2008/10/28

時間


「家の前にある石」(2009)



部屋のなかに、見なれない、
いやらしい本が落ちてると思ったら、
大相撲の写真集だった。

最近はめっきりエロい本など
読まなくなったけれど。

かつて、
アダルトショップでバイトを
していたことがある。

もちろん、
純粋に「仕事」をするのが目的ではあったが、
その「未知の世界」に興味を抱いたのも事実。

男性向けの、いわゆる
「AV(アダルトなビデオ)」はもちろん、
セクシーな用途の「玩具」が
所狭しと並べられた店内で。

平日休日を問わず、
深夜2時過ぎまで働いていた。

店番は、基本的に
いつも1人きりだった。

気に入った写真のAVを
「面陳(ジャケットが正面に
 くるよう陳列すること)」したり、
ローションなどのアダルトグッズの
向きをそろえたり。

ホックの複雑さに苦労しながら、
セクシー下着をマネキンに
着せたりすることもあった。

手が空いたときには、
頼まれもしないのに
「POP」を作ったりした。

よさが伝わったのか、
おかげで手も出されずにいた商品が、
次々と売れるようになったりした。


仕事を始める前までは、
特別AVに詳しかったわけでもない。

アイドルを気どるつもりは毛頭ないが。
本当にそれまでは、アダルトビデオを
観ることもほとんどなかった。

当然、レーベル(制作会社)はもちろんのこと、
AV女優の名前もまったくと言っていいほど
知らなかった。


「××××の新作ある?」


などとお客さんに聞かれて、
店内を走り回りながら。

1人、また1人と
「彼女たち」の名前を覚えていく。

何千、何万本もありそうな
AVのジャケット写真を見ているうちに、
名前やレーベルのカラー(特色・傾向)などが
分かってきた。


さらに連日、
何百本ものビデオが店に届く。

その「商品」を
入荷・陳列していると、
少しずつAV界の「現状」が見えてきた。

しばらくすると、

「△△△のビデオ、どこですか?」

と聞かれて、移籍前の、
旧レーベル作品まで
頭に浮かぶ女優もいた。

本当に、気づいたら、といった感じで、
女優さんやレーベルの名前を
覚えてしまっていた。


その店を辞めたのは、
もう4年ほど前の話だ。


新しい職場で働きはじめ、
春がきて、夏がすぎ、秋がきて。

ふと、電車の中吊り広告に目が留まった。
週刊誌の広告だった。


『▲▲▲▲、初グラビア』


そこに書かれた「女優」の名前を見て、
はっとした。

彼女は、
アダルトショップで働いていたころには、
まだまだ新人の女優だった。

彼女の「デビュー作」を陳列し、
ポスターやPOPも貼った。

当時、
彼女は「セル初」といって、
販売専用のAV作品を、
ようやく撮ってもらえるようになった・・・と、
そんな位置にいた。

店長に聞いたところ、
「レンタル業界」である程度の実績が出なければ、
なかなか「セル専用」のビデオは
作ってもらえないという。
(※セル=SELL「売る」)

コンピレーションではなく、
単独での「セル」ビデオ。

特別な思い入れがあったわけではないが。
彼女のことは、よく覚えている。

だから、
電車の中吊り広告を見て思わず、


「おおっ、頑張ってるなぁ」


と、口のなかで
つぶやいてしまった。


この数年のあいだで、
着実に活躍の場を広げている
彼女の姿に。

親心のような気持ちと、
何ともいえない、
妙な感慨深さがあった。


この4年間で、
自分はどれだけ成長
できたのだろう。


いちばん上の、
小学3年だった甥っ子は、
来年中学生になる。

背も伸びて、
声も少し低くなった。


この4年間で、
自分はどれだけのことが
できただろう。


更地だった駅前の敷地には、
40階建てのビルができた。

それを追うように、
空に届きそうなほどのビルが
次々と建つ。


この4年間を、
きっちり4年分、
使い切ってきただろうか。


去年のスケジュール帳も、
その前の年のスケジュール帳も。

年が変わるとともに、
新しい1冊へと移り変わる。

空白の部分を残したまま、
また新しい空白を埋めていく。


時間。


1日は24時間で、
1時間は1分が60個集まって
できている。

時間は同じ長さでしかない。


けれども、
密度だけは自分で決められる。

それが「時間」。


寝ていても、起きていても。

映画を観ても、本を読んでも。

ぶらぶらしてても、じっとしてても。

削っていても、燃やしていても。


同じ長さの時間を、どう使うか。
時間を、何に変えるか。


目の前に並んだ、まだ見ぬ時間。
後ろに連なる、過ぎ去った時間。


数字ばかりが
幅を利かせる世の中ですが。

数字だけじゃ測れない、
濃密な時間を
積み上げたいものですね。


ちなみに今日は、
公園で拾った百個のドングリ
ひとつひとつに名前をつけて、
スタメン組と控え組とに分けて
1日を過ごしました。

毎日こんなふうに
有意義な時間を過ごせたら・・・。

そう。

いつでも真剣白羽取りです。


< 今日の言葉 >

ほんの少し、皆さんより長生きしている私お姉様は、ほんの少し、
物事も、見えてきたと申しましょうか、役に立てるのは、あなたしだい。
私のとっておきの知識を公開しちゃいましょう。
何事をするにも大切なことは、自分自身を知ることだよね。
そんな自分発見のちょっとした、きっかけになるんじゃないかな。
この豆本を、トゥール(道具)として、楽しんでちょうだい。
そして、あなたの妹達にもまた、伝えていってちょうだい。
それが、お姉様のお願いよ。

(『ものしりおねえさまの知恵袋』の序文/「はじめに」より)

2008/10/19

思いつき


「飛び出しちゃった」(2009)




先日、ふと思ったことがある。

それは「思いつき」についてだ。




思いついたことを「思いつき」に終わらせず、
実行に移していくと、
次から次へと新しいことを思いつくようになる。


逆に、思いつきを思いつきのままで放っておくと、
おもしろいことも浮かばなくなる。


もしかすると「思いつき」たちにも、
意思のようなものがあるのかもしれない。




司馬遼太郎氏の作品の中で、


「刀の刃は、抜きすぎても
(見せすぎても)威力がなくなるし、
 抜かなすぎるのも錆びて使い物にならなくなる」


というような言葉があったけれど。


たしかに。


何でも使わなければ、さびてしまう。


言うとおり、
思いつきだけに頼って生きるのは
危なっかしい気もする。


けれどもやはり、
綿密な計画を立てて、
計画どおりに生きるだけの毎日も、
何だか味気ない。



犬も歩けば諸星アタル。


光GENJIは諸星かーくん。



これも、思いつきを
そのまま書いてみた結果だ。


・・・やっぱり、
思いつきだけじゃあ
危険すぎる。





学生のころ、
「何でもやってみ隊」
という名のチームを結成していた。

とはいえ、メンバーは
僕を含めた3人。

僕以外の2人は女の子で、
うち1人は「補欠」という
何ともスカスカなメンバー構成だった。


この「何でもやってみ隊」
というネーミング。


言うまでもなく、
「やってみたい」という願望と
「隊」をかけているのだが。

それだけでなく、
「何でもやってみ体」
という具合に、
それが「体質」となることを
目的としていた。



思いついたことは、
何でもやってみる。

そんな基本理念の上に
成り立ったチームなのだ。



以前、『あだ名』(08年5月27日付)の項で、
自分が「リーダー」と呼ばれていることについて
書いたように思う。

あだ名の由来を
待ちわびていた奇特な方へ。

どうも、おまっとさんでした。
(キンキン風に)



僕がリーダーと呼ばれる
その由縁は、
この「何でもやってみ隊」の前身である、
「エンジョイ・ラッキー・スター」
というチームの「リーダー」を務めていたからだ。


正規の隊員1名、補欠1名という
小所帯の「リーダー」。

まさに、名ばかりの
「リーダー」でしかないのだが。

彼女らが呼ぶ
「リーダー」という呼び方が広まって、
自然とクラス内外での愛称となり、
次第にあだ名として定着したのだ。

そしていつしか、
初対面の人まで「リーダー」と
呼ぶようになっていた。



学生時代の友人と
海外に行ったときなどは、
ある意味、大変だった。

握手を交わし、
自己紹介をするとき。

僕の名前は、スズキとか、
タナカとかいった感じに
欧米で通った名前ではないので、
本名では、名字も名前も発音しにくく、
覚えにくそうだった。


そのうえ、友人たちが
すでに「リーダー」と呼んでいる。

そんなことも助けて、
「コールミー、リーダー」
という格好に落ち着く。

すると、
必ずと言っていいほど
返ってくるのが、


「リーダー?
 きみは社長なのかい?」


という質問だった。


僕のつたない英語力では、
「リーダー」というあだ名の由縁を
うまく説明することができない。

できたとしても、
説明するのがひどくバカバカしく思える。


その理由を伝えるでもなく、
軽くお茶を濁して終わっても。

どうしても気になって仕方ないという感じで、
あれこれ言い回しを変えながら、
聞いてくる人もいた。

このときばかりは、
口からでまかせに思いついた
「うそ」を織り交ぜながら、
その場をなんとか切り抜けていった。


こんなときにもやはり、
「思いつき」は役立つものだ。



話は戻って。


「何でもやってみ隊」の
活動内容は、というと。

本当に他愛のない
「思いつき」ばかりだった気がする。



アフロヘアのカツラをかぶり、
顔にドーランまで塗りたくって。

70年代風の黒人の格好をして、
電車の乗り込んだり。


トイレットパーパーに火を点けて、
その火よりも速く走れるかどうかを競ったり。


あるときはただ
「おいしいパフェを探し求める」とか言いつつ、
何軒かの喫茶店を回ってみたり。


風景画を描くために、
テントや寝袋まで持参して
小旅行をしたこともある。

絵に没頭するあまり辺りが暗くなり。

寝る所を探しまわったあげく、
何とか見つけた感じのいい場所に
テントを張って。

朝、目が覚めてみると
そこは畑の中で、
朝早く登校する小学生たちに
「いじられた」記憶もある。

好奇心旺盛な小学生

彼らの遠慮のない「制裁」に、
寝起きの僕らはなすすべもなく、
苦笑いするしかなかった。


「何でもやってみ隊」。


その経験が、
体質となって残っているのか
どうかは別として。



「思いついたことをやらないと、
 思いつきがかわいそう」



そんなふうに思った。


もちろん、躊躇なく
やってしまってはいけない種類の
思いつきもあるはずだけれど。

やる前に結果を
決めつけてしまう真似だけは
やめにしたい。



「食う前に、
 まずいって言うな」



これは昔、父が
よく言っていた言葉だ。


そんな「教育」もあってか。


20代後半になっても、僕は、
思いつきに対して「素直」だった。


どしゃ降りの雨を、
どうしてもシャワー代わりに
してみたくなった僕は、
素っ裸で外に出てシャンプーをした。

まだ肌寒い季節の
真夜中だったけれど。


バカな僕は、
風邪も引かずに頭を洗い終えた。





< 今日の言葉 >

ダイエーのエスカレーターでのこと。

「あたし、パンツが欲しいんだけど。
 ちょっと見てっていい?」

おばあちゃんの言う「パンツ」は、
本気の「パンツ(下着)」のことだった。