎外感。

強烈な自己肯定と他者否定。

それが転じて、

猛烈な自己否定と孤立感に

苛まれる。


自分を認めるための、悲しい連鎖。

悲しい破壊工作。



怒りは、

どこからやってくるのか。


思い通りにならない、憤り。


うまくいかないことへの、

不甲斐なさ。


図星を指されたとき。


大切なものを穢(けが)されたとき、

傷つけられたとき、壊されたとき。


不安感、ひがみ、劣等感。


あせり、苦痛、余裕のなさ。


けれど、

怒る必要があるものなんて、

ほとんどないような気がする。


怒りの正体の大半は、

「八つ当たり」。


自分の「不満」を、

攻撃の刃に変えて行う「反撃」。


これは、立派な暴力。


人の笑顔を重く曇らせ、

楽しい気持ちを微塵に砕く。


怒りの感情を

制御(コントロール)できないのは、

それが「許されて」きたため。

抑制する技術を身につけることなく、

発露し、爆発させることを

いつまでも「許される」環境に

いたためだ。


脳は覚える。

その道筋を。


怒りは甘美な美酒のように、

恍惚とした快楽を伴って噴出する。



怒りは、甘え。


自分の欲求を伝える、

幼児的な表現手法。

かわいらしい線を越えると、

毒矢となって突き刺さる。


暴力と「けんか」は

まるで違う。


けんかは、

「ごめんなさい」がきちんと言えて、

素直に仲直りができること。


けんかの目的は

「勝つ」ことではない。

「仲よくなる」ためだ。


暴力は、最後まで譲らない。

主張を貫き、

調和することを求めない。


自己を

「認められる」ことにこだわり、

勝つために奪い合い、

いがみ合う。



暴力は、ころす。


人の心をころす。


時に本当に、

その人をころしてしまう。



怒りの連鎖、

八つ当たりの鎖は、

悲しく、重く、

どんどんリレーされていく。


家で、学校で、

職場で浴びた八つ当たりが、

コンビニで、路上で、

家庭で噴出する。


八つ当たりという、暴力。


環境や状況、

過去やお酒のせいにする人。


言語道断。

暴力に、言い訳などは

通用しない。

暴力を正当化できるものは、

何もない。


誤りに気づいたとき、

少しでも早く「ごめんなさい」と

言えるかどうか。



肉体よりももろい、精神。


治癒するのにも時間がかかり、

目に見えない傷跡が、

いつまでも疼(うず)く。


* * *


怒り、暴力、八つ当たり。


正しい怒り。


自分はどうなのか。


過去はどうにも

変えられないけれど、

今、これからならば、

責任が持てる。


正しい怒りでぼくは言いたい。


暴力は、人をころす。

人の心をころす。


美しいものを醜く歪め、

うれしいものを悲しく彩り、

大切なものを無残に踏みにじる。


たかが言葉と侮るなかれ。


渡された悲しいバトンを

ふり捨てて、

愚劣な連鎖をここで断ち切る。


勇気ではなく、決断。


大切なものを、

これ以上壊されないための

冷静な判断。


誰にでもわかる、簡単な算数。


誰だって怒られるより、

笑顔のほうがうれしい。

怒っているより、

笑っているほうが楽しい。


それができない「大人」は、

ただの馬鹿だ。


人の悲しみの上に立つ笑顔は、

身勝手な暴力でしかない。



怒り、暴力、八つ当たり。


その破壊力と愚かしさに、

対峙してみてようやく気づいた。


できればもう、近づきたくない。


たとえ浴びても、

すぐに洗い流したい。


まだまだ未熟で、

間違うこともあるだろうけど、

心の底からぼくは憎む。


正義、正論、正当化。

もっともらしい服を着て、

当たり前にはびこる、八つ当たりを。




怒りは怒りを生み、育て、

天使の心を悪魔に染める。


間違った怒りは、

自分以外を焼き尽くす。

黒い炎にあぶられた人は、

泣くか嘆くか、

それとも新たな悪魔を

育てあげるか。


もし、逃げられるなら。


すぐに逃げたほうがいい。


離れてみれば、見えてくる。


正しい怒りには存在しない、

暴力的な悪魔(エゴ)の正体が。


善とか悪とかではなくて、

それは、どうしようもないもの。


性質、訓練、意思の力。

本人が努力しなければ、

変えられない。

気づかせることはできても、

人が人を変えることなど、

できはしないのだから。



ほこりだらけの自分が、

いい人になれるとも

思わないけれれど。


どうかこれが、

正しい怒りでありますように。


そしてなるべく、

間違った怒りを

まき散らしませんように。


たとえ間違ってしまっても、

すぐにごめんなさいが

言えますように。



もし、間違った怒りを

浴びてしまっても。


吸い込んだ怒りをガソリンにして、

にこにこエンジンで

明日へ疾走できるように。


なるべくがんばって

いこうかと思います。




< 今日の言葉 >


恋文を書くときには、

ます何を書こうとしているか

考えずに書き始めること。

そして何を書いたかを

知ろうとせず、

書き終わらなければいけない。


(ジャン=ジャック・ルソー)

2024/05/05

エリックとロバート

 

CN tower (2007)






2006年、

カナダ・トロント。


滞在中に書いた日記が

手元にないので、

正確さと詳細に欠ける話かもしれないが。


ときどきふと、

思い出すことがある。


エリックと、ロバート。


それは、

カナダ滞在中のある日のことだ。



* *



友人に連れられ、

エリックの元を訪れた。


エリックとは、この日が初対面で、

ロバートから誘われての訪問だった。


「彼が喜ぶから、ぜひ来てくれ。

 日本の話とか、

 いろいろ話してあげてほしい」


そんなようなことを言われた。


トロント郊外だったか。

正確な場所は忘れてしまったが、

着いたのは、

アパートのような、

何かの施設のような感じの

建物だった。


10階建てくらいか、

それとももっと高かったか。

コンクリートの建物を、

地上から見上げた記憶だけは

鮮明に残っている。


「こんにちは」


「いらっしゃい」


そんなやり取りのあと、

簡単な自己紹介が交わされた。


エリックは、25歳(だったと思う)。

自分たちより歳下で、

20代の青年だった。


「やぁ、こんにちは!」


明るく笑う彼の声は、

嬉しそうに弾んでいた。


エリックは、

20代になったばかりのころ、

川に飛び込んで背骨を折った。


以来、歩くことができなくなった。


エリックは、

ベッドの上で暮らしている。

ぼくらを迎えてくれたのも、

ベッドの上からだった。


ベッドの背を起こし、

明るい声でぼくらを迎えたエリックは、

興奮気味に

いろいろ話し始めた。


それほど英語が

堪能だったわけでもないので、

ぼくらはほとんど聞き役だった。


ときどき彼に質問したり、

そうなんだ、と合いの手を入れたり。

エリックにとっては、

それでも充分、嬉しいらしく、

心からはしゃいでいる様子だった。


アパートメントなのか、

施設の一室なのか。


白く清潔な室内は、

がらんとしており、

病棟のような雰囲気だった。


間口の広いシャワールールは、

ベッドのまま入ることができ、

つやつやと光る床は

すべてフラットだ。


キッチンもあったが、

エリック本人が使うのではなく、

介助をする人が

調理をするためのものである。


ロバートは、

エリックの介助をする一人だった。


身の回りの世話をしたり、

話し相手になったり、

何かを買って届けに来たり。

こうして「友人たち」を

招いたりするのも、

ロバートの「役割」だった。


といっても、何かの契約や、

仕事といった感じではなく、

好意のような形で

その役目を担っていた。


ベッドに座ったエリックは、

尽きることなく話し続ける。

ぼくらを飽きさせないよう、

まるで沈黙を恐れるかのように、

途切れることなく話し続ける。


話が途切れてしまったら、

みんなが帰ってしまうんじゃないか。


そんな気持ちが

伝わってくるような、

熱を帯びた話し方だった。


「あ、そうそう、これ見てよ。

 すごく面白いよ」


などと、リモコンを手に、

たくさんのチャンネルの中から

画面を選ぶ。


手元には

4つほどのリモコンが並んでおり、

テレビや映画、音楽などが、

ベッドにいながらにして視聴できる。


エリックは嬉しそうに笑って、

次々とお気に入りを披露する。


親戚の子どもが、

自慢のおもちゃを見せてくれるように。

自分の部屋に、

1分でも長く留まってもらえるように。


ぼくらを

「もてなして」くれる

エリックの姿は、

そんないじらしさと

懸命さが同居していた。


「・・・・はぁあ」


笑いのあとに、

短かい沈黙が生まれる。


そのとき、

眼鏡の奥で見せるエリックの目は、

どこかさみしげな、

ここではない何かを見ているような、

そんな色に沈む。


ほんの一瞬だけれど。

おそらくそれは、

楽しさの陰にひそむ、

エリックの「素顔」でも

あるように思う。


嬉しさに勝る、さみしさ。

楽しさのあとに訪れる、さみしさ。

ごまかしきれない感情。


それでもエリックは、

今、このひとときを

心から楽しむように、

嬉しそうに、楽しそうに、笑っていた。


ぼくは、英語が堪能でない自分を、

悲しく思った。


だからこそ、必死で耳を傾けた。

話し相手としては、

物足りなかっただろうが。

拙い語彙力で、

エリックの会話を楽しんだ。


「あれは、何?」


ぼくは、

誰でも話せるような

簡単な質問をした。


ぼくが指差す先には、

窓辺でくるくると回り続ける、

銀色のモビールがあった。


何か、ということは、

聞かずともわかっていたが。

話題の糸口として、

エリックに尋ねた。


「ああ、あれは

 CNタワーのモビールだよ」


タワー好きなぼくにはたまらない、

高さ世界一を誇る(当時)、

カナダのタワー。


CNタワーには、

もう登っているのだが、

こんなかっこいいモビールは、

土産物店でも、

周辺の店でも見かけなかった。


「どこで買ったの?」


「・・・もらった物だから、

 わからないなぁ」


そんなやり取りのあと、

ぼくらは、

ゆるやかに回り続ける

銀色のモビールを眺めていた。


薄い、金属製のモビールは、

風のない部屋の中で、

ぐるぐると、ゆっくり回り続ける。


年輪のように、

たくさんの輪が

何重にも重なった形状で、

中央にタワーの形をした部分がある。


銀色の肌に、

景色や光の、さまざまな色を映しこみ、

見ていると吸い込まれていきそうになる。


永遠に続く光のトンネルみたいに。


ぐるぐるとぼくらに

魔法をかける。


しばらく息をするもの忘れ、

きらめきながら回転するモビールに、

目だけでなく、

心も奪われていた。


あの時間。


それほど長いわけでもないはずなのに、

永遠にも感じた、あの時間。


ぼくらはたしかに、

「ここ」ではないどこかへ、

旅に出ていた。


こういうのを、

「トリップ」というのかもしれない。


いつまでも、

ずっと見ていられる。

ずっと、見ていたい。


言葉はなかったけれど。

深く、やわらかで、

居心地のいい、静寂だった。



* * *



エリックの部屋を出て、

ぼくらは屋上へ行った。


ロバートは、

くるくると巻いたたばこに火を点け、

青い空に紫煙を履いた。


風のない青空に、

白い煙が溶けてにじんだ。


「来年から、

 日本に行かなくちゃいけない」


手すりにもたれたロバートが、

煙と一緒に、

ふうっと長い息を吐き出した。


先生の仕事で

来日するとのことだったが。

何やら浮かない顔をしている。


そのわけを尋ねると、

ロバートが真面目な顔で、

笑わずに言った。


「Because ,

   can't smoke in Japan」


・・・そのときは何も

思わなかったのだけれど。


少し経って、いろいろ思った。


ロバートは、

エリックの介助をしながら、

一緒に「医療大麻」を

吸っていたのだろう。


カナダでは

医療大麻が認められており、

おそらくエリックは、

それを処方されていた。

たしか、そんなようなことを

言っていた(気がする)。


日本では吸えない。


ロバートの憂鬱は、

そこにあるらしい。


日本のどこに行くのか、

という問いに、

ロバートが返した答え。


「IKOMA」


真面目顔のロバートと、

どこかそぐわない音色で。


そのときぼくは、

ほのぼのとした心地で、

ふふふ、と笑った。


ぼくの頭の中には、

生駒山頂遊園地の風景と、

大仏や茶がゆや鹿の姿とともに、

渋い顔のロバートが

先生をしている姿が

ゆらゆらと浮かんだ。


ぼくは思った。


お酒もたばこも悪くなないが。

そんなものがなくても、

「旅」には出られると。


エリックの部屋で味わった、

濃密な時間。


記憶と体験。


旅の扉は、自分で開けられる。


ただ、その開け方を、

忘れているだけ。

忘れてしまっただけだと。


走り回る子どもには、

お酒もたばこも、何もいらない。


なくしたんではなく、

忘れてしまっているだけだと。



* * * *



フルネームも知らない、

エリックとロバートとの

思い出の断片。


それが何かということよりも。


ふと、思い出したことに

意味がある。


2006年。


ワールドカップで

イタリアが優勝した年。


ジネディーヌ・ジダン選手が

相手にヘディングした年。


セント・クレア・ウエストの駅前では、

優勝を祝うイタリア系カナディアンが、

びっちりと景色を埋め尽くしていた。


2006年。


気づけば早18年。


探し物をしていて、

18年前に書いた「物語」を

見つけたせいもあるのか。


ふと、そんなことを思い出した。



18年前に書いた物語。


もう一度読み直し、

まとめ直して、投稿してみた。


18年の歳月。


うまくは言えないけれど。

止まったままの時計を手にして、

時間旅行に出かけたような。


そんな、気がした。



< 今日の言葉 >


鉛筆の削りかすを、

『ルマンド』の破片と思ってかじり。

消しゴムの消しかすを、

おじゃこを間違えてご飯にのせて。

本を読んでいて、

大航海時代、

コロンブスが発見したものを、

「新大陸」ではなく

「新大阪」だと読み違えて。


ついにここまできたかと、苦笑い。