『進めっ!』(2016) |
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深い知り合いでもなく、
一期一会で聞いた話。
言ってみれば、
自分とは何の関係もない話だが。
ときどきふと、思い出す。
自分なら、
どうしただろうか。
自分はその中の、
誰になるのかと。
* *
A子は、夫であるB男と、
旅行に出かけた。
国内の離島で、
レンタカーを借り、
車を走らせていたところ、
あやまって事故を
起こしてしまった。
相手の車は、
同じく旅行者で、
同じように夫婦だった。
運転手のB男とともに、
相手夫婦も重傷を負った。
A子も重傷だったが、
ただ一人、歩ける状態だった。
肋骨と腕を折り、
血を流して朦朧としながらも、
一人動いて、
何とか救急車を手配した。
意識を失い、
次に目を開けたのは、
担架の上だった。
A子夫妻は、
緊急搬送された病院に入院した。
相手夫婦も同じ病院だった。
離島ということもあり、
病院も限られていて、
それほど大きくもない病院の、
同じ病棟だった。
事故後のことは、
ベッドから動けないままのB男が
進めていった。
保険業者があいだに入り、
事後の手配や処理業務などを
進める中で、
A子がB男に尋ねた。
「事故の相手に、
謝りに行ったほうがいいよね」
A子の言葉に、B男が答える。
「いや。
今はまだ、やめておこう。
とりあえず保険屋に
任せたほうがいい」
せまい院内では、
嫌が応にも相手方の気配を感じた。
すれ違ったとき、
冷たく、尖ったような
視線に感じたのは、
「事故加害者」という
負い目のせいか、
それとも謝意を伝えられない
心苦しさからなのか。
その後、
A子は何度もB男に
詰め寄ってみたが。
「保険屋に任せてある」
その一点張りで、
謝る気配も、
顔を見せようというそぶりも
感じられなかった。
一人、動けるA子は、
B男や病院などの指示で
あれこれと奔走した。
痛いのをこらえ、苦しいのをおして、
懸命に動いた。
相手夫婦とすれ違うたび、
A子はいたたまれなかった。
B男の意向もあり、
言葉も交わさず、
ただ会釈を返すだけしか
できないのも、
板挟みのようで苦しかった。
A子は何度となく、
B男に尋ねた。
自分だけでも
顔を出しに行っていいかと。
B男はそれを許さなかった。
謝る、謝らないは、
今後の先行きにも
関係してくるので、
勝手なことはしないでくれと。
退院までの数週間。
A子は、けがの痛みと、
居場所を失ったような
息苦しさに、
ただ耐えるしかなった。
退院後。
「法的に」いちおう、
事故の問題は解決したが、
相手夫婦は、
一度も顔を見せないA子夫妻に、
「許せない」と憤った。
「加害者の責任として
謝罪するべきだ」
A子はふと思った。
自分も事故の「被害者」だと。
けがをさせられ、
事故後の手続きなどを
押しつけられ、
あいだに挟まって罵られて。
自分にも、
感謝やねぎらいはおろか、
謝罪の言葉も、
心配するそぶりもない。
A子はB男と話し合い、
思いを伝えるも、
謝ろうとはしなかった。
相手夫婦にも、
A子にも、
何も言葉はなかった。
A子とB男は、
落ち着くまで
距離を置くことになった。
A子は県外の実家に戻り、
B男はこれまでの住居に
とどまった。
B男が仕事を再開する中、
A子は一人、
事故の相手夫妻の元を訪れた。
B男は、
止まっていた仕事を
動かすことに忙しく、
賛成も反対もしなかった。
菓子折りを手に、
新幹線に乗った。
頭を下げるA子に
相手夫婦は言った。
「当事者はどうした。
なぜこない」
一人で来ても意味がないと、
相手夫婦に追い返され、
頭を下げるだけ下げて帰宅した。
A子はB男に事情を話した。
それでも「責任」を
果たそうとしないB男の態度に、
A子は離婚を決意した。
A子は、2回、離婚を経験している。
B男は、自分より15ほど歳上で、
50代前半だった。
初め、離婚を渋っていた
B男だったが。
あるとき、態度が一変した。
「わかった」
二人の意見は、まとまった。
裁判所へ出向くため、
A子は新幹線に乗った。
離婚調停の裁判を進める中、
久しぶりにA子は、
B男の家を訪れた。
B男の部屋で、A子は見た。
机に置かれた携帯電話に、
20代と思しき女性との、
親密なやり取りを示す痕跡を。
裁判は続いていた。
この話を聞いたのは、
明日、最後の法廷だという、
前日のことだった。
* * *
もし自分なら・・・。
自分だったら・・・。
そんな愚問はどうあれ、
思うことがある。
遅かれ早かれ、
結果は同じだったんじゃ
ないだろうかと。
きっかけを
探していただけだったんじゃ、
ないだろうかと。
あれ、おかしいな、
と思いながらも、
気づかないふりをしていたのでは
ないだろうかと。
自信が持てなくて、
「そう」だと言えなかった、
「そう」だと認められなかった、
自分がいたのではと。
当人の気持ちや事情は、
本人にしかわからない。
そうだと思えることを、
そうだと言えなくなる瞬間は、
誰にでもある。
環境、状況、周囲の声。
気弱さのせいで、
わかっているのに、
間違った「答え」を
出してしまうことは、
誰にだってある。
そう見たかったら
そう見ればいいし、
そう思いたかったら
そう思えばいい。
自己犠牲をしても、
誰も褒めてはくれない。
思いを伝えたり、
話し合いができなければ、
温めるか、捨てるかだ。
頑張って人を欺けたとしても、
自分自身の心にだけは、
嘘をつけない。
嘘を長くついた分だけ、
心はどんどん空っぽになる。
他人にも、自分にも、
嘘は嘘でしかないのだから、
「本当」からは、
少しずつ、ゆるやかに、
確実に離れていく。
「答え」を見たかった。
自分の目ではっきり確かめたかった。
開けてはいけないはずの箱。
知ってはいけない「答え」を
自らの手で開けた。
自分の心が、
本当の「答え」を
迎えに行ったんじゃないかと。
この話を聞いて、
そんなふうに思った。
パンドラの箱には、
厄災や病気、疑い、
嫉みなどが入っていて、
開けた瞬間に
世界ヘ散らばって、
それまでなかった悩みを、
人間は知ることとなった。
箱の中に、
ただひとつだけ残ったもの。
それは『希望』。
もしこの『希望』までもが
飛び出していたら、
やる前からすべて
結果や結末が分かってしまい、
何ごとにも期待しなくなって、
やる前にすべて
あきらめてしまうことになった。
「答え」は「結末」。
見なければ自分で変えられる。
それが、
いいことなのか、
わるいことなのか。
「答え」は自分で決めればいい。
人間には『希望』が
残っているのだから、ね。
< 今日の言葉 >
"I now know they two world.
One we can major with line world,
and the other we can feel intuition."
by Helen Keller
(『世界は2つあることを知った。物差しで測ることができる世界と、直感で感じることができる世界だ』ヘレン・ケラー)
※ヘレン・ケラーは、生後19カ月で視力を失いました。