展覧会が終わった。
2週間という、短いあいだだったけれど。
いままで会ったことがなかった人や、
親しい人、知り合ったばかりの人たちなど、
たくさんの人たちが絵を見てくれた。
どうもありがとうございましたと。
この場を借りて、
お礼を言わねばなりません。
本当に。
観ていただいて、
本当にありがとうございました。
見てくれた人は、
なんやかんや、けっこう
たのしんでもらえたようで、
すごくうれしく思った。
「色がきれい」
「色鉛筆で描いたとは思えない」
「絵本を描いてください」
「タイトルがおもしろいですね」
「いままでに見たことのない絵でした」
みんな、いろいろな感想を残してくれた。
それはすごく栄養になるし、
なるほど、とか、
ははぁそうか、とか思ったりするからありがたい。
子どもを連れてやってきてくれた知人。
2歳の女の子が、
小部屋に飾った絵を見てもらしたひとこと。
「きれー」
その、飾らない言葉に。
思わずぼくは、じぃんときた。
「子どもは、ストレートですから」
女の子のお父さんが、目を細める。
「本当に。子どもの反応は、正直ですからね」
焼きたての、手づくりのパンを食べたとき。
どこかで買ってきたパンとは比べものにならないくらいに、
ものすごくおいしそうな顔をするのだと。
彼女のお父さんは、
細めた目をぼくに向けて、白い歯をのぞかせた。
その言葉に、
あやうく目の奥から「汁」が出そうになった。
また別の知人の子どもは、
まだ話すことも歩くこともできない、
生まれて半年ほどの女の子だ。
お母さんの腕に抱かれて、
絵の前をとおりすぎる。
「手を伸ばす絵と、
伸ばさない絵があるんですよ」
お母さんが、興味深げに言った。
女の子が手を伸ばす絵。
はじめは、
顔が描いてある絵なのかと思ったのだけれど。
よくよく見るうち、
そうではないことが分かった。
色合いが鮮やかで、
色と色との境界が
きっちり塗り分けられている絵。
女の子が手を伸ばした絵は、
どの絵にもそれが共通していた。
「ぼくがいいって思った絵とおんなじだ」
「わたしもこの絵、いいって思った」
女の子のお父さんとお母さんも、
同じ絵をいいと思っていたらしい。
そして彼らの「愛娘」も、
その絵に、小さな手を伸ばしていた。
子どもだから、分かりやすく、
はっきりした色合いの絵に興味がわいたのか。
それとも、両親の「好み」を受け継いでいるのか。
とにかく親子3人が、
同じ絵に興味を持ったのだ。
不思議なようで、
ものすごく「あたりまえ」のことのようでいて、
やっぱりなんとなく不思議な感じがした。
古くからの友人どうしの2人が、
展示スペースの隅にある、
過去の作品集を見ていて。
数ある絵のなかから選んだ1枚が、
2人とも同じ絵だったという場面にも遭遇した。
そのときも、
なんだか不思議なような、
それでいてごく自然なことのような、
なんともいえない不思議な気分だった。
絵っておもしろい。
描くのもおもしろいし、
観るのもおもしろいけど、
絵を観ている人を見るのもおもしろいんだと。
今回、身をもって教えられた気がする。
展覧会では、
いろいろな人に会って、
いろいろな人とおしゃべりして、
いろいろな「時間」を交換できた。
毎日ずっとたのしくて、
毎日があっという間にすぎていった。
展覧会が終わって。
壁から絵をおろして、
梱包して、風呂敷に包んで車に載せていく。
にぎやかだった部屋のなかが、
またもとの真っ白な空間に戻る。
がらんとした「部屋」を前にして、
風呂敷包みやダンボール箱を運んでいると、
どこかに引っ越していくような気持ちになった。
帰り路。
県境の橋を渡っていると、
自分が運転しているはずなのに、
空港行きのバスかタクシーに
乗っているような感じがした。
窓の外に広がる県境の風景と、
夕方前の明るい光。
帰国時の飛行機は、
明るい時間帯が多い気がする。
それ以外、
明るい時間に「帰る」ことなど
ほとんどないから、
そんなふうに感じたのかもしれない。
ちょっとした郷愁のようなものを
かみしめつつ。
ハンドルを握り、車を走らせる。
まだまだ明るい時間だった、はずなのに。
途中、目に入った看板で
ハンドルを切って、
車を止めた。
リサイクルショップ。
婦人物の服をあさっていて、
とっかえひっかえ羽織ったり脱いだり、
また羽織ったり。
そんなことをしていたら、
空が暗くなりはじめ、
仕事帰りの車で道が動かなくなってきた。
そして、
気づくと夜だった。
キャンバスからはみ出たロケットみたいに。
いつでもぼくは無計画で、
いつも計画どおりには行かない。
だから、
リサイクルショップで買った、
いかした長袖シャツが、
たとえワンピースの裾を
短くカットして無理やり縫って、
シャツ風に仕立てたものだと気づいたとしても。
ぼくは、気にしない。
だってそれは、
その日に出会った、
いかしたシャツだから。
追伸:
「しんだ顔」で写真を撮ることにはまっていた、
そのせいで。海を渡ったこの写真を見て、
イギリスの人がすごく残念がっていたと聞いた。
「彼はなぜ、こんなにもやる気のない顔を
しているのか」と、理解できない感じだったと。
高校のころ、白目の写真ばかり撮りつづけて、
まともな「黒目写真」がほとんどないのに
気づいて、愕然としたことを思い出した。
これはいかん、と。この写真をきっかけに、
きちんした顔でも撮っておこう、
と思うようになりました。
< 今日の言葉 >
フレンチ学園で食べた、ハレンチトースト。
(イエハラ・メモ2010より)