先日、暗い部屋のなかで、
オイルライターにオイルを補充していて。
容量をこえてあふれたオイルが右手にこぼれた。
ライターにこぼれた余分なオイルを「飛ばす」べく、
何の迷いもなく、いつのもように着火した。
次の瞬間。
ぼわっ、という気化音ともに、
ライターからこぼれたオイルが火柱をあげた。
その勢いで、
右手にこぼれたオイルにも火が回り、
右手親指と人差し指、中指の3本の指が、
オレンジ色の炎に包まれた。
右手が、燃えていた。
その間、ほんのわずか1秒にも満たない、
瞬間的なできごとだったのだけれど。
ものすごく、きれいだった。
暗く、色のない部屋のなかが、
その瞬間、オレンジ色に染まった。右手の指先が、
ゆらめく炎に包まれて、
まるで魔法使いか何かになったような感じがした。
1秒にも満たない、ほんの少しのあいだに、
火に包まれた指先を見たのだけれど。
熱さを感じたので、
あわててふうっと息を吹きかけて、
燃える炎を吹き消した。
一瞬、にぎやかになった部屋のなかに、
再びまっくらな闇と静寂とが戻って。
そのあとにつづいたのは、
ゆらめく炎の残像と、
自分の鼻からこぼれた失笑だった。
さいわい、ヤケドもせず、
無傷ですんだのだけれど。
炎の、青緑色の残像を見ながら。
ぼくは、もう一度、声もなく笑った。
さて。
ぼくの好きな話のひとつに、
ギリシア神話の「イカルス」の話がある。
クレタ島に住むイカルスと、
その父、ダイダロス。
イカルスの父であるダイダロスは、
造作の名人だった。
その腕を見込まれて、ダイダロスは、
クノッソスの都のミノス王に、
巨大迷路をつくるよう命じられる。
一度入ったら、
二度と出ることのできない巨大迷路(ラビリンス)。
ダイダロスは、巨大な迷路を完成させた。
巨大迷路の秘密がもれるのを防ぐために、
ミノス王は、ダイダロスとその息子のイカルスを
塔に閉じ込めた。
塔に幽閉されたダイダロスとイカルス。
塔から抜け出すために、
ふたりは、鳥の羽根を集めて大きな翼をつくった。
大きい羽根は糸でとめ、
小さい羽根はロウ(にかわ)でとめた。
ふたりは、完成した翼を背中につけた。
塔から飛びたつ前に、
父ダイダロスが、息子のイカルスに言った。
「いいか、イカロスよ。
空の中くらいの高さのところを飛ぶのだぞ。
あまり低く飛ぶと、霧が翼のじゃまをするし、
あまり高く飛ぶと、太陽の熱で溶けてしまうから」
そしてふたりは飛んだ。
大きな羽根をつけて、
ふたりは空へ飛びたった。
大空を舞う、
ダイダロスとイカロスのふたり。
「ややっ、なんだあれは。
鳥か? いや、ちがう。鳥じゃあない」
地上で農作業をする人たちや羊飼いたちは、
ふたりの姿を見て、
神々が空を飛んでいるのだと思った。
驚く人びと。
調子に乗ったイカロスは、
父の忠告をすっかり忘れ、
高く、高く、飛んでしまった。
高く、舞い飛んだイカロスは、
どんどん太陽に近づいてしまい、
羽根をとめたロウが溶けて翼がバラバラになった。
翼を失ったイカロスは、
そのまま、まっさかさまに青い海へと落ちて、
死んでしまった。
・・・・というお話。
けっして「ハッピーな」お話ではないけれど。
ぼくは、父の忠告を忘れて
ぐんぐん高く飛んでいった、
イカロスの「バカさ加減」が好きだ。
調子に乗って。
うれしくて、気持ちよくなって。
ぜんぶ忘れて高く飛んだ、バカなイカロス。
イカロスは、
ものすごくきれいな景色を見て、
ものすごくたのしい気持ちになって、
ものすごくいい気分を味わったのだろう。
そのときのイカロスは、
きっと満面の笑顔だったはずだ。
それが、最後とは知らず。
いや。
最後とか最初とか、
そんなことなどどうでもよくて。
イカルスは、
飛びたかったから高く飛んだのだろう。
そんな純粋で、無邪気で、
あとさきを考えない、バカなイカロス。
死んでしまったら、元も子もないが。
ぼくは、
そんなイカロスのバカさ加減が、
ものすごく好きだ。
「高く飛ばなきゃよかったのに」
むかしは、そんなふうにも思ったりしたが。
父の忠告(いわゆる「常識」や「正論」といった、
保守的な意見)を忘れて。
冒険(暴挙?)へと向かわせたイカロスの衝動。
うれしくなったその瞬間、
父の忠告を、思わず忘れてしまったのか。
それとも、
すべてを分かったうえでやったことなのか。
お話の解釈は、
各人の「好み」に任せることとして。
自分なら、
すべてを承知の上で、
やってみたい。
「高く飛ぶな」
そう忠告されたとしても、
もし自分が高く飛んでみたいと思ったのなら、
高く、飛んでみたい。
そして自分で確かめてみたい。
高い空の、景色を。
高い空の、空気を風を。
高い空の、色とか匂いを。
イカロスが落ちた海が、
その名前にちなんで「イカリア海」と
呼ばれるようになったこととか、
そんなことより。
ぼくは、
イカロスのバカさ加減にあこがれる。
昔ギリシアのイカロスは
ロウでかためた鳥の羽根
両手に持って 飛びたった
雲より高くまだ遠く
勇気一つを友にして
(「勇気一つを友にして」:
イカロスの「バカさ加減」が好きだ。
調子に乗って。
うれしくて、気持ちよくなって。
ぜんぶ忘れて高く飛んだ、バカなイカロス。
イカロスは、
ものすごくきれいな景色を見て、
ものすごくたのしい気持ちになって、
ものすごくいい気分を味わったのだろう。
そのときのイカロスは、
きっと満面の笑顔だったはずだ。
それが、最後とは知らず。
いや。
最後とか最初とか、
そんなことなどどうでもよくて。
イカルスは、
飛びたかったから高く飛んだのだろう。
そんな純粋で、無邪気で、
あとさきを考えない、バカなイカロス。
死んでしまったら、元も子もないが。
ぼくは、
そんなイカロスのバカさ加減が、
ものすごく好きだ。
「高く飛ばなきゃよかったのに」
むかしは、そんなふうにも思ったりしたが。
父の忠告(いわゆる「常識」や「正論」といった、
保守的な意見)を忘れて。
冒険(暴挙?)へと向かわせたイカロスの衝動。
うれしくなったその瞬間、
父の忠告を、思わず忘れてしまったのか。
それとも、
すべてを分かったうえでやったことなのか。
お話の解釈は、
各人の「好み」に任せることとして。
自分なら、
すべてを承知の上で、
やってみたい。
「高く飛ぶな」
そう忠告されたとしても、
もし自分が高く飛んでみたいと思ったのなら、
高く、飛んでみたい。
そして自分で確かめてみたい。
高い空の、景色を。
高い空の、空気を風を。
高い空の、色とか匂いを。
イカロスが落ちた海が、
その名前にちなんで「イカリア海」と
呼ばれるようになったこととか、
そんなことより。
ぼくは、
イカロスのバカさ加減にあこがれる。
昔ギリシアのイカロスは
ロウでかためた鳥の羽根
両手に持って 飛びたった
雲より高くまだ遠く
勇気一つを友にして
(「勇気一つを友にして」:
作詞/片岡輝・作曲/越部信義・