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2022/05/05

展覧会の絵日記 2022 〜其の1〜








やるのか、
やらないのか、
どっちなんだい。


どこかで聞いたことの
あるようなフレーズで
始まりました今回。


このご時世、
展覧会の開催自体が不透明で、
今回もまた、
冒頭のような「待機状態」が
あったわけですが。

ありがたいことに、
ぎりぎり2月の末日、
晴れて開催が決定したという
今回の展覧会であります。



さて、
今回の記述。

ただいま開催中の
展覧会のために描いた絵について、
説明代わりにおしゃべりできたらな、
と思ったわけです。

会場でお話できない分、
この場で存分に語らせていただきます。

(・・・て、いつも会場でも、
 絵の話なんてしてないけどネ=☆)






合板パネルに色鉛筆で描いた、
19センチ角の作品。

1日1枚、
ときには複数枚、
日記のように描いた今回の絵。

1枚1枚の絵について、
短編のようにお伝えできたら
おもしろそうだな、と。
そう思ったからそうします。


今回の『其の1』では、
22作品のうち、
8枚の絵をご紹介いたします。



絵に、言葉など
無用なのではございますが。

描いた者にしかわからぬ
背景やその心情などをお伝えするのも
悪くはなかろうと思います。


全3回でお送りする予定の
シリーズ、其の1


それではどうぞ、
お好きな感じでお楽しみください。








3月3日

#1『お母さんのハンバーグ』


題名そのまま、
おかん(my mother)の作る
ハンバーグの絵。

付け合せにはたいてい、
ポテトサラダorマッシュポテトサラダ、
スパゲッティ(not パスタ)、
さらにフライドポテトが付いていたり、
ときにはバーグに目玉焼きがのっかったり。

副菜に多少の変化はあれど、
ハンバーグ自体に変わりはない。

クローブのよく効いた、
わらじのごときジャンボなサイズの
ハンバーグ。

食べ盛りの中高生じゃ、
ないっちゅ〜の。

な、感じの巨大バーグだ。


あるとき思った。


このハンバーグを、
これまでにいくつ、食べてきたんだろう。
あといくつ、食べることができるんだろう。




人生に行き詰まった、
あるときのこと。

実家にこもって、
身うごきもできなかった。

腹も減らず、
何も食べられない日が何週間か続いた。


毎日、晩ごはんを作っては
置いておいてくれる母。

そのまま食べられずにいると、
机に置かれた「晩ごはん」は、
どこかへ消える。

そしてまた次の日には、
あらたな「晩ごはん」が
机の上に用意されている。

ほんの少し、
手をつけるだけのこともあったし、
まったく箸を取らない日もあった。


そんなことが
繰り返されたある日。


机の上には、
ハンバーグが用意されていた。

横には
見なれた母の達筆の文字で、
短いメモが置かれていた。


「温めて食べてくださいね」


それを見たとき、
涙があふれてきた。

大好きなハンバーグ。

これなら食べるだろうと、
思ったのかもしれない。


これまでに
いくつ食べてきたのかわからない、
おかんのハンバーグ。

このとき初めて、
冷たいハンバーグを食べた。
温めることなく、
そのまま食べた。

本能が戒めを解いたかのように。
気づくと冷たいハンバーグを
ほおばっていた。


まる3日間、
何も食べていなかったせいも
あるだろうけれど。


おいしかった。


冷たいけれど、
めちゃくちゃおいしかった。

冷たいのに、
すごく「あったかかった」。

ハンバーグを食べながら、
涙があふれ出て止まらなかった。


いろいろな感情と同時に、
母への申し訳なさ、ありがたみ、
食べるか食べないのか
わからないのにもかかわらず、
いつまで続くのかわからない状態の中、
今日までごはんを
作り続けてくれたことへの感謝と
申し訳なさがあふれ出た。


ありがとうと、
ごめんねの洪水。


夜中の12時過ぎ、
ひとり泣きながら
ハンバーグを食べた。


食べることは、生きること。


このハンバーグ、
これまでにいくつ、食べてきたんだろう。
あといくつ、食べることができるんだろう。



・・・初っ端から長々と、
湿っぽくて青くさい内容で、
かたじけないでゴメス。


そんなこんなで。


ハンバーグは、
食べるとなくなってしまうので、
絵に描いておこうと思ったわけです。


今回、絵に描いてみて思った。

絵でもこんなに手間がかかるのだから。
本物の「お母さんのハンバーグ」は、
もっと大変だろうな、と。

付け合せのほかに、
サラダとごはん、たまに
ポタージュなんかのスープもつく。


といったわけで。


お母さんありがとう、
と猛烈に思った次第であります。


「お母さんのごはん」を
忘れないように。

テレビの前のちびっこ諸君も、
お母さんに、ありがとう、
ごちそうさまを伝えようね!


ご飯を作ってくれる人は、
みんな「お母さん」です。












3月8日

#2『いまはむかし』


「今は昔」

こんな書き出しで始まるのは、
むかしむかしの『竹取物語』。

けれども、この絵は、
かぐや姫とも、昔ばなしとも関係ない。


こんな模様の着物が
あったらいいな。

こんな感じの「浮世絵」が
あったらいいな。

そう思って描いた1枚だ。

そしてこの絵がいつか、
「いまはむかし」になったら
おもしろいな、と。

そう思うのであります。



背景色は、廃盤になった
「ライトグリーン(PC920)」。

自分は主に『カリスマカラー』という名称の、
いかにもカリスマな感じの
米国製の色鉛筆を使っている。

学生のころ、教材で買った『イーグルカラー』。
その商品名が改称されて『プリズマカラー』になり、
現在『カリスマカラー』という呼び名に
落ち着いている。

品番の頭の「PC」は、
プリズマカラー時代の名残りである。


十数年前、
廃盤になったライトグリーン。

その当時、学校で働いていて、
画材屋さんのお姉さんから
廃盤になることをいち早く聞いた。


「なにぃ?! そりゃいかん!」


ということで、
かき集められるだけかき集めてもらって、
何十本か買わせていただいた色。

それがこの「ライトグリーン(PC920)」だ。

画材屋のお姉さん、
どうもありがとう。

ライトグリーン、
まだ何本か、手元にあります。



カリスマカラーは、
色によって若干「におい」がちがう。

ライトグリーン(PC920)は、
塗っていると、
歯磨き粉のような、
少し爽やかなミント調の香りがする。


廃盤色のライトグリーン。
それを背景に使ったこの1枚。


あったものがなくなり、
また新たなものが現れて、
そしてまた消えてゆく。


時間は流れ、動き、
移ろいゆくもの。
ゆるやかでも確実に。

明日が今日に、
今日が昨日に。

すべてが「いまはむかし」
なのでございます。










3月9日

#3『西日の金閣』


ご存知かと思われるが、
「金閣寺」という呼び名は本当ではない。

「金閣」というのは建物の呼び名で、
寺そのものの名前ではない。

正確には、
鹿苑寺(ろくおんじ)の「金閣」だ。


ある11月の、
午後4時ごろの風景。

この絵は、
紅葉と夕日に燃える金閣を
思い返しながら描いた1枚だ。


原画では、蛍光色を
ふんだんに使っているので、
この画面上では伝えきれない輝きがある。

この絵も、

「こんな絵があったら飾りたい」

という思いで描いた。


金閣は、
一層(1階)が「寝殿造り」、
二層(2階)が「武家造り」、
三層(3階)が「唐様」と、
時代も様式もばらばらの造りだ。

しかも「全身ゴールド」。

こんないかれた・・・いや、
しゃれた建物が、
たとえ偶然にせよ建立したことに、
拍手喝采、とても長〜い
ブラ棒(ボー)を贈りたい。


三島由紀夫先生の作品、
『金閣寺』に描かれた、燃える金閣。


炎ではなく、
夕日に燃え落ちる金閣も、
大変うつくしい。









3月9日

#4『凱旋(がいせん)』


この1枚は、
案内状(DM)のデザインを考えたときに、
頭に浮かんだ絵を描いた。

正方形の、
スカーフのような意匠(いしょう)。

憧れのカレ。
(「彼」ではなく「Carrér」=正方形のこと。念のため)

本当に、スカーフにしたいくらい。
そんなつもりで、描いたつもりの1枚だ。


この絵は「1日1枚」の絵ではなく、
44センチ角の絵。
3月4日から描き始めた。

(冒頭の画像は、制作途中の絵)

描いている途中で、
背景色の色鉛筆「ウルトラマリン(PC902)」が
なくなった。

手持ちの「在庫」を調べてみる。

あるとばかりに思っていた
902のウルトラマリンが、
1本もないことに気づいた。

バイオレット(PC932)や
バイオレットブルー(PC933)、
インペリアルバイオレット(PC1007)は
何本ずつかあったけれど。

ウルトラマリンの予備はなかった。



普段ならすぐさま「世界堂」へ
走るのだが。

このときは買いに出る時間が惜しかった。
なので、ネットで注文した。


ほどなくして、
大阪のほうからやってきた
902番のウルトラマリンは、
やや関西なまりの、
色鉛筆だけにノリのいい
見事なまでのカリスマカラーだった。


ということで、完成した日が
「西日の金閣」の絵と重なっている。

7日、8日を空けて、
この絵は4日間で描いたことになる。









3月10日

#5『履きなれたブーツ』


10代終盤、
18歳のときに買った、
黒革の、レッドウイング・
エンジニアブーツ(1993年製:09 /93)。

念願かなって買ったときには、
そのまま履いて寝たいほどうれしかった。


オールソール張り替えで、
新しい靴底(純正)に修繕しつつ。
ぼろぼろではあるけれど、
いまでもずっと履いている


自分は、
見て描くよりも、
想像で描いたり、
思い出して描くほうが好きだ。

なのでこの絵も、
思い出しながら描いてみた。

色を使った「デッサン」。
そんな気持ちで描いた。



昔、猫を飼っていた。
実家に迷い込んだ白い猫。
名前は「ゴマ」。
頭に胡麻(ごま)をふったような
黒いまだら模様があったので、
そんな名前になった。


お気に入りのブーツ。

ぼくのお気に入りは、
彼(ゴマ)にとってもお気に入りだった。

もちろん履いて出かけるわけではなく、
爪を研ぐための「お気に入り」だ。

目を放すとすぐに抱え込み、
(猫なのに)馬乗りになって爪を研ぐ。
そのたびに「こら」と叱る。

ぼくのお気に入りのブーツは、
いつしかゴマの爪跡で、
穴だらけの傷だらけになってしまった。


当時はその傷がすごく嫌で、
すごくみっともないものに感じた。

歩くたびに気になった。

履いた爪先を見るたび、
もう!と思った。


ゴマがいなくなって。

しばらくすると、
その傷か愛おしく感じられた。


ゴマの残した痕跡、傷跡。


彼はもういない。

けれども彼のしるしがここにある。


ブーツを履いて歩くたび、
ゴマのことを思い出す。


雨の日、雪の日、
アスファルトの上、草の上。


そのほかのことも
たくさん思い出す。


ともに歩んできた、
お気に入りのブーツ。

履き込んで、履きなれた、
お気に入りのブーツ。


・・・ところで。

すり減った靴の「かかと」って、
どこに行くんでしょうね。


世界中に散らばった
かかとたちを集めたら、
ものすごいことになりそうだ。










3月13日

#6『マンモス』


マンモス。

毛の長いゾウではなく、
マンモスはマンモス。

マソモスでも
マンモヌでもなく、
マンモス。


愛知万博で、
シベリアの凍土から
掘り出されたという
冷凍マンモスを見た。


それはまるで、
パンダや月の石のような感じで。
行列の末、
なかば夢見心地のような感じで見た、
不思議な「物体」だった。



何かの技術が発達して、
生きた、動くマンモスが見てみたい。


かつて東ハトのお菓子で、
『マンモスの肉』というスナックがあった。

初回の登場時より、
二度目の「再来」時のほうが、
形も食感もおもしろく、
味もおいしかった。


マンモスにも会いたいけど、
『マンモスの肉』にも、
また会いたい。











3月14日

#7『あげる』


道ばたに生えている、
きれいな花。

それを摘んで、
誰かにあげる。


あげたい、
思うその気持ち。

ただ「あげたい」と思う、
純粋なその気持ち。


その気持ちは、
花のようにうつくしい。


道ばたの、
名もなき花を贈られて。

よろこぶ人の心もまた、
うつくしい。



絵の中の女の子は、
スカートに咲いた花をひとつ、
差し出すのでした。











3月15日

#8『虹色マンモス』


化石や骨格が見つかり、
かつて生存していた姿を
再現された恐竜たち。

どれだけの検証を重ねても、
生きていた当時の姿は、
想像の範囲を超えないという。

特に体表の色は、
何の根拠も手がかりも残っていない。

体毛の有無もそう。


そう考えると、
マンモスの毛が何色かどうかとか、
どんな毛の長さだったのかも
決め手がないかもしれない。


凍土などから見つかった
マンモスの毛。

茶色く見えるその毛も、
実は、植物などが枯れるように、
朽ちて退色しただけだとしたら。

赤とか青とか金色とか。
虹色のマンモスがいたって
わるくない。


茶色いマンモスの絵を描いたあと、
見てみたいなと思って、
描いた1枚。


マンモスの絵は、
大きなパネルでも
また描きたいと思った。









いかがでしたでしょうか、
おしゃべり絵画鑑賞会。

お気に召された方は、
引きつづき次回もお楽しみください。


それではまた、
其の2』でお会いしましょう。





< 今日の言葉 >


Sorry. "ambassador",
I mistakenly heard that it was a delicious carbonated drink.
Excuse me, can you talk to me again from the beginning?


ごめんなさい。『アンバサダー』のこと、
ずっと美味しそうな炭酸飲料だと思って聞いていました。
すみませんが、もう一度最初から話してもらってもいいですか?


(『英会話:こんなときあんなとき、とっさのひと言』/イエハラ・ノーツ2022より)





2020/08/01

ぼくと図工








★ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




ぼくは、図工が好きだ。



図工。

すなわち、図画工作。



絵を描いたり、何かを作ったり。

描いたり塗ったり、切ったり貼ったり。


小学生のころ、

たとえば火曜日の時間割が、


『こくご・さんすう・ずこう・ずこう』


と、なっていたりしたら。

ぼくは、絶対に休まなかった。


給食でアイスクリームが出ようとも、

席替えで、大好きなあの子が隣りにいようとも、

休むときには休んだ。


けれども、図工がある日は、

絶対に休まなかった。


もちろん、事実としては、

休んだ日もあっただろうけど。

意識の上では、絶対に休まない、

絶対に休みたくはなかった。


とにかく、ぼくは、

ずっと図工が好きだった。


ほかの教科とはちがい、

「ずこう・ずこう」と2時間連続で、

長時間向き合えるのも魅力だった。



中学生になって。

「算数」が「数学」という呼び名に

変わったのとおなじくして、

「図工」も「美術」という呼び名に変わった。



美術。


うつくしい、術(すべ)。



美術とは、

「美の、視覚的表現をめざす芸術」

という定義らしい。



美術というものは、

美しさや技法を追求し、

美しいもの、新しいもの、

人を感動させたり、驚かせたりするものを

うみだすことかもしれない。



美術は、

観るのも、鑑賞するのも、

好きなほうだ。


中学生のころ、

美術で「5」以外もらったことはないし、

(あ、一度だけ、美術の先生と言い合いをして

 「4」をもらったことがありました)

中学生のときも、

やはり、美術がある日はたのしみだった。


だから、美術がきらいなわけではない。


ただ、それよりもぼくは、

図工が好きで、

図工というほうが、

自分の感覚にしっくりくる。


それだけのことだ。








★ ★ ☆ ☆ ☆




小学生のころ、

図工が好きすぎて、

学校の授業以外の時間でも

「図工」をたのしんでいた。


いらない空き箱や厚紙などを使って、

お面やロボット、家などを作る。

飲み物の容器や卵パックなど、

そんなものを使って、

宇宙船を作ったりもした。


高級なチョコレートの箱などは、

それだけでずいぶん特別で。

金や銀、赤や緑の箔(はく)のついた包装紙や、

エンボス加工(文字やロゴなどが

凹凸になるよう圧したもの)が施された箱は、

それだけでわくわくと創作意欲がわいてくる、

ときめきの素材だった。


箱や容器や紐やボタン。

家にあるものすべてが「材料」だった。


それでも、家にないものも、当然ある。


だから、

母との買い物は「仕入れ」だった。


プリンやシャンプーの容器を、

「材料」として眺め、

手に取り、吟味して、

スポンサーである母に相談して、

買ってもらえるものは買ってもらった。


果物を包む緩衝材や、

タマネギの入っているネットなど。


買うとき、


「これ、すてないでちょうだいね!」


と、約束を交わしたり。


おのずと、どこを歩いていても、

おもしろい「材料」はないか、

使えそうな「材料」はないかと、

目を光らせていた。


路上で拾ったもの。

海で拾ったもの。

山で拾ったもの。


石ころ、貝がら、木ぎれ

ぺしゃんこになった空き缶、

割れた陶器の破片、

見たこともないような何かの部品。


工事現場の近くで拾ったもの。

高校の裏に落ちていたもの。

ごみ捨て場で見つけたもの。


ときどき、


「そんなもの拾ってきてどうするの


と、母に聞かれつつも。


いろいろな場所で「材料」を集めて、

それを並べて、組み合わせて、

ひとつの物に仕上げていく。


それがすごくたのしかった。


お城や飛行機やロボットなどが、

どんどん大きく、かっこよくなっていくさまは、

心がわくわく冒険をしているような、

そんな気持ちだった。


机の前に座ったぼくは、

中世や、宇宙や、不思議の世界へ、

時間も忘れて旅立っていた。



母も、どこかへ遊びに行って

帰ってくるたび、けがをしてくるぼくが、

おとなしく机に向かって絵を描いたり、

工作をしているのはすごく安心だったようで、

ときどきぼくの様子を見つつも、

洗濯物をたたんだり、晩ごはんの支度をしたり。


静かな部屋のなかに、

音楽と、家事の音が聞こえる、

とても平和でゆたかな時間だった。









★ ★ ★ ☆ ☆




指紋だらけのセロテープで、

ぐるぐるに巻かれたラップの芯。

糊やボンドがはみ出た牛乳キャップ。


いまにも倒れそうなバランスの見張り台や、

すぐに外れてしまいそうな翼。


けれども、そのときは必死だった。


見栄えが悪かろうが、

強度が甘かろうが、真剣そのもので、

それが全力、本気の結晶だった。


やがて、セロテープがビニールテープに、

ボンドがネジに代わり。

絵の具がペンキなどの塗料に変わって。

完成品の精度が、強度が、

少しずつ上がっていった。


というのも。


一生懸命に作ったロケットやお面などが、

遊ぶうちにぼろぼろになってしまったり、

まだ遊ばないうちに壊れてしまったり。

それが、かなしかったからだ。


せっかく時間をかけて作ったのに。

すぐに壊れてしまうのは、とてもかなしい。

だから、頑丈なものを作ろうと思った。


頑丈なもの、丈夫なものを作るには

どうしたらいいか。


本を読んだり、素材を選んだり、

試行錯誤を繰り返して、

少しずつ、少しずつ、

丈夫で壊れにくいものが

作れるようになった。



これまで失敗に打ち捨てられた空き箱たち。

ボンドや木片や釘やネジたち。


数々の失敗。

数々の犠牲。


きみたちがあってこその今日。

ありがとう、みんな。

みんなとの時間は、忘れないよ。



そんなこんなで。



シャンプーボトルのボディに、

お風呂掃除用洗剤のキャップのタイヤ、

ガチャガチャのカプセルの操縦席のついた

未来の車は、

時速100おくまんキロで走っても、

壊れることなく、

軽快に疾走するのでありました。


銀色のアルミボトルのロケットは、

はるか彼方、アンドロメダ星雲までの航路

(実際は数メートル先の砂場などまで)を

何万、何千回(実際にはたぶん何十)

往復したのでありました。


そうやって、

材料や素材、道具や方法を学んで、

作り、遊び、飾ったり、眺めたり。


図工をたのしむ時間が、

本当に好きだった。




学芸会のかぶり物で、

バッタのお面を作ったとき。

複眼を描くのに、

ちょっと本気になりすぎて、

ぎっしり細かくなりすぎて、

先生に気持ち悪がられたり。



粘土の授業で、

リコーダーを吹く自分を作って。

ほとんど見えない部分にもかかわらず、

歯1本1本つくったり。

目玉も、眼球をつくって埋め込んでから

まぶたをつくったりして

先生にあきれられたり。



そんなふうに、

熱中しやすい傾向はあったものの。


ぼくは、図工が大好きだった。


ぼくのことを

やさしく受け止めてくれる、

図工が好きだった。


けっして裏切らず、

けっして見放さない、

図工のことが好きだった。









★ ★ ★ ★ ☆




絵を描くこと。


読んで字のごとく、

紙などに「絵を描く」ことも大好きだ。


けれど、絵を描く、というのは、

頭のなかに「思い描くこと」も同義だと思う。


それを、表(おもて)に現わすこと。



表現。



技法として、平面か立体か、

という区別はあるかもしれないが。

二次元(絵)でも、三次元(物)でも、

やっていることはおなじである。


ぼくは、絵を(思い)描き、

表現することが好きだ。


想像と創造。


それが好きだ。




いままでになかったもの。

頭のなかにあるもの。


それを表わして、

自分の目でたしかめる。



空想と実際。

想像と現実。



実際にやってみないと

わからないから。


実際に自分の目で見てみないと

わからないから。


だから、やる。


だから、描く。


だから、つくる。


つくったものは、嘘をつかない。

つくったものは、裏切らない。


いいかげんにつくると、

いいかげんにしかならないし、

まじめにつくると、

まじめな感じになる。


だから、たのしんでつくる。

たのしんでつくると、

たのしいものになる。


たのしいものをつくれば、

見る人も、たのしくなる。


そう思う。



だからぼくは、図工が好きだ。



お菓子を食べながら、

音楽を聴いて、

寝転がったりしながら


手を汚し、服を汚して、

机や床なんかも汚して。


つくるものが、

もし汚れてしまっても、

それが「きれい」ならば、

いいと思う。


まっすぐ、純粋で、

まじりっけがなくて、

きれいなものなら。


たとえ汚れていても、

それは「汚く」はない。


そんなものがつくれたら。

それは、本当にすばらしいことだ。



小学生のころからの気持ちに、

今日まで培ってきた経験を足して、

いっそう純度の高いものができたら。


それは、本当にすばらしいことだ。









★ ★ ★ ★ ★




ぼくは、図工が好きだ。


図工好きのぼくはいま、絵を描いている。


図画のほうが多くて、

工作のほうは少ない。


それでも、

日常生活や展示の準備などでは、

工作にあたることもたくさんしている。


だから、たのしい。


ものをつくるのは、やっぱりたのしい。


絵のなかでは制約が少ないので、

バランスが悪かったとしても、倒れてしまうことはない。

いくら細くても、ぽきりと折れたりはしない。

それが、おもしろさでもある。


現実の、ものづくりでは、

重力もあるし、約束事や限度など、物理がある。

それが、おもしろさでもある。



初めてやること。


どうやってやるのか。


考える。書いてみる。描いてみる。

試作する。

失敗する。また考える。やり直す。

できあがる。



塗ったり、描いたり、引いたり。

切ったり、削ったり、磨いたり。

彫ったり、空けたり、くっつけたり。



ペンキ、刷毛、スプレーガン。

のこぎり、かんな、カッターナイフ。

ドライバー、インパクトドライバー、ラジオペンチ。

鉛筆、消しゴム、スケッチブック。

パソコン、デジタルカメラ、インターネット。


自力でも電動でも電脳でも。

道具はあくまで道具。


魔法じゃないから、

寝ているあいだに完成したり、

何もないところに何かが出てきたりはしない。


だから、おもしろい。



時間がかかることだらけで、

ときどきけがもするし、

うまくいかないこともたくさんある。


それでも、おもしろい。



集中力。想像力。構築力。

観察力。分析力。忍耐力。

いろんな力(りょく)を使う。


それも、おもしろい。



表現力。行動力。実現力。


5教科だけでは学べない、

いろいろな力(りょく)。



思えば、図工(美術)だけじゃなく、

体育、音楽、技術家庭科(技術・家庭)などにも、

ぼくの好きなものがいっぱい

つまっていた気がする。



勉強もきらいじゃなかったけれど。

やっぱりぼくは、図工が好きだった。



ビー玉を転がして遊ぶ迷路や、

詰め合わせクッキーの空き箱の妖怪屋敷、

百貨店の包装紙で作った洋服とか、

洗濯ばさみを使ったロケット発射台とか。



つくるまでも、

つくっているときも、

つくったあとも、

ずっとたのしい遊び。


それが、図工だ。


自分で選んで、自分で決める。

自分の考えや想像、思い。

形のないものを、現実のものとして具現化する。


それが、図工だ。



ぼくと図工。



人生のうちの、

ほんの6年間のつき合いだったけれど。


いつまでも、

図工のことは大好きだ。



ぼくと図工。



ぼくの花言葉は、

図工であってほしいと思う。



ぼくと図工。



ぼくは、小学生だったときの、

図工が好きな気持ちを、

いつまでもなくしたくない。




< 今日の言葉 >


『しばらくすると、モモはいままでいちども感じたことのなかった
 気持ちにとらわれました。生まれてはじめての気持ちだったもので、
 それがたいくつさだとわかるまでには、だいぶ時間がかかりました』

(『モモ』ミヒャエル・エンデ作より)