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家原利明絵画作品展2022。
ヴァージェンス(眼鏡専門店)での展覧会が
無事、終了いたしました。
今回、足を運んでくださったお客様、
どうもありがとうございました。
初めてのお客様、
お久しぶりのお客様、
いつもいつものお客様。
たくさんのお客様に来ていただけたことは、
何よりありがたいご褒美でございます。
会場には行けなかったけれど、
画面ごし、こうして興味を持って
いただいた皆様。
ありがとうございます。
今回、会場が「お店」ということもあり。
毎日毎時、出しゃばるわけにもいかず、
離れた場所にて目を閉じて、
お客様のお姿を念写していた会でありましたが。
だからこそ、いろいろわかったこともあります。
これまで、たいていの場合、
自分がいなくては動かない(開かない)会場が
多かったのですが。
今回はお店の方が担ってくださったので、
自分がいなくても会場は成り立ちました。
自分がいない会。
果たして、人は来るのだろうかと。
いろいろ試してみたかったことを
試みた会でもあるわけです。
反省と収穫。
結論から言うと、
やはり、世間で「在廊日」と呼ばれる
「本人がいるDAY」は、
事前に何日か決めておいたほうがいい、
ということ。
そうすれば、
約束をしなくても顔を会わせることができる上に、
思いつきでふらりと足を運ぶこともできる。
「本人」がいない日に、
気兼ねなく来場することもできる。
そう。
こんな「あたりまえ」のようなことも、
これまでの会では感じられなかったものです。
「自分で仕切って、自分で切り盛りする」
合同展をのぞいて
ほとんどの展覧会では、
自分がいないと成立しないものばかりだったので。
また、そういう形を好んでいたので。
今回の「一般的なスタイル」は逆に、
自分にとって馴染みの薄いものでした。
そんなことで。
おりませんよ、と広報していたのですが。
家原本人がいると思って来られたお客様も
多数おられました。
この場を借りて。
お会いすることができず、
どうもすみませんでした。
このような形態で開催する場合、
次回からは「在廊日」というものを
しっかり設けさせていただきます。
https://www.ieharatoshiaki.com/2022VGNS.html
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展覧会の会期中、
別のことに集中していた。
ずっとやりたかったこと。
花も実も、種がなければ育たない。
まずはできることから、
ひとつずつ。
ちょっくらお江戸へ行って、
見たり聞いたり感じたり。
刺激をもらって意識改革。
やりたいことはやらないと。
明日じゃなくて、今日やらないと。
そう思って。
朝も夜もなく、
ばかみたいに熱中して
あれこれと手足を動かしていたら。
展覧会の会期中だということが、
頭の中から消えていた時期が
何日かあった。
時間も日付の感覚もなくなり、
ひとつのものに
夢中になってしまうこと。
だからぼくは、
待ち合わせや電話待ちのとき、
ほかのことをやるのが苦手だ。
待っていることをすっかり忘れて、
待ち人の存在や、電話の呼び出し音などに、
まるで気づかなくなってしまうからだ。
平たく言えば、
集中しすぎて周りが見えなく
(聞こえなく)なるのだ。
それも少しはましになったかな、
と思っていたのだけれど。
今回はそれを、別の形で味わった。
そう。
展覧会ということを忘れて、
目の前のことに集中しすぎてしまっていた。
5月が6月になったことにも気づかず、
約束を、すっかり忘れてしまっていた。
自分はやっぱり、
ひとつずつしかできないんだな、と。
そんなふうに思って、
唇を噛んだ。
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会期中、
高校の同級生ら2人と会場へ行った。
5月のさわやかな日。
大通りでは、
ベルギービール祭りが開催されていた。
昼間っから外で
思いっきりビールが飲める雰囲気。
ふだん「昼ビール」に対して、
何かしら「罪悪感」のような
後ろめたさを感じている人たちが、
青空の下、
思いっきりビールを飲み交わす。
ぼくら3人も、
その輪の中に加わった。
グラスやチケットを購入して、
わいわいと大人たちがたのしむ
アルコール遊園地へ入場した。
ぼくは、ベルギービールが好きだ。
シメイとかヴェデットとかデュヴェルとか。
セント・セバスチャンのダークとかは、
すごく好きな味わいだ。
会場には、ご存知の銘柄から、
まったく初めましてのものまで、
約100種類ほどそろっていた。
どうせなら、日本であまり流通していない、
見たこともないようなビールにしよう。
そう思って選んだ1品。
大失敗。
甘くてジュースみたいで、
自分の好みとはほど遠い味わいだった。
「失敗した」
その言葉に笑う友人たち。
ほら、と、ひと口勧めて、
飲んで、また笑う。
いきなりの失敗に大笑いしながらも。
しばらく飲むうち、
だんだん美味しくなってきたから
おもしろい。
ビールだと思うから、
むむむっと、思うのであって。
飲み物(アルコール)だと思って飲めば、
なかなか美味しい。
先入観。
期待感。
チリコンカン。
なるほど、と膝を打ち、
友人ら2人のビールを味見させてもらったり、
うろうろしたりしながら、
次こそは! と鼻息を荒げるのでありました。
ビールを飲んだグラスを洗う
「グラスリンサー」なる器具。
十字形の金属部分に
グラスを逆さまにして押しつけると、
小さな孔(あな)から水が噴き出し、
ビールの泡を洗浄してくれる器具なのだが。
そんな装置にまんまと大よろこびしながら、
黄色いプラスチックの、
貴重な「ビールチケット」を片手に握りしめ、
あたらなビールを探す旅に出かけた。
ぼくは、エール(ラガー)も好きだけれど、
ブラウン・ビールとかダークとかの、
濃ゆい味わいが好みである。
ということで選んだ2品目。
ビールなのに、
アルコール度数が8くらいあって、
見た目はアイスコーヒーのように
まっ黒だった。
「濃っ!」
これまた飲んだことのない味。
最初のひとくち目は、
まるで「ペンキ」のような味がした。
アルコールが強いせいもあり、
ものすごく強烈で刺激的な香りだった。
ベルギーなどのビールには、
麦芽や酵母以外の材料が含まれていることがあり、
日本国内では「ビール」ではなく、
「リキュール」という扱いで売られている銘柄も
少なくない。
「またやっちゃった」
差し出すグラスを口に運び、
飲みながら笑う友人。
友人の選んだビールをひと口もらうと、
なんだかそれが
自分の理想のビールように思えたりしつつも。
もうひと口もらうと、やっぱりちがうと思って、
自分のビールに戻って飲むと、
なんだか初めのうちより
美味しく感じるようになってみたり。
慣れ、なのか、何かのか。
自分の味覚なんて、
いい加減なものだ。
ということで。
最後は自分のよく知る、
好みの銘柄のビールを飲むことにした。
ヴェデットのエクストラ・ホワイト。
青と黄色に、シロクマの絵。
ふだん、瓶で飲んでいるそれが、
ここでは「生」で味わえる。
美味しかった。
慣れ、というより、
それは「好み」の問題。
自分のことは、
自分がいちばんよく知っている。
ほかの人が「好き」でも、
自分は「そうでもない」。
それでいい。
自分が「好き」なら、
人がどうであれ、
それでいい。
自分が選んだ「こたえ」。
それが「こたえ」であり、
「正解」である。
多数決でも人気投票でもない。
選ぶのは自分。
決めるのも自分。
「こたえ」は、みんなちがっていい。
友人の「こたえ」や「正解」と、
ぼくのそれとはちがっても。
3人ともが、
そこでたのしく笑っていた。
お互いの「こたえ」をたのしむこと。
お互いの「ちがい」をたのしめること。
そんな「あたりまえ」のことが、
かつて高校生だった
ほろ酔いのおじさんたちの周辺を、
ラッパやハープを奏でる天使たちとともに
ぐるぐると回っていた。
ベルギービール祭りで盛り上がる公園の片隅。
どう見てもベルギーでもビールでもない、
ジャパンの缶のチューのハイを飲んでいる、
ぼくらとはまた別の、3人組のおじさんたち。
彼らの選んだ「こたえ」はそれだし、
むしろ彼らは、今日だけでなくいつも
ここで「チューハイ祭り」を
開催している常連かもしれない。
集団でたのしむ、ぼくらを横目に。
彼らは彼らの「こたえ」を「正解」として、
おなじ場所で、ちがうことをたのしんでいる。
そう。
こたえなんて、ない。
たのしみ方は、自由なのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
また別の日。
展覧会を見に来てくれた友人2人と、
その足で大須の商店街へ行った。
その日は日曜。
ふだん、あまり休日に
繁華街へ出向くことのない自分だが。
ときにはこんな「にぎやかな風景」もいい。
久しぶりのような、新鮮なような、
そんな感覚に遊んでいると、
顔ぶれもあってか、気持ちまでもが
「学生」に戻ったような感じだった。
「なんか学生に戻ったみたいだね」
「本当に」
きっかけはどうであれ、
ほかの2人もおなじことを思ったようだ。
古着屋さんや雑貨屋さん、
たくさんの飲食店などのお店屋さん。
おしゃれ街(タウン)を尻目に、
結局ぼくらは、から揚げを食べたり、
ソフトクリームを食べ歩いたり、
お菓子を買ったり、
観音さまをお参りしたり。
「大須観音ってお寺? 神社?」
「神社じゃない? だって、
ガラガラってやる鈴とかあるし」
偉そうなことを言って、
思いっきり柏手を打ってお参りしたわけでありますが。
調べてみたところ、
観音さまは神社ではなく「お寺」というのが
「正解」のようです。
こちらの「こたえ」は、
ビール選びとはちがって、
個人個人の「こたえ」によって左右されない
確定的な「事実」であります。
気持ちばかりは学生でも。
すっかり大人になったぼくらは、
歩きつづけた足を休めながら、
公園のベンチに落ち着いた。
先ほど買ったマンゴージュースで喉を潤す。
トロピカルなマンゴージュースは、
飲んだあと水が飲みたくなるほど濃厚で、
それでいて止まらなくなるような、
南国からの魅惑の使者だった。
公園には、いろいろな人が集まる。
ベンチでお弁当を食べる外国人男性と女性。
帽子から靴、カバンにいたるまで、
全身まっ白な、やや長身の黒髪女性。
これまた負けじとばかりの、まっ白な犬。
その白い犬を連れた、カラフルなご夫婦。
いろいろな人が集い、行き交う公園で。
しばし足を休めて、景色を眺める。
「あの富士山、登れるかな」
ひとりが言った。
富士山の形をした「遊具」。
コンクリートの塊の、
高さ4メートルほどの、ちょっとした山。
山肌、つるつるとした「滑り台」面の反対側には、
丸石を埋め込んだ「階段」がある。
「登れるよ」
ぼくが言う。
言葉どおり、さっそく登る。
階段からではなく、滑り台から、ゆっくりと。
「わっ、すべる!」
カンフーシューズのぼくは、
靴裏のグリップを過信していた。
もう一度、
勢いをつけて、登り直す。
今度は難なく登頂成功。
頂上からの眺めは、
たった数メートル上がっただけなのに、
ずいぶんと高く、
そして遠くまで見える気がした。
頂上の、
直径1メートルくらいの足場から
足元を見下ろすと、
一瞬、ひやっとなるほど「高く」も感じた。
下(地上)から見ているのと、
実際に登ってみたのとでは大違いだった。
見えるもの、感じるもの、
入ってくる情報そのものが、まるでちがう。
あとを追うようにして、
2人もそれぞれ頂上を目指す。
それぞれの、やり方で。
それぞれの服装や靴は、
それぞれ公園に適していたり、
または適していなかったりで。
それぞれがちがうやり方で、
ちがう部分に気を配りながら、
それぞれの形で登頂した。
と、
2人に割り込むような格好で、
かたわらで見ていた男児が
勢いよく登頂してきた。
小学校低学年くらいの男の子だったが。
彼を見守っていたはずの父親までもが
勢いよく富士山のてっぺんに登ってきた。
せまい、富士山の頂上。
大人が4人と、子どもが1人。
にわかに飽和状態と化し、
広い公園の中、
そこだけ人口過密の様相を呈した。
男の子は、ぼくものぼれるよ、と、
「見せびらかし」がしたくて
登ってきたのだろう。
お父さんは、
わが子が転んだりしないか心配で、
追って登ってきたようだ。
何度も降りては登ってくる
男の子とそのお父さん。
富士山頂上にて身動きが取れなくなったぼくらは、
目まぐるしく動き回るその親子の挙動を
静かに笑いながら見守っていた。
よくよく見ていると、
お父さんは、男の子に関係なく、
自らの意思と願望で、
勢いよく登ってくるふうに見えなくもなかった。
お父さんである彼が、
靴の裏を滑らせて、富士山を下降していく。
ちらりとこちらをうかがいながら、
両手を広げて、ざざーっと滑降していくその姿に。
何だかまるで、
お父さんである「彼」もが
「見せびらかし」をしているように
見えはじめる。
「大きな子ども」が
「自慢げに」何度も登り降りして、
ぼくらに「ほめて」もらいたがっている。
なぜだか急に、
そう見えてくるから不思議だ。
遊具ではなく、車窓からの富士山 (2022/5/12) |
下山のときが来た。
1番手はぼくだった。
お父さんたちとは反対側の斜面から滑降。
靴裏のグリップが
反作用しないか危惧(きぐ)したが。
何の問題もなく、
なめらかにさぁ〜っと滑り降りた。
次なるチャレンジャーである彼女。
「どういう感じ? え、どうすんの?」
「体育すわりみたいにしゃがんだ格好で、
お尻はつけないで、足の裏で滑る感じ」
不安な声に対して、地上から助言を送るも。
返答など耳に届かなかったのか、
それとも体が言うことを聞かなかったのか。
いきなりお尻をついて、
滑りはじめた。
ほんの一瞬の出来事だが。
こういうときは、
一瞬が数秒にも感じて見える。
途中、危なく、
パンチラお色気シーン登場か
という局面に遭遇したが。
大事にもいたらず、
転ぶ代わりに笑い転げるだけで事は済んだ。
しばらく、言葉も声もなく、
ひたすら腹を抱えて笑ったあと。
「尻、剥(む)けるかと思った」
彼女がぽつりとそう言った。
それを見た「3番手」は、
斜面からの滑降ではなく、
踏み石からの下山を選んだ。
これもまた「正しい」ルートの選択だ。
小雨がぱらぱらと降りはじめ、
腹も減ってきたのでお店に入った。
にぎやかな台湾料理店にて。
あんまりお腹減ってない、とか言っていたのに、
まるで大家族のような勢いで食べる2人。
声を枯らして話しながら、
美味しい料理でお腹を満たして。
5杯目の水を飲み干したころには、
すっかりいい時間になっていた。
コンビニ前で雨やどりしながら
アイスを食べたあと、
1本の折り畳み傘にひしめき合って入り、
駅までの道を歩いた。
大須ではなく新宿 |
時計の針は、戻らない。
けれども時間は、
前に進みながらも、
ときどきその歩みを遅めたり、
止めたり、戻したりもする。
だからこそ、
今この瞬間をしっかり
噛みしめておかないとね。
そんなことを思ったかどうかは、
誰も知らない。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
否定と対立。
少数と多数。
正論と所感。
ちがいを認めること。
認めるから見えてくるもの。
ありがとうとごめんなさい。
礼儀、約束、敬意。
自分の「こたえ」が見えなくなるくらいなら、
耳をふさいで、自分の心に聞いてみる。
たのしむために。
自分がたのしいと思うことをやる。
自分がたのしんでいなければ、
ほかの人をたのしませることなど、
できるわけがない。
そのためにやるべきこと。
たのしむためにやるべきこと。
原点回帰。
みんな、それぞれちがう。
自分を見失ったら、そこでおしまいだ。
むずかしいことはわからない。
わからないことはできっこない。
簡単なこと。
それは、
自分がたのしくなければ、
いつか心は滅びる。
切りすぎたハンドルを少し戻して。
まっすぐにアクセルを
踏みこめる覚悟があるのなら。
ブレーキなんて、必要ない。
< 今日の言葉 >
ぼくの考えたペンネーム
1)ちょびひげダーリン
2)よそいきマンボ
3)日雇いフレンズ
4)おっぺけペンギン
(どれでも100円)