2018/02/27

理由なんてない







先日、車が故障した。

乗っている車はフォルクスワーゲン・ビートル、タイプ I。

1971年式の、空冷車だ。


事故(※参照)にあい、

1966年式の初代につづく2代目のビートル。


ビートルには、

かれこれ20年以上乗っていることになる。



それでも、ちっとも整備はできないし、

ちっとも詳しくなっていない。



ただ、音や匂い、反応の重さや軽さなど、

ちょっとした異変やちがい、

状況判断や直感力、

そんな感覚的なものは養われている気がする。





長年乗りつづけた2代目ビートル。

彼(または彼女)は

ここ最近、立てつづけに故障している。



御年47。


人間でいうと「初老」であり、

「桑年(そうねん)」の歳。



入退院をくり返し、

治療(修理)や部品交換を重ねては来たものの。

いろいろ傷みが出てきているのは否めない。






☆ ☆ ☆ ★







子どものころ、

親戚のお兄ちゃんが乗っていて、

自分も大きくなったら乗りたいな、

と思っていたビートル。


そんなこんなで。


22歳から、

気づくと今日まで乗りつづけている。




かっこいいから?


好きだから?


ずっと乗りつづけられるから?


愛着? 愛情?


意地? 決意?


理由は、よく分からない。





乗りつづけて何十万キロ。


走行距離メーターは、

「99999」から「00000」へ、

もう何回転したのか分からない。



御年47歳のビートル。

満身創痍の、ビートル。


昨年は4回、

今年に入ってすでに2回、入院している。



つい先日の故障は、

目的地からの帰路、

ひとり幹線道路を走っていたときだ。


赤信号で停車したところ、

排気音が不安定になった。

エンジンが止まりそうだったので、

アクセルを踏み込んでみる。


けれども、

エンジンの回転数が上がらず、

踏み込めども

排気音がどんどん心細い感じになっていった。


これはこのまま走っていけそうな「感じ」ではない。



この「感じ」というのも、

長年の「勘」のようなもので、

不確かなようでなかなかあてになる感覚だ。


夕刻、家路を急ぐ車であふれかえる環状線。

みなさまに迷惑をかけないよう、

帰宅をあきらめ、

見知らぬ交差点で右折。


これまた何のスキルにもならないのだが。

こういった不測の事態のときには、

状況の把握、判断、決意が求められる。



交差点で右折を選んだのも、

そちらが下り坂で、

広そうな駐車場を持つ

スーパーマーケットが見えたからだ。


仮にエンジンが止まっても、

惰性で下り坂を進んでいけるだろう。


信号が、赤から青に変わる。


弱々しく先細っていくエンジン音。

ギアは1速に入れたままクラッチを踏み、

アクセルをこまめに吹かして。

右手はハンドルに、

左手はハンドブレーキを引いた状態で、

対向車が途切れるのを待つ。


いたずらに長く感じる直進車の列。

ようやく群れが途切れたとき、

ハンドブレーキを下ろして発進する。


波打つエンジン音を吐き出して、

ニュートラルのまま下り坂を下っていく。


そのまま滑り込むようにして

スーパーマーケットの第2駐車場に入り、

具合のよさそうなポジションに停車。


最後、アクセルを吹かしたときに、

マフラーから「パン!」という大きな音が炸裂した。

(燃料が不完全燃焼したとき、こうして生ガスが破裂することがあります)


その音に、

道向かいを歩くアジア系の男女が

目を丸くしてこちらをうかがう。


分かるか分からないか程度の所作で、

何となく、彼らに小さく頭を下げて。

そのまま静かにエンジン停止。



さてどうしよう。



ひとまず煙草に火を点けて、

ゆったり心落ち着かせる。



こんなことを、

もう何度となく、くり返してきた。




はて、ここはどこだろう?


1本の煙草を灰にしたあと、

電柱や交差点に書かれた地名を拾い集める。


先ほど曲がってきた大通りへ歩き、

あたりを見渡す。

高架のつづく幹線道路の周りには、

お店の姿も見当たらない。


再び車を停めた駐車場に戻り、

スーパーマーケットより先へ下ってみる。


『喫茶スヌーピー』に心惹かれつつも、

「電話」がないか歩いていく。



・・・ご存知の方もおられると思いますが。

申し遅れました、私、家原は、

生まれてこのかた「携帯電話」という機器を

持ったことがございません。


ということでございますゆえ、

こういった場合、

かくして「電話」を探すことから

はじまるわけでございます・・・。



これまた長年の「蓄え」ではあるが、

バス通りには「公衆電話」のある確率が高い。


バス停のつづく道を下っていくこと数分。

消防署が見えた。


消防署の人に言って、電話を貸してもらおうか。


そう思った視界の先に、

茶色いサッシに囲まれたサンルーム型の箱、

そう、われらが「公衆電話」を発見。


見なれたガラス箱の姿に安堵し、

喜び勇んで駆け寄る。


頂き物の『OPA!』のテレホンカード。

受話器を持ち上げ、

するりとカードを挿入する。


未使用なので、カード度数は満タンの「50」。

灰色の電話器に向かい、

手慣れたもので、三角形のボタンを4回押して、

通話音量を大きくする。


テレフォンカードマンのぼくは、

主要な番号がいくつか頭に入っている。


とはいえ、

両手の指の数以上はメモリーできないので、

トロント(カナダ)で買ったアドレス帳を持ち歩いている。

アルファベットごとで、

ページが階段状に分別された

アドレス帳だ。



いつもお世話になっている車屋さん。

もう、十何年も繰り返しダイヤルした番号だ。


たいていぼくは、


『イイワオクサマ』

『サンキューオヤサイ』


的な感じの語呂合わせで

電話番号を覚えているのだが。

そのほとんどが、


『ハコムシムクナナ』

『ムレナクサシバヨ』


といった、

意味をなさない語呂合わせばかりだ。



さて。

夕陽も陰りはじめ、

街灯の明かりが白々と灯るころ。


3回ほどの呼び出し音のあと、

聞き慣れた車屋さんの声が受話器から聞こえた。


ひとまず

積載車(車を積むことのできる大型トラック)で

迎えにきてくれるとのことで、

状況と場所を伝え、電話を切る。



暗くなった道をとぼとぼ戻り、

スーパーマーケットの入口をくぐる。

店内にはすでに『蛍の光』が流れていた。


本来の順番とは逆ではあったが。

店員さんに車が故障した旨を伝えると、


「ああ、いいですよ。

 夜、施錠とかしないから大丈夫ですよ」


と、快く駐車をゆるしてくれた。


見知らぬ風景のなか、

ひとり、煙草を吹かして迎えを待つ。


ぼくはただ、

何をするでもなく、

路傍に立ち、行き交う車や風景を眺めていた。



空は、藍色を越えて漆黒になる。

スーパーマーケットの照明も消えて、

店員さんたちが次々と帰っていく。



いったい何をしているのか。



これまでに、

もう何度となく、くり返した光景である。






☆ ☆ ★ ★







先月のこと。

郊外を走っていると、

エンジンから異臭が漂い、

すみやかに停車させると、

ジェネレータからゆらりと白煙が立ちのぼっていた。


ちなみにビートルのエンジンは

後部にあるので、

停車するまでそれは見えなかった。



緊急停車したのは、

ラーメン屋さんの駐車場。



車から降りると、

たまたま地主さんがいて、

駐車の許可とともに、

ちょっとした立ち話をしてくれた。


これまで高級車を何台も持っていたこと。

「ティファニー」の車を

長年大事に乗り続けていたけれど、

しばらく乗らなかったときに

トランクを閉め忘れていて、

ネズミが荷物を食い散らかし、

残骸やら糞やらで大変なことになった話など。




数年前、

カラオケ屋さんに駐車したときには、

心配してくれたあげく、

タクシーを呼んでくれたり。


本当に、みな親切にしてくれた。



けっしてよろこばしいことではないが。

もう、何度となくくり返した故障の場面で、

いろいろな人たちに助けてもらった。



夜中にひとり、

エンジンの止まった車を

押して「歩いた」こともある。


雪の降る深夜に、

ひとり「押しがけ」をしたこともある。


「押しがけ」というのは、

ギアを低速(2速くらい)に入れて、

後ろから押したりして加速させ、

適度なスピードが出たときにクラッチをつなぎ、

エンジンをかける方法だ。


バッテリーや

電気系統が故障したときには、

この方法でかかることがある。



深夜、

コンビニエンスストアで立ち往生したとき。

駐車場で集会をしていたヤンキーの若衆たちが、

誰からともなく車を押してくれた。

見事、エンジンがかかり、

十数人の若衆たちに拍手で見送られ、

手をふり、無事に帰宅したこともある。



ほかに誰もいない、ひとりのときには、

感じのいい「下り坂」を見つけて、

押しがけを試す。


チャンスはたいてい1回。

坂を下った車を押し戻すのは至難の業だ。

集中力と決断力が必要となる。


そこまで車を押しながら移動するのも、

運転席の窓を開けた状態で

車の外から手を入れてハンドルを操り、

とろとろと車を引きつれていくのだ。


通りすぎていくほかの車の人から見ると、

あやしくて、異様な光景にちがいない。


まるで車を散歩させているような、

そんなふうにも見える。





走行中、後輪がはずれたこともある。

構造上、はずれた車輪が外側に転がりにくいためか、

さいわい、車体が沈んで停車した。

そのときは、

車輪を支える「軸」の破損が原因だった。




ワイパーの故障。


雨であれば、

まだ何とかなる。


雨は、車窓を流れてくれるので、

前が見えなくなることはない。



遠方からの帰り道、

走るほど車窓に積もっていくくらいの大雪の中。

ワイパーのモーターが壊れて、

動かなくなった。


ぴくりとも動かなくなったワイパー。

分厚く積もる雪に視界を遮られて、

前が見えない。


まっくらな田舎道。

とにかく走るしかなかった。


仕方なく、

ウインドーのウォッシャー液を噴射して、

白い雪の壁に開いた「穴」から前をのぞいて、

運転をつづけた。


信号で停車するたび、

窓を覆い隠した雪を手でかき降ろし。

ウォッシャー液がなくなれば、

手持ちのウーロン茶で何とかしのぎ。


尻を少し浮かせたまま、

ウォッシャー液(またはウーロン茶)で空いた

小さなのぞき穴から前を見て、

街の灯りが見えるまでひたすら走った。



これも、

もう十何年も前の話だ。



真冬に暖房がこわれたときには、

外よりも寒かった。

コート、マフラー、手袋を身に着け、

それでも寒かった。


帰宅後すぐに、

腋下部(えきかぶ=わきのした)と

鼠蹊部(そけいぶ=太ももの付根)に

熱々のシャワーを当てて、

冷えきってふるえる体を温めた。


以来、車内には、

ちょっとした毛布が積んである。



逆に夏、

暖房が切れなくなったこともある。

炎天下の温風地獄、

行き交うほかの車に(なぜか)さとられないよう、

涼しい顔で乗車していた記憶がある。




友人と静岡へ向かうとき。

深夜の国道で車が停止した。


ふと見ると、

夜の闇にひときわ明るく浮かぶ

看板があった。


「JAF 日本自動車連盟」


まるでよくできた物語のような形で出会った

オアシスのような存在。


ぼくらは徒歩でJAFに向かい、

あっけにとられる隊員さんに状況を説明した。


来た道を先に徒歩で戻って待っていると、

ほどなくしてJAFの車がやってきた。

そして、救助に来てくれた隊員さんが、

その場でできる処置をしてくれた。


「自分なら、帰ることを選ぶよ」


隊員さんの、

賢明な助言に耳を傾けることもなく、

そのまま一路、静岡に向かった。



だって、

すごく行きたかったんだもん。



いましがたの「偶然」と「奇跡」を

興奮気味に話したぼくらは、

自分たちがいかに運がいいか、

そのことばかりを繰り返し噛みしめた。


数十キロほど走って、

友人が眠りに墜(お)ちたころ。


再びエンジンが不調を訴えはじめ、沈黙。



ほら、言わないこっちゃない・・・。




動かなくなった車は、

深夜の衣料品店に駐車。


しばし車中にて滞在。


日が昇り、

メモを貼り付けた車を残して。

音と景色を頼りに、

あるはずの最寄の駅まで適当に歩いた。


何とか電車に乗り込んだあと、

繁華街のある街の駅で下車。

レンタカー屋さんで積載車(8t)を借り、

車を残した現場へ向かった。


8tトラックの運転が、新鮮でたのしかった。


故障した車を積載車に積んで、

地元の整備工場まで百キロ超の道を走る。

高速道路を経由して、

地元に着いたころには、

すっかり午後になっていた。


故障した車を降ろして、車屋さんに委ねる。


今度は積載車を返しにいくため、

再び静岡県へとひた走る。


レンタカー屋さんに到着したころには、

すっかり日も沈み、

あたりは真っ暗だった。


そこから徒歩で駅へと向かい、

駅近くの繁華街でお好み焼きを食べて、

友人とふたり、電車で帰宅した。


帰った時刻は深夜2時すぎ。


まるっと1日以上。


いったい、何をしに行ったのか。


いったい、何をしていたのか。






 ☆ ★ ★ ★







そう。


そんな疑問すら抱くこともなく、

今日までやってきた。



なぜ?

どうして?



理由なんて、ない。


立てつづけの故障に。



もう、やめようかな。


最近ふと、そう思ったりもした。



けれど。



入院から戻ってくるたび、

やっぱり思う。


「いいな、ビートルは」




エンジンの音。

排気の匂い、振動。

アクセルの感触。

車内の風景と、窓からの景色。

べんりな三角窓。



クーラーもない。

あるのはエンジンで温まる暖房だけ。


夏は暑くて汗だくになるし、

冬はエンジンが暖まるまで出発できない。


カーステレオも鳴らないし、

カーナビ(ゲーションシステム)もない。


見えにくいほど小さなミラー、

寒い日にはすぐに曇る窓。


電気は暗いし、

ワイパーも遅く、頼りない。


だから、ゆっくり走る。


狭い道、曲がり角。

雨の日、夜の道。

ゆっくり走る。


知らない道、知らない街。

地図と看板、景色を頼りに、

ゆっくり走る。



そう。



理由なんて、ない。


理由なんて、いらない。





★ ★ ★ ★






車屋さんに電話をしてから、

30分ほど経った。


夜風が吹き抜ける、

スーパーマーケットの駐車場に、

何台目かのトラックの排気音が聞こえた。


車体に並んだ黄色い電飾。

路肩に停まったトラックは、

まちがいなく、車屋さんだった。



積載車に積み込まれていく、ビートル。


車体や窓に、

夜の灯りがきらきら映る。



積載車の助手席に乗り込み、

ふり返るとすぐそばに、

ビートルの顔があった。



これまで、

本当に困った場面でこわれたことは、

一度もない。


あぶなくなる前に教えてくれたり、

変な言い回しだが、

たいてい「いいタイミング」でこわれてくれる。


動かなくなった車の中で、

車中泊をしたこともある。


けれど、帰れなくなるようなことは、

一度もなかった。



積載車にゆられるビートルの顔。

街の灯りに、

ビートルの目が、きらきらゆれる。


やさしい、

犬のような目をしていた。





理由なんて、いらない。


理由なんて探したら、

何もおもしろくないし、

何もできなくなる。



思わぬ事態に直面すると、

正直、わくわくする。


そんなわくわくを、

たのしむ余裕を持っていたい。




おもしろいものへと

運んでいってくれる車、ビートル。


だから、乗れるかぎり、

乗りつづけたい。



理由なんて、ない。


理由なんて、いらない。



考えたって、分からない。




たぶんぼくは、

ばかなんだと思う。



だから、理由なんていらない。






< 今日の言葉 >


「考えたのは 頭の中で

 決めたのは 胸の奥で」


(『ヘッドバンガー』作詩:甲本ヒロト/ザ・クロマニヨンズ)