2022/08/07

夏休み自由研究『都会(まち)の風』 






自由研究。


それは、読んで字のごとく、

「自由な研究」である。

 

本来は「自由」であるはずの「自由研究」。


研究とはすなわち「探究」や「追及」。

それを公表するのが「研究発表」だ。



先生からの評価。

研究学習から得られる知識。

研究に取り組むことで生まれる自主性。

研究で育まれる好奇心や探究心。

将来の可能性や進むべき分野との出会い。

点数や賞賛。満足度。達成感。


人によろこばれたいのか、

自分がよろこびを得たいのか。


何を目的として、

何を得るための「研究」なのか。



夏休みの自由研究。



上記のようなことは一切無視して、

ただただ、夏休みの自由研究に

取り組んでみました。



「無駄な時間を恐れるな」



そんなうつくしい言葉を胸に、

ぼくの研究を発表いたします。



Long long time ago,

その昔、

自分が小学5年生だったころ。


ちまたで

「シミュレーション・ブック」

というものが流行した。



ご存知でしょうか、

シミュレーション・ブック。


アドベンチャー・ゲーム・ブックとか、

シミュレーション・ゲーム・ブックスとか

呼ばれるものもあったけれど、

基本的には同じ趣向のもの。


本を開き、読み進みながら、

本文に書かれた指示に従って、

その番号(ページ)に進むという、

昭和のアナログ・ゲームであります。









『死のワナの地下迷宮』や

『運命の森』などの、

高学年(または成年)向けの、

アドベンチャー・ゲームブック。


文字がメインではあったが、

その挿絵もすばらしかった。


難易度が高い作品が多く、

何度も最初からやり直し、

何日もその本と向き合った。


これらにどっぷり夢中になり、

発売されるたび書店へ走ったものだが。


当時のぼくの心を

とらえて離さなかったのは、

絵が大きく描かれたほうの

「シミュレーション・ブック」。


中でも「西東社」というところから

出版されていたシミュレーション・ブックが

お気に入りだった。




















初めはその内容に魅了され、

冒険への興奮の虜(とりこ)になっていき。


次第に内容がどうであれ、

出たものは欲しい、という

収集欲まで「こちょばされ」て。


挙げ句の果てには、

A5とかA6とかの

小ぶりな大学ノートを買ってきて、

そこに自ら「シミュレーション・ブック」を

創作していった。


当時の能力と技術だから、

致しかたないことではあるが。


読み手を無視した、

熱意ばかりでどうしようもない

駄作・迷作シミュレーション・ブックを

量産しつづけた記憶がある。



そう。


その熱意。



そんな純度を掘り返したくて、

私、家原利明、

夏休みの自由研究に、

ちょっとした

"シミュレーション・ブック" をつくってみました。


当時にくらべ、

技術ばかりは少しついても、

能力や才能に大きな成長は見られませんが。


ほんの些細な「短編」ですので。


よければ手に取り、

シミュレーションなアドベンチャーに

おつきあいください。



懐かしき香り、

かぐわしき無駄な熱量を

嗅ぎ取っていただければ、

さいわいです。



これぞ「自由研究」。



「夏休み」は、

もうずうっと前に、

終わってしまいましたが。


あのわくわくと、

心おどるの日々の連続。


気持ちだけはいつも、

万年夏休みでお送りいたします。




冒険に出る準備が整った方は、


 >>> こちら


または、上のタイトルからどうぞ。



それではボン・ボヤージュ!



< 今日の言葉 >


アクサンテギュ

アクサングラーヴ

アクサンシルコンフレックス

トレマ

セディーユ


まほうのじゅもん


ではなく「アクサン5種類」

アクサン:フランス語の「アクセント」の記号




2022/07/23

つづけることを、やめること








22歳のころ。


一生乗れる車はないかと、

そう思って選んだ車。


それが、

フォルクスワーゲンのビートル、

空冷式の古い型、「タイプ1」だ。


ビートルは、

製造が終わった今でも

世界の各社が、

旧式の車体のための部品を

製造しつづけている。


レコードや乗馬のように。

継承される「文化」になった

車種のひとつだ。



自分が子どものころ、

東京に住む親戚のお兄ちゃんが

乗っていた記憶。


「おおきくなったら、

 ぼくもこれにのりたいな」


そんなのは夢のような願望で、

現実とはほど遠い「憧れ」だと

どこかで思っていたが。


免許を取り、

1台目の車(軽の商業用ワゴン車)との生活を

充分すぎるほど謳歌(おうか)して。


その車が壊れて

(このときもさみしかったなぁ)

廃車になった1996年。

1台のビートルとたまたま出会い、

古い夢が、現実になった。


1965年式の、

メタリックブルーのビートル。

その色は、

当時日本に輸入されていた

純正の色を再現したものだ。


初めてのビートルは、

クラッチのつなぎがむずかしく、

これまでミッション式の車に乗っていた自分にも、

1速や2速に入れるとき

クラッチの位置が合わず、

ゴゴゴ!と激しく「ノッキング」することが

しばらくつづいた。


そんなとき、助手席の同乗者は、

この世の終わりが来たかのように

驚きの短い悲鳴をあげたあと、

「ああ、またこれね」

といった感じで、静かに緊張を解く。


数カ月後、

慣れたと思ったころにも、

坂道などではゴゴゴ!の振動に見舞われた。


ハンドルの重さはもちろん、

ワーパーの頼りなさ、

前照灯(ヘッドライト)の暗さ、

エアコンなし、

手動式の、くるくる手回し窓。

(後の2項目は最初に乗った軽ワゴン車も同じ)


エンジンは後ろ、

ガソリンはボンネット(前)を開けての給油。


わからないことだらけで、

戸惑いと失敗の連続だった。


故障や不具合の場面も

数え切れないほどあった。


大きな国道の路上で、

いきなりクラッチワイヤーが切れて、

惰性で脇道に避難したこと。


いきなりエンジンがかからなくなって、

車中で何時間も過ごしたこと。


突然、クラクションが止(や)まなくなり、

大音量で鳴り響く音に困り果て、

広々とした田園のど真ん中に「避難」したこと。


旧車に乗っておられる方には

よくある、ごく当たり前の「ハプニング」。


そんなのを、

市内はもちろん、

他県のまるで知らない土地などで

何度も何度も経験した。


20代当時、

会社勤めをしていて、

お金にも心にも余裕がったあったせいか。

それとも、単なる馬鹿なのか。


路上で身動きとれなくなることに対して、

まったく不安も怖れもなかった。


無知がゆえのつよさ。


おかげでずいぶん

「鍛えられた」気がする。



◆◆






本当に、例を挙げたら

きりがないくらい。


些細な故障から

なかなか大変なトラブルまで。

春夏秋冬、早朝深夜。

西や東でたくさんの「思い出」をつくった。


そんな日々のいくつかは、

こちらの記述>に譲るとして。



たしか2002年のことだったと思うが。

深夜の路上にて後方から追突され、

1代目のビートルが廃車になった。

(その模様は<こちら>で)


そうして出会った、

2代目のビートル。


1971年式、黒い車体で、

扉のある横部分だけ白の、

ツートンカラーのビートル。

座席などの内装は赤。


71年式でも、

いわゆる「アインロンテール(※注1)」ではなく、

内装を含め「6ボルト(※注2)」の形に

改造してあるものだった。


(※注1)

1968年式以降、

後部ブレーキランプがやや大きめで、

上部がとがってアイロンのような

形をしているものをそう呼ぶ。


(※注2)

1966年までの低年式(古い型)のビートルは、

バッテリーが12ボルトではなく、6ボルトだった。

6ボルト式では、雨の夜など、

ライトとワイパーの同時稼働で

バッテリーが上がったりした。

そんな「低年式時代」のビートル、

またはその型式のビートルのことを、

「6ボルト」と呼ぶ。



2代目のビートル。


レンタカーを走らせ、

他県で見つけて、

電車に乗って取りに行った。

なかなかの小旅行。

帰りはそこから乗って帰った。


あのときの、

少しの緊張感と、高揚感。


初代とちがって「ツインキャブ」だったので、

踏み込んだときの音が力づよく、

トラックのようなエンジン音に感じた。


廃車になった1代目から、

ホーンリングのついた白いハンドルと

銀色のルームミラーを引き継いで。


気になっていた「ちがい」が

「良さ」に変わりはじめたころ、

アクセルも、ギアも、ハンドリングも、

次第に「自分のもの」になっていった。



◆◆◆






知らない土地へたくさん出かけて、

きれいな景色を見た。


寒い夜、毛布にくるまって車中泊をした。


夏の暑い夜は窓を開けて寝て、

知らない土地で、夜中、

蚊の音や知らない野良猫たちのけんかに

起こされたりした。


富士山や兼六園、

江ノ島や天橋立。

名勝、旧跡、観光地をはじめ、

たくさんの商店街、

たくさんの山道、

名もなき街道をともに走った。


ビートルの窓から見える景色。

それは、特別だった。


窓は景色のフレームだ。


朝焼け、星空、

港や岬、雑踏やビル街、

樹々や川や紅葉や桜。

土砂降りや雷、真っ白な雪も。


数え切れないほどの景色を

写し込んできたビートルの窓。


自分が見たのと同じだけ、

その透明なガラスに感動を閉じ込めている。


ぼくは、

ビートルのことが

大好きだった。


一生乗るつもりで、

一生乗れるから、

ビートルを選んだ。



会社を辞めて。

仕事もままならず、

収入も進路も不安定だったころ。


故障のたびに泣かされて、

ビートルに乗りつづけるのを

何度か断念しかけたことがある。


「今度、故障したときには・・・」


「もう直らないかもしれない」


けれどもビートルは、

その都度、回復してくれた。


もちろんそこには、

お世話になっている車屋さんの熱意もあった。


2代目のビートルを買って間もないころ、

路上で動かなくなった際に救出してもらい、

そこからの縁で、

以後ずっとお世話になっている整備工場さんだ。


自分の加入している自動車保険に、

レッカーサービスがあることを知らずにいた自分は、

平日休日、昼とも夜とも問わず、

公衆電話から連絡して、

いつも助けてもらってきた。


いろんな土地で、

JAFや車屋さんに助けてもらった。


決して「いい思い出」ではないはずだが。

どの風景も、思い出すとなぜだか頬がゆるむ。


運がいいのか何なのか。

命だけは、無事だった。


それどころか、

ケガさえしたことがない。


2代目のいちばん大きな「事故」は、

凍結道路で滑ったことだ。

(その模様は<こちら>で)


そのとき、

同乗者を守ることに必死で、

ビートルのことは、考えなかった。


大破したビートルを見て。

もうだめかな、やめようかな、と、

本当に思った。


けれども。


周囲からの声もあり、

「まだ乗りつづけてもいいんだな」

と心からそう思えて、

つよい気持ちで決心した。


「ぼくはビートルに乗りつづける」


無理かと思われた修理もうまく進み、

修理前よりきれいになって帰ってきた。


帰ってきたビートルに乗り込み、

いつものようにエンジンをかけ、

アクセルを踏み込む。


乾いた、空冷特有の排気音。


聞きなれた音と振動に、

ぼくの心は氷解する。


「ありがとうございました」


車屋さんをあとにすると、

自分の手のひらに接吻して、

その手でハンドルをそっと撫でる。


誰にも内緒の、自分だけの「儀式」。


「おかえり」


修理から戻るといつもしていた、

恥ずかしくて誰にも言えない、

自分だけの「儀式」。


車から降り、自宅の車庫に停めると、

ビートルの「背中」をぽんぽんと2回叩く。


これも、降りるたびにつづけてきた、

自分だけの「儀式」だ。


何の理由もなく、何らジンクスでもなく。

言葉を交わさないビートルとぼくとの、

ちょっとしたコミュニケーション。


無意味で無駄な儀式だけれど。

ぼくはその「挨拶」を欠かしたことは、

一度もなかった。



◆◆◆◆






ビートルに乗りつづけて、

どれくらい距離を走ったのだろうか。


現代の車に比べて桁(けた)の少ない、

走行距離メーターの数字。

もうこれで何周目なのか。

途中で数を忘れてしまった。



新しい土地での生活。


そこでは、ビートルのことを

歓迎してくれる人ばかりではなかった。


ビートルは、

旧式の車ということもあり、

オートバイのように

「暖機(だんき)運転」が必要だ。


寒い冬などは、

しばらくエンジンを回して

暖めてやらねば発進できない。

そうしないと、

エンジンがしゃっくりを起こしたみたいに

つまずいて、

ゴトゴトと蠕動(ぜんどう)して

まともに走れない。


だから、冬の朝などは特に、

エンジンが暖まるまで

じっと暖機運転をしなくてはいけない。


思うままにアクセルを踏み込んで、

エンジンを安定させたいのだけれど。


朝の8時や9時では、

何となく気が引けて、

やや遠慮がちにエンジンを回しつづける。


現代の、ごく一般的な車に

慣れ親しんでいる人には、

決して静かとは言いがたい排気音。


いくら「遠慮」していても、

それが「遠慮」には聞こえない。


寒い、冬の朝で、約5分ほど。

発進することなく、

その場でじっと回しつづける

エンジンの音。


オートバイや旧車の

排気音を知っている人には

ごく一般的な音でも、

知らない人からすれば、

単なる騒音に過ぎない。



一軒家の集まる住宅街。

市街地のアパート。

閑静な住宅街の駐車場。

古いアパートの一角。


これまでのさまざまな場所では、

たまたま「ゆるされて」きた

だけだったのだろう。


新しい土地では、

それが「ゆるされ」なかった。



最初は気のせいかと思った。


車を停めた車庫の近所の人たち。

顔を合わせたときには、

頭を下げて、おはようございます、

こんにちは、こんばんは、と、

笑顔で挨拶してきたのだけれど。


姿も見えず、声も聞こえないみたいに、

素どおりされてばかりだった。


平日にふらふらしている身分のぼくは、

見た目、決してさわやかな風貌ではない。


そんな反応には、

すっかり慣れた自分ではあったが。

どうやら風体の問題ではなさそうだった。


そう確信したのは、

ある寒い日の朝、車庫の近所の人が、

窓からビートルとぼくとをじっと見ていて、

目が合うと、

その窓を勢いよくぴしゃりと閉めたこと。


ひどく怒っているみたいな感じだった。


少なくとも「歓迎」はされていない。

そう思うに充分な出来事だった。



◆◆◆◆◆






新しい土地での生活が始まったころ。


これまでにないくらい、

ビートルの不具合が連発した。


路上での故障。

いきなりの停車。

駐車場でのエンジン不動。


が、不思議と「行き」に

それは起こらず、

帰り道に起こることが多かった。


これまでも、仕事や急用、

どうにもならない場面での故障は

ほとんどと言っていいほどなく、

まるで状況をわきまえているかのようにすら

感じたものだった。


「おりこうさんだね、ビートルは」


"タイミングを選んで故障する"ビートルに、

そう言って背中(車体)を撫でたものだが。

よくよく考えれば、

故障によかったも何もないはずだ。


それでも自分は、

"いいタイミングでの故障"に、

いつも「不幸中の幸い」で

毎回「救われた」と思っていた。



新天地での故障も同じで、

どこかから戻ってくるときにばかり

頻発した。


まるで何かを拒むかのように。


何かを報せているかのように。


家に帰る道すがら、

ビートルの具合が悪くなった。


「怒られるから、

 家に帰るのが嫌なのかな」


少し真面目に、

そんなふうに思ったりした。



修理費がかさんだことにも疲弊したが。

繰り返しつづいた「路上遭難」に、

不安と苦難を感じるようにもなっていた。


これまで住んでいたのは、

少し歩けば「公衆電話」のある所ばかりだった。

だからそれを「当たり前」だと思っていた。


自分は、携帯電話を持っていない。

持っているのは電話番号帳とテレフォンカード。

必要な番号は頭に記憶している。


これまで、それで何とかなった。

何とかなってきたから、

それでよかった。

それで、充分だった。


路上で動かなくなったビートルを置いて、

とぼとぼと電話を探して歩く。


コンビニ。駅前。学校前。消防署。

公衆電話は、そんな場所にある。

はずなのだが・・・・。


公衆電話がこんなにないものか、と。

痛いほどに思い知らされた。


これまでの知識や経験が、

あてにならなくなってしまった。


「すいません、車が故障して。

 携帯電話がないので、

 電話を貸してもらえませんか?」


ようやくたどり着いたガソリンスタンドで、

不審がられながら電話を借りる。


そしてはるばる迎えに来てもらって、

そこからレッカーを手配して、

車屋さんにお願いする。


そうやって誰かに迷惑かけるのも、

何だか「無理」だと言われているようで。


これまで奇跡的に

乗りつづけられてきたこと自体が

本当に奇跡に思えてきて。


今まで一度も

考えたことのなかった発想。


ぼくは少しずつ、

弱気になっていった。


これまでの「当たり前」が、

「スタンダード(標準)」とも限らない。


そう実感した。



疑心暗鬼かもしれないが。


誰にも怒られていないのに、

誰かに怒られているような、

そんな気がして。


得体の知れない、

罪悪感のようなものに包まれはじめた。



◆◆◆◆◆◆






ビートルに乗りつづけて20余年。

かつてに比べ、部品の生産・供給も

「当たり前」でなくなりつつある。


海を越えてでも、

部品が見つかればまだいいが、

見つからない場面も出てきそうだと、

言う人もいた。


時代も変わって、

インターネットやオークションなど、

頼れる術も増えているが。


時流ばかりは何とも言えず、

身をまかせるより仕方ない。



部品待ちで、長引く修理期間に、

代車に乗る期間のほうが「日常」になった。


夏、エアコンの効く代車の快適さ。


路上で止まる不安のない(少ない)、

安定した車。


何の問題もなく、

思ったとおり、予定どおりに

用事をこなすことができる確実さ。


この「当たり前さ」に。


これまで「当たり前」だった日常が、

じわじわと覆(くつがえ)されていった。


車を走らせ、車窓を眺める。


「ああいう感じの車も、いいもんなぁ」


修理からの帰宅を

待っているはずのぼくの頭に、

ビートル以外の車の影が浮かびはじめた。



そんなある日の朝、

代車を停めた駐車場に行くと、

見知らぬおじさんに声をかけられた。


「なんだ、あのうるさい車、

 売ったんか?」


初対面のおじさんは、

車庫のすぐ横に住む住人らしかった。


「うるさいですか?」


やや申し訳なさを込めて、

聞き返してみる。


「うるさいんじゃなくて、

 くさい車って言ったんだ」


何か患っているらしく、

鼻にチューブを付けたおじさんは、

ボンベの乗ったキャリーを

ごろごろと引きながら、

自宅へと消えた。


その場に取り残されたような

気がしたぼくは、

代車に乗り込み、

しばらく中空を見つめたあと、

エンジンをかけて発進した。


しばらく走って、赤信号で停まる。


何だかわからないけど、

すごくかなしかった。


みんなに嫌われてるみたいで、

すごくかなしかった。



◆◆◆◆◆◆◆






原因というものは、

ひとつではない。


些細なことや重大なこと、

いろいろな出来事や要素がからみあって、

ひとつの結果にたどり着く。


単純さと複雑さ。

論理と直感。

現実と理想。


そう。

タイミング。


思考と行動が結びつき、

目の前の現実がそれと合致したとき。


結論は、具現化される。



一生乗るつもりだったビートル。



2021年、11月のある日。


「もう、いいかな」


なぜだか急に、そう思った。



これまで乗りつづけてきたことに、

理由なんてない。


いつでもやめられたし、

やめるタイミングはいくつもあった。


もう無理かなと、

もうやめようかなと、

何度となくそう思ってはきたものの。

実際にやめるには至らなかった。


長い修理から

戻ってきたビートル。


これまでにないくらい快調で、

ここ数年間でいちばんいい音をしていた。


ツインキャブをやめて、

シングルキャブにしたせいもあるのか。

アクセルとの連動(レスポンス)もよく、

ミリ単位で前進、制動してくれているふうだった。


そんな最高の瞬間に。


もういいかな、と、不意に思った。



20年前は、

足や雑誌などが頼りだった車選びも。

今ではインターネットで、

24時間、全国各地の車が見られる。


京都。福岡。静岡。愛知。

遠かったり、理想とちがったり。


あれこれ見ては腕組みしていて。


「え、本当?」


と、声に出してしまうほど、

ものすごく近所に

思うかたちの車があった。


早速、連絡して見させてもらう。



見るだけのつもりが、

そのまま「選んで」きてしまった。



心の準備があったような、ないような。


曖昧で現実味のなかった心に、

いきなり「別れ」がやってきた。



ビートルとの別れ。



長年ずっと一緒だった、

ビートルとのお別れ。



「そっかぁ・・・そうだよなぁ」


見慣れた坂を登りながら、

こみ上げる思いに鼻をすする。


窓を濡らした雨が、視界をさえぎった。

いきなりの雨に、あわててワイパーを動かす。


乾いた音が、窓に響いた。


晴れ渡った空、

雨つぶなど一滴も落ちてはいない。


視界をさえぎったのは、

雨ではなく、自分の目にあふれた涙だった。


うそみたいに雨だと思い、

何の疑いもなく

ワイパーを動かしてしまったほどに。


涙は、唐突だった。



「お別れなのかぁ・・・」


涙目に、

走馬灯のように流れる風景を映しながら。


白昼の車内で涙を流した。


ありがとうとさようなら。


たのしい思い出をたくさんありがとう。


深くは考えず、

何かに導かれるようにして

ここまで動いてきて、

急に現実としてわが身に

降りかかってきた「お別れ」。


自分の足元に伸びる影。


その存在に初めて目が向いたのは、

小学校2年生のときだった。


この影とずっと一緒に生きてきたんだな、と。

これからもずっと一緒なんだな、と。


その「当たり前」に気づいたときの気持ち。


ビートルは、自分の「影」のように、

ずっといつも一緒だった。


はなれること、手放すこと。


そんなことが現実に起こるなんて、

想像すらしてこなかった。



さようなら



さよなら、なんだな。



白いハンドルをぎゅっと握りなおすと、

胸の奥が、そわそわと苦しくなった。



どうしよう。


やめようかな。



などと思ったりしたが。


心にうそはない。



もう、充分。



思い出は消えない。


しがみつくものでもなければ、

誰かに奪われるようなものでもない。


ビートルとのたのしい時間は、

誰よりも自分がいちばんよく知っている。


自分さえ忘れなければ、

決して消えることはない。



大好きだったビートル。


白くて細いハンドル。

スプリングのはみ出た赤い座席。

三角窓から注ぐ風。

助手席との会話も大声になる、

高速走行でのエンジン音。


形も、色も、音も、匂いも。


語り尽くせないくらい、

ぼくの体に、心に、感覚に、

深く深く浸み込んでいる。


恋人というより、親友のような。


「彼女(she)」というよりかは

「彼(he)」という感じ。


傷だらけでぼろぼろだけど、

最高にかっこいい、

世界一の車。



2021年11月。


青空の下、

ビートルの車窓から見える公園の木立は、

戸惑いながら、

やや遠慮がちに黄色く染まりはじめた、

万華鏡のような景色だった。



◆◆◆◆◆◆◆◆






手放すことを考えて、

「買い手」をいろいろ当たってみた。


未練がましく、

手元に置いておこうかと

思ったりもしたけれど。


ふと、

思い出した言葉があった。


「ぼく、おおきくなったら、

 ビートルにのるのがゆめなんだ」


どこかで聞いたことの

あるような言葉だが。


それは、

3人いるうちの2番目の甥っ子が、

まだ小学校低学年くらいのころに、

言った言葉だ。


彼の「夢」。


パンデミックでフランスへの留学が

頓挫(とんざ)して、

現在の彼の夢は、

行き場を失ってしまっていた。


そんな彼に、

ほこりのかぶった古い夢を持ち出し、

聞いてみた。


ビートルに乗る夢。


あれは、本当なのかと。

その夢はまだ、本当なのかと。



「ええっ! 本当に⁉︎」


開口一番、

彼はうれしさに目を輝かせた。


彼はちょうど

免許を取ったばかりだった。

旧車好きの甥っ子たちは、

時代に沿わず

「MT(マニュアル)」免許を取得している。


さらには、

使い道がなくなっている、

フランス行きの貯金。

それがあるので、諸経費も払える。


親類相手に、しかも甥っ子から、

お金をもらうのもどうかと思ったが。

甥っ子も、ただでは気が引けるということで、

「いくらくらいで考えてる?」

と聞いてみた。


「40万円くらいかなぁ」


甥っ子の年齢は、ちょうど二十歳(はたち)。

もうすぐ21歳になる。


「それじゃあ、20万円で」


高いのか安いのかわからないが、

頭にあった数字を言った。


「ええっ! いいの⁈」


初めと同じような声をあげる。


おまけに、黒いハンドルや諸々の部品、

あと、困った時や整備の時に役立つ、

ヘインズのマニュアルと、

トミー毛塚先生の「VWハンドブック」、

さらには実家貸駐車場の

片隅(かたすみ)を占拠したままの、

初代ビートルもセットで譲った。






故障したままの初代ビートルは、

すでに彼ら(1番上と2番目の甥っ子)の

おもちゃになっていたが。

長年、部品取り用に残してあった。


それらをすべて、彼に委ねた。



「ありがとう」


「こちらこそ、ありがとう」



ぼくは、うれしかった。


この「奇跡」のような結末が。



「さようなら」のはずが、

「行ってらっしゃい」になった。



この先、ずっと彼に、

大事にかわいがってもらえるのだから。

こんなにうれしいことはない。



「まだ実感ないけど。

 小さいころからの夢が、かなったんだなって」



甥っ子は、きらきらした目で、

感慨深く、目の前の現実をかみしめていた。


付き添いで来た、上の甥っ子も、

わがことのようによろこんでいた。



3人で「試乗会」をして。

無事に運転できることがわかったので、

最終的な「審査」も「合格」だった。



もう、これで安心だった。



『三5 ゆ 34-73』


名義変更の時点で、

残念ながらこのナンバーとは

お別れになるが。


ビートルとは、いつでも会える。

これからも大切にしてもらえる。



みんなが笑顔のハッピーエンド。


きっとビートルも、

よろこんでいるにちがいない。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆






「一生乗れるような、車が欲しい」


ビートルを選んだときと

同じ思いで選んだ、

新しい車。


20年前の車だけれど。

ずっと乗れる、

ずっと乗りつづけられる、

そういう車だ。


新しい車とも、

また20年先の景色が見れたら、

すごくうれしい。




ビートル最後の運転は、

新しい車が来たときだった。


ビートルを貸駐車場に移動するため、

少しだけ久しぶりにエンジンをかけた。


音、振動、匂い。


懐かしいようで馴染み深い、

ビートルの感触。

乗り出すと一瞬で体に溶け込む。


新しい車は、

アクセルの位置やら踏み代やら、

まだまだ不慣れなところがあったが。


久しぶりのはずのビートルは、

手足のごとく連動して、

阿吽(あうん)の呼吸で一緒に走れた。


一緒に走っているという感覚。


この感じがたまらなく愛おしかった。



大好きだった、

ビートルとの別れ。


それは、決して悲しいことじゃない。


きっかけの種はいろいろあるが、

決めたのは自分だから。


「もう、いいかな」


自分の心がそう言った。



つづけることを、やめること。



自分はこれまで、

つづけることは得意で、

やめるのが苦手だった。



つづけていけば、必ずきっとよくなると。

そう思って何でもつづけてきた。


意地なのか根性なのか。

固執なのか気質なのか。


それとも、

夢見がちで子どもじみた

ただの馬鹿なのか。


つづけることに、苦はなかった。


ややもすると、

それが「当たり前」だと思えてしまう。


やめることは、簡単だ。

簡単だから、いつでもいい。


そう思って、つづけることを選んできた。



つづけることを、やめること。



やめることは、悪いことではない。


自分の心がそう言うのなら、

つづけることをやめればいい。


やめるのも、つづけるのも、

自分の心次第。


自分の見てきた「現実」。


見てきた景色、感じた記憶、

味わった感覚は、

誰にも奪うことのできない、

うつくしくて清らかな経験なのだから。






< 今日の言葉 >


Leck mich im Arsch!
Lasst uns froh sein!
Murren ist vergebens!
Knurren, Brummen ist vergebens,
ist das wahre Kreuz des Lebens.
Drum lasst uns froh und fröhlich sein!
Leck mich im Arsch!



私のお尻を舐めなさい
陽気に行こう
文句を言っても仕方がない
ぶつぶつ不平を言っても仕方がない
本当に悩みの種だよ
だから
私のお尻を舐めなさい


(モーツァルト作「Leck mich im Arsch:K231」1782年)


2022/07/07

『おおきなかお』"うごく絵本"のお知らせ








みなさまこんにちは。


このたび私、家原利明、

絵本『おおきなかお』(2018)を

動かしてみました。


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『おおきなかお』<日本語版>

https://www.youtube.com/watch?v=ybWyJuPb4tU&t=97s


[ Big face ] <英語版>

https://www.youtube.com/watch?v=nbsURAOrF08&t=1s


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思い起こせば小学校6年生の頃。


苦心して初めてつくった「映画」が、

完成の日を迎えられなかったことが悔しくて、

しばらく「動画」から離れておりましたが。


10代のころ、ビデオカメラで、

粘土や人形などを使って、

ストップモーション映画の

短編をつくってみたり、

実写であれこれ撮ったりしていたことも

懐かしく思い起こされます。



技術と文化が発展して、

手軽に動画をつくることはもちろんのこと、

つくったものを一瞬で

公開できるようになりました。


これは、よくよく考えると、

ものすごい進歩です。


映画を早送りで観るような

時代になった昨今ですが。


同じ映画を飽きもせず、

何十回も繰り返し観るのは当たり前で。


字幕も吹き替えもない

広東語の映画を最後まで観たり。


インドのおじいさんが穴の開いてぼろぼろになったタイヤを、紐で穴を修繕し、鉛を溶かして型取りしたりしながら、また使えるようにする模様を映し出した、セリフや説明の字幕はおろか、効果音もBGMもなく、ただただ自然の生音だけが流れる1時間近い動画を、何ら退屈さも覚えず楽しく視聴できるような感覚の自分でありますから。


とても辛口な批評家とは

言い難いのですが。


いいとこ取りの、

いいもの見つけ。


好きなものは好きだと、

はっきり言える感覚だけは

持ち合わせております。



歌劇や童話のように、

普遍的でありながら

見るたびに発見があり、

長きにわたって繰り返し

手に取ってもらえるようなものがつくれたら。


そんなふうに思っております。



【広報動画】









少々長くなりましたが。


以上、家原利明からのお知らせでした。


< 今日の言葉 >


「不幸中のWi-fi」

(最近、パソコン上で目にした言葉)


2022/06/10

家原利明 絵画作品展が終わって




 




家原利明絵画作品展2022。


ヴァージェンス(眼鏡専門店)での展覧会が

無事、終了いたしました。


今回、足を運んでくださったお客様、

どうもありがとうございました。


初めてのお客様、

お久しぶりのお客様、

いつもいつものお客様。


たくさんのお客様に来ていただけたことは、

何よりありがたいご褒美でございます。


会場には行けなかったけれど、

画面ごし、こうして興味を持って

いただいた皆様。


ありがとうございます。



今回、会場が「お店」ということもあり。


毎日毎時、出しゃばるわけにもいかず、

離れた場所にて目を閉じて、

お客様のお姿を念写していた会でありましたが。


だからこそ、いろいろわかったこともあります。


これまで、たいていの場合、

自分がいなくては動かない(開かない)会場が

多かったのですが。


今回はお店の方が担ってくださったので、

自分がいなくても会場は成り立ちました。



自分がいない会。

果たして、人は来るのだろうかと。

いろいろ試してみたかったことを

試みた会でもあるわけです。


反省と収穫。


結論から言うと、

やはり、世間で「在廊日」と呼ばれる

「本人がいるDAY」は、

事前に何日か決めておいたほうがいい、

ということ。


そうすれば、

約束をしなくても顔を会わせることができる上に、

思いつきでふらりと足を運ぶこともできる。


「本人」がいない日に、

気兼ねなく来場することもできる。


そう。


こんな「あたりまえ」のようなことも、

これまでの会では感じられなかったものです。


「自分で仕切って、自分で切り盛りする」


合同展をのぞいて

ほとんどの展覧会では、

自分がいないと成立しないものばかりだったので。

また、そういう形を好んでいたので。

今回の「一般的なスタイル」は逆に、

自分にとって馴染みの薄いものでした。


そんなことで。


おりませんよ、と広報していたのですが。

家原本人がいると思って来られたお客様も

多数おられました。


この場を借りて。


お会いすることができず、

どうもすみませんでした。


このような形態で開催する場合、

次回からは「在廊日」というものを

しっかり設けさせていただきます。



会場の様子はこちら

https://www.ieharatoshiaki.com/2022VGNS.html



◆ ◆



展覧会の会期中、

別のことに集中していた。


ずっとやりたかったこと。


花も実も、種がなければ育たない。



まずはできることから、

ひとつずつ。







ちょっくらお江戸へ行って、

見たり聞いたり感じたり。

刺激をもらって意識改革。


やりたいことはやらないと。

明日じゃなくて、今日やらないと。


そう思って。


朝も夜もなく、

ばかみたいに熱中して

あれこれと手足を動かしていたら。


展覧会の会期中だということが、

頭の中から消えていた時期が

何日かあった。


時間も日付の感覚もなくなり、

ひとつのものに

夢中になってしまうこと。


だからぼくは、

待ち合わせや電話待ちのとき、

ほかのことをやるのが苦手だ。


待っていることをすっかり忘れて、

待ち人の存在や、電話の呼び出し音などに、

まるで気づかなくなってしまうからだ。


平たく言えば、

集中しすぎて周りが見えなく

(聞こえなく)なるのだ。


それも少しはましになったかな、

と思っていたのだけれど。


今回はそれを、別の形で味わった。


そう。


展覧会ということを忘れて、

目の前のことに集中しすぎてしまっていた。


5月が6月になったことにも気づかず、

約束を、すっかり忘れてしまっていた。



自分はやっぱり、

ひとつずつしかできないんだな、と。


そんなふうに思って、

唇を噛んだ。



◆ ◆ ◆



会期中、

高校の同級生ら2人と会場へ行った。


5月のさわやかな日。


大通りでは、

ベルギービール祭りが開催されていた。


昼間っから外で

思いっきりビールが飲める雰囲気。


ふだん「昼ビール」に対して、

何かしら「罪悪感」のような

後ろめたさを感じている人たちが、

青空の下、

思いっきりビールを飲み交わす。


ぼくら3人も、

その輪の中に加わった。


グラスやチケットを購入して、

わいわいと大人たちがたのしむ

アルコール遊園地へ入場した。



ぼくは、ベルギービールが好きだ。


シメイとかヴェデットとかデュヴェルとか。

セント・セバスチャンのダークとかは、

すごく好きな味わいだ。


会場には、ご存知の銘柄から、

まったく初めましてのものまで、

約100種類ほどそろっていた。


どうせなら、日本であまり流通していない、

見たこともないようなビールにしよう。


そう思って選んだ1品。


大失敗。


甘くてジュースみたいで、

自分の好みとはほど遠い味わいだった。


「失敗した」


その言葉に笑う友人たち。

ほら、と、ひと口勧めて、

飲んで、また笑う。


いきなりの失敗に大笑いしながらも。


しばらく飲むうち、

だんだん美味しくなってきたから

おもしろい。


ビールだと思うから、

むむむっと、思うのであって。

飲み物(アルコール)だと思って飲めば、

なかなか美味しい。


先入観。

期待感。

チリコンカン。


なるほど、と膝を打ち、

友人ら2人のビールを味見させてもらったり、

うろうろしたりしながら、

次こそは! と鼻息を荒げるのでありました。



ビールを飲んだグラスを洗う

「グラスリンサー」なる器具。


十字形の金属部分に

グラスを逆さまにして押しつけると、

小さな孔(あな)から水が噴き出し、

ビールの泡を洗浄してくれる器具なのだが。


そんな装置にまんまと大よろこびしながら、

黄色いプラスチックの、

貴重な「ビールチケット」を片手に握りしめ、

あたらなビールを探す旅に出かけた。


ぼくは、エール(ラガー)も好きだけれど、

ブラウン・ビールとかダークとかの、

濃ゆい味わいが好みである。


ということで選んだ2品目。


ビールなのに、

アルコール度数が8くらいあって、

見た目はアイスコーヒーのように

まっ黒だった。


「濃っ!」


これまた飲んだことのない味。


最初のひとくち目は、

まるで「ペンキ」のような味がした。


アルコールが強いせいもあり、

ものすごく強烈で刺激的な香りだった。


ベルギーなどのビールには、

麦芽や酵母以外の材料が含まれていることがあり、

日本国内では「ビール」ではなく、

「リキュール」という扱いで売られている銘柄も

少なくない。


「またやっちゃった」


差し出すグラスを口に運び、

飲みながら笑う友人。


友人の選んだビールをひと口もらうと、

なんだかそれが

自分の理想のビールように思えたりしつつも。

もうひと口もらうと、やっぱりちがうと思って、

自分のビールに戻って飲むと、

なんだか初めのうちより

美味しく感じるようになってみたり。


慣れ、なのか、何かのか。


自分の味覚なんて、

いい加減なものだ。



ということで。


最後は自分のよく知る、

好みの銘柄のビールを飲むことにした。


ヴェデットのエクストラ・ホワイト。

青と黄色に、シロクマの絵。


ふだん、瓶で飲んでいるそれが、

ここでは「生」で味わえる。



美味しかった。



慣れ、というより、

それは「好み」の問題。


自分のことは、

自分がいちばんよく知っている。


ほかの人が「好き」でも、

自分は「そうでもない」。


それでいい。


自分が「好き」なら、

人がどうであれ、

それでいい。


自分が選んだ「こたえ」。


それが「こたえ」であり、

「正解」である。


多数決でも人気投票でもない。


選ぶのは自分。

決めるのも自分。


「こたえ」は、みんなちがっていい。


友人の「こたえ」や「正解」と、

ぼくのそれとはちがっても。


3人ともが、

そこでたのしく笑っていた。



お互いの「こたえ」をたのしむこと。

お互いの「ちがい」をたのしめること。



そんな「あたりまえ」のことが、

かつて高校生だった

ほろ酔いのおじさんたちの周辺を、

ラッパやハープを奏でる天使たちとともに

ぐるぐると回っていた。



ベルギービール祭りで盛り上がる公園の片隅。


どう見てもベルギーでもビールでもない、

ジャパンの缶のチューのハイを飲んでいる、

ぼくらとはまた別の、3人組のおじさんたち。


彼らの選んだ「こたえ」はそれだし、

むしろ彼らは、今日だけでなくいつも

ここで「チューハイ祭り」を

開催している常連かもしれない。


集団でたのしむ、ぼくらを横目に。


彼らは彼らの「こたえ」を「正解」として、

おなじ場所で、ちがうことをたのしんでいる。


そう。


こたえなんて、ない。

たのしみ方は、自由なのだ。








◆ ◆ ◆ ◆




また別の日。


展覧会を見に来てくれた友人2人と、

その足で大須の商店街へ行った。


その日は日曜。


ふだん、あまり休日に

繁華街へ出向くことのない自分だが。

ときにはこんな「にぎやかな風景」もいい。


久しぶりのような、新鮮なような、

そんな感覚に遊んでいると、

顔ぶれもあってか、気持ちまでもが

「学生」に戻ったような感じだった。


「なんか学生に戻ったみたいだね」


「本当に」


きっかけはどうであれ、

ほかの2人もおなじことを思ったようだ。


古着屋さんや雑貨屋さん、

たくさんの飲食店などのお店屋さん。


おしゃれ街(タウン)を尻目に、

結局ぼくらは、から揚げを食べたり、

ソフトクリームを食べ歩いたり、

お菓子を買ったり、

観音さまをお参りしたり。


「大須観音ってお寺? 神社?」


「神社じゃない? だって、

 ガラガラってやる鈴とかあるし」


偉そうなことを言って、

思いっきり柏手を打ってお参りしたわけでありますが。


調べてみたところ、

観音さまは神社ではなく「お寺」というのが

「正解」のようです。


こちらの「こたえ」は、

ビール選びとはちがって、

個人個人の「こたえ」によって左右されない

確定的な「事実」であります。



気持ちばかりは学生でも。

すっかり大人になったぼくらは、

歩きつづけた足を休めながら、

公園のベンチに落ち着いた。


先ほど買ったマンゴージュースで喉を潤す。


トロピカルなマンゴージュースは、

飲んだあと水が飲みたくなるほど濃厚で、

それでいて止まらなくなるような、

南国からの魅惑の使者だった。


公園には、いろいろな人が集まる。


ベンチでお弁当を食べる外国人男性と女性。


帽子から靴、カバンにいたるまで、

全身まっ白な、やや長身の黒髪女性。


これまた負けじとばかりの、まっ白な犬。

その白い犬を連れた、カラフルなご夫婦。


いろいろな人が集い、行き交う公園で。

しばし足を休めて、景色を眺める。


「あの富士山、登れるかな」


ひとりが言った。


富士山の形をした「遊具」。


コンクリートの塊の、

高さ4メートルほどの、ちょっとした山。

山肌、つるつるとした「滑り台」面の反対側には、

丸石を埋め込んだ「階段」がある。


「登れるよ」


ぼくが言う。


言葉どおり、さっそく登る。

階段からではなく、滑り台から、ゆっくりと。


「わっ、すべる!」


カンフーシューズのぼくは、

靴裏のグリップを過信していた。


もう一度、

勢いをつけて、登り直す。


今度は難なく登頂成功。


頂上からの眺めは、

たった数メートル上がっただけなのに、

ずいぶんと高く、

そして遠くまで見える気がした。


頂上の、

直径1メートルくらいの足場から

足元を見下ろすと、

一瞬、ひやっとなるほど「高く」も感じた。


下(地上)から見ているのと、

実際に登ってみたのとでは大違いだった。


見えるもの、感じるもの、

入ってくる情報そのものが、まるでちがう。


あとを追うようにして、

2人もそれぞれ頂上を目指す。


それぞれの、やり方で。


それぞれの服装や靴は、

それぞれ公園に適していたり、

または適していなかったりで。


それぞれがちがうやり方で、

ちがう部分に気を配りながら、

それぞれの形で登頂した。


と、

2人に割り込むような格好で、

かたわらで見ていた男児が

勢いよく登頂してきた。


小学校低学年くらいの男の子だったが。


彼を見守っていたはずの父親までもが

勢いよく富士山のてっぺんに登ってきた。


せまい、富士山の頂上。


大人が4人と、子どもが1人。


にわかに飽和状態と化し、

広い公園の中、

そこだけ人口過密の様相を呈した。


男の子は、ぼくものぼれるよ、と、

「見せびらかし」がしたくて

登ってきたのだろう。


お父さんは、

わが子が転んだりしないか心配で、

追って登ってきたようだ


何度も降りては登ってくる

男の子とそのお父さん。


富士山頂上にて身動きが取れなくなったぼくらは、

目まぐるしく動き回るその親子の挙動を

静かに笑いながら見守っていた。


よくよく見ていると、

お父さんは、男の子に関係なく、

自らの意思と願望で、

勢いよく登ってくるふうに見えなくもなかった。


お父さんである彼が、

靴の裏を滑らせて、富士山を下降していく。


ちらりとこちらをうかがいながら、

両手を広げて、ざざーっと滑降していくその姿に。


何だかまるで、

お父さんである「彼」もが

「見せびらかし」をしているように

見えはじめる。


「大きな子ども」が

「自慢げに」何度も登り降りして、

ぼくらに「ほめて」もらいたがっている。


なぜだか急に、

そう見えてくるから不思議だ。



遊具ではなく、車窓からの富士山 (2022/5/12)




下山のときが来た。


1番手はぼくだった。


お父さんたちとは反対側の斜面から滑降。


靴裏のグリップが

反作用しないか危惧(きぐ)したが。

何の問題もなく、

なめらかにさぁ〜っと滑り降りた。


次なるチャレンジャーである彼女。


「どういう感じ? え、どうすんの?」


「体育すわりみたいにしゃがんだ格好で、

 お尻はつけないで、足の裏で滑る感じ」


不安な声に対して、地上から助言を送るも。

返答など耳に届かなかったのか、

それとも体が言うことを聞かなかったのか。


いきなりお尻をついて、

滑りはじめた。


ほんの一瞬の出来事だが。


こういうときは、

一瞬が数秒にも感じて見える。


途中、危なく、

パンチラお色気シーン登場か

という局面に遭遇したが。


大事にもいたらず、

転ぶ代わりに笑い転げるだけで事は済んだ。


しばらく、言葉も声もなく、

ひたすら腹を抱えて笑ったあと。


「尻、剥(む)けるかと思った」


彼女がぽつりとそう言った。


それを見た「3番手」は、

斜面からの滑降ではなく、

踏み石からの下山を選んだ。


これもまた「正しい」ルートの選択だ。


小雨がぱらぱらと降りはじめ、

腹も減ってきたのでお店に入った。



にぎやかな台湾料理店にて。

あんまりお腹減ってない、とか言っていたのに、

まるで大家族のような勢いで食べる2人。


声を枯らして話しながら、

美味しい料理でお腹を満たして。


5杯目の水を飲み干したころには、

すっかりいい時間になっていた。


コンビニ前で雨やどりしながら

アイスを食べたあと、

1本の折り畳み傘にひしめき合って入り、

駅までの道を歩いた。



大須ではなく新宿




時計の針は、戻らない。


けれども時間は、

前に進みながらも、

ときどきその歩みを遅めたり、

止めたり、戻したりもする。


だからこそ、

今この瞬間をしっかり

噛みしめておかないとね。



そんなことを思ったかどうかは、

誰も知らない。




◆ ◆ ◆ ◆ ◆








否定と対立。


少数と多数。


正論と所感。



ちがいを認めること。

認めるから見えてくるもの。


ありがとうとごめんなさい。


礼儀、約束、敬意。



自分の「こたえ」が見えなくなるくらいなら、

耳をふさいで、自分の心に聞いてみる。



たのしむために。

自分がたのしいと思うことをやる。


自分がたのしんでいなければ、

ほかの人をたのしませることなど、

できるわけがない。


そのためにやるべきこと。


たのしむためにやるべきこと。




原点回帰。



みんな、それぞれちがう。


自分を見失ったら、そこでおしまいだ。



むずかしいことはわからない。

わからないことはできっこない。


簡単なこと。


それは、

自分がたのしくなければ、

いつか心は滅びる




切りすぎたハンドルを少し戻して。


まっすぐにアクセルを

踏みこめる覚悟があるのなら。


ブレーキなんて、必要ない。








< 今日の言葉 >


ぼくの考えたペンネーム


1)ちょびひげダーリン

2)よそいきマンボ

3)日雇いフレンズ

4)おっぺけペンギン


(どれでも100円)