2023/07/13

Hi, Punk. [B面]:#1 再発








気胸(ききょう)。


それは、肺に穴があき、

しぼんでしまう症状である。


穴は、

自然にふさがることもあれば、

手術を要することもある。


自然治療で

一度ふさがったかに見えた穴が、

再び「空気もれ」を起こすことは、

ままあることらしい。


いわゆる「再発」。


「再発」の場合、自然治療ではなく、

病変箇所への「手術」が妥当である。



自然に治ったかに思われた、わが気胸。


退院してわずか8日目に、

それは起こった。



* *



5月24日、水曜日。


夜中にふと目を覚ましたとき、

肺に違和感をおぼえた。

うっすらとした記憶では、

息を、深く吐ききったときを境に、

左胸が「重たく」感じはじめた。


そのときはそのまま目を閉じ、

また眠りについた。



朝、ごく普通に起きて、

いつものように朝食をとり、

普段どおりにシャワーを浴びる。



入院前の数カ月、

左の肩が、痛かった。

あまりの痛さに腕があげられず、

服を脱いだり着たりするのも

つらかった。


いきなり、というか。

特に前兆もなく、

いつのころからか痛み出した。


四十肩とか五十肩とか、

そういうものがやってきたのかと思って

ようすを見ながら、

その痛みとつき合っていたのだが。

いっこうによくなる気配もなく、

痛みはずっとつづいていた。


左腕を針と見立てて。

時計でいうところの「12時」には、

とてもあげられない。

痛みを感じながら、

ゆっくり動かしてようやく「3時」、

「2時」までいくと、かなりきつい、

という具合で。

日常の動作のいろいろな場面で、

左腕に痛みが走った。


左胸の気胸と

関係があったのか、なかったのか。

それはわからないけれど、

退院後、気のせいか、

左の肩が軽くなっているように感じた。


あさっては、退院後初の「外来受診」。

退院後の経過を、

お医者さんに診てもらう日だ。


左肩の痛みで、

敬遠してきた車の運転だったが。

久々にエンジンをかけてみた。


思ったとおり。


エンジンは、かからなかった。


電車や徒歩で出かけるばかりで、

最後に車に乗ったのは、いつのことか。


ずっと乗らずに放置していた車が

すねてしまった。

・・・というわけではなく。

バッテリーが、

あがってしまったのだろう。


先代の旧車

(1971年式空冷ビートル)では、

乗らなくてもときどき

エンジンを回したり、

まるで犬の散歩のように

近所をぐるりと周ったりしていたが。


「新しい」車になってからは、

気になりつつも、

エンジンをかけることはなかった。


左肩の痛みもあって、

車に乗らなくなり、

気づくとそのまま

何カ月かが過ぎていた。


車庫の中で、動かなくなった車。


あわてずさわがず、

日本自動車連盟(JAF)に連絡する。



20分くらいして、

隊員の男性が来てくれた。


「バッテリーですね」


発電装置と車のバッテリーをつなぎ、

充電してみる。


すぐにエンジンはかかかった。

が、バッテリーが弱っており、

充電する力が

ほとんどなくなっているとのこと。


「見てください、

 バッテリーの側面が、

 ふくらんでるのがわかりますか?」


たしかに。

バッテリーの乳白色の容器の側面が、

ゆるやかな曲線で、

ふっくらとふくらんでいる。


「12ボルトのバッテリーだと、

 元気なもので、

たいてい10とか11とかですが。

 現状の電圧は、4.8ボルトです。

 これでは、エンジンを止めたとき、

 次にエンジンがかかるかどうか、

 かなりあやしい状態ですね」


そんなわけで。

そのままバッテリーを

新品に交換してもらった。


てきぱきと作業を進める隊員の男性は、

まるでお医者さんのようだと

いつも思う。


車のお医者さん。


いつもお世話になっている整備士さんも

ぼくには「お医者さん」の

ように見える。


パイプやコードが走る

エンジンルームは、

内臓器官部とよく似ている。


ケーブルは神経、チューブは血管、

パイプは気管みたいだなと。

整備士さんと話しながら、

そんなふうに思ったことがある。


ガソリンが血なら、

エンジンオイルは水。


エンジンは心臓。

規則正しくリズムを刻むエンジン音は、

鼓動だ。


空冷の旧車には、

キャブレターが2つ、ついていた。

それはまるで肺のようだ。


途中で「ツインキャブ

(キャブレター2つ)」から、

「シングルキャブ(キャブレター

1つ)」の「純正仕様」へ戻した。


キャブレターとは、

ガソリンと空気を混合し、

いい具合に燃焼しやすいよう

調整する場所だ。


現代の車では、キャブレターの役目を、

電子制御の機械が行なう。


エンジンへと送られた混合気は、

電気で火花を飛ばすスパークプラクに

着火され、

次々と爆発を起こして、動力に変える。


吸気、燃焼、爆発、排気。

そうやってピストンを動かしながら、

車は走っていくのだ。


・・・・車や機械には、

まるでうとかったが。


故障を重ねる旧車のおかげで、

車のことが、

ほんの少しばかりは

わかるようになった。


現在の、新しい車では、

自分でさわれる場所が

限られているので、

ほとんどの場合、

「車のお医者さん」に

任せることになるだろう。


そのぶん故障しにくくもあるけれど。

今回は、新しい車の、

「記念すべき第1回目のレスキュー」

だった。


作業の合間に、

隊員の方からいろいろな話を聞いた。

専門家の話を聞くのが好きなので、

ついついいろいろ聞きたくなる。


車の状態や程度を(「お世辞ぬきで」)

大絶賛してくれた隊員の男性は、

そのままオーディオの話をしてくれた。


男性は最近、

SENNHEISER(ゼンハイザー)の

イヤフォン(有線)を購入したそうで、

その音のすばらしさを熱く語った。


20万円台のそのイヤフォンの、

音の厚み、広がりと言ったら・・・。

いまは、そのイヤフォンで

音楽を聴くことが

楽しみで仕方ないと話してくれた。


男性は本当にうれしそうで、

聞いているぼくまで、

何だかわくわくするような気分だった。


「車、乗ってあげてくださいね。

 いろいろな場所へ、

 連れて行ってあげてくださいね」


「はい。大事に乗っていきます」


当初の目的を忘れるような時間が

なだらかに過ぎ、

隊員の方にお礼を言って、見送った。



あさってのために、

車の汚れを洗い流していると、

ちょっといやな感じがした。


息が、苦しい。

ちょっと動くと、息があがる。


なるべくゆっくり動いて、

作業を終えると、

部屋に入って聴診器を手にした。


左の胸の、音を聞いてみる。


音が、聞こえない。



2回目の「それ」は、

初めてのことではないので、

すぐに「それ」とわかった。



* * *



翌朝、すぐに病院へ行った。

朝一番に、母の車で駆けこんだ。


「調子が悪くなったので、

 1日早く来ちゃいました」


そう言うぼくに、

外科の先生が言ったひと言は、

短いけれど、それがすべてだった。


「すぐ入院! 

 2回目なので、今度は手術です。

 いいですね?」


さすがに今度ばかりは

予期していたことなので、

そのまま入院できる準備は

しっかりしてきた。


心のどこかで「思い残して」いたもの。

それは「手術」だった。


しなくていいなら、

しないほうがいいが。

何となく、心のすみで、

「したほうがいい」ような

気がしていた。


自然治癒ではなく、手術による治療。


自分としては、

「再発」が早くてよかったと思った。

「自宅療養」からの再入院。

やりたいことも、やるべきことも、

まだ何も、動かしていない。


いったん家に帰って、

メールや諸々の連絡をすませ、

それからの再入院なので、

流れとしては

とてもいいタイミングだった。


自然治癒では、

再発することが多いらしく、

いつまた気胸になるのかわからない。


どうせなら、しっかり「治し」たい。

心のかたすみでは、そう願っていた。


穴がふさがり、

手術が中止になったときに感じた、

複雑な心境。


それが、現実につながった。


ある意味で願いが叶(かな)ったと。

心の中で、そんなふうに思った。



そのときは、

まだそんなふうに思えた——。



先に起こる地獄の苦しみなど、

まったく予想すらしていなかった自分は

最初の入院とおなじような気持ちで、

のんきに、気楽にそう思っていた。



5月25日、木曜日。

うすぐもりの、白々とした朝だった。



* * * *



いろいろな処置をする前に、

まずはPCR検査ということになり、

別室の、ビニールテントの中で

待機した。


初のPCR検査。


しばらくじっと待っていると、

看護師さんがやってきた。


「それでは検査しますね」


まず体温を測り、

そのあと血中酸素濃度を測った。


血中酸素濃度の検査は、

その名のとおり、

血液に含まれる酸素量を測定する。

クリップ状の小さな機器を

指先にはさむと、

そこに数値が表示される。


『95:SpO₂ /56:BPM』


「95」というのが、

血液中の酸素の濃度。

「56」というのが、

心拍数(回/分)だ。


「95・・・。だいぶ下がってますね」


「普通、どれくらいなんですか?」


「じっとしている状態で、

 97とか98、それくらいが正常値です」


たしかに。

これまでに測ってもらったとき、

たいてい「98」だった。


「たった2とか3で、

 こんなに苦しいんですね」


「歩いたり動いたりしたら、

 95より、もっと下がりますよ」


なるほど。


体温は何となく感覚でわかるが、

血中酸素濃度は、まだわからない。


安静時で95という状態。

数字と自分の「息苦しさ」を

照らし合わせてみて、

その感じを覚えておく。


さて、いよいよ「検体」の採取だ。


検体とは、血液や体液、尿など、

検査をするために採る

「サンプル」のことだ。


PCR検査は未体験だったが、

身内や友人などから聞いていた。


「ジャンボメンボー」


まさにそう形容したくなる、

うそみたいに巨大な綿棒が登場。


それが、鼻の穴へと挿入される。


「右と左、どちらにしますか?」


「じゃあ、右でお願いします」


ジャンボメンボーがゆっくり迫り、

そのまま鼻の奥へと突っこまれていく。


すでに経験ずみで、

ご存知の方も多いかと思われるが。


思ったよりも、奥にきますネ。


想像のやや上をいく箇所まで

するりと奥深く進んだ

ジャンボメンボーは、

そのまま静かに引きぬかれた。


こういうのは、注射などとおなじで、

全身の力をぬいておくと、

比較的、楽に終わる。



<PCR検査・ジャンボメンボーの図>



今度は左の鼻か、と、

一人勝手に身がまえていたが。


「はい、おつかれさまでした。

 検査の結果が出るまで、

そのままお待ちくださいね」


そうか。


「検体」の採取だから、

片方だけでいいのか。

そんなことを思いつつ、

またしばらく、テント内で待つ。


いたずらに長く感じる時間に、

ふと、時計へ目を落とす。


再入院の今回、

腕時計をはめてきた。

オメガは手巻きだから、

寝ていても止まる心配はないけれど、

ごつかったので、

おじいちゃんの形見の金時計を

はめてきた。


金時計は自動巻きなので、

はめずに長く置いておくと、

止まってしまう。

それでも、

おじいちゃんの金時計は正確で、

1950年製造の古いものではあっても、

合わせた時間がくるうことは

ほとんどない。


金でもいやらしくない、

おじいちゃんの時計を、

「お守り」もかねてはめてきた。


病院に着いたとき8時台だった時間も、

いつのまにか10時になっている。


しばらくして

先ほどの看護師さんが戻ってきて、

明るい声で言った。


「お待たせしました。

 検査の結果、陰性でした」


むかしはこの「陰性」というのが、

「わるいほう」なのだと思っていた。

「陽性」のほうが、

明るくてハッピーな感じがするのに。

「陽性」でよろこんじゃ、

いけないんだよね。



PCR検査がすんで、

ようやく「自由に」

動けるようになった。


といっても、自力ではなく、

車イスでの移動だった。


別室で待っていてくれた母が、

看護師さんの説明を聞きながら、

ぼくの乗った車イスを押し進める。


まさか母親に、

車イスを押してもらうとは。


逆のことは想像しないでもなかったが、

母に車イスを押してもらうことなど、

夢想だにしなかった。


現在、病室がいっぱいらしく、

空き部屋ができるまで、

しばらく廊下のロビーで

待っていてくださいとのことだった。


待っているあいだ、母と話していた。


なんだろう、この不思議な時間は。


おだやかな時間だった。



母に車イスを押してもらって

頭に浮かんだのは、

小さなころ、

母の自転車の後ろに乗って、

近所へ買い物に行く風景だった。


スーパーマーケットや靴屋やとうふ屋、

パン屋やケーキ屋など、

幼稚園の帰りに、

あちこちめぐった記憶。


思い出せば一瞬だが、

ずいぶん遠い昔のことだ。


こうして病院のロビーで話す時間も、

何だかなつかしいような

気持ちになった。


入院や手術ということを忘れて、

ここが病院だということすら薄れて、

ただ静かに、

とりとめもないことを話していた。


どれくらいの時間か。

他愛のない話をしながら、

じっと座って待っていた。

車イスのシートは、

長く座っていると

お尻が痛くなってきたので、

待合いのソファに座りなおした。


母は、いつもどおりのんきで、

ときどき感心したり、

無邪気に笑ったりしていた。


この、何でもないようなひとときが、

実はすごく特別で、

かけがえのない時間なのかもしれないと

思った。



ときどき看護師さんが気づかって、

ようすを見にきてくれた。


「よかったらお昼ごはん、

 食べに行ってきてもらっても

 いいですよ」


もうそんな時間なのか。

時計を見ると、12時前だった。


「大丈夫です。大人しく待ってます」


それからほどなくして、

また看護師さんがやってきた。


「よかったです。

 ちょうどいま、お部屋が空きました」


母の押す車イスで、

エレベーターに乗って10階へ。


つい先日もおなじ10階だったが。

今度は「S」ではなく「N」だった。


南から北へ。


おなじ10階でも、「N」病棟は、

「S」と反対側に位置しており、

内科ではなく外科の病棟になる。



N1017。


部屋に着くなりすぐ、荷物を置いて、

おなじフロアの処置室へと向かった。


先回同様、

胸にチューブを入れるためだ。



ここN病棟にも、

S病棟とおなじ感じの

「処置室」があった。

先回とおなじく、

試合前のボクサーの

控え室のように見えるその部屋は、

こういった「簡単な処置」をするための

部屋だった。



若い男性のお医者さんと、

それを見守る、先輩の医師、

補佐役を務める看護師さん2名。

今回は全員、男性だった。


上半身裸になって、

ベッドに横たわると、

左胸への「胸腔ドレーン」の処置が

はじまった。


2回目ということもあり、

心の準備や段取りなど、

初回よりはくつろいで身を委ねた。


「すみません、

 お水もらってもいいですか?」


朝から動きっぱなしで、

気づくと、ここへきて初めての

給水だった。


看護師さんが、

冷たい水を持ってきてくれた。

見たことはあったが、初めて使った。

そのおもしろい形の容器に、思わず、


「魔法のランプみたいですね」


と、口に出したが。

看護師さんが、ぎこちなく笑うだけで、

誰も何も言わなかった。


<お水の容器の図>



「ありがとうございました。

 冷たくておいしかったです」


言葉をかけても、

あまり会話ははずまない。


会話が好きな人たちじゃないのかと思い

必要なこと以外、

口を開かないようにした。


例によって、体に、

清潔な紙のシートがかけられた。

顔をおおいつくして息ができない。

ただでさえ呼吸が苦しいのに、

マスクをしており、

さらに紙のシートが顔をおおって、

ほとんど息ができなかった。


おぼれる!


誰も気に留めないので、

勝手に顔の部分を折り返す。


ほっとひと息。


若いお医者さんは、

左胸に顔を向けたまま、

懸命に手を動かしていた。


「管の穴って、

 おなじ穴でいけますか?」


そう尋ねるぼくに、

先輩らしき男性が答えてくれた。


「はい、それで大丈夫です」


麻酔の注射が打たれた。

ふさがれた穴が再び開かれ、

処置が進められていく。


「それでは管を入れていきますね」


という感じで、

随時、声はかかるが、対話がなく、

少し一方向な感じだった。


2回目、ということもあり、

比べるでもなく、

無意識に「ちがい」を感じてしまう。

なるべく「白紙」でいようと

努めるのだが。

意識が勝手にそれを拾う。


引っぱったり動かしたり。

外科の若い先生は、

体の限界を知っているためか、

力がつよい。

その力づよさは、

物資的な感じがして、

少々「あらく」感じてしまう。


体を走る痛みに、

やはり「比べて」しまう。


内科と外科のちがいなのか。

女性と男性との差異なのか。


美容院と床屋のちがいのような。

そんな「力づよさ」が、

随所に見られた。


初回には感じなかった痛みに、

何度も歯を食いしばり、

声のない吐息をもらす。


「うん、そこ。

 そこでぐっと押しこみながら、

 開いていって」


先輩の男性が、

若いお医者さんに声をかける。


「そしたら、

この線まで奥に入れちゃって」


これは、

あくまで今回の処置の、

ぼく個人の所感だが。


内科の先生は、

患者と対話しながら進めていく。

外科の先生は、

体と対話しながら進めていく。


痛がる声を気にせず進めるお医者さんに

ぼくは、そんな印象を抱いた。


とにかく、

まあまあ痛かったり、

なかなか痛かったりで。


どちらかというと、

痛みにつよいと思っていた自分だが。

胸の奥をえぐられているような痛みに、

汗がにじみ、息があがった。


最後、管を留める処置。

チューブと体を糸で縫うのだが、

何度も糸が切れて、

何度か縫い直された。


「1号じゃなくて、

 0号の糸、持ってきて」


先輩の男性が言う。


若い先生は、その指示に従い、

0号の糸で縫い直した。

かなりつよく引っぱられたが。

0号の糸は、切れなかった。



そんなこんなで。

ドレーンの処置が、終了した。


時間は、20〜30分くらいか。

絶え間なくつづく痛みで、

実際の時間以上に、ぐったりつかれた。


「終わりました。

 起きてもらって大丈夫です」


ゆっくりと体を起こす。


胸の中の管が、

ものすごく深く入っている。

そんな気がした。


胸の奥に何かが

当たっているような感覚があったので、

医師の男性に聞いてみた。


「管って、

 どれくらいの長さが

 入ってるんですか?」


「だいたい20センチくらいです」


先輩らしき男性が言った。


20センチか。

けっこう深く入ってるな。


感覚的に、

先回よりも「深い」ような。


・・・いかんいかん。

何でも「比べて」しまっては。


お医者さんがやることなのだから、

それを信じるほかはない。


気のせい気のせい。



そんなふうに打ち消してはみたものの。


それは、

気のせいではなかったのだと思う。



地獄の苦しみのプロローグ(序章)。

これからつづく痛みの

オーバーチュア(序曲)。



医学や医療のことはわからないが、

自分の体のことは、

自分がいちばんよくわかっている。


もっと自信を持って、言えたなら。

もっと確証を持って、伝えられたら。


とにかく思った。


やはり「対話」は重要だと。



* * * * *



自室へ戻ると、

机に上に、歯みがき粉が置いてあった。


先回買った分では、

あと2日持つかどうかくらいだったので、

母に、


「今度は子供用じゃなくて、

 これを買ってきてね」


と、頼んでおいたものだ。


ありがたい。

今度はまちがいなく「大人用」だ。


歯みがき粉の横には、

メモ書きがあった。

コンビニのレシートの裏に、

書かれたメモだ。





『明日 また きます

 がんばってね 母より』


短かくても心のこもった

ありがたい「手紙」に、

黙礼をして、

ノートについたポケットにしまった。




1017号室。


部屋の間取りは、鏡映しのように、

先回の部屋を

まるっと反転した配置だった。





ベッドの右手が窓になり、

左手側に扉がくる。


だまし絵とか、

ミラーハウスみたいな感じで、

何だか変な感覚だった。


色は、先回のグリーン系ではなく、

ミモザ(暖色黄色)で統一されている。

ソファ、窓のカーテン、

目かくしカーテンも、あたたかい黄色。

こっちのほうが、色味は好きだ。


「アタマガ、アガリマス」


「アシガ、アガリマス」


という具合に、

ベッドのリモコンがしゃべる。



左胸のチューブにつながった

吸引マシンは、

『MSー008』から『MSー009』へ

バージョンアップ。


グレーのボディだったのが白へ、

パネル部分は青色になった。

何だかひんやりとした色合いだ。


<吸引マシン・MSー009の図>


チューブの位置が

正しいかどうかの確認のため、

レントゲンマシンがやってきた。


これは、先回もあったが。

ベッドにいながらにして

レントゲンが撮影できる、

すぐれた器械だ。


<ベッドにいながらレントゲンマシンの図>



撮影のため、背中に板をはさむのだが。

麻酔が切れてきたせいか、

ものすごく胸が痛かった。

自力で起きあがることができず、

ベッドを起こして体勢をつくる。


「アタマガ、アガリマス」


「もう少し、起こせますか?」


「アタマガ、アガリマス」


「はい、それでOKです」


激痛の中、撮影終了。


いい体勢を見つけて、

じっとしている分には大丈夫なのだが。

動くたびに、胸の奥に痛みが走る。


感覚としては、

先回よりも重い、鈍痛だった。

じっとしていても、それは感じる。


動くと激痛。

全身から力が抜けるほどの激痛に、

何かをしようという

気持ちが萎(な)える。


器械のタンクの泡は、

けっこう激しく出ている。


とにかく痛い。


左の胸の中心あたりが、

とにかくすごく痛かった。



5月25日 昼


ぎりぎりお昼ごはんをいただけた。


昨日の夕方、

17:30ごろ食べたきりだったので、

おなかがすごく減っていた。


鶏のうまい「お店」の、鶏が出た。




お昼ごはんを食べ終わったころ。


ドレーン(チューブ)の処置を

してくれた若い男性の先生が来られて、

今後の話をしてくださった。


「どうしますか」


という問いかけに、

手術をお願いする旨を伝える。


自然治癒での「治療」をくり返しても、

おそらく「イタチごっこ」に

なるのだから。

イタチの尻尾を見つけて、

つかんでもらえたら。


あとはお任せするのみ。


手術は、早くて月曜か火曜日。

外科としては、

いつでも準備ができているとの

ことだが、

麻酔科のほうが、

手術がぎちぎちの状態で、

週明けまでは動けないそうだ。


今日は水曜日。

月曜となると、4日はさむことになる。


とにかく、

そのときがそのときだ。


自分は、そのときを待つのみだ。




胸の痛みで、

ベッドから動きたくなかった。


そのくせトイレがやけに近い。


やりたいことは、いっぱいある。

心の中は、一人勝手に

忙しフェスティバルだ。


まずはトイレに行こう。



今回は、

チューブを留める

腰のテープの位置が高く、

パジャマズボンを上まであげられる。

それはとてもうれしいことだ。


A棟、10N。

1017号室。


何度も書いて覚えよう。

いや、もう覚えた。


看護師センターの、ななめ向かい。

それでもすごく静かに感じる。


ここは外科病棟。

おなじ病棟でも、

丸と三角くらいにちがう。

心なしか、看護師さんの男性の比率が

多いように見える。

ナースコールが鳴るのは

おなじだけれど、

数が、少ない気がする。



どんよりくもった空が、

明るい陽ざしを投げかける。


レンタルねまき(パジャマ)は、

1日112円。


この短期間で、

やたらと入院通(つう)に

なってしまった。



<<持ってきた物>>


・歯ブラシ   ・歯みがき粉

・シャンプー&コンディショナー

・メッシュタオル(体洗い用タオル)

・おはし   ・箱ティッシュ

・ノート   ・鉛筆、消しゴム

・ボールペン(BIC)

・スケッチブック(A5サイズ)

・替えパンツ(×3)

・替え靴下(×1)

・腕時計   ・iPod(&ケーブル)

・本(『ペルセポリスⅡ』)




眼下に広がる森の風景。

窓の外の景色が、

セントラル・パークみたいだ。


よし、

ここをニューヨークだと思おう。

ここはプラザホテル。

入口には、日本の国旗が

かかげられているということにして。



<木々のすきまに見える道路の図>



ベッドのリモコンと遊ぶ。


「アタマガ、アガリマス」


「アタマガ、サガリマス」


「アタマガ、サガリマス」


本当に、頭が、下がります。



白くて広い壁面に、

陽光が当たって明るい部屋だ。


ばちあたりのごくつぶし。


きっとまだまだ足りなかったのだろう。


いろいろなことへの、思いが。




14:00か。

時計があると、つい時間を見てしまう。

よし、今回は、

1日の流れと時間を記録しよう。


看護師さんが訪問。

痛み止めをいただき、

コップも貸していただく。


動くと痛いのは、つらいね。

動くのが、億劫(おっくう)になる。



看護師さんに聞いた。

洗髪は、火曜日だと。


え! 週に1日⁈


しかも6日後だ。



いろいろ「ちがう」。



紙が1枚、置かれている。

そこに、毎日の「記録」を

つけることになっているようだ。


ごはんを食べたあとの「記録」。

主菜・副菜をどれだけ食べられたのか。

10のうちどれくらいか、毎食書く。


6、9、14時の検温記録。

トイレ、大&小、

朝起きてから0時まで、

「正」の字で数を数えて記録する。


毎週金曜日は、体重測定(→記録)。



記録は以上だが。


記録用紙の末尾に、こう書かれていた。


「歩ける患者さんは、

 食事のあとのトレイを

『下膳車(かぜんしゃ)』へ

 片づけて下さい」


おなじ病院、

おなじ症状での入院でも。

ところ変われば、

いろいろ決まりがちがうものです。



胸の痛みに、ベッドで座って本を読む。


15:00ごろ、掃除の男性が来訪。


15:15ごろ、男性看護師さんに、


「ナースコール押しましたか?」


と、尋ねられる。



『自分自身に満足していなければ、

 この先満足するようなことなど

 できないのだ』

(『ペルセポリスⅡ』より)



そのまま何もなく、

16:00をまわった。

『ペルセポリスⅡ』は、

3分の1以上読み進んだ。


本当に、

かえって静かすぎると思うくらい、

静かな部屋だ。




空気もれの場所、

見つかるといいな。

どうせなら、

ばしっと完治するといいな。




10階のつながりがわかった。

ラウンジ(自動販売機のある休憩室)へ

行ってみて、はたと気づいた。


ラウンジは、

自分のよく知る「ラウンジ」だった。

それをはさんだ反対側に、

かつてお世話になった、

内科の病棟がある。


何だかもう「なつかしく」、

遠いむかしのことのように感じる。



『夜はよき預言者である』

(『ペルセポリスⅡ』より)



17:00、外科の先生の来訪。

引きつづき今回の「担当医」である

先生は、

風のようにふわりとやってきた。


手術は、月曜日の午前。


明日、母が来る予定なので、

そのことを伝えよう。



『この出来事を啓示と思うべきだ。

 過去と決別しなくては』

(『ペルセポリスⅡ』より)



わからないこと、知りたいこと。

じっとしていたって、

誰も教えてはくれない。


こちらからうごき、

こちらからはたらきかけなければ、

事は進まない。


待ってちゃだめだね。

こちらからどんどん聞こう。



* * * * * *



もうすぐ18:00。

「ごはんを待つ犬」の再来。


管の穴は痛むが、大きく息は吸える。

痛みはあっても吸うことができる。



窓からは、

広々とした森のような景色が見える。

広大な墓地を囲む森だ。


何年か前に、自転車で

その墓地の前を通りがかった。

見晴台のようなものが

あるという看板に、

森の奥へと進んでいった。


見晴台から見る景色は、

とても眺めがよく、

自分の見知った街が遠くに見えた。

そこから引き返すようにして

戻る道すがら、

一軒の家を見つけた。


森の中に、ぽつんと建つ一軒家。


家自体は、ごく普通の、

ありふれた感じの建物だったが。

木々がうっそうと

生い茂る森の中にたたずむその家は、

どこか奇妙で、

そぐわないように感じた。


もう誰も住んでいない家——。

廃屋だった。


その家から少し離れたところに、

別棟のような、小さな小屋があった。

何の気なしに小屋の扉を引っぱると、

思いがけず、扉の引き合いになった。


中に、誰かいたのだった。


いたというより、そこに「住んで」いたのだ。


足元には、

レンジで温める

パックのご飯の空容器が、

神経衰弱のトランプのように、

ちらばっていた。


たくさん並んだ

2リットルのペットボトルには、

水がなみなみと入っていた。

その水は、「猫よけ」のためではなく、

住人のための「生活用水」だった。


小屋から少し歩くと、

墓地の水くみ場がある。

小屋の住人は、そこで水をくんで、

いつでも使えるように備蓄していた。


小屋の住人との「引っぱり合い」は、

ほんの十数秒にも

満たないものだったが。

その短かい時間に、

いろいろ思い、いろいろ感じた。


そして、

ほんの一瞬ではあったが、

住人の腕と、

部屋の一部をちらりと見た。


いろいろな「物」が集められ、

積みあげられ、

袋や物が山のようになった室内からは、

昨日今日ではない、

何カ月、何年もの「歴史」が

感じられた。


そこには、

しっかりとした、生活感があった。



・・・・立ちならぶ木々の中、

遠くに見える見晴台の姿に、

ふと急に、そんな記憶を思い出した。


おたがい、

声もなく扉を引っぱり合ったあの瞬間、

腕に、生々しい「生(せい)」を

ひしひしと感じた。




5月25日 夕


賢明なる読者諸君は、

もうお気づきかと思うが。


この短かい期間に、

ごはんメニュー、

2巡目を食してしまった。


みそ汁が、やたらにおいしかった。

おろし煮も、すごくいい。




病室内、

iPodで聴く

『Downtown』(Petula Clark).。

窓の外が見たくなる。

やっぱり、街の灯がよく似合う。


イヤフォンで音楽を聴くのも

久しぶりだ。


コードやらチューブやら。

いくら技術が発達しても、

胸からつながるこのチューブは、

「無線」にはならないだろう。



『限界をこえた不幸は、

 笑うしかないのだ』


『恐れが人に良心を失わせる。

 恐れが人を

 卑怯(ひきょう)者にさせる


(『ペルセポリスⅡ』より)




20:30ごろ、

薬(をまちがいなく飲んだかどうか)と

左胸のカーゼの確認。


体を動かすと、

胸の中に入ったチューブも動く。

チューブが動くと、痛みが走る。


なので、

胸のチューブの根元をおおう

カーゼのテープを、

少しきつめに貼り直してもらう。


ゆるくて動く、

チューブの根元がひきしまり、

動きにともなう痛みがやわらいだ。



21:35ごろ、

『ペルセポリスⅡ』読了。


プレイリストの曲も、

ちょうど最後の1曲。


昨日、眠れなかった分、

今日はゆっくり寝よう。


母に感謝。

笑顔で笑いとばそう。


すべてが流れる。


深刻になって、今をくもらせていたら、

一度きりの今がどんどん色あせていく。


時は一瞬。

前にしか進まない。


大切な時間を、ゆたかに、

笑ってすごしたい。



22:00前(21:50ごろ)、

チューブ、根元の確認。


自然に笑顔のこぼれる、

はつらつとした看護師さんだった。


人に「いいもの」を与える力って、

すごい。







さて、いかがでしたでしょうか。


またしてもはじまった入院生活。

5月25日、木曜日。

長い第1日目が、終わりを迎えました。



『Hi, Punk.』[B面]


ノートに書きつづった生の言葉を、

なるべくそのまま

お伝えしたいと思っております。


とりとめのない記述と

なるかもしれませんが。


よければどうぞ、

最後までおつきあいのほど、

よろしくお願い申し上げます。



家原利明(ieharatoshiaki)



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< 今日の言葉 >


『心がビンビンにしびれたいんだろ。

 あたしだってそうさ。

 魂を真っ赤に燃やせるものなら、

 命なんてくれてやるさ。

 人形のように生きるなんて

 まっぴらだ。

 命根こそぎギンギンに生きたいよ。

 心はりつめて、体をはりつめて、

 ナイフみたいに生きたいよ。

 ・・・燃えつきたい。

 ごらん、ピカッと光った星になるさ』


(『ヤヌスの鏡』より)