*
5月29日、月曜日。
時計が合っているなら、
4:30ごろに起きた。
よく寝た感があったので、
そのまま起きることにした。
薬を飲んで、
よく冷えたポカリスエット
500mlを飲む。
雨が降ったのか、
アスファルトの地面がぬれている。
胸は、息を吸うと、
とても痛い。
術日の今日。
はたして「分娩(便)」できるのか。
現在、5:00。
「お浣腸タイム」まであと3時間半。
タイムリミットは刻々と迫る。
本番にはつよいほうだ。
わが体を信じよう。
・・・まったく来る気配がない。
天岩戸(あまのいわと)のように
ぴしゃりと口を閉ざしたゲート(門)。
「ナースコール」ばかりで、
肝心のものが出てこない。
出るそぶりすら見せてくれない。
これは、
自ら志望するべきかもしれない。
浣腸殿(どの)のお力添えを
お願いしたいと。
幼稚園のころ、
近所の年少さんの男の子が、
「うんこがでない」と言って、
トイレで泣いていた。
いくら気ばっても
出てこないうんこさんに、
その子はえんえんと泣いていた。
鼻もかめないほどの胸の痛みに、
とてもじゃないけど、
自力では無理とさとった。
代わりに出た「げっぷ」に、
うずくまるほどの激痛が走る。
* *
6:20。
あと10分で、看護師さんが来る。
7:00からは水も飲めなくなるので、
しっかり水分補給をしつつ。
部屋のすみ、
しゃがんだ姿勢で歯をみがき、
未練たらしく
うんちょりんの産声を待ってみる。
まったくそんな、そぶりも見せない。
歯みがきを終えて、うがいをする。
気配があれば、
すぐさまトイレにかけこもう。
そう思って、
軽くその場で足踏みをしてみたり、
かかとを上げ下げして、
体を細かくゆらしたりしていた。
そのとき。
胸に、激痛が走った。
突きぬけるような激痛。
めまいと吐き気が同時に来た。
倒れるようにしてベッドに進み、
布団の上でうずくまった。
いきなりスイッチでも入れたみたいに、
どっと汗が吹き出して、
シャワーを浴びたかのように
一瞬で全身がずぶぬれになった。
とめどなくあふれて、流れつづける汗。
うつむく顔から、ぽたぽたと、
目の前にしたたり落ちるのが見える。
動けない。
体から血の気が退いているのがわかる。
「おはようございまーす。
あ、イエハラさん、起きてましたか」
看護師さんの声が聞こえた。
「イエハラさん、どうしましたか?
イエハラさん、どうしたんですか!」
声をあらげる看護師さんに、
ゆっくり顔をあげ、
何とか声をしぼり出す。
「・・・胸に、刺さったみたいで。
いきなり気持ちわるくなりました」
看護師さんは、
熱や血圧を測らせてほしいと、
人形のようになったぼくに指示を出し、
あれこれと動かせて
検温などをすませた。
「熱はないみたいですね」
緊急ではないと判断した看護師さんは、
やや声の勢いを落として、
ゆったり言った。
「すごい汗ですね。
いま、どんな感じですか?
どこか痛いところはありますか?」
「・・・・気持ちがわるい・・・」
それだけ言うのがやっとで、
正直、放っておいてほしい気分だった。
動くのも、声を出すのも、
考えるのもつらい。
「気持ちがわるいんですか?
吐きそうですか?
お薬は、飲まれましたか?
トイレは、出ましたか?」
矢継ぎ早に投げかけられる質問。
答えるまでくり返される
看護師さんの声。
本当にもう、うんざりした。
そのときのぼくは、
とにかく放っておいてほしかった。
答える余裕も、考える余裕も、
首をふったり、
手をあげたりする余裕すらなかった。
気持ちがわるい。
吐きそうだ。
まったく動けないまま、
頭を垂れた姿勢で、
ベッドの上に座りつづける。
激しい痛みを
かき消すような勢いでおそう
吐き気と気持ちわるさに、
動くことが、できなかった。
動くとぐるぐる目が回る。
動くとすごく気持ちわるい。
何より、動こうにも動けない。
体が重くて言うことをきかない。
「イエハラさん、
もうすぐ絶飲ですから。
水分はちゃんと
摂られましたか・・?」
質問をつづける看護師さんが
うとましく思えるほど、
ものすごく、気持ちがわるかった。
酒酔いや、乗物酔い。
そんな感じの気持ちわるさとちがって、
自分の体が、
何かを拒絶しているだけでなく、
何かを訴えかけているような、
激しい吐き気と苦しさだった。
看護師さんがいったん退室して、
男性のお医者さんとともに戻ってきた。
「便は出た?」
ぼくは、首を横にふった。
「昨日の薬、
お昼すぎには出したんやけど。
飲んでへん?
あれっ・・・説明、聞かへんかった?
錠剤だけやなくって、水みたいな薬。
飲んだら、
するっと出るやつなんやけど」
男性医師の問いかけは、
もはやひとり言のような感じだった。
「これ、便秘やな」
男性が、看護師さんに言う。
「胸に、刺さった感じで・・・
そこから急に、気持ちわるくなった」
ようやくしぼり出した声が、
届いたのかどうか。
男性医師は、看護師さんに指示を出す。
「70・・・、これは2本やな。
よし、2本いこう。2本用意して」
そしてまた、
入れちがいに入ってきた看護師さんが、
うつむくぼくに、声をあげる。
「イエハラさん、
どうされましたか?
イエハラさん、
どこか具合が悪いんですか?」
ぼくはまた、つぶやくように、
「気持ちがわるい」
とだけ言った。
看護師さんはそのまま、
荷物のことや手術の準備について、
説明しつづけた。
答えられないぼくに、
返事を確認する感じで、
「いいですか?」
と何度もくり返す。
本当に苦しかった。
が、それは誰にも伝わらないのか。
それとも、関係のないことなのか。
「どうしましたか、大丈夫ですか?」
と。聞かれるだけで、
気持ちわるさや
苦しさとは関係のないまま、
どんどん事が進められていく。
うなずいたり、首をふったり。
そんなことをくり返しているうち、
吐き気や気持ちのわるさは
絶え間なく打ちよせる
波のようにやってきた。
看護師さんが出て行くと、
部屋に入ってきた別の看護師さんに、
また初めから
おなじことくり返し聞かれる。
そのときのぼくには、
何度もくり返されるそのやりとりが、
まるでいやがらせのようにすら感じた。
気持ちわるさも
吐き気も改善されないし、
何の手助けもしてくれない。
吐き気と苦しさ、痛みにとらわれ、
うつむいたまま動けないぼくには、
訴えに対して
何の「こたえ」も返ってこないことが
ひどく心細く、
しだいに腹立たしくなっていた。
懸命に声に出して答えたのに。
次も、また次も、そのまた次も、
おなじことのくり返し。
訴えを無視するかのように、淡々と、
無慈悲に進められていくように見える
「進行」に、
(だったら聞かないでよ)
そんな気にすらなっていた。
人が途絶えたあいだに、
何とか体を伸ばして、
ベッドの足もとにあるごみ箱を
手に取ると、
それを抱えこむようにしてうずくまる。
最初の看護師さんが、
いろいろ準備を進めながら、
また言葉を投げかける。
(ちがう、
便秘のせいじゃない・・・
刺さってる・・・
いきなり胸に刺さって、
そのときから急に、こうなった。
便秘では、急にこうはならない)
声にならないぼくの訴えは、
そのまま真っ暗なごみ箱の底へと
沈んでいく。
誰も、ぼくのことは知らない。
これまでのぼくのことも、
ぼくがどんな人間かということも。
ぼくも、
自分をすべて知るわけじゃない。
初めて感じるほどの、気持ちわるさ。
10段階でいうと8や9くらいの、
これまでに体験したことのない
気持ちわるさ。
必死に耐えるぼくを見ても、
ほかの人には、
その苦しみはわからない。
どこかどう苦しいのか。
どんな感じがしているのか。
5なのか、3なのか。
7なのか9なのか。
どうして聞こうとしないのか。
そのときのぼくは、こう感じた。
みんな、忙しそうだ。
手術の準備で、忙しそうだ。
命に関わることだから、
自分の仕事をきちんとやらなければ、
大変なことになる。
ひとつひとつの「自分の仕事」、
ひとつひとつの「自分の行動」に、
重大な責任がある。
手術当日の緊迫感、緊張感。
そんな空気を、ひしひしと感じた。
たまたま若い看護師さんが多く、
それぞれが忙しく動いていた。
みんな必死で、忙しく、
自分のことで、せいいっぱいだった。
もし、自分が「現場」にいても、
きっとおなじだったにちがいない。
「余裕」
心にも、行動にも、
気持ちにも、考えにも。
それが、なくなっていたにちがいない。
そう思いながらも、
若い、男性の医師が部屋に来られて。
「あれ、イエハラさん、
どうしましたか?
イエハラさん、イエハラさん」
と、声をかけられたときには、
ついにぼくも「放棄」した。
「看護師さんに、聞いてください」
若い先生は、
そのまま踵(きびす)を返して、
部屋を出て行った。
ごみ箱に出るのは、液体ばかりで、
固形物はほとんど出てこなかった。
一生懸命とった「水分」が、
次々と出ていった感じだ。
もうろうとしながら、
動けない体をあやつられ、
ベッドに横たわったぼくは、
お尻に浣腸を注入された。
初体験。
本来なら、
こんないろいろ「ネタ」になる場面、
しっかり心に
刻んでいたはずだろうけれど。
恥辱も、苦痛も、嫌悪感もなく、
ただ言われるままに、
泥人形のような感覚でそれを受けた。
とてもベッドの上で
「そのとき」を待っていることが
できそうになかったので、
大惨事になる前に、
トイレの中へふらふらと歩き、
便器の上でじっとこらえていた。
が、
それほどぎりぎりまで
「ためる」ことができず、
大ざっぱにがまんしただけで、
あとは出るままに任せて力をぬいた。
何もできず、
あらがうこともできず、
それしかできなかった。
体をよじって、
コックをひねり、水を流す。
たったそれだけのことで、
体の力がへなへなとぬけて、
座っていても、床にくずれそうになる。
パジャマは全身、
ぐっしょりぬれていた。
トイレの外、
部屋の中から男性医師の声が消えた。
「どう、出た?
水だけやなくて、かたまりは出た?」
短かい沈黙のあいだに、
少ない言葉で端的に答えられる
言葉を探す。
「・・・少しは・・・」
「・・・そうか」
男性医師は、
満足とも不満ともつかない声で、
うなるように言った。
時は進み。
時間は手術開始へと
どんどん向かっていく。
気持ちのわるさ、
吐き気はまるでおさまらず、
無理に動いた分だけ、
よけいに動けなくなっていた。
ベッドの上に座り、
ごみ箱を支えにするような格好で、
ただただうずくまるほか
何もできなかった。
看護師さんの一人が、
懇願(こんがん)するように言う。
「お願い・・・お願いだから、
体重測らせて。
これだけは絶対に必要なことだから、
お願い!」
別に嫌がっているわけでも
拒んでいるわけでもなかったが。
その看護師さんには
どう映っているのか、
一生懸命、ぼくにお願いしつづける。
「・・動けないから、手伝ってほしい」
看護師さんの手を借り、
肩を借りて立ちあがると、
体重計の上に乗った。
スイッチが、入っていない。
もう一度おりて測り直す。
普段ならどうってことないことが、
やたらときびしく、ひどくつらい。
またすぐに看護師さんが来て、
ベッドへ横たわるよう言われると、
そのまま「おむつ」を履かされた。
ひどくみじめな気分だった。
言葉も出ず、声も出せず、
動くこともままならない。
何の感情もないまま、
「おむつ」を履かされていることが、
とてもかなしかった。
また別の看護師さんに、
荷物のことで、いろいろ聞かれた。
昨日、看護師さんに聞かれて
説明したのに。
どうしてそれが
伝わっていないのだろう。
余裕のないぼくは、
心の内でため息をついた。
またもう一度、
おなじことを質問され、指摘され、
ひとつひとつ答え、説明して、
伝えていく。
本当に、
たったそれだけのことが
「地獄」だった。
車イスに乗せられると、
そのまま廊下へ送り出された。
知らぬまに母が来ていた。
手にはビニール袋を持ち、
うつむいたまま、
車イスが押されていく。
下を向いているせいか、
よけいに気持ちが悪くなる。
さらには、
車イスを押してくれている看護師さんが
見るからに新人さんといった感じで、
慣れない手つきで、
あちこちにぶつかりながら、
ふらふらと蛇行して進んでいく。
車イスの上で、
乗物酔いみたいに
何度も吐き気をもよおした。
それでも新人の看護師さんは、
懸命に車イスと
吸引マシン『MSー009』号を
押していく。
エレベーター前に到着。
たどたどしい新人さんに向かって、
中堅の看護師さんが
いらいらと注意の言葉を向ける。
声にも、言いかたにも、
ぎざぎざとした棘(とげ)が
びっしりはびこっていた。
本当にみんな、余裕がなかった。
誰もがいっぱいいっぱいで、
みんながいらいらしている感じだった。
時計を見ていないので、
何時かはわからないが。
あわただしく、
いらいらとした時間の中、
自分だけが置いてけぼりに
あっているような感覚で、
時間と風景だけが
どんどん前へと進んでいった。
気づくと、
目の前に手術室の風景が広がる。
手術着を着たお医者さんが
たくさん見える。
もっといろいろ見たいのに。
顔が、まともにあげられない。
吐き気も気持ちわるさもそのままで、
動けないまま、
声や景色だけが流れていった。
「便秘で苦しんでるみたいで」
男性の医師の声がした。
ちがう、胸に刺さってるからだと。
そう伝える気力は、どこにもない。
女性の医師にうながされ、
海綿(かいめん)のような、
でこぼことした感触のスポンジの上に、
横たわる。
お医者さんの数は、
10人くらいだろうか。
横たわってしまうと、
もう、それも見えなくなる。
どれくらいかして、
口もとに、呼吸器がおし当てられた。
その呼吸器が顔に貼りつく部分の、
両面テープのような接着剤の、
独特のにおい。
そんなことを思ううち。
そこから先の、記憶がない。
* * *
さいわい、
おむつの中には出していない。
麻酔から覚めて、
いちばん最初の記憶は、
ベッドに横たわったまま、
ごろごろと運ばれていく風景だった。
部屋に入る直前、
ちらっと見えた壁かけ時計の文字盤は、
13:00のあたりを差していた。
そのときは何も思わなかったが。
よくよく考えると、
8:30〜9:00の入室から、
4時間以上経っったことになる。
通常、
2時間くらいで終了する手術が、
倍ほどの時間を要したということだ。
・・・そう思い至ったのは、
このときからずいぶん
あとのことだった。
手術後に入った部屋は、HCU
(High Care Unit:高度治療室)と
呼ばれる個室で、
手術室がある3階と
横ならびにつながる場所だった。
大きな手術が終わった患者はみな、
最低でも24時間、
この部屋に入って静かに過ごす。
体じゅうに管やコードがのびて、
まるで動けず、
自力では何もできない状態だ。
<手術後の状態の図> |
右腕には点滴の針が刺さり、
その指先には
心電送信機のコードがつながっている。
送信機からのびた3本のコードは、
右胸、左胸、左脇腹の
3カ所へとつづく。
口もとには酸素マスク。
カップ状のマスクが息苦しく、
鼻から吸入するタイプに
変えてもらった。
(酸素の出る量は、
「3」では苦しかったので、
「4」にしてもらった)
おむつの脇からは、
知らぬまに「挿入」された管がのびる。
管は、「尿道」へと差しこまれており、
トイレに行かなくても
おしっこができるようになっていた。
あたりまえだが、
まったく気づかないうちに、
そんなことになっていた。
ベッドの足もとに、
尿を溜めるビニール製の容器があった。
さらに、
背中からは細い管がのびていて、
手もとのボタンを押すと、
脊髄神経へ直接、
痛み止めの薬液が流れるように
なっていた。
まるで機械かロボットだと。
そう思えるほどの「改造」だった。
左胸からは
相変わらずチューブが伸びており、
新しいチューブが、
新しい吸引マシンにつながっていた。
昔の「ラジカセ」を思わせるほどの
大きさの、
白くて「おしゃれな」感じの、
小型の吸引マシンに変わっていた。
最初、それが吸引マシンとは
気づかなかったほどだった。
<手術後の吸引マシン Tparz+の図> |
体からのびる
チューブやコードに束縛され、
身動きがまったくできない。
ほんの少し、
首を動かすことはできても、
体を起こすことができないので、
部屋の入口上、
足元のほうにある時計が
まったく見えない。
背中のスポンジは、寝心地こそいいが、
その材質のせいで
体のすべりがわるくなり、
ただでさえ動けない体が、
よけいに動かしづらかった。
手を広く動かすこともできないので、
自分でリモコンをたぐり寄せ、
ベッドを起こすこともできなかった。
<HCU 333号室の図> |
体には、布団代わりのバスタオル ——
それがバスタオルだと気づいたのも、
ずいぶんあとのことだ——が
かけられているのだが。
検温や検診のときにめくったまま、
かけなおさないで出て行ってしまう
看護師さんやお医者さんがいて、
そのたびに、
動かない手で必死に
「布団」の位置を直した。
タオルの端ををつかみ、
投げるようにして胸までおおったり。
ちょっとずつ、
親指ではじく感じで上に送り、
肩や腕をもぞもぞと動かせて
「布団」を肩までかけ直す、
というようなことを、
何分もかけてじわじわやっていた。
そうする以外、どうしようもなかった。
ナースコールで
呼ぶようなことでもないし。
押して、すぐに来てくれるほど、
看護師さんも「ひま」ではない。
チューブやコードのせいもあるが。
それより前に、
痛みで、体が動かせなかった。
部屋には窓がなく、
薄明かりの照明が天井に灯っている。
薬や麻酔のせいなのか、
時間の感覚も、場所の感覚も、
なんだかひどく曖昧だった。
ここ(HCU)に来るまでも、
夜、ベッドに横たわっているとき、
廊下やとなりの部屋で、
誰かがずっと会話をしているような、
そんなしゃべり声が、ずっと聞こえた。
おそらく、薬のせいだ。
けっして大きな声ではないけれど、
やかましいくらいにつづく「幻聴」は、
最初、テレビの音か何かかと
思っていた。
早口で、
何を言っているのかは
聞き取れないのだが。
おじさんやおばさんの声が
たくさん重なって、
いつもがやがやとにぎやかに
鳴り響いていた。
何日ものあいだ、
それが「幻聴」だとは気づかず、
本当の「声」だと思っていたくらいだ。
このHCUでも、それはつついていた。
麻酔あけの、うつろな意識に、
うっつらうっつら、ときどきまどろむ。
すると、
がやがやとやかましい声が
廊下につづく。
廊下、と思ってるだけで、
その声(音)は、
頭の中でやかましく
鳴りつづけているのだ。
喉が、渇いた。
最後に水を飲んだのは、
もう何時間前のことか。
実際には、
点滴で水分を補給しているので、
水がほしいわけではないのだが。
口から水を飲んでいないので、
喉が、渇いていた。
巡回に来てくれた看護師さんに、
何か要望はないかと聞かれ、
喉が渇いたと伝えると、
術後、24時間は
水を飲めないのだと言われた。
手術前、
そんな話は聞いていなかったので、
『聞いてないよ〜』
(ダチョウ倶楽部)
と、ちょっと驚くとともに、
24時間後(=明朝)というのが、
はるか手の届かない、
遠い未来のことのように感じた。
『手負いに水は、かねての毒と、
お前もやくざだ、
知ってるだろう。
苦しかろうが水はやらないよ。
喉が渇いたら、下唇を、
ぐうっとかんでがまんをし』
(『清水次郎長伝』「お民の度胸」より)
「口をゆすぐことは、できます。
絶対に飲みこまないでくださいね」
そう言って看護師さんが、
お水の入った紙コップを
持ってきてくれた。
<水の図> |
あわててむせてしまわないよう、
ゆっくり慎重に水を吸う。
「ずる」をして
水を飲んでしまうような発想こそ
起こらなかったが。
本当に、ただの水が、
口の中を転がるその感触が、
こんなにもやわらかで、
みずみずしいものだと
感じたことはなかった。
砂漠の旅人は、
口に含んだほんのひと口の水を、
いつまでも飲みこまず、
口の中を転がしつづけるという。
少ない水を効率よく摂取するために、
口の中の粘膜から、
ゆっくり水分を吸収するのだ。
口に含んだ水を、
紙製のボウルに吐き出す。
もうひと口、
口の中をゆっくり転がし、潤おし、
ぺっと吐き出す。
まるで修験者(しゅげんじゃ)だ。
千日修行を行なう
「大阿闍梨(だいあじゃり)」の渇きを、
ほんの少しだけだが味わえた。
修行中、
水を「飲む」ことは許されないが。
鉢になみなみと注がれた1杯の水を、
ゆっくりと口に含み、
まったくおなじ大きさの
空の鉢へと吐き出して、
最後、
水の量が減っていないのを
たしかめる。
そうか、こんな感覚かと。
ものすごいな、
大阿闍梨になったお坊さんは。
恐るべき精神力だ。
水を吐き出しながら、
ふとそんなことを想起した。
手術のせいか、肺があまりふくらまず、
呼吸が浅くて息苦しかった。
おぼれるようなその感じに、
まどろむだけで、深くは眠れない。
体の痛みとは別に、
声が出ないものつらかった。
痛みのせいで
あまりしゃべる気持ちも
起こらないのだが。
看護師さんに何かを伝えるとき、
かすれて声にならない声に、
会話が消極的になる。
痛み止めは、
口から「飲む」ことができないので、
点滴と、背中のチューブから
「入れて」もらった。
痛い。
息がしづらい。
苦しい。
体が動かせない。
声が出ない。
溺れそうな気がして眠れない。
頭の中では、幻聴が聞こえる。
幻聴ではない、現実の声もする。
耳の遠い患者さんに、
大きな声で話しかける
看護師さんの声。
薄明かりの中、
わるい夢を見ているようだった。
逃げ出したい。
この部屋から早く出たい。
もう嫌だ。
出して、早く!
そんな気持ちを代弁するかのように、
耳の遠いおじいさんの患者が、
部屋をぬけ出し、
徘徊(はいかい)している。
見えないからこそ、
音だけでその「景色」を
じっと「見て」いる。
「△△さん、どこ行くの?」
「かあさん(奥さん)に会いに行く」
「まだだめだよ、いま行っても、
会えないから」
「ここから出て、会いに行く」
「退院はまだだから、
ちゃんと治してから会いに行こうね」
患者のおじいさんは、
何度も部屋をぬけ出して、
そのたびに看護師さんに声をかけられ、
部屋に連れ戻された。
鳴りつづけるナースコールと、
廊下に響き渡る、
看護師さんの大きな声。
終わることのない、
わるい夢のようだった。
部屋に来てくれた看護師さんに、
時間を聞いてみる。
明日は、まだ、
はるか先だった。
そのわるい夢は、
夜中もずっとつづいた。
自分がどんな形の、
どんな場所にいるのかもわからず。
天井から差す、
オレンジ色の薄明かりと、
廊下にこだまする看護師さんの声に、
自分は、レンガ造りの、
教会のような建物の
地下深くにいるのだと感じていた。
頭にはなぜか
『ES(エス)』という映画が
音もなく流れている。
そう。
自分が「囚人役」の人間で、
看護師さんやお医者さんが「看守役」。
遅々として流れない、まどろんだ時間。
長く、重たく、どろりとして、
頭の中で、音や声ばかりが鳴り響く。
ここはどこなんだ?
自分はいま、どんな場所にいるんだ?
いつ出られるんだ?
本当に出られるのか?
痛み。苦しみ。
閉塞(へいそく)感。
鼻から吸入する酸素がまた息苦しくて。
ふくらまない肺をさらに息苦しくする。
空間的な閉塞感だけでなく、
その息苦しさからくる、
感覚的な閉塞感、密閉感。
動けないことからくる閉鎖感。
苦しい。
外の空気が吸いたい。
風を、空を、光を。
「本物の空気」を感じたい。
ここから逃げ出したい。
ふとした瞬間に、
おそってくる焦燥(しょうそう)感。
頭がおかしくなりそうだった。
ほんの一瞬ではあったが、
逃げ出す衝動にかられた。
時間。
目に見えない、
長い鎖のような時間、時間。
本当に。
わるい夢のような、時間だった。
* * * *
朝がきた。
本当に長い夜だった。
ほとんど眠れず、
一瞬、意識を失ったかと思うと
目を覚まし、
あわてて息を吸いこむ、
ということをくり返していた。
眠ると死んでしまうような気がして。
息が止まってしまうような気がして。
怖い、というより、苦しかった。
とにかく息が、苦しかった。
5月30日、火曜日。
朝、看護師さんにお水を頼んだ。
もう、水を飲んでもいい時間だった。
看護師さんが、
紙コップに入れたお水を
運んできてくれたのを見て。
こんなにもあさましく、
意地きたない人間なのかと
思うくらいに。
看護師さんが机の上に置く前の、
ほんのわずか数秒、
数センチが待ちきれず、
さもしく手を伸ばしている自分の姿に、
はたと気づいた。
切迫した欲求に、
人間の「業(ごう)」の
いじましさ、生々しさを感じた。
そのひと口の水、
1杯の水の味は、
忘れがたいほどおいしく、
心と体にじいんとしみわたるほど
ありがたいものだった。
「ありがとうございました。
おいしかったです」
思わず看護師さんにお礼を言うほど、
恵みの水は、
つよく、やさしいものだった。
朝食は、ほとんど食べられなかった。
食べたいと思わなかった。
冷たいバナナと、よく冷えた牛乳。
それだけに手が伸び、
そしてそれが、おいしかった。
5月30日 朝 |
『明けない夜はない』
そんな歌詞があったような。
朝ごはんのとき、
ベッドを起こしてもらって
起きあがった。
それがもう、
何日ぶりかのことに思えるほど、
体を起こすことが久しぶりに感じた。
手や足は、手術後すぐに、
ちょっとずつ動かしていた。
試すように、たしかめるように。
じっとしていたら、
固まって動けなくなりそうだったので、
足の向きを変えたり、
腕の位置を変えたり、
肘を少し曲げてみたり、
首や目や舌も、
お医者さんに言われるより前に、
動くかどうか気になったので、
寝姿勢のまま動かしていた。
痛みや息苦しさはあったが、
体を起こし、手を動かして
食事をとったことで、
かなり「生きた心地」がした。
体が動くと、心も動く。
気持ちも少し軽くなり、
わるい夢のような感覚も、
すうっと晴れていくような気がした。
朝食後、
いきなり、先生たちがやってきた。
外科の先生をはじめ、女医の先生や、
なんだか偉い先生のような人など、
白衣を着た
10人くらいのお医者さんたちが、
いきなりぞろぞろとやってきた。
頭には『時計仕掛けのオレンジ』の、
アレックスがお偉方にお見舞いされる、
病室の場面が浮かんだ。
「どうですか。
朝食、食べられましたか?」
外科の先生が、言った。
話し役は外科の先生というばかりに、
ほかの先生方は、じっと黙って、
ぼくのほうに目だけを向けている。
そのたくさんの目は、
興味深げに何かを見守るような、
そんな色に満ちて見えた。
バナナと牛乳だけ食べたことを話すと、
外科の先生は、うれしそうに笑った。
「よかったよかった。
ごはん食べられて。
ちょっとでもごはんが
食べられたんなら、大丈夫ですね」
その顔、その言葉に、
ぼくはすうっと安心感をもらった。
信頼感のある先生の声に、
うれしい薬をもらった気がした。
「肺の中が、
けっこう『よごれて』いたので。
きれいに掃除しておきました。
ずっとドレーンを
入れてたこともあって、
胸膜炎を起こしてます。
抗生剤で対処しますから、
あと、2、3日、
このまま経過を見ましょう」
「え、2、3日・・・。
チューブは・・・?」
「このままです」
「ぅえっ!」
思わず苦い顔をしてしまったぼくに、
先生方は特に
顔色を変えるふうでもなく、
「それじゃあ、そういうことで」
と、去っていった。
急にがらんとした部屋で、
ふと思った。
向かって左端におられた先生の顔は、
どこかで見たことがあるような。
・・・その顔は、
入院のしおりやパンフレットで見た、
偉い先生の姿の顔に
よく似ている気がした。
手術のあとは、
術後の患者さんみんなを見て回る。
それが、偉い先生の
お仕事なのかもしれない。
それはさておき。
よろこびと安堵から、多少の落胆。
すぐ退院できると思ったのに。
胸膜炎の経過観察。
がっかり。
・・・けど、もう言わない。
考えるのはよそう。
いまはとにかく、
退院することだけを思い描いて、
今日1日の時間を過ごそう。
* * * * *
部屋を出て行くときに、
扉を開けたままにしていく
看護師さんやお医者さんがいる。
最初、
それに意味があるかと思っていたら、
どうやら意味は、
ないらしいことがわかった。
少しだけ声が出せるようになって、
かすれ声で、
「扉、閉めてもらっていいですか」
と言えるようになって、
開けっ放しの開放感から、解放された。
いくら閉鎖的で
閉塞感があると言っても、
扉は閉めておいてほしい。
朝ごはんを食べる姿を、
廊下を歩く人から
ちらちらと見られるのは、
動物園の動物みたいでやりきれない。
痛みからか、不自由さからか、
不満ばかりが頭に浮かぶ。
声も、出にくいけれど、
出せなくはない。
消極的にならず、
積極的に出していこう。
そうしたら、
少しは気持ちも軽くなるはずだ。
最低限のことしかしゃべらないから、
人間味のない、
機械的なやりとりしか生まれない。
不満な状況は、
いまの自分が招いている
現状かもしれない。
無味簡素に流れていく時間に、
自分から、色を灯していこう。
* * * * * *
若い、男性の看護師さんが来た。
手術後の
「リハブ(リハビリテーション)」を
しましょう、ということで、
看護師さんの手を借りながら、
起きあがる。
ベッドの端に腰かけると、
かがむことができないので、
看護師さんに靴を履かせてもらった。
看護師さんに支えられ、
手を添えられながら、
ゆっくり立ちあがる。
立ちあがってしまうとずいぶん楽で、
自分の足でしっかり立つことができた。
ためすふうにして、ゆっくりと歩く。
ベッドに横たわっていたとき、
手と足の指を
「にぎったり」「閉じたり」、
手首足首を動かしたり、回したり。
そんな「運動」を
していたおかげもあってか、
手も足も問題なく、
すんなりと動いてくれた。
「廊下の先の、
トイレまで歩いてみましょう」
看護師さんは、
いつでも体を支えられる位置に
手を伸ばし、
ぼくのそばを付き添い歩く。
片手には吸引マシンが装着された、
キャスターつきポール(点滴台)。
これまでのものと比べて格段に軽い。
器械よりも、
ポール自体のほうが重たいくらいだ。
ゆっくりを足を進めると、
ふらつくことも、もつれることもなく、
難なく歩くことができた。
廊下を歩き進んで、周りの景色を見て、
初めて自分がどんな場所にいたのかを
理解した。
まっすぐな廊下は、
看護師センターを囲むようにして
折れ曲がり、
L字型に伸びている。
L字の「外周側」に、
等間隔で個室がならぶ。
そこには、
手術を終えたばかりの患者さんが
静かに横たわっている。
自分の部屋とおなじ個室が
ずらりとつづき、
それを見守るような配置で、
看護師センターがあった。
なるほど。
こんな「風景」だったのか。
地下でも教会でもレンガ造りでもなく、
リノリウムの床の、
ごく見慣れた感じの、
ふつうの病棟だった。
ゆっくりと足を進めながら、
周りの風景を目に映し、
昨日の夜に思い描いていた「風景」と
見くらべていた。
「手術後にすぐ、
こんなにしっかり歩けるなんて。
すごいですね」
看護師さんの言葉に、
かすれ声で返事をした。
「ふつうは歩けないんですか?」
「こんなにしっかり歩けるのは、
体がしっかりしてる証拠です」
「そうなんですか」
そのまま廊下を折れ曲がる。
「あそこの、トイレまで行きましょう」
本当に短い道のりで、
たいした距離ではないが、
手術のせいか、少しだけ息がはずむ。
トイレに到着した。
そこからまた、自室に向かって
歩いていく。
息がしづらくて、息苦しく感じた。
途中、女性の看護師さんがそばに来て、
「もう、これはいらないんじゃない?」
と、酸素のチューブを外してくれた。
「大きいね、背が。
よいしょっと、はい、これで大丈夫」
鼻からチューブがなくなったおかげで、
かえって息がしやすくなった。
息苦しさは、
チューブに頼って(じゃまされて)
いたせいも、かなり大きかった。
「ありがとうございます」
声は、出すほどに、
少しずつ出るように
なっている気がした。
部屋に戻ると、
おむつから伸びるチューブを指して、
看護師さんに聞いてみた。
「この管って、いつ抜けるんですか?」
「自分でトイレまで
歩いて行けるようになるまでです」
「それじゃあ、さっそく、
トイレに行ってみていいですか?
ということで、
おペイナス(お・ちんちん)から伸びる
管を抜くことになった。
部屋の扉の
カーテンを閉めた看護師さんは、
ぼくの腰を浮かせ、
パジャマのズボンをずり下ろした。
見ず知らずの若い男の子の前に、
ぼくの「秘密の部分」があらわになる。
おむつを履くときや
全身麻酔のときに、ちょくちょく
ご開帳されしまっているので、
もう、ちっとも秘密の部分では
ないだろうが。
とにかく、ぼくの「秘密の部分」が、
思いっきり露出された格好になる。
「いいですか。
息を吸って、吐いて、
深呼吸をしてください。
2回目の吐くときに、
管を抜きますから」
看護師さんの合図とともに、
深呼吸をする。
2回目の吐息と同時に、
管が、勢いよくするっと抜かれた。
入っていたチューブは、
自分が思っていたより深く長く、
尿道に電気のような衝撃が走った。
パジャマを直すと、立ちあがり、
いま往復したばかりのトイレまでの道を
再び歩いた。
看護師さんが横を付き添う。
「本当はもっと、話したいのに。
声が出ないって、つらいですね」
そう言うぼくに、
看護師さんは少し驚いた顔を見せた。
「どちらかというと、
話すのは、好きなほうなんです」
言葉を重ねるぼくに、
やや表情をゆるめた看護師さんは、
「意外です」
と、ぽつりと言った。
「無口な人なのかと思ってました」
「声が、出せなかったんです」
「そうだったんですね」
人からの印象。
痛みと息苦しさで無愛想になり、
声を失っていたせいで、
自分では想像もつかない人物像に
思われていた。
無口で無愛想で、とっつきにくい。
それが、
ここでのぼくの「人物像」だ。
自分でもその「ちがい」に驚かされ、
印象や人物像の「不確かさ」を知った。
ちょっとしたことで、
人の抱く印象は変わる。
妙な実験結果を得たみたいで、
不可思議な気持ちでいっぱいだった。
トイレに入って、便器の前に立つ。
尿意のわりに、
思っていたほどの量は出なかった。
し終わったとき、
管の入っていた箇所が
ちりりと熱を持ったように痛んだ。
瞬間的に走る、
ちょっとした痛みだった。
検体の採取のため、
「ファーストおしっこ」は全部、
紙コップの中にした。
トイレを出ると、
外で待っていた看護師さんに
コップを渡す。
「思ったより出なかったです」
「管のせいで、
尿意を感じたのかもしれないですね」
そんなことを話しつつ、
また自室に戻る。
「おむつは、まだ外せないんですか?」
「通常病棟に戻ったら、
看護師さんが
外してくれると思います」
そう言ったあと、看護師さんは、
ベッドの下の容器にたまった尿を
大きな紙コップに移しはじめた。
思いのほか多かったのか、
それとも見積もりが甘かったのか。
大きめの紙コップに
入りきらなかった尿は、
新たなに動員された2個目のカップに
注ぎこまれる。
1個目のカップは、
つらっつらの、なみなみいっぱいまで
満たされている。
それはもう、笑っちゃうくらいに。
キャスター付きワゴンに
置かれたカップは、
風が吹いただけでも
こぼれてしまいそうな感じに見えた。
2個のカップをならべ終え、
そのほかの用事をすませた看護師さんが
部屋を出て行くとき、
思わず声をかけたくなった。
「気をつけてくださいね。
カップ、なみなみですから」
その声に、
少しはっとした様子の看護師さんは、
「ありがとうございます」
と、小さな声で言って、
廊下に姿を消した。
少しして、看護師さんが戻ってきた。
「体を拭きますね」
おしぼりを手に、清拭がはじまった。
温かなおしぼりは気持ちよく、
すがすがしく心地よかったが。
自由のきかない体では、
すべてを看護師さんに
委ねることになる。
上半身や足を拭き終わると、
パジャマのズボンをずり下げられた。
先ほど「見られた」ばかりの
「ひみつ」だったが。
甥っ子ほどの、
若い男性看護師さんに、
それを、おしぼりで
拭いてもらったとき。
わびしさと情けなさで、
ひどくかなしい気持ちになった。
涙も言葉も出ないが、
ものすごくかなしかった。
この思い。
このかなしみ、この悔しさ。
忘れない。
忘れてはいけない。
そう思った。
* * * * * *
5月30日 昼 |
お昼ごはんを食べはじめた
ちょうどそのとき、
先ほどの若い看護師さんが、
「ごはん食べはじめてすぐで
申しわけないですが。
普通病棟へのテントウが
決まりました。
12時に迎えに来ますので、
それまではお昼、食べててください」
と、伝えに来てくれた。
時計を見ると、11:45。
あと15分しかない。
「すみません、
あわただしくって・・・」
「大丈夫です。食べれるだけ食べます」
ご飯(軟飯)は食べなかったが、
おかずや果物は、ぜんぶ食べた。
白ごまと黒ごまがたっぷりの豚肉は、
口にも体にもすごくおいしい、
ごちそうだった。
煮物もポテトサラダもオレンジも、
どれも体にしみこんだ。
「イエハラさん、
いまからテントウしましょう」
いそいそと看護師さんがやってきて、
病棟を移ることになった。
『転棟(てんとう)』
最初耳にしたとき、
「転倒」の字が頭に浮かんだ。
しばらくして遅れて、
ああ、そういうことか、
と意味がわかった。
病院用語、ムズカシイデスネー。
あわただしく車イスを準備すると、
チューブや配線、
諸々の管を取りまとめて、
ちょっと戸惑ったり迷ったりしながらも
すみやかに。
室内をあちこち動き回り、
荷物をまとめ、
「転棟」の準備を万事すませる。
何か手伝おうにも
何も手伝うことができず、
ただ車イスにじっと座っていたぼくは、
そのままころころと押されて、
HCU333号室をあとにした。
HからAへ。
HCUから、
また前にいたA病棟へと戻るのだ。
時間がないのか。
終始、急いでいる感じの看護師さんは、
途中、ほかの看護師さんに
手を貸してもらいながら、
エレベーターのある場所へと
進んでいった。
久しぶりに、太陽の、光を見た。
久しぶりに、外の、景色を見た。
時刻ではなく、時間。
お昼すぎの光。
天気は「晴れ」だった。
看護師さんは、歩くのが早い。
その男性だけでなく、
ほとんどの看護師さんは、
歩くのが早い。
広い病棟を歩き回るので、
いつのまにか歩くのが
早くなるのだろう。
かつての自分——20代のころは、
何かに急いで生きていたので、
自分も歩くのが早かった。
会社を辞めて、
みんなの「歩調」から外れて
しばらくすると。
自然と歩くのが「遅く」なった。
遅い歩みで見る景色。
それは、とても早くて、
すごくめまぐるしくて、
どれもがせかせかと急いで見えた。
ああ、自分もかつては、
あんなふうだったのか。
忙しく移ろう風景を、
まったく別世界の
ものでも見るようにして、
一人、ぼんやりと眺めた記憶。
最近ではその「景色」が、
止まったみたいに見えるから不思議だ。
エレベーターが10階に着き、
「見慣れた」感じの風景に
「帰って」きた。
看護師さんが、
10階の看護師さんに
「申し送り」をする。
たくさんの薬と紙が渡され、
荷物とともに、
患者のぼくが「引き渡され」た。
つらかったH棟での「生活」。
心電送信機とつながった、
指先のテープ。
そこに描かれた「わんこ」の絵に、
どれだけ心、励まされたことか。
負けてたまるか。
痛み、苦しみ、息苦しさ。
遠い先の未来の時間ではなく、
いま、この瞬間の時間だけを見て、
ただただじっと耐えしのんだ
H棟での時間。
長かった。
苦しかった。
息が苦しくて、
逃げ出しそうになるほど、つらかった。
息苦しさと閉塞感で、
窒素しそうになって。
情けないくらいに、
気がおかしくなりそうなくらいに、
パニックを起こしてしまうほど、
逃げ出したくなる瞬間があった。
そんなとき、
じっと気をしずめて、心で唱えた。
『いまだけ、
いまの瞬間だけを見ろ』
地獄の底のようだった、HCU。
窓があるっていいな。
自然光が差すっていいな。
A棟の部屋の、
その明るさ、そのまぶしさに。
心までもが明るく染まった。
そんなとき、
外科の先生が来られた。
「排液も汚れてないし。
うん、大丈夫そうだね」
当初は、
2、3日様子をみる、
という話だったが。
明日、管を抜き、レントゲンを撮って、
経過がよければ、
そのまま金曜か土曜に退院。
そんな流れになった。
すべてが上に向かっている。
そう思った。
1階、コインロッカーへ、
荷物を取りに行く。
中学校の規則みたいに、
いろいろ厳しかった手術の準備。
気づくと知らぬまに、
箱ティッシュや歯ブラシなど、
H棟へ持ち込んだ「私物」に、
名前と番号が書かれたシールが
貼られている。
はがすとずるっとめくれる、
やっかいなタイプのシールだった。
もしもお気に入りの物だったら、
もうっ、っと怒っていたにちがいない。
もしもあなたが手術を控えているなら。
手術へ向かう手荷物は、
あんまりお気に入りの物を
持ちこまないほうが賢明でしょう。
シールがべったり、
はがれなくなります。
そう。
手術は「命」が第一。
時間も人手も限られているので、
それ以外のことは、
どうしたって二の次になる。
ここはホテルでもなく、家でもない。
初めての手術で、
それを体感した。
『飲み物、食べ物に注意』
手術後の、呼吸が浅く、
喉がせまく感じるいま、
飲み物や食べ物を飲みくだすときには、
むせたりしないよう、
気をつける必要がある。
肺を手術しただけでなく、
「炎症」がある現状では、なおのこと。
誤飲や、ばい菌は大敵。
口内も清潔に保ちましょう。
14:00すぎ、点滴。
右腕から、抗生物質の注入。
肺の炎症を抑えるための薬だ。
あれっ?
こんなふうだったっけ?
14;30ごろ、
右手の管に、血液が逆流。
チューブの中が、真っ赤に染まる。
たまたま来てくれた
看護師さんに言うと、
注射器で圧力をかけて
血を押し流してくれた。
見てよかった、気づいてよかった。
知らないことばかりで、
わからにことばかりで、
何がどうで、何が正しいのか。
やってみて、聞いてみて、
初めてわかる。
点滴は、約1時間。
その間じっと
おとなしくしていないといけない。
動いたり、腕を下げたりすると、
すぐにチューブが赤く染まる。
15:15ごろ。
廊下から、
やさしげしげなおばさんの声が
聞こえた。
いい子にしてると、
いいものが集まってくる。
ちなみに。
手術後に「戻った」A棟の部屋は、
戻ったとはいえ、また別の部屋だった。
今回の入院中、
4部屋目の「転棟」。
間取りは、
最初の部屋とおなじ配置だった。
薬のおかげもあってか、
痛みや苦しさは、ずいぶん楽に感じる。
H棟にいるあいだは、
ノートがなかったので
「記録」も書けず、
ようやく起きあがれるように
なったとき、
こっそりカバンに忍ばせておいた
ボールペンで、献立票の裏に、
あれこれ記録した。
いまはノートもあるし、
スケッチブックもある。
痛みが少ないと、心が活動的になる。
心が動けば、体も活動したがる。
記録だけでなく、絵も描けた。
本当に、ようやく、
「生き返った」気がした。
* * * * * * * *
新しく変わった吸引マシンは、
おしゃれなラジカセみたいだ、
と先述したが。
軽量化やコンパクトさだでなく、
機能的にもすぐれている。
チューブは2本出しタイプだが、
体に入る管は1本。
<Topaz+・チューブ接合部分の図> |
いつ、どのくらいの排液が出たのか。
時間と量が記録される。
デジタル表示の画面を見れば、
それがすぐにわかる。
いまは止まっているので、
たしかめられないが。
「空気のもれ」も記録されるようだ。
もし、また空気がもれるようなら。
それは、再発というより、
治した箇所からもれている、
と考えたほうが妥当かもしれない。
そうならないためにも。
安静に、おとなしく、
じっと過ごしていよう。
つい、開放感から
あれこれやりたくなってしまうが。
あわてず、あせらず。
じっくりしっかり治すことだ。
病院では、
あらゆるものを脱がされ、
剥奪(はくだつ)される。
トイレに入ったとき、
履いたままだったおむつを脱ぎ去った。
おしっこをしたあと、
まだ熱い痛みが、ちりっと走る。
尿道カテーテルを考えた人は、
すごい発想の持ち主だ。
ボールペンがかすれてきた。
どうした、BIC。
とにかくもう、病院には入りたくない。
健康のために
いろいろやろうとは思わないが。
規則正しく、
すこやかに生きていこうと思った。
この命を、
大切にしなければいけない。
死ぬことよりも、
くるしむことがつらい。
全力で生きて、使い切って、
思いっきり前のめりで逝(い)きたい。
* * * * * * * * *
5月30日 夕 |
そういえば、29日。
ずっと歯を食いしばっていた。
つらかったなぁ。
病院の、
夜の「ルーティーン(習慣)」は、
しっかりしてきた。
ごはん → 歯みがき → うがい →
洗顔 → 清拭(自分で)→ パジャマ替
退院したら、体を引きしめるぞ。
お医者さんて、すごいな。
麻酔で人を眠らせたり、
切ったり、貼ったり、
縫ったり、つないだり。
てきぱき動いて、判断して、
責任を持って行動する。
お医者さんってすごい。
医学ってすごい。
HCUにいるとき、
ずらりとならんだ
白衣の「ドクター」たちは、
かっこよかった。
まるで正義の味方の、
戦隊みたいだった。
HCUでは、注文するとどんどん、
痛み止めをくれた。
おかげでかなり、救われた。
さっき体を拭いていて、
覚えのない「傷跡」があった。
そうか。
もう、1つは穴をふさいだんだ。
あと2カ所、前と後ろ。
背中の穴は、どこにあるのか、
それすら見えず、わからない。
<体にあいた穴の図> |
歯みがきチェック。
朝・昼・夕・寝。
小学校のころの
『歯みがきカード』を思い出す。
なつかしい。
ひまわりの絵とか、いろいろあったな。
夏休み。
ひまにならないよう、
先生がくれた「贈り物」。
21:00前、
頼れる看護師さんが来て、
「おかえりなさい」
と言ってくれた。
それが無性にうれしかった。
肺の「殺菌」のために、
薬剤の吸引を行なう。
ちょっとした卓上器械での吸引だ。
HCUでも一度やった。
<薬剤吸引器『Voyage(ヴォヤージュ)』の図> |
薬剤を吸い終わった頃合いに、
また、頼れる看護師さんがやって来た。
空っぽになった薬剤を見て、
「わ! ここまでの人は、
あんまりいない」
と、仰天していた。
そうなのか。
HCUで担当してくれた看護師さんは、
まだ看護師になって日の浅い感じの
若い女性で、
ひとつひとつの行動が、
ゆっくりだが「かちっと」していた。
薬剤の吸引の様子を見に来た
その看護師さんは、
「まだですね」
「もう少し、ですね」
「まだ、薬剤が少し残ってますね」
と、
いつまで吸えばいいのかというほど、
何度も様子を見ては、
続行の指示をくだした。
初めてなので、
そういうものだと思ったし、
おかげで、そういうものと、
認識させられた。
もっともっと、吸わなければ。
まだまだ、空っぽになるまで、
最後まで吸わなければ。
そう思った。
「5分から10分くらいで、充分ですよ」
と、頼れる看護師さんが、
苦笑いするのを見て。
なるほど、そうか、と思った。
何事も、最初が肝心。
最初の「思いこみ」「刷りこみ」が、
そのあとの「思考」「行動」にひびく。
それは、初対面の看護師さんに
「無口な人」と思われたことと、
よく似た現象だ。
背中には、
直径2ミリくらいの
チューブが刺さっている。
その先は、
小さな「スイッチ」のような器具に
つながっている。
ボタンを押すと、1回5ml。
痛み止めの薬液が、
背中の穴から流れこむ。
ボタンは押したあと、
しばらく戻らない。
何度も連続で
押してしまわないようにだ。
<背中につながる痛み止めの図> |
余裕、さりげなさ。
あわてず、あせらず。
夜の点滴は、40分くらいで終了した。
点滴の「おわり」が、
ようやくわかった。
点滴を刺してくれたのは、
精神科から移ってきた
看護師さんだった。
話の流れで、電話、携帯・スマホ、
公衆電話の話題になった。
精神科では、
スマホや携帯電話が
「禁止」されているそうで、
みんな、テレホンカードを手に、
公衆電話の取り合いだという。
まるでうそみたいな光景だが。
ここでは、ぼく以外、
誰も公衆電話は使っていない。
23:00。
さっきおしっこをしたときも、
まだ、ちりっと痛みが走った。
もう、あんまり、
ぼくのおちんちんをいじめないで!
*
エンドレスなように
長くつづいた今回の記録。
おわりのない、ものはない。
物語にも、現実のお話にも、
かならず「おわり」がおとずれます。
それがどんな形であれ。
「おわり」は、
かならずやってくるものです。
まるで
『地獄黙示録・デレクターズカット』
のような長さでしたが。
最後まで通読、読了してくださった、
あなたさま。
あなたは読者の鑑(かがみ)です。
そしてあなたは、
ちょっぴりやさしい変人です。
Hi, Punk. [B面]。
まさか、まさか・・・、
そんなことが、起ころうとは。
地獄の底から
はいあがってきた家原の身に、
いったい何が起こるのか。
次回、#6をお楽しみに。
< 今日の言葉 >
『悲しむにはあたらない。
絶望を図ることは、
希望を発見することでも
あるからねぇ。
地球には、
”毛虫が終末と感じる状態を、
蝶には誕生と感じる”という、
うつくしい言葉があるじゃないか』
(映画『幻魔大戦』より)