2025/10/15

ほんのちょっとの差

80歳の母が作ったハンバーグ




 8月。

世間でいうところのお盆休みに、

母と二人、机を挟んで、

夕食を食べた。


「最近、昔のことをよく思い出す」


と、母が語りはじめた。


「あんたが

 2階から落ちたこととか、

 急に思い出した。

 2歳だったかね、あんた。

 子供が落ちてきましたよ!って、

 1階の事務所から声が聞こえてきて。

 おるはずの場所に、

 あんたがおらんもんで。

 あわてて下に降りてったら、

 あんた、口から血ぃ出しとって。

 もうだめかと思ったけど、

 急いで病院連れてって、

 なんともなかったからよかったわぁ。

 まあ、あんときはびっくりしたわ」


地面にまあるく、

そこだけクローバーが咲いていた場所。

ちょうど座布団くらいの大きさで、

ふかふかと緑色の絨毯が

生い茂った箇所。


2歳のぼくは、そこに落ちた。


結合部分が突き出た、

鉄製のフェンスの上でもなく。

鋭い枝を空に伸ばす、

枯れかかった灌木の上でもなく。

硬いコンクリートの

地面の上でもなく。


ちょうどそこだけ生い茂った、

クローバーの上に、

ぼくは、

2階ベランダの手すりの上から、

真っ逆さまに転落した。


よほど頭が軽い幼児だったのか。

それとも、体がやたらと

軟らかかったのか。

打ち所も悪くはなかったようで、

口からの流血以外、

何の別状もなかったそうだ。


もし、記憶に間違いがなければ、

うっすらとかすかに覚えている。


こんもりと、

まあるく生い茂った、

黄緑色のクローバー。


ふかふかとした感触は、

視覚的な記憶かもしれない。


それが、

どんどん大きくなって、

みるみる間近に迫り、

視界いっぱいまで広がって……。


そんな「記憶」が、

おぼろげにある。


死ななくてよかったと。


自分で思うよりも、

それを話した相手に言われて、

たしかに、と思う。


客観的に考えてみて初めて、

自分が生きてきた機運に驚き、

そして、感謝する。


目には見えない、何ものかに。

ありがとう、と言わずにはいられない。



* *



乗るはずの電車が横転して、

たくさんの負傷者が出たこと。


ちょっとの差で、

すぐ前を走るタクシーが、

凍結した橋から

川に転落したこと。


前を行く四輪駆動車が急停車して、

ぼくの車のすぐ前の、

ワンボックス車が追突した。

運転手は足を挟まれ、

車からが出られなくなった。


あの日、

玄関先で急に、

氷の入ったウーロン茶が

飲みたくなった。

もし、それに従わず、

すんなり家を出てきていたら。


あの夜、

履くのに面倒な革靴を選んで、

紐を結ぶのに手間取らなかったら。


電車の切符を、

どこへしまったか忘れなかったら・・・。


もしかすると、今、

ここに、いないのかもしれない。


かくいう母も、

また同じく。


(以前どこかで書いたかもしれないが)


終戦の年、

生まれたばかりの母は、

避難先の防空壕で窒息しかけた。

祖父(母の父)に逆さ吊りにされ、

ゆさぶり、ひっぱたかれなかったら、

今、こうして

生きていなかったかもしれない。


そうなれば、

ぼくもここには

いないということだ。



転んだり、ぶつかったり、転落したり。

けがをしたことは数え切れないけれど。

数々の事故で、

けがをしたことは、一度もない。


死にそうになったことは

何度かあっても、

死なずにこうして生きている。


お盆。


この時季、

こんなことを思うのは、

死者たちからの

贈り物なのかもしれない。


感謝の気持ちを忘れないよう、

黄泉の国から届けられた、お中元。


天地無用のクール便。

こわれもの注意の宅急便。


賞味期限はあくまで目安ですので、

忘れないよう、お早めにお召し上がりください。


なお、

これを書いたときがお盆であっても、

これを読む時季がお盆であると限らないことは

あらかじめ暑中お見舞い申し上げます♡


・・・これも、

亡きき者が憑依して為す、

ダイニングからのメッセージ。


と、

くだらない思いつきを、

ご先祖さまのせいにしてしまう、

ばち当たりなぼくは、

今は亡き父と2人、

大阪から名古屋まで

車で運んだ仏壇に向かって、

手を合わせ、

ちりん、と、おりんを

鳴らすのでありました。



* * *



父を亡くして初めて迎えるお盆は、

いわゆる「初盆」というものではあるが。


例年とさして変わらない、

それどころか、

昨日とすら変わり映えしない、

ただの「日常」だった。


母がいて、ぼくがいる。


テーブルには、母が作った、

通算何百か、

何千個目かもわからぬハンバーグ。


そんな「日常」に、

ふと、涙がこぼれそうになる。


あゝ、けふまでのこの一年、

いろいろなことが、あつたな、と。


近ごろの母は、

とても元気で明るくて、

楽しそうに笑っている。


間違いや失敗ばかりくり返す母に、

あろときぼくは、こう伝えた。


「母さん、大丈夫だよ。

 忘れちゃっても、

 同じことを何回くり返しても、

 気にしなくていいよ、

 そのたびに何回でも言うからね」


嬉しそうに笑う母が、答えた。


「本当、ありがとね。

 母さん、ばかだもんで、

 何回言われても

 すぐに忘れちゃうんだわ。

 頑固っていうか、融通が利かんのか。

 だけど、怒らんといてね。

 母さん、一生懸命頑張るから」


母の口から、はっきりと、

「怒らないで」という

言葉を聞いたのは、

初めてのことだった。


誰だって、怒られたくはない。

そんなことは、

聞かずとも承知のことのはずなのに。


80歳になった母の口から聞いた、

その言葉は、

なぜだか妙にしおらしく、

健気でいたわしく、

胸のまんなかに突き刺さった。


最近ぼくは、

母に「注意すること」をやめた。

笑いながら話し、

ありがとう、と

たくさん言おうと心に決めた。


その甲斐があったのか。


母がかもす雰囲気は、

いつでも明るく、軽やかで、

やわらかな笑顔をたたえている。


冗談みたいな、

いたずらみたいな、

不運なことや、

不測の事態がいろいろあって。


偶然みたいな、運命のような、

感動的な場面が、

たくさん舞い起こって。


絶望的な顔で、

毎日、沈み込んでいた母。

原因もわからず、理由も不明で、

周囲の人が、

老いや痴呆だと言う中、

一人、首をかしげ続けて。


観察と試行錯誤で、

出口があるのかもわからない、

長くて暗いトンネルを

なんとか手探りでくぐり抜けた。


この1年間、

切れそうなほど細くて、

頼りなくてもたしかな糸が、

今日というこの日まで

ぼくを運んでくれた。


そんなぼくを

支えてくれた人たちがいる。


一人じゃきっと、無理だった。


あきらめなくて、よかった。

くじけなくて、よかった。

今、この景色を目の当たりにして、

あらためて実感する。



何の変化もない、

母と食べる、ただの夕食。


急須に注ぐやかんのお湯が、

たとえ水でも。

冷たい、水出し緑茶の味を、

楽しめばいい。


焦げたピーマンの味も、

笑顔のなかった日々と比べれば、

ほろ苦さすら感じない。


何もない、という「しあわせ」。

困難がある、という「よろこび」。


それは、

通り抜けたからこそ

わかる景色で。


焦燥にまみれた

すきまだらけの心では、

けっして見えない、

透き通った景色だ。



* * * *



偶然の軌跡と、

奇跡の偶然の連続。


もし、あのとき、

「選択」を間違えていたら・・・。


「ここ」に、

自分は立っていない。

「今」「この景色」の中に、

ぼくはいない。


先日、甥っ子と話をしていて。


「去年の今ごろ、

 こうやってここで話してること、

 想像できた?」


なんてことを言ってみたり。


フランスに行く予定だった彼が、

進路を変えて、

欧州車を販売しながら、

1970年代のフィアットに

乗っていることも。






自分の未来すら、

予見できないのだから。

他人のことなど、

想像できようがない。


いろいろな線が交わったり、

並走したり、離れていったり、

近づいたり。


二本の糸が

撚り合わさることもあれば、

複数の糸がもつれて、

絡まることもある。


切れたり、結んだり、ほどいたり。


切ったり、

引っぱったりするのではなく、

じっと見つめて、

目でたどることも。

「ほどく」という、

ひとつの方法なのだと。


今ごろになって、

ようやくわかった。


いつ死んでも構わない。

明日死んでも悔いはない。

ずっとそうして生きてきた。


けれど今は、

生きたいと思う。


死にたくないんじゃなくて、

生きていたいと、心から思う。


この、

偶然の奇跡につながる線を、

もっとたくさん見たいから。

もっともっと、

見ていたいから。


奇跡の軌跡。


・・・なんてことを、

言ってみたり。


直感的思考は、母譲りなのか。


老いた母が、

ときどき巫女か、

シャーマンに見える。


「心にやましいこととか、

 後ろめたいことがあると、

 やっぱりだめだね」


いきなりそんな言葉を吐いた母。


よくないことも、

至らぬことも、

たくさんしてきた。


今さら聖人に

なれるとも思わないけれど。

過去の自分を恥ずかしく思い、

反省する。


過去の自分は、

すすけて黒く汚れているけれど。

今現在の自分には、

後ろ暗さも、嘘もごまかしも、

何ひとつない。


母の言葉に、

背筋を伸ばしたぼくは、

どうしてそんなことを思ったのかと、

聞いてみた。


「別に。ただ、

 今朝起きたとき、ふと、

 なんとなくそう思った」


もしかして母は、

預言者なのかもしれない。


ぼくが今、

ちょうど同じようなことを、

思っているのを見越して、

ぼくの思考を

なぞってみせたのかもしれないと。


ほんのちょっとの瞬間だけど、

真剣にそう思い、

少しのあいだ、空想していた。


母に何かが憑依して、

そんな言葉を、語らせたのだと。


母の目は、丸く大きく、

小さい頃の写真を見ると、

顔が小さかった分だけ、

今よりさらにお目目が大きく見える。


「母さん昔、みんなに、

 びっくり恵美子って呼ばれとった」


うちのシャーマン恵美子は、

驚いてもいないのに、

「びっくり恵美子」と呼ばれていた。


その古風なネーミングセンスに、


「びっくり恵美子て」


と、一人でつっこみ、

何度も笑いがこみあげる。


「冬瓜(とうがん)を見ると、

 おばあさんのことを想い出す。

 夏に、よく冷えた冬瓜の煮物を

 作って食べさせてくれた」


びっくり恵美子が、

何度か聞いた昔話を、

リピート放送でまた聞かせてくれる。


「冬瓜って、夏が旬なのに、

 なんで「『冬』って書くんだろう」


「なんでだろうね」


ぼくの問いを受け、

びっくり恵美子が、

冷蔵庫から冬瓜を取り出す。


「本当、冬の瓜だね。

 四分の一で、98円。

 愛知県産って書いてある。

 夏はスイカとかの、

 瓜しか育たんのかな、やっぱり」


謎の「やっぱり」を披露する

びっくり恵美子が、

質問とはまるで関係のない、

思考の迷路にはまり込む。


「スイカって、

 西の瓜って書くよね。

 それでよくスイカって

 読ませたもんだよね」


と言うぼくに、

やっぱり恵美子が、

びっくり恵美子に戻って、

唐突に切り返す。


「昔、キナウリっていうのを、

 よく食べた」


「キナウリ?」


「そう。

 黄色い瓜って書く、果物」


「果物?」


「これくらいの大きさで、

 ちょっと長細くて、

 メロンよりは安くて質が落ちる、

 甘い果物」


キナウリが聞いたら

さぞかし気を悪くするであろう言い回しで、

びっくり恵美子の手が、

20センチほどの楕円をつくる。


「キナウリか・・・。

 聞いたことないなぁ。

 今もあるの、それ?」


「知らんけど、あると思うよ」


びっくり恵美子の情報をもとに

調べてみると、

キナウリなる物が、

別名「マクワウリ」という、

メロンの仲間だとわかった。


画像を見て、小さいころ、

母が切って出してくれたことを

思い出した。

季節の記憶はなかったが。

なるほど、たしかに、

思い出すのは夏休みのような、

お盆のような風景だ。


びっくり恵美子と瓜。


ちなみに

父方の祖母の旧姓は、

瓜が生えると書いて

「瓜生(うりゅう)」です。



お盆。


ご先祖さまの、気配がしますね。


そう。

そして今は、おそらく10月。


びっくり恵美子が、

びっくりしないで、

おだやかに過ごしてくれていることを

祈りながら。


過去に書いた、

未来の記述を、

締めくくろうかと思います。



人生は、

ほんのちょっとの違いで、

その進路を大きく変えるもの。


そのときには、

ほんのちょっとにしか見えない、

わずかな差が、

いつか大きな差異につながる。


だからこそ、

一つ一つをおそろかにせず、

大切にしていきたいものですね。



偶然の産物が、またここに。


奇跡の軌跡が、またここに。



じいちゃん、ばあちゃん、

おじさん、おばさん、

そして父さん、

レオ、ゴマ、ハナ。


奇跡の軌跡をつなぎながら、

ぼくは、今も生きています。


びっくり恵美子と呼ばれた母さんは、

とぼけてはいいても、

毎日元気に、

笑顔で過ごしております。



生きてるうちに、気づけてよかった。



びっくり恵美子を、

これ以上びっくりさせないように。


無軌道ではあっても、おだやかに、

健やかに正直に過ごしたいと思う。



< 今日の瓜知識 >


ちなみに「冬瓜」は、

冷暗所に保管すると、

夏に収穫したものでも、

冬までもつって言われてるから

「冬瓜」っていうんだって。


豆知識ならぬ、瓜知識でした。


2025/10/01

アンテナ青空シンガポール






 猛暑日の昼下がり。


ふと、

母の様子が気になり、

母の部屋を訪ねてみた。


母が言った。

テレビが観れなくなった、と。

さっきまで観ていたはずのテレビが、

いきなり観れなくなったらしい。


BSなどは受信している。

観れないのは地デジだった。


テレビをまるで観ないぼくには、

最近のテレビの操作知識も、

トラブル・シューティング・スキルも

まったくない。


いろいろ調べて

試してはみたものの。

事態は改善しなかった。


テレビを観てばかりの母には、

ちょうどいい「変化」かもしれないと。

ひそかに思いつつも、

屋根の上のアンテナの具合を見ようと、

庭に出てみた。


夏空の下。


暑い日差しの中で、

まぶしさに目を細める。


蟬しぐれ。

空が、青い。


わたあめみたいな入道雲が、

ゆったり悠然と、

形を変えながら流れている。


猛暑が続く毎日。

冷房の効いた「箱」の中から、

四角い窓に切り取られた空ばかり見ていた。


窓の外側の世界。

窓も壁も天井もない景色。

あるのは地面と空だけだ。


風の音が聞こえる。

草木を撫でる風の感触が

肌に心地いい。


木陰は暑くもなく涼やかで、

そのままここに机とイスを並べて、

サンドイッチかおにぎりでも

食べたいなと思うほど気持ちがよかった。


しばらく空を眺めたあと、

室内へ戻り、母の様子をうかがった。


母は、

何の問題もなかったかのように、

BS放送の番組を観ていた。


「よかった。テレビ、観れるわ」


母がそう言うのであれば、それでいい。


地デジの受信は、

しばらくこのままにしておいてみよう。

いじわるでも何でもなく。

母がいいと言うのなら、

それでいいと思った。



四角い窓に

切り取られた世界。



ぼくの四角い窓には、

空の写真が届いていた。


ベランダから見た、

青い、夏空の風景。


すごくきれいだった。


おなじ時間に、

おなじ空の下で、

おなじ空を見ていた偶然。


そんなことが、無性に嬉しくて。

偶然以上の何かを感じた。


きっかけは、

母の様子が気になって

見に行ったことに始まり、

テレビの受信の不具合から、

アンテナの具合を見るため

外に出たことだった。


こんな「偶然」を、

単なる「偶然」として片づけられないぼくは、

この出来事を書き記しておこうと思った。


何の目的もなく、

何のメッセージもないものだからこそ、

野に咲く花のようにうつくしい。

広い世界の路傍に、

そんな「物語」が、

一輪くらいあってもいいはずだ。


つながらない電波と、

つながった空。


空にはたくさんの電波が飛び交って、

見えない波長が錯綜している。


声、顔、音、光、

言葉、気持ち、心、感情、思い・・・。


空がぼくらをつないでくれる。


青い空は、何も言わない。


けれど、いつも語ってくれる。


四角く切り取られた窓が、

いかに小さく、

限られたものかということを。


四角い窓から覗いた世界の中でも。

心の窓は、小さく四角く切り取らないよう、

いつでも広く開け放っておきたい。


窓の外の、見えない部分。

そこにひそむ、大切なもの。


ぼくはときどき空を見る。


大きな空は、何も言わない。


何も言わないからこそ、雄弁に語る。


答えもなく、際限もなく、

無限に広がる空の前では、

いかに自分が小さいことか。


答えのない空の前では、

答えなど無用のことだ。


心のままに。


理由も理屈も関係ない。


Just bring yourself.


今を楽しむ心があれば、

それでいい。


今この瞬間の、

目の前に広がる青空を曇らせるような、

せまくよどんだ心は風に預ける。


空を歌う唄は、たくさんある。

その時、その瞬間、

お気に入りの空の唄を歌って、

空を眺める。


心のままに。


心の天使がそっとささやく。

聞こえないほど、ささやかな声で。


「こっちだよ」


聞くほどに声は

どんどんはっきり聞こえるようになる。


「こっちにおいでよ」


「いっしょにあそぼう」


電波も天使も妖精も、

決して目には見えないけれど。


心のアンテナの感度がよければ、

きっと感じられる。



「心を亡くす」と書いて

「忙しい」と読む。


なるべく心をなくさないよう。


心の窓は、

大きく開いておきたい。



* *



母に代わって、

ぼくが夕食を作った時。


出し巻き卵を食べながら、

母が言った。


「おぉいしいねぇ、これ。

 味つけがちょうどいいわ。

 たまごの味がちゃんとするもん。

 ほんと料理上手だね。

 あんたは天才だわ」


「ははは。ありがとう」


やや大げさな賛辞を浴びつつ、

ぼくが笑う。


「そういえば。

 シンガポールに行く朝、

 お父さんが作ってくれたわ。

 卵焼き。

 めずしいこともあるもんななって。

 ふだん文句ばっかり言って、

 自分では何にもやらん人かと

 思っとったけど。

 案外、やさしいとこもあるんだなって。

 あの時は嬉しかった」


「へえっ。

 そんなことあったんだ」


母の口から、

父を賞賛する言葉を聞いたことは、

ほとんどないと言っても

よかっただけに。


母のこの、

ちょっとした「喜び」は、

ぼくにとっても嬉しい感触だった。


依然として母は、

父の死を知らない。


父の死は、ずっと伏せたままだ。


長年、別居してきた父は、

死別してなお「別居」のまま、

母の中では生き続けている。


事実を知らないはずの母だが。


もしかして母は、何か、

感じているのかもしれない。


お空の上の父と、何かしら、

つながっているのかもしれない。


そんなふうに

思ってしまうくらい。


生前はまるで

なかったことなのに。

最近、不意に母が、

父の思い出話をすることがある。


かつてに比べて

やわらかな顔つきで、

憎まれ口ではなく、

やさしい口調で。

父とのことを、回想するのだ。


母のいない場所で、

ちょうどシンガポールの話を

していた翌日。

母が、

シンガポール行きの

朝の一幕を話してくれた。


ぼくの作った、

出し巻き卵がきっかけだとしても。


ふと思い立ち、

出し巻き卵を

作ろうと思ったことも不思議だし、

前日までに、

何度かシンガポールの話を

していたことも不思議に思えた。


単なる「偶然」の仕業かも

しれないけれど。


偶然だけでは割り切れない、

妙なつながりを感じたぼくは、

目には見えないけれどたしかにある、

大気中を漂う「不思議なもの」に、

そっと笑いかけた。


その夜、

一人、湯に浸かりながら、

父に言った。


「だってさ。

 よかったね、父さん」


信じるとか信じないとか。

存在するとかしないとか。

そんなことは、どうだっていい。


父はたしかに生きていたし、

母が笑顔で思い出したのだから。


「ありがとう」


死んでからでは遅いから。


生きているうちに、

言っておきたい。


顔いっぱいの笑顔で、

心の底から伝えていきたい。


「ありがとう」


父と母に足りなかったのは、

お互いへの感謝の気持ちだ。


ぼくは、

感謝の気持ちを忘れたくない。


なぜなら、

父のようになりたくはないし、

母のようにもなりたくないから。


ほこりにまみれた母の記憶が、

静かに流れる時間にすすがれて、

清らかで美しいかけらが

表出しはじめたのなら。

それは、とても嬉しいことだ。


生きているうちには

できなかったけれど。


出し巻き卵が、

父との思い出につながった。


うれしかった、と言った母の顔。


とてもきれいな顔だった。


80歳のおばあちゃんの顔が、

一瞬だけ、少女に戻ったような。

愛らしい表情が

ちらりと覗いた。



ふと、心に浮かんだもの。


心に身を任せ、表現すること。



こうして生まれる「偶然」は、

偶然ではなく、

漫然とたゆたう

必然への糸口なのかもしれない。


つかむか、つかまないか。

気づくか、気付かないか。

感じるか、感じないか。



『E202』



心のアンテナに、

エラーメッセージは表示されない。


現実に答えなど存在しないから。


何を選び、

何をつかみ、

何を感じるのか。


ただ、それだけの「違い」でしかない。



* * *



電波を拒むテレビを指して、

母に言った。


「母さん。

 テレビが悪いものだとは思わないけど。

 ただ、テレビばっかりじゃあ、

 生きてる時間がテレビになっちゃうよ。

 これはぼくのアイデアでしかないけど。

 テレビを観る代わりに、

 また昔みたいに、クッキー焼いたり、

 ジャムを作ったりしてみたら、

 生きた時間になるんじゃないかな。

 そうやって作ったものを、

 ぼくとか姉ちゃんとか、

 りんた(孫)とかにあげたら、

 みんな嬉しいって思うよ。

 疲れちゃうくらいに、

 無理することはないけど。

 そういう時間は、

 みんなの中にずっと残るし、

 嬉しい記憶になると思う。

 テレビを相手に、

 一人で過ごす時間を選ぶか。

 生きた時間を自分でつくるか。

 それは、自分次第だって思う。

 ぼくは母さんに、

 いつまでも元気でいてほしいから。

 生きた時間を、

 楽しく過ごしてくれたら

 いいなって思う」


この思いが、

母にどれだけ伝わったのかは

わからないが。


結果はさておき、

母の「アンテナ」を信じて、

言うだけは言ってみた。


「花を植えたり、

 イチゴとかトマトとか育てたり。

 そんなのも、母さん上手だよね」


「そうだね。

 また苗とか買って、植えてみようかね。

 テレビばっかり観とったらいかんね。

 ちょっとのつもりが、

 ついついずうっと観ちゃうから」


「ねえ母さん。

 この種、植えたら出てくるかな?」


「アボアボ、じゃない、

 アボガボだっけ?」


「アボカド、でしょ」


「そうそう、アボガボ。

 植えたことあるよ。

 植えると芽が出てくる」


「え、実はなるの?」


「実はならんけど、芽は出る」


「へえ。植えてみよっか。

 もしかして、実もなるかもしれないよ」



明日になれば、

母は忘れてしまうかもしれない。


ぼくと話したことも、

自分で言った、反省と決意も、

明日には

どこ吹く風かもしれない。


たとえ実はならなくても。


後ろを向くより、

こうして目の前の景色を見て、

ちょっとずつでも前に進んでいくほうが、

ぼくは好きだ。


一進一退。一喜一憂。


あきらめたりあきれたりせず、

まっすぐ向き合うこと。



ぼくは、

ちっぽけで、ささやかで、

石ころみたいだけどぴかぴかしてて、

手のひらにすっぽり収まるくらいのそれを、

落とさないようにしっかりと、

こわさないようにそっと、

いつまでも大切に握りしめたい。



アンテナ

青空

シンガポール


・・・ぼくの古びたアンテナは、

見えない何かを受信して、

こんなことを

語らせるのでありました。





< 今日の言葉 >


『我王よ、彫るがいい。

 お前の心の内にある、悲しみ、苦しみ、怒り。

 それは、この世が終りを告げるその日まで、

 生きとし生けるすべてのものが、

 ひとつ残らず死に絶えてしまうその時まで、

 はるかなる時を超え、

 お前の子孫によって未来永劫

 受け継がれていくのです。

 さあ、我王。

 お前の心のおもむくままに、

 無心に掘り続けるがいい。

 それが、今この時代に生きている

 お前の証なのです』


(『火の鳥 鳳凰編』

 二月堂にこもる我王への

 火の鳥からの言葉)