*
トイレが目覚めの原因かわからないが。
夜中、1:30、3:30ごろに起きた。
5:30ごろにまた目を覚まし、
そのまま起きることにした。
起きて3回とも、トイレに立った。
おしっこがたくさん出た。
(それが点滴のせいではないかと、
あとあと気づく)
部屋のカーテンを開けると、
眼下に静かな景色が広がっていた。
喉のひっかかり、たんなどは、
昨日より感じない。
嚥下(えんげ:飲みこむこと)も
しやすい。
痛みらしい痛みもなく、
ずうっと中心にあった左胸の激痛も、
激痛から痛みに、そしていまは、
「刺激」くらいに落ち着いている。
すべてが確実に、快方へ向かっている。
1回目に起きたとき、
たくさんのおしっこが、
とめどなく出た。
2回目に起きたとき、
体が汗ばんでいて、背中がかゆかった。
めちゃくちゃかゆくて、
薬が塗れる範囲、届くところに塗った。
いつもあごまで布団をかぶるのだが、
体温調整のため、
腕は出しておいた。
おかげで心地よく眠れた。
夢を見た。
Aくんが、ちょっとおかしくなって、
変な友人たちと付き合うようになって、
引きこもってしまった。
それでいてAくんは、
過去に載ったファッション雑誌——
たくさんの人たちが、
『△△△△/ミュージシャン』
『◇◇◇◇/販売員』といった感じで、
1ページに2人くらいずつ、
写真と記事、Q&Aなどが載った雑誌
——のおかげで、
そういうものに憧れを抱く人たちが
集まってくるのだ。
そしてちょっと、
変な宗教みたいな結束力で
まとまっていた。
ほかの人たちには
わからない冗談で笑ったり、
自分たち以外を
小ばかにするような態度で、
世間を見ていた。
そこから場面が変わって、
3人組が乗る車がやってきた。
アメリカの「コンボイ」みたいな
トラックで、
「頭」だけだと、「軽自動車扱い」に
なるというものだった。
「後部座席が、ひとつ空いてるぞ。
どうした、乗らないのか?」
そう言われて、なつかしい感じで、
後部座席に乗りこんだ。
走る道、たのしむもの、
そういうものすべてがぴったりときて、
古びた商店街の看板を
いくつも目でやりすごしながら、
(これこれ、こういう感じ)
と、一人、ほほえんでいた。
また場面が変わって、
こんどは「自宅」のようだった。
犬と猫(ハナとゴマ)がいて、
3人でくらしている。
犬のハナと遊んでいたとき、
白猫のゴマがいきなり、
泡まみれの洗濯機の中に飛びこんだ。
あわててすぐ引きあげると、
ゴマは泣いていた。
「鳴く」のではなく、
涙をぼろぼろと流して「泣いて」いた。
「どうしたの⁈」
と聞くと、白猫のゴマは、
自分が汚れて
きたない灰色になってしまったから、
あんまり相手にしてくれないのだと
思って、
泡の中に飛びこんだのだと。
そう言った。
泡をすすぎ、水を拭き取り、
タオルの上に寝かせる。
涙を浮かべるゴマの頭を
力づよくなでて、
言葉ではなく、
そんなことないから
もう心配しなくていいよ、
と伝える。
横では、犬のハナも、
やさしい目でほほえんでいた。
・・・不思議な夢だった。
* *
6:20。
景色がゆるやかにうごきだす。
人ではなく、自分。
自分の心がゆたかなら、
感じる世界もゆたかなはず。
自分がぶれなければ、
それほど「平和」で「平穏」で、
たのしい世界はない。
すべては自分次第。
自分の心次第だ。
小学生のころのように、
意味なくわくわくしていよう。
たとえ、ばかと思われても、
心からたのしむ自分の世界は、
誰にもこわすことはできないのだから。
目の前のことから逃げるのではなく、
立ち向かうでもなく、
ただじっと受け止めて、見つめること。
そうすれば、
くるしくても「たのしめる」。
二度とない、
稀有(レア)なことだと思って、
存分に味わえば、たのしめる。
それは、冒険とおなじ。
冒険者にしかわからない景色。
不平不満をこぼすより、
なるほどね、と笑って、一人うなずく。
自分の前に、自分の心は存在しない。
何かあって初めて、
自分の心の在りかたが、ためされる。
それでようやくわかる。
自分の心の形というものが。
鳥の声。
風。
遮蔽(しゃへい)された空間ではなく、
「外の」世界に出て、空気を吸いたい。
たった数ミリの、透明のガラスが、
やけに分厚い。
息はまだ、大きくは吸えない。
けれど、昨日より痛みはない。
「痛み」というものが、
あたりまえすぎて、
痛みのない体の感覚を覚えていない。
薬くさい、口の中。
ぜんぶをきれいに洗い流したい。
ジャンキー生活はもうたくさんだ。
早く薬ばなれ、したいと思う。
6:20から、
体温、血圧、酸素、体重の測定。
採血2本。
声がかすれず、出しやすい。
これはうれしい。
昨日までは、しゃべるのも
億劫(おっくう)になるくらい、
声が出しづらかった。
痛みは、ほぼほぼない、とはいえ、
咳をすると、
4〜5くらいの刺激はある。
あくびも薬くさい。
そうだな。
あわてるのはやめよう。
便秘も、深刻になるのはやめよう。
* * *
物は、「解体」すると、
構造や仕組みなどが、よくわかる。
何でも一度、こわしてみる。
そしてまた、一から組みあげる。
頭の回転が早い人は、回避能力も高い。
<<<<< Rーお食事(お食事指定)>>>>>
ここから、ややお食事に不向きな描写ごございます。
デリケートな方、お食事中の方は、ご注意ください。
7:04。
おならをすると、
うんこの亡霊が出た。
姿が見えないだけで、
これはもう、うんこだ、
その場で少し、かがんでみてすぐ、
トイレに行った。
便座に腰をおろして数秒、
力んだら、つるんと出た。
形のある実体が、するりと出た。
思わず声をあげて、はははと笑った。
便器の中を見ると、
通常の1.5〜2倍くらいの、
そこそこのものだった。
開通。
29日の朝(術前浣腸)以来の
「分便」だ。
胸も少しせまいが、
おなかまで締めつけられて、
上下でせまくるしかった。
これで少しは軽くなった。
何より、気持ちが軽くなった。
<<<<< Rーお食事(お食事指定)終了>>>>>
* * * *
7:30すぎ、またしても、
ごはんだけ
「転棟(てんとう)」しておらず、
自分のいない、
A棟の「古巣」に届いているそうだ。
只今、7:50。
別に急ぐこともない。
ここには、電子レンジもあるし。
よし、電子レンジで温めてみよう。
新たな挑戦にわくわく。
NEWパジャマは、
エグゼグティブ・カラーで、
一般市民の薄紺色のチェックではなく、
淡い水色のチェックに、
薄緑と薄ピンクの、3色の線が走る。
チェックの「あみ目」も、少し細かい。
生地もちがって、綿100%か、
それに近い感じの風合いだ。
(一般は「混紡(こんぼう)」で、
若干、ばりっとしている)
6月1日 朝 |
8:00ごろ、朝食到着。
ご飯は、ほとんど入らなかった。
おなかも減っていない。
栄養のために、おかずだけを完食。
ツナはやっぱりおいしくないけど、
食べることは、できるようになった。
配膳まちがいには、もう慣れっこ。
「なると思った」から、なったのだろう。
パジャマを着替える。
エグゼグティブ・パジャマは、
(ズボンの)ゴムがしっかりしている!
ずり落ちない、このフィット感。
なんだか自分が、
急にしっかりした人間になったようで、
自然と背筋が伸びる。
肌ざわりもやわらかくやさしく、
自分の肌のぬくもりを温かく感じ、
それでいて風を通す涼しさがある。
あたたかくて涼しい、この感じ。
これは、天然素材の証だ。
<おパジャマコーディネイト(一般)の図> |
9:00、レントゲン。
かなりの混み具合で、
受付をすませて、いったん退室。
公衆電話から、母に電話。
ちょうどよかった。
いまから出るところだったらしく、
面会ができないことを伝える。
昨日、電話したときには、
いまにも泣きそうな感じだった母も、
今日は少しばかり安心した様子だった。
退院日が決まったら
また連絡すると伝え、
レントゲン室へと戻る。
待合で待ちくたびれて、ぐずりだして、
お母さんに叱られる男の子。
そんなこと言うならもう、
帰りにXX(お店の名前)は寄らないよ、
と言われ、もっと泣き出してしまった。
かたやおとなしく座っている男の子は、
おだやかな感じで横に立つ
お母さんを気にするでもなく、
それでも呼ばれたときには
手をつないで歩いていく。
そんな様子を
ほほえましく眺める人もいれば、
泣きじゃくる男の子を
うとましそうに見つめる人もいる。
大混雑のレントゲン。
だんだん自分の番が近づいてきて。
どうだろう、と思った。
どうなるかと数えてみた。
自分が何番の部屋になるのかを。
どうか3番の部屋には
なりませんように、と願いつつも。
何だか「そうなりそうな」
気がしてきた。
「そう思うとそうなる」
想念が具現化。
呼ばれたのは3番の部屋。
技師さんは、例の「あの人」だった。
その人は、とてもきれい好きで、
入室前に、必ず手の消毒を求められる。
先述したように、
自分はこの「殺菌ジェル」で、
皮膚がかぶれてしまう。
だから、ジェルでの消毒は、
できればしたくなかった。
検査室前でその人は、
きちんと殺菌したかどうか、
じっと目を
光らせている(ように見える)。
「手が荒れちゃうんですよ」
と、言おうかと思った。
けれどもそれは、
なんだか言いわけじみていて、
すんなり口が動かなかった。
ポンプを押したふりで「ずる」をして、
ごまかそうかと思った。
けれど、何だかそれは、
殺菌しないより「きたない」と思い、
ほんの少し、軽く押して、
ちょっとの量で殺菌しようと思った。
なるべく浅く、
軽く押した・・・つもりだったが。
ジェルはなかなか勢いよく出て、
手のひらにたっぷり殺菌ジェル。
心の中で「ゔっ!」っと叫んだ。
素早くこすって、
なるべく早く蒸発させるべく、
手の甲などに薄く広く伸ばしながら、
心の中で「これくらいなら大丈夫」と
念じた。
レントゲンを終えて、
検査室内に、
洗面台があることに気づいた。
「手、洗ってもいいですか?」
許可をもらって、手を洗う。
数分の時差はあるが、
丹念に洗って、
しっかりペーパーでぬぐっておいた。
そのおかげもあってか、
手は、かぶれることも
荒れることもなく、
無事にすんだ。
そして思った。
嫌だな、苦手だな、と思うものこそ、
かかってこい、という気持ちで挑めば、
損ではなく「得」に感じる。
代理店時代、忙しく、
これ以上仕事を受けたくない、
と弱腰になったとき。
そんなときこそむしろ、
自分から手を挙げて、
進んで仕事をもらい受けた。
そうすることで、
仕事がたのしくなるし、
仕事の質もあがり、
自分の意気もあがった。
そういえばそうだったなと。
ふと、思い出した。
さらに思った。
何年か前の自分なら、
「しなくてもいいですよね?」
と、さらり言ってのけていた気がする。
レントゲン室を出て、
少しぶらぶらしたあと、
C棟エレベーター前まで歩く。
14階へ到着。
出るときには必要のないカードキーも、
入るときには、
ロックを解除しなければ、
病棟内へ入れない。
自室の扉も、カードキーが必要だ。
忘れて出てきてしまったら、
入れず、大変なことになる。
<特別室・カードキーの図> |
部屋に帰ると、
すぐトイレに行きたくなった。
急に下剤が効いてきた。
おなかの中がとてもすっきり。
もしかすると、
頓服薬を飲むのをやめたせいも
あるのかもしれない。
下剤を飲んだのと、
ほぼおなじタイミングなので、
どちらがどうとも言えないが。
止めていた「閂(かんぬき)」が、
外れたような、気がしないでもない。
10:00ごろ、先生の回診。
先日、管を抜いてくれた先生たちだ。
左胸の「穴」に貼られた
テープをはがしてもらって、
防水シートへ貼り替える。
シャワーのお許しが出た。
そして、
「どうしますか、
今日退院でも大丈夫ですけど」
と言われた。
えっ、今日退院⁈
うれしいけれど、
今日ではまだ、急すぎる。
あれほど切望していた退院だが。
今日ではなく、明日の朝、
退院するということで話を決めた。
明日、10:00〜10:30ごろ。
はれて「退院」することとなった。
* * * * *
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
5/24(水) 入院日
25(木) 待機期間
26(金) ↓
27(土)
28(日)
29(月) OP(手術日)
30(火)
31(水) チューブ抜き
6/1 (木) 完了宣告
2 (金) 退院日(10:00〜)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今回の入院は、
以上のような流れになる。
気づけば10日間におよぶ
入院生活になったが。
明日が最終日。
ようやく退院だ。
病棟は現在、
患者さんがいっぱいらしく、
特別室には、自分のような「VIP」が
たくさんいるらしい。
なるほど。
「真のエグゼグティブを探せ」
という塩梅(あんばい)か。
おたがいがおたがい、
「そう」だと思っているのかもね。
「executive」って何だろう。
お金で買うものか。
それとも、頑張って、
社会的地位とともに
手に入れるものなのか。
格好つけて
きれいなことを言うつもりはないが。
心のゆたかさ、心の余裕、
そういった内面的な「executive」に
なれたらいいなと思う。
あわてず、ゆっくり、ひとつひとつ、
目の前のことときちんと向き合い、
ほがらかにすごす。
何も考えず、欲もなく、
あたりまえのことに感謝できる人間。
いまの自分を
しあわせだと感じれる人間。
『ミンナニデクノボートヨバレ』
(『雨ニモ負ケズ』宮沢賢治氏)
そういう人に、私はなりたい。
そんな切符を手に入れるための、
今回の「苦行」の旅。
忘れそうになったころ、
けっぷが出て、
胸が痛んで思い出す。
激痛と苦難の日々。
たった9日が、
自分にとっては長かった。
点滴の準備をしてくれる看護師さんに、
何となく、今回のことを話しはじめた。
話すうち、
いろいろなことを思い出して、
少し泣きそうになった。
母の愛情。父の愛情。
お医者さんや看護師さんの仕事ぶり。
いろんな人がいた。
いろんな人が、いると思った。
みんなちがう。
それでいい。
それだからいい。
いろいろなことがあった。
いろいろなことが、たくさんあった。
どれも貴重な体験ばかりだった。
「・・・すみません。
長々と話しちゃって」
「いえ、なんか、聞けてよかったです。
いいお話を聞かせてもらって、
ありがとうございました」
裏表のないその表情に、
ほっとしただけでなく、
たくさんのうれしさをもらった。
点滴のあと、また便器に座って、
すっかり出し切った。
おなかの「ごろごろ」も、
いったん、おさまった感じだ。
ということで。
待望のシャワータイム。
・・・「贅沢」とは、何なのか。
4日ぶりの洗髪。
8日ぶりの全身シャワー。
あたたかいお湯。
いい香りのシャンプー、
コンディショナー。
身体を包む、白い泡。
そりゃ、唄も唄うわな。
<8日ぶりのシャワーの図> |
ちなみにこの、
丸くて大きなシャワーは、
海外とか、
街なかのホテルなどで見かける、
大きな蓮(はす)のような形の
シャワーだ。
シャンプーは3回目で、
いつもの泡立ちに。
ボディソープも、
(レントゲンのあと、
コンビニで買ったボディソープ
『ビオレ-u』ミニボトル)
「お肌にやさしい」だけあって、
つっぱったり、ひりひりしたりしない。
唄いなれた唄を唄ってみて、
肺活量や、声の出具合を
たしかめてみる。
わるくない。
かすれや出にくさもよくなっているし、
ブレス(息つぎ)も、
まだまだとはいえ、
すっと素早く吸いこむことも
できつつある。
だいぶ「戻って」きたようだ。
・・・「贅沢」とは、何なのか。
シャワーのあとの、
スポーツドリンク。
14階の自動販売機は
『KIRIN』だったので、
「KIRIN LOVES SPORTS」を買った。
よく冷えたそれは、
サッカーのアンセムが鳴り響くほど、
体にじわっと染み渡った。
* * * * * * *
6月1日 昼 |
何だかあわただしかったが。
まだ、お昼だったのか。
昼食、薬、歯みがき、うがい。
12:45ごろ、
部屋掃除の人が来た。
お風呂掃除は、
なかなか骨が折れそうだ。
床は掃除機がけ。
カーペットだもんな。
コロコロクリーナーもあるようだ。
ごみの片づけ、トイレ掃除。
それらすべてを、
5〜10分くらいでやってのける。
すごいなぁ。
おさまったかに思えた
「波(ウェーブ)」が、
またやってきた。
下剤の効果のすごさ。
これでもう、10回目くらいだ。
すべてきれいになるのなら、
出るにこしたことはない。
きれいになるためなら、
あたし、がんばる。
カイカイマンも、
シャワーを浴びたら
かなりおさまった。
テープかぶれの人は、
こまめに体を洗うか拭くかして、
テープを新しく交換したほうが
いいのかもしれない。
新しいノート(3冊目)、
買っておいてよかった。
鉛筆削りも、消しゴムも、
買ってよかった。
C棟、エレベーター、
車イスの男性。
看護師さんに
付き添ってもらっての移動だが、
自力でうごかして進めるようだ。
目的地の2階まで降りるあいだ、
エレベーターの中、
男性は車イスを反転してもらって、
扉のほうへ向きを変えていた。
「扉が開いた瞬間、
ダッシュできるように」
男性がそう言うと、
看護師さんは声をあげて笑ったあと、
「どんだけアグレッシブなの」
と答えた。
「ポケットがない」
男性は、
ウエストポーチから出した財布を、
パジャマのズボンにしまえないことを
なげいた。
看護師さんは、
「そうだね。ポケット、小さいもんね」
と、
パジャマの胸のポケットを見つめる。
男性の言葉に、いちいち答えを返す、
やさしい看護師さんだった。
エレベータが2階に着いて、
扉が開く。
「ダッシュ」のはずの男性は、
もたもたと何やらいじっていて、
ちっとも「開いた瞬間ダッシュ」
じゃなかった。
それを見て、
看護師さんはまた声をあげて、
あははと笑った。
「あんだけ意気ごんどいて。
全然ダッシュじゃないじゃん」
明るく言う看護師さんに押されて、
男性がエレベーターを降りる。
ぼくも2階で降りた。
長くまっすぐな廊下を、
男性のたちの後ろについて、
ならんで歩くような格好になる。
追いぬこうかな、と思ったとき、
男性が、
もう然と車イスを走らせはじめた。
その速さは、
ちょうどぼくが歩くのと
おなじくらいで、
自然と「並走」する形になる。
看護師さんはやさしく笑っている。
ぼくは歩みをゆるめ、
男性を先に見送った。
けれどもすぐに、男性が手をゆるめ、
進むスピードがゆっくりになった。
ゆっくり歩くぼくが、
またすぐに追いついた。
後ろを歩いていた
看護師さんも追いつき、
男性に話しかけていた。
「あ! コンビニっぽい光が見える!」
そう言うと、男性は、
車イスを勢いよく走らせはじめた。
進んでいく背中を見送りながら、
笑う看護師さん。
男性は、コンビニに着いたとたん、
かごを手にして、
きらきらと顔を輝かせていた。
その姿に、
看護師さんが頬(ほお)をゆるめる。
なんだろう。
男性と、看護師さんとの
このやりとりは、
人を笑顔にする何かがあった。
それが何か、
言葉にするのはむずかしいが。
とにかく、
そこに「わるいもの」は、
何ひとつなかった。
無邪気な男性の姿に、
何だか不思議な元気をもらえた。
2階からA棟の10階へ
上がるつもりだったが。
広々とした待合に、
公衆電話があるのを見つけた。
電話室のような「部屋」ではなく、
扉のない壁に囲われた、
2台の公衆電話だ。
10階まで行く必要がなくなり、
そこから母に電話をかける。
1回目は留守番電話。
すぐかけ直すと、
4コール目くらいにつながった。
「明日退院になったから。
10:30に、
入院会計の受付前で待っててね」
「よかったねぇ!
早く行って、待ってるからね」
母がうれしそうに言った。
「・・・それじゃあね、元気でね。
明日ね。じゃあね、気をつけてね。
明日ね・・・」
いつ切ればいいのかわからないくらい、
エンドレスにつづく母の言葉に、
ちょっと笑って受話器を置くと、
受話器の向こうから、
「・・・気をつけてね」
という声が聞こえた。
ふふっと、鼻で笑うと、
ピピー、ピピーという音とともに
吐き出されたテレホンカードを
抜き取った。
公衆電話はたいてい位置が低いので、
かけるとき、
かがみつづけていると腰が疲れる。
だから、いつも両脚を広げて、
背筋を伸ばして立つ。
台所や洗面台が低いときにも、
こうやって立つことがある。
<位置の低い公衆電話からかけるときの姿勢の図> |
エレベーター待ちをしているとき、
年配の男性が、とことことやってきた。
そばにいる看護師さんに、
「立体の駐車場ってどこ?
どうやって行くの?
ここから行けるの?
1階からしか行けないの?」
と尋ねた。
矢継ぎ早だが、それでいて、
せかせかするふうでもない。
看護師さんは、落ち着いた声で、
静かに答えた。
「ここからは行けないです。
全然場所がちがいます」
さらに尋ねる男性に、
来た道を戻るように指で促し、
「この廊下のずっと先の、
反対側のほうです」
と説明した。
わかったのかわからないのかは
わからないが。
しばし黙った男性は、
看護師さんが指し示したほうへと、
とぼとぼ歩いて行った。
いろんな人がいるなぁ。
いちおう、
このエレベーターは、
『関係のない方の立ち入りは
ご遠慮ください』
と書かれた看板の先に
位置するのだが。
おじさんって、すごい。
どこでも入ってきちゃうから、
おもしろい。
C棟14階には、
祈祷室(きとうしつ)がある。
こっそりのぞいてみると、
中は真っ暗で、
車イスと祈祷台くらいしか
見えなかった。
閉め切られたカーテンの
すきまからこぼれる自然光が、
おごそかな感じに見えなくもない。
ヨーロッパで見た教会みたいだ。
何でも、見かたによって、
そう見えてしまう。
やっぱり単純な、ぼくでした。
どこでもこっそりのぞいちゃうぼくは、
さっきのおじさんと
ちっとも変わらないのかもしれない。
* * * * * * * *
点滴は、おしっこが近くなる。
14:00ごろ、
部屋に来てくれた薬剤師さんが、
教えてくれた。
500mlで、3回(のトイレ)。
胃で吸収するより、
はるかに水分量が多くなる結果、
トイレが近くなる。
薬の説明も詳しくしてくれて、
いろいろ話してくれた。
専門の人の話は、興味が尽きない。
なるほどの連続です。
いいとかわるいとか、
好きとか嫌いとか、そういう前に。
「合わない」っていうことが、
あるのだな。
何をやっても、かみ合わない。
いくらこっちがやっても、
返ってこない。
とにかくずれてしまう。
それは、仕方のないこと。
少しくらいは成長できたかな。
理解して、見極めて、
切り替えるということを。
均一でないということは、
わるいことではない。
決めつけないし、ただしもしない。
白紙。
打てば響く。
前後よりも目の前。
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」
「注意一秒、怪我(けが)一生」
テープをはがしてから、
初めてちゃんと鏡を見た。
手術の痕(あと)を見てみた。
とてもきたない。
いまはまだ、
黒いナイロンの糸が
あるせいかもしれないが。
何だか無残な痕が残っている。
抜糸したら、
またちがってくるだろう。
傷痕も、
いずれ目立たなくなるはずだ。
そして何より、
入院生活でだるだるになった体を、
きりっと引きしめたい。
死ぬよりましだ。
死ぬよりひどいことはない。
その最中、
いくらつらくて苦しくても、
死ななければ、大丈夫。
意味なくわくわくして、
また新たなときめきをさがして、
ここをあとにしよう。
2023.6.1.
16:00か。
何だかどっと疲れたな。
今日こそ「静養」しよう。
何やかんやで毎日いそがしかったから。
今日はもう、何もしない。
帰ってからまた、いそがしくなる。
やることがいっぱいある。
それでも、あわてず、あせらず、
たのしんでやっていきたい。
欲ばっていいことはない。
ていねいに、ひとつずつ、
味わっていこう。
心も体も、
一個しか、ないからね。
(10〜15分くらい、ちょっとうたた寝)
16:50ごろ、
外科の先生が来られた。
手術の内容から、
術後の注意点などを話してくれた。
手術は、
肺の「穴」が開いた箇所を切り取り、
それを補強するために
「ネット」を貼った。
『PGAシート※』と呼ばれる、
薄くて伸縮性のある繊維で、
15週間ほど経過すると、
体内の組織に吸収される。
(※ポリグリコール酸シート)
<外科の先生が描いてくれた今回の手術の図> |
場所でいうと、左肺の、
上葉と下葉の境目くらいのところ。
穴の部分をそのまま
縫ったりしてふさいでも、
穴の開いた箇所自体が
弱くなっているので、
あまり意味がない。
そのため、
穴の周りをぐるっと切り取り、
補強も兼ねて、シートを貼るのだ。
シートの「接着」には、
患者自身の血液を混ぜて生成する
「糊(のり)※」を使う。
(※フィブリン糊)
さらに、ネットの周辺を
「ホッチキス(医療用ステープラー)」で
留めていく。
針はチタン製で、
そのまま体の中に残る。
「ホッチキス」は、
留めるだけでなく、切ることもできる。
とても機能的な医療器具だ。
(「カッターステープラー」ともいう)
胸腔鏡手術では、
先端に「ホッチキス」がついたアームを
体内に挿入し、
切ったり留めたりする。
<医療用ステープラー(参考画像)> |
「ほかにも
薄くなってた部分があったので、
ついでにネットを貼っときました」
先生が、笑顔で言った。
胸膜炎を起こした箇所も、
きれいに洗浄し、
点滴と錠剤による抗生剤で、
しっかり快方へ向かっている。
ドレーンを刺していた「穴」は、
ずっと長く入れていたせいで、
傷がくっつきにくくなっていたため、
周辺部分を切り取って、
縫い直してくれたとのことだ。
たしかに、最初の「穴」は、
内科の先生が
一生懸命に開けてくれた穴で、
もうずいぶん昔のことに思えるくらい、
「古い」ものだ。
最初の緊急入院の風景が、
もはやなつかしい。
肺の穴は、治療した。
病状自体は「治った」わけだが。
肺が完全に回復したわけではないので、
ひとまず安静にすること。
運動は、
20〜30分の散歩くらいは大丈夫で、
激しい運動は、
次の外来まではやめておくこと。
腹筋・腕立てなどの筋トレは、
1カ月くらいはやらないこと。
お風呂は、
左胸の傷口が完全にふさがるまでは、
シャワーのみで、
浴槽に浸かっての入浴は、
まだやめておいたほうがいいとのこと。
とにかく。
退院ではあっても、
「自宅療養」なのだと。
先生の言葉で、
あらためて自分に言い聞かせた。
うっかり健康になったと思わない。
いまの状態をしっかり覚えて。
よくなる自分をたのしみにしよう。
あせるな急ぐなあわてるな。
(生活、生き方すべて)
<退院後の生活のスローガン> |
・ごはんの量を減らす。
(体重を68〜69kgへ)
・栄養価の高い食事。
・ベルトをはめて生活する。
・ぴったりとしたズボンを履く。
1)日記をまとめる。
2)絵を描く。(何かを見て描く)
入院中、「食べなきゃ」と思って、
しっかり食べた。
運動も筋トレもできず、
歩くこともできず、
2〜3㎏増えてしまった。
まずは安静にしながら、
そのうえで体重を戻していくこと。
筋トレは少しおあずけ。
体力と肺の回復。
外来までの2週間、
あせらずゆっくりやってみて、
その結果次第で、次を決める。
まずは2週間ね。
(退院ではしゃいでしまわないように)
* * * * * * * * * *
6月1日 夕 |
この部屋はまだ2日目なのに。
もうずいぶん、いたようにも思える。
昨日と今日。
ほんの2日が、
長く感じたせいもある。
いろんなことがたくさんあって、
そのひとつひとつが、
自分にとっては大きなことで、
心や感情が大きくゆれうごいた。
外の空気を吸いたい。
風を浴びたい。
温室の植物みたいな毎日は、
やはり息が苦しくなる。
胸が苦しかったせいで、
よけいにそう感じてしまう。
思い返せば、
自力で歩けないところからはじまり、
チューブ、車イス、
ベッドの上にくくられた時間。
本当にいろいろ経験した。
まさかもよもやもない。
もしもとか、〜だったらとかもない。
つよく、しなやかに、折れない心。
現実を受け止める。
大きく、おおらかに、ゆったりと。
貫禄。
人間としての成長(レベルアップ)。
気づくと19:00。
退院が決まった自分に、
検温とか巡視はあるのかな。
明日も晴れるかな。
待合室で、
だだをこねていた男の子。
ほほえましいような、
なつかしいような。
やかましそうに、
にらみつける人もいる。
ちらっと見るだけの人もいるし、
気にしない人もいる。
現実って、そういうものなんだ。
おなじなのに、ちがう。
いいものがわるくなったり、
わるいものがいいものになったり。
だったら、
自分がいいように思えばいい。
まだまだ瞬間的に、
どきっとすることもある。
ゆるしがたいこともある。
甘えや期待、押しつけは捨てて。
「なるほど」と、思える人でありたい。
とにかく、笑っておこう。
笑うしかないことだって、
たくさんある。
何も考えないでいること。
無。
水のように、風のように。
言葉ではなく、イメージで。
流れる時間。
人間、死ぬときは死ぬ。
まだ死なないから生きる。
だから、思うことはやるべきだ。
あわてず、急がず、ていねいに。
完成を急がず、
その道程をしっかり味わう。
しつこいくらいに
何度も言いつづけているが。
まだまだ急いでいる。
結果や成果をほしがっている。
そんなものはどうでもいい。
自分の時間を、
どれだけゆたかに彩れるか。
わくわく、どきどき。
うっとり、うきうき。
くるしみもかなしみも、
ぜんぶ大切なもの。
わかったことは、
体験と記録が、好きだということ。
人の記録を見たり、
読んだりするのも好きだし、
自分で記録するのも好きだ。
きっとこれを見て、
楽しんでくれる人もいるはずだ。
エレベーターホールで、
3〜5分くらい、
じっくり景色を焼きつけて。
自室に戻って、絵を描いた。
けっこう描けた。
上出来。
(自室前の廊下の絵は、
ちょっといい加減だ)
<特別室のある棟 エレベーターホールの図> |
*
6月1日木曜日、入院9日目。
いかがでしたでしょうか。
いよいよ明日、
退院予定日。
このまま無事に、
退院することができるかどうか。
おそらく、きっと、今度こそ・・・・。
次回、#8にて
お会いしましょう。
< 今日の言葉 >
「消しゴムが消すのは、
文字や絵や図ではなく、
消しゴム自身の、その姿だ」
(『イエハラ・ノーツ』2023より)