2023/05/20

Hi, Punk. 第1日目:いきなり緊急入院








いきなりの入院だった。


肺に、穴があいた。



左の肺が「パンク」して、

肺がぺしゃんこにしぼんでしまった。


「気胸」と呼ばれるこの症状。

病気、というより、

けが(傷)のようなものだ。


ここ15年くらい、

風邪をひいた記憶もない。


これまで、

大きなけがも病気もなく、

すくすく育ってきた。


生まれて初めての入院。


それは「突然」やってきた。



* *



5月7日、

連休最後の日曜日の朝。


いつもより手ごわい相手が、

お尻のあたりにひそんでいた。

前日、作業に没頭しすぎて、

ついおトイレに行くのを

忘れてしまっていた。


毎朝毎日、

ごはんを食べて歯をみがくと、

ハト時計のような正確さで出てくる

「おババ」だったが。

それが少し、みだれていた。


朝ごはんを食べずに、

そのまま机に向かったり、

トイレに行かないまま、

夜まですごしたり。


そんな小さな「みだれ」の

積み重ねもあってか。

めずらしく、手ごわい相手だった。


いつも以上に力んだ。

息を止めて、

全身いっぱいに力をこめた。


手ごわい相手ではあったが。

なんとか分娩に成功し、

何ごともなかったようにトイレを出た。



イスに座って、

息を吸いこもうとしたとき、

胸がちくっと痛んだ。


思わず前かがみになるほど、

ものすごい痛みだった。


そこから急に、息が吸えなくなった。


まったく息が

吸いこめないわけでないが、

大きく息が吸えないのだ。


感覚としては、まるで自分の肺が、

リンゴくらいの大きさに

なった感じだった。

それ以上ふくらむことをこばんでいる、

そんな感覚だった。

(まさにそのとおりだったのだが)


いまにして思えば、

この「胸の痛み」は、

初めて感じたものでは

ないかもしれない。


たまーに、息を吸いこんだとき、

ちくっとした痛みが走ることは、

何度かあった気がする。


痛みは、瞬間的なもので、

そのあと違和感もなく、

何の影響もなく感じていたので、

人の体に「よくあること」なのだと

思って流していた。


「そういえば・・・」


と、いう具合に。

ずいぶん経って思い出したくらい、

すっかり忘れていたことだった。



今回は痛みのあとに、

急に息が、吸えなくなった。


いままでとちがって、

それが治まる気配がない。


歩くのもしんどくて、

ちょっと動くと息があがる。



ひとまず休もうと思って、

ベッドに向かう。


座っている分には痛みもなかったが、

うつむいたり、かがんだり、

あお向けに寝転んだり、

胸を開いたりすると、

ものすごい力で

胸を押さえつけられているような

圧迫感がある。


あお向けにずっと寝転んでいると、

とてもじゃないけど

そのままの姿勢でいられなかった。

胸の圧迫感どころか、

心臓をぎゅうっと

握りしめられるような感じがして、

胸が、異様にどきどきした。


うしろに倒れすぎても、

前にかがみすぎても苦しくなる。

ベッドで寝転がることもできず、

背中に座布団を敷いて、

座ったままの姿勢で

ベッドに「横たわる」。


原因は肺なのか、心臓なのか。

どちらも痛く感じて、苦しかった。


とにかく、

息を大きく吸うことができず、

動くと動悸(どうき)が激しくなり、

ときどき心音のリズムもみだれた。


じっと静かにしていると、

さほど痛みも苦しみもない。


浅く小さく、ゆっくり息をして、

しばらくそのまま休んでいた。



結局その日は、

日曜でもあるし、様子見もかねて、

ベッドの上でじっとしていた。


夜も、横たわることができず、

座った姿勢のまま、

少しだけまどろみ、浅く眠った。




翌日、

5月8日、月曜日。


症状は、

良くもならず、悪くもならず、

横ばいの状態に感じた。


じっとしているだけなら、

ある意味「何ともない」のだが。

息がうまく吸えない、動くとしんどい、

体をかたむけると胸が苦しい。

息を吸うとき、喉が、

ひゅうひゅう、ぜいぜい、

という音もする。


熱はなかった。

脈拍も、じっとしているだけなら

問題ない。

聴診器で胸の音を聞く。

ときどき飛んだりみだれたりするのは

気になるが、

それ以上のことは、何もわからない。


とにかく、動けなかった。

動きたくなかった。


このままじっとしているだけなら

大丈夫だと。


おかしなことに、

このままじっとしていようと、

そんなふうに思った。


動くのが苦しくて、

何もしたくなかった。



夜、少しだけ横になった。

ゆっくり、本当にさぐりさぐり

ゆっくりと動くと、

ようやく横たわることができた。


あお向けはできない。

左胸を下にもできない。


体の右側を下にして、

クッションや座布団などで

高くした「枕」に、

頭というか、右肩をあずける。

その姿勢でなら

「横に」なれることがわかった。


前日、ほとんど寝ていなかったので、

その日は少しだけ眠った。


どれくらい眠ったのかは

わからないけど。

朝早くに目が覚めた。



5月9日、火曜日の朝。


医者へ行こうと思った。


このままではまずい。

そう感じた。



自分で行く自信がなかったので、

母に連れて行ってもらうことにした。


息がうまく吸いこめず、

声が、出なかった。


ゆるやかに悪化している。

そんな気がした。



* * *



「紹介状を書きますから、

 すぐに行ってください」



診療所の先生は、

おだやかな声ではあるが、

いかにも差し迫っているという口調で

きっぱり言った。


「肺ですね。気胸だと思います」


レントゲンの画像には、

左側の肺の姿が、

まったく映っていなかった。


「気をつけて行ってください。

 あわてず、

 ゆっくり行ってくださいね」



左の肺が、まったくなかった。

肺に穴があいて、しぼんでしまった。


どうりで息が苦しいはずだ。



救急車で行っても

よいとのことだったが。

何とか歩けるので、

「自力」で行くことにした。


火曜日の今日、

外科が休診日とのこと。

本来は呼吸器外科だが、

緊急のため、

呼吸器内科へ行くようにと。


とにかく、

予断をゆるさない状況だということが

はっきりわかり、

そのまま、その足で、

処置のできる

総合病院へと急いで向かった。



10分ほどで、総合病院に到着。

玄関前で、車を降りる。

母は、車を駐車場へ停めに向かった。


たしかに、

ショッピング・モールのように

たくさんならぶ

大きな駐車場からは、

とてもじゃないが歩けそうになかった。


入口をくぐり、案内を聞く。

ふだんなら

なんていうことのない長い廊下が、

いたずらに遠く感じる。


国際空港のロビーのように

広々とした病院内の廊下を、

いまにも止まってしまいそうなほど

遅々とした歩みで進んでいく。


きびきび歩くと危ない。

そう感じた。


人の体はよくできたもので、

危険なときは、

それ以上、無理が利かないよう、

ブレーキ(抑制)がかかるのなのだと、

身をもって体感した。


わずか数百メートルの距離に、

汗がにじみ、息があがった。


見た目には

どこも悪くないように見えるので、

誰かが心配するような

こともなかったが。

このときがいちばんつらくて、

本当に苦しかった。


熱々のお湯が

ひたひたに入った湯飲みを手に、

平均台の上を

ゆらゆらと歩いているような。

そんな「あやうい」感覚があった。



たくさんの人をやりすごすように進み、

番号札を手に順番を待つ。


番号を呼ばれて窓口へ。

紹介状を渡し、

書類や手続きやらの記入を済ませて、

次に呼ばれるのを座って待つ。


待ちくたびれた女性が、

係の人に文句を言っている。


たくさんの人が動きまわる。


自分はただ、

ゆっくりと息をしながら

じっとしていた。


音も景色も、まるで他人事のようで、

実際よりも遠く感じた。



どれくらいかして呼ばれて、

次の指示が出された。

2階へ行って、検査をしてほしいと。


母の姿を探しに歩いたが、

約束した場所に、見つからなかった。

これ以上歩くことが

ちょっと無理だと感じたので、

ひとまず、検査へ向かった。



血圧、身長体重の測定、

別室での採血を済ませて待っていると、

自分の番号が呼び出された。


若い、男前の先生が言った。


「これはすぐ入院だね。

 いいかな? そういうことで」


いいえ、と断る気などまったくないが。

その問いかけに選択肢がないのは

聞くまでもなくわかった。



待合室で待っていると、

母がやってきた。


近代的で大きな総合病院。

受付で聞けば、

その患者がいまどこにいるのか

すぐにわかるらしい。


それはあくまで、

ふらふら動き回っていなければ、

の話だが。

携帯電話やGPSなどなくても、

どこで順番待ちをしているのか、

居場所がすぐにわかる。


広い院内も、

一見ややこしく見えて、

番号や記号がふられているので、

多少、迷ったとしても、

見たり聞いたりすれば、

迷子になったり、

はぐれたりすることなく移動できる。


方向おんちの母が、

こうして目の前に現れたことが、

何よりの証明だった。


母に状況を話す。

わかったような、わからないような。

それでも、

緊急な状態だということは、

理解しているようだ。


「先生が、

 いますぐに行ってください、

 って言ったからね」


診療所の先生が、母にも重ねて、

緊急で、しかも慎重に、ということを、

伝えてくれていたらしい。


しばらくここで

待つように言われたので、

ソファに座って待っていると、

係の女性がやってきた。


「いま、お部屋のほうなんですが、

 大部屋がいっぱいで、

 空きがない状況で。

 個室でも大丈夫ですか?」


大部屋は「無料」だが、

個室は「有料」とのこと。

価格を聞いてみたものの、

これまた選択肢がない現状、

どうすることもできない。


「空き次第、大部屋のほうへと

 ご案内させていただきますので」


自分には分不相応で、

贅沢な感じが否めない「個室」。


個室というと、

大阪のおじいちゃんが入院していた

病室の記憶しかない。


梅田駅のすぐ近く、

古くて立派な病院の個室。

ベッドのほかに、テレビや冷蔵庫、

お風呂とトイレ、ソファとテーブル、

横にちょっとした畳敷きの間があって、

何人かが泊まることもできる。


大きな窓からは空が見える。

家具などの調度品や、

壁や床などの内装。

どれもが「立派」だった。

高級そうなイスや机や、

ふかふかのじゅうたん。

思わずはしゃいで、

しかられた記憶がある。


それはまるで、

病室というよりは

「部屋」といった感じで、

「社長室」みたいな雰囲気だった。


病院にあまり縁がなかった自分には、

個室というと、それしか浮かばない。


とにかく、そういう事情で。

ぼくは「個室」に入ることとなった。


いますぐ、このまま、緊急入院。


心の準備はともかく、

何の準備もないまま、緊急入院だった。


病院ということで、

ほとんど手ぶらのような格好で来た。

出るとき、玄関で迷ったが。

革靴でなく、

カンフーシューズを

履いてきてよかった。


腕時計もしてこなかった。

ふだんより荷物も少なく、

ものすごく「軽装」だった。


替えのパンツどころか、

歯ブラシもパジャマも、

とにかく何もない。



「もう少しここで、お待ちくださいね。

 すぐにお迎えが来ますから」


去っていく女性を見送り、

少し遅れて思った。


『すぐにお迎えが来ますから』


って。


相手によっては禁句に近いような。


なんか、逝(い)っちゃうみたいで、

ちょっと笑えた。




ソファで座るぼくの前に、

車イスを押す人たちが現れた。


誰かを探すように、

あたりをうかがうその人と目が合った。


「イエハラトシアキさんですか?」


「はい」


「では、こちらに乗ってください」



車イスは、

ぼくを運ぶためのものだった。


実感としては、

死ぬような症状ではないようでいて。

実際には、自分がいま、

命にかかわる状態なんだと

あらためて感じた。



* * * *



エレベータで10階に着くと、

男性と女性の2名のお医者さんが

現状と、これからのことを

説明をしてくれた。


気胸。

左の肺に穴があいて、

しぼんでしまっている。


簡単に言えば、

肺がパンクしている状態。


進度は「3」。

3段階のうちで、

いちばん「重度」の状態だった。


胸の圧迫感や息苦しさは、

吸いこんだ空気が、

やぶれた肺の穴からもれて、

胸の中に充満して、

それが体内の器官を

圧迫しているためだ。


肺にあいた穴が、

肺をふくらませないだけでなく、

ちょうど「戻り弁」のようになって、

出るだけで入らない状態に

なる場合があるらしい。


胸の中(胸腔)には、

「すきま(空間)」がある。

横隔膜(おうかくまく

焼肉でいう「ハラミ」)で仕切られた、

お腹より上の、胸の空間。

そこに「もれた」空気がたまるのだ。


しぼんだ肺と、

胸腔内にもれる空気。


しぼんだ肺は、

酸素を取りこむ力を失い、

もれた空気が胸腔にたまりつづけると、

肺静脈などを圧迫する。

となると、心臓に血液が戻らず、

体に血液が送り出せなくなる。


そのまま血圧が下がれば、

心肺停止の状態になる。


現在、非常に危険な状態で、

このままではいつ「異変」があっても

おかしくない状況であると。


ようするに、

死んじゃうかもしれないよ、

ってことだった。



とにかくまず、

すぐにその空気の逃げ道を

つくってやる必要がある。


『胸腔ドレーン(ドレナージ)手術』


と、呼ばれる方法で、

胸の、「脇腹」あたりに穴を開けて、

「管」を通す。

そこから、中にたまりつづける空気を、

体の外へ逃がしてやるのだ。





肺にあいた穴が小さく、

そのまま自然にふさがるようであれば、

胸腔にたまった空気を抜きつつ、

肺が元どおりの大きさに戻るのを待って

それで「終了」となる。


それで穴がふさがらない

(空気のもれが止まらない)

ようであれば、

第二手術となる。


『ダビンチ』的な、

モニタを使ったアーム手術だ。


<イメージ画像>



そうなると、

また別の穴を3、4個あけての

外科手術となる。


2〜3センチの穴を3、4カ所。

場合によっては、

8〜10センチの穴になることもあると。


従来の開腹手術と比べれば、

体への負担は格段に少ないが。

全身麻酔での外科手術になるため、

『胸腔ドレーン(ドレナージ)』に

比べると、やはり、

体への負担は大きくなる。

手術による「合併症」や、

その他諸々の「リスク」も上がる。

けれども「気胸」は完全に治る。



「本当に、

 自転車のタイヤのパンクと同じです。

 CTや生理食塩水を使って、

 穴の位置を見つけます。

 その穴のまわりを切り取って、

 別の組織を縫(ぬ)ってふさいだり、

 ネットを貼って補強したり。

 そうやって穴を完全にふさぎます」


「自然治癒(ちゆ)」の場合、

「再発」する場合がないとは言えない。

さらには、

(かなり余裕をみて)約半年くらい、

飛行機に乗ることができない。


外科手術での治療であれば、

ダイビングなどの

減圧・加圧が激しいものでなければ、

術後、飛行機に乗っても大丈夫だと。


最初から、外科手術での治療を

選んでもかまわないという話だったが。

ぼくは、できればおなかを

開けたくなかった。


お菓子は、

袋を開けちゃったら、

早く食べないといけない。

開けるとしけるし、いたみも早い。

開けなければ、長くもつ。


人の体もおんなじ。

そんな気がしている。


だから、できれば開けたくない。


手術自体は、

お医者さんがやることなので、

怖くもなければ、抵抗もない。

ただ、開けないでいいなら、

開けずにおきたい。


それが、ぼくの考えだった。



あとは、なるように任せるだけ。

自分ができることは、特にない。

お医者さんに任せる以外、

ほかに方法はない。


まさしく、

『まな板の上の鯉(こい)』

といった心境である。



まずは穴をあけて、チューブを通して。

それで治らなければ、

そのときはそのときだ。



諸々の書類に目を通し、署名をする。


「では、すぐに始めましょう」


「え、いまからですか?」


「はい。いますぐです」


「コンビニとか、

 行く時間はないですか」


「もし行くとしても、

 まずは管を通して、

 それからでないと。

 いまの状態では危険です。

 急に血圧が下がったりしたら、

 どうにもなりませんから。

 とにかくまず、

 手術がいちばん先です」


じっと座っていると、

それほど痛みも苦しさもなく、

自覚症状も少ないので、

思わず「健康体」のような

気がしてくるが。


実際には、

予断をゆるさない、

危険な状態なのだ。



すべてが急だった。


入院も、そして手術も。

すべてが「いきなり」だった。



ということで。



横にいた母に、

入院に必要な物の買い出しを頼んだ。


歯ブラシ、歯磨き粉、替えのパンツ、

シャンプー、ノート、ボールペン。

あとでスケッチブックや

鉛筆なども買ってきてほしいと。



そして手術は始まった。



本当に、そのままの流れで、

すぐに手術に移行した。



* * * * *



想像していたより、

簡素な部屋だった。


これまでに、傷やけがを

縫ってもらったことは何度もあるが。

こういう「手術」は初めてのことだ。


「手術」と「手術室」。


自分のイメージでは、

マンガや映画などの

手術の映像しかない。


「メス、・・・鉗子(かんし)」


といった、わかりやすい、

お決まりのイメージである。



手術の部屋は、

そんな物々しさや

にぎやかな機器などが一切ない、

がらんした場所だった。


まるで試合前の

ボクサーの控え室のような。

広々とした部屋の中ほどに、

ちょっとしたベッドがひとつ。


いまって、こんな感じなんだな。


そんなふうに思いつつ、

ベッドに横たわったぼくは、

お医者さんや看護師さんが

てきぱきと準備を進める姿を

横目にながめていた。


人の数は、

見学の医学生さん

(スチューデント・ドクター)も含めて

4、5名くらい。


言われるままに服を脱ぎ、

差し出されたパジャマに着替える。

病棟内のおしゃれ着、おパジャマ。

男子は青系、女子は赤系。

あわい色合いの、チェック柄だ。


手術のため、ズボンのみを着用した。

上半身裸の状態で、ベッドに座る。


「息を大きく吸ってください。

 はい、大きく吐いて」


聴診器が背中にあてられる。

その数が、2つ、3つと増える。

医学生の聴診器だ。


「変な音とかするんですか?」


尋ねるぼくに、先生が言った。


「その逆です。

 何の音もしないんです。

 左肺は、呼吸しても、

 まったく音が聞こえないんです」


なるほど。


脈拍や血圧を測られたり、

その間にも、準備は着々と進む。


「それでは、横になってください」


あお向けになると苦しいので、

枕を敷いてもらい、

苦しくない姿勢を探った。


左手を上げる格好で

行なうとのことだったが、

その体勢がつらかったので、

左手を下ろした姿勢でも

いいかと尋ねてみる。


2名の先生が、

あれこれと短かく意見を交わしながら、

体勢を決めつつ、

何とかいけそうだということで、


「大丈夫です。

 それじゃあ、これでいきましょうか」


と、左手を下ろした姿勢で

執り行うこととなった。


天井をながめる形で横たわる。

各所にビニールシートがあてがわれ、

上半身全体が、

お刺身シートみたいな、

清潔な紙で包まれる。


手術をする左胸部分だけ、

ぐるりと切り取られた紙のシートだ。


「ちょっと冷たいですよ」


左の脇腹に、

消毒液のひんやりとした感触。

想像していたより、

およそ4倍くらい冷たいそれが、

3回、4回とくり返される。


体勢を調整し、しっかりと決め、

穴を開ける位置に印をつける。


第6肋骨(ろっこつ)と

第7肋骨のあいだだった。


「ここに、このチューブが

 つながりますからね」


チューブの太さは、

直径11ミリ(1.1センチ)くらい。

思ったより太いチューブだった。


左胸から伸びたチューブの先は、

器械(下図)につながる。




「では麻酔をしていきますね」


執刀医は女医さんだった。


「少しちくっとしますよ」


思っていたよりも深く刺さる針に、

心の中で「おおっ!」と思う。

痛いけれど、

がまんできない痛みではない。


「はい、深く入りますね。

 ここがいちばん痛い

 個所だと思います」


おおっ!


胸膜あたりにとどいた針。

とても痛くて、

またもや「おおっ!」と思った。


顔は天井を向いているので、

目でそれを確認することはできないが、

体感としては

5センチ以上入っているように感じる。

いままでに、

こんな深く針を刺されたことはない。


注射ぎらいなほうではないが、

その針は、献血よりも太く、

深さもかなり、深かった。


いままでの注射の中で、

いちばん痛かった。


それでも、いやな痛さではない。

深い、というだけで、

痛み自体はそれほど大きくなかった。


麻酔液が注入される、あの感じ。


麻酔の効きは、早かった。


ゆっくりと痛みが「消えて」いく。

自分の体の、そこだけが

ゴムか何かの無機物になった感覚。

針の動きや、

押される感じだけがわかる。


「では本番、いきますね」


そう言って女医さんは、

体に穴を開けはじめた。


まず、メスで切開する。

穴の大きさは1センチほど。


そこに、何やら器具を差しこんで、

ハサミを開くように、というのか、

グリップを握るように、というのか、

体に差しこんだ部分を

広げているような感覚が伝わってきた。



医師のお2人、看護師の方々、

みなさんとても感じがよく、

よけいな緊張や不快感もなく、

なごやかな雰囲気で手術が進む。


さて、いよいよ管の挿入だ。


「・・・あれっ」


管を押しこみながら、

女医さんがつぶやく。


「あれっ・・・入らない」


脇腹が、つよく押されつづける。

角度を少し変えながら、

ぐいぐいと、穴に管が押しこまれる。


ん、ん・・・と、

口からもれる、小さな声。

表情はうかがえないが、

けんめいな感じが伝わってくる。


もう一度、

先ほどの器具で穴を押し広げ、

あらためて管が押しこまれていく。


もう一度、そしてもう一度。


長いような短かい時間。


こういうとき、

なぜだか少し、笑いがこみあげる。


まるで「コント」のような展開に、

われながらちょっと笑えてしまう。



「入りましたっ」


女医さんのはずんだ声に、

思わずぼくは、


「おめでとうございます」


と答えた。


なんだかそれくらいに、

いろいろな感じが伝わってきた、

長くて短かい時間だった。


「おつかれさまです」


女医さんがぼくに言う。


「ありがとうございます」


少しだけ顔を向けて答える。

マスクで顔は見えないけれど、

女医さんの目は、大きく笑っていた。


そこにいるみんなが、笑顔だった。


つづいて、管と体を

「縫合(ほうごう)」していく。

体から管が抜けてしまわないように、

固定するための処置だ。


黒い糸で、するすると縫われていく。

小さな針が、ちくりと感じる。


「先生、ここの結び方は、

 どうしてますか?」


女医さんが、

男性の医師さんに質問する。


「ぼくの場合は、ここで1回結びます」


「なるほど」


そんなやり取りにつづいて、

女医さんが言った。


「結び方には、

 いろいろ流派があるんです」


「できるだけしっかり、

 留めておいてください。

 動きまわっても、

 取れちゃわないように」


チューブの先には、器械がつながれる。

小型で可動式とはいえ、

しっかり留めておくに

こしたことはない。


ミシンの最後の始末も、

上糸と下糸を

結びたくなる性分のぼくは、

迷わずそう答え、

管と体をしっかりとつないでもらった。



あたたかなおしぼりで体を拭かれ、

もう一度、消毒。


痛みは感じなくても、

流血はしていたようだ。

袋に捨てられたおしぼりなどが、

赤く染まっている。


「ここはプロにお任せします」


と、

代わって担当してくれた看護師さんが、

カーゼやテープを貼ってくれた。


体と連結した管の先を

カーゼでおおい、テープで留める。

その先につながるチューブを

体側に固定する。


さすがは「プロ」と

呼ばれるだけあって。

部屋に帰って、あとで見てみたら、

本当にきれいな、

見事な仕上がりだった。



<管と心電装置の図>



* * * * * *




そんなこんなで、手術が終了。


麻酔が切れると、痛かった。



容体が安定するまでは、

心電装置をつけてすごすことになった。

24時間、常時、

心臓の拍動が転送される。


勝手にはずすと、

看護師さんが飛んでくる。

転送が止まるということは、

すなわち「心停止」ということだから。



手術は、準備を含めて、

30分ほどのあいだに

終わったように思う。


いま、何時なのか。


時計も何も持たずに来たので、

いまが何時かもわからない。


携帯電話を持たないぼくは、

いま、静かな病室で、

これを書いている。


パソコンではなく、

コンビニで買ってきてもらった

大学ノートに。


ボールペンは、

看護師さんにいただいた。

黒のインクが切れた、4色ボールペン。


初めてのボールペンは、

筆圧や筆致の感じがむずかしい。


いつもはBICのボールペンを使っている。

仕様の変化はありつつも、

使いつづけて20余年。


いただいたボールペンも、

そのうちきっと、

さらさらと書けるようになるだろう。



そして、ごはんが運ばれてきた。



窓の外は夕焼けで、

雲ひとつない空がゆっくりと

桃色に染まっていく。


遠くにタワーも見える。


ここは10階の個室。

いちばん端の、角部屋だ。


大部屋に空きがなかったとはいえ、

どこか身分に合わない感じの

この個室に、

ひとり、入院している。


想像していたよりはずっと簡素な、

ビジネスホテルのような

感じではあったが。

大部屋とちがって、

シャワーもトイレも、

部屋についている。



いきなり入院、そして手術。


幸か不幸か。

しばらくは10階内だけしか

動いてはいけないと。


「安静にしてください」


実際、

かなり重度の「気胸」なのだから。

ぼくは、おとなしくしていようと思う。


本当は、病棟の中を、

あちこち探検したかったんだけどね。


退院までは、まだ何日もある。


最速で5日。

たいてい7日。

長ければもっと長くなる。


いつかはこの、

吸引マシン『MS-008』を連れて、

病院内をお散歩しようと思う。



必要物資を買いに、

コンビニにも行きたい。


母に頼んだ買い物は、

やっぱり「母」らしく、

ちょっとばかりずれていた。


替えのパンツは、白のブリーフ。

何年ぶりに見たのか、

本当に、ただの白のブリーフを。


さすがにこれは履かないので、

返品してもらうことにした。


歯ブラシは、

どうしたわけか、歯間ブラシ。

歯磨き粉は、

グレープ味の、子ども用だった。


そんな母の「買い出し」に、

思わず笑いがこみあげる。


細い歯間ブラシでは、

歯をみがき終えるのに

何十分かかるのか。

その間ずっと、甘〜いグレープ味だ。


何ごとも経験。

まあ、しばらくはこれで、

やってみよう。



<ハハミガキセット>



ちなみに。


病院では、

おはしが出ないもようで、

コンビニなどで買ってくる必要が

あるらしい。



5月9日 夕




・きゅうりの酢の物 ・肉じゃが

・焼き魚、かぼちゃ ・ごはん

・オレンジ(FRUITS LIFE)

・お茶



夕食は、

おはしがなくて、手で食べた。


すごくおいしかった。

手で食べたせいもあってか、

よけいにおいしく感じた。


3本入りの鉛筆の、

2本を使って食べようかと思ったが。

そのステッドラーの鉛筆は、

最初から先が削られており、

お尻に消しゴムがついていたので、

おはしに使うのはやめておいた。



<病室間取>




ソファから出入口を望む





ベッドの足回り





ベッドの頭回り





棚とソファ



あとで思った。


ここは、内科の病棟。


先生たちがどことなく

「不慣れ」な感じがしたのも、

外科の専門医ではなく、

内科が専門の先生が手術をしてくれた、

そのためだったのかと。



初めてのことばかりで、

何もわからず、

どれもがいきなり「緊急」すぎて、

何が何だか

わからないことだらけだった。


緊急、かつ、

外科が休診だったこと。

そのため急きょ、

内科の病棟で手術が行なわれた。

手術をしてもらった部屋が、

手術室ではない部屋だということも、

のちに知った。



本当に、わからないことばかりで、

とにかく何もわからない。


病院のしきたりも、

入院の決まりも、

病室での過ごしかたも。


気胸という「病気」のことも、

まだまだわからない。


「安静」というのが、

どういうことかもよくわからない。


誰も、教えてはくれない。

わからないことは、

こちらから聞くしかない。





5月9日火曜日。

入院第1日目。



ひとまずこれにて、幕でございます。

はたして、家原の運命やいかに・・・。


次回、5月10日水曜日につづきます。


乞うご期待。



第2日目 →



< 今日の思いつき >


上司:「おまえ、はしの使いかた

    下手だな」


部下:「はい。ナイフ・フォークで

    育ったので」


上司:「へえっ、そうなのか。

    それなら、ナイフとフォーク、

    もらおうか?」


部下:「ありがとうございます」


部下:(受け取った

    ナイフ・フォークを手にして)

   「いやぁやっぱり、

    ナイフ・フォークのほうが

    使いやすいですね」


<ナイフ・フォークの図>