*
6月2日、金曜日。
昨日は、23:00ごろ就寝した。
0:30、3:00、
6:00ごろ目が覚める。
トイレにも行ったが、
それはちょうど巡視の時間だ。
何かに気づいて起きるのか、
そのころにちょうど目が覚めるのか。
6:20ごろ、起床。
喉がちくっとして(乾燥)、
咳が出そうになる。
けれど、
しばらくじっと耐えていると、
咳のきざしは遠のいていく。
咳をするとしんどいので、
なるべくしないでやり過ごしたい。
水を飲んだり、
うがいをしたりするより、
自然と潤うのを待つほうが、しずまる。
雨。
晴れやかでないのは、ちょっと残念。
けれど、おかげではしゃいだり、
出歩いたりしなくなる。
抑制の雨だ。
そろそろ梅雨なのか?
だとしたら、なおのこと、
安静にしやすくなる。
2週間はまだ、「病院」だと思おう。
そういえば、
おじいちゃんも、肺だった。
おじいちゃんみたいに、
立派な人になれるかな。
お墓参りも、ちょっとおあずけ。
6:40ごろ、
看護師さんの検診。
酸素濃度がかなり低く、
94.7%だった。
なるほど。
ちょっと息苦しいのは、
気のせいではなかった。
熱は、なかった。
血圧は、
上が高めで、165。
血圧なんて、
大人の人がよくする
ゴルフのスコアみたいに、
自分とは縁のない、
まるでわからないものだったのにね。
看護師さんに、
「まだ、手術したばかりだから、
仕方ないいですよね」
と言われて、
そういうものなんだと納得。
今日からは、お医者さんも、
看護師さんも、いなくなる。
自分の体としっかり対話して、
無理せず、ゆっくり生活して、
しっかり治していきたい。
体がいちばん正直だ。
家でもしばらく、記録を取っていこう。
熱と血圧、酸素濃度も測れたらいい。
朝、昼、夜。
アサガオやヒマワリの
観察記録みたいに、
じっと観察してみよう。
ぼくは、
理科の観察記録がすごく好きだった。
絵も描かせてもらえるし、
文章も書いていい。
どんどん変化しながら、
育っていく姿もおもしろかった。
《6/2金の記録》
痛みはほとんどない。
息が少し、せまく感じる。
感覚としては、
70〜80%(70寄り)のふくらみ。
寝た姿勢より、
座った姿勢のほうが、息がしやすい。
声は出る。
睡眠の合計は7時間。
げっぷをしたときの痛みは、
やや強め。
とはいえ、前日比では減 ↘︎。
《「2度」の入院生活で買った物》
・歯ブラシ
(歯間ブラシ、ふつうブラシ)
・歯みがき粉
(子ども用、クリニカ小×2)
・シャンプー&コンディショナー
(LUX)
・ボディソープ(ビオレu)
・メッシュタオル(体洗い用)
・デンタルフロス
(WAX/ジョンソン&ジョンソン)
・鉛筆(ステッドラーHB/3本入り)
・鉛筆削り(極小サイズ/日本製)
・消しゴム(トンボMONO)
・ボールペン(黒)
・ノート(×3冊)
・スケッチブック
・100%オレンジジュース(×3)
・バナナオレ(×1)
・ポカリスエット(×2)
・ジャワティ(×1)
・ミネラルウオーター(×6)
・キリンラブズスポーツ(×1)
《必要だった物》
・紙おむつ(×2)
・ひげ剃り(3個入り)
《買ったけど入院中は使わなかった物》
・ボクサーパンツ(黒)
・チューブソックス(ピンク)
気圧もそうだけど、
気温も関係あるのか。
流れ落ちる砂粒を
数えていても仕方ない。
気にせず、
よくなることだけ考えて、
ゆっくりすごそう。
* *
6月2日 朝 |
7:30、朝食。
ご飯は少し食べた。
「貴重品箱」の中にかくしておいた
しそ味のふりかけ(6月1日朝分)も
さらにふりかけ、
ダブルテイストでご飯を頂いた。
ごはんを食べるのが、早くなった。
というよりも、
完食していないせいか。
朝食の時間が短かかった。
7:55、歯みがき。
8:00には出てきそう。
自力なのか、薬なのか。
通常時みたいに、
座った瞬間に出た。
これが、本来の自分の姿。
シャワーで汗を流し、
すっきりする。
8:20。
トイレ、シャワー、了。
久しぶりの「私服」に着替える。
ズボンは、
ベルトループなしの、スラックス。
US.ARMY、WOMEN'S SLACKS。
アメリカ陸軍の、女性物のズボンだ。
少しゆるめだったウエストが、
「ちょうどよく」なっている。
ううっ。
こいつは「太った」ってことだ。
<US.ARMY SLACKS WOMEN'Sの図> 上図:ミルスペック(米軍MIL規格) |
8:45。
いよいよ「シャバ」に出られる。
「外気」という点では、
刑務所よりきびしい。
(入ったこともないのに。
何度も「ムショ」にたとえてすみません)
早く出たい。
けれど、昨日1日、
ここにいて本当によかった。
静養&自宅療養を、
勘ちがいせずにすんだ。
危ないところだったと、
胸をなでおろす。
昨日今日は、釘刺しの時間だった。
HBの鉛筆との関係にも慣れた。
Bや2Bより硬くて薄いが、
そのぶん、手が黒くなったり、
こすれたりしなくていい。
風のうなり声が聞こえる。
地上にもこの風は吹いているのか。
景色は、
霧のように白くおおわれ、
池の向こうがわの、
木々より先は、かすんで見えない。
街の景色が、
白いベールにおおいかくされている。
昨日の夜、
家のある方面の景色を見た。
もちろん、家は見えない。
想像力の千里眼で、
鳥の目になり、
家までの路を飛んで行った。
情けないけど「home sick」。
「house sick」ではなく、
ホームシック。
ふと、入院中のハナを思い出した。
面会に行くと、
本当にうれしそうで、
ちょっと開いたケージのすきまから、
いまにも逃げ出しそうだった。
初めての入院で
ナーバスになっていたハナは、
ぼくの手からしか、
ごはんを食べなかった。
日曜日は、
動物病院がお休みだったので、
土曜日の午前と午後に
「面会」に行った。
C棟の看護長が来られて、
少し話しをした。
「あわてるのと、急ぐのはちがう。
あわててもいいことはない」
あわてずゆっくり治そう、と、
自分へ言い聞かせるように、
言った言葉だったが。
看護長は、
目を閉じて大きくうなずいた。
「こういった仕事をしていると、
つい、忙しく、時間に追われて、
あわててしまって。
気持ちにも心にも、
余裕がなくなってしまうことが
あるのですが・・・。
そんなとき、
『どうしたの?
そんなに怒らないで』
と、患者さんから、
たしなめられたりします。
・・・なるほど。
あわてるのと、急ぐのはちがう。
いい言葉ですね。
これからみんなにも、
そう言っていきます」
看護長は、
ぼくのちょっとした言葉を、
いいふうにふくらませて、
うつくしく解釈してくれた。
「いいお話、
ありがとうございました」
頭をさげる看護長に、
お礼を言いたいのは、
こちらのほうだった。
入れちがいに、
看護師さんが来られて、
体温、血圧、酸素、
胸の音を診てくれた。
話の流れで、
学生時代に買ったその聴診器が、
2万円くらいするものだと
教えてもらえた。
いま自分は、
少し話しただけで汗が出てしまう、
ということを伝えると、
「私は、患者さんの前に出ると、
汗が出ます」
と看護師さんが、表情をゆるめた。
診断してもらいながら、
いろいろな話が聞けて、
いい時間をすごせた。
「いい話を、
ありがとうございました」
またもや逆にお礼を言われ、
ちょっと恥ずかしくなった。
そんな自分をごまかすように、
「自分で、
この入院生活のまとめに
入ってるんだと思います。
いまのもぜんぶ、
自分に言い聞かせてたんだと
思うので」
と答えた。
そしてまたすぐに、
今度はお医者さんがやってきた。
今回の、
2回目のドレーンを入れるとき、
立ち会ってくれていたお医者さんだ。
お医者さんにいろいろ質問して、
いろいろ聞いていて、
胸の具合と気圧は関係があると
教えてくれた。
なるほど。
昨日より胸がせまく、
若干息が苦しいように感じるのは、
気のせいではないようだ。
雨で、気圧が下がっているせいで、
胸の中の「圧」も下がるのだと。
しかも今日は、
台風みたいな激しい雨で、
気圧もかなり下がっているらしい。
運動も筋トレも、まだだめだが、
パソコンとかのデスクワークは、
問題ないと。
いろいろ聞けたことで、
疑問がはっきり、すっきりした。
退院前に、
わざわざ部屋に来てくれたお医者さん。
「ちょっと顔を見にきました」
その言葉に、
いろいろな思いが見えかくれしていて、
お医者さんへのありがたい気持ちが
じわりと広がった。
本当に、
今日の退院を選んでよかった。
雨のおかげで、
いろいろなことがわかった。
看護長が、
気胸の患者さんも、
昔はもっと長く入院していたが、
いまはどんどん
退院が早くなっていると話してくれた。
治ったのではなく、自宅療養。
病院の代わりに、自宅で休む。
病棟から家への「転棟」。
それくらいの気持ちで、
現状、まだ「要安静」だということを、
忘れちゃいけない。
9:30。
着替え中、
また別の看護師さんが来た。
何時ごろ部屋を出るかの確認だった。
「セクシーなところを
見せてもらいました」
と笑う、看護師さん。
雨は、これからもっと
ひどくなるらしい。
* * *
9:50、
退院の説明、確認終了。
片づけもすませ、
すべてが終わった。
もう、戻ることはない。
いまの気持ち、思い。
大切なことを、忘れないように。
あわてず、ゆっくり、ていねいに、
ゆたかに生きようと思う。
どうもありがとうございました。
2023.6.2. 9:55
* * * *
母は、10:00ごろから
来ていたのだろう。
10:15ごろ、
約束の場所へ行くと、
すでにじっと座っていた。
「久しぶり」に再会した母は、
いまにも涙をこぼしそうな目を開けて、
ぼくの姿全身を見ながら、
うれしそうに笑った。
退院の手続きのあと、
駐車場へ歩く。
大雨。
風もつよかった。
母が持ってきてくれた透明傘をさし、
駐車場を歩く。
恒例の「車探し」。
雨に靴のつま先をぬらしながら、
またしても5分以上10分未満くらい
うろつき回って、
ようやく見つけた。
まずは家に戻って、
ひと息ついた。
メールや手紙、
請求書などをたしかめたあと、
母の運転で買い物に出かけた。
「今日、食べたい物とかあったら、
何でも買っていいから」
お言葉に甘えて、
食料品を買う。
めずらしく「お寿司」が
食べたいと思った。
病院では「生もの」は出てこない。
そんなせいもあってか、
お寿司と、貝のお造りをかごに入れる。
「明日のとかも、
食べたい物があったら
入れていいからね」
そう言われて、
食べたいと思ったものに手を伸ばす。
ジンギスカン。
朝ごはんのパン(生フランスパン)。
ウオッシュチーズ。生ハム。
「ビールとかも、
飲みたかったら買いなさいよ」
そう言われて、
『LION』という、
スリランカのビールを1本買った。
ギネスビールみたいに真っ黒な
「スタウト(stout)ビール」で、
あとで見たら、
アルコール度数が8.8%もあった。
(これがまた、すごくおいしかった)
アボカドやセロリも買った。
あとでふと思ったが。
手術をして、血や肉を失って、
スタウトビールやジンギスカン、
貝やお刺身などの生ものを
食べたくなったのは、
自然なことのように感じた。
(ギネスビールの産地、
アイルランドでは、
妊婦がギネスビールを飲むと聞いた)
アボカドも、調べてみると、
傷やお肌の再生にいいとのこと。
さすが「森のバター」。
栄養と潤いの果実です。
雨はずっと降りっぱなしだったが、
車の乗り降りのときには、
運よく雨足が弱まり、
走らなくてもぬれずにすんだ。
まだ、走ったり、
たくさん歩いたりすると、
息があがる。
今日は涼しいからいいが。
立ち止まると、
汗もじんわりにじんでくる。
買い物を終えて、帰宅。
「やっぱり家がいちばん落ち着くなぁ」
旅行先から帰った人が、
よく口にする言葉。
たしかに家は、落ち着いた。
やることは盛りだくさんだが。
いまは洗濯、荷物の片づけ、
急ぎの件だけに手をつけて、
あとはゆっくりすることにした。
久しぶりに音楽を、
空気を通して聴く。
あー、いいわぁ〜。
お寿司とお吸い物と、
緑茶の夕食。
あー、いいわぁ〜。
<手術時に、どちら側の肺かを 示すための印(シール)> |
シャワーを浴びて、ゆっくりする。
感じたことが消えないように、
じっくり反芻(はんすう)する。
そしてそれを、意識しつづける。
慈愛。
それが自愛につながる。
人にやさしく。
母と食べたお寿司の夕食。
ややかしこまり、
あらためて感謝とお礼を伝える。
2人とも、少し目を潤ませながら、
家に無事帰ってこられたことを、
心からよろこんだ。
手術のあいだ、
母は、別室に通され、
手術が終わるのを
ずっと待っていたと聞いた。
何もない、小さな個室の中で。
ただただじっと、
手術終了の声がかかるのを
待ちつづけていたのだと。
そうだったんだ。
4時間以上ものあいだ、
さぞかし心細かっただろう。
たくさん心配をかけてしまったけれど、
本当に、いろいろありがとう。
本当につらかったけれど、
本当によかった。
そして本当にありがとう。
2023年5月の日々、
そして今日、6月2日。
この時間を、
忘れず大切にしていこう。
* * * *
さて、
ここからは「番外編」。
退院後の、後日譚(たん)です。
退院してしばらくは、
平らに寝転がれなかったので、
座布団を下に敷いて、
上半身が高くなるようにして眠った。
2週間ほど、そうやって寝た。
体温、血圧、体重だけでなく、
パルスオキシメーターを買って、
血中酸素濃度を測る。
血圧計は、
母が持っていたものを借りて、
毎朝、起きたときに、
体温とともに測定した。
体温、血圧は平常だった。
退院後すぐは、
血中酸素濃度の数値が低く、
96とか97の日があった。
けれどそれも、
すぐに安定して、98になった。
体重は、ゆっくり減らして、
10日後くらいに69㎏まで戻った。
筋トレも運動もできないので、
天気のいい日は、
毎日散歩に出かけた。
1日目、2日目、3日目、4日目と、
距離と時間を延ばしていった。
緑地公園をぬける
いいコースを見つけて、
日を追うごとに、
のぼり坂の多い道を選んで歩いた。
最初は息もあがるし、
15〜20分ごとに、座って休憩した。
酸素濃度も、すぐ95とかになる。
それが肺のせいなのか、
入院生活での運動不足のせいなのかは、
わからない。
おそらく、
どちらも関係あるのあろう。
5日ほどすると、いくら歩いても
息はあがらなくなったし、
汗も、だらだらではなく、
ほどよい感じでかくようになってきた。
休憩もしなくなった。
体の感じを見ながら、
1時間くらいは歩けるようになった。
まだ、肺に「違和感」はあったし、
大きく息を吸いこむと、
肺がふくらみ切らないような
感覚はあったが。
それで息がしづらくなるわけでもなく、
呼吸が苦しいわけでもない。
左胸だけ、
どこか「他人のもの」のような
感じがする。
ぴりぴりとしびれているような感じが、
胸に残っている。
そんな違和感も、
生活に支障があるようなものではない。
あきらかに快方に向かっている。
そんな実感が、日増しに感じられた。
夜、寝るときに、
苦しくなって飛び起きた日が、
2回あった。
1回目は、退院した翌日の夜。
急に酸素が薄くなったような気がして、
あわてて飛び起きた。
そのときはまだ、
パルスオキシメーターが手もとになく、
酸素濃度は測れなかったが。
眠りに落ちる寸前、
急に息苦しくなって、跳ね起きた。
2回目は、
指先にパルスオキシメーターを
はさんだまま、
うとうととしかけていたときだ。
はじめのうち、
初期設定のまま使っていて、
心電図みたいにずっと、
「ピッ、ピッ、ピッ」と、
音が鳴っていた。
その音がゆっくりになったかと思うと、
「ピピーッ!」
と長く大きな音が鳴った。
息が、苦しかった。
器械の数字を見てみると、
酸素濃度が、86まで下がっていた。
86は、もう、
かなり危険な数値だった。
ふと思い出した。
最初の入院のとき、
夜、急に息苦しくなった日のことを。
HCUでもあったが。
特別室でも、2日目の夜、
そうなりそうな感じがあった。
『オンディーヌの呪い』
そう呼ばれる「現象」があるらしい。
意識しないと、
呼吸ができなくなる症状で、
うとうとすると、呼吸が止まる。
絵を描いているときなど、
物ごとに集中しているとき、
無意識に呼吸を
止めてしまっていることがあるのだが。
この『オンディーヌの呪い』と
呼ばれる症状は、
眠ることが死を意味するようになり、
眠れなくなってしまう、というものだ。
「息が止まりそうで、
怖くて眠れない」
今回の、2回目の入院では、
夜、そんな瞬間が、何度かあった。
退院後、家に戻って。
3、4日もすると、
そんな感覚もすぐにおさまり、
夜中に起きることもなく、
長くまとまった睡眠を
とれるようになった。
昼間、日を浴びて、
散歩などをしているうちに、
夜、しっかり眠れるようになったのか。
運動も筋トレも禁じられ、
パソコン相手に
デスクワークばかりしていたせいで、
体は疲れず、頭がさえて、
寝つけなかったのかもしれない。
1回目の外来は、
退院から約2週間後のことだった。
外科の先生との再会。
先生の顔を見ると、何だかほっとする。
シャツを脱いで、左胸の抜糸。
「腕、勢いよくあげた?」
背中側の傷が、やや開いているらしい。
思い当たる節は山ほどある。
レントゲンの具合では、
どんどん回復している様子だった。
胸膜の炎症も、血液検査の結果、
正常の数値まで下がっていると。
「薬(痛み止め・炎症止め)も、
徐々に減らしていってもらって
大丈夫です」
運動、筋トレ、
入浴もまだ「おあずけ」だが。
順調に回復しているとのことで、
心も体も軽くなった。
次回、また2週間後に、
外来診察で診てもらう。
そういったわけで、
1日2回飲んでいた薬を、
1日1回に減らし、
翌週には、
まったく飲まないようになった。
自宅療養中のある日。
唯一無二の親友「けんじ」が、
連絡もなく、突然家に来てくれた。
手にはシュークリームとプリン。
さすがは、けんじ。
ぼくが好きな物をよく知っている。
「俺んときも、
お前にこうやってプリン、
もらったからな」
けんじは、20年も前のことを、
まるで昨日のことのように言った。
ありがとう、けんじ。
自分は本当にしあわせ者だと。
つくづくそう感じた。
涙こそこぼれなかったが。
あふれんばかりの笑顔が、
顔いっぱいに咲いた。
花柄のブランケットをかけて寝る友人(2008) |
みんなからの声。
意外なほど多くの声が、
たくさん届いた。
心配の声、
気づかいや励ましの声。
「優しいひとは
胸を患うとききます」
やさしい方のあたたかい言葉に。
思わず目もとが、うるっとなる。
みなさま、
ご心配をおかけしましたが。
私、家原利明は、
こうして元気になりました。
あたたかいお言葉、お気持ち、
しっかり届きました。
本当にありがとうございました。
すっかりよくなったと感じたころ、
父に電話した。
お見舞いのお礼を伝えたあと、
少しばかり話した。
こんなふうに、
父と電話で話したことは、
もしかすると、
初めてのことかもしれない。
7月8日。
2回目の外来。
天気予報は雨だったが。
よく晴れた暑い、夏日だった。
土曜日の今日、
思いのほかいろいろ早く進んで、
レントゲンを終えたあと、
少し時間を持てあました。
診断の予約は10:00。
まだ30分ほどある。
実際よりも
久しぶりに感じる病院内を、
ふらふらと歩いてみた。
コインロッカーを見て、
手術前日のことなどを思い出す。
コンビニ前で、
車イスの男性の姿を思い返す。
麻酔説明を受けた、36番。
本当に、
いろいろなことがあったなぁ。
壁の絵を眺めて時間を過ごし、
もうそろそろいいかと思って、
外科に向かった。
受付をすませて、
血圧を測る。
待合で順番を待つ。
扉が開き、先生に呼ばれた。
「うん。いいね」
レントゲンを見ながら、先生が言った。
「これで終了ということで。
何か、聞いておきたいことは
ありますか?」
筋トレも運動も入浴も、
もうどれもOKだと。
激しい運動をすると、
胸が痛くなるかもしれないが、
それは、休んだり、温めたりすれば、
おさまるもの。
肺の痛みというより、
胸膜の痛み(胸膜痛)ということだ。
「痛んだからって、
すぐに気胸だと
思わないでくださいね」
その痛みも、月日とともに、
やがては消えていく。
「傷痕も、きれいになって
いきますから」
とにかく、
「治った」ということ。
終了、という言葉。
それは、純粋にうれしかった。
「お世話になりました。
どうもありがとうございました」
先生にお礼を言って、
部屋を出た。
帰り道、ビールとお菓子を買った。
お祝いの宴(うたげ)。
退院してから、
今日までずっと休みなく、
あれこれうごきつづけてきた。
今日くらいは、
思いっきり「休もう」。
久しぶりの「休日」。
自分に「おつかれさま」。
よくがんばりましたで賞の授与。
7月8日の今日。
初入院から、61日目。
手術から、39日目。
退院から、37日目。
今日は、愛犬ハナの命日だ。
見えない何ものかの力に支えられ、
引っぱられ、偶然ここまでやってきた。
初めての入院、初めての手術。
これにて終了、一件落着だ。
土曜日の昼下がり。
冷たいビールとドリトスが、
すごくおいしかった。
*
冗長にもほどがある、
牛のよだれのように
だらだらと長い記録でありますが。
最後まで読んでいただき、
本当にありがとうございました。
読んでいただけた方にだけ、
わかるもの、感じられたこと、
見えた景色。
それは「読書」ではなく、
もはや「体験」です。
この、有益な無駄が、
みなさまの時間を
ゆたかに彩らんことを。
長きにわたり、
おつきあいいただき、
ありがとうございました。
いまはまだわからない、
大切な何かがあるような気がして、
ひとまず記録したぜんぶを、
こうして書き留めてみました。
いつか、
大切なことを忘れかけた自分に、
そっと語りかけてくれる、
そんな記述となることを信じて。
『Hi, Punk.』
これにて終了です。
ご清聴、
ありがとうございました。
連載中にいただいた声を、
少しだけ紹介いたします。
『闘病記(?)興味深く
読ませていただいております。
「
患者さんは入院生活を
このように感
20年以上も医者をしていながら
新たな発見も
不明を恥じるばかりです。
確かに私たちにとって
「
患者さんにとっては「非日常」、
(2023/08/07)
『感情をきめ細かく表現できる
語彙力が高い人ほどストレスに強く
心
らしいです。
(雑誌で読んだ。
ストレスが及ぼす健康状態のことを
言
(2023/08/22)
ということで。
みんなも、
レッツ・記録だね!
追伸:
いつもぼくの前を走っている旧友が、
ぼくより先に気胸になっていたことを、
彼の描く漫画で知った。
『AKIRA』のなかの金田のように。
やっぱり彼は、
いつもぼくの前を走っている。
いつだって全力で、
ジグザク道でも、まっすぐな足取りで。
元Hi Punk・家原利明
※
この記録は、退院後の自宅療養中に、
デスクワークくらいしかできない時間を利用して、
ひたすら打ちまくった記述です。
(2023.7.8)
← #7
< 今日の言葉 >
『Coon-toch(クンタッチ)!』
イタリア、ピエモンテ地方の方言で、
驚きや感嘆を意味する言葉。
それを英語読みしたものが、
「カウンタック(Countach)」。
(ランボルギーニ・カウンタックの命名の由来)