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| 『色々なカップが描かれた服を着る人』(2009年) |
*
たくさん作った豚汁を、
母にもおすそ分けした。
湯気を立てる椀を口もとに運んで、
母が豚汁を味わった。
「おいしいねぇ。
あんたは本当に
料理が上手だねぇ」
お世辞ではなく、
実感を込めて母が言った。
大変ありがたい
お褒めの言葉をいただきつつ。
われながらおいしいなと、
2日目の豚汁を静かにすする。
「あんた、
料理屋さんになろうとは
思わないの?」
聞かれて、はたと考えた。
しばしの沈黙のあと、
僕の口からこぼれた答えは
こうだった。
「作るのは好きだけど。
知らない人の口に
合わせて作るのは、
好きじゃないかも」
言った本人が、自分で、
なるほど、と思った。
僕は、作るのが好きだ。
けれども、目の前にいない
知らない人に向けて、
何かを作ることは
得意ではないかもしれない。
オーダーで絵を描くのは好きだった。
自由気ままに絵を描くのも好きだった。
手紙を書くのもすごく好きだ。
会って、話して、その人を知って。
希望や好みなどを何となく汲み取った上で、
作っていくことは意外と
「得意」なほうだと思う。
こうしたらたきっと
よろこぶだろう、などと、
知りもしない仮想の「相手」を想定して、
その「好み」に合わせて作ることは
上手でない気がする。
1対1は得意だけれど。
たくさんになると、
誰のどこに何を合わせたらいいのか、
それがわからない。
以前にもちらっと書いたと思うが。
僕には、
大衆(マス)をつかむ能力が
欠けているのだろう。
物を作る上で、
致命的な「流行音痴」である。
母の問いに、
あらためて気づかされた。
自分の承認欲求の乏しさは、
結局のところ、
究極の自己満足から来ているのだ。
その人の好みを理解した上で、
自分が「おいしい」と思える豚汁を
作ること。
そして、食べてもらう相手が
「おいしい」と言ってくれれば、
それ以上、求めるものはない。
認めて欲しいのではない。
結果を出したい。
「おいしい」という結果を出したい。
ただ、それだけなのだと。
そこに喜びを感じて、
幸福感が得られるのだと。
母の問いから発展して、
自問自答するうち、
自分の姿が少しばかり
見えた気がした。
物を作る時。
相手が存在しない場合は、
心の中の観客である、
「もう一人の自分」に審判を委ねる。
これはおそらく、
誰もが行なう方法だろう。
その「もう一人の自分」が、
どれだけ世間と通じ合って、
世間のことを理解しているのか。
デザイナーと、変人の違い。
クリエイターと、狂人の差。
僕には、それがわからない。
もっと、勉強しなければ。
そう思った。
* *
心が折れそうになる中で。
自分の作品を読んでくれた人から、
称賛の言葉をもらった。
「あんまりたくさん、
本を読んできたわけじゃないけど。
世の中にある物語として、
その中でも、
いちばんっていうくらい
おもしろかったし、感動した。
思いっきり号泣しまくった」
嬉しかった。
その言葉にどれほど救われ、
勇気をもらったか、
筆舌しがたい。
そう。
0じゃなければ、見込みはある。
たくさんの人には届かなくても、
同じ波長、同じ趣向の人には、
深く刺さる。
研ぎ澄まして、磨いて、
細かく何重にも編み込んで。
一枚の「絵」に仕上げているのだけれど。
題材選びなども、もちろんあるが。
その温度、角度、表現の仕方の、
調整具合が難しい。
自分の描きたい、世界がある。
大いなる自己満足を続けるべきか。
それとも、リサーチを重ね、
傾向や対策を踏まえて工夫するべきか。
星の数は、数え切れない。
だからこそ、
同じになる必要はないのだと。
迷いながらも、
結局、最後はそこへ行き着く。
眉間にしわを寄せて、
むずかしい気持ちでつくるのではなく。
た他のしい気持ちで、
わくわくしながら、つくっていきたい。
かつて「学校」で仕事していた時の、
何も教えてはいない「教え子」から、
こんな言葉をもらった。
「私は難しい文とか分からないし、
優しさを感じるから
いつまでも読
昔から大好きです!」
ありがたさに、
涙涙の大感謝祭で、
お礼の言葉も見つからない。
僕は、
ロングセラーのものが好きだ。
だからきっと、
自分が作るものも、
そういう傾向になっていると思う。
炭酸みたいな刺激はなくて。
丁寧に淹れた、お茶とか紅茶みたいな、
口に運ぶほど香りや味わいが広がる、
奥行きのあるものができたらいいなと。
飽きることなく、
何度も何度も手にしたくなるような。
引っ越しても、大掃除をしても、
それだけはずっと何年も何十年も
そばに置いておきたくなるような。
自分の子どもや、友だちへ、
贈ってあげたくなるような。
そんな豚汁を、作りたいんです。
ただ、
越えられない壁あるのも現実。
壁の向こうの景色が見たい。
そのためにはもっと、
知らなければならない。
世界には、いろいろな人がいる。
いろいろな選択肢がある。
おいしい豚汁を、
いつでも手軽に、
お湯を注ぐだけで食べられる、
快適で便利な世界でもある。
それも、ひとつのの選択肢だ。
僕は、粉末にして、
カップに入れて、
たくさんの人に食べてもらうような
術を持っていない。
だからまず、
目の前の人に、
おいしいと言ってもらえるような
豚汁を作る。
こだわり抜いて厳選した
材料だけに頼るのではなく。
ごく普通の素材でも、
気持ちを込めて、
手間と時間を惜しまずに、
丁寧に刻んで、じっくり煮込んで、
それぞれの持ち味を最高に引き出したい。
時間や手間を
かければいいというわけでもなく。
完成の瞬間を、見極めること。
作った時に、
最高だと感じる豚汁ではなくて。
食べた時に、おいしいと思える豚汁を、
作ることができたら。
この前、食べたばっかりなのに、
また食べたい、と。
何度も食べたくなるような、
豚汁を作りたい。
やがてそれが、定番になって。
「この季節といえば、豚汁だよね」
と言われるようになるのも、
嬉しいことだ。
「世間」ではなく、
各「家庭」で。
風物詩のような存在になりたい。
僕は、おいしい豚汁を作る。
見たことのない
「誰か」のためにではなく。
目の前にいる、その人に、
おいしい豚汁を、作るために。
僕は、今日もネギを切っています。
だいたい長さは4センチくらい。
人参は、乱切りがいいと思っています。
かくし味には、
三温糖を入れます。
ここで言ってしまった以上、
これはもう、かくし味でも
何でもなくなりました。
ただの「味」です。
評判になりたいわけではなくて。
ただやたらとたくさんの人に、
食べてもらいたいのでもなくて。
一人一人の「おいしい」が、
大切なんです。
豚汁は、
味噌の代わりにカレールゥを入れれば、
カレーになると。
そんなことを言う人もいますが。
それは、豚肉がなければ、
ただの「汁」だというのと
同じかもしれません。
結局のところ、
自分の味覚を信じて、
ことことと温め続けることが、
僕には合っているように思います。
ですので。
どうか、待っていてください。
おいしい豚汁が届く、その時を。
それが、
真夏の暑い日だったら
ごめんなさい。
『夏は冷やしてクール豚汁!』
なんて。
おしゃれな戦略で、
浮世を乗り切ろうかと思います。
豚汁に始まり、豚汁に終わる。
はたして、今回のお話は、
おいしかったでしょうか。
おかわりしてもらえる
くらいであれば、
すごく嬉しいです。
どうぞお時間のある方は、
この記述に、
何回「豚汁」がお目見えしたのか、
数えてみてください。
忙しい僕には、
そんな気力がないので、
このへんで失礼いたします。
トンジール!
(これは、
20回の中にはは入りません)
ご清聴、
ありがとんございました。
< 今日の言葉 >
ス
の
心
が
け
(かと思ったら、
『一』と『人」が近すぎて、
『一人一人』が『スス』に見えた、
交通安全標語ののぼり旗の文言)
