2024/08/01

ラジオ体操とドッジボール

『動物人間』(2008年)


 *


夏休みになると、

町内でラジオ体操が催された。


毎朝6時半ごろだったか。

大学のグランドの脇、

ふだんゲートボールなどに

使われている、

小ぶりな広場が会場だった。


角に穴の空いた

スタンプカードは、

思い思いの紐が通され、

首から提げられる。


そのまま体操をすると、

うつむき、

大きく胸を広げる動きなどで

腕が引っかかり、

「プン!」

と角の穴が裂け、

紐から外れてくるくると

飛んでいってしまったりする。


毎日毎日、

健康のためというよりは、

『出席』のスタンプを

押してもらうために

参加していたラジオ体操。


夏休み最後の日には、

参加した日数に応じて、

皆勤賞やその他諸々の

「景品」がもらえた。


そう。

完全に「物」に釣られていた。


町内会長の手腕に左右されたが。

かつて教育関係の仕事に

就いていた会長さんは、

交友関係や顔も広かったようで、

ラジオ体操の「景品」が

充実していた。


電話の形をした貯金箱。

色鮮やかな鉛筆や消しゴム。

おもしろい形の透明な定規。

かわいい絵柄のメモ帳や

ノートなど。

きちんと毎日体操すると、

紙袋いっぱいの景品が

もらえた記憶がある。


どれもが企業の名前が銘打たれた、

いわゆる「ノベルティ」

ばかりだったが。

逆に言えば、

お金で手に入らない物でもあった。



朝6時。

父、または母に揺り起こされる。


きっちりしいで厳しい父に代わり、

甘甘でのんきな母は、

目をこすりながらぐずる

ぼくに変わって、

ぼくのスタンプカードを持って

ラジオ体操の会場へ向かう。


自分の代わりに、

ぼくのカードにスタンプを

もらうのだ。


母は、継続することが得意な人で、

ラジオ体操などの行事を

苦にも思わず、

むしろ楽しんでやる人だ。


いくら母似のぼくも、

朝起きるのだけは

どうも苦手だった。


頑張って早起きするのだが。

どうしたってカードの押印が

歯抜けになった。


姉は、きちんと毎日行っていた。

目が覚めてひとりだと

気づいたぼくは、

あわてて身支度をして、

ラジオ体操の会場へひた走る。


「ご、ろく、しち、はち」


締めくくりの深呼吸で

滑り込んだ日が、

小学生の数年のあいだに、

何度となくなった。


飼っていた犬の『レオ』を

傍につないで

体操したこともあった。


寝癖で半目のまま、

その場で跳躍したこともあるし、

途中で雨が降って

中止になった日もあった。


それでも、

スタンプのために、

ひたすらラジオ体操をした。


砂の地面と、

木の棒杭に巻かれた太い針金の柵。

ポータブルスピーカー、

プレハブの事務所。

ひんやりした朝のアスファルトと

蟬しぐれ。


そんな景色が

ぼくのラジオ体操の風景だ。



* *



引っ越して間もないころのぼくは、

学区内にほとんど

「友だち」がいなかった。


通っていた幼稚園も、

学区からは少し遠い

幼稚園だったこともあってか、

見知った顔はまるでない。


・・・自分の記憶ちがいでなければ。


たしかそれは、

大学のグランドで、

ソフトボール大会か何かの

町内行事が終わったあとのことだ。


夏休みの日曜日。

引っ越してきたばかりと

いうこともあり、

顔出しも兼ねて、

父に連れられ町内行事に参加した。


大会が終わり、

道具や機材を

大人たちが片づけだすと、

広々としたグランドの片隅で、

ドッジボールが始まった。


年齢層は、

小学校低学年から高学年くらいで、

幼稚園児はいなかったように思う。


幼稚園児のぼくは、

グランドで始まったドッジボールを、

何となくぼんやりと眺めていた。


すると突然、

ひとりの大人が紛れ込んだ。


誰もが戸惑うなか、

ぼくにはすぐわかった。


それは、父だった。


恥かしさと

申し訳なさいっぱいで、

それでも目が離せずに、

ぼくは「他人のふり」をして

黙って見ていた。


いきなりの

闖入者(ちんにゅうしゃ)に、

お互いの顔を見合わせていたみんなも、

次第に打ち解けるふうにして、

ドッジボールを楽しみだした。


父は、

運動全般が得意な人だった。

おもしろい投げ方や、

曲芸みたいな受け方を披露したり、

圧倒的な技を見せたので、

たちまちみんなの「人気者」になった。


それでもぼくは、

恥ずかしかった。


どうして「子ども」に混じって、

本気になって

ドッジボールをしているのかと。


どうかぼくに

声をかけませんように。


心のなかで念じる思いとは裏腹に、

父は「おーい」とばかりに

手を振った。

芝生の斜面に座る

ぼくに向かって、

大きな体で大きく手を振った。


たくさんの視線が

ぼくに向かって注がれる。


穴があったら

逃げ込みたいほどの衝動に、

ぼくはおろおろと

視線を泳がせた。


「としあきー!」


父はぼくの名を呼んだ。


もう、逃げられなかった。


おずおずと重い腰を上げ、

未練がましく尻の砂を払ったあと、

観念したように

とぼとぼと足を進めた。

父と、

たくさんの「子どもたち」が

待つその場所へ。


「うちの子や」


父がぼくの肩に手をまわす。


思いほか、

きらきらとした目が

ぼくに注がれた。


「仲ようしたってな」


みんながぼくを見ていた。

ぼくもみんなを見ていた。


「そしたら、また」


父はぼくを連れて、

グランドをあとにした。


空には赤い太陽が

浮かんでいた。


家に向かう道すがら、

ぼくは父に聞いてみた。

どうしてドッジボールなんかに

混じったのかと。


父はこんなような

ことを言った。


「おもろいおっさんの子が、

 お前やったら。

 新しいとこでも、

 いじめられへんやろかと

 思ぉてな」


父の分厚い手が、

ぼくの肩を包んだ。



* * *



あれから何十年も経って。


ふと急に、

そんなことを思い出した。


新しく引っ越した街で、

ぼくがいじめられずにすんだのは、

父のおかげだったのかもしれないし、

そうじゃないかもしれない。


そのときは恥かしくて、

本当にやめてほしいなと

思ったのだけれども。


父の思いに気づけたことは、

本当によかったなと思う。


ありがとう、父さん。


世間が夏休みになった

この季節に。


ふと思い出した

ラジオ体操の記憶と、

ドッジボールの思い出。


お父さんもお母さんも、

子どもも大人もみんな。

甘くて苦くて酸っぱくて、

絵にも描けない思い出を、

心の絵日記に

綴ってくださいね♡


ずるしてもらった景品は、

あんまり嬉しくない。


『物資的な満足感は、

 精神的な達成感よりも、

 はるかに小さい』


形骸よりも中身。


そんなことも学んだ、

夏休みでした。



< 今日の言葉 >


ヘルシーモンクの

『ランダム・ソーツ・グラス』。

By ヨシダヘルシー


Healthy monk's 

"Random thoughts grass".

By Yoshida Healthy


(兼好法師の『徒然草』吉田兼好 著、の誤訳)