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2024/06/24

やさしい外国人

 

『『性別年齢国籍不詳』(2013年)





みなさんは、

バングラデシュと聞いて、

何を連想しますか?


国旗はすぐに

思い浮かびますか?


バングラデシュは、

インドとミャンマーの

あいだにある国で、

国土面積は、

14万7千平方キロメートル。


ちょうど北海道と、

四国と九州と沖縄を

合わせたくらいだという

よけいにわかりにくい

比較を挙げておきまSHOW。


人口は約1.7億人。


ちなみに日本は1.2億人なので、

さらに本州の人口の半分を

足してちょうど同じくらいだという

ややわかりにくい計算を

書いておきMASS。


首都はダッカ。


みんなの大好きなビリヤニは、

バングラデシュで

よく食べられているよ。


ぼくは、

バングラデシュが好きだ。


びっくりドンキーの、

レギュラーバーグディッシュと

同じくらい好きだ。


バングラデシュ。


行ったことはないし、

詳しいわけでもない。


なぜ好きなのか。


それは、5歳の時に、

バングラデシュのお兄さんに

やさしくしてもらったからだ。



* *



母の実家のとなりには、

留学生会館があった。

(もちろん今もあるヨ)


幼少期のぼくは、

よくそこに入って遊んでいた。


当時のぼくは、

留学生会館という建物が、

何をする場所なのか

まったく知らなかった。


今でも知らない。


おそらく、いろいろな手続きや、

相談や紹介など、

留学生のみなさんの交流や、

拠り所となる施設だろうことは、

何となくわかる。


当時のぼくには、

外国の人がたくさん集まる

楽しい場所、

という認識しかなかった。


母の実家で。

祖父のアトリエをのぞいたり、

仕事の資材置き場で遊んだりして。

時間を持てあましたぼくは、

ちょくちょく留学生会館へ、

ふらりと一人で遊びに行った。


別に誰かにとがめられるでもなく。

半ズボン姿の5歳の子ども(ガキ)が

ふらふらとロビーをうろつきまわる。


いろんな人がいた。

肌の色も、髪の毛の色も、

言葉も違えば、服装も違う。


貼り紙やポスターの、

読めない文字。

意味のわからない言葉。

見たこともないような景色。

それだけで心がうきうきした。


自分とよく似た感じに見える人でも、

全然違う言葉をしゃべって、

また別のよく似た感じの人たちも、

また違う言葉を話す。


日本のほかの「アジア」は、

中国くらいしか知らなかったぼくは、

まだまだたくさんの外国があることを

肌で知った。


1980年ごろは、

自分の住む街に、

まだそれほど外国人が

たくさん歩いていた時代では

なかったので、

留学生会館は、

そこだけ「外国」みたいな

場所だった。


金色、茶色、黒い髪。

さらさら長い髪の毛や、

くるくる巻いた髪の毛。

茶色い肌、黒い肌、白い肌。

髪の毛くらいに黒い肌の人もいたし、

日に焼けた時くらいの

褐色の肌の人もいて。

ミルクたっぷりの紅茶みたいな

肌の人もいた。



黒檀のように

つややかで美しい肌を見て、

本当にきれいだなあと、

じっと見とれていたこと。


錦糸みたいな金色の髪の毛で、

青い目をした人。


輝く黒髪をゆらして歩く人は、

ぼくらとよく似ているけど

どこか違って、

まっすぐ胸を張って、

長い手足をしなやかに動かす。


本当にみんなきれいで、

目を細めたくなるような

美しさがあった。


難しいことはわからない

5歳のぼくでも、

留学生のみんなが放つ

まばゆい光は、

強く心に焼きついている。


それくらい刺激的で、

魅力あふれる風景だった。


髪型も、服装も、

みんなばらばらだったけれど、

とにかくみんな、

かっこよかった。


「はーい、コンニチワ!」


ぼくを見たお兄さん、

お姉さんたちは、

やさしく微笑んで、

ちょっとした言葉を

かけてくれたりした。


それが楽しくて、うれしくて、

ぼくはロビーの景色を、

下から見上げていた。



ある日。


真っ白な長いシャツを着た

男の人が、

ぼくに話しかけてきた。


足元まで届くような、

白いシャツ。

それが「パンジャビ」

というものだと知るのは、

もっとずっとあとのことだ。


インターネットもない時代。

親や大人の情報も、

たがが知れていた。

特別な知識がある人以外、

専門的なことなど誰も知らない。


真っ白な長いシャツを

着たお兄さんは、

ぼくに尋ねた。


「きみはいくつ?」


「5さい」


「ぼくの弟とおなじだ」


お兄さんは、

もう一人のお兄さんをふり返り、

白い歯をのぞかせて笑った。

褐色の肌に、

白い歯がいっそう白くまぶしかった。


「何か食べたい?」


白いシャツのお兄さんが、

笑顔を見せる。

彫りの深い目元の、

サングラスみたいな濃い影。

きれいな目だった。


二人の年齢はわからない。

とても大人びて、

しっかりとして見えたが。

おそらく20代前後だったのだろう。


「何か食べる?

 食べたいもの、食べていいよ」


ロビーには、

ちょっとした喫茶店があった。

壁に据え付けられたガラスケースには、

泡だつ緑色のソーダに

白いアイスと赤いチェリーが乗った

クリームソーダがあった。


メロンやバナナやミカンなどの

色とりどりのフルーツに囲まれて、

チェリーの乗った白いホイップクリームに、

カラフルなスプレーチョコがまぶされた、

プリン・ア・ラ・モードもあった。


コーヒーや紅茶や

ミルクセーキもある。

サンドイッチやトーストもある。


けれども、ぼくの目には、

茶色と白のマーブル模様の、

チャコレートパフェの姿が、

いちばん輝いて映った。


「これ」


指差すぼくに、

お兄さんはやさしく笑った。


もしかすると、

おいおい、パフェか。

もっと遠慮しなさいよ、という

表情を浮かべたかもしれないが。


5歳のぼくの記憶には、

うれしそうに微笑んでいる

お兄さんの笑顔として、

大事にしまわれている。


喫茶店のイスに座って、

ぼくはチョコレートパフェを食べた。

長い、銀色のスプーンで、

甘くて冷たいパフェを食べた。


お兄さんは、

ぼくにはわからない言葉で、

もう一人のお兄さんと

しゃべっていた。


ときどき短い言葉で、

ぼくに質問する。


まるで日本の人みたいに。

少しも変な感じがしない口調で、

ぼくに話しかけた。


「ぼくたちは

 バングラデシュから来たよ。

 バングラデシュは知ってる?」


「しらない」


細かい内容は覚えていないが。

うん、とか、ちがう、とか、

そんなふうに答えられる、

簡単な質問だった気がする。


そのときは何も思わず、

何も考えず、

ただただ言われるまま

ご馳走になったが。


お兄さんの顔は、

本当にうれしそうで、

パフェを食べるぼくの姿を、

静かに笑って眺めていた。


ぼくのよろこぶ姿が

うれしくてたまらないようすで、

歯をのぞかせながら、

やさしく目を細めていた。


お兄さんは何も言わなかったが。


故郷で暮らす弟に

パフェをご馳走したみたいな気持ちで

微笑んでいたのかもしれないなと、

ずっとあとになってから思った。


「ごちそうさまでした」


お兄さんは、にこにこと笑っていた。


「ありがとう」


ぼくはお礼を言った。

お兄さんも、

もう一人のお兄さんも、

笑っていた。

お店の人も笑っていた。



「バイバイ」


手を振るぼくに、

二人のお兄さんたちも手を振った。


白いシャツと、

白い歯がまぶしかった。



秋になって、

幼稚園で運動会があった。


一人3枚の国旗を描くことになり、

ぼくは、インドとブラジルと、

バングラデシュの国旗を描いた。


インドは、

オレンジと緑の色合いと、

まんなかの車輪(法輪です)が

かっこよくて。

青色のクレヨンで、

車輪(法輪です)の細かい形も

しっかり描いた。


ブラジルは、

緑に黄色のひし形がかっこよく、

惑星みたいな絵と、

そこに書かれた文字も魅力的で。

意味もわからず、見よう見まねで

アルファベットを書いた。


『ORDEM E PROGRESSO』


「秩序と進歩」という意味だ。

のびのびと書いた文字は、

ずいぶん右側が窮屈になった。


バングラデシュは、

緑がいっぱいで、

赤い丸は、

ちょっとまんなかから

左に寄っていた。

白い紙を、

緑と赤で、ひたすら塗った。







緑ばかりを使って、

手の指が緑に染まっていた。


まだみんなは描いていたので、

先生がもっと描いていいよと言った。


ぼくは、

アルゼンチンと、

メキシコの国旗も描いた。


まんなかに

細かい絵が描いてあるのがよくて、

誰も描いていなかったので、

その2カ国を選んだ。


描き終わったみんなが、

旗を持って集まった。


バングラデシュの国旗を見た誰かが、

ぼくに言った。


「おかしいよ、みどりじゃないよ。

 それはまちがいのこっきだ」


「まちがいじゃないよ。

 みどりでいいんだよ」


「そんなこっきみたことない。

 にほんはしろとあかだ」


「にほんじゃないよ。

 バングラデシュのこっきだよ」


「うそだ。

 そんなくに、きいたことない」


「うそじゃない、ほんとだ」


「うそだ。そんなこっきないよ。

 まちがいのこっきだ」


転入生のぼくは、

秋になってもまだ、

幼稚園には馴染めなかった。


言葉足らずの

幼稚園児たちのあいだに、

先生が割って入る。


「はいはい、みんな、

 できあがったこっきを

 ここにならべて」


ぼくに声をかけた彼は、

アメリカと日本とフランスの国旗を

並べながら、

まだ何か言いたげな顔だった。


女の子がぼくに聞いた。


「このみどりいろの、

 にほんのこっき、なに?」


「バングラデシュのこっき」


「そんなくにしらない。

 なんていうくに?」


「バングラデシュ」


「ふうん。

 いろがちがうとちがうくに。

 おもしろいね」


そんなようなことを言われて、

なんだかうれしかった記憶がある。


もしかすると、

記憶の捏造かもしれないが。

ひょっとしたら、

先生の言葉だったかもしれない。


Anyway.


ぼくは、

大好きなバングラデシュの

国旗を描いた。


長い白いシャツを着て、

白い歯を見せて笑う

お兄さんたちの姿を思い浮かべて。


小さなぼくの思い出のかけら。

純粋だったころの、

きれいな思い出。



大人になって。

そんなことを思いながら、

愛知万博のバングラデシュのお店で、

虎の置物を買った。

バングラデシュの「思い出」に。


白いワイシャツを着たお兄さんから、

真鍮製の、ずっしり重い、

虎の置物を買った。


目の奥には、

クレヨンで描いた

緑と赤の国旗と、

チョコレートパフェと、

お兄さんたちの姿を思い浮かべて。


気づけばぼくは、

「お兄さん」たちより

歳上になっていた。





* * *



5歳よりも古い記憶。


父の会社関係だったか。

何かの集まりのお花見に行った記憶。

桜の下で、お弁当を食べた。


金網のそばに座る、

パーマをかけた女の人。

重箱には、

お好み焼きみたいなものが

ピザみたいに切られて、

何枚も重ねて入っていた。


じっと見つめるぼくに、

女の人が言った。


「食べる?」


1枚もらって食べたら、

すごくおいしくて、

小さな体でぺろりと食べた。


「あらうれしい!」


これは韓国の食べ物よと、

教えてくれた。


「おいしい?」


うなずくぼくに、

女の人は重箱を差し出してくれた。


「好きなだけ食べて」


大きくなってそれが、

「チヂミ」だとわかった。


学生のころ、

駅裏の韓国のお店で食べたチヂミ。

何枚も重ねて置かれたチヂミの味は、

遠い桜の花見の景色を思い出させた。


しっとりとして、

もっちりとした、

香ばしい味。


「韓国の食べ物を

 おいしいって言ってくれて

 ありがとう」


花びらが舞い散る、

桜の樹の下で。


すごくうれしそうに笑った顔と

その言葉が印象的で、

幼心に深く染みこんだ。



外国に行って、

日本のことを好きだという人に会って、

ようやくその気持ちが少しわかった。


女の人がくれたチヂミは、

その人の作った、自国の味だ。


本物の、韓国の味。


名前も知らない人だけど。

ぼくは、

そのチヂミを食べることができて、

本当によかった。



* * * *



アメリカの、

ワシントン州の郊外で。

とぼとぼ歩いていると、

赤い車がすぐそばで停まった。


「どこへ行くの?」


運転席から女性が顔をのぞかせる。


「ロープを買いに、お店まで」


「乗っていきなさい」


遠慮なく車に乗り込むと、

ハンドルを握りながら

彼女が話した。


数年前、

英語の先生の仕事をしに

日本へ行ったことがあると。

そのとき、

息子のおみやげに、

年代物の、

マジンガーZのおもちゃを

買って帰ったそうだ。


2000年代初頭、

スマートフォンもない時代。

「マジンガーZの

超合金(ちょうごうきん)」

の説明を、

あれやこれやで

伝えようとする女性の言葉を、

懸命に拾い集めて理解したあの時間。


ほんの短い時間だったけれど、

なんだか「つながった」感じで

心地よかった。


「帰りは頑張って歩いてね」


たしかに長い道のりだったが。

車では数分だった。


そのほんの数分が、

今でも心に残っている。


携帯もネットもない時代。

わからないから、無謀に歩いた。


メートル法で育った

ぼくたち日本人には、

ヤードやマイルはぴんとこない。


ロープを買うときも

そうだった。


「なんだ、

 インチとフィートが

 わからないのか!」


お店のおじさんが

簡潔に説明してくれた。


「フィートが3つで『1ヤード』だ」


「インチは?」


「マイルは?」


・・・とても難しかった。


(※注釈:

 1フィート=12インチ

 =1/3ヤード=30.48センチ

 ・・・って覚えてね!)


たしかに、マイル表示の車では、

つい「キロメートル」の感覚で

数字を読み、

せまい路地のカーブで

タイヤを鳴らしたりと、

うっかりスピードが出てしまう。

(例;時速40マイル ≒ 時速63キロ、

  時速80マイル ≒ 時速128.7キロ)


「インチがわからないなんて、

 どこから来たんだ?」

 

「日本から」


「日本はインチじゃないのか?」


「センチとかメートルだよ」


「日本ではインチは

 使わないのか」


「靴とかテレビとか、

 自転車とかはインチだけど」


「それならわかるだろう?」


説明するほどの語彙も

英語力もなく。

店のおじさんが、さらに尋ねる。

ポンドやオンスなどの、

重さの話に続いて、

こちらからは

寸とか尺とか、

昔の「尺寸法」の話までして、

さんざん散らかした挙句。


「おれはアメリカから

 出たことがない。

 だから、同じ物なのに、

 測り方が違うなんて、

 思いもしなかった」


おじさんが、いかにも欧米風に、

肩をすくめて唇を突き出した。



カナダのトロントでは、

チャイナタウンの

『Queen Travel(クィン・トラベル)』の

おじさんに、

ニューヨーク行きの

飛行機チケットを手配してもらった。


本当はバスで行きたかったのだが。

(グレイハウンド的な

 長距離バスに乗ってみたかったのだ)

現実的じゃないからやめたほうがいいと、

助言してくれた。


お店の入口には、


『日本語歓迎』


と赤文字で

でかでかと書かれていた。


『いらしゃいませ』


大きく書かれた文字が、

「っ」の足りない、

若干、発音ちがいの日本語表記で、

多少の不安はあったのだけれど。


ぼくの日本語での質問に、

拙い言葉ではあっても

しっかり応えてくれた。


「大丈夫です。

 これで何も問題ないです」


いきなりの予約だったにもかかわらず、

手早く格安航空券を手配してくれた。


そしてぼくは、

単身ニューヨークへと

無事に到着することができた。



* * * * *



・・・こんなふうに。



話し出したらきりがないくらい、

旅先、滞在先で、

やさしい「外国人」に助けられたり、

うれしいものをもらったりした。


だからぼくは、思った。


ぼくも「外国の人」に

やさしくありたいと。


日本を代表する一人として。


言葉は通じなくても、

持ち帰ってほしい。


名も知らぬ外国人との、

やさしい思い出を。


外国で、

たくさんのやさしい人に

いっぱいもらったから。


ぼくも同じように、したいと思う。


「サマサマ〜」


インドネシアからの研修生が、

にぎやかに笑う。


「どういたしまして〜」


という意味だ。



何かのためとか、

何という目的はなくても。


拙いからこそ、

まぶしく輝くこともある。


楽しい、うれしい、

生の瞬間を、

ほんのひと粒ずつでもいいから、

散りばめられたら。


外国人のぼくは、

たいへんうれチーズです。



< 今日の花言葉 >


ちょっと頭をヒヤシンス




2020/07/17

ばらばらのかけら






☆ ☆ ☆ ☆ 




つい先日のこと。


電車を降りて、

駅前の広場で足を止めた。


足元に、1羽のスズメが横たわっている。



じっとして動かないスズメ。

死んでしまった、スズメだった。



地面のタイルに横たわる、スズメの死骸を見て。

ぼくの足は、無意識に立ち止まった。


時間にしておよそ3秒くらい。


ぼくの足はまたすぐに、

何事もなかったかのように、

先へと歩きはじめた。


眠るように目を閉じた、スズメの死骸。


しばらく歩いても、

その姿が残像のように浮かんでいた。




20代のころ。


繁華街を歩いていると、

歩道のやや左よりのあたりに、

1羽の鳥が死んでいた。


ビル街の歩道。

青くてきれいな羽根が混じった、

名前も分からぬ鳥。


鳥が横たわっていたのは、

土ではなく、ブロックタイルの上だった。


ひとり歩いていたぼくは、

鳥の死骸を手に取り、

車道よりの、街路樹の足元に死骸を置いた。


平日だったか休日だったか。

それなりに人通りの多い界隈で、

ぼくは、周りから注がれる視線が気になった。


だから、そこまでしかできなかった。

それがやっとだった。

土を掘って穴に埋めることまでは、

到底できなかった。


死んだ鳥を、

街路樹の下、わずかばかりの土の上に置いたあと、

やや足早のその場を離れた。


いくつか横断歩道を渡ったあとも、

ぼくの目には、

青い羽根の混じった、

死んだ鳥の姿が横たわりつづけた。




幼いころ。

飼っていた金魚が死んで、

庭に埋めた。


野良猫が掘り返さないように、と、

母に言われて、

朱色の園芸シャベルで土を掘っていった。


「もういいでしょ、そのくらいで」


母の声に手を止める。

50センチくらいは掘ったと思う。

ふり返ると母が苦笑していた。


野良猫が掘り返さないくらい、というのが、

どのくらいのことをいうのか分からなかったぼくは、

声をかけられなかったら、

地球の裏側まで掘り進めていきそうな、

そんな勢いだったのかもしれない。


金魚の死骸を穴のなかにうずめる。

いましがた掘り返した土を穴にかぶせ、

シャベルの背で、何度もしつこく叩いて、

土をならし固める。


そのときもまた、


「あんまりつよくしたら、

 金魚がつぶれちゃうから」


そう母に言われて、

やさしく、それでいてしっかりと、

金魚がつぶれないよう気を配りながら、

掘った土をかぶせていった。


土をかぶせ終わると、

その上に棒を刺した。


棒というのも、

(おそらくこれを読んでいる方の中にも

 おなじ経験があると思いますが)

食べ終わったアイスの棒に、


『金魚のはか』


と書いたものである。


幅1センチほどの、アイスの木の棒に、

油性マジックで書かれた『金魚』の文字は、

にじみ、つぶれて、

『全魚』とも『金角』ともつかない仕上がりで。


背伸びして『金魚』と書いたものの。

まだ「墓」という漢字が書けない幼稚園児のぼくは、

『はか』と書いてみて、

何となくしっくりこない思いを抱きつつも。


最後、どこからかちぎってきた花を添えると、

目を閉じ、頭(こうべ)を垂れて、

ぶつぶつと何やら唱えた。


「さようなら、金魚さん」


きっとそんな程度だったように思う。


名前もつけなかった金魚の、

名もなき墓。


それはまったく

「ごっこ」のようなものだったかもしれないが。


ぼくの「埋葬体験」の、

いちばん最初のものだった。



飼っていた小鳥の「ピースケ」が死んで。

こんどは太めのアイスの棒に、

『ピースケのはか』

と書いて、死骸を埋めた。


亀の「カメちゃん」が死んだときも、

おなじように、庭の花壇のすみに埋めた。


カブトムシやクワガタ、

その他いろいろな生き物たちが死ぬと、

そのつど、庭の花壇に埋めた。


いまにして思えば、

花壇の下は、

さぞかし「にぎやか」だったことだろう。




幼いころは、気にならなかったこと。

幼いころなら、気にされなかったこと。



ぼくは、駅前で遭遇したスズメの死骸に、

できないことがふえている不自由さを思った。




☆ ☆ ☆ ★ ★




小学3年生のときの、

ある日曜日。


おめかしして

出かけようとしているぼくを見て、

父が声をかけてきた。


「なんや、どっか行くんか?」


こくりとうなずき、


「おたんじょう会にいく」


と答えるぼく。


「男の子か?」


という父の問いかけに、首を横に振る。


「なんや、女の子かいな。

 そんならちょっと待っとき」


言うなり父は、

庭に咲いていた白いバラの花を、

これでもかというほど切って、

ぐるぐると包装紙で包んで

大きな花束をつくった。


20本はあろう、大輪の、

真っ白なバラの花束。


そんなの、

歌謡曲とかでしか聞いたことがない。


いや、聞いたのは「真っ赤なバラの花束」か。


・・・そんなことはどうでもいい。


ぼくは、その大きな花束を

持っていくことを拒んだ。


「なんでや、

 なんで持っていけへんねや?」


と、父がすごむ。


「はずかしい」


すでに戸惑い、口ごもるぼく。


「なに言うてんねん。

 ええねや、持って行き。

 誕生日なんやろ?」


うなずくのがやっとのぼくに、

父はたたみかけるようにして言いつのる。


「プレゼント、ないんやろ?

 女の子の誕生日に

 手ぶらで行ってどないすんねん。

 ええから持って行き。

 持って行ってすぐに渡したら、

 それでええねやから」


ほとんど強引、ほぼ強制的に、

真っ白なバラの花束を持たされたぼくは、

しぶしぶと、やや重い足取りで、

自転車の置いてあるガレージまで歩いた。


途中で置いて行こうにも、

父が背後で、出かけるぼくを見守っている。


自転車の前かごに、

巨大な花束を入れたぼくは、

視界をじゃまされながらもときどき立ち漕ぎして、

おたんじょう会の会場へと向かった。


途中、用水路かどこかに流そうかとも思ったが。

何だかそれは、できなかった。


そうか。

なるべく早く行って、

みんなより先に着けばいいんだ。


そう思って道を急ぐも、

のぼり坂の多い道中、

大きな花束がいまにも転がり落ちそうで、

なかなか前に進まない。

気持ちばかり焦って、

ちっとも早くは漕げなかった。



会場に着くと、

すでにみんなが集まっていて、

女子は全員そろっていた。


女子たちの視線が集まる先。

かくすには大きすぎる白いバラの花束は、

ぼくより目立つくらいだった。


仕方ない。


「おたんじょうびおめでとう」


投げやりな感じで、花束を渡す。


「あたしに? ありがとう」


自分の足元ばかり見ていて、

相手がどんな顔をしていたのかは

分からないけれど。


一大任務を終えたぼくは、

とにかくほっと胸をなでおろした。


それもつかの間。


女子たちの黄色い声が、

堰(せき)を切ったように飛び交った。


そのときぼくの顔は、

恥ずかしさのあまり、

真っ赤に染まっていたことだろう。


花束をもらった本人まで、

真白だった頬(ほお)を、耳たぶを、

みるみる真っ赤に染めていた。


白バラは、紅潮する頰も隠してくれない。


「赤いバラだったらよかったのに」


・・・なんておしゃれなことを、

思ったはずもなく。


しばらく、

女子たちの冷やかしの洗礼を浴びつづけた。




「どうやった、よろこんだやろ?」


帰るなり、父に聞かれた。


ぼくは、あいまいに、

うん、とだけ答えて、

父の前かそそくさと消えた



翌日からもしばらく、

ぼくは、バラの花束をあげた相手といっしょに、

ほかの女子から冷やかされつづけた。


それがいつまでつづいて、

どのように収まったか覚えてはいないが。


とにかく、花束騒動は、

しばらく尾を引いたのであった。


甘い、紅茶のような、白いバラの香り。


その匂いを嗅ぐと、

ふと、この一件を思い出す。



大きくなって。


好きな子のためにつくった、

ちょっとした絵本をプレゼントに添えて、

誕生日に告白したりした。


お酒も飲まずに、

照れながらも真面目な顔で


そんな恥ずかしいことを、

さらりとやってのけるようになったはずなのに。


まだまだできないことは、たくさんある。


大切な人を泣かせたことも、

一度や二度ではなく、

数え切れないほどある。




☆ ☆ ★ ★ ★




知人の子どもと遊んでいて。

奇声をあげて、はしゃぎ回る姿に、

思わずぽつりと洩(も)らす。



「いいなあ、子どもは。

 思いっきり走り回れて。

 大人がやったら、

 やばいやつと思われるよね」



近所のうわさで済めばまだしも。

下手をすれば通報ものだ。


いろいろな尋問のあと、

さまざまな検査をさせられて、

窓のない、やわらかい壁の部屋へと

連れて行かれるかもしれない。


それは困る。


けれど。



おいしそうな木の実を見つけて、

手を伸ばして捥(も)いで食べてみる。


長々とつづくアリの行列を見て、

どこに行くのか、ついて行ってみる。


夜、暗くなるまで、時間を忘れて遊んでいて。

「ごはんだよ」

と呼ばれて、ようやく家に帰る。


明日のことより、今日、いまのこと。


ずるはしない。うそは、つかない。


夢中になって、

誰かが呼ぶ声も聞こえない。


悲しいことがあれば、

大きな声をあげて泣きじゃくる。吠える。


嫌なことがあれば、

地団駄を踏んで、わめきちらす。叫ぶ。


やったことがないことは、

やってみないと分からないから、

とにかくまずはやってみる。


恥ずかしいとか人目とか、

そんなことより自分の「好き」がいちばんで。

やりたいことを、やりたいようにやる。



拙(つたな)かった表現が、

少しは成長して変わっても。


気持ちは変わらず、そのままなもの。

できなくなって、消えたもの。


どっちがよくて、どっちがわるいのか。


そもそも、

いいとかわるいとか、

そういうのは、ないものなのか。




☆ ★ ★ ★ ★




小学生のころ。


「正義の味方」に憧れていたぼくらは、

友人と、ヒーロー物のビデオを見たり、

ヒーローのフィギュアを集めたり、つくったり、

ヒーローの絵を描いたりして過ごしていた。











6年生になって。

仮面ライダーの映画をつくった。



そのことが学校の先生の耳に入り、

運動会で仮面ライダーの扮装(ふんそう)をしてほしい、

ということになった。


折しも、

映画で仮面ライダー役を演じたぼくら2人は、

2人ともが「体育委員」だった。


そしてぼくらは、

運動会の赤組と、白組の応援団長だった。


ぼくが赤組で、友人が白組だ。


仮面ライダーの格好で応援する、

という話を持ちかけられたとき、

ぼくは正直、嫌だと思った。


ぼくらがつくった仮面ライダーは、

映画のための「衣装」であって、

着ぐるみのように、人前で披露するものではないと。


第一、子どもじみていて、

恥ずかしいと思った。


自分もれっきとした子どものくせに、そう思った。


・・・だって、

クラスの女子とかにも見られるんでしょ?

大好きなあのコにも・・・。


もう1人の仮面ライダーである友人は、

先生たちからの提案に、

抵抗を示すことなく、よろこんでいるようすだった。


正義の味方らしく、まっすぐに。


そこが、彼とぼくとの大きなちがいだった。


映画の中でも、ぼくは、

友人演じる「仮面ライダー」の敵役の、

「にせ仮面ライダー」役だった。




そんなこんなで。


結局、仮面ライダーの扮装で

運動会の応援合戦に登場することとなったぼくらは、

当日のために準備をした。


撮影でボロボロになった部分を修繕したり、

新調した部分もあった。


手袋は、食器洗いのときに使うゴム手袋だ。

長靴は、給食室のおばさんに貸してもらった。

ぼくのは少し、

給食のスパゲッティみたいな、

ケチャップの匂いがした。


手袋も長靴も、白だった。


ぼくは、赤組ということもあって、

せめてマフラーくらいは赤に、と、

当日、母にスカーフを借りて、首に巻いた。


真紅(しんく)のマフラーは、

本当に、そこだけ、

正義の味方のような感じで、

悠然(ゆうぜん)と風にたゆたっていて、

すごく誇らしく感じた。


子どもだまし、

と思っていた出し物だったが。


小学校には

たくさんの「子どもたち」がいるわけで、

応援合戦のあと、

気づくと低学年を中心に集まって、

ぼくらの周りに人の輪ができていた。


ぼくらの胸にも満たない身長の「子どもたち」が、

わらわらと、ひたむきに集まってくるさまは、

斜に構えがちだったぼくの心をも溶かし、

そのときばかりはぼくを、

「正義の味方」へと変身させた。


仮面ごしに見た、子どもたちの笑顔。


その顔は、目の前にいるぼく(ら)が、

本物のヒーローであるかのような、

きらきらとまぶしい、

憧れに満ちた表情だった。


ぼくは、やってよかったな、と思った。


やってみて、

よろこんでもらえるものなんだと

初めて知った。


自分ではうれしくないものでも、

よろこぶ人はいるのだと。


よろこんでもらえたことが、

すなおにうれしかった。


ほんの一瞬の、錯覚かもしれないけれど。


あのときぼくは、

本物の正義の味方に、

本物のヒーローに、なれた気がした。



身長157センチの、正義の味方。



小学6年生のぼくには、

そのとき少しばかり、

視界が高くなったように感じた。




★ ★ ★ ★ ★




先生とか親とか、

そんなものから離れたはずなのに。


誰かに「怒られる」ような気がして、

自分が思うことをできない不自由さ。



みんなに「笑われる」ような気がして、

ためらい、遠慮する、気弱さ。


変だって思われたら

どうしようという心配。



誰かって、誰だ。

みんなって、誰だ。

変って、何だ。



それは全部、自分の姿。

いまの自分が、そう決めている。


いつの自分が、本当の自分なのか。

いつからの自分が、偽りの自分なのか。


いいこと、わるいこと。

まちがっていること、正しいこと。



とりとめもない、

ばらばらのかけらたち。




ばらばらのかけらも、

集めて回せば万華鏡。


くるくる回る、過去未来。


見えてくるのが虚像なのか、実像なのか。


自分の原点はいずこに。

終着点はいかに。



くるくる回る、万華鏡。



見えているのは、いまの景色。


同じように見えて、

同じ風景は、

二度とないのであります。




< 今日の言葉 >


「範囲を決めてから冒険するようなやつとはもうおさらばだ。」

(『冒険者たち 〜ガンバと十五ひきの仲間』斎藤惇夫:著)