2024/03/11

子どものこたえ




 



上の写真は、

何に見えますか?


心理テストでも

美意識の検定でもなく。


あなたにはこれが

何に見えますか?


正解は「キツネ」。


もっと言うと、これは、

ギンギツネの「途中経過」です。



展覧会にご来場いただいた

「お客さま」からお声かけいただき、

児童館で何かをやってほしいと

いうことで。


「実物大の動物を作ろう」


という企画を開催した。


主役は「子ども」。


だからぼくは、

基本的には手も出さないし、

口もはさまない。


参加した子どもたちがやりたいように、

好きなようにやってもらう。


ぼくの仕事は、

その「舞台」を用意すること。


子どもたちが作りたいものを

実現させるためのお膳立てと、

現場を見ながら

そっと導いていくことだ。



* *



今回お世話になった児童館の方たちは、

とてもやわらかな人たちばかりで、

児童館の存在を「屋根のある公園」と

形容しておられた。


学校でも家でもなく、公園。

屋根があって、人の目も届く「公園」。


何をしてもいい。

勉強をしてもいいし、

遊んでもいいし、

本を読んでもお弁当を食べても、

運動をしてもいい。


今回お声かけいただいた児童館には、

場所と人がそろっていた。


子ども目線の、理解ある環境。


そんな場所だからできること。


たのしいことが

できそうな場所だったから、

とにかく何かやりたいと思った。


職員の方とのやり取りで、

いくつかの提案の中から、

「実物大の動物づくり」にしようと

いうことになった。




第1日目。

何が作りたいか、

子どもたちに意見を聞いた。


竜(ドラゴン)、

ティラノサウルス、

ゾウ、ペガサス、

キリン、麒麟(きりん)、

ゴリラ、ライオンなど。


いろいろな意見の中から、

みんなで決めた。


ウマと、ギンギツネ。


2組に分かれることは

想定外だったが、

それもまたおもしろい。


ということで、

ウマチームと

ギンギツネチームに分かれて、

作りはじめることにした。


まずは「絵」を描いてみた。


図鑑で調べて、

実際の大きさを測って、

大きな紙に形を描いていく。


ぼくは主に、

ギンギツネチームを見守る

格好になった。


ウマチームは、

児童館の職員の方が担当してくれた。


今回、ぼくが思っていたのは、

大きすぎるとか、

むずかしいから、という理由で、

やりたいことを小規模化して、

思いをこぢんまりさせたくはない、

ということ。


とはいえ、

あまりに「無謀」なことは、

避けたくもある。


年齢層は、

小学3年生から6年生。


全員そろう日もないし、

数人しか来ない日もある、と。


子どもたちの性格や気質、

図工が好きなのかどうかも

わかっていなかったので、

難易度というのか規模というのか、

そこらへんの

コンダクト(指揮)が

悩みどころだった。


簡単すぎてもつまらないし、

絵に描いた餅で終わっても悲しい。


毎週土曜日の1時間。

初回の話し合いを含めて、

合計6回。


決められた期間はあっても、

それまでに必ず完成させるという

考え方ではなく、

失敗してもいいし、

できあがらなくても構わない

という指針でいきたい。


とにかく全力。


思いっきり、

やりたいように、

全力でやる。


どうなるかわからないことを、

わくわくと楽しむことこそが

いちばんだと。


そう考えていたので、

最初の準備——

軌道に乗るまでの導入が大切だと

思っていた。


以前にも書いたが。


『馬に水を与えるのではなく、

 水を飲みたくなるよう

 仕向けることが、

 よき指導者である』


この金言を胸に、

あくまで主役は「子どもたち」だと

いうことを忘れず、

ただただ見守るようにした。


これは、ぼくの中で、

ずっと変わらない

礎(いしずえ)である。


生意気だった家原少年は、

子どものころ、

先生に口や手を出されて、

おもしろくなくなることが

少なくなかった。


そんな思いが鮮烈だったので、

自分は同じことをしたくない。


主観や好み、通例ではなく、

子どもたちが

やろうとしていることに

合っているのか、沿っているのか、

それを「ものさし」として

導いていく。


初めての環境、

初めての場所で。

まだ見ぬ新しいものが、

芽吹く環境をつくる。


その「空気づくり」には、

いつもいちばん気骨を折る。


そんなふうにして始まった

動物づくり。


やってみて初めて感じること、

見えてくること、

なるほど、と学習できること。

やってみてわかることばかりだ。


動物づくりに向き合う

子どもたちに勝るとも劣らず、

毎回、学びと発見が多かった。


ぼくは先生でも指導者でもない。

だから、わからないことだらけで、

わからないからおもしろい。


言うなれば、

ぼくがいちばん「生徒」なのだ。



* * *


















2日目を終えて気づいたのは、

子どもたちの集中が続く時間が、

1時間弱だということ。


事前に、

「好きなだけやっていい」

ということを、

児童館の職員の方から

伝えてもらっていたのだが。


たいてい50分弱くらい。

そこでみんな、ぽろぽろと、

集中力の糸が切れる。


50分弱。

それはだいたい、

学校のチャイムが刻む

45分に近い時間だった。


どちらかというと

集中力の高い自分は、

少なくとも3〜5時間くらい

没頭する。


かつてはもっと長くて、

8時間とか10時間とか、

平気で絵を描き続けたりした。


さすがにこれではまずいと思い、

休憩ということを覚えた。


子どものころはどうだったのか。


時間の記憶はないが、

時間ごとに区切られる

鐘(チャイム)がうとましく、

放課後に一人残って

黙々と作業する時間が

好きだった記憶がある。


家では、

お絵描きや工作に夢中になって、

「ごはんだよー」

という声にはっとすることが

多かった気がする。


以前、県下の高校生が

ぎっしり集まった講堂で、

高校生から質問を受けた。


「どうしたら集中力が

 続くようになりますか?」


何でもいいから、

楽しいことに夢中になって、

いわゆる「時間を忘れる」ことを

くり返す。


実践と反復しかないと、

ぼくは答えた。


学生のころ、ぼくは、

家具をつくる学科にいた。

家具学科の先生は、

ほかの先生とは違って、

チャイムで授業を切ることを

しなかった。


「自分が好きなときに休んで、

 好きなだけ作業しろ」


かくいう先生自身も、

チャイムでは動かず、

職員室にも帰らず、

仕事の「切り」を見て

コーヒーを飲んだり、

煙草を吸ったりしていた。


週4、5日、

そんな1日の流れで、

1年間過ごした。



ぼくら家具学科は、

ほかの学科の生徒や先生や、

近隣の会社員で混みあった時間ではなく、

人もまばらな時間に昼休みをとった。


おかげでお店もすいており、

人気のお弁当屋さんでも

長い行列に並ぶのではなく、

注文してできたてを待って、

おいしいお弁当を

ゆっくり食べることができた。


そういう経験、実体験、

見てきた風景の集大成なのか。


自分で決めることの効能を、

身をもって体感してきた。


教育や啓蒙ではなく。

ましてや押しつけでもなく、

そういう「におい」を感じてくれたら。


ものづくりという間口を通して、

何か感じてくれたら。


これまで自分が、

先生や先輩から学んだことを、

伝えられたら。


そんなことを思い描きつつも。


なかなか自由に

のびのびと羽根を伸ばせない現実に、

静かに一人、

うなずくことの連続でもある。


家でも、学校でも、

だめ、いけない、

しなくちゃ、やらなきゃ。


禁止や義務ばかりでは、

つかれてしまう。


そしていつしか、

子どもが子どもでなくなっていく。


成長するのではなく、

ただただ「おとな」になっていく。


時代や世代は関係ない。

みんな「おとな」の都合だ。


そんなのつまらない。


だからぼくは、

口を出さない。


せめて「ここ」だけは、

好きにしてほしい。


遊びたければ遊べばいいし、

帰りたければ帰ればいい。


時間はかかっても、

正しいものは、必ず伝わるし、

普遍なものは、必ず残る。


炭酸飲料みたいな刺激もなくて、

地味で退屈で、

ときに特異で冷淡で、

時代遅れで突飛なことに

聞こえるかもしれないけれど。


本質とは、

ゆるぎない「こたえ」で、

単純だからこそ、むずかしい。


ややこしくしたがる「おとな」には、

よけいにむずかしいことに聞こえる。


ややこしくすることで、

むずかしくてやれないように

してしまう。


やるか、やらないか。


自分で決める。


ただそれだけ。


「こたえ」はいつも単純だ。



* * * *




2日目は、

構造的な部分での「助言」はしつつも。

あとは自由にやってもらえたらと、

静観していた。


2日目を終えて、思ったこと。


1時間に満たない時間で

終了する作業。


舞台の空気は整っているのか。


遅々として進まない

「ギンギツネ」の姿に、

もやもや、やきもきする自分。


そんな自分に未熟さを感じた。


理想と現実。理念と実践。

いくら頭で思っていても、

実際の行動がともなうとは限らない。


現場を無視して、

図面どおりに家を建てても、

家はまっすぐ建たないのだ。


大切なことは何か、もう一度、

咀嚼(そしゃく)しながら考えた。



子どもと大人のちがい。


先が見えないことは、

不安や心配ではなく、

わくわくなのだ。


昨日も明日も関係ない。

今、目の前のことがいちばん。


失敗させたくない、

最後まで完成させたい、

というのは、大人のエゴだ。


結果よりも、

その道のりを楽しむこと。


その余裕、ゆとりこそが、

ゆたかな時間。


「遊び」に

結果も成果もない。

成功も失敗もない。


「たのしかった」


そのひとことがあればいい。


何だかよくわからないけど、

なんかたのしかった。


目的も達成目標もない。


そんな「贅沢」な時間を

燃やしていけたら。


それこそがゆたかな時間。

黄金の時間だ。


一人、すっきりした自分は、

うんうんと、大きくうなずき、

次回の訪問を、

わくわくとたのしみに待った。



* * * * *



言葉ではなく、肌で感じる空気。


微弱な電気が空気をふるわせ、

情報を伝達するかのように。


自分がわくわくしていると、

周囲の景色も

わくわくした色に染まる。


目の前にいる子どもたちも、

それに共鳴するのか、

それとも子どもたちに共鳴しているのか、

わくわく感は累乗していく。


目には見えないはずなのに、

たしかに「見える」。


3日目、4日目。

空気がすごくいい色をしていた。



子どもたちが、

キツネのお腹の下に回って、

黒い布をぺたぺたと貼る。


「はい、

 じどうしゃしゅうりのおしごと、

 おねがいします」


仰向けに寝転んだ女の子に、

ボンドを塗った布を手渡す。


その横では、別の子が、

黒い布にせっせと刷毛で

ボンドを塗る。


さらにその横で、また別の子が、

布切りばさみで布を切っていく。


「ボンドおかわり!」


「はい、ボンド1丁!」


自然とできた分業制。


ボンドおかわり係のほかに、

ぼくもちょっと手伝うことにした。


布のはじに切れ目を入れて、

引っぱると「つぅっ」っと

いい音で布が裂けて切れる。


その音に、

子どもたちが

目を輝かせて顔を向ける。


なにそれ!と言わんばかりに

集まる子どもたち。


いくつもの小さな手が、

大きな黒い布をつかむ。


その音、感触、手ごたえ。


大人でも気持ちいいのだから、

子どもがやって

楽しくないわけがない。


すぐに「ミニつなひき大会」が

開催されて、

黒い布がどんどん割かれていく。


いくら引っぱっても裂けない布に、

つるつると足を滑らせる子どもたち。


「横方向には切れるけど、

 縦方向には切れないんだよ」


その不思議さに目を丸くして、

再び挑戦する子どもたち。


なんか、すごくいい。


初めての瞬間って、いつでも尊い。


そしてまた、分業制が再開。


「じどうしゃしゅうり」で

もぐりこんでいた子が、


「かおにボンドがついた」


と、起きあがった。


まるでパイを

投げつけられたみたいに。

顔半分が真っ白になるほど、

えらく派手にボンドをつけた子が、

悲しげな顔をこちらに向けている。


思わず笑うぼくに、

その子の顔も、笑顔になった。


「ちょっとこっち来て」


ウエットティッシュで拭いていくと、

半分真っ白だった顔が、

きれいな顔に戻った。


「どうしてそんなことになったの?」


と聞くと、


「ボンドがついたぬのが

 かおにおちてきた」


のだと。


なるほど。

それはそうなるよな。


その子だけでなく、みんな、

手はもちろんのこと、

服や髪の毛、靴下や足の裏など、

ボンドだらけだった。


固まった髪の毛が、

漫画のキャラクターみたいに

不自然な形で宙に止まる。


そんなどうでもいいことが

とても楽しい。


完成だけを求めて見失うのは、

こういう景色だ。


遊んでばかりで

先に進まないのとも違う、

手を動かす中で「遊ぶ」時間。


これを言葉で説明して、

浸透させるのもまた違う。


「こたえ」は、感じるもの。


この空気感。


この領域が、

いちばん「たのしい」瞬間なのだ。


ようやくできたこの空気。

伝えたかったこの景色。


すべてはそこにいる

子どもたちのおかげだ。


勘のいい子どもたちが集まって、

それぞれが伝播してくれたおかげで、

うれしい景色が編み上がる。


この空気を、

一度でも味わうことができたら、

どんなことでも「たのしめる」。


この空気さえ忘れなければ、きっと。


物を作ることだけが

「クリエイティブ」ではない。


何もないのにたのしめる心。

この感覚こそが、

「クリエイティブ」の源泉だ。


遊び(play)には

それが詰まっている。


仕事でも勉強でも、

遊べなくなったら、

わくわくしなくなったら、

おもしろくない。


子どもたちの姿に

再確認させられた。


遊べなくなったら、おしまいだと。


刷毛でボンドを塗りながら、

女の子が言った。


「ああ、すごくたのしいなぁ」


まっすぐな声に、うそはない。


「この会にさんかしてて、

 ほんとうによかった。

 すっごくたのしい」


うそみたいな言葉を聞けたこの瞬間。

ぼくは、もう満足だった。


まだ完成もしていないし、

終わってもいないのだけれど。


たった一人でもいいから、

このひと言さえ聞ければ、と。

そう思っていた言葉が、

まるで天からの贈り物のように、

ぼくの耳にふわりと

転がり落ちてきた。


涙こそ出なかったが。


泣いちゃうくらいに嬉しくて、

舞いあがるほど心が軽やかに踊った。


「ありがとう。

 そう言ってもらえると、

 すごくうれしいよ」


ぼくはその子にお礼を言った。


たとえその子が忘れても、

ぼくはずっと忘れない。


この瞬間の喜びを、

まぶしいくらいの笑顔と、

きらきらした瞬間を。


ぼくのほうこそ思った。


「やってよかったぁ」


大人にすら伝わらないことが、

子どもに伝わることがある。


言葉を超えて、感覚として、

実を結ぶ瞬間がある。



















作りかけの

「ギンギツネ」の姿を見た

大人が言う。



「これは、

 キツネっていうより、

 イヌか、クマですね」


子どもたちは、

これをキツネだと思って作っている。


「ギンギツネなのに、

 どうして黒なんでしょうね」


子どもたちが、

数ある布の中から

黒い布を選んで、貼りはじめた。


「キツネだったら、

 もっと顔もとがってて、

 耳も大きいんじゃないかな」


これは、

子どもたちの作ったもので、

ぼくの作品ではない。


だからこそ、

不格好でも愛らしい。


この先どうなるのかわからない。

このまま終わるかもしれない。


それでも、これはギンギツネ。


子どもたちが出した

ひとつの「こたえ」。

これはまぎれもなく

「ギンギツネ」なのだ。


0からつくる、

「こたえ」のない世界だからこそ、

子どもたちの選んだ「こたえ」を

尊重したい。














* * * * * *












6回目、最終日。


なんとか形になってきた、

ウマとギンギツネ。


最終日にふさわしく、

ギンギツネは「目入れ」という

場面を迎えた。


ビー玉かスーパーボールかで

迷っていたみんなも、

スーパーボールで作ることに決めた。


今度は色で悩んで、

やりながら決めることにした。


青や緑のスーパーボールを、

半分に割っていく。


6年生の女の子が、

持参のカッターナイフで

切ってくれた。


床に置いて、

ぐるぐると回しながら切るさまは、

小さなスイカを切っているみたいで、

おもしろかった。


何個か割って、

キツネの顔にあててみて、

最終的には黄色いスーパーボールを

貼りつけた。






鼻も目も、ボンドが固まるまで、

テープで仮止めをした。


「なんか、ミッフィーみたいだね」


などと言いながら、

麻縄でひげをつけて、ひとまず完成。














ウマのほうは、というと、

最終日のメインイベントとして、

「馬上げ式」を迎えることとなった。


足と胴と首、

ばらばらに作っていたウマの姿が、

ようやく全身像を見せるのだ。


大人4人と、たくさんの子ども、

みんなの手でウマを組み上げた。


見た目よりも軽く、

そしてしっかりとした安定感で、

ウマの姿が組みあがった。


その壮大さといったら。


もしかすると、子どもよりも、

大人たちのほうが

感激していたかもしれない。


ついに立ち上がったウマの姿は、

想像よりもはるかに大きく、

凛として、圧巻の姿だった。



























まるで現代っ子のように、

すらりとした

スタイルのいいウマだった。


みんなは鳥居のように、

ぐるぐるとくぐり抜けたりしていた。


ウマとギンギツネ。

並べた2匹といっしょに、

みんなで記念撮影をした。


ギンギツネは、

そのつもりはなかったが、

子どもだったら

乗れる強度に仕上がった。


構造部分を作っているとき、

ちょっと口出ししすぎたかな、

と反省もしたが。

しっかり目に作っておいて、

よかったと思った。


何より印象的だったのが、

「ギンギツネがいい」と

意見を出した子が、

完成したギンギツネをかわいがり、

まるでいたわるようにして、

最後までそばから

離れなかったことだ。


子どもは正直だ。


言葉より何より、

その姿が雄弁な「こたえ」だった。


またひとつ、

うれしい「感想」を聞けたようで、

安堵とともに、ありがたく思った。


ああ、やってよかったな、と。


みんなの笑顔に、

ほっとほおをゆるませた。


子どもだけでなく、

大人のみなさんも笑っている。


「最初はできるかどうか

 心配でしたけど、

 やればできるものですね」


そう言って笑う職員の方の顔は、

まるで子どものような笑顔だった。



























* * * * * * *




それぞれの「こたえ」。


ウマとギンギツネ。


それぞれの役目、役割。



「たのしい」に

決まった「こたえ」はない。

それぞれの形の「たのしい」があって、

それがそれぞれの「こたえ」になる。


今回、

たくさんお手伝いしていただき、

いろいろ学ばせていただいた

児童館のみなさんには、

すごく感謝しています。


「たのしい」の形。

「たのしめる」場所。

いろいろあるから、ちょうどいい。


マイノリティ、

などという言葉より前に、

パーソナリティがあるはず。


こたえを選べない環境では、

居場所だって見つけられない。


ぼくらの時代には、

それがなかった。


そんな言葉は、聞きたくない。




最後に、

ブルース・リー氏の言葉を引用して

終わりとさせていただきます。



" It is not how much you have learned

 but how much you have absorbed

 in what you have learned."


(どれだけ学んだかではなく、

 学んだことを

 どれだけ吸収したかが重要である)



"A few simple techniques well presented

 an aim clearly seen, are better than a

 tangled maze of data whirling

 in disorganized educational chaos."


(目的が明確に示された単純な技術は、

 混乱した教育の場で渦巻く

 もつれた情報の迷路より優れている)



" Walk on. "


(歩み続けろ)











< 今日の言葉 >


「自分は

 間とリズムを大事にしてるよ」


「へえ・・・。

 ていうか、マトリズムって、何?」



2024/03/01

ならんだ二人





* 



最後の手紙——。

もうこれが、最後かもしれない。


そう思って書いた手紙は、

無事、父の元に届けられた。



父の住所は知らなかった。

姉を頼って聞いてみると、

以前、お菓子を送ってもらった箱が

手元に残っており、

そこに住所が書いてあった!と

教えてくれた。


便箋5枚に書き綴った手紙。


動かない体で母を思い、

お金を届けてくれたことへの

お礼を書いた手紙だ。


余命2カ月。


父がその宣告を受けてから、

4カ月ほどの月日が過ぎた。


肺がんに罹った父は、

闘病生活を送っている。


いっとき、

自力で歩くことも

ままならない状態にまで

なっていたのだが。

なんとか杖1本で

歩くことができるまでに回復し、

動けるようになるとすぐ、

母のもとに顔を見せたのだった。


そのとき、心配した父は、

生活費の足しにと

母へお金を渡したのだと。

母の口から聞かされた。


手紙は、そのお礼だった。

おそらく、

いつもと変わらぬ感じの

「ありがとう」

で済ませたであろう母に代わって、

感謝の気持ちを文面で伝えた。


今しかないと思った。


もちろん、

そんなことはないのだが。

今書かなければ、

伝えられないことがあると思った。


だからどうしても、

手紙を出したかった。

メールでも電話でもなく、

手紙で気持ちを伝えたかった。


手紙には、

母のことへのお礼だけでなく、

これまで育ててもらったことへの

感謝も書いた。


闘病生活を送る父への

励ましの言葉も書き連ねた。



* *



父と母。


別に仲が悪いわけではない。


別々に過ごす生活が長くなり、

おたがい、離れているほうが

快適になってしまった。

ただ「それだけ」のことだ。


その「それだけ」の距離。

たった「それだけ」のことが、

二人にゆっくり隔たりをつくった。


離婚はしていない。

夫婦だから、いろいろある。

いろいろなことが、

たくさんあったことと思う。


息子のぼくからすれば、

父と母は

夫婦でも他人でもなく、

家族であり親である。


もろもろの事情はさておいて、

両親が仲よくしている姿は、

この上なく嬉しいことだ。



2018年、

父が脳卒中で倒れたとき。


いろいろ思った。


残された時間は、

過ぎ去った時間よりも

はるかに少ない。


その残り少ない時間のうちに、

どうにか二人が

笑顔で仲よくならんでくれたら。


一緒に暮らすとか、ゆるすとか、

そういう複雑なことではなくて。


ただ単純に、

心から笑ってほしかった。


二人ならんで、

心からの笑顔で笑ってほしかった。


何かの儀式や行事でもなく、

生活の一場面の中で、

二人がならぶ姿が見たい。

二人ならんで、

ふわっと心をゆるめてほしかった。

心と一緒に、

二人の顔もやさしくゆるんだ、

そんな姿を見てみたい。


それが、ぼくの夢であり、

目標のようなものになった。



* * *



母には再三言ってきた。

父への感謝を忘れず、

会ったときには、

きちんと言葉や態度で、

感謝の気持ちを伝えてほしいと。


父にもときどき伝えていた。

あんまり母さんを怒らないでと。


母は「どんくさい」ところがあるので、

いらちな父は

ちょくちょくおかんむりになる。


ぼくは、人が怒る姿が苦手だ。

家の中での怒声は、特に嫌だ。

たとえそれが「けんか」であっても、

怒鳴る必要は、ないように思う。


怒りは怒りをまねくし、

暴力は何も生まず、こわすばかりだ。


父は、暴力をふるったり、

暴言を吐くわけではないが。

押し黙る母に向かって

声を荒げる姿は、

幼心には「暴力」に等しく映った。


そんな父の勢いも、

病気や入退院をくり返すうちに、

少しばかりは丸みを帯びた。


対する母は、というと。

相も変わらずマイペースで、

人の話を聞こうとしない。



親とはいえど、

二人のことは、

ぼく自身のことではないので、

理想こそ思い描きつつも、

過度な期待はせず、

「こうなったうれしいなぁ」

といった程度に見守りつづけた。


会うたび一言二言、

あいさつのように、


「あんまり強く

 言わないであげてね」


「ちゃんと感謝を伝えてね」


と、しつこくもさりげなく、

二人にそれぞれ言いつづけていた。


しんでしまったら、

もう遅いから。


そうなっらもう手遅れで、

「そのまま」終わってしまうから。


そのまま残されたそれは、

もう二度と変わることなく、

ぼくの中で永遠に生きつづけてしまう。


そんなのは嫌だ。


もしも「子ども」を思うのなら、

何も残してくれなくていいから、

二人ならんだ笑顔の姿を残してほしい。


残された時間を使って、

二人に「宿題」を片づけてもらいたい。


ぼくは、ぼくのエゴで、

二人の笑顔を見たいと思った。



* * * *



思い立ったときから

5年ほど経った。


二人への「宿題」は、

いつしかぼくの「宿題」となり、

叶えておきたい「命題」となった。


2023年、秋。

父が余命2カ月と宣告されて。


そんな「宿題」のことなど、

頭から消え去っていた。


ただ、

少しでもいいから

父に伝えたかった。


今日まで育ててくれたことへの

感謝の気持ち。

これまで何の不自由もなく、

しあわせに暮らせたこと。

たくさん遊んでくれて嬉しかったこと。

いろいろ教えてくれて頼もしかったこと。

いろんな所へ連れて行ってくれて

楽しかったこと。

いろいろあっても、

父さんのことが好きだということ。


現実では、

なかなか面と向かって

言えなかったり、

うまく事が運ばなかったりするけれど。

ありがとうの気持ちだけは、

伝えておきたい。


もう、時間がない。


そう思って、

入院する父に手紙を届けた。


病棟の看護婦さんに渡して、

頭をさげる。


病院ではいろいろと

ご迷惑をおかけしてばかりの父で、

本当に面倒で厄介な

患者でしかないのだけれど。


それでも、父は父。


ぼくにとっては、ほかならぬ、

たった一人の父である。


かつてなら、

体裁や見栄ばかりが先立って、

本当の気持ちとちがった行動に

出てしまっていたはずだ。


2023年の秋。


できないことはできないけれど、

できることはしておきたい。


父を治すことも、引き取ることも、

何もできないから、

思いを書いた手紙を届けた。


大人になって初めて書いた、

父への手紙。


思ったことを、

思った通りにやってよかった。


最高の自己満足かもしれない。


けれども、

ちまたでよく言うあれで、

やらないで後悔するより、

やって後悔したほうがまし、

という選択。


初めての手紙は、

思った以上に、

父の心へ届いた様子だった。



* * * * *



そしてこの「2通目」の手紙。



これから家を出るぼくの耳に、

聞きなれた声が聞こえた。


父の声だった。


姉からの伝言もあり、

母にいろいろ

話すことがあっての翌日。


たまたま父が家に来た。


お膳立てのそろった

この「流れ」も、

なんとなくドラマめいていて、

家族劇場的な筋書きを感じた。


「ありがとう、嬉しい手紙。

 携帯、調子悪ぅてあかんから。

 手紙にしてくれてよかったわ」


手紙を読んでくれた父は、

となりに座る母の肩を抱いた。


「ほれ、見てみ。

 心配せんでも、仲よしやで」


照れくさいのか、

父は、背中向きのままで言った。


「ありがとう。

 手紙、嬉しかったで。

 お返事、書いてきたんやけど・・・

 あれ、どこいってもうたかなぁ」


ごそごそと、

財布の中を調べる父。


その背中は、

自分が見知った父の姿より、

ずいぶん白っぽい感じがした。


かつての父は、

4Bの鉛筆で描きなぐったような、

荒々しく、黒々と濃くて

太い線の持ち主だった。


目の前に座る父の背中は、

蛍光灯の白い光のせいもあってか、

2Hの鉛筆1本で描いたような、

薄く、白々として、

か細い線に見える。


すぐ横にならんで座る母も、

折れそうなほど先の尖った鉛筆で

さらさらと描いたように、

頼りない姿だった。


こんなに色がなく、

モノクロームになった

両親の後ろ姿。


骨ばって丸い背中は、

ぼくの知る二人の背中とは

ひどくかけ離れたものだった。


「あったあった。

 はい、お返事」


父が笑顔で手紙を差し出した。

封筒もなく、

四つ折りされた手紙には、

毛筆で書かれた文字が

おどっている。


「ありがとう。

 あとでじっくり読むね」


そこから少し、

がんばりや、とか、健康第一や、

病気になったらつまらんからな、とか、

そういう話になって。


歩けなかったときはしんどかったと。

ゆっくり父が語り始めて、

黙ってぼくは聞いていた。


余命2カ月と言われて、

2カ月間を過ごし、

そこからさらに2カ月経って。

父は、どんな心境なのか。


気になったというわけでもないが、

父の口が、自然と話した。


「怖いとかそういうのんはない。

 やり残したことも、ないしな。

 やりたいこともやったし、

 もう十分や。

 治るっちゅうわけでもあらへんし。

 ただ、がんと付き合ってく。

 それだけや」


肚(はら)はすわっている。


言葉だけでなく、

そんな決意のようなものが

感じられた。


もちろんそれは、

父の父らしいふるまいで、

言いながら自分に

言い聞かせているのかもしれない。


たとえそうだとしても。

以前には感じられなかった

「おだやかさ」のようなものが、

父を包んでいるのはたしかだった。


当たりの強い、いらちな父が、

ここへきてようやく

丸くやわらかになって、

いわゆる「常人」ほどの当たりに

なってきたのかもしれない。


ほんの少しではあるけれど、

まるで祖父のような

やさしい雰囲気がふわりとにおった。


「母さんのこと、よろしく頼むで」


父はそう言ってまた、

母の肩を力強く包んだ。


見た感じでは、

母はまだ変わっていない。


肩に乗せられた手に、母は、

戸惑い、少し迷惑そうな、

それでいて本気で

嫌がっているふうでもない、

子どもじみた「はにかみ」を

浮かべている。


そろそろ出かける時間だ。

部屋の隅からふり返ると、

父の笑顔があった。


「あやちゃんもとしくんも、宝物や。

 父さんたちの、宝物や」


「あやちゃん」とは姉のことで、

「としくん」というのは、

ぼくのことである。


宝物。


何もできない、

不甲斐ない自分だけれど。


宝物なら、

じっと黙っていても光を放つ。

ただそこに在るだけで、

まぶしい光を静かに放つ。


「気いつけて行きぃや」


「うん。父さんもね」


ふり向くとそこに、

二人の笑顔があった。


たとえそれが「うそ」であっても。


父と母の、

ならんだ二つの笑顔は、

ぼくにとって「宝物」だった。


去年、入院中のぼくを

見舞いに来てくれたときの、

二人の姿。


そのときに比べて、

華々しさも彩りも何もない、

ふだん使いの笑顔だけれど。

だからこそ尊い風景だった。


「子は鎹(かすがい)」


などとは言うけれど。


そんな強固なものには

なれずじまいだった。

細い糸くらいには、

なれただろうか。


父と母との過去をたぐる、細い糸。

なつかしい、あたたかな気持ちを

たぐりよせる、そんな糸には、

なれただろうか。


家族の糸は、切っても切れない。


いくつになっても、親は親。

いくつになっても、子どもは子ども。


父と母。


平凡じゃなかったからこそ、

見える風景がある。


ぼくは、父と母の、

二人ならんだ笑顔を忘れない。


何の効能もない、

つまらない日常の

一場面かもしれないけれど。

ぼくにとっては大きく、

心から嬉しい、宝物の風景だ。



墨(すみ)で書かれた父の手紙。

父からの手紙の結びには、

こう書かれていた。


『母さんを見守ってやってください。

 がんと共に生きる。

 もう寿命やと思っています』


悲しみではない何かに、

ぼくは、少し目を潤ませながら、

ハンドルを握っていた。


父からの贈り物。


お金よりもおもちゃよりも

嬉しい宝物。


子どものころに、

失くしてしまった宝物。


ずっとほしかった宝物を、

ぼくはもらった。


目の前になくても、

けっして消えない宝物。


ずっと心の中にあった、

塊のようなものが、

すうっと溶けてなくなったような、

軽やかで深遠な解放感。


ありがとう、父さん。


この宝物は、

誰にも奪えない。



うそみたいな世界だからこそ、

ぼくは、絵に描いたような

ドラマを信じる。


2024年2月28日(晴れ)


忘れないうちに、

忘れちゃいけない家族の劇を

ここに記します。



< 今日の言葉 >


「接続の『を』で『たてを』です」


父:建雄(たてを)の名前の説明