2025/06/15

時代遅れの不携帯携帯電話




☎︎


2025年5月。


50歳にして初めて、

携帯電話を手にした。


訳あって、

持つ(使う)運びに

なったのだが。


この携帯電話は、

亡くなった父が

使っていたものである。


処分するでもなく、

しばらく手元に置いていて。

何か使い途はないかと

思案していたところ、

晴れて「通信用」として

使うことになったのだ。


携帯電話を

「通信に使う」なんて、

当たり前の話だと

お思いになるだろうが。


契約していない携帯電話は、

当然、誰とも電波が

つながっていない。


最初は

デジカメ代わりか、

音楽を聴くためにでも

使おうと思っていた。


けれど別に、

わざわざ携帯電話を使わなくとも、

用は足りていた。


ということで。


しばし眠ったままだった

携帯電話——。

やや年配者向けの、

スマートフォンである。


デザイン性より

利便性に重きを置いた顔つきの画面は、

何だか昔のファミコンのような感じがする。


それでも。


これまで一度も

携帯電話を持ってこなかった自分には、

何もかもが新しく、驚きの連続で、

ハイ・テクノロジーの代物に思えた。


もちろん、知人や友人、

母親の携帯電話などは

さわったことがあるのだが。


自分の物ではない上に、

今後持つとも思っていなかったので、

さして興味を抱く対象でもなかった。


ゆえに、

携帯電話の操作や事情などには、

まったくと言っていいほど疎かった。


とはいえ、

パソコンはずっと

使い続けている。

10代の頃から、

マッキントッシュと仲よしだ。


これまで一度も、

携帯電話を持ちたいとは

思わなかった。

思いもしなかった。


携帯電話があれば、と。

一瞬くらい思ったことは

あったかもしれないが。

公衆電話とテレフォンカードと、

固定電話とパソコンメールで

充分だった自分は、

ついぞ2025年まで

携帯電話を持たずに来た。


高校時代、友人たちに誘われ、

ポケットベルを持ってはみたが。

たいして便利だとも

必要だとも思えず、

3日と経たずにどこかへ消えた。


なくしたポケットベルを探すために、

自分で何度も呼び出しのベルを鳴らして。

気づくと3カ月ほど

料金を払い続けていたという、

ろくでなしの高校生。


そんな自分だから。


携帯電話も、いらないと思った。


世間よりも自分。

主義でも自己主張でもなく、

ただただ持つ理由がなかった。


元来、おしゃべりなぼくは、

持ち歩くことのできる電話なんて

手にしたら、日がな一日、

話し込んでしまうのではないかと恐れた。


人と会って話す以外は、

こうして画面と向き合って、

ぶつぶつひとりごとを言っているのが

ちょうどいいと、

そう思っていた。


けれど。


いろいろな状況が重なり、

絡み合い、撚り合わさって。


ついに、

携帯電話を

持つこととなった。


これは、

自分を知る人たちからすると、

事件級の出来事である。


しかし、

自分が携帯電話を

持ったという事実を、

ほとんどの人が知らないままだ。


なぜなら、

いわゆる「電話」として

契約しておらず、

使用目的以外の誰にも

連絡先を教えていないからだ。


初めてづくしのぼくは、

もののためしに、

契約なしのWi-Fi端末を購入した。


自分が選んだものは、

50GB(ギガバイト)で、

使用期限は1年。

「ギガ」がなくなれば、

10GBでも100GBでも、

いつでも買い足し(チャージ)

できるというものだ。


何のために自分が

携帯電話を手にしたのか。


それは、

アプリ(ケーション)による、

通話だった。


あえて「何」とは明言しないが。


おそらくぼくなんかよりも、

みなさんのほうがよくご存知の、

国内では約1億人ほどの登録者が、

積極的に使用している

アプリ(ケーション)である。



☎︎ ☎︎



手書きの文字は、

自分で思った言葉を、

自分の言葉で書き連ねる。


漢字も、送り仮名も、

辞書や書物などを開かない限り、

思違いや間違いを含めて、

すべてが自分の記憶と選択に

委ねられる。


パソコンなどの、

キーボードで入力する

文字、文章、言葉。


最近のパソコンでは、

変換や候補など、

意味も添えられて、

自動的に「言葉」が提案される。


提示された候補から

適宜、漢字やカナや、

表現したい、伝えたい語句を選ぶ。


この「予測変換」が、

自分のパソコンの持つ「学習」を上回り、

自分では思いもつかないような

言葉を提示する。


言うまでもなく。

これは「ネットワーク」の

おかげである。


広大なネットの海で

学習したAI(人工知能)が、

私たちにそれを提示するのだ。


生まれて初めて、

携帯電話と向き合って。


手書きやパソコンに親しんだ、

前時代的自分が感じた驚きは、

筆舌しがたい。


文字をタップすると

ずらりと並ぶ

語句(ボキャブラリー)の豊富さ。


まるで本棚に詰まった、

たくさんの書籍みたいに。

クローゼットに吊るされた

色とりどりの洋服よろしく。

さながらショーケースに並んだ

きらびやかな宝石のように。


たくさんの言葉たちが、

きらきらと箱詰めされて並んでいた。


『あ』


と、入力してみる。


すると、

以下のような語句が

ずらりと続いた。


あ。。。 アイテム

あの 甘え あ

愛 朝夕 安眠

アブラナ アスパラ

明日 ある 朝

あなた あるいは

あまり 雨 あれ

あと あまりに 相手

頭 ああ 味


・・・・といった具合に。


賢いもので、

何度か文字を打ち込むと、

使用頻度が高い、

よく使う語句たちが、

最上位にちょこんと座って、

じっと出番を待ちかねている。


おそらくみなさんには、

聞くのも退屈なくらい、

ごくごく日常的な、

当たり前の光景だろうが。


携帯電話を手にして数日の自分には、

パソコンとのシステムの違い、

根本的な「変換の仕方」の違いに、

少なからず衝撃を受けた。


もちろん、

自分で思う言葉を

一字一句、

入力することもできる。


けれど、

それでは「遅く」感じる。

ずらり並んだ語群から

「選んだ」ほうが

ずっと楽だし効率的だ。


特に、

リアルタイムのやりとりでは、

細かな表現よりも、

テンポや速さが優先される。


それは、会話に近い感覚で、

ちょっとしたニュアンスよりも、

軽やかで飾らない言葉の流れが

心地よかったりする。


手紙や文章とも違い、

メールともまた少し毛色が違う。

電話での会話とも、

直接の対話ともまた違う。



携帯電話は、電話である。

通常の電話はもちろんのこと、

ビデオ電話とかもできてしまう。


未来の映画の話じゃなくて。

この、薄くて小さな機器ひとつで、

世界じゅうどこにいても、

本当に通話ができちゃうんです。


とはいえ。


ぼくは、携帯電話を携帯していない。


現時点では、

持って歩くような予定はない。


手元に置いて、

着信があれば、取る。

または、かける。


話す、または、

文字での会話をする。


文字を打ち込む代わりに、

音声入力とやらを試してみると、

なかなか感度がよく、

ごつい指先でタップするよりも、

打ち慣れたキーボードで打つよりも、

はるかに早かった。


50歳にして、発見の日々。

挑戦と試行錯誤と、冒険の日々。


天国のお父さん、ありがとう。


ああ、ぼくは、

父さんの遺した携帯電話で、

今、生きた時間とつながっています。


初めて携帯電話で声を聞いた時。

なんだか信じられないくらいに

相手が近くに感じて、

時代遅れなぼくは、

ちょっと泣きそうになるほど

感動したりした。


テクノロジー。


思わず、

グラハム・ベルに思いを馳せて、

総務省をはじめ、

通信を支えてくれている

たくさんの技術者・開発者の方々に

感謝を抱いた。


「すごいなぁ・・・」


竹のフィラメントに

明かりが灯ったかのごとく。

声を耳に浴びながら、

一人、感激していた。


ほとんど

固定電話の子機とおなじく、

室内犬がうろつくくらいの

狭い範囲でしか話していないけれど。

おそらくたぶん、話しながら、

家の外にも出られるのだろう。


Wi-Fiの届く範囲なら、

・・・いや、

携帯電話よりも小ぶりな、

このWi-Fi端末を持ち出せば、

どこにいたって通話ができるのだ。


騒ぐようなことではない。


みんながこれまで、

日常茶飯事として

普通にやってきた、

携帯電話での「通信」である。


けれどぼくには、

魔法みたいだ。


こんな薄くて小さな器械で、

世界とつながっていることが。

声や、言葉が、

つながっていることが。


わかっていても、

魔法みたいに、不思議なことだ。



☎︎ ☎︎ ☎︎



携帯電話を携帯するのは、

まだまだ先のことになるだろう。


置きっぱなしの携帯電話。


不慣れなぼくは、これで充分だ。



ぼくは、不便さが、

嫌いじゃない。


不便の中にあるものとの

対話が好きだ。


辛抱。想像。期待。

学習。加減。調整。

齟齬。不具合。間違い。

記憶。忘却。創意工夫。


現代の利器も悪くない。


使い方次第で、

ゆたかになれる。


人類が火を使い始めたのは、

旧石器時代、

約180万年前から80万年前のこと。

——これを瞬時に調べられたのも、

現代の利器、

インターネットのなせる業(わざ)。


かつての時代に、

火を見て

忌み嫌う者もいれば、

間違った使い方をした者も

いたはずだ。


使ったからこそ、わかること。

使ってみて初めて、感じること。


新しいものや、ことは、

心がわくわくする。


下手でもいいから、大切にしたい。


自分が今、

なぜそれを手にしているのか。

大事なことを、見失いたくない。


温度もなく、

血の通わない器械に、

ぬくもりや息づかいを吹き込むのは、

使う人の心次第。


どう使うかという、

感性(センス)と智慧(ちえ)。


センスや智慧は、

情報ではない。

実体験の賜物だ。


情報収集による学習で

身につけるものではなくて。

実際に、体を使って、

肌で感じるものだから。


鉛筆を削って、

紙に文字を書くことを。

紙に書かれた文字を読むことを。

空の下で、

草の匂いとか

コンクリートの匂いを

思いっきり吸い込んで、

走って転んで汗をかいて、

はあはあと息切れする感覚を、

どきどきする血の巡りを。

死ぬ瞬間までずっと感じていたい。


選択肢は無限にある。


用意されたものだけでなく、

自分だけの選択肢を、

自分でつくり出すことも。

数ある選択肢のうちのひとつだ。


意識の視野が

小さく薄く切り取られて

狭く軽くならないよう、

目の前にある、

現実の景色を見つめていきたい。


犬は、

携帯電話を持っていない。

それでも犬は、生きている。

全力で、まっすぐ、生きている。


ぼくは人間だ。

携帯電話を持った、人間だ。


犬のようには生きられないけれど。

犬みたいには、生きられる。


抗うことなく、

流されることなく、

たゆたうように。

すべてを受け入れ、

受け止めて、

心から今を楽しんでいきたい。


生きる、ということを、

全力で楽しむ。


死ぬ時の最期の瞬間まで、

生きることしか考えない。


今さら手にした、携帯電話。


父の形見の携帯電話を手にして。

ぼくは、そんなことを思ったりした。



☎︎ ☎︎ ☎︎ ☎︎



朝起きると、

携帯電話に何通かの着信があった。


あわてて返事を打ち込む

ぼくの手は遅く。


  

い  あ  え

   お


文字の配列、

子音の配置を頭に描き、

懸命に文字を入力していく。


まるでニュータイプの

パイロットのように。


「遅い!

 携帯が自分の動きに

 ついてこない!」


などと嘆いてみても。


遅いのは、

思考に追いつけていない、

自分の手の動きである。


遅すぎる入力におろおろしながら、

朝食も摂らずに返信を重ねていると、

さすがにお腹が減ってきた。


ぼくの、不携帯携帯電話の「常識」は、

まだ「その場でじっと向き合う」という、

前時代的、デスクトップ・パソコン的な

範囲にとどまっている。


ということもあり。


ぼくは、手近にあった

『キャベツ太郎』を手に取り、

ぽいぽいつまみながら携帯をいじった。


お菓子まみれの人差し指ではなく、

中指での入力。

不慣れな文字入力は、

輪をかけていい加減なものになり、

誤字や誤送信をくり返した。


と、無意識に

いつもの人差し指を使っており。

気づくと画面は、

緑のアオサと、

細かなコーン粉末、

そして、ぎとぎとぎらぎら、

べったりとした油にまみれてしまった。


おかげで画面がつるつる滑り、

さらに意図せぬ誤字脱字が増え、

よくわからない文面を送信していた。


携帯歴0年。


50歳にして、

スナックまみれの

携帯画面に向かう自分を、

草葉の陰から

父はどう見ているだろうか。


そんなことより。


ぼくは今、

不携帯携帯電話での通信を、

毎日、楽しんでいる。


おもちゃを手にした

小学生みたいに。


驚きと、感動と、喜びを胸に。


紙やインクや声の代わりに。

電波と音とギガを使って、

交信している。


はたして50年後には、

何を使って交信するのか。


未来の現代人の通信を、

草葉の陰から、そっと見守りたい。



< 今日の言葉 >


『いいかい、

 あれはおてんとうさまの

 することだ。

 山におやすみをいいながら、

 じぶんのいちばん

 きれいな光を投げてやるんだよ。

 あしたまたくるまで、

 おぼえててくれよ、ってな』


(『ハイジ』ヨハンナ・シュピーリ/

 アルムじいさんがハイジにした「夕焼け」の説明)

2025/06/01

踊り続ける母の葛藤




 *


母は、

幼少の頃からずっと、

日本舞踊を習ってきた。


踊りの名前は、花柳胡蝶花。

胡蝶花と書いて「しゃが」と読む。


母の父が、

大学の教授からもらってきた

名前だという。


冒頭の写真が、胡蝶花の花だ。


庭に咲いた胡蝶花を、

母が摘んできた。


* *


母が、

踊りの「おけいこ」に行ったのは、

久々のことだった。


カルチャーセンターでの、

日本舞踊のおけいこ。


4歳からずっと、

日本舞踊を続けてきた母は、

結婚後、しばらくしてまた、

踊りのおけいこを再開した。


平成8年(1996年)からだと

いうことなので、

今年で29年目ということになる。


結婚前の期間を足せば、

50年余にもおよぶ。


名取である母は、

習うまでもなく、

教える側にもなれるのだが。


教えるのではなく、

ずっと「習う」側だ。


母はただ、踊っていたいのだ。

母は、踊りが大好きだった。


母が「おけいこ」に行ったのは、

本当に久しぶりだ。


父が死んでからは、

初めてのことだった。



* * *




月謝ばかり払って、

まったくおけいこに

行かなくなった母を見て、

ぼくは少し、憂慮していた。


行くのも、行かないのも、

母の自由だ。


けれど、

数カ月分まとめて支払う

月謝(講義料)を見たとき、

決して安いとは思えなかったので、

行くなら行く、

行かないのなら月謝を払うのを

やめたほうがいいのではと、

気を揉んでいた。


何歩か譲って、

何千円ならまだしも。

3カ月で数万円の月謝を、

まったく行かないまま

支払い続けることには、

いつか区切りをつけるべきだと

思っていた。


あるとき、母に聞いた。


「母さん。

 踊り、もう行かないの?」


「うん? 行かないことないよ」


「最近全然行ってないから。

 もうやめちゃったのかと思って」


「このまえ休んだだけで、

 あとは1回も休んだことないよ」


嘘である。


嘘というより、

それは母の思い込みで、

事実はまるで違っていた。


昨年8月からの8カ月。

母は、一度も「おけいこ」に

行っていない。


着物で出かけるのが

ちょっと暑くてしんどい、とか、

ちょっと風邪で洟(はな)が出るとか、

肩が痛いとか、脚が痛いとか、

聞くでもなく、毎回、

違う「いいわけ」を口にするのだが。



結局のところ、

母は一度も「おけいこ」には行かず、

ずっと休んだままだった。


おけいこのある月曜日。

昼下がりに母は、電話をかける。


「・・・ちょっと

 体の調子が悪いので、

 今日のおけいこは

 休ませてもらいます。

 すみません、

 よろしくお願いします」


毎週、決まって、

そんな声を聞いた。


月謝がもったいない。

それなら、

もっと別のことに使えばいいのに。


夕食どき、

母にしっかり聞いてみた。


「母さん、踊り、どうするの?

 母さんね、去年の8月から

 1回も行ってないよ」


「そんなことない。

 母さん1回も

 休んだことなんてない」


4歳からずっと続けてきた日本舞踊。

母自身も、それを誇りに思っていた。

反面、もう充分かな、とも言っていた。


「もう、歳も歳だし。

 何十年もやってきて、

 今さら習うとか

 そういうこともないから。

 先生もそろそろいい歳だし、

 教室、やめるかもしれんって

 言っとった。

 なんていうの、

 その、そういうの・・・」


「潮時?」


「そう、それ!

 そろそろ潮時かもしれん。

 最初っからずっと続けとるの、

 母さんだけだし。

 最初は、なんていうのか、

 『サクラ』みたいな感じで、

 母さんとほかの何人かが入って

 やっとったんだけど。

 みんなすぐにやめてった」


踊りの先生は、

日本舞踊を習っていた教室の先輩で、

母より5つ歳上だ。


今年80歳になった母は、

古株というだけでなく、

最年長の生徒でもあった。


あとの生徒さんは、

70代、60代、といった感じらしい。


『1回も休んだことない』


はじめは、

どうして「嘘」をつくのかと

思っていたが。


罪悪感のようなものが、

はたらいているのか。


それとも、

「きっかけ」が

見出せずにいるのか。


母の生真面目な気質を鑑みて、

なんとなくだが、

その心情が理解できた。


ちょっとしんどい。

そろそろやめようかな。

けど、4歳の頃から今日まで、

ずっと続けてきたし。

(実際には

「ずっと」というわけではないが。

 母の中では「中断期」を含めて、

 今日までずっと、踊りの糸は、

 切れることなくつながっている)


先生にも悪いし。

みんなと会えなくなるのも

寂しいし。


どうしよう。

そろそろ「潮時」なのかな。


着物着て支度して、

行って帰ってくるだけで疲れるし。


もう、いいかな。

4歳からずっとやってきたし。

踊りのおかげで足腰も丈夫で、

今日まで元気に

やってこられたんだから。


踊りやめても、

ラジオ体操とかやればいいよね。

毎朝やってるから。

肩が痛くて、

腕が上がらなくなってきたけど。

ラジオ体操なら、できるから。

体操してれば、いいよね。


・・・・と。


母の口からこぼれ落ちた、

今日までの言葉を手繰り寄せると、

ゆれ動く心模様が透けて見えた。


母は、迷っている。


後ろ髪を引かれる思い。

やめたいという気持ち。

やめようかなという思い。

どうしようかなという逡巡。


ずっと続けてきた「習慣」を前に、

母は、いろいろな角度で、

いろいろな方向から

引っぱられているふうだった。


どうしたらいいのかわからず、

がんじがらめで動けない。

そんなふうにも見えた。


ぼくは、母に言った。


「行かないんなら、

 月謝がもったいないかなって

 思ったけど。

 言うだけのこと言ったから。

 あとは母さんの

 好きにしたらいいよ。

 気の済むまで行くもいいし、

 このままやめるもいいし。

 もしやめたら、

 おつかれ会やってあげるよ。

 うなぎでもケーキでも、

 母さんの好きな物、ごちそうするよ」



数日後、母は、

先生に電話をした。


携帯ではなく、

自宅のほうに連絡したらしく、

どうやら先生は不在で、

母のことをよく知る

娘さんが電話口に出た。


というのも、

やや耳が遠くなり、

音量が大きくなった母の声が

壁床天井を越えて

筒抜けだったおかげで、

会話の内容が手に取るように

わかったのだ。


「どうも長いあいだ

 お世話になりました」


たしかに、

そう言うのを聞いた。


とうとうやめるのか。


寂しいような、

ほっとしたような。


長いあいだ、おつかれさま。


労いの気持ちが、

湯気のようにゆらめいた。



* * * *



4月半ばの月曜日。


母の部屋から、

樟脳のにおいが漂ってきた。


母が、着物を着ている。


やめたんじゃ、なかったのか。


何も言わずにぼくは、

母が出かける気配を、

匂いと音で感じていた。


久しぶりに母が、

出かけて行った。


買い物ではなく、

着物を着て

おけいこに出かけた。



日が傾いて。

窓の外が、真っ暗だった。


夢中になっていた手を止めて、

時計を見てみた。


夕食の時間は、

とうに過ぎている。


母は、まだ帰らない。


ご飯の支度でも

しようかと思ったが。

あれこれしているうちに、


「ただいまぁ」


という声が聞こえてきた。


おけいこで遅くなる月曜日には、

母に代わって、

晩ご飯を作ったこともあるが。


台所に、母がやりかけた、

晩ご飯の準備が置かれているのを見て、

そのまま母に任せることにした。


きっと母は、

自分でやりたいのだと。

自分でやり通したいのだと。

そう思ってぼくは、

静観していた。


「ごめんね、遅なって」


お腹はぺこぺこだったが。

待っていてよかったと思った。


なつかしい、

元気な母の姿があった。


母の顔は、

すごく楽しそうで、

きらきらしていた。


「もう、街行ったら、

 つっかれちゃった。

 みんな忙しそうにしとるね。

 黒い服着て、しゅっとした人とか。

 地下鉄は本当、階段が多いねぇ。

 母さん、転ぶと怖いで、

 手すりにつかまって

 隅っこのほうをゆっくり歩くもんで。

 みんな、ちゃぁっと抜いてくんだわ。

 たくさん人がおるねぇ、本当に」


晩ご飯の支度をしながら、

母が楽しげに語る。


言葉より何より。


楽しかったんだな、

という気持ちが、伝わってきた。


それでもぼくは、聞いてみた。


「今日、どうだった?

 久しぶりに行って、楽しかった?」


「うん。

 みんなに会えて、楽しかった。

 やせた人とか、太った人とか。

 2キロもやせたんだって。

 えらい細なっとった」


主語のない話題が、

誰のことを言っているのかは

わからなかったが。

楽しげに話す母を、

微笑ましく見ていた。


「一人、男の人がおって。

 その人が、

 えみちゃん、えみちゃん、

 元気だった? って、

 聞いてくるんだわ。

 あの人、一人だけで

 女の人の中に混じって。

 女きょうだいの中で

 育ったみたいだで、

 そういうの、なんとも思わんのだね。

 すうっと入ってきて、なじんどるもん。

 今日なんて、

 長いストールみたいなのを

 首に巻いてきて。

 みんなに巻き方が違うとか

 なんとか言われとった」


「何色のストール?」


「オレンジとか紫とか、

 いろんな色の、柄のやつ。

 ジョーゼットみたいな、

 ふわっとした生地」


「服は、何色なの?」


「カッターシャツみたいな、

 青いシャツ」


「上着は?」


「こんな色」


母が、青磁色の器を指す。


「へえ、センスあるね」


「そうなんだわ。

 あの人、おしゃれなんだわ。

 何やっとる人か知らんけど。

 自分で何かやっとるんじゃないかな。

 時間の自由がきくみたいだで」


ちなみにパンツ(ズボン)は、

グレーだそうだ。


この人の話は、

以前からちょくちょく聞いていた。


会ったことはないのだけれど。

なんとなくぼくは、

その人のことが好きだった。


「みんなでちょっと

 お茶してきたもんで。

 そんで遅なったんだわ。

 ごめんね、悪かったね」


「全然いいよ。

 よかったね、楽しめて」


「楽しかったぁ。

 たまには街に出ないかんね。

 家におってばっかりじゃ、いかんね」


「そうだね。

 今日はぐっすり眠れそうだね」


「毎日ぐっすり寝れとるけどね」


「今日はゆっくりお風呂に入って。

 ゆっくり休んでよ」


ご飯を食べ終わり、母に聞いた。


「片づけ、やろうか?」


「いいていいて。何言っとるの。

 母さんの仕事」


『母さんの仕事』


母の言う「仕事」とは、

母が存在する意味でもある。


それを、奪ってはいけない。


母さんが「母さん」であり続けるための、

「仕事」なのだから。

取り上げてしまったら、

母は、母でなくなってしまう。


御年80歳の母は、

79歳の時よりも、75歳の時よりも、

若々しく見える。


数字は所詮、目盛りでしかない。


今の母は、かつてよりも若い。

それは母が、

生き生きと「生きている」からだ。


ぼくは、

母から「仕事」を奪いたくない。


そして、思った。


母から「踊り」を奪わなくて、

よかったと。


明るい母の笑顔を見て、

頭ではなく、

心に従うことの大切さを、

あらためて教えてもらった。


「母さん。

 踊り、気がすむまで続けたらいいよ。

 85歳でも何歳でも、

 好きなだけ続けたらいいよ」


行くも休むも、続けるもやめるも。

母が決めることだ。

いくら家族であっても、

「他人」が口出しすることではない。


たとえ来週、

母がまた「仮病」を使って休んでも。

母がそう決めたのなら、それでいい。

心の赴くまま、

したいようにすればいい。


おそらく父なら、

口を出すだろう。


けれどもぼくは、父ではない。

ぼくは、ぼくだ。


ばくは、

母が笑っているのが、

いちばん嬉しい。



母にはたくさん教えられる。

本当にいい教材を、たくさんくれる。

ぼくに足りないものを、

母がいつも教えてくれる。


ありがとう。


何ひとつ立派なこともできず、

母を安心させてあげることもできず、

心配ばかりかけて、

歳だけ重ねてきた自分だけれど。


母を笑顔にすることができるのも

自分だということに、

最近ようやく気がついた。


特別なことじゃなくて。

物やお金なんかじゃなくて。


もっと些細で、目には見えない、

小さくて身近なものなんだと。


おしゃべりすること。


いいよ、という気持ち。


笑顔でやさしく見守ること。


一緒にご飯を食べること。


子どもみたいな顔で、

楽しげに笑う母。


惑う心を、母の笑顔が、

すすぎ清めてくれた。


「最近、お茶とか高くなったねぇ。

 自動販売機のペットポトルも、

 170円とか180円とか

 するようになったね」


たとえ母が、

ペットボトルのことを、

ペットポトルとか、

ポットベトルとか言ったとしても。


ぼくの心は、もう迷わない。


いくら現実的で、

世間的には賢明な選択だとしても。


小難しい話より、

ぼくは、笑顔が好きだ。



< 今日の言葉 >


音楽をかけて

計画をねりねり


(『ワンルーム・ディスコ』Ferfume)