*
5月28日、日曜日。
薄ぐもりの晴れ。
眠っているあいだに
時計が止まってしまい、
何時なのかはわからないが。
明るさの感じからして、
6時くらいだろうか。
起きあがるとき、
胸の、あまりの痛さに力がぬける。
「ゔっ!」
思わず声がもれた。
痛すぎて、怒りすら覚える。
寝姿勢でドレーン(チューブ)の
位置が変わったのか。
当たり所がわるくなり、
また動けなくなった。
体(腹筋)にちょっと力が入るだけで、
激痛が走る。
痛さの数値で言えば、
10のうち、7か8くらい。
息も大きくは吸えなくなった。
痛すぎて何もしたくない。
ずっと鳴りつづける
ナースコールすらつらくなる。
とにかく、めちゃくちゃ痛い。
やっと眠れたと思ったが。
これでは、トイレもむずかしい。
あと、1日か。
歯を食いしばって
がまんできる痛みならいいが。
歯を食いしばることすら
できない痛みに、
動かず、じっとしているしか
なくなった。
動くと激痛。
「パブロフの犬」のように、
痛みの条件反射で動けなくなる。
ドレーンの位置が悪すぎる。
もう二度とこんなのは嫌だ。
そう思わせられるくらい、
拷問のような痛みがつづく。
昨日、痛み止め(頓服)を
飲まなかったせいか?
薬で痛みを、
おさえていただけだったのか?
前回の入院では、
「いててて」というくらいで
すんでいたのに。
今回はもう、悲鳴に近い声が、
うぐっともれる。
体が動かせないほどの痛みに、
いろいろな気力が失せてしまう。
感情をくもらせるくらい、
忌々しい痛みが起こる。
前回は、
胸から伸びるチューブの
物質的な制限から、
精神的に「動けなく」なっていたが。
今回は「痛み」だ。
とにかく、薬を飲もう。
日中は薬を飲みつづけて、
夜は、眠れなくならないタイミングで
飲もう。
力を入れずに動く方法を見つける。
不満、文句でうしろ向きにならず、
それをおさえる術(すべ)を考えよう。
あきらめたらどんどん、気弱になる。
克服ではなく、調和。
東洋医学的思考で、痛みをなだめ、
つきあってみよう。
どうにかできるものだと思うから、
どうにかしようとしたり、
不満や文句が浮かんでくる。
どうしようもないものだと思って、
あきらめというより、
それとどう向きあい、
どうつきあっていくかを見つけ出す。
コントロール(抑制)するのは、
自分のほう。
「相手」ではない。
何も考えないのがいい。
治まる、治ることをたのしみに、
わくわく、それだけを見よう。
痛みにのまれず。
「ラウンジ」の自動販売機、
『meiji健康ステーション』で、
100%オレンジジュースを買う。
冷たいオレンジジュースを、
一気に飲み干す。
ちょっと元気になった。
すれちがった看護師さんが、
あとで採血に行きます、と言った。
時間を聞くと、
「6:59です」
と、教えてくれたので、
時計を合わせた。
7:15ごろ、採血。
朝の鮮血。
またしても右手がうまくいかず、
左手に替えてもらった。
針のむしろ。
痛みに対して弱くなっているのは、
たくさん痛みを味わってきたせいか。
それとも、自分に甘くなっているのか。
もう、考えない。
すべてが一瞬。
目の前を通りすぎる、風がごとし。
「げっぷ」をしたら、
左胸に、矢が刺さったような
痛みが突きぬけた。
反射的に体が左にかたむき、
うずくまるくらいの激痛。
くそう。
負けるな。
ゆっくり動く。
力を入れず、まるく動く。
日常生活で、
いかに腹筋を使っているかが
よくわかった。
水、風。
すべては流れて消えていく。
大切なのは、そのときの自分。
自分がどう在(あ)るか。
何ごとも、「くらべる」ことから、
不満が起こる。
他者、過去、記憶、理想。
白紙でいること。
あらためて、つよく思う。
「それ」は「それ」、
「これ」は「これ」だと。
すべては流れゆく。
そこに留まる必要はない。
* *
胸が痛すぎて、
力が入れられない。
力むことができず、
トイレに座ったまま、胸をおさえる。
明日、明後日には、
薬や浣腸で、無理やりしぼり出される。
自力で出したいところだが。
「がんばる」のを、やめようと思った。
あまりの痛さに、
気持ちがゆるやかに下がっていくから。
もう、どうにでもなれ。
いい意味での開き直り。
自分に足りないもの——。
プライドやこだわりを捨てて、
ぼろぼろになっても気にしない。
きっとそういう経験のための、
局面なのだ。
9:00ごろ、
顔を洗ったあと、
新しいパジャマをもらって、
看護師さんに背中を拭いてもらった。
ルール(きまり)はあっても、
「恩情」で。
「まじめ」にやるだけでなく、
「上手に」やることを覚えよう。
相手も人間です。
感謝の気持ちを心から。
道はひとつにつながっているのだから。
開かない扉の前でぶつぶつ言うより、
別の扉をノックするべきだ。
昨日、寝汗を
びっちょりかいていたようなので、
拭いてもらった背中は、
本当にすがすがしく、
気持ちがよかった。
一人になった個室、
おしぼりで手際よく全身を拭く。
いつのまにか「清拭」での入浴に、
慣れてしまった。
「ボタンを押して、話してください」
・・・・!
な、なんだ!
と、思ったら。
看護師さんが入ってきた。
ごみの片づけだった。
さっき聞こえてきた
謎の声について聞くと、
「あ、ごめんなさい。私の器械です。
何か押しちゃったみたいで」
とのこと。
あまりにも近くで聞こえたので、
自分の部屋の中からなのかと思った。
「何か、緊急ボタンが
誤作動したのかと思いました」
と言って、2人、はははと笑った。
検温は、6、9、14時。
6時は35.9 、9時は36.3℃。
昨日もそんな感じだった。
おもしろい。
こうして毎日見てみると、
体温はけっこう一定なんだな。
定点観測じゃないけれど。
おなじ時間に測るという
習慣はなかったので、
ちょっとした発見だった。
今日は泡が出ない。
器械のタンクの水は、じっと静かだ。
(今回は)出ていたほうがいいのに、
止まっている。
大きく胸をふくらませられない
せいもあってか、
泡が、止まってしまった。
昨日できたことが、
今日できなくなる。
その「かなしみ」を、
身を持って感じる。
父や母も含めた、
お年寄りの、切ない気持ち。
できないことより、
できることを大切にしていこうと思う。
あきらめではなく、見極め。
たくさんの経験で、その目を養いたい。
むきになって、
がんばりすぎないように。
たった一点、一瞬のために、
深刻になることなく、
のん気に、気楽にいこう。
不安と怖れが、心を小さくする。
何とでもなる、の心。
大きくでんと構えていればいい。
<痛みの箇所の図> |
10:00すぎ。
薬のおかげでか、
かなり痛みが軽くなる。
とはいえ、それは、
じっとしている状態での話。
息や力みでは、痛みを感じる。
その痛みは、
10段階のうち、5か6くらい。
激しく、ずきっと走る、
鋭い痛ではなく、
じわっと広がる鈍い痛みだ。
動きによっては、ずきんと鋭く痛むが、
動ける「範囲」が広くなった。
薬って、すごいね。
いつしか、薬に頼っている自分。
頓服の薬がなくなってしまわないよう、
早めに看護師さんに伝えた自分に、
これはすでに「依存」だと気づく。
この薬を飲むと、楽になる。
痛みがやわらぐ。
体が、心が、そう感じている。
何となく思った。
この薬を早く、やめようと。
1日4回から3回へ、
そして2、1、0へ。
頓服なのだから、必須ではない。
できれば飲まないですごせるように。
この薬を、減らしていこう。
そう思った。
ひげなし面(づら)も、
2日目になると、
ちょっとは自分の顔として
見れるようになった。
〽︎ああ 明日の今ごろは
ぼくは夢(オペ)の中ぁ〜
(昭和の名曲集『心の旅』チューリップ、の替え歌)
いよいよ明日か。
全身麻酔で、自覚がないとはいえ、
手術を迎えるにあたって、
準備することはある。
心の準備と体の準備。
絶飲絶食。
そして「おばば(poop)」。
しっかり食べて、しっかり寝る。
薄ぐもりのまぶしい空、
ほんのりと晴れた日曜の午後。
やることもなく、
ただ退屈に時間をぼんやりと過ごす。
絵を描くほど元気でもなく、
動き回れるほど健康でもなく。
じりじりと痛む胸を抱えて、
こうしてノートを書いている。
空調温度は26.5℃。
ほんの1、2週間で暑くなった、
というより、
こちらが北東向き窓のせいだと思う。
日中の陽ざしが入るので、
室温が上がる。
* * *
納得。
10:30ごろ、
男性の先生と看護師さんが、
回診に来た。
自分の、いまの状態を説明すると、
「肺が、ふくらんだのかもしれんね」
と言った。
肺がふくらんで、
胸の中で、ドレーンの先が押しやられ、
たおれたり当たったりしているのかも、
と。
胸腔内(胸の中の空洞)には、
肺や心臓などの、
重要な器官がおさまっている。
それらを守るため、胸腔は、
肋骨(ろっこつ)、
そして、胸膜(きょうまく)に
包まれている。
肋骨が「鎧(よろい)」なら、
胸膜は「センサー」。
胸膜には、
神経が細かくはりめぐらされ、
痛みや刺激に対して、
極度に敏感になっている。
その感覚は、年を取ると、
あまり敏感でなくなると
いうことらしいが。
「若いと、ものすごく痛みを感じる」
ということだった。
たくさんはりめぐらされた、
敏感な痛みセンサー。
ぼくの「センサー」は、
まだまだ「若い」らしく、
しっかり機能してくれていた。
その話を聞いて、納得だった。
まさにいま、
自分が感じている「痛み(感覚)」は、
そういう感じの痛みだ。
胸の中に、
何かが刺さっているような痛み。
「ような」ではなく。
胸の中に、
何かが刺さっている痛みなのだ。
その「何か」というのは、
「ドレーンの先」。
チューブの先が、刺さっている。
錯覚でも思いこみでもなく。
やっぱり胸に、刺さっているのだ。
いままでに感じたことの
ないような痛み。
それにも納得がいった。
「レントゲン見てみましょうか」
先生がそう言った。
肌のかぶれを見ながら、
先生が、心配そうに顔をくもらせた。
「このいちばん肌にやさしい
絆創膏(ばんそうこう)・・・
ユウキバンっていうんやけど。
これでかぶれるなら、
そうとう肌、弱いんやね」
ユウキバン。
「優しい肌の絆創膏」と書いて、
『優肌絆』というらしい。
「部屋の温度さげて、
なるべく涼しぃして。
汗かかんようにしたほうがええね」
「そういえば、前に、こんな薬を
出してもらったんですけど」
軟膏を差し出すと、先生が、
「よし、それ塗っとこう」と言って、
看護師さんが薬を塗ってくれた。
背中はまるで見えないし、
薬も塗れない。
脇腹でも、
チューブと痛みがじゃまをして、
薬がちっとも塗れなかった。
なので、すごく助かった。
身内なら、
「ねぇ、背中にお薬、塗ってぇっ」と
甘えられたが。
病院では、なかなかそのひと言が
言えなかった。
「水泡にならないようにね」
先生は、軽やかな口調で、
いろいろためになることを
教えてくれた。
「今日
(ひげ剃りあとに)処方した薬は、
女の人によろこばれる薬で。
お肌がうるおう、美肌の薬。
あれも、肌にうるおいを与えて、
かゆみを抑えてくれるもんやから」
無口な先生も頼もしいが。
おしゃべりな先生も、頼りになる。
わかる、ということが、
「薬」になることも、あるのだ。
* * * *
レントゲンは、
今日が日曜日ということで、
緊急用のレントゲン室へ行った。
裏口のような、
スタッフ専用エレベーターで
階下に移動する。
患者さんは誰もいなかった。
レントゲン室に入ると、
操作に戸惑う女性技師さんが、
「これ、新しくなった
ばっかりなんです」
と教えてくれた。
「ほんとだぁ」
新品というだけあって、
ぴかぴかにきれいで、
いままで見かけなかったところに
画面がついていたりで、
見るからにしゅっとした
器械が立っていた。
「5年とか経つと、
すぐに新しい器械に入れ替わるので。
覚えたと思ったらすぐ、なんですよ」
「ついていくのって、大変ですよね」
「ほんとにそうです」
若い技師さんでこうなのだから。
歳を重ねた技師さんになると、
なおのこと大変だろうと思った。
「イキヲスッテ・・・トメテクダサイ」
FUJI FILMのNew Machineで、
胸の記念写真をパシャリ。
いつものレントゲンとちがい、
一瞬で、あっというまに終了した。
技師さんに見送られて廊下を歩く。
帰りは一人で、
スタッフ専用エレベーターに乗った。
10階のボタンを押して、
じっと待つ。
扉が開いたので、
そのまま何も思わず降りると、
まるで見覚えのない扉がならんでいた。
患者さんが横たわったベッドを、
ほかのエレベーターへ押す
看護師さんの姿が見えた。
『4F』
10階じゃない!
ここは4階のようだ。
『高度救命救急センター』
どことなく緊張感の漂う空気に、
すぐさまふり返り、
閉まりかけたエレベーターへ
すべりこむ。
別にあわてる必要などないのだが。
まちがって扉の向こうへ行っていたら、
大変なことだった。
ふうっと息をついて、
あらためて10階に到着した。
看護師センターの男性医師に、
レントゲン終了の旨を伝えると、
すぐに端末を操作して、
レントゲンの結果を見てくれた。
部屋に戻ってほどなくして、
男性医師が来てくれた。
「肺が、ふくらんだみたいやね」
男性医師が、言った。
「肺がふくらんで、
ドレーンが押されてる。
ドレーンは、
つぶれてるんじゃなくて、
立ってるみたいやから・・・。
空気もれは止まったね。
・・・どうしよう、手術は明日やし、
ドレーン引くのも、
もう、あれやから。
明日まで、行けそう?」
そう聞かれて、いろいろ考えた。
少ない瞬間に、いろいろ思ってみた。
明日、このドレーンはぬかれる。
明日ぬかれるのだから、
いま、これから
わざわざ麻酔だの何だので、
また糸を切ったり、
また縫い直したりするのも
どうかと思う。
たしかにそのとおりだ。
明日までがまんできるか?
それは、正直わからない。
先のことは、
そのときになるまで予測できない。
いろいろ思い、考えた結果、
やはり、「このまま様子を見る」ことが
いちばんのように思われた。
心のすみでは、
「何はともあれ、
ドレーンを引いてほしい」
という願いはあったが。
心や感覚ではなく、思考や頭で、
「このまま」にすることを選択した。
そう。
まさかこの選択が、
さらなる地獄絵を描こうとは、
このときにはまったく
想像だにしなかった。
いま、「そのときの自分」に言いたい。
「がまんは、しちゃいけない」
「自分の感覚を信じて、心のままに」
そのときのぼくは、
心の声をすみに置き去って、
がまんすることを選択した。
「ものすごい激痛だったんですけど、
いま、薬でなんとかおさえてるんで。
・・・ただ、力めなくて、
トイレができません。
明日の手術までに、
しておきたいんですけど」
「うん、わかった。そしたら、
便に水分を集めるお薬を出します。
すぐに出しますので、
飲んでください」
痛みは、
がまんできないほどの激痛だが。
ある意味で「正常な」痛みだった。
思ったとおり、感じていたとおり、
胸の中のドレーンが、
胸膜を「刺激」している。
しかも「立った」状態で、
胸膜の内壁に「突き刺さって」いる。
実年齢はさておき、
まだ、体の状態が「若い」おかげで、
痛みも比例して大きい。
痛みは消えないけれど。
その「正体」が聞けてよかった。
病気や病変ではなく、
物理的な、正常な痛み。
とにかく、
明日までのしんぼうだ。
明日。
明日まで。
明日までは。
何とか薬で、がまんしよう。
<ふくらんだ肺にドレーンが押しつぶされ、 胸腔の内壁に当たって激痛を感じるの図> |
若さ。
若さゆえのふくらみ。
若いから、ふくらんじゃった。
若いからまた、ふくらんじゃった。
泡が止まってしまったことは、
本来はよろばしいことなのだけれど。
今回は「マイナス」だ。
穴の箇所が
わかりにくくなっただけでなく、
ふくらんだ肺がドレーンを押して、
胸腔内壁を刺激している。
激痛。
「生活」を阻害するほどの痛みに、
いろいろなことが回らなくなっている。
睡眠、休息、行動、排便。
痛みの正体がわかって、
少しは楽になった。
この痛みに「終わり」があることを、
少なくとも明日には
この痛みと決別できることを、
それが知れて、心は少し楽になった。
そう。
けっして痛みが
やわらいだわけではなく、
その程度の、精神的な「楽」だった。
「げっぷ」をするたび、
まるで銃で撃たれたような激痛が走る。
(撃たれたことなど、ないのだけれど)
トイレに行っても、気ばれないせいで、
何も出てこない。
うんともすんとも。
空気すら出ない。
おかげで食後に、
おなかがぱんぱんになり、
どうしても「げっぷ」がたくさん出る。
そして激痛。
地獄の連鎖。
そういった状態で、
食事はもう、おかずだけで、
ご飯にはほとんど手をつけていない。
おなかの中が、いっぱいで、
おなかがまるで、減らなくなった。
あと1日。
あと1日、薬でなんとかごまかしたい。
いまは、「あきらめる」しかない。
このままじっと、明日を待とう。
心が疲れはてていたのか。
このとき自分は、そう思った。
* * * * *
左胸の痛み。
チューブを引きぬこうと思うくらい、
つらい痛みだった。
そんな衝動にかられるほどの
激痛がつづく。
電気と、火と、刃物と、鈍器。
それを同時に撃ちこまれるような痛み。
明日がはるかに、
はてしなく遠いものに思えた。
無理に痛みとたたかったり、
一人、頑張りすぎることは、ちがう。
先生と話して、
聞いてみる。相談する。
話せる先生が今日いてくれて、
本当に助かった。
いろいろなことが起こるわりに、
そのタイミングや結果は、
わるい方向には向かっていない。
今回の気胸も、
いろいろ障害があるようで、
うまい具合にまわっている。
ぜんぶに意味がある。
本当につよく、そう感じた。
お昼前、
しっかりした感じの看護師さんが来た。
ようやく手術前についての
確認ができた。
絶飲は、月朝7:00から。
絶食は、同日0:00から。
朝、痛み止めは飲んでもよい。
今日の夜、0:00とか、
寝る前ぎりぎりに
「トアラセット(頓服薬)」を
飲んでおくといい、と。
心配していた、
朝のモーニングコールもしてくれると。
6:30には起きたい。
そこで水分をとって、
薬も3種類、1粒ずつ飲んで、
うんこさんを出してから、
手術を迎えられたら最高の流れだ。
(でないと、罰ゲームの、
「浣腸の刑」がお待ちしております)
やっと明日までの足どりが見えてきた。
「点」と「点」がつながって
「線」になり、
ようやく1枚の「絵(面)」になった。
さっそく、
できることから準備を進めよう。
* * * * * *
5月28日 昼 |
食後のトレイを片づけに立つと、
足もとにぽろりとカーゼが落ちた。
チューブの根元をおおう、
カーゼがはずれたようだ。
トレイの返却がてら、
看護師さんをさがすと、
先ほどの、しっかりした感じの
看護師さんと目が合った。
処置室で
ガーゼを貼り直してもらいながら、
先ほど聞き忘れたことを
あれこれ聞いた。
やはり、
面談のときの内容とは若干ちがって、
まず部屋を「空っぽ」にする
必要があると。
当日、手術室へは、
「限られた荷物」しか持っていけない。
ほかの荷物は、
いったん、家族が持ち帰るか、
あずかるか、
それともコインロッカーに
保管しておくか。
コインロッカーは数に限りがあるので、
なるべく早めに
荷物をまとめておいたほうがいい、と。
頼れる看護師さんが、
アドバイスをくれた。
なるほど。
それはいい話を聞いた。
いまのうちに荷物を分けて、
動けるうちに動いて、
1階のコインロッカーへ
荷物を入れておこう。
絶妙なタイミングで
ガーゼが取れてくれたおかげで、
耳よりお得情報を聞くことができた。
「偶然」目が合った看護師さんに感謝。
看護師さんにお礼を言って、
さっそく荷物の準備に取りかかった。
14:00ごろ、荷物を整頓。
たしかに。
もし「何か」あったら、
もう二度とこの部屋には戻ってこない。
この部屋どころか、
どこにも「戻らない」場合があるのだ。
家族の立会い、つき添いも、
いわば「そういうこと」である。
そっか。
そういうことなのか。
荷物を片づけながら、
ふとそんなことを思った。
14:00すぎから14:45ごろ、
何もせず、ベッドに横たわる。
かなりフラットに近い状態
(10°くらい)で。
完全にフラット(平ら)だと、
体が反っているように感じた。
寝ている姿勢が楽だった。
じっとしていると、
どこも痛くないように感じた。
手術を待っているあいだの数日間。
肺の穴は、
4日でふさがったことになる。
「明日」ではなく、
「今日」ふさがっていることにも、
何か、数奇なものを感じる。
・・・そのまま、うつらうつらと、
眠ることなく、夢を見ていた。
いろいろな断片。
おだやかな、気分だった。
体温は、36.5℃。
「365」。
ちょうど1年だ。
9時に測ったとき、
36.4℃だった。
あと1℃で365だなと思っていたら、
ちょうど365になった。
座った姿勢で大きく息をしたら、
左胸だけ、ぴちぴちの服を
着せられているような感覚だった。
もっと吸えるのに、
何かにじゃまを
されているような感じ・・・
と、思っていたら。
さっき、
ガーゼを貼り直してもらったとき、
長めのテープで、
しっかりめに貼り直してもらった
せいっだった。
<ぱんぱんリュックとコインロッカーの鍵の図> |
いいふうに思うと、
いいふうになる。
よくないふうに思うと、
よくないふうになる。
わるいふうに思うと、
わるいふうになる。
何をするでもなく16:00。
頭に浮かんでは消える、
いろいろな模様、形、映像。
見て描くことがたのしくなった。
BICのボールペンの描き味もいい。
自分がいま、どうしてここにいるのか、
ふと忘れそうになる。
みんなはどういうときに、
ナースコールを押すのか。
何も考えず、それでも毎日全力で、
今日まで何とか生きてきた。
奇跡みたいなことの連続。
犬も歩けば・・・じゃないけれど、
外に出ると、
本当にいろいろなことがあって、
退屈知らずの毎日だった。
家の中でも充分楽しめるのにね。
いま会いたい人は、(愛犬) ハナ。
人じゃないし、もういない。
土壇場で、誰の姿が浮かぶのか。
目が覚めたとき、
いちばんに何を思うのか。
待つから待ちくたびれる。
待たなければ、何も思わない。
本当に必要なもの、必要なことは、
ちゃんと目の前に現れる。
よけいなことをしなければ、
まちがいなく自分のもとへ、
やってくる。
17:00前ごろ、
先ほどの頼れる看護師さんが来た。
あらためて、術前のお話をいただく。
薬の説明、そして持ち物。
排便は、出すことよりも、
明日の朝、出たかどうかが重要らしい。
あっぶな。
今日、無理やり
ひねり出すところだった。
体の中を
「空(から)」にするのではなく、
朝の段階で出すのが目的のようだ。
便に水分を集める薬も、
さいわいまだ手もとに届いていない。
そのおかげで、まだ、飲まずにすんだ。
(届いたのは、夕食後、
しばらくしてのことだった)
「朝、7時を過ぎて喉が渇いたら、
うがいをしてください」
いろいろ質問して、ひとまず理解。
「おひげもちゃんと
剃られているようなので、
大丈夫ですね」
「ひげ」の話になって、
初対面が「ひげなし」だったことは、
実は「レアケース」だと伝えると、
看護師さんが驚いたように言った。
「それじゃあ、印象がだいぶ
ちがったかもしれませんね」
たしかに。
部屋の外ではマスクをしているが、
室内ではマスクをしていない。
ひげあり、ひげなし。
あるとないで、どうちがったのだろう。
そんなことも、おもしろく感じた。
* * * * * * *
<禁飲食札の図> |
いよいよ、という感じ。
遠足前みたいな、浮き足立った感覚。
こんなにたくさんの
指示や決まりごとを言い渡されたのは、
久々のことだ。
目覚ましのお願いは、
21:00からの看護師さんが
担ってくれるとのこと。
くれぐれもよろしくお願いします。
耳せん有なので、
そっと体をたたいてくださいね。
<架空の道路標識の図> |
18:00ごろ、
禁飲食プレートを見た看護師さんが、
「これ何ですか」
と、夕食を配膳する手を止めた。
「この夕食を最後に、禁食なんです」
と伝えると、
何度かまばたきをして、
「これ何ですか」
と、もう一度おなじことを言われた。
そのままもう一度おなじことを返すと、
また何度かまばたきをして、
はあん、という感じにうなずいて、
夕食を置いて去っていった。
5月28日 夕 |
そんな「禁食プレート」を
見ながら食べた、鶏のからあげは、
どことなく背徳の味わいで、
いっそうおいしく感じられた。
大変お下品だけど、
「げっぷ」は、
口を開けて音を出しながら、
「アヴッ!」
っと出すと、
ずいぶん胸の痛みがまろやかになる。
どうかこれが
「癖(くせ)」になりませんように。
うがい、歯みがき、洗顔。清拭。
時間はいっぱいあるのに、
食事から「入浴」までが
あっというまに終わってしまう。
19:25。
もう、今日の「出来事」はすべて終了。
ごはんと、
ごはんのあとのつかの間の時間。
18:00〜19:30ごろのあいだは、
ナースコールもややおだやかで、
ここから一気にさわがしくなる。
救急車はタクシーじゃないし、
ナースコールは呼び鈴じゃない。
<全身麻酔手術想像図> |
1回、「すっぽかされた」手術。
いや、「すっぽかした」と言うべきか。
そんなわけで、
今回はそれほど動揺もない。
実際、
心の奥底ではどう感じているのか、
それはうかがい知れないけれど。
いまは、感謝と
段取り(明日の朝やるべきこと)とで
満たされている。
母にはたくさん世話になった。
さもあたりまえといった感じで、
何度も足を運んでくれた。
明日も朝早くから来てくれる。
頭の中は、手術のことより、
終わって元気になってからのことで
いっぱいだ。
それはとてもいいことだ。
心が前に進んでいる証拠だ。
初入院から、すぐ再入院に。
レコードでいうと、
A面とB面みたいに。
それぞれちがう、場面と局面。
AとB。
どちらの面も味わい深い。
学びと教訓。
収穫、体験。
すべてが自分次第だということが、
身をもって体感できた。
まだ「まとめる」のには早いけれど。
自分の人生にとって、
大きな節目になったことは、
まちがいない。
愛情がつよすぎるほどつよい父。
やさしすぎるほどやさしい母。
それを感じられただけでも、
しあわせだった。
先回、手術が中止になったとき、
どこか「物足りなく」感じてしまった。
今回、手術のあと、
何を思い、何を感じるのか。
本当にそれがたのしみだ。
自分の生きる力と運。
病院で母とすごした時間は、
子どものころに戻ったみたいで、
たのしかった。
21:15ごろ、
夜担当の看護師さんが来た。
明日の流れの確認。
とにかく、うんちょりん。
締め切りは、8:30。
そこでなければ、浣腸の刑だ。
チューブがなければ、
手術前にシャワーが必須だが。
チューブが生えたわが身は、
おしぼりでの清拭
→おNEWパジャマ、
ということになる。
鳴呼(あゝ)、
有チューバーはつらい。
21:25。
もうちょっとしたら寝よう。
今日も眠い。
痛み止め、
18:00に飲んでおいてよかった。
これで22:00に飲んで、
早く寝られる。
モーニングコールもお願いしたし、
これで安心して眠れる。
よし。
それでは明日。
おやすみなさい。
追伸:
先ほどの、
夜担当の看護師さんとのやりとり。
「ひげ剃るのなんて、
20年ぶりくらいなんですよ」
と言うと、
「ええっ‼︎」
と、大きく驚いたあと、
「じゃあ、それまでは
もじゃもじゃに生えてたんですか⁈」
と声をはずませた看護師さんに。
「それほどもじゃもじゃでも
ないですけどね」
と答えつつ、おくれて思った。
「20年間ずっと剃っていなかった」
ということが、
「20年間ずうっと伸びっぱなしで
伸び放題」のひげを
想像しているような気がして。
きっとそうだ。
あの感じは、そう思ったにちがいない。
<20年剃っていないひげの図> |
*
いよいよ手術を、
明日にひかえた家原利明。
Dead or Alive.
心の千羽鶴は、
何処(いづこ)へと舞うのか。
手術前日のおだやかな夜。
まさかここが、
地獄の七丁目だったとは・・・。
次回、#5を、
どうぞお楽しみに。
< 今日の言葉 >
母の手料理、肉づめピーマンを、
フライパンからお皿に盛りつける
母と息子との会話。
子:「そんなに食べれないから、
もう1匹くらいでいいよ」
母:「なに、もう1匹って?」
子:「ピーマンの背中、
カエルみたいじゃない?」
母:「やだ、気持ちわるい」
子:「けど、カエルって、おいしいよ。
鶏肉みたいで」
母:「生きてるのは、気持ちわるくて、
食べられないわぁ」
子:「生きてたら、
鶏だって食べられないでしょ」
母:「鶏も、首からぶら下げたのとか、
そういうのあるでしょ。
昔ね、
新舞子のおじいさんのとこで、
鶏を飼ってて、そういう肉と、
ヤギのミルクとかが、
ごはんに出てきた」
子:「へぇ、いいねえ。
そういうの、食べてみたい」