2014年、夏。
急遽、声をかけていただいて挑んだ展覧会。
みなさまのおかげで、
無事、大盛況のうちに幕を下ろしました。
わざわざ来ていただいた方、
偶然ふらりと立ち寄ってくれた方、
行こうと思って行けずに終わってしまった方、
こうしてこの記述を読んでくれている方々。
本当にありがとうございます。
おなじみの顔、なつかしい顔、
はじめての顔、うれしい再会。
7月4日から20日の、実質15日間。
会期中、毎日会場にいたおかげで、
本当にたくさんの方々とお話しすることができました。
みなさまに、たのしんでいただけたかどうか。
きちんとおもてなしできたかどうか。
少しばかり、心配ではありますが。
たのしんでいただけたのであれば、うれしく思います。
さて。
ここからは、会場の様子をお見せするとともに、
ほんの一部ではありますが、
会期中の出来事をお伝えしていきます。
★
搬入の日。
修理中の車に代わって、車屋さんに借りている車での搬入。
荷物があまり載らない自分の車に比べて、
余裕の積載力で、作品、工具類、電動工具、バケツなど、
何の心配もなくするりと載せることができた。
今回、お声をかけていただき、
使わせていただけることになったギャラリー『blanka』。
自分を含めて3人のグループ展、という形態だったけれど。
気づけば地下の展示空間を、
「全部使っていいですよ」という運びになった。
広々とした地下を独占。
そのことを知ったのは、
搬入の前日、ギャラリーの方に
確認とごあいさつのメールを送った、その返信メールでだった。
けれども。
準備はできていた。
そうなることを想定していた。
というより、それを望んでいた。
だから、不明瞭な段階からも、
地下をひとりで使って展示するイメージは、
頭の中にずっと描いていた。
そして迎えた、搬入日当日。
当日まで「入るかどうか」が不安だった立て板。
何度か現場に足を運んで、
きっちり採寸はしたのだけれど。
いざつくってみて、
実際にできあがったものの全容を見て、
あまりの寸法の大きさに「入るのかどうか」心配になった。
前々日ごろ、ダンボールで模型をつくってみたり、
パソコン上でシミュレーションしてみたり。
そんな、普段やらないことをやってみても、
答えは見えない。
乾坤一擲(けんこんいってき)。
かつて働いていた、広告代理店の社長が言っていた言葉。
やるべきことは、すべてやった。
あとは当日現場で、ということにして。
入らなかったとき用のために、
念のため「のこぎり」を持参した。
「入らぬなら 切ればいいのだ でかい板」
それでもやはり、
早く結果が知りたい事案ではあった。
ギャラリーに到着し、荷物を運び込む。
上(1階)では、
今回ご一緒させていただくうちのお一方が、
すでに搬入・設営を済ませて、ギャラリーの方と談話している。
きれいな作品をつくる、女性の方。
「はじめまして」
と、あいさつを交わす。
「設営、もう終わったんですか」
その質問に、
当人ではなくギャラリーの方が代わって答えた。
「はい、終わりましたよ。
3、40分くらいで、ぱぱっと」
それを聞いたぼくは、
「やばい。それじゃあ、早くやんないと、夜になっちゃう!」
と、雑談もそこそこに切り上げ、
自分の作品展示に取りかかった。
寅壱の『超超ロング』を履いて、やる気満載風に見える自分。
何度か階段を上り下りしただけで、
汗が額を流れ落ち、地面に汗の花を咲かせた。
はやる気持ちを抑えつつ。
すっかり荷物を降ろし終えたあと、
件の「立て板」を所定位置に運び込む。
現在、使っている階段の下に、古い階段がそのまま残されています。 |
地下室内より。新・旧階段を横から見たところ。 |
旧階段の最上部。 |
会場を下見したとき。
いま使っている新しい階段の下にある、
コンクリートむき出しの古い階段を見て、
どうしてもやりたいことが思い浮かんだ。
「赤い布を垂らして、絵を飾りたい。
そしてその前に、大仏さまを並べたい」
思った以上、やるほかない。
思っちゃったので、やるしかない。
スギ材を組んでフレームをつくり、
そこに4ミリのベニヤを打ちつけて。
表面に、長さ8メートルの赤い布を貼った、階段の用の「立て板」。
幅430ミリ、高さ1,650ミリ。
抱えて持つと、
まるでサーフボードのような趣きだった。
高鳴る胸は、わくわくなのか、どきどきなのか。
体を丸めつつ、
階段下の旧階段にもぐり込み、
1,650ミリのロングボードを滑り込ませる。
「ガン、ゴン! ガゴン!」
動かすたびに、コンクリートの階段や、
古い、石垣造りの壁に当たる。
「やばいかな・・・」
一瞬、不穏な黒雲が脳裏をかすめる。
縦に、横に、斜めに、前後に。
巨大な立て板を3次元的に動かすうち、
「・・・・お!」
するり、と、所定の位置に吸い込まれて収まった。
本当に。
きっと日ごろの行いが、良いからでありましょう。
「搬入の神さま」が、ぼくに微笑んでくれた瞬間でありました。
余韻にひたるひまもなく。
立て板の、脚の取りつけ。
合体ロボ式にはめ込んだ部材を金づちで叩き込み、
電動ドライバーでネジをもんでいく。
無事に脚もついて、
「立て板」が名前負けせずその場に「立った」。
もうひとつ、
現場任せにしていた立て板の「固定」。
立て板の上辺を天井の「くぼみ」に収めるようにつくり、
それから先は、収めてからどう固定するか考えるつもりだった。
そのために、スポンジや木片、ネジやクギなど、
使えそうなものは持って来ていた。
「あれっ?」
想定外の「偶然」でしかないけれど。
若干、前のめりに傾斜した階段の踏み面のおかげで、
立て板が、微妙に「おじぎ」をして、
そのまま自重でしっかり「固定」された。
指先で突いてみたり、
手で押してみたり。
強度的にも大丈夫そうだった。
絵を掛けるのに、充分耐えうるほどの安定感がある。
いま一度、起こった「奇跡」に。
こんどは「設営の神さま」が、
ぼくにあたたかく微笑んでくださったような、
そんな有様でありました。
こうして何とか「ひと山」越えて。
タバコでも吸いに行こうかと思ったけれど、
ただでさえ時間がかかりそうな上、
細かな配置もまだ決まっていないので、
ひとまずタバコはあとにした。
新聞紙にくるまれた大仏さまたち |
そんなこんなで。
ひとり、巻き尺片手に、水糸を引き、
ミリ単位の寸法を測って、壁に絵を掛けていく。
設置が終わったのは午後6時30分ごろ。
気づけば7時間ほど経っていた。
けれど、やっぱりたのしい、と思った。
設営するのは、やっぱりたのしい。
絵を飾るのは、やっぱりたのしい。
空間をつくるのは、やっぱりたのしい。
ひとり、占拠した地下の空間。
いい感じに仕上がったので、
たくさんの人に、見てもらいたいと思った。
これまでの自分の展覧会とちがい。
設営が終わるまで、見えてこない部分が多かった。
終わってみて、ようやく思った。
みんなに見てもらう、準備ができた、と。
★ ★
迎えた初日。
ギャラリーに併設されたカフェの一郭が、
にぎやかに染まっていた。
お客さんでもあり、
誇れる友人でもあるソプラノ歌手の女性。
その周りを取り囲むようにして、
女性の方々がわいわいとランチをたのしんでいた。
ぼくも、少しばかり同席させていただいて、
にぎやかな輪のなかに加わった。
小学生の女の子のように、
気ままにおしゃべりするソプラノ歌手の女性。
それを見守るように、
やさしく相づちを打ったり、
話の軌道を戻したりする、ご友人たち。
ご友人たちは、ピアノ奏者の方々で、
歌手の女性が唄うとき、伴奏をすることもある。
歌い手と伴奏者。
おしゃべりしながらランチをたのしむその様子が、
そのまま「唄」と「伴奏」のようなバランスだった。
「自由に飛び回る蝶々と、
その姿をやさしく眺める花々たち」
そんなふうに形容したら、歌手の女性も笑っていた。
会場で、見なれた顔に出会った。
元教え子の男子。
偶然にも、
ギャラリーのカフェで、バイトしているのだと言う。
つい先日からの、週末だけの手伝いで。
そんな話、彼からひとことも聞いていなかった。
「いや、どうせ会うんだから。
それまで内緒にした方がおもしろいかと思って」
たしかに。
会ったとき、ものすごく変な感じがした。
彼とふたり、
建物の外でタバコを吸っていると、
まるでそこが「学校の喫煙所」のような空気感になるから。
またしても変な感覚だった。
ここにいるはずのない、
見なれた顔と一服していると、
場所も、時間も、一気に飛び越えてしまう感じがしておもしろかった。
また別のある日。
同じくカフェでバイトしている女の子が、
ぼくの展示を見てくれた。
そして彼女が、さぐるような感じでこう言った。
「あの、私、この手ぬぐい、もらいました」
今回、額に入れて飾っている《家原美術館手ぬぐい「世界宇宙」》。
「どういうこと?」
聞くと、歯科助手をしている友人から、
この手ぬぐいをもらったとのことだった。
「えっ、本当!!」
そこで、話がつながった。
以前、通っていた歯医者さんで。
行くと、会話のはずむ歯科助手さんがいた。
その人は、ぼくの歯の治療や掃除をしながら、
合間を縫うようにしていろいろ話しかけてくれる女性だった。
そんな彼女との会話のなかで、
友人が絵を描いている、すごくいい絵を描くおもしろい子だ、
という話を聞いたことがあった。
「この前、東京に “お米展” を観に行ったらしいですよ」
「お米展?」
「はい。なんか、お米にまつわる展示がいっぱいあって、
お米に字とか絵とかを描いた作品が展示してあったり。
友だちも、お米に絵を描く体験コーナーで、
お米に絵を描いてきたみたいですよ」
おもしろい。
なんとも、すてきなご友人ではないか。
歯科助手の彼女は、
ぼくの歯の治療や掃除などをしながら、
ときどき口もとから道具を離し、
ぼくの返事を待ってからまた治療を再開する。
返事を待つのも上手だが、
返事をしないでいいように話すのもうまい。
お米展の話になったのも、
「家原さんが削った方が上手そうですね」
と言われ、その話の流れで、
「それじゃあ、歯の裏に
ぼくの名前でも彫っておいてください。
お米にお経とか書くような感じで」
という話になって。
「そういえば、この前・・・」
と。「お米展」の話になったのだ。
「ああ、あの、お米展の!」
と、驚くぼくに、カフェの白衣を着たままの彼女は、
逆に驚きを返すような感じで、
「なんで知ってるんですか!?」
と、びっくりしていた。
ぼくは、お世話になった歯医者さんの方々と、
親しく話してくれるその歯科助手の方に、
お礼を込めて《家原美術館手ぬぐい》を進呈した。
誰も「欲しい」とは言っていないのだが。
勝手に、一方的に「押しつけて」いた。
「これ、絵を描いてるお友だちにも
渡しておいてください」
歯科助手の彼女には、お友だちの分もあわせて、
2枚の手ぬぐいを「押しつけて」いた。
それが、友人である彼女の手元に届いていた。
届いていること自体、不思議ではないけれど。
まさか、会うはずもない当人から直接その報告を受けるとは。
そんなこと、夢にも思っていなかった。
ぼくは、歯科助手の彼女の名前すら知らなかった。
名前も知らずに、ずっと話していた。
治療が終わったのを期に、
ぼくは、歯医者さんに行かなくなった。
彼女は、削ったり、掃除したりするのもていねいな上、
「バキューム(唾液などを吸引する道具)」の技術が最高だった。
ぼくは、彼女が「プロ」かと思っていたのだけれど。
友人の彼女の話によると、
彼女はバイトで、もう、辞めてしまったのだという。
「彼女、モデルの仕事、はじめるみたいです」
それを聞いて、何だかうれしかった。
がんばっている近況が聞けて、
何となく、うれしく思った。
「彼女にも伝えておきますね、展覧会のこと」
友人の彼女が、笑顔で言った。
なんだか不思議なものだな、と。
つくづくそう思った。
後日。
階段を見上げるとそこに、
逆光に切り取られた人の影が見えた。
見ると、その人は歯科助手の彼女だった。
「来てくれたんだ!」
「お久しぶりです」
見なれた顔が、何だか新鮮に見えた。
そう思うと、
たしかに歯医者さん以外では見たことがなかった。
制服以外の服装を見るのも、初めてだ。
地階へ下り、
カフェでバイトしている友人を交えた3人で、
しばし語り合う。
そこに絵本を描いている女性と、その友人の2人も加わり、
にわかに5人の輪ができた。
(ちなみに絵本の女性は、
ぼくがお世話になっている料理店のかわい子ちゃんたちが
通う保育園の、保育士さんの仕事をしている。
数年前、展覧会に来てくれて知り合った彼女。
それがのちに、料理店のかわい子ちゃんたちの「先生」として
つながるとは。これまた夢にも思わない現実だった)
そして気づくと、みんながひとつの輪になって、
まじめっぽい話やら、セーラームーンの話やらで、
会話の花が咲き乱れた。
そのかたわらでは、かつての教え子たち3人が、
ぼくの用意した「お名前書いて帳」に、
色とりどりのペンでらくがきをしていた。
閉館時間をとっくにすぎた頃。
帰りぎわ、歯科助手の彼女が言った。
「私の名前、何だと思いますか?」
お友だちからもう名前を聞いて知っていることを話すと、
「モデルの名前、何がいいか、いま考えてるんです」
とのことだった。
瞬間的に頭に浮かんだのは、
「りん」
という文字だった。
とはいえ、
「それじゃあ『りん』はどうかな?」
などと、指をぱちんと鳴らしながら
ばしっと言えるほど男前ではないぼくは、
「なんか『り』がつくような気がする」
と、ぼかして言うことしかできなかった。
一瞬の間のあと、
歯科助手の彼女が、まっすぐな声で言った。
「弟にも言われました。『り』がつきそうだって」
びっくりする間もなく。
彼女が言葉をつづけた。
「いま考えてるのは『りん』なんです。
りん、は、漢字にするつもりなんですけど」
それを聞いて、正直びっくりした。
言えばよかった、という思いより。
言わなくてもよかったんだな、という気持ちの方が強かった。
理由はよく分からないけど。
彼女のなかでは、もう、決まっているような気がした。
そのときは「ひらがな」で
「りん」という文字しか浮かばなかったけれど。
彼女自身の口から漢字の名前を聞いて、
そのほうが彼女に似合っているように感じた。
すらりとした(元)歯科助手の彼女は、
すでに「モデル」として歩きはじめようとしている。
そして絵本を描いている彼女も、
毎日、子どもたちと関わりながら、
日々、創作に励んでいる。
歯科助手あらため、モデルの彼女の友人。
ずっと話に聞いていた彼女の絵(作品)を、
ようやくこの目で見ることができた。
彼女の生み出した、架空の世界のキャラクターたち。
それは、想像していたよりもすごくよくて、
想像よりも立派にできあがっていた。
その証拠に。
かたわらにいた教え子たちに見てもらうと、
嬉々として飛びつき、
オリジナル・キャラクターのシールをくれると言う彼女に
遠慮も忘れて、
真剣に、たのしげに、シールを選んでいたのだから。
言葉も説明も、何もいらなかった。
そこにいる7人みんなが、
シールをもらってよろこんでいた。
シールを配る彼女も同じく、よろこんでいた。
オリジナル・キャラクターのかわいいシール。
つくったのは彼女で、ぼくじゃないけど。
きらきらした空気に立ち会えたことが、
何だかすごくうれしかった。
傍目に見ると、
おっさんひとりと女の子が7人。
それでも、そのときばかりは、
ぼくの心も彼女たちと同じく、
きらきらときめいていたわけであります。
★ ★ ★
同級生による盗撮写真 |
去年の展覧会で再会した、小・中学校の同級生。
家族で来てくれた友人もいる。
高校時代の同級生。
何の約束もしていないのに、
親友同士が会場でばったり出会った。
親友のひとりは、
仕事でケガをしたらしく、「初松葉杖」での登場だった。
お世話になっているパティシエの方が、
ご夫婦で来てくださり、
両手にあまるほどのプリンとロールケーキを
差し入れていただいた。
来てくださったお客さまにもプリンをお配りして、
おいしい笑顔が広がるのを目の当たりにできた。
お世話になっている料理店のご家族。
シェフのご一家は、
ぼくのことを「でっかい長男」として
かわいがってくださっている。
かわい子ちゃんたちから、すてきな絵をいただいた。
本当にうれしい、気持ちのこもったプレゼント。
シェフとふたり、
窓辺で熱く語り合っているその周りを、
花がらワンピースのかわい子ちゃんふたりが
元気に走り回る。
真剣な会話をしているぼくらの手のひらに、
そっとラムネをくれる、かわい子ちゃん姉。
地面に座って「お名前書いて帳」にぐるぐる線を描く、
かわい子ちゃん妹。
それに加わるかわい子ちゃん姉。
かと思えば、ぴょんぴょん跳ねて、
ぐるぐる走り回りはじめる、ふたりのかわい子ちゃんたち。
陽光を浴びたワンピースの花がらが、
ぐるぐる回って、すごくきれいだった。
ふと見ると、
その場にいた美容師さんのおふたりが、
かわい子ちゃんとたのしげに遊んでいたり。
美術館では、できないことかもしれないけれど。
ぼくの展覧会ではうれしい光景だ。
今回もまた「まちがいメール」を送ってしまった。
アドレスを書き直すのを忘れていて、
また同じ人に、まちがってメールを送ってしまった。
会場に、そろりと足を踏み込むようにして
入ってきたひとりのお客さん。
「こんにちは、どうぞゆっくり見ていってください」
声をかけると、
少しだけ口もとがゆるんだように見えた。
あれ、会ったことのある人だったかな?
誰かの知り合いかな?
そんなふうに思いながらも。
やっぱり思いちがいだと打ち消して、
絵の説明や、コレクションの自慢など、
いろいろお話しさせていただいた。
柱に飾った栓抜きコレクション「自由の女神」。 |
エンパイア・ステート・ビルディング |
エッフェル塔 |
韓国・ソウルタワー |
グアム・裸の女性像 |
と、思い出したように、
そのお客さんが口火を切った。
「あの、私、まちがいメールの・・・」
聞くと、そのお客さんは、
まちがいメールの人の友人とのこと。
今回、自分は仕事の都合で行けないので、
「おもしろいだろうから行ってみるといいよ」
と、友人に託した。
まちがいメールの人の友人であるその人は(ややこしい)、
言葉どおり、わざわざ足を運んで観にきてくれた、と。
ここに至るまでの経緯を教えてくれた。
「何ですか、人が悪い! 早く言ってくださいよ」
そう言うぼくに、頬をゆるめつつ、
「だから入るとき、
ちょっと笑いそうになっちゃいました」
と、おっしゃった。
本当に。
バイトで入っているくせに内緒にしていた教え子とか。
知っているくせに知らないふりをして、
黙って話を聞いている人たちやら。
みんな、人が悪いなぁ、もう。
きっといつも、
みんなにいたずらばかりしているから。
因果応報のブーメラン。
だからこうやって、
きっちり返ってくるのだろう。
またいつか、忘れたころに返ってくるのだろう。
ずいぶん前にしかけた、ぼくのいたずらブーメランが。
★ ★ ★ ★
台風が近づく日。地階ギャリーの窓から見た堀川。 |
台風の日。
お客さんでもある家具屋さんのご夫妻が、
他県からわざわざ来てくださった。
連日(ありがたことに)おしっこに行くひまもないくらい、
数珠つなぎにお客さんが来てくださっているのだけれど。
天候のせいもあって、
さすがにこの日ばかりは、
お客さんがまったく来なかった。
おかげでゆっくり、
家具屋さんのご夫妻とお話しすることができた。
その日は、
定刻よりも早めに閉めましょう、
ということになり、
夕方5時ごろ、台風到来にそなえて「準備」をした。
準備、とは。
前日、ギャラリーの方に、
「地下は、大雨で川が増水すると、
水没するかもしれないんですよね」
と、聞かされて。
にわかに、びっくりした。
けれど、それもたのしみだと思った。
水没した、水のギャラリー。
水面がきらめき、そこにゆらゆらと絵が映り込んで・・・。
そんな、たのしげな構想を話すと、
「やめてくださいよ。嫌ですよ、そんなの。
枝とか砂利とか、ゴミをかき出すのとか大変なんですから」
と、まじめに苦笑いされた。
(イギリスかどこかの美術館の常設展示で、
油を床いっぱいにたたえた展示を見たことがあると。
後日、お客さんから教えていただいた。
油の「水面」が照明や作品をびしっと映し込んで、
ものすごくきれいだったと。そんなお話だった)
ギャラリーの方からの警鐘が、さらにつづく。
「あと、この階段、
集中的な豪雨が降ると、滝になるんですよね」
滝!
地面の高さ(グランドライン)と
つながっている旧階段は、
大雨が降りつづくと水が侵入し、
階段の上に川のごとき水流がなだれ込むとのことだった。
滝。
まさかそんなことになろうとは、
聞くまで考えもつかなかった。
滝と化した階段。
見てみたい。
水流のなかの大仏さまと、
水にたなびく赤い布。
見てみたい。
けれど、現実的には、
「大仏が流されて、赤い布もびちゃびちゃになって、
大変なことになると思います」
という具合だった。
それはいけない。
ということで、
台風到来にそなえて、
階段に鎮座まします大仏さまたちに、
いったんご避難いただいて。
階段に敷きつめた赤い布を再度はがして、
万が一、滝となっても
濡れてしまわない高さまで巻き取って。
立て板に飾った絵《かたいとやわらかい》を
箱にしまって別室へ避難させた。
これで準備万端。
「みんな、がんばってよ」
心のなかで、
ずらりと並んだ絵たちに言葉をおくる。
早めの帰宅。
ふと、ギャラリー入口をふり返る。
と、そこには、
カフェのメニューの看板があった。
その日のおすすめメニュー。
『タイ風カレー』
台風の日のメニューが
タイ風カレーだったからといって。
いちいちはしゃぐような、
そんなちっぽけな男ではない。
そう決めこみながらも、
「台風の日に、タイ風カレーか」
と、軽く口のなかで転がしてみて、
ふふっと笑いがこみ上げる、ちっぽけなぼくでありました。
何の被害もなく、
台風は無事、通りすぎた。
翌日、きちんと並んだ大仏さまのお膝元に、
1枚の青い付箋(ふせん)が貼ってあった。
『浸水しませんでした!! お手数おかけしました。
設置お願いします。久しぶりのカラリとしたいい天気ですね!』
今日はお休みだと言っていたギャラリーの方が、
開場前に、わざわざ様子を見にきてくださっていたのだ。
メモを読み終えるとすぐ、
巻き取った赤い布を敷き直し、両面テープで固定し直して、
大仏さまを並べていく。
<大仏配置図> |
『大仏配置図』
さして意味もなくつくったその配置図が、
まさかこんな形で役に立とうとは。
さすが2度目の設営。
最初の設営よりも、
少しきれいに仕上がった気がする。
こうして無事に水没することもなく、
流されずにすんだ大仏さまたち。
そんな大仏さまたちのお顔が、
いつもより柔和でおやさしく、
きらきらと晴れやかに見えたのは、
気のせいだけではありますまい。
ああ、大仏さま。
「大きなフランス」と書いて「大仏」さま。
お護りくださってありがとうございましたと、
目を閉じ、掌を合わせ、
そっと頭(こうべ)を垂れる家原でありました。
★ ★ ★ ★ ★
15日間。
本当にたくさんの方々に見ていただけた。
なつかしい顔。
見なれた顔。
久しぶりに会う顔。
結婚するふたり。
結婚した友人。
再婚する友人。
みんな、にこにこ笑っていた。
卒業生や教え子のみんなも、
たくさん見にきて、元気な顔を見せてくれた。
初めて出会った方。
にもかかわらず、たくさんおしゃべりしてくれた方々。
初めて会ったのに、
音楽や本やマンガの趣向に重なりが多く、
いきなり親密になれた方々もいる。
音楽ってすごい。
書籍ってすごい。
一気に時間や距離を超えられるから。
最終日。
教え子である卒業生が来てくれた。
男くさい3人組。
何だか分からないけど、
とにかくいい刺激になったみたいで、
三者三様の言葉が「お名前書いて帳」に残されていた。
『いろいろ考えていた時だったので、
すごくいい刺激になりました』
『作品を観て「自分も描きたい」と思いました』
『来年、自分もどこで何をしているかわかりませんが、
また何かする時は連絡ください』
ほかのお客さんからも、本当にたくさんの言葉をもらった。
『たのしかったです。何だか元気になりました』
『絵をみてニコニコしてしまいました。すごく楽しかったです!』
『表現がとってもおもしろい。色がきれい!
なんとなく力がみなぎってくるかんじです』
・・・引用しだしたら切りはないけれど。
そんなうれしい言葉に、
自分のほうこそいつも栄養をもらう。
来て、見て、感じていただけて、
すごくうれしく思います。
みなさま、本当にありがとうございました。
最終日の夜。
会期中はもちろん、搬入・設営日など、
ギャラリーの方々には、
すっかりお世話になりっぱなしだった。
わがままなぼくの要望を聞いていただき、
本当に感謝しております。
会場に残った、最後のお客さん。
卒業生のふたり。
うちひとりは、2度目の来場だった。
搬出は別日にする予定なので、
ひとまず壁にかかった絵をはずし、
箱にしまった。
大仏さまも、梱包材にくるんで箱にしまう。
簡単な片づけのあと、
お世話になった方たちにお礼を言って、
ギャラリーをあとにした。
「おなか減ったね」
すっかり待たせた卒業生のふたりと、
近くの洋食屋さんに入る。
昔ながらの洋食屋さん。
メニューを見るだけでも、
その歴史と腕のたしかさは感じられる。
味はもちろん、雰囲気も、空気感も、すごくいい。
ぼくは、つい先日もこの店に来ていた。
メニューを見て、迷うふたり。
ぼくも、今日は何にしようかと、
メニューに並ぶ料理名に目を泳がせていた。
と、ひとつの料理名に目が留まった。
『チキンミヤビヤ』
名前を見たかぎりでは、
ちっとも絵が浮かんでこないし、
どんな調理法の料理なのか、
まったく想像できなかった。
「チキンミヤビヤって、なんですか?」
質問するぼくに、お店のおばちゃんは、
「写真がついてるメニューが、たしかあったはずだけど」
と、店内のテーブルをあちこち回って探しはじめた。
その間に、
ぼくらの横のテーブル席にいた団体のお客さんが、
「ほら、さっきあんたが食べたやつじゃない」とか、
「写真、撮ってたでしょ? 見せてあげなさいよ」とか。
その人が写真を探している合間に、
また別の人がスマートフォンで検索して、
画像を探して見せてくれた。
その画像を見ていると、横からまた別の人が、
「ハヤシライスみたいな感じのソースで、
上に半熟の卵が載ってて、グラタン皿に入ってるんですよ」
と、ていねいに教えてくれた。
そうこうしているうちに、
チキンミヤビヤの写真がついているメニューを持って、
お店のおばちゃんが戻ってきた。
にもかかわらず。
ぼくは、ちがうものにした。
いろいろ教えてくれたみんなにお礼を言って、
結局ぼくは先回と同じく、
チキンソテーを注文した。
チキンソテー |
卒業生のふたりは、チキンシチュー。
「シチュー」といっても、「スープ」のシチューではなく、
チキンを「煮込んだ」という意味での「シチュー」だ。
もう一度、いろいろ教えてくれたお客さんたちに、
ぺこりと頭を下げて。
注文した料理がくるのを待った。
「みんな、いい人ですね」
卒業生のひとりが、ぽつりと言った。
テレビでは、海の家族の物語がやっていて、
ちょうど『カツオ、タクシーに乗る』の巻がはじまるところだった。
何年ぶりだろう。
日曜日のこの時間、テレビの前にいるなんて。
噛んでいたガムを捨てたくて、
席を立ち、ティッシュ・ペーパーを取りに行った。
漆塗りのティッシュ・ボックス。
1枚つまんで抜き取ると、あとからもう1枚ついてきて、
1枚でよかったはずが、最後の1枚まで引きつれてきてしまった。
「ティッシュ、なくなっちゃいました」
いちおう、報告しておいたほうがいいだろうと。
お店のおばちゃんにそれを伝えると、
「足が痛いから、取りに行けんのだわ」
おばちゃんは、そう言って厨房のほうへと姿を消した。
横にいた、おばちゃんより少し若い感じのおばちゃんが、
「おばさん足が悪くてね。
痛くて2階に取りに行けないんだわ」
と、言葉をつづけた。
「あ、いいんです。ティッシュはもう、大丈夫です」
席に戻って、卒業生たちとしゃべっていると、
のれんの奥からおばちゃんがゆっくり歩いてきた。
何も言わず、机の上に、
ぽん、と置かれたもの。
ポケット・ティッシュだった。
「足が痛くて、上には行けんもんで」
ぼくは、何だか言葉足らずで、
申し訳ないことをしてしまった気がした。
けれどおばちゃんは、気にするふうでもなく、
ぼくらの座るテーブルを離れ、
ほかのテーブルの食器を片づけはじめた。
「ありがとう」
ぼくの言葉が聞こえているのか、いないのか。
おばちゃんは、ゆっくりとした足どりで、
食器を持ってまた、のれんの奥へと消えていった。
「なんか、みんなを巻き込んでばっかりだな。おれ」
何だか本当に申し訳なくなって、かゆくもないのに頭をかいた。
「みんな、本当にいい人ですね」
先と同じく、卒業生のひとりが、
さっきよりも実感を込めた感じでまっすぐ言った。
本当に。
みんな、いい人だ。
みんな、いい人たちばっかりだ。
ありがとうっていう言葉じゃ足りないくらい、
本当に、すごくありがたい。
気づくと、先ほどまでいたお客さんたちがいなくなっていた。
お店を出る前に、もう一度、お礼を言いたかったのに。
まったく気づかないうちに、みんないなくなっていた。
なんか、泣きそうだった。
20代のころは、思わなかった気持ち。
30代になって、ようやく知った気持ち。
そして最近、ようやく分かってきた気持ち。
ありがとう。
くさくて、かっこわるくて、まじめくさくて。
何だかまっすぐ言えなかったけれど。
ありがとう。
今回の展覧会で、いちばん強く感じたこと。
ありがとう、という気持ち。
こんなふうに言うと、やっぱり気持ち悪いけど。
みんなに言いたい。
ありがとう。
学校を「卒業」して、よけいに分かった。
みんな、やさしくて、みんな、いい人ばかりだ。
くさくて、におってきそうだから。
もうこの辺でやめておきます。
展覧会に来てくれた方々も、
来れなかったけれど、こうして読んでくれている方々も。
どうも、ありがとう(マジで)。
こんな不束な家原利明ですが、
今後ともどうぞよろPくお願いいたします=☆
2014年7月吉日 卒業生代表/家原利明
< 今日の言葉 >
「コーヒー飲んだあとのおしっこってさ、
キャラメルポップコーンのにおいだよね」
「いや・・・ちょっと、分からないです」
(便所で歳下の子と肩を並べておしっこをしていて、
世紀の大発見をこっそり分かち合うような気持ちで伝えたのに、
本当に分からないといった感じの神妙な顔つきで、
ゆっくり首をかしげられてしまったときの、もの悲しい感じ)